獣人に読み書きを
久しぶりに再会したモフ子の願い、できればかなえてあげたい。
宿へ戻った俺は、さっそくパンフレットの構成を考え始めた。獣人が読み書きを学ぶことがどれだけ重要か、それを実利と倫理の2方面から論述することにしよう。
獣人を使役する場合、文字で指示を伝えることができればどれだけの効率化が見込めるか、計算ができれば販売の現場に出すこともできる、設計図が読めれば建築や製造の現場でいちいち面倒な指示を出す必要がなくなる、総じて、経済的な視点から労働の効率化や商業活動の発展に繋がるのは明白だ。つまり、獣人の潜在的な能力を引き出してやれば、それが社会全体の利益となる。
そして、文字を読むことは同時に思考を深めることでもある。労働の意味、社会への貢献、そして自己と他者の尊厳の認識、獣人が思考を深めてそうした意識を持つにいたれば、社会は間違いなく成熟度を高め、暮らしやすくなるはずである。成熟した社会で良く暮らす――良い暮らしをするではなく――ことは、幸福な社会の基礎である。
すなわち、獣人が読み書きを覚える社会は、獣人にとっても人間にとっても間違いなく良い社会であり、これに反対する理由はどこにもないはずである。
よし、骨子はできた。あとは修辞や比喩、具体例の提示などで分量を増やし説得力を増せばできあがりだ。俺は晩飯前に原稿を書き終えて、達成感に浸りながら酒を飲んだ。そして、酒の力を借りてさらに2つ原稿を書いた。売るための原稿、リヴァイアサン討伐の物語と山麓の廃墟の物語である。これは市場で1冊5ゴールドで売るブックレットになる。良い感じにアルコールが回って調子よく物語が膨らみ、それぞれ薄い本になる文字数の原稿ができた。リヴァイアサン討伐の話は内容が少なめなので人魚のエピソードも付け加えてやった。あとは印刷屋がどのような反応を見せるか。
翌朝、金策クエストに出かける仲間を見送ってから、俺は原稿を持って印刷屋を訪れた。
「こんにちは、初めまして。作家のプリモと申します。」本が出回っているので作家と自己紹介できる。印刷屋にはウケが良いはずだ。
「おお、プリモさんですか。ちょっと本を取ってきますからサインして頂けますか?」
「もちろんです。」良い滑り出した。しっかり知名度が上がっている。
生まれて初めての著者サインをしたあとで、俺は印刷屋に仕事の依頼をした。
「今回の依頼は3つあります。そのうちの2つはブックレットです。俺の最新作で、まだ出版されていません。これを俺は、できれば今日、市場で手売りしようと思っています。一種のファンサービスですね。そんなにたくさん持ち歩けないので100部ずつお願いします。もし興味がおありでしたら、町の書店と商談を進めて、書店限定のブックレットとして売り出せばそこそこの利益になるかも知れません。その場合、俺の印税は10%でかまいません。もうひとつは政治パンフレットです。」
政治パンフレットと聞いて印刷屋の顔が少し曇ったのに気がついたが、俺はかまわず続けた。
「読んでいただければわかりますが、獣人の読み書きについての啓蒙がその内容です。獣人が読み書きできる世界がどれだけ良いものなのか、実利と倫理の両方からのアプローチでまとめました。多くの人々が手に取ってくれることと信じています。これを市場のブックレット屋台に置いて、買ってくれたお客さんに渡すつもりです。」
印刷屋はそれを聞いて、パンフレット原稿に目を通し、満足そうな笑顔を見せた。
「プリモさん、これは素晴らしい内容だ。きっと多くの人々の賛意を得られると思います。私も大賛成です。」
「と言う次第なので、申し訳ありませんが、午前中に仕上げていただけますか?」
「了解いたしました。社会に貢献できる仕事の一端を担えることに感動しております。正午に取りに来てください。」
俺は印刷屋に一礼してから本屋へ向かった。
「こんにちは。作家のプリモです。俺の本の人気はどうですか?」
「えーっ!プリモ先生ですか?うわ、どうしましょ。」
「なんならサイン色紙でも書きましょうか?」俺は調子に乗っていた。
「是非お願いします。それと.......」店員は書棚から俺の本を持ってきてレジを通して言った。「これは私の私物ですが、サインをお願いできるでしょうか?」
「はい、かまいませんよ。なんなら正午までここでサプライズのサイン会をしましょうか?」
「えーっ、ホントですか?すごいーい。ちょっと待ってくださいね....店長!てーんちょー!」店員は店長を連れてきた。
「プリモ先生がサプライズでサイン会をしてくれるそうです。」
「おお、それはすばらしい。さっそく場所を用意します。こちらへどうぞ。」
正午まで2時間弱。俺はひっきりなしに訪れる客のためにサインを書きまくった。思ったよりなかなかハードな仕事だ。時間になったので、残りの客には後日郵送で送るということで納得してもらい、俺は印刷屋へ向かおうとしたが、なぜか店長もついてきた。
「印刷屋までご一緒させていただきます。ビジネスのチャンスがあるようです。」
「そうですか。俺も関係ありますか?」
「もちろんです。ウィンウィンどころか、印刷屋を交えてウィンウィンウィンでございます。」
印刷屋ではもう俺が依頼した仕事は終わっていた。スタッフ総出でがんばってくれたようだ。スタッフの中には獣人もいた。
「印刷屋さん、お久しぶり。本屋の店長です。こちらでブックレットとパンフレットを印刷したと聞いて、こうしてはいられないとついてきてしまいました。」
「やあ、店長、うちもあなたに会いに行こうと思っていたところです。」
「ということは考えるところは一緒というわけですか?」
「はい、出しましょう、ブックレットを。地方出版として限定部数を刷り、あなたの店舗で販売する。プリモ先生がきょう市場で手売り販売するそうなので、その価格で売りましょう。部数は1000部。取り分は、先生が10%、われわれが45%ずつ。これはイベント出版なので、それ以上は王都の出版社から連絡が来たら考えましょう。そして、ここが大事なのですが、ブックレットにこのパンフレットを折り込みの付録として付けましょう。これはとても大事なメッセージです。」
パンフレットを読んだ店長はいたく感動したようだった。彼は言った。
「私たちが売る商品はただの金儲けの手段ではなくて、社会を見えない力で支える道徳的支柱なのですね。」
すっかり作家先生として調子に乗っていますね。作家はファンサが命...ではなさそうですけど、本当は。ほっぺたが腫れているのに、今夜も白ワインを飲んでしまいました。イタリアのGavi。夏ワインとしての決定版です。白ワインがお好きな方は是非お試しあれ。キリリと冷やした辛口の白を気怠い午後のテラス席で飲む、これ最速です。ほっぺが腫れていなければ。




