(9)
「抱き枕にされたのは、人生で初めてだ」
「抱き……枕……?」
抱き枕……。確かに昨晩は、とても抱き心地のいい抱き枕があったような気がする。
アリスはチラッとベッドの上に視線を走らせる。
(ないわ)
アリスの真横にあったはずのぬくぬくの抱き枕がどこにもない。ということは──。
(もしかして、抱き枕じゃなくってウィルフリッド陛下だったの⁉ わたくしったら、何やってるのー!)
サーッと血の気が引くのを感じた。
ばちっとウィルフリッドと目が合い、アリスは気まずさからなんとかこの場をやり過ごそうと、へらっと笑う。ウィルフリッドは「まあ、いい」と言って、はあっと息を吐く。
「この結婚に当たって、きみに伝えておかなければならないことがある」
「はい」
ウィルフリッドの態度にこれから重要な話が始まると悟ったアリスは、背筋を伸ばして姿勢を正す。
「アリスを王妃に迎えたのは、きみの力を利用したいと思ったからだ」
「え? 力とは?」
アリスには特別な力はない。なんのことを言われているのか戸惑い、アリスは聞き返す。
「以前たまたまきみがいる社交パーティーに参加したことがあり、諸外国に関する知識が豊富で語学も堪能であることを知っていた。それに、アーヴィ国は面積こそ小さいものの物流の拠点で経済的にも潤っている。だから、政治的利用価値があると判断して結婚を申し入れた」
(ああ、そういうこと)
政治的利用価値があるから結婚を申し込んだと言われてすんなりと納得した。どうして自分が望まれたのか、アリス自身も不思議だったから。
それに、一度目の結婚もアーヴィ国とビクリス国の関係強化のための政略結婚だった。アリス以外の多くの妃たちも、祖国の国益になるために嫁がされてきた女性だった。
「この結婚で、愛は望むな。子供も望むな。それ以外のものは、可能な限り融通するように善処しよう」
感情の籠らない冷ややかな視線を向けられ、アリスは胃の辺りがぎゅっとなるのを感じた。
「きみには申し訳ないことをしたと思っている。だが、謝罪するつもりはない」
淡々と語られるその言葉に、どこか他人事のように耳を傾ける。
(きっと、ウィルフリッド様は誠実なお方なのね)
王族にとって政治的利用価値を求めて結婚することなど、よくある話だ。だがそれでも、夫が自分を愛してくれると信じ、裏切られ、絶望する王女は多い。
そんな中、ウィルフリッドは愛も子供も望むなと最初にはっきりアリスに宣言した。『きみに一目ぼれした』などと作り話をされるよりもよっぽど気持ちがいい。
つまり、彼がアリスに求めているのは政治的価値の発揮だ。世継ぎはそのうち愛人にでも産ませて養子にするつもりなのかもしれない。
愛より国益を優先させるウィルフリッドの判断は、国王としては正しいものだ。国として有益ならば、ひとりの女性の人生を踏み台にするくらいの冷徹さがなければ、国王など務まらない。
(あら? この状況って……)
アリスはそこでふと気が付いてしまった。
(待って! これって、わたくしが元々目指していた人生プランそのものじゃない?)
アリスはウィルフリッドからの縁談が来なければ、一生独身で外交官として身を立てようと思っていた。王女と王妃、それに国の違いはあれども、自分の知識を生かして国のために尽くすという点では共通している。
(うん、悪くない提案だわ)
なんと言っても、ウィルフリッドは愛と子供さえ望まなければその他は可能な限り希望を叶えるように善処すると言ってくれた。これ以上にない好条件と言ってもいい。
「承知いたしました」
アリスはその場に座ったまま、一礼する。
「わたくし──アリスは最高のビジネスパートナーとして、必ずや陛下の期待に応えてみせましょう!」
アリスは胸に手を当て、声高々に宣言したのだった。
次章、アリスの新生活の幕開けです。
引継ぎお楽しみください!




