ルールを守るということ1
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自分にとって、魔術というのは膨大な魔力を捨てていく様なものに近い。
実際生れて初めて使った魔術の事故で体の中の魔力が循環しないようになったのだ。
もう、体の中を循環する魔力の感覚は思い出せないし、俺にとって魔術というのは円環の中を巡り続けはしない。
効率的に流してもかなり早い段階で円を描いた魔力は霧散してしまうのだ。
目の前に積み上げられた研究中であろう書物を書いた人間も俺ほどでは無かったけれど、魔術が巡りにくい体質だったのだろう。
何故鎖の精霊が、これを見せたのかが分かった。
多分、俺とこの研究者は魔術の研究の方向性が似ている。
手段こそこの男は緻密な新しき方程式にたどり着いたけれど、基本はこの世界から独立した魔術を作り出すことに苦心していたことがうかがえる。
精霊から土地へ移ったエネルギーを使っていても、それはこの世界の理と関係のないあの精霊の力で世界というものは関係ない。
その精霊すら不要にするための研究が、あの精霊の鎖を解き放つための研究がびっしりと文字と図形で書き留められている。
けれど、それが道半ばだったのはあの鎖の精霊に相変わらず鎖がある訳で分かり切っていることだ。
彼の後に、この魔術式に適応が合う魔術師が中々現れなかったこと、それから彼の生きた時代がかなり昔であることが分かった。
「的当てに使っていいっていうから……」
修復が楽なもの、もしくは大して価値のないものに向ってだろうと思うじゃないか。
俺はため息を付いた。
それから、人差し指を立てる。
イメージはあの壁と一緒だ。
世界の理とやらを拒絶するイメージ。まさにあの障壁のイメージと思いながら、見たことも無い言語体系の文字を空間に描く。
それは鈍い青で輝く。
近似値を自分向けに調整する必要も、魔力効率を無視して術を発動せねばならない事も無くスペルと呼ばれる美しい魔術は発動する。
ドクドクと心臓が高鳴る。
広い場所が必要だ。
何なら、あの緻密で美しい障壁の修復を手伝いたかった。
それとも、一度破壊してその様子を眺めてみたい。
もう一度作り直しはできる。理論はそろっている。協会の言うことを妄信している魔術師もここにはいない。
だから、なんでもできる。
彼と同じように妖精ちゃん達を彼の方法で契約してみたい。
おそらく違う姿でこちらに来てくれるこもいるだろう。
愛好家たちの間で言われている定説を覆せるかもしれない事実に思わず口角が上がる。
けれど、それはすなわち世界の在り方が違うという事だ。
世界に俺が嫌われていて、俺も世界を嫌っているという事実は逃れようのない事実かもしれないが、それでも新しいものは生み出せるかもしれない。
思わず立ち上がったところで、誰かがこちらに来ることに気が付く。
今回はきちんと異変に気が付けた。
そちらを見ると鎖の精霊がそこにいる。
「夕食にささやかながら宴を準備しました。
――と言いたいところですが」
鎖の精霊は目を細める。
俺の足に視線を移さないのは分かり切ったことだから、だろうか。それとも、所謂配慮というやつだろうか。
俺は大きく息を吐いてそれから、やれやれとばかりに手を上げる。
これが一般的に正しいジェスチャーなのかは分からない。そんな風に人とコミュニケーションをとったことが無いのだから。
「別にかまいはしないさ。
俺の仲間たちは?」
鎖の精霊は「ああ、勇者様は見事な舌打ちをしていましたが」と笑った。
人の多いところは好きではないし、特にパーティに出る利点は見つからない。
服装だの髪形だのに気を使わなくてはいけないかもしれない場所に、そもそもあまり行きたくは無かった。
「食事は別途準備しておりますので」
精霊は言った。
「なあ。
アンタ、それ引きちぎろうと思えば引きちぎれるんだろ?」
精霊の後を歩きながら聞く。
精霊は振り返らない。
「スペルも祝詞だ。
決して拒絶のための魔術じゃない」
短い時間だけれど確認できたことを伝える。
「普通の魔術と一緒だとでもいいたいんですか?」
今度は精霊が歩みを止めて答えた。
「まさか。こんなきれいな方程式が今まで世の中に普及しているものと同じわけ無いだろう」
振り向いた精霊に、スペルを発動させながら答えた。
その形は今自分の左右で明かりをともしているスペルとは少しばかり形が違う。
俺の魔力に応えた形に少しだけ変形している。
「ああ、さすがは女王様を召喚した男なだけはありますねえ」
適応者が少ないと書かれていたからもう少し驚くかと思ったけれど、鎖の精霊はそう言っただけだった。
「開発者の意図を、多分俺は無視することになるがいいか?」
「さあ?」
鎖の精霊は穏やかに答えた。
人間の理の事はあずかり知らぬ事です。
精霊が何を望んでいるかは、俺にはまるで分からない事だった。
「ユナさんは君たちの世界の女王様なのかい?」
鎖がじゃらりと音を立てる。
妖精ちゃん達に序列があることは知っている。
妖精ちゃん達の愛好家の間ではそれは常識で、その序列に従って召喚の難易度が変わると言われている。
勿論色変わりを複数召喚するのは試行回数が相当必要だし、工夫も必要だ。
けれど、必要な魔力量にしても、召喚に使う媒介にしても、それから呼び出すための魔法陣にしても、呼び出された妖精ちゃん達の強さ等に相関があることは分かっている。
王宮で分けてもらえた塗料は特別なものだった。
自分の魔力だけで描いたものとも、自分の魔力を結晶化させた石を砕いて描いたものとも違う。
けれど、それでどこかの国の女王がと縁を結べるものだったかと言われると、自分でもよく分からない。
「もしかして、きちんと契約をしていないのですか?」
隷属のための契約は嫌いだ。
昔一度だけ結んでしまった事はあるが、二度と結びたいとは思わない。
「ああ、そうか」
鎖につながれた妖精が目を細める。
「君はあの人の本当の姿が見えない人間なのか」
世界に嫌われてるって大変ですねえ、と言われた。最初から分かっていてこの男は言ってるのだろう。
だから、俺を研究室に案内した。普通の魔法と相性の悪い人間がスペルに向いていることをきちんと理解して招いたのだろう。
「この美しい魔術を作った男は結局どうなった?」
写本の日誌は唐突に途切れていた。あの部屋は厳重に隠されている。
そもそも何故写本なのか。
原本はどこなのか。
けれど、障壁は美しいまま残っているし、修復を命令していた本人が目の前にいるのだ。
「この国の魔法を描いた、巻物はもうご覧になられましたか?」
また、歩き出しながらそう言われ慌てて後を追いかける。
「まだです。
図書館には無かったから」
妖精ちゃんに閉架に至るまで本の情報を吸い上げてもらった事は伝えなかった。
「それでは、明日お見せしましょう」
この国に来る魔術師は大体それ目当てですから。
何故話を変えてしまったのかはよく分からなかった。
俺は人にしろ妖精ちゃんにしろ、そういう心の繊細さみたいなものはまるで分からない。




