(7)
披露宴が終わったあと、ウィルフリッドは私室ではなく自分の執務室に向かった。緊急の仕事など何もないが、寝室に行くのは気が進まないのだ。
仕事の書類を確認しながら、はあっとため息を吐く。
(きっと、怒るだろうな。もしかすると、泣かれるかもしれない)
これからアリスに話さなければならないことを考え、ウィルフリッドの気持ちは重くなる。
しかし、今日の彼女を見る限り終始にこにこしていて純粋そうに見えるからこそ、余計に彼女とは距離をおいたほうがいいと思った。
「陛下。そろそろ行かれてはどうですか?」
「ああ、この資料を読み終えたら行く」
「でもその資料、さっきも読んでいましたよね?」
鋭い指摘を受け、ウィルフリッドはうっと言葉に詰まる。
じとっとした目でこちらを見ているのは短い黒髪を無造作に下ろした長身の男──側近のロジャー・ポーターだ。
彼は古くから王家に仕えるポーター侯爵家の子息で、文武両道の優秀な側近だった。ときおり辛口になるのが玉に瑕だが。
「初日にほったらかしはまずいでしょう。王妃様が陛下にないがしろにされていると周囲に受け取られ、立場が悪くなる可能性があります」
「彼女をないがしろにするつもりなどない」
ウィルフリッドはキッとロジャーを睨み付ける。
「では、今すぐ寝室に行ってください。一目ぼれしたお相手が嫁いできたというのに、ヘタレですか」
「は? 誰が一目ぼれだ」
「一目ぼれではないのですか? 臣下の反対を押し切ってアリス妃を娶ったのですから」
「………」
確かに臣下の反対を押し切ったが、一目ぼれではない。彼女の持っている能力に興味を惹かれただけだ。
ロジャーは黙り込んだウィルフリッドのそばに歩み寄ると、ひょいっとその手から書類を取り上げる。
「何をする!」
ウィルフリッドはロジャーを睨む。
「こちらの資料は特に急ぎではございません。陛下、よい夜を」
ロジャーはウィルフリッドを見下ろし、にこりと微笑む。
ウィルフリッドは再びはあっと息を吐き、寝室へと向かったのだった。
寝室に到着したウィルフリッドは、そっとドアを開ける。室内は薄暗く、シーンと静まり返っていた。
「アリス?」
ウィルフリッドは室内に向かって、新妻の名を呼びかける。しかし、返事はない。
(まさか、いない? 俺の噂を聞いて、逃げ出したか?)
新婚初夜に花嫁が失踪、といういやな想像が頭をよぎる。自らいなくなったのか、誰かに連れ去られたのか、どちらにしても一大事であることに変わりはない。
「どこだ?」
周囲を見回して、ベッドの上に影を見つけた。
ウィルフリッドはゆっくりと歩み寄る。
「寝ているのか?」
アリスはベッドの端で小さく丸まり、すやすやと眠っていた。
ふとベッドサイドに置かれたローテーブルを見ると、メイドによって用意された蒸留酒がコップに注がれていた。瓶を見ると、半分位なくなっている。
「まさか、これをひとりで飲んだのか?」
この酒はやや特殊なもので、アルコール度数はかなり高い。体の小さい女性がこれだけ飲めば、かなり酔いが回るはずだ。
(まさか、初夜にひとり酒を煽り、先に寝てしまうとは……)
先ほどまで、怒り出したらどうしようか、泣き出したらどうしようかと様々なシチュエーションに備えて心の準備をしてきたのに、どれも当てはまらない。このパターンは想定していなかった。
「おい、起きろ。話がある」
ウィルフリッドはアリスの肩を揺する。すると、横向きに丸まっていたアリスが「うーん」と言って仰向けに寝返りを打つ。薄らと目を開けたアリスは、ウィルフリッドを見るとへらっと笑った。
「陛下。いらっしゃったのですね。よかった、今回は来てくれて」
「今回は?」
ウィルフリッドはアリスの言葉の意味が分からず、困惑する。アリスは両腕を伸ばしてウィルフリッドの首に回すと、ぎゅっと抱きついてきた。




