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◇ ◇ ◇
寒いので一緒に寝て欲しいと言われて応じたことを、ウィルフリッドは若干後悔していた。
毎朝のように、アリスが抱きついてきて花のような甘い香りがふわりと鼻孔を掠める。その度に、鋼の精神力が崩壊して劣情が抑えられなくなりそうになる。
しかも、彼女に触れたいという欲望は日増しに強くなるばかりだ。
「悪夢は見なくなったが、別の理由で睡眠不足になりそうだ」
ウィルフリッドは額に手を当てた。
そのとき、とんとんとドアをノックする音がした。入ってきたのは宰相のヴィクターだ。彼は書類を手に持ち、険しい表情をしている。
「水路建設ですが、私は反対です」
「またその話か」
ウィルフリッドはヴィクターを一瞥し、息を吐く。
「建設費用がかかりすぎます」
「公共事業とはそういうものだ。確かに費用は掛かるが、建設すれば市民の生活水準が格段に上がる。今は、彼らは冬の間洗い物も碌にできない」
「そういう地域なのだから、仕方がないだろう」
ウィルフリッドはぴくっと肩を揺らす。ヴィクターの言葉が、受け入れがたいものだったからだ。
「そういう地域なのだから? 叔父上は本気でそう言っているのですか? 不便さを解決する努力をするからこそ、文明は発展し国は豊かになる」
「しかし──」
「資金確保については、既に財務省から問題ないとの回答があった。ローラン国が、金属資源を輸入するための長期契約をしたいと言っているからそれを原資にします」
システィス国は寒さが厳しいという欠点があるものの、国土が広く、資源が豊かだ。多くの国がその資源を欲しがるので、経済的には潤っている。
「叔父上、私は考えなしに物事を進めようとするほど子供ではありません。既に議員の七割がこの施策を進めることに賛成している」
ウィルフリッドはヴィクターを見つめる。
国王に即位した幼いウィルフリッドを補佐して実質的に国を回していたのは、他でもないヴィクターだ。しかし、あれから十年以上が経ち、ウィルフリッドはもう子供ではない。
しかし、ヴィクターは未だに当時の感覚が抜けないようで、ウィルフリッドが自主的に何かを進めようとするとすぐにそれを止めさせようと横槍を入れてくる。自身が関わらない施策を行うのは不安なのかもしれない。
「叔父上の今までのご尽力には深く感謝しています。そろそろ、少しゆっくりと休まれてもいいかもしれません」
「私は必要ないと?」
「そうではありません。ただ、もう少し私を信頼していただきたい」
ウィルフリッドの言葉にヴィクターは顔をぴくっとさせる。
「……そうかもしれませんね。数日間、お休みをいただくとしましょう」
「ああ。ゆっくりするといい」
「お心遣いに感謝します」
慇懃な態度でお辞儀をしてから立ち去ったヴィクターの後姿を、ウィルフリッドは見送った。
◇ ◇ ◇
王妃にはいくつかの大切な役目がある。
そのひとつが貴族の夫人たちと社交を図ることで人脈と人望を作り、夫である国王を陰から支えることだ。
「ふう。思ったより遅くなっちゃったわね」
アリスは今日、国内の有力貴族のひとりに招かれ、お茶会に参加した。アリス以外にも何人か参加しており彼らの話が盛り上がってしまったせいで、予定より一時間も帰るのが遅くなってしまった。
「そうですね。それにしても、今日のイリス様は酷かったと思います。アリス様の前のご結婚のことを、他の夫人たちもいる場で話すなんて──」
ご機嫌斜めな様子なのは、同行してくれたエマだ。
エマが怒っているのには理由がある。今日のお茶会に参加していた、ヴィクターの妻であるイリスが突然、アリスのハーレムでのことを話題に振ってきたのだ。
イリスの姉がアリスと同じハーレムにいたという話の流れからだったのだが、正直人のいる場所ではあまり触れてほしくなかった。
「まあ、仕方がないわね。イリス様には今後は発言に気を付けていただくことにしましょう」
アリスは馬車に座る自分の体を見下ろす。体全体をすっぽりと包むのは、先日ウィルフリッドからプレゼントされた貂の毛皮のコートだ。
「暖かい」
アリスは毛並みを撫で、笑みを零す。システィス国のことを知り尽くしたウィルフリッドが選んだだけあり、このコートはアリスが持つどのコートよりも格段に暖かかった。
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