7 企画書
「どう……?」
中学の図書室にて、『企画書』なるものに目を通し終えた七緒の向こうで、本郷が恐る恐る尋ねた。
七緒の反応を伺うように、ジッと見ている。
* * *
「水無、今日の放課後、ちょっといいか?」
本郷から、そう尋ねられたのは、今朝のこと。
「この前の文化祭の企画のこと、糸川先生から、簡単でいいから、紙に書いて出せって言われて……手伝ってほしいんだけど。」
そう頼まれて、七緒は、本郷と一緒に、放課後、図書室にやって来た。
「字は、ちゃんと清書するつもり。見てほしいのは、内容の方で……」
わざわざ「清書する」と言い訳のように言い添えねばならないほど、本郷の字は、豪快な殴り書きだった。
まるで、小さい子の書いたような字。
それを七緒が、なんとか読解する。
企画書は、「1. 目的」、「2. 企画の内容」、「3. 当日の流れ(人の配置)」と順を追って書いてある。
書いてあること自体は、難しい内容ではない。それでも、企画書など、初めて目にした七緒にとって、これだけのものを、本郷が一人で書き上げたということに驚いた。
「どこか気になるところ、ある?」
七緒は、静かに首を横に振った。
「すごい……。」
「え?」
「これを一人で書いたの?私には、書けない。」
本郷の顔がパアッと明るい笑顔に変わる。
「一応、書きた方とかポイントとか、母さんにはちょっと手伝ってもらったけどね。」
照れた顔。
「あ、でも、文章はところどころ、分かりにくい……かな?」
「………はい。」
「あと、漢字も間違ってる。」
「ゲッ………!? やっぱ、ちゃんと辞書ひかなかったからなぁ。」
『想定』は『相定』になっているし、「人員配置」の『置』は、よく見ると頭の『目』が『日』だ。
「国語は苦手なんだ……」
「そうなの?!あれだけ、糸川先生相手に、ポンポン意見を言っていたのに?」
「ディスカッションはいいんだよ。やり取りは、ある程度シュミレーションできるし、あとは、その場の勢いで思ったことを言えばいい。でも、作文は……」
本郷は髪をくしゃりとかきあげた。
「紙に向かって、じっくり文章を考えるのって、結構難しいんだよね。」
「意外……。本郷って、成績いいよね?」
「英語と理数系は比較的。国語と社会は、あんまり得意じゃない。全体の足を引っ張らないように、めちゃくちゃ頑張ってる。」
「そうだったんだ。あんな問題考えられるのに、不思議。」
「謎解きは、パズルみたいに組み立てて、あとは、合う言葉を辞書で探したりして、作ってる。でも、古典はマジで何言ってるのか分からなさすぎて、辛い。」
本郷は、帰国子女だ。向こうの日本人補習校は、あくまで補講のようなものだったと言っていたし、その分のハンデはあるんだろう。
「水無こそ、国語の成績いいよね? いっそ俺に教えてくれたりとか……」
本郷が期待するような目で、チラッと見上げた。
確かに、七緒は国語が得意だ。テストでも、国語だけは、いつも90点代後半で、満点のことさえある。反対に理数系はさっぱり苦手で、結果、全体では、鳴かず飛ばずなわけだけど。
本郷はそれを知ってて、七緒に縋ったのだろうが……
「む……無理、無理っ!!」
本郷があからさまにガクリと肩を落としたので、慌てて「違う、違う。」と、手を振った。
「本郷に教えるのが嫌なんじゃなくて、なんていうか……教えるのって、すごく難しいの。上手に説明できないというか。」
多分、七緒が読解問題が得意なのは、これまで読んできた読書量による賜物だと思う。古典なんて、結構、漫画とかで読んで、ストーリー知っているものばっかりだし。
でも、それを分かりやすく他人に説明するのは、到底できそうにない。
「ごめんね。」
ずうんと落ち込む本郷に、なんだかとても悪いことをしているようで、つい謝ると、
「いや……俺が嫌で断ってるわけじゃないなら、イイ。」
本郷は、コホンと一つ咳払いして、仕切りなおした。
「それより、今はこの企画書だよな。」
「う……うん、そうだったね。」
七緒は、赤いボールペンを手に、改めて、文章の何箇所かをマークした。
七緒が、少し伝わりづらいなと思うところ。同時に、手直しする文章をいくつか提案し、二人で意見を交わしながら、練り上げた。
それを何度か繰り返しているうちに、企画書は完成した。
大筋は、本郷が考えたものだが、文章は何だかんだで、かなり七緒が手を入れている。
「ありがとう。」
出来上がった企画書を、改めて頭から終わりまで読み込んだ本郷が、満足そうにお礼を言った。
「水無のおかげで、すごい分かりやすくなった。」
「本郷がすごいんだよ。私は文章をちょっと手直ししただけ。1から作るのとは大違いだもの。」
そう謙遜したものの、自分が手伝ったおかげで、いいものになったなと言われて、嬉しかった。なんだか、企画への愛着も湧いてきて、上手く行けばいいなと、素直に思う。
「うん、ホントに水無に頼んで良かったよ。やっぱり、水無は昔から、言語化するのが、上手いよな……」
褒められて嬉しくなった七緒が、本郷がポツリと言った言葉の意味を深く考えることはなかった。
◇ ◇ ◇
糸川先生からオッケーが出た、という話を聞いたのは、七夕の翌日の朝だった。
いつも通りの朝。信号待ちをしていたところで、本郷が嬉しそうに報告してきたのだ。
「おめでとう!」
七緒も素直に嬉しい。
「私も、手伝った甲斐があった。」
すると本郷が、カバンにガサゴソと手を突っ込んだ。七緒に向かって、その手を突き出す。
「はい。」
手に握られたものは、可愛らしい動物柄の袋に包まれた、細長い何か。
「え? 何?」
「お礼。水無に手伝ってもらったおかげだし。」
「えっ!?いいよ、そんな。」
手伝ったって言っても、文章を見ただけだ。御礼の品をもらうほど大したことをしてない。「もらえないよ。」と、返そうすると、
「いや。水無に渡すために用意したものだから、返されても困る。」
「困るって言われても……」
「いいから、あけて。」
本郷にグイグイと押し返され、仕方なく、ラッピングを開くと、中から、カワイイくまのチャームがついたボールペンが出てきた。
茶色いぬいぐるみのクマは、七緒の好きなキャラクターで、他にもこのキャラのシャーペンや下敷きを持っている。
「他の買い物のついでに買っただけで、高いものじゃないから。俺が持ってても仕方ないし。」
だから水無しがもらってくれないかな、と早口で捲し立てる。
本郷の、断固として返品を受け付けない姿勢に、七緒は結局、折れて、「分かった。」と素直に受け取ることにした。
確かに返されたところで、困るのだろう。
明らかに、本郷の趣味と違う。
「ちょうど今日、私の誕生日なんだよね。ラッキーだと思って、もらっておく。」
にこりと笑うと、本郷がパッと顔をそらした。
「へー、そうなんだぁ。それは、ちょうど良かった! じゃあ、それ、誕生日ってことで!!」
本郷が、反対を向いたまま、勢いよく言った。
「ありがとう。」
「……どういたしまして。水無には、まだまだ手伝ってもらいたいし。」
「ふっ。」
七緒は思わず吹き出した。
「あ、そういうこと?さては、それが狙いだな?」
ペンをフリフリと上に挿頭した。くまのチャームがゆらゆら揺れる。
「じゃあ、これは、賄賂……ってことね?」
どうせ乗りかかった船。とっくに手伝う気だったんだけど。
「まぁ……な。そんなトコ。」
賄賂。
うん。悪くない。
だって、ちょっと楽しみ始めている自分がいるんだから。
七緒は、また、クマを揺らした。