温泉2
何故、勇者であるという事にここまでこだわれるのかが分からなかった。
魔術師にも資質というものはある。魔力量の多少は生まれつきの部分は大きいし、相性のいい属勢というやつもある程度は資質として持っている。
レアな能力を羨ましいと思うこともあるし、実用性の低い能力を蔑むやつもいる。
けれど、ここまで勇者という先天的要素で怒鳴る人間がいるというのは驚きだった。
アルクはもう一度溜息をついた。いや、お前がこの状況作り出してるんだよ。どうするんだよこれ。
手を握り締めて、小刻みに震わせている少女はそれでも今度は泣いてはいなかった。手は強く握りしめている所為で真っ白だ。
「私は、村から選ばれた時点で帰る場所はありません。
魔王を倒す旅を続けるしかないんです」
例え一人になっても、それで殺されることがあったとしても。
俺だったら一人なら間違いなく適当に逃げる。一人じゃなくても逃げることしか考えていないのに、少女は声を震わせながらそれでも言う。
これが戒律に縛られた人間なのだろうか。それともこの少女の元々持った気質なのだろうか。
それは分からないが、この小さな少女がとてもとても哀れな生き物に見えた。
「アルク、悪いな」
俺が、謝るとアルクは俺の意図に気が付いたらしくいささか驚いた顔をした。まあ、俺自身驚いているのだから当たり前だ。
面倒事は嫌いだし、人付き合いが苦手すぎるのでできれば一人でいたい。
けれど、この少女を放っておくことが出来なかった。
「魔王を倒すという目的さえあれば、別パーティで旅をする事は問題ないのか?」
俯いていた少女は勢いよく顔を上げた。エメラルドグリーンの瞳は山岳地方に住む人間なのに、まるで海を思わせる。
「問題は、ない、と思います」
そうか、ならよかった。
「貴方、名前は?」
唸るように魔術師が言う。
「俺か?まず勇者に聞くもんじゃないのか?」
「勇者に名等不要でしょう。重要なのは勇者であるか否かだけなんですから」
当たり前のことという風に言われていささか面食らう。そんな常識が界隈にあることは知らなかった。
一言でいえば気持ちが悪いのだが、魔術師も魔術師となった瞬間に世界からもらう名前を名乗ることは無い。ここで抗議してもこの業界ではこうなのだと言われてしまえばいい返しようがない。
「ギイだ」
相手の溜め息が聞こえた。
「呼び名で言われても意味がないでしょうに。といっても真名は止めてくださいよ。聞かされても困ります。」
魔術学園で使っていたものなり、なんなりあるでしょうと吐き捨てる様に言われた。
「ヴィトゥス・バランドだ。といってもこの名前は論文の発表にしか使っていないから知っていても意味ないだろうが」
魔術師が息を飲む音を聞いた。
「バランドですって!あの圧縮魔法の?」
「多分それであってる」
学園を卒業するときに書いた論文の内容がそれで、ヴィトゥス・バランドなんていう大層な名前もその時につけてペンネームみたいなものなのであっている。
魔術に使う文字を簡略化して圧縮しやすい物にして圧縮効率を高めるという理論だ。
一部で評価をされたらしいというのは学園の講師からも聞いたが、神聖なる魔術文字を汚したという話で協会からの扱いはすこぶる悪い筈だ。
描きやすい事、それから、圧縮に時間がかかるものの今普及している方式に比べて圧縮効率はおおよそ10倍程あるため、生まれつき魔力量が少ない人間の間では先に準備をしておける魔法ということで少しは普及しているらしい。
「なんで……何で貴方ほどの魔術師がこんな少数で、こんな……」
魔術研究の為の施設位、与えられていたでしょうに、と驚かれる。
「そんな訳無いだろ。こっちはまともな就職先すらなかったんだから」
恥ずかしさを隠すための変な笑いが出る。
「……とにかく、こっちはまず戦力を整えてからと考えてるから、彼女さえ良ければ、一緒に旅をしないか?」
金髪ちゃんが魔術師の耳元に口を寄せてひそひそと話かけている。
その様子を相変わらず真っ白な手のままで少女が見つめていた。
「ナタリア、ここで一旦お別れしましょう」
金髪ちゃんに言われた少女、ナタリアはそれでも息をつめた。
「私達も強くなるから。そうしたら必ず迎えに来る」
意思の強い目は、イメージしていた勇者そのものだった。アルクは血が薄いと言ったが傍目でみて勇者らしいのはアルクよりこの金髪の少女だと思った。
この状況少なくとも金髪ちゃん達の派遣を決めた国と、ナタリアの部族の責任者には連絡を入れるべきだろう。
俺を派遣した国は、俺を選んだ時点で大してやる気がないことは明白だ。体面的に魔王討伐もきちんと考えているというポーズができればいい程度の話だろうから別に問題ないだろう。問題があったとしても、“勇者御一行”として旅を続けているのだからとやかく言われる筋合いはない。
連絡は、通常書簡を使う。
今回は許可を求めるという体裁にしなければならない為、通常の流通に任せるといつまでかかるか分からない。
俺はそれで構わなかった。この旅の基本はとにかく時間稼ぎだ。連絡を待っていて進めませんでしたという状況は最も望むところだった。
けれど、この顔面を蒼白にしている少女ナタリアにそれは耐えられそうにない。
「悪いけど、自国に送る書簡の準備を。
それからナタリアだっけ?自分の村への報告の準備を」
俺はそういうと、右手を胸の高さまで上げた。
それから指先に魔力を込める。
すでに、契約済みの生き物の召喚はそれほど難しくは無い。
手のひらに魔法陣が浮かび上がる。指を動かして魔法陣を描くことをイメージするとか、手の付け根あたりに意識を集中するとか、色々コツがあるらしいが、俺の場合指先から力を広げていくのが一番楽だった。
金色に光り輝く魔法陣から言葉の通り、正に飛び出して来たのは鳩の様な形をした妖精だ。
ただ、色がその辺にいる鳩と違い青い。
続いて、黄色の個体も一羽魔法陣から飛び出す。
二羽はそのまま俺の頭上を旋回してから上げたままの右手の二の腕にとまった。
「こいつらにそれぞれ書簡を運んでもらおう」
この手の鳥の妖精は地域によっては神獣扱いをされている場合もあり、酷い扱いを受ける可能性は低い。
「そんな、ポンポンと契約妖精を出せる出せるなんて!」
興奮気味に魔術師に言われ、こちらが驚く。
「ある程度利便性の高い契約は常にスタンバイモードにしてるから、後は発動させればいいだけなんだよ」
説明するが、それでもまだ魔術師の視線は二羽の鳩にくぎ付けだ。
もっと詳しく説明をとも思ったが経験上大体、酷く引かれて、気持ち悪いという感情を隠さない視線を浴びせられるだけだ。
「いいだろ?全24色いると言われてるが、何とか22色までコンプリートしてるんだ」
魔術師に目を細められて、この返答も失敗だったことにようやく気が付く。 今更面白い話をするのも無理だし、軌道修正するような能力も無い。
「まあ、とにかく、鳩に見えるが召喚妖精だ。すぐに目的地まで書簡を届けて戻ってくる筈だ」
星の早さと呼ばれるスピードでこの鳥は空を駆ける。瞬く間に目的地についてくれることだろう。
座標は、魔術師の為の公共の転移魔法の中継地点から割り出せばいい。大概の妖精は魔力を見ることが出来るのだ。
程なくして、2通の書簡が書きあがる。それを見かけ上小さくなる様、圧縮する。これは、宛先の人物を感知すると元に戻る仕組みだ。
俺は宛先の人物を知らない為、魔術師の女性が施す。
それを、妖精の背中に括り付け、金髪の勇者に指定された通りの座標に飛ぶように指示を入れた。
二羽は空高く舞い上がり、瞬く間に視界から消えた。
「戻ってくるまでに、それでもある程度は時間がかかるだろう。
風呂にでも入ってくればいい。」
俺と同じ様に空を見ていたアルクがナタリアに言う。
けれど、ナタリアはただ、首を横に振るばかりだ。
「じゃあ、アンタ達が入ってきたら?」
本当は、勇者様と入りたかったけど譲ってあげる、とユナに言われる。
こっちはこっちで女同士の話がしたいしと、手でしっしっと追い払われてしまって、俺はアルクと顔を見合わせた。
まあ、正直邪魔ということだろう。
「じゃあ、俺らは風呂に入ってくるから。
結界は――」
そう言ったところで、魔術師が「こちらの分は私が貼りますので」とピシャリと言われてしまった。
こっちは……、正直覗き見の予防程度の効果しか意味が無いので別にそのまま風呂に入ってしまえばいいだろう。
なんだかんだいって、目視できる位置に温泉は無い。
旅用の荷物から体を拭く為の布切れだけを取り出して、後の荷物を置き、俺とアルクは風呂へと向かった。