幕間2-2 How Is My Fate ?
26日予定が大分遅れてしまい申し訳ないです(´・ω・`)。
「…………」
――あれからどれだけ時が経っただろうか。
一時間か、二時間か。それともまだ三十分も経っていないのか。
「…………」
(――あれ? もしかして詰みイベか?)
最低でも一ヶ月と言われていたのだから、一時間そこらでポッと思いつく筈がないと、通常の状況であれば冷静に判断ができるだろう。
しかし今のジョージのように、置かれた状況によってはその冷静な判断ができないこともある。
「しかも特に指定されたわけでもないのに調子に乗って正座してしまったし……」
足のしびれよりも前に、窮屈な空間に閉じ込められ、体を動かすことができないストレスが早くもジョージに襲い掛ろうとしている。
「クソッ! 真面目に三日目の最初の食事の時に脱出をはかるしか――ん?」
そうしてジョージが色々と考えを巡らせていると、不思議なことに閉ざされていた筈の空間が広がっていくように感じられる。
不思議に思って左右も見まわしてみるが、それまでの圧迫感もなく、無限に広がる闇を感じることができる。
「どういうことだ……?」
突然自分の感覚が広がっていくことに戸惑いを覚えていると、突然目の前に一つ、ぼんやりとした白い火の玉が現れる。それはまるで人の魂のようで(というよりもジョージにとってはまさにそう感じられるもので)、そしてどこか懐かしさを感じることもできる。
「……この感じ、まさか――」
「よう、久しぶりじゃねえかジョージ」
――人魂は形を変え、それはジョージが良く知る姿へと変貌していく。
「何故、師匠がここに……ッ!」
それは像として祀られていた羅刹女をそのまま幼くしたような、角を生やした小鬼の少女だった。袴姿に木刀を担いでおり、いわゆるヤンキー座りでかがんでおり、正座をするジョージとそのまま視線を合わせている。
「師匠!? どういうこと――いや、違う! これは俺の感覚がおかしくなって――」
「何もおかしくなってねぇよ。おれは確かにここにいる。ここに、“囚われている”」
「囚われている……一体どういうことだ痛ってぇ!?」
突然として少女はジョージの頬を叩く。その力は幼いながらも鬼のそれと変わらないもので、ジョージはそのまま体勢を崩して横に倒れてしまう。
「いきなり何しやがる!?」
「師匠に向かってタメ口をきいた罰だ罰。……それよりも、今ので理解したか?」
「は……? ……そういえば、何で横になれるんだ……?」
いまだ痛みが引かぬ頬のひりひり感に手を当てながら、正座ではなく足を崩すことができている現状に、ジョージは気がつく。
「一体これはどういう――」
「そんなことはどうでもいい。まずは一回目だ」
そうしてジョージの目の前にドンと置かれたのは、大きな丼と十個の小ぶりなサイコロだった。
「……何ですかこれは」
「いいからサイコロを振れ。これが“一回目”だ」
「はぁ……まあいいですけど」
ひとまずは言われるがまま、ジョージは十個のサイコロを両手に持ち、そのまま丼へと投げ入れる。
一投目。賽の目が示したのは一の目が五つ、二の目が三つ。後は六と三が一つずつ出るという結果となった。
「ほう……初っ端から一の目が五つとは。運がいいのか、それとも他の因果があるのか」
「一体これで何が分かるというんだ?」
「まだ口のきき方が……まあいい。これからお前に課す課題を示す」
そう言って少女はサイコロを全て手に取り、そして同じように振って見せる。
同じく一投目。しかしその結果は寒気を感じさせるものだった。
「っ……!?」
少女が出してみせた目は、全てが四の目。十個全てがゾロ目だった。
「……残念ながらかつてのおれは運悪くこの場で死の目を出して死んじまった。そしてお前が出さなくちゃいけないのは、一のぞろ目……いわゆるピンゾロってやつを十個揃えて出すまでここから出られないってことだ」
「ピンゾロ……十個……」
ジョージはとっさにその確率の計算を開始――ざっと六千万分の一。宝くじが当たるよりもはるかに低い確率だ。
「そ、そんな滅茶苦茶なことがあるかよ!?」
「そんな滅茶苦茶なことをやらなくちゃいけないのが、“阿頼耶識”取得の為の唯一の道だ」
残心の完全上位互換――相手の動きを見極められる、目に見えぬものを含む全てを感知できる――それだけではない。更にその先、相手の動きの先読みをし、例えそれがゼロ秒で行われることだとしても、事前に察知してその上をいくことができるという、攻防一体のスキル。それが阿頼耶識というものだ。
「ここのやり方はこうだ。ピンゾロ十個が出そろう瞬間を察知した上で、その通りに投げられるかどうかで習得したかどうかの判断をする。酷く単純だろ?」
「それがどうして、師匠が死ぬことに繋がる」
「それはこのサイコロが、ただのサイコロじゃないっていう話だ」
普通のサイコロではない、何者かが強力な呪術をかけたサイコロ。少女が死んだのはその呪いの一端であり、運悪く四のゾロ目を出したが為に起きた不幸でもあった。
「ほかにどんな目を出そうがそんなに恐ろしいことは起きないが、四のゾロ目だけは出すな。おれみたいに死んじまう」
「死んじまうって、だから師範代は師匠についてあまり口にしなかったのか……というか師匠は死んだってのにどうしてこの場にいるんだ?」
「知るかよ。少なくとも阿頼耶識を会得できなかった無念さはあったから、地縛霊みたいになっているんじゃないか?」
オンラも薄々気づいているのだろう。封じられた箱の中の闇に、師匠が今も閉じ込められていることを。そして弟子のジョージがそれを何とかしてくれるのではないかという、淡い期待を持ってしまっていることを。
「いいか? ルールは三つだ。今から一時間おきにサイコロを振ること。ピンゾロ十個揃えることができれば、阿頼耶識が開花したといえる。できなかったら、そのまま居残り続行だ。おっと、何度も言うが、四のゾロ目は絶対に出すなよ。死ぬぞ」
三日ごとに食事を出されるとはいえ、それまでに振れる回数は七十二回。強制的に一ヶ月残らされたとしても、七百二十回。宝くじを同じ枚数買ったからといって、一等が確実にあたるかと言われたら誰もが首を横に振るだろう。
「一時間に一回……それまでは――」
「何をしてもいいが、ここでは何もできないだろうよ」
「まあ、そうなるよな……」
正攻法でやるにしても、会得の可能性は万に一つか、億に一つか。そうなれば、何か別の攻略法があるのが定石。
「これはあくまでゲームだ。生真面目に付き合う必要はない……」
そう呟いて、ジョージは何か他に手立てはないかと、今あるスキルで使えそうな残心を発動させ、その上で辺りを見回した。
「…………」
「お? 残心は使えているな? だがここには何もないぞ」
少女の言う通り、ジョージの目には何も映らず、少女の嘲笑が混じった声が耳に届けられる。
「まさか正真正銘、ピンゾロ十個揃えるまで出られないってことか……?」
「だぁーから最初からそう言っているだろうがバカ弟子が。まあおれとしては死に体とはいえ、弟子とこうして二人きりでいることに何ら問題は無いがな」
(あんたに問題が無くてもこっちには大問題だっての……)
ジョージはひとまずステータスボードを開いて、現時点での自分の運の評価値を確認する。
「運は一応評価SSだが……これでも自信が無くなってくるな……」
ゲーム内の成長パラメータの一つとして定められている値であるが、これはレアアイテムドロップ率、そして攻撃が致命的な一撃となるクリティカル率に関わってくる数値である。ジョージは刀での一撃必殺を一つの目的としているため、運についてはいわゆる極振りと言われる部類にまで数値を割り振っているが、それでも六千万分の一の前では頼りなく感じられてしまう。
「……ん?」
「おっ、もしかしてオンラの奴が暴れているな?」
既に忘れがちであるが、ジョージの体はあくまで鋼鉄の箱によって封じられている。であるにも関わらず、こうして外の振動が伝わってくるとなれば、それなりの規模であることがうかがえる。
「師範代が暴れてるって……まさか! 敵襲――」
「いんや、違うね。これはお前の連れをブチのめそうと暴れている音だね」
「俺の連れ……ラストのことか!?」
「そうだ。七つの大罪だ。きさまを堕落させた張本人だ」
その瞬間に、ジョージはその場に立ち上がって上を目指そうとした。
「無駄だ。内側からは出られない」
「何のつもりだ師匠!」
「何って、おれはお前がここに来る時から感じ取っていた。そしてオンラとおれの考えは同じってことだ」
「っ! 嵌めやがったな!!」
明らかな怒りのこもった視線を、少女に向ける。しかし少女はそれを意にも介さない様子で、暇つぶしとばかりにサイコロを振り始める。
「言ったはずだ。ここを正式に出るには――阿頼耶識を習得するには、手段はひとつしかない」
「ぐっ……!」
何度振ろうが、少女の出す目は四のゾロ目に固定される。それはまさに呪いを視覚的に明示しているようで、不気味さを感じさせる。
「それにおれ達の考えに意見するのであれば、なおさら阿頼耶識を身に着けた上で出て行って貰おうか」
「なんだと……!?」
「オンラも言っていたし、お前自身も自覚しているはずだ。今のお前には余計な荷物が増え、雑念もまた増えた。以前のように戦いに対して、純粋ではなくなった……」
「……何が言いたい」
「簡単な話だ。最初の通り、一ヶ月ここで過ごさせることで、まずは心をへし折る。そして改めて鍛え上げるのさ。今度こそ勝利の身を突き詰めた侍に、鬼すら哭かせる悪鬼羅刹へとお前を変えてやる」
完全な戦闘マシーンへと生まれ変わらせる――それがこのガンド寺院において設定された結末だということを、ジョージはここで初めて理解した。
「……それはお断りだな」
「別に構わないが、一ヶ月以内の心が壊れない内に条件をクリアしなければ――」
「いや……次の一投で決着をつける」
「……バカ弟子ながら、随分と大きく出たじゃないか」
ならば大一番の勝負に乗るのも一興、と少女はそれ以上何も言わずにその場にあぐらをかいて座り込む。
「ならばとことん、見せて貰おうじゃないか」
頬杖をついて大口を叩く弟子を見つめる少女を前にして、ジョージは何を考えているのか。
(……とはいったものの、攻略法があるんだろうが今のところは糸口すら見つけられていない感じなんだよな)
明確にゲームオーバーまでのタイムリミットが指定されている以上、何かしらの抜け道はあるはずなのだが、まだそれは見つかりそうもない。それに勢いで啖呵を切ったせいで、次の一投で下手すると決まりかねない。
「残心をしてもヒントはなし、となればやはり純粋な運だけが必要ってことか……?」
事実として、一投目で一のゾロ目が五つ揃っているのをジョージは目の当たりにしている。これもまた統計上の偶然と言われてしまえばそれで終わる話だが、それを当てにする心理が働いてしまう。
「……いや、これも違う」
どう考えても間違っている。直感的にこれは運だけでこなすものではないと、ジョージは再度甘い考えを否定した。
「となると、次の可能性だが……」
そうなってくると気になるのがサイコロの方である。今すぐにでも手にとって確かめたいところであるが、ジョージが手を伸ばすと少女は即座に木刀でその手を叩き落とす。
「痛ってぇっ!?」
「言ったはずだ。サイコロを振れるのは一時間に一回だけだ、と」
まるでそれを破った結果を知っているかのように、少女は厳しく言いつける。
「そんなに早死にしたいのか?」
「……いや、いい」
「そうだ。こいつにはそんなに長時間触れない方がいい。おれが四のゾロ目を出したのは、こいつに長時間触れてしまったのも原因の一つだからな」
「まさか運を吸い取るとでも言いたいのか?」
「…………」
(……冗談で言ったつもりだったが、どうやら本当のようだな)
長時間触れることも駄目、となるとどちらにしても、少しずつ触れるとはいっても一ヶ月持つかどうか、という話にもなってくる。
「……ますますもって年単位でやるもんじゃねぇな」
「そうだな。オンラは年単位でと言っていたが、それができるとするなら、それこそ豪運の持ち主じゃないといけないかもな」
「……豪運、か」
自らの運気を吸い取るサイコロ。吸い取る運が尽きれば最後、恐らくは少女と同じ末路をたどることになるのだろう。
しかしそれを踏まえたとして、ジョージの選択肢からこのサイコロに触れないという選択肢は消えていた。
「…………」
もう一度だけ残心を発動し、その上でサイコロに手を伸ばす。
「……なっ!? 馬鹿か!? 人の話を――」
「ちょっと黙っていてくれ師匠」
知っていたのであれば、籠鶴瓶まで持ち込んだ上で“血の盟約”を重ねがけしていただろう。しかし現実として持ってきていたのはヒビの入ったブロードソード一本だけ。
「この場にアイゼがいたら、ちょっとは心強かったんだが……」
誰に言う訳でもなく、ジョージはぽつりとつぶやく。呟く名前は背中に背負う剣の名と同じものだったが、当然ながら答えるはずもなく静かなまま。
「……やるしかないか」
そうして十個全てのサイコロを再びぐっと手に握る。すると今度は意識していたためか、明らかに手のひらから何か吸い取られるような感覚に陥っていることにジョージは気がつく。
「っ、マジで運気を吸い取ってるみたいだな……!」
「いいから早く手を離せ! 一度奪われた運気は戻らない! というより、戻し方はおれにも分からん!」
「……いや、どうやら少しだけヒントを貰えたみたいだ」
そうして余計に運を取られまいと、ジョージはサイコロを静かに丼へと戻していく。
「…………」
「……何か掴んだのか?」
「というより師匠、本当ならあんたも気づいていたはずだ」
サイコロ一つ一つの、一瞬のきらめき。翡翠色に光るそれは、直感的に見てそれは手から吸い取られていく運を放出しているようにも思える。
「…………」
「……かなりシビアなタイミングなんだな」
「ああ。そのタイミングを掴もうと、握りっぱなしだったのが俺の敗因だ」
理屈としては十個同時に輝くその瞬間――手の内から眩い光が一番漏れ出ているタイミングでの投下。まさに残心を使いこなした上で、かつ運を貪られても握り続けられる度胸と豪運が、阿頼耶識習得の為に必要な条件だった。
「……というか、知っていたのなら教えてくれてもよかったんじゃないか?」
「さっきも言ったはずだ。おれはあの女にお前を任せるつもりはないと」
「……あまりラストを舐めない方がいい」
そうして再び箱の外が騒がしくなってきたのか、激しい振動が箱の中空間を揺らし始める。
「確かに、オンラにしては随分とてこずっているようだな」
「あいつは四鬼噛派の俺とずっと一緒にいたんだ。その戦い方は心得ている」
「さて、どうかな……」
さらに一時間が経過し、次の一投目を投げる時間がやってくる。ジョージは再びサイコロを手に取ると、残心を発動させてそのタイミングを図ろうとした。
「…………」
「……どうした? 振らないのか?」
「……まずいな」
心なしか、手の内のサイコロが光るタイミングがだんだんと開いてきているような気がする――否、実際に間隔は開きつつある。
「運が、吸い取られている……!」
「っ、いいから手を離せバカ弟子! このままだとお前まで――」
「黙っていてくれといったはずだ!!」
チカッ、チカッ、と光が徐々に小さくなっていく。それはジョージの運が残り少なくなっていっていることを示唆している。
しかしジョージは焦ることなく、落ち着いて来るべきタイミングを見計らっている。確実に、着実に十個のピンゾロが来る、その瞬間を。
これでもない。これでもない。これでもない――
「――ッ!!」
手の内の輝き――それまでにない光の量が、ジョージの手から漏れ出している。それは一瞬ではあるものの、この空間全体を照らす明るさにまで思えた。
それを逃さずに、ジョージは手のひらを開けて丼へと振る。しかしここでしくじってはならない。丼からサイコロを一つでもこぼしてしまえば、それまでの粘りも元の木阿弥となってしまう。
しかし器用さを最高評価であるSSSまで上げていたジョージにとって、どんぶりに綺麗に十個のサイコロを投げ入れるなど不可能なことではない。素早く、そして丁寧に全てのサイコロを投げ入れ終えたジョージは、賽の目が出そろうのをじっと待った。
ひとつ、ふたつ、みっつ――次々と賽の目が確定していく。
「一、一、一……まさか……!」
少女が数え上げていく数字はすべて、一。そうして最後の一つの賽の目までが、確定していく――
「――まさか、そんなまさか!?」
――六千万分の一。十個全てがピンゾロという快挙を、ジョージは己が力で掴んでみせた。
「……失敗したら一発でゲームオーバーという緊張感、確かに並大抵な実戦では経験できなかったな」
疑似的とはいえ、極限下に置かれたことによる覚醒。そしてそれまで賽の目から漏れ出ていた光が、今度はジョージの目に宿っている。
「――阿頼耶識。これが今の俺に見ることができる“世界”か」
翡翠色の残光を宿した眼を通すことで、それまで何もなかった筈の黒の空間が一気に晴れていく。そこにはこれまでこのサイコロによって命を失った、数多くの人々の魂がどこまでも広がっている。
そしてそれは何も前方だけではない。左右も、後ろも、感覚的に全てが分かる。全てが“視えている”。
「……ようやくおれたちも解放されるみたいだ」
「ああ。もうこのサイコロに運を、魂を吸う力はない」
運を搾り取り、無くなればその者の魂をも吸い取るというサイコロ。しかしそれもいつの間にか亀裂が入り、全て割れ散ってしまっている。
「……師匠」
「あん?」
「……今までお世話になりました」
そうしてジョージは最期の修行をつけてくれた少女に対し、深く頭を下げた。
「……ハァー、全く、ここまで真正面から証明されたら、おれも何も言えねぇや。外に出たらオンラに伝えてくれ。おれは一足先に逝くと」
「ええ。必ず伝えておきます」
そうして少女は最期に屈託のない笑みを浮かべ、そして消えていく。合わせて他の魂たちも、解放してくれたジョージに対して礼を告げるかのように、穏やかな表情を浮かべて消えていく。
「……奪命賽、か……」
壊れたサイコロを拾い上げれば、その本来の名称が視界に映し出される。
死の目を迎えた者達の無念を喰らって増える賽。しかし賽との勝負に勝つことで、それまで奪ってきた全ての運を博徒に与え、そして才覚の極みすらも目覚めさせる――まさに今、ジョージのステータスには、本来失った以上の運が帰ってきている。
「……もしかしてステータス上限突破か?」
運の評価値は一時期Cにまで落ちていたのが、元のSSへ、そして更にその先のSSS――で止まらず、EXとまで表記されている。
「これはいい副産物だ」
そうしてジョージは箱の空間から脱出するための道を歩むべく、蓋で封をされた上ではなく、前の方へと真っ直ぐと視線を遠くへ見やる。
本来ならば何もない闇の空間。しかし今のジョージにとっては、真っ直ぐに一本の光の道が見えている。
そして――
「――それはそうと、いつまで寝たふりを続けるつもりだ? アイゼ」
はた目に見て、誰かに向かって言っている訳ではなかった。しかしジョージははっきりと、今まで自分と一緒にその場にいた者の名を呼んだ。
「言っておくが、“視えているぞ”」
断言をするジョージに観念したのか、純白の女性騎士がついにその姿を現す。
「あ、あははー……凄いですね、阿頼耶識」
背中まで伸びた長い髪は、肩のあたりで一つ結びに結ばれている。そしていつもならぱっちりとした目も、今回はばつが悪そうに伏せている。
白を基調とした服装は、メイド服と騎士の服を足して二で割ったような、柔らかさを感じさせながらもどこか厳格さを帯びている。そんな彼女の正体は、ジョージが背負っていたブロードソード。
知性を持った武器、それがアイゼの正体だった。
「その様子だととっくに復活していたみたいだな。何時からだ」
「えぇーっと……じ、実はヴァーミリオン・ヘルの段階で――」
「なっ!? だったら何でさっさと出てこない!?」
「だっ、だってあの時寒そうにしてて急いで脱出されていたので……なんか、それから出てくるタイミングを掴もうにも掴めず、そのままずるずると……」
「はぁぁー……」
(つまりこいつは今まで俺の背中におんぶされたまま、楽に過ごしていたってことかよ……)
元々がマイペースな性格のアイゼだったが、それゆえにこのようなことになってしまっていたことに、ジョージは大きくため息をつかざるをえなかった。
「……まあいい。だったら俺の独り言も全部聞いていたはずだ」
「あっ、はい! 勿論です!」
「そうなればひとまずソーサクラフに帰って、お前の意見も聞こうじゃないか」
――自由となったお前は、この先どうしたいのかを。
◆ ◆ ◆
「くっ……化け物め……!」
「ハァッ、ハァッ……貴様らごときに、私の、主様に対する想いを……消させたりはしないッ!!」
辺りは既に、凄惨な光景が広がっていた。それまで座していた門徒たちはとっくの昔に逃げ出しており、半壊した寺院に残っているのは、オンラとラスト、そしてジョージが封じられた箱だけ。
「“七つの大罪”……暴虐非道の集まりに所属していたお前のような奴が、どうしてたった一人の男にここまで執着する!?」
オンラの知る七つの大罪であるならば、たった一人の人間に、ここまで執着することはない。それは百年前であろうと、今この時であろうと、この世界において変わらない習性だった。
しかし目の前に立つ魔性の女は違う。明らかに一人の男に対する執着が、常軌を逸している。このオンラの疑問に対して、ラストは当たり前のことを何故聞くとばかりに、鼻で笑って答えを返した。
「ハッ……知れたこと。それは私が主様のことを、“愛している”からよ」
「……“愛”、だと……」
――“愛”。それを再現するにあたって、人工知能ではまだまだ追いつけない部分、理解ができない部分が大部分を占めている。しかし目の前の女は、明らかに愛を知った口で語っている。
「……そんなこと、あるはずがない。七つの大罪が、貴様らが愛を理解するなど――」
「ええ。理解するなんてできないでしょうね。だって愛は、目には見えないものですもの」
そうしてしたり顔でいるラストの視線の先――それまで封じられていた箱の蓋が、突然勢いよく開けられる。
「っ!? 何!?」
「フフ……私が信じていた通りね。言ったでしょ? 主様は絶対に帰ってくるって」
そうして箱から姿を現したのは――
「――安全確認よし! ジョージ様、言われていた通り、二人が戦っておりました!」
「むぅ!? 誰だあの娘は!?」
箱から先に顔を出したのは、オンラにとっては知らない者だった。しかしラストにとってはよく知る人物でありながら、決して先に出てくる筈がない人物でもあった。
「……はっ??」
ピシッ! という、血管が切れるような、あるいは空間にヒビが入るかのような音が、誰の耳にも聞こえた――ような気がした。それと同時にオンラが感じ取ったのは、それまでが児戯だったかのように思えてくるような、ドス黒い殺意が乗ったオーラだった。
「おいおい、先に出る必要はなかっただ、ろ――」
続いて顔を出したのはジョージだったが、先に外に出ていたアイゼに向けられていた殺意が、そのまま不意に自分にまで向けられてしまっているという状況に、恐れる他なかった。
「……ラ、ラス、ト……?」
「主様ぁ……? もしやそこの雌犬が粗相をしてしまった、という訳ではありませんよねぇ……? 密封された箱の中で二人きり……一体どういう状況だったか、説明していただけませんか……?」
「いっ、いや! 違う! これはそういう事じゃない! 本当だ!」
「あ、あのー……私は隅の方にいますから――」
「貴様はそこに立っていろ雌犬が!! 事の次第では私自ら首をへし折ってくれるわ!!」
一歩間違えれば(アイゼが)即、死。一切の猶予が許されないこの状況で、ジョージがとった選択とは――
「――ッ!!」
阿頼耶識による空間把握。それによってラストの予想できる行動を全て視通し、その上で自分がとれる最善手とは――
「――っ!?」
一瞬の意識外から仕掛ける、縮地での急接近。ラストにとっては瞬き一つであったが、次の瞬間には主が目の前にまで近づいている。
そしてそのままジョージがとった行動は、ラストを倒すように抱きしめてからの接吻だった。
「……これでも信用できないか?」
「~~っ!」
「うわぁー……ジョージ様、すごい……」
(俺自身も心臓バクバクだっての……俺の方からキスしに行くとか、あんまりやったことなかったからな……)
そうしてラストを無力化することに成功したジョージだったが、その動きを見て感嘆の息を漏らす者が一人。
「今の動き……目の輝き……まさか、本当に……!」
赤面して気絶一歩手前のラストを抱きかかえたまま、ジョージはオンラの方を向きなおす。フードの奥の瞳には翡翠の残光が宿っており、新たなスキルが習得できたことをオンラに知らしめている。
「阿頼耶識……確かに会得した。そして……師匠を“見送る”こともできた」
「そうか……師範はやはり、あのサイコロに囚われていたか……」
「ああ……師範代も、師匠を救おうとして五十年間も粘ってくれていたんだろ?」
オンラは言葉を返すことはなかったものの、ジョージの言葉を前にして、静かに深く、頷いた。
「……最期まで教えを下さった師匠を、弔うとしよう」
ジョージはそう言って、箱の中から持ってきた壊れたサイコロを、オンラへと手渡したのだった。
◆ ◆ ◆
「――本当にすまなかった。わしもこれ以上失いたくない思いで、ここにジョージを置いておきたかったんだ」
「師匠も中でそう言っていた。だが阿頼耶識を習得できたんだ、今度こそ俺は、誰にも負けない」
寺院の前の階段で、オンラとジョージは別れの挨拶を交わす。先ほどまで機嫌が乱高下していたラストも既に落ち着いた様子で、主であるジョージの近くで静かに佇んでいる――チラチラと、時折アイゼを睨むような視線を送っているようだが。
「それじゃ、俺はもう行く。またあいつらと一緒に、大陸統一の戦いの旅に出るからな」
「ああ。お前なら、今回も上手くいく……そうだ」
一体どこから取り出したのか、オンラは旅の餞別だと言って、一振りの刀をジョージの前に差し出す。
「これを持っていけ。師範の使っていた刀だ」
「いいのか? 寺院で祀っていた方が――」
「そんなことをあの師範が望むと思うか? むしろ最前線で戦う愛弟子の姿を、すぐそばで見ていたいと思うがな」
「そうか……じゃあ、ありがたく貰っていこう」
そうしてジョージが刀を手に持つと、清浄な光が辺りを包んでいく。
「……すげえ」
それは阿頼耶識を通してでしか見ることができない、辺り一面の空間一杯に広がる、神聖で立体的な魔法陣。
――神刀“曼荼羅”。レアリティ145のその刀は、魔を打ち払う力を持つ神の刀。それは同じ鬼として生まれながら、人間の為に悪鬼を倒し続けてきた少女が確かにいたことの証明。
「……確かに受け取ったぞ、師匠」
そうして新たな刀を腰に挿げ、ジョージはその場に背を向け、階段を下りていく。
「主様、今度はどちらへ?」
「さあな。とりあえずアイゼは復活したみたいだし――ってアイゼ?」
振り返ると柄に納められたブロードソードだけが階段に転がっており、ジョージは呆れた様子でアイゼに声をかける。
「おいおい、もう背負っていく気はないぞ」
「ちっ、違うんです! まだ長時間は顕現できないみたいで……今ヘロヘロなんですよー」
剣からは声だけが聞こえるが、ジョージは呆れた様子で剣に対しても背を向ける。
「だったら今度はラストに背負ってもらえ……いくら何でも顕現した後に背負うのは、色々と意識して駄目だ」
「あら? でしたらここに置いていってはいかがでしょうか主様。ここでも魔力供給には困らないでしょうし」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよぉ! 私を置いていかないでくださーい!」
そうして何とか無理矢理に姿を現したアイゼは、少し離れて先を行くジョージ達の後を必死に追いかけていく。
「……なあ師範。見ているか。あいつはわし達の予想なんて、軽々と超えていくみたいだぞ」
AIでは計り知れない、人間の考え。その影響を受けた者もまた、新たな可能性を見出していく。
そうしてジョージ一行は、修行の旅を続ける。まだ見ぬ土地で、まだ見ぬ“人々”に新たな影響を与えながら――
これにて幕間は終了になります。そして明日2/1より、続編を投稿していきます(`・ω・´)。
追記:続編投稿を開始しました。シリーズの方からもしくは「日々戦争に明け暮れる世界をクリアする為に、一ヶ月の修行を終えた俺は人々を導く”王”として更なる戦いに身を投じることになりました」(https://ncode.syosetu.com/n8748ka/)からご覧いただけると幸いです。