◆ 第三章 出戻り王女は役に立ちたい
アリスがシスティス国に来て一カ月が過ぎた。
ここに来てからの生活はとても穏やかで、周囲の多くの人々が歓迎してくれているのが彼らの態度からわかる。
ウィルフリッドとは白い結婚で表面的な仮面夫婦だけれども、そのことについては初日にしっかりと説明されているので文句を言うつもりもない。つまり、ここでの生活はとても快適なものだった。
この日、アリスはシスティス国の現在の施策について理解を深めようと、宰相のヴィクターの元へ向かっていた。
「おはようございます、王妃様」
「おはよう」
「王妃様、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
廊下を歩いていると、王宮内のメイドや騎士、文官たちが立ち止まり、アリスに頭を下げる。きっちりと挨拶をする彼らに笑顔で返事しながら、アリスは内心で感動していた。
(わたくし、ちゃんと王妃様として扱われているわ!)
臣下が王妃に挨拶をするなど基本中の基本で当たり前のことだが、なにせ一度目の結婚で最下級の妃だったアリスは侍女同然の生活を送っており、女官たちにもないがしろにされる存在だった。こんな風に大切に扱ってもらったことなどなかったので、感動もひとしおだ。
(こんな素敵な環境を整えてくださるなんて……。陛下には深く感謝しないと!)
衣食住も揃っていれば、行動を制限されることもない。まさに理想的な環境だ。
(これは、なんとしてもしっかりと王妃の役を務め上げて恩返しをしないと)
そのためにはまず国の状況をしっかりと把握する必要がある。
目的の部屋──ヴィクターの執務室に到着すると、アリスに気づいた衛兵がすぐに中に来訪を知らせに行った。程なくして、ドアが開かれる。
「ごきげんよう、ノートン卿。今少しいいかしら?」
「これは王妃様。いかがなされました?」
ヴィクターはすっくと立ちあがると、アリスのほうに歩み寄る。
「先日お借りした医療福祉についての資料、とても勉強になりました。今日は、最新の議会の資料と議事録を確認させていただきたくって」
「かしこまりました」
ヴィクターは執務室の一角に設置された本棚に歩み寄ると、そこからひと綴りの書類を取り出す。
「こちらでございます。……それにしても、王妃様は勉強熱心ですね」
「はい。早くお役に立ちたくって」
「……そんなに無理に頑張らなくともいいのですよ?」
「あら、無理なんかしていないわ。わたくしがやりたいからしているの」
アリスは書類を受け取りながら、笑顔で答える。
ウィルフリッドからアリスに求められているのは、王妃として役に立つこと。だから、可能な限り期待に応えたいと思っている。
「では、こちらは借りていくわ」
アリスは片手で書類を持ち上げると、ヴィクターの部屋をあとにした。
部屋に戻る道中、開放廊下から見える訓練場で騎士達が訓練しているのが見えた。その傍らに、見覚えのある後姿を見つけてアリスは足を止める。
「陛下!」
大きな声で叫ぶと、ウィルフリッドはびっくりした様子でくるりと振り返る。アリスは書類を胸に抱え、ウィルフリッドの元へ駆け寄った。ウィルフリッドはアリスを見て、不機嫌そうに眉根を寄せるとふいっとそっぽを向く。
(あら。そっぽ向かれちゃった)
ウィルフリッドはあからさまにアリスに何かを言ったり行動の制限をしたりはしないが、一歩彼の懐に踏み込もうとすると途端に拒絶するような態度を見せる。
代わりに「あれ?」と声をあげて近づいてきたのは、側近のロジャーだった。
「アリス妃、一体どうなされました?」
「陛下のお姿が見えたので、何をしているのかと思いまして」
「へえ。陛下の姿が見えたからここに?」
「はい。そうです」
アリスは笑顔で頷く。
仮初の夫婦であろうと、アリスはウィルフリッドと良好な関係を築きたいと思っている。だから、ウィルフリッドが何をしているのか、興味があったのだ。




