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転生主人公の世界への不適合性に関するレポートより抜粋




「ブラウザバックする権利は、違和感を感じたその瞬間に、速やかに行使されるべきだ」





それではお楽しみください



――何かが、おかしい。


――全てが、おかしい。


――あるいは自分が、おかしいのか。



 "狂気"とは、いかにして定義されるのだろう。


 世界の全てが間違っていると確信できる時、それは、己の狂気の証明になってしまうのだろうか。


 ……感覚的には、肯定できる。

 しかし、いざ自身が当事者となってみると、甚だ承服しかねる理屈であった。



・・・



 (いたずら)に、上へ上へと登っていけば、生き物の気配はいよいよ薄くなっていく。

 そうして、孤独へと近付くほどに、ヘドロのように纏わりついていた"何か"が、剥がれ落ちていくような感覚があった。


 ……けれども、限界はすぐに訪れる。


 どこまでも、地べたを這い回るしかない哀れな生き物は、頂に至って(ようや)く、天上の高さを……現世という地獄の深さを思い知った。


 救いを求めて、虚しく手を伸ばし……、

 しかし届かず空を掻いて、その場に崩れ落ちる。


「……」


 ため息を吐き、空を仰ぎ見る。

 一片の雲もない、美しい満点の星空。

 故にこそ悍ましい、この遥か異郷の天蓋を。


 初めて目にしたあの時と、今に至って抱く感慨が、あまりにも違い過ぎて……それがどうにも可笑(おか)しくて、笑ってしまいそうになる。


 きっと、かつてと変わらず、純粋で考え無しの自分でいれたのなら、幸福に生きていくことができたのだろう。

 世界の歪みに気付くこともなく、薄ら寒い"異世界生活"を安穏と享受して、この魂諸共、朽ち果てていくことができたのだろう。


 けれども、そうはならなかった。

 いかなる因果か、神の誤算か。自分は今、ここに至っている。


「それで、何かが変わるわけでもない」


 人の領域から遠く離れ、己の知らぬ場所を探し求めて、深く深く深く分け入った、何処(いずこ)とも知れぬ山の上。

 この世の全てからの逃避を求め、しかし果たしきれずに辿り着いたのが、ここだった。


 故に、この場所に特別な意味はない。

 何かをしようという、明確な意図があったわけでもない。


 ただ、"一人になりたかった"。


 己の行動。その動機を、端的に言葉に表してしまえば……それはこの上なく陳腐な、悩める人間特有の愚行のようにもなってしまう。


 けれど、少なくとも当事者の意識として、自らの行動はそんな軽薄な言葉で語られるべきモノではなく、已むに已まれぬ深刻な事情があって選択された結果なのだと、それだけはハッキリ断言できた。


 ……本来、悩みを抱えている人間こそ、一人になるべきではないとされている。

 悩みを抱え、判断力の鈍った人間一人の思考など、たかが知れているからだ。


 故にこそ人は輪を作り、直面した問題を共に乗り越えるため、互いに知恵を出し合うようにできている。

 そうでなければ、"共感"や"同情"などといった面倒な機能が、付属している道理がない。


 ……けれど今。

 己の抱く懊悩の本質は、あるいは唯一の例外であるとさえ思えた。



 全ての人間が、全ての生き物が、懊悩を抱く対象、それ自体となって……。

 一体、この世の誰に相談などできようものか。


 打ち明けられるはずがない。

 それをしたところで意味などなく、ただ互いを不幸に陥れるだけであるのだと、試すまでもなく確信できるのだから。


「……」


 ……いいや。せっかく一人であるのだから、遠慮じみた、まわりくどい表現はやめにしよう。


 より本質的に言えば、己はこの世界の全ての人間を、心底見下しているのだ。

 所詮アレらの絞り出す知恵など、自分にとってはクソの役にも立たないのだろうと。


 全ての人間を知っているわけでもないのに、それを確信している。


 改めて言葉にすると、大層な言い草だ。

 まるで、自分こそが世界で最も賢い人間なのだと、そう驕っているかのような思想。

 けれどそれこそが、今も自らを苛む、この責め苦の本質だった。


「ああ、そうだ」


 この世界は、あまりにも……


「――考えが、浅い」


 …………。


 これまで漠然と、胸の内に湧き出しては、蓋をしてを繰り返していたソレを……今宵初めて、明確に言葉として口にして、この心に去来したのは、確かな納得感だった。


 "この世界は、考えが浅い"


 とんでもないコトのようにも聞こえるが、自分の抱く懊悩の正体は、まさしくコレとしか言いようがなかった。


 相談などできようはずもない。

 誰に言うのだ、こんなコト。

 自分の立場に置き換えて、知り合いが突然こんなことを言い始めたら、気でも触れたのだと思って、すぐに距離を取るだろう。


 ……まあ、この世界の知り合い共は、自分に都合が良い(・・・・・)ように出来ているので、おかしな事を言い始めた自分に対しても、変わらず厭わしい好意を示し続け、仕舞いには慰めの言葉でもかけてくるのだろうと思う。


 ――それが、ただただこの世界の抱える根本的な問題を、浮き彫りにしているだけだとも気付かずに。


「……気色悪い」


 この世界で、"アラン"として生を受けて、十余年。

 少しずつ積み重ねてきた蟠りが、ドス黒く淀んだ苛立ちとなって、己の心を腐らせていく。


 認めてしまいたくはなかった。

 だからこそ、誰にも言わなかった。言えなかった。


 必死の思いで呑み込み続けてきた本音を、今宵、一人になって初めて。



 ――ついに、この空に向かって吐き出した。




「……っバカヤロォォオオオオオ!!!」



 あまりにも、言いたいことが多すぎて、却ってシンプルな形となって飛び出した世界への罵倒は、無限にも思える夜空へと吸い込まれ、返事もなく空虚に消えていく。

 喉が痛むほどの大声で、肺が枯れるほど長く長く、精一杯の苛立ちを込めて叫ばれたその声を、しかし受け取る者などどこにもいない。


 あるいは、それは無意味な行為であるとさえ言えるだろう。


 けれど、抑圧された感情を、初めて声に出してみて、確かに、自分の心が軽くなっていくような感覚があった。


 ――どうやら自分は思っていたより、この世界が嫌いらしい。


 一度(ひとたび)決壊してしまえば、もう止まらなかった。

 この世界に生を受けてから今日まで、封をし続けてきた悪感情が、止め処なく溢れ出していく。


「……何が、何が天才だ。何が神童だっ!」


 それは幼少期、幾度となく己にかけられてきた言葉。


 幼児(おさなご)でありながら、ある程度成熟した精神と知識を持っていた自分。

 その振る舞いや言動に対して投げかけられた、周囲からの賛辞。


 ……その心地よい賞賛に、モヤモヤとしたモノを覚えるようになったのは、いつからだろう。


「あんなの……すぐに嫌気が差す……ッ」


「年齢の下駄履いて、しょうもないことで褒められて……惨めで惨めで仕方なかった!!」


 賞賛を浴びせられる度、少しずつ、少しずつ、嫌悪感は増幅していった。


 言葉をすぐに使いこなしたこと。

 ひとりでに書物を読み漁ったこと。

 単純な四則演算を手早く解いてみせたこと。

 浅い知識で、TPOだけは弁えた振る舞いをしたこと。


 確かにそれらは、指で数えられるほどの年齢の子としては、余程の天才に映るのだろう。

 彼等が賞賛すること、それ自体は当然であるとさえ言える。


 けれど、自分だけは知っているのだ。

 自分が、それをできて当然の人間であるということを。


 謙遜のつもりで言った言葉が、ただの事実であることに気付いてしまえば、褒めそやす周囲に、浮ついた心が冷めるのは一瞬だった。

 むしろ、謙遜の言葉(それ)を否定されると、自身への理解を拒まれたような感覚があって、どうしようもなく、苛立ちが湧いて来るようにさえなっていった。


 向けられているのが、確かな好感情であることは理解していた。

 苛立ちの根本的原因は、彼等の責任ではないことを自覚していた。

 だからこそ決して、表に出すことはしなかった。


 ……けれど、


「馬鹿にされているような気分にしか、ならなかった」


 それが、夢心地の異世界転生で、自分が最初に突き付けられた現実だった。


 他者からの賞賛が、真に心地よいのは……そこに至るまでの過程に確かな困難があり、その中で己の生み出した成果であると、胸を張って言うことができる……その場合のみであるのだと。


 ……。


 そう、学びが得られて終わるなら、体の良い教訓話だっただろう。


 蟠りを乗り越え、精神を成長させ、真の賞賛(・・・・)を得るために、何かを生み出そうと努力する。

 そういう人物になり得る可能性も、あるいはあったかも知れない。


 だが、そうはならなかった。


 ……世界が、そうさせてくはれなかった。


「それだけなら、よかった。それだけなら、我慢できた。なのに……」


 端的に言えば、この世界は、想像を絶して愚かだったのだ。


「あの文明レベルで、あの規模の国家で、輪作を知らないなんて、そんなことってあるかよ……?」


「そりゃ、俺も詳しい知識はないけどさ……似たようなモノは、もっと昔からあるんじゃねえの?」


 それはまるで、アランという人間の活躍を演出する為に敷かれた、レールのようにさえ思えた。


 一つ二つ程度なら、あるいは偶然そうなった可能性というのも、考えられなくはなかったが……領地の規模に対して未熟すぎる帳簿、杜撰な保存食の扱い、無知すぎる文官。

 それらが積み重なるほどに、疑念は確信へと近づいて行った。


 即ち、この世界は盛大な茶番なのではないかと。


 気付いてしまってからは、どこで何をしていても、常にそれが頭の片隅に引っ掛かるようになった。


 それでも、一応は人命と自身の生活に関わることなので、逐一誤りを指摘し、敷かれたレールに従って、活躍を演じてきた。

 英雄だなんだと持て囃される度に、胃の中を空にしながら。


 ……そうして、この世界に転生してから、10年の月日が流れ。


 伝統的に10歳になると行われる、魔力鑑定の日。

 自分の魔法適正が、「土魔法」のみであることが、周囲に露見した。


 自分自身は、以前から体感的に知っていたことだった。

 魔力鑑定を受ける前から隠れて魔法を使っていたので、その時には土魔法の扱いについては相当熟達していたし、それがこの世界においては"無能の魔法"として扱われていることも理解していた。


「……整合性なんて、全然無かったけど」


 見た目が地味だから。攻撃力を高めようとすると魔力消費が重いから。土に塗れるなんて貴族らしくないから。


 それっぽい理屈はありつつも、防御力に優れ、陣地構築や街道整備、農地開拓に対するこの上ない適正など、人類が生きていく上であまりにも大きすぎるメリットを甚だ無視し、その歴史と創意工夫全てを否定した浅すぎる理屈。

 けれど誰もがそれに従い、まるで昨日までの振る舞いを全て忘れたかのように、失望と軽蔑の視線を向けてきた。


 ……もしも自分が彼等に、欠片ほどでも好感を抱いていたのなら、誤解を解き、土魔法の有用性を知らしめる為に、10年の月日で培った力を、思う存分振るっただろう。


 だが自分は、それをしようとは思わなかった。

 第二夫人と異母弟に濡れ衣を着せられたときも、何もせずただ流れに身を任せて、領地から追放されることを選んだ。


「もうこれ以上、賞賛を浴びたくなかったんだ」


 他でもない、土魔法だけは、誰にも知られず積み上げてきた、己の力だと信じていた。

 だからこそ、それを彼等に見せびらかし、讃えられて……これまでと同じ"アランの活躍"として一括りにされてしまうことに、強い嫌悪感を覚えたのだ。


 それは自分にとって、積み上げた人間関係も、築き上げた拠点も、伯爵家という安定した立場も、密かに行なっていた土壌改良実験も、その全てを投げ打つに値するくらい、大事なことだった。


 そうして、伯爵領を追い出され。

 自分を褒め称える者など誰もいない、自由な立場を手に入れて。


 ……けれどそれも、束の間だった。


 何処へ行こうともこの責め苦(テンプレ)は、己を逃しはしなかった。


「冒険者ギルドだってそう」


「魔力測定で壊れる測定器。絡んでくるゴロツキと見せかけて実は良い人。登録料に比べて明らかにオーバースペックなギルドカード。読むぶんには全然気にならなかったのに、そういうモノを目にする度に、全身を掻きむしりたくなった」


 この世界に来る以前の自分は、そんな細かいことを気にするような人間ではなかった。

 むしろ、この手の作品(・・・・・・)は手軽な暇凌ぎ程度の認識だったので、細かい設定なんてわざわざ見ようとも思わず、多少の齟齬はあっても淡々と進行していくような、脳死で読める作品を好んでいた節さえあった。


 それを現実に体感することになろうとは、露ほどにも思わずに……。


「初依頼の薬草採取で、襲ってきたワイバーンを倒して大騒ぎ。異例だの、ランクがどうの、報酬がいくらだの。煩わしい」


「それだけ騒ぐんだから、その辺りの安全の確認とか、そんな奴が新人が行くような場所に出現した原因の調査とか、するのかと思えば何もない。なーんにも」


 要するにそれも、ただただ己を周囲に讃えさせる動線だったのだ。

 背景とか、後処理とか、そんなモノは微塵も考慮されていない。

 "アランの活躍"……それだけの為に起こされたイベント。


 もう吐き気はしなかった。

 少しずつ、心が死んでいくのを感じていた。


 それからは、人の目を逃れるように、自分が知られていない場所を探すように、街を転々と彷徨うようになった。

 そして……そんな日々が続いたある時、たまたま通りがかった街道で、賊に襲われている馬車を見つけた。


 どうなるかは分かり切っていた。


 うんざりした気持ちもあった。


 けれど、その時はまだ、人の死を見過ごせるほど、擦れてしまってはいなかった。


「なけなしの倫理観で助けてみれば、案の定出てきたのは美少女の令嬢」


「無駄に気に入られて、護衛としてついて行って、礼を言われて。頼みこまれて、令嬢(アリス)の護衛兼従者みたいなポジションに任命された」


 別に、それ自体に文句は何もない。

 守られるべき王道だろうとさえ思う。


 それに、打算もあってのことだった。


「心の奥底で、もしかしたら、メインキャラっぽいこの人達なら、他より多少はマシな作り(・・)になってるんじゃないかって、そう期待して……」


 ……だが、その期待が無意味であることは、すぐに思い知らされた。


 一抹の希望を込めて、土魔法で作ったオセロ盤。

 もしもソレに驚かないでいてくれたなら、もしもソレを褒めそやさないでいてくれたなら……その時初めて自分は、対等な人間に出会えるのだと、そう願って。


 ……だから、ソレを目にした瞬間の彼等の反応は、世界への失望を抱かせるには十分だった。


「……素晴らしい発明?天才的な発想っ?……バッカじゃねえの!?」


「盤上遊戯なんてのは、紀元前からあるはずなんだ!!」


 苛立ちが湧き上がる。

 あの時の自分が、どうやって感情を抑えていたのか、わからなくなってしまうほどに。


「『君が齎したモノなのだから、君が利益を受け取るべきだ』って?……うるせぇブッ殺すぞ!!!」


 結局彼らも、他の連中と何も変わらなかった。

 ただアランを褒め称えるだけの、お人形のようなギャラリー。


 "人間"なんてどこにもいない。

 自分以外の、誰一人。


 それからはもう、他者に期待することは諦めた。

 諦めて、心を殺して、何も感じず、ただ機械のように淡々と、レールの上の活躍を演じていくことにした。


 その先に、何かが見えるものがあるのではないかと。

 そうでなくとも、いつかはこの生活に慣れる日が来るのではないかと。

 そう願って、しかしそれすらも叶わなかった。



 ――ただただ、死んだ心に汚物を注いで、腐らせていくだけの日々だった。



「土魔法の扱いが、あまりにも急変しすぎなんだよ!」


「追放までの展開忘れたのかよ!?アレなんだったんだよォ!!」



「"有能な公爵様"って触れ込みなのに、記憶力ぐらいしかそれっぽさが見えてこねぇなァ!!」


「なんなら娘を危険に晒してる時点で、あまりにも無理筋だろうがよ!」



「敵の使う死霊魔法、あまりにもコスパ良すぎだろ!」


「"死を冒涜してはならない"っていう倫理が、余裕で淘汰されるパワーがあるだろあんなの!!」



「SSSランクってなんだよ!最早バカにしてんだろ!そのゴミみてぇなランク制度をちったぁ見直せよ!!」


「口に出すと、なおさら違和感すげぇんだぞ!?考えたことあんのかよ!?」



「どいつもこいつも、魔法に浅すぎるっ!!」


「圧縮と回転で威力を上げる発想が無かった……?」


「……っそれぐらい頑張れよ!!!」


「何百年も、何千年も、俺よりずっと長い間、俺よりずっと命懸けで、魔法を使ってきたはずなのに!そんなこともできないのかよォ!!」



 吐き出して、吐き出して、吐き出し尽くして。

 溜め込み続けた苛立ちを、憤怒を、憎悪を、誰にぶつければいいのかわからないから、この世の全てを呪って叫んだ。


 昂った己の感情に呼応するかのように、岩が爆ぜ、大地が抉れ、土が唸り、山は震える。


 それはまるで、目には見えない巨大な怪物が暴れているかのような情景だった。

 強大すぎる魔力は、ただ無意識に漏れ出す怒りの余波だけで、天災の如き破壊をもたらしてみせた。


 それがなおのこと腹立たしくて……苛立ちの悪循環に陥って、狂いそうになる。



 ……一人になって正解だった。


 もしも人里が近くにあれば、絶対に誰かが死んでいた。

 もしも知り合いがこの場にいれば、必ずこの手で殺していた。


 そうしてしばらくの間、怒りを撒き散らして。

 燃えるような激情の波が引いてくると、姿を現したのは落ち着きなどではなく、より悪質な、冷え切った憎悪だけだった。



「それでも……」


 ……それでも。


 自分が苦しむだけならば、もう少しは耐えられたのだ。


 単に、示される展開にツッコミどころがあるという、言ってしまえば個人のこだわりの範疇の問題であるのなら、血反吐を吐くような思いをしながらも、黙って受け流すことぐらいはできた。


 ……あと、一年か二年くらいなら。なんとか。

 決して長くはないけれど、もしかしたらその間に、自分の心に折り合いをつける方法も、あるいは見つかるかも知れない。そう思って。


 ――なのに、そんな淡い期待を抱くことすら、許されない。


「……しばらくして、伯爵家が崩壊したという噂が届いた」


「俺が勝手にやってた土壌改良で上がった収穫に調子づいて、次の年から税を重くして。それ以降の年に続いた不作にあっという間に農民たちが疲弊して、治安が悪化したところに魔物の襲撃があって、あっさりと壊滅」


「……で?」


「スカッとでもすれば良いのか?俺を追放したからだよザマァって、そう思えば……?」


「頭おかしいんじゃないか」


「伯爵家の破滅に伴って、いったいどれだけ多くの無辜の領民が、現在から将来にかけて被害を被ることになると思う」


「そもそも、追放される時、俺は誤解を解く余地がありながら、敢えてそれをしなかったんだ。怒りを抱く理由が全くないし、誰が悪いかと言えば、それは俺だよ」


異母弟(バートン)だって、そりゃ俺に対してアレなところはあったけどさ、あんなんただのガキの癇癪だろ。本気でキレるのなんてバカなガキだけだよ。バーカ」


「つーか、壊滅した原因も、3割くらい俺のせいだし」


「それで、俺は何も悪くない……?因果応報の結末……?」


「―――― ふ ざ け る の も 大 概 に し ろ よ っ!!!」


 それが、心が折れた瞬間だった。

 この世界で、人間として生きていこうという、その最後の意思まで毟り取られた。


 倫理観が合わない。

 価値観が相入れない。

 世界と自分の間にある、どうしようもない隔たりに、気付かされてしまったから。


 世界不適合者。


 ――それが、自分という人間がアランとして異世界に転生して、思い知った全てだった。


「ッッッッッア゛ア゛ア゛アアアァァァァァァアア!!!」


 言葉にならない慟哭で、回顧を締め括る。



 一人の時間を作れば、折り合いがつくのではないかと思った。

 吐き出し尽くせば、少しは心が楽になると考えていた。

 そうしてまた、なんとか生きていこうとして……。


 けれど現実はただ、ドス黒い感情が明確な形を得て、取り返しのつかない世界への嫌悪感として、現れただけだった。


「最初はさぁ!!ラッキーぐらいに思ってたよ!」


「漠然と不安な日常から抜け出して、みんなから訳もなくチヤホヤされて!主人公にでもなったみてぇだなって、内心ちょっと嬉しかったんだ!!」


 かつて、この世界に訪れたばかりの頃、抱いていた思い。

 その甘い考えを、それ以上の甘さでもって打ち砕かれて、ついには、こんなところまで来てしまった。


 力なくその場に崩れ落ち、(ひざまづ)き、項垂(うなだ)れる。

 そうして、一番奥底に仕舞い込まれていた本音を、絞り出した。


「もう……無理だ。耐えられない……」


「ここはまるで、地獄だ。魂まで腐らせる、牢獄だ」


 どこで道を間違えた。

 どうしてこうなってしまったのだ。自分の、異世界転生は。


 これが、何かの罰だとするならば……


「赦してください。神様、お願いです。もう、勘弁してください」


 惨めに這いつくばって、ボロボロとみっともなく涙を流しながら、最後には、ただひたすらに赦しを請う。

 いつどこで何を間違ったのかも、誰に対して謝ればいいのかもわからない。だから、いるのかもわからない神に、赦しを請うた。


 現実から逃げ出したいと思ったこと。

 異世界転生を喜んだこと。


 それ自体が罪であるとするならば、もう二度とそんなことは思わずに、等身大の日常に向き合って、懸命に日々を生きていくと誓える。

 それを断言できるくらいには、価値観を捻じ曲げられる体験を、したと思うから。


「俺はアランでいられません」


 だからどうか、あの……


 自分の替わりなんていくらでもいて、

 先行きは不安ばかりで、

 柵と抑圧と対立に満ち溢れた、


 ……あの現実に帰らせてくれと。



「俺は、主人公にはなれません」





 ――今はただ、それだけを願い続けた。




◇◆◇◆◇



 どれほど赦しを請うたとしても、救いは影すら顕れず。

 独り懺悔を続ければ、終には願いが枯れ果てる。



 何時間も、譫言のように謝罪の言葉を呟いていると、突然、何かが外れた(・・・・・・)かのように、心が冷静さを取り戻した。


 嫌悪感が薄れたわけでも、折り合いがついたわけでもない。

 なのに異様に静かになった。憤怒も、憎悪も、悲観も、悔恨も、全てが忽然と姿を消して、純粋な自我だけが、ここに取り残されている。


 ゆっくりと起き上がり、深く息を吸う。

 正常な思考が展開されている。その異常さにも気づいていた。


 ああそうだ。考えなければならないことがある。


 即ち、"これからどうするべきか"。

 自分は、その選択をしなければならない。

 もしかしたらこれが、最期になるかも知れないから。


 ……。



「ただ、思うがままに私欲を満たすなら」


「不都合など何もない。受け入れるべきだ」


「賢く生きるとはそういうことだ」


 念の為、一番最初に、ソレ(・・)を提示しておく。


 それはつまり、何もかもを理解した上で、この異世界生活を享受するということ。


 世界の性質は概ね理解した。こんな愚かで単純な世界なら、望む展開を手繰り寄せるなど容易いことだ。

 そうして、何もかもが思い通りになるこの世界で、全てを掌の上で操って、ただ目先の欲求を貪るだけの存在に成り果てる。そんな選択肢。


 おそらくはコレが、一番賢い道なのだろうと思う。


 だけど……


「……ああ、わかってる」


「それができるなら、こんなところに来ちゃいない」


「そもそも自分は、さして賢い人間ではないのだ」


「この世界にいると、忘れそうになるが……」


 きっと、自分よりもっと賢くて、器も大きくて、優しい心を持つ人であったなら、取れたはずの道だ。


 だが自分には無理だった。

 馬鹿で、心が狭くて、他人の粗探しばかり得意な自分には、この地獄を、この天獄を、耐えることはできない。


 だからこの選択肢は、最初から捨て去っていた。



「……これ以上この世界にいたら、俺はいつかきっと、皆を殺すだろう」


「そうなる前に、自分が死ぬべきなのか」


 二つ目は、単純に、この地獄から脱する最も容易な方法。

 即ち、自らの意思で、死んでしまえばいい。


「それも一つの手ではある」


「所詮は、早い遅いが変わるだけ」


「むしろ苦痛は縮まるだろう」


 おそらくは、やろうと思えば簡単に死ねる。

 自死への抵抗感などというものは、とうにこの心を諸共に打ち砕かれた。


 いずれにせよ、いつかは死ぬのであれば……。

 それを今に早めることは、ただ、この世界で苦痛を味わう時間を減らすだけであるとも言える。

 ならば、恐れる理由など、どこにもない。


 それでも、やらない理由があるとすれば……


「しかし、それは承服しかねる」


「おかしなのはアイツらだと、それを確信できるのに、何故俺が犠牲にならねばならない?」


 ……それは、不服を訴える感情に他ならなかった。


 謝り尽くして、聞き入れられず、そうして改めて意識した。


 自分は何も悪くない。

 悪いのは世界のほうだ。


 狂人のような理屈だが、それは自分にとって、確かに存在する正義だった。


 逃避も泣き寝入りもしたくない。

 自分が間違っていないと確信しながら、不当な罰を受け入れるなど、この魂は許さない。


 だって……


「俺じゃなくて、良かったはずだ」


 アランとしてこの世界に転生してくる人格が、自分であったことへの、正当な理由が何もないじゃないか。


 自分でなくてもよかったはずだ。

 異世界転生に関する知識と、魔法への意欲。それさえあれば、アランの価値は完結する。

 端的に言えば、中身は誰でもいいのだ。この程度の浅い活躍、誰にでも代わりが務まるはずなのだ。


 それどころか……


「俺であるべきじゃあ、なかった」


 自分でさえなければ、こうして途中で投げ出すことも、なかったかも知れない。

 もっと純粋で、細かいことを考えずに、異世界生活を楽しめるような……この世界に招くのなら、そういう人にするべきだった。


 人選ミスも甚だしい。

 それで、全ての被害を自分が被るのだから、不服に思うなという方が無理があるだろう。


 故に、自ら死を選ぶ選択肢は、絶対にあり得ない。

 間違っているのは、死ぬべきは、世界に他ならないのだから。


「……『嫌なら読まなければいい』」


「ならば逆説的に、ブラウザバックできない俺には、相手を殴る権利があるはず」


 ――そう、被害者たる自分には、世界を害する権利がある。


 ……。



 ――――そして、万が一。


 もしも、万に一つ、自分がこの世界に来たことが、人選ミスでなかったとしたら……。


「俺が生まれた意味……」


「俺が生きる意味……」


「……もしもソレが、本当にあるのなら」


 この痛みが、この苦しみが、このクソのような人生の全てが、確かな意味を持つものであったとしたら……。


「――試してみることにしよう」


 今、己が至っているこの感情ですら、悍ましく悪辣な"何か"の掌の上なのだとしたら……。


「ただ感情の赴くままに、この世界の人間達を……」


「!」


「……ああそうだ。"愚かな人間達"に、暴虐の限りを尽くそう」


「その先にあるものを、見に行こう」



 ――その"意味"とやらを、探してやろう。



 最後の選択肢は、僅かばかりの検討も要さなかった。

 頭に浮かんだその瞬間から、そうするべきだと確信できた。


 こんな歪んだ世界に、こんな歪んだ人間を放り込んで……この結論に至るのは、あるいは必然であるとさえ言えた。

 その必然が、もしも仕組まれたものであるのなら――まんまとその掌の上に乗ることを、不本意に思う感情はあれど……しかしそれ以上に、その先にある"意味"を知りたいと思った。


 自分は、何を求められてこの世界に来たのだろうかと。


 ――確かめる方法は簡単だ。


 ただ思うがまま、世界に怒りを撒き散らす。

 そうすれば自然と、自分がこの不適合な世界に来た意味が、浮かび上がって来るだろう。

 意味がないなら、それはそれで構わない。思う存分怒りをぶつけて、全てを(ゼロ)に返すだけだ。


 目的と手段、その順番は定かじゃない。

 あるいは、それは同義だった。



「――――」



 急激な魔力の高まりが、大気を轟々と震わせる。

 地平の果ての暁が、大地を赤く染めていく。


 山が崩れ、動き出す。

 意思を持ち、人の形を成して、この世界を踏み締める。


 それは怒れる巨人に見えた。

 それはイカれた狂人だった。



 夜が明け、新しい朝が始まる。



「世界よ」









「――俺という人格の意義を問う」




『この一例では、一度も周囲の人間と本音での対話を試みることなく、15年目に限界を迎え、自棄に近い行為に走ることが観察された。このような結果となったのは、被験体が内向的で傲慢な人物であったことが関係していると推察される。今後は、性質の異なる試料を複数用意し、被験体の性格差による結果の差異についても検証していきたい』






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