温泉1
街で聞いた温泉は、森の中に泉の様に湧いていた。
特に温泉街という訳でも無く、宿がある訳でも無い。
ただ、森の中にぽつりとあってこんこんと湯が沸き出ている。
湯の中には古い石柱が転がっていて、ここが昔はさかえた湯治場で今は遺跡として手つかずとなっていることが分かる。
壁の一部だったのだろうか、今は教会でしか使われていない文字が書かれている。
とはいえこの言葉もそれを使った魔術もすでにほぼ解読済みだ。新たな発見もなさそうなので休憩したら出発しようと思っていた。
「交代で見張りで風呂入るってもんだよな」
俺が言うと、二人は頷く。
じゃあ、まずユナからと思ったところで来客があった。
女性三人の旅人は友人同士の旅行とは趣が違う。
何より揉めているらしく、空気が酷く険悪だ。俺にも分かるという時点で相当に酷い状態なのだろう。
「失礼、そちらの方も勇者とお見受けしますが……」
アルクが三人の中央にいた金髪の女性に声をかける。
今までの無表情では無く、張り付けたような笑顔を向けているが目が死んでいるのは相変わらずなので、正直怖い。
「あら、あなたも勇者なのね」
金髪ちゃんは笑った。こちらも張り付けた笑顔が正直気持ち悪くて、何故こんな分かりやすく気持ち悪い表情をしてお互いには分かりきっているらしいことを確認しているのかが分からない。
アルクはこちらをチラリと見てそれから溜息を軽く付く。何故溜息をつかれたのか、よく理解ができない。
ただ、アルクは何も言うつもりは無いらしく、相変わらず下手くそな笑顔を貼り付けて金髪ちゃんに話しかける。
「何かもめ事ですか?」
声は極めて優しい。そんな話し方をするところであって日が浅いものの見たことは無かった。
「お恥ずかしい話ですが――。」
金髪ちゃんはなんて事の無いように笑った。
けれど言っていることは、割とシビアだ。曰く、俺達とは違う国から魔王討伐を依頼された金髪ちゃんたち三人は旅に出たが、そのうち1人が足手まといになった。
だから、ここで分かれるか否かでもめている。
足手まといと言われた少女は未だ10代だろう。細い体を殊更縮める様にして俯いていた。
「何とか、私も連れていってもらえないでしょうか?」
腕と足にブーツカバーとアームカバーを紐で結び付け上着には独特の刺繍が施された服は北にある山岳地方の部族特有のものだ。
刺繍で細かい村まで特定できるらしいが生憎そこまでの知識は無い。
信仰にあつい部族だと聞いている。恐らく部族としてこの少女を推薦し勇者と旅をしているのだろう。
それが、例え生贄と同義であっても、それでも勇者に必要とされなくなったので帰ってきましたは通用しない。
俺が魔術師教会で一番いらない人間として推薦されたけれど、辞退する方法がまるでないのと一緒だ。
選ばれてしまえば他の生き方が無くなってしまう。そういう仕組みだ。
もう一人、恐らくご同業の女性が金髪ちゃんを心配そうな顔で見ている。前衛の勇者、補助的役割の魔術師、それから山岳部族は弓の名手と聞くので後衛というかなりバランスの取れたパーティである筈なのに何故ここまでこじれてしまうのか分からない。
「とりあえず、温泉に入らない?」
ユナが面倒そうに言った。
この中で唯一、生き方を縛られていないであろう彼女は心底あほらしいという顔で、もう、三人には興味がなさそうだった。
けれど、建設的な話合いなんぞ出来ない俺はユナの案に乗るしかない。
まず女性皆でと話したが金髪ちゃんが難色を示し、金髪ちゃんと、魔術師がまず入ってそれから残りの女性、最後に俺とアルクが風呂につかることになった。
二人が温泉に近づくと魔力の流れを感じる。数秒後温泉に結界を張られたのが分かった。
奇襲防止なのだろうか、中の様子は分からない。横で山岳民族の子が息を飲む音が聞こえた。
女の子が温泉に入ってるなら覗きだろうと思わないでもないし、本気を出せば多分気が付かれずに中を覗くこともできる。けれどこの他者を拒絶したような結界を見て一気に萎えた。
結界の外で念のため周りを警戒する。横では足手まといと言われた少女が膝を抱えうずくまっている。
「そんなに足手まといなのか?」
ちょっ、馬鹿!と横でユナに言われ、失言だったと気が付く。
少女はいよいよ頭を膝につけて泣き出した。
人に泣かれてもどう慰めていいかなんて分からない。
そっと背中に触れて撫でると、声を立てて泣かれ、もはやどうすればいいのかと頭を抱えたかった。
嗚咽が、ひっくひっくという声に変わる位、時間がたった。
それでも俺は気の利いたこと等何一つ言えないし、金髪ちゃん達は温泉から戻っては来ない。
どうしようも無くなって自分の頭を掻く。
この子が本当に足手まといだったとして、彼女が強くなってもやることは魔王の暗殺それだけだ。
正々堂々正面から行くか、潜んでいくか違いはあるが、結局俺達に求められていることはそれだけだ。
しかも、駄目でも仕方がない程度の存在だ。
彼女を助けることも、助けないこともどちらも碌な結果にはならないだろう。
「魔法、教えてもらえませんか」
しゃくりあげながら少女は言う。
すぐには答えられなかった。
結界が崩れる。中から二人がこちらへ戻ってくる。
金髪ちゃんは少女に視線を一瞬移すとすぐにそらす。その様子を横で魔術師が心配そうに見ていた。
「二人が恋人同士だから、私が邪魔なんですか?」
最初言われた意味が分からなかった。そもそもこんな時にする話じゃない気がした。故郷に伴侶を残したまま討伐に出掛ける人間も少なくは無い。恋人がいるかどうか、その相手が誰かなんてこと気にし始めたらどうしようも無くなる。
なのにこのタイミングでその話を出すのは悪手すぎる。そんな事俺にだってわかる。
事実、金髪ちゃんは、手を握り締めて小刻みに震えていた。
「私達の関係が何であれ、貴方にそれが原因で何かを押し付けたことや、巻きこんだことありましたか?」
魔術師が言う。その声は酷く平坦で激怒していることがありありと分かる。
「だって、じゃあ、なんでよっ!!」
もはや叫びに近い声が上がる。再び涙がこぼれ落ちる瞳は真っ赤になっており、いっそ哀れだ。
「貴方が弱いからよ。このまま、一緒に旅を続けても魔王どころかすぐ死んでしまうのがオチだわ」
魔術師が澱み無く言う。
「だって、私学校では一番の使い手だったよ。元ギルドマスターの先生だって才能あるって!!本当だよ!」
私帰る場所なんて無いの、涙声で力なく呟く少女を見て、心の底から勇者パーティによる魔王討伐のアホらしさを感じずにはいられない。
「もう、こっちでひきとっちゃったら?彼女」
ユナが相変わらず面倒そうに提案する。いや、駄目だろう。だって彼女は本当に魔族の討伐をするつもりでいるのだ。そもそもの目的が俺達と違いすぎる。
「それにさあ、パーティ内にカップルがいればそりゃあ遠慮もするしギクシャクもするでしょう」
この二人とパーティだったら、考えてみたが目の保養だなとしか思わなかった。そもそも相手が誰であろうと俺がギクシャクしないで上手くやれる訳が無い。
「まるで二人だけなら上手く旅ができるって物言いだね」
様子をずっと黙ってみていたアルクが口を開く。ただ、それは挑発的で何の解決にもならない様に見えた。
「無理があるだろ?だって君、勇者の血かなり薄いだろうに」
相変わらず淡々と距離感の無いことを言うアルクに、金髪ちゃんは眉間にしわを寄せ睨み付ける。
「どうせ死ぬなら二人でも三人でもいっしょだろう」
アルクに言われ、金髪ちゃんは激昂して叫ぶ。
「アンタに何が分かるのよ。恵まれた勇者の資質を持っているアンタに!」
それを聞いてもアルクの目は相変わらず死んだ様で、ただ溜息をつくだけだった。
先程まではほとんど興味の無かった温泉に今は肩までつかって、全てを忘れてゆっくりしたくてたまらなかった。