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アリスちゃんに見送られながら玄関を出て、僕は鼻歌交じりにスキップしながら駐車場へと向かった。
いってらっしゃい。いってらっしゃいかぁ~……いい響きだ……アリスちゃんのあの、ぎこちなくて言い慣れてない感じとか……完全に新婚のそれだったなぁ~。
ルンルン気分で車に乗り込み、僕は近所のショッピングモールへと向かった。
なんとか必要そうなものを買い終え、ガラガラとショッピングカートを押しながら、ふと気づく。
あれ? そういえば下着をネットで注文したけど、届くのって数日掛かるよな?
じゃあ今日含めて数日分の下着が結局必要なんじゃ──。
「お、一ノ瀬じゃねえか」
声に振り返ると、吉田先輩が立っていた。
奥さんとお子さんらしき人も一緒にいる。仕事帰りに家族で買い物に来たのだろうか。
僕の顔とショッピングカートいっぱいの荷物を交互に見て、ニヤニヤしながらこちらに歩いてきた。
まずい。出来れば会いたくなかったな。これは色々聞かれそうだ。
「吉田先輩。ご家族で買い物ですか?」
「そうそう。お前なんだよその荷物~もしかして、ついに彼女と同棲か?」
どうする。誤魔化すか? でも、この人はノリは軽いが、口が軽いタイプではない。
変に言い訳するより正直に答えたほうがいいだろう。
「まあ、はい。今日突然押しかけてきて、なんやかんやと必要になりまして」
「こないだ言ってた子か? はぁ~やるねぇ。いつから付き合ってんだよ」
「それは……えーと」
「パパぁ~。そろそろ帰ろうよ~」
舌っ足らずな声が吉田先輩を呼ぶ。先輩は振り返り「はいは~い。すぐ戻るね~」と猫なで声で返した。
「おい、今度詳しく聞かせろよ」
「了解です。でもこの事はどうか……内密にお願いします」
意味ありげに目配せしてみる。すると吉田先輩は何かを察したようにニヤリと笑った。
「なるほど、紳士協定ってやつか。分かってるって。このヤリチンが」
そう言われながら肩を軽く叩かれる。
どうやら不名誉な勘違いをされてしまったようだ。でも今は、変に否定するよりこの場を切り抜けることのほうが優先だ。
「じゃあまた明日な。おつかれ」
「はい。お疲れ様です」
吉田先輩が家族の元へと歩いていく。
それを見届けて、僕はようやくほっと胸を撫で下ろした。
「ただいま」
「あ、おかえりなさい」
家に帰ると、アリスちゃんは膝を抱えるようにしてソファに座り、テレビを見ていた。
僕に挨拶をした後、再びテレビに視線を移し、食い入るように見ている。
何を見ているのだろうと覗くと、ブリテンのアニメだった。
「はぁ~……クリスくん。今頃どうしてるんでしょうか?」
「早く会いたいです」テレビの中で活躍しているクリスくんを見つめながら、憂いを帯びた横顔でアリスちゃんがぽつりと呟く。
アリスちゃんはクリスくん命だもんな。一日会えないだけでも相当辛いだろう。
クリスくんは男の僕から見たっていい男だ。それは間違いない。僕だってキャラとしては大好きだしね。
アリスちゃんがメロメロになるのも仕方ないと頷けるほどさ。
分かってる。分かってるさ。でも、仕方がないこととはいえ……ううむ。
こうやって目の前でクリスくんに恋してるムーブのアリスちゃんを見るのは、どうしても辛いといいますか。
ちょっと……もやもやしてしまうな。
一瞬胸に湧きそうになった醜い嫉妬心を、頭を振って振り払った。
はっはっは。しかしまあ、僕だってそういつまでも丸腰ではないさ。
なんたって僕はアリスちゃんの全てを知っている。まあ、原作とアニメで分かる範囲だけど。
アリスちゃんの好きなものだって……当然把握しているのだっ!
「アリスちゃんって、確かいちごが好きなんだよね?」
声を掛けると、アリスちゃんがテレビから視線を外してこちらを向く。
「はい。そうですが」
「だよね? これさ、買ってきたんだけど飲んでみる?」
手の持っていた紙袋をテーブルに置き、中身を取り出した。アリスちゃんがテーブルに置かれたドリンクを見て、目を丸くする。
僕がテーブルに置いたドリンク。それは、シャレオツな店構えのせいか陽キャやノマドワーカーが多く集まる、カウンターで呪文めいた注文が必要な、ぼっちの僕にはちょっとハードルが高いチェーン展開のカフェで買ってきた、いちご味のフラペチーノ。
メリー◯リー ストロベ◯ー フラペチーノだった。
「あおいさん……この飲み物は?」
「なんかイチゴをふんだんに使ったドリンクなんだって。アリスちゃん好きかと思って買ってきたんだ」
「はぁ……頂いていいんですか?」
「モチのロンですよ」
「じゃあ……いただきます」
緑色のプラスチックストローを差してあげると、アリスちゃんはそれを受取り、恐る恐るストローに口をつけた。
ずず、と口に含むと、アリスちゃんの瞳がカッと大きく見開かれる。そしてフラペチーノを手にしまま、わなわなと震えだした。
「なんですかこれ。おっ……おいしすぎますっ! こんなの初めて飲みましたっ!」
アリスちゃんはテレビもそっちのけで、目をキラキラさせながら、ちゅうちゅうとフラペチーノを飲み始めた。
この反応、どうやら狙い通りだったようだ。やったぜ。
「はぁ~……ごちそうさまでしたっ美味しかったです!」
アリスちゃんは一息もつくことなくフラペチーノを飲みきり、僕に満面の笑みでそう告げた。