第52話 実家での暮らし (後編)
ちゅうじんと亜莉朱が作業を始めてから二時間が経過し、現在の時刻は五時半。ちゅうじんはチケットを半分まで切り終わったのか、座っている椅子の背もたれに背を預けて、深く息を吐いた。
「一旦休憩にしよか」
「そうだな。こっちは後、二百枚枚切らなきゃいけないけどな」
「でも結構あったのに、もう半分ぐらいまで切り終わってるのは凄いで。私なんかまだ清書にも入ってないし」
亜莉朱はテーブルに置かれたチケットと下書き用のイラストの進捗を見比べる。ちゅうじんが担当しているチケットの方は全部で五百枚あるのだが、今はそれも半分以下に減っていた。切り終わったものから順番に五十枚ずつの塊で端の方に並べてあり、今はちょうど六つの塊ができている状態だ。
そして亜莉朱の担当しているイラストの方は三分の二まで描き上がっており、後は空いている隙間に細々としたイラストを描けば下書きは完成する。
「まあ、まだ時間はあるしな。と言っても明日までに提出しなあかんねんけど。これは徹夜になりそうやわ」
「お疲れ様だぞ」
「うん。それじゃあ紅茶でも淹れてくるわ」
「ボクも手伝うぞ」
亜莉朱とちゅうじんは席を立つと、台所に向かう。ちゅうじんは亜莉朱からカップの位置を教えてもらい、食器棚から三つのティーカップを取り出すと、ポットでお湯を沸かし始めた。亜莉朱はキッチンの上にある棚からティーパックを取り出し、ちゅうじんが出したティーカップにセットする。
「よし。これで後は沸くのを待つだけやな」
「だな!」
お湯が沸き上がるまでに時間があるので、ちゅうじんは先ほどから疑問に思っていたことを口にする。
「そういえば、あのイラストの上の方に書いてあったハロウィン文化祭ってのは何なんだ?」
「うーさんは文化祭って経験したことないんやっけ?」
「そうだな。ハロウィンが何なのかはこの前、テレビでやってたからどんなものなのかは知ってるぞ」
「そっか。なら文化祭について軽く触れとこか。えっとな、文化祭って言うのは――」
亜莉朱はちゅうじんに文化祭とは一体どういったものなのか、大まかに説明し始める。途中、聞きなれないような言葉が亜莉朱の口から飛び交ったりもしたが、ちゅうじんは大体の概要は理解できたようだ。
「文化祭についてはこんな感じやな」
「なるほどな」
「んで、次にうちの学校の文化祭について話すんやけど――」
亜莉朱が自らが通っている高校の文化祭の特色について話そうとすると、カチッ! という音が鳴った。どうやらお湯が沸き上がったらしい。
ちゅうじんはすぐに、ポットを電源プレートから離して、ティーカップにお湯を注いでいく。お湯を注ぎ終わると、軽く中身を水で洗って元の場所に戻すちゅうじん。後はある程度色がつくまで放置すれば紅茶の完成だ。
亜莉朱は色がつく間にさっきの続きを話し出す。
「それじゃあさっきの続きからいくで。うちの学校の文化祭は、他校と比べて少し特殊やねん。簡単に言うと全校生徒、教職員も含めて文化祭期間中はコスプレをすることになってるんよ」
「あー、だからハロウィン文化祭なのか」
「そうそう」
亜莉朱の説明を聞いて、やっとハロウィン文化祭がどういったものかを理解したちゅうじん。説明を聞いたちゅうじんは思わず、感嘆の声を上げながら目をキラキラさせている。
そんな中、亜莉朱が続いて説明し始めた。
「なんかいつかの生徒会長がな、どうせならハロウィン行事と文化祭をガッチャンコさせよって言わはったのが始まりらしいんよ。そのおかげで、文化祭は毎年大盛り上がりでな。結構外部のお客さんからも人気があるんやで」
「へえ! それは楽しそうだな」
「せやろ? あ、せやったらうーさんも文化祭にこうへん?」
「え、行きたいぞ!」
自慢げに語る亜莉朱は、ちゅうじんにそう提案する。実際に行けるのは初日の午後かららしいのだが、一昔前に騒動があったとかで、事前にチケットを申し込まないと入れないようになっているのだ。
亜莉朱に提案されたちゅうじんは、すぐさま行きたいと返事をする。それを聞いた亜莉朱はにっこりと笑った。すると、ちゅうじんが紅茶の存在に気づいたのか声を上げる。
「そういや忘れてたわ。多分そんなに濃くはなってへんやろから、早くお兄のところに持っていかなな」
「それならボクが持って行くぞ」
「助かるわ〜。それじゃあ、うーさんの分はテーブルの方に運んどくで」
「ありがとうな!」
ちゅうじんは亜莉朱にお礼を言うと、さっそく多田に紅茶を渡しに向かう。部屋の扉を開けると、そこには机に突っ伏している多田の姿があった。ちゅうじんは一言声をかけてから紅茶を机に置き、そのまま部屋を出ていく。
亜莉朱は戻ってきたちゅうじんに気づくと、声をかけた。
「どうやった?」
「なんか死んでたぞ」
「お、おお……」
ちゅうじんからの返答を聞いた亜莉朱は何とも言えない表情を浮かべながら、紅茶を一口飲むと、イラストの続きを描き始めた。亜莉朱が作業を再開しているのを見て、ちゅうじんも頑張らねばと気合いを入れ直してから、ハサミでチケットを切っていく。
◇◆◇◆
そうして作業を続けること一時間。そろそろ夕食の準備に入らないといけないので、ちゅうじんと亜莉朱が二人してテーブルの上を片付けていると、意気消沈な様子の多田が二階から降りてきた。
「……はあー」
「だいぶお疲れだな」
「もう嫌だ……やりたくない」
ちゅうじんの言葉を適当に流すと、多田はソファに座る。亜莉朱はテーブルの上を片付け終わると、そんな多田に声をかけた。
「お兄〜、お疲れのところ悪いんやけど、今日の夕食当番って誰がするんやったっけ?」
「……んー? えっと確か予定では……」
多田は亜莉朱からそう言われると、カレンダーに目をやる。多田家のカレンダーには、誰がいつ食事当番をするのかが書かれているのだ。
「――今日はお父さんが担当のはずよ」
多田は今日の日付の欄を見つけると、亜莉朱に聞こえる声で話そうとするが、その声は祥子によってかき消されてしまった。
しかし、当の一郎の姿が見えない。多田がどこに行ったのだろうかと首を傾げていると、祥子が続けてこう言った。
「でも、せっかくうーさんが来てくれたんだし、久しぶりに私が作ろうかしら」
「え゛っ」
「ちょ、ちょっと待った!」
祥子がそう言い出すと、亜莉朱が拒否反応を示し、多田はストップをかけた。ちゅうじんは何故二人がそんな反応をするのか、一瞬、疑問に思うもすぐにあることを思い出す。
そういえば、多田が前に言ってたな……。祥子はダークマター製造機だって……。
ちゅうじんが今恐ろしいことが起きようとしているのを察知したようで、一気に表情が強張った。
「私が料理したら何か不都合なことでもあるの?」
「え、えーっと……」
「お兄、頑張れ!」
祥子にそう詰められて、どう言い返そうか頭をフル回転させて考える多田。そんな兄に対して、亜莉朱は小声で応援の言葉をかける。何としてでも、最悪の事態を避けなければならないのだが、多田はまだ良い言い訳が思い浮かばないようだ。多田がなかなか返事をしないことに痺れを切らした祥子は、ため息をつくと、台所の方へと向かい始める。すると、固唾を飲んで見守っていた亜莉朱が急いで、祥子の前に立ち塞がった。
「待って!」
「もう、亜莉朱までどうしちゃったのよ? 早く作らないと、夕飯遅くなるからそこ退きなさい」
「無理ったら無理!」
「……はあ?」
祥子は訳がわからないと、思わずキレ気味になる。そう、祥子は自分が料理下手なことを自覚していないのだ。大体、自覚しているのであれば、このような危機的状況に多田たちが陥ることはない。
亜莉朱が祥子を通せんぼしている間にも、多田は考えるがなかなか良い案が思い浮かばず、焦りの表情をみせている。
「二人してさっきから何なのよ」
「い、いや……その……」
「それなら、うーさんに作ってもらうのはどうだ?」
多田が言い淀んでいると、そこに父親である一郎がやってきて、そう提案する。一郎の表情には若干の緊張の色が見えた。
ちゅうじんは突然指名されたことに驚くも、祥子が作るよりはマシだと内心、覚悟を決める。リビングに数秒沈黙が降りた。祥子は考える素振りを見せると、口を開く。
「そうね。良い案だわ。でも、それはうーさんが良ければの話だけど――」
「――や、やります!」
「なら、よろしく頼むわね」
「勿論だぞ」
ちゅうじんが食い気味に発言すると、多田と亜莉朱、一郎の表情が緩んだ。亜莉朱に至ってはその場にへたり込んでいる。多田はよくやったと、ちゅうじんの肩に手をやった。亜莉朱も祥子に見えないようにグッドの手を作ってちゅうじんに見せる。
こうして、多田家の夕食で死人が出ることは無事に回避されたのだった。




