3 本郷圭太の策略
そもそも、ひたすら地味な七緒が、なぜ『文化祭実行委員』などという、全く縁遠いものに選ばれてしまったのか。
それには、深い理由がある。
七緒は、1年生も2年生も、図書委員だった。
3年生でも当然そうするつもりだったし、それは、本郷も分かっていたはずだ。
2年生のときは、クラスこそ違うが、本郷も図書委員だった。初めて本郷と口をきいたのも、その時だった。
七緒は、委員の仕事で何度か顔を合わせているうちに、本郷に、「図書委員の仕事が好きだから、3年生もやりたい」と言う話をしていた。
にも関わらず、今の七緒は、文化祭実行委員だ。
話は、年度頭、クラスのホームルームで、委員決めをしたときに遡る。
担任の先生が委員会の一覧をズラーっと黒板に列挙して言った。
「お前ら、希望の委員のところに自分の名前かけよー。希望者が多いときは、話し合いかジャンケンな!」
その言葉に、生徒たちが一斉に立ち上がり、黒板に向かう。完全に出遅れた七緒は、みんなの背中越しに、右往左往していた。
でも、別に焦っては、いない。放課後、定期的に残らないといけない図書委員なんて、人気があるものでもないし、先着で決まるわけでもないのだから。
悠然と構えていた七緒に、
「水無、まだ書いてないの?」
唐突に声をかけられ、振り向くと、本郷圭太が立っていた。
「本郷くん……」
昨年、一緒に図書委員をやっていたから、顔見知りではある。
「出遅れちゃって……」
「水無は、どうせ図書委員だろ? 俺がついでに書いてきてやるよ。」
「うん。でも……」
「いいって、いいって。どうせ、ついでだから。俺、背もまぁまぁ高いし、グイグイ入っていくの、得意だからさ。水無は、席に座って待っとけよ。」
本郷が、七緒の肩をつかんで、くるりと180度回転させた。
「大船に乗ったつもりで。」
「あっ……あの?!」
断る間もなく、本郷は黒板に向かって突進していって、宣言通りに、みんなの間をグイグイかき分けていく。
七緒は、どうしようかと一瞬、躊躇ったが、せっかくの好意を無駄にするのも悪い気がして、席に戻った。
今思えば、あのとき、無駄なお人好しを発揮してしまったことが、すべての元凶だ。
好意なんて無駄にしても、良かったのに!!
「書いておいたぜ。」
席に戻ってきた本郷が告げた言葉に、七緒は驚愕して固まった。
「図書委員はもう、他に書いているやつがいたから、隣の空いている委員のところに。」
「えっ!?」
書き終えて戻る生徒たちの隙間から見える黒板に、自分の名前を見つけて、七緒は、顔面蒼白になった。
文化祭実行委員 本郷、水無
白いチョークで、力強く書いてある名前は、何度、凝視ししても、やはり見間違いではない。
「なんてことっ!!」
よりによって、文化祭実行委員って!!
全然、興味ない! キャラでもない!!
隣の図書委員の欄には、『堺屋湊』、『宮迫一花』と、ご丁寧にフルネームで書いてある。どちらも、本郷の力強い角ばった字とは対象的に、綺麗で読みやすい字。
「すぐ直してくる。」
先生は、希望が被ったら、話し合いかジャンケンで決めるといった。
体育委員以外に男女の縛りもない。
宮迫一花は、同じクラスは初めてだけど、七緒と同じく1年から図書委員で、よく知っている。今回も、立候補するとは思っていた。
しかし、堺屋湊が図書委員を希望するとは思わなかった。
堺屋は1年生のときに同じクラスだったが、特にこだわりのないタイプで、「余った委員をやるから、何でもいい」と言って、何にも立候補しなかった。
今年はてっきり、自分と一花で図書委員をやるものだとばっかり思っていたのにーーー。
すぐに直さないと。そして、堺屋にお願いして、譲ってもらおう。
そう思い、立ち上がりかけるとの同時に、先生が教壇の真ん中に移動した。
「よし、全員書いたな?」
それを合図に、まだ黒板周りにいた生徒たちも自席に戻り始めた。
「あっ………」
七緒は、完全にタイミングを逸していた。
本郷は、「じゃ……じゃあな。」と、逃げるように自分の席に戻っていった。直後、先生が定員数ピッタリの委員の上にパッ、パッ、パッと赤いチョークで丸を付していく。
あっという間に、図書委員の上にも、文化祭実行委員の上にも赤い丸が打たれた。
話題は、定員超過と定員割れした委員に移り、今更、決定済みの図書委員と文化祭委員の2つを破談にしたいとは、言い出せない雰囲気になっている。
七緒は、振り返って、窓際の一番うしろに座る本郷を睨みつけた。
本郷は、七緒に睨まれていることを分かっているのか、大きな身体を小さく縮めて、窓の外を見ている。
そんなに気まずそうにするなら、なんでこんなことをしたのか。
七緒は、大きくため息をついた。
すぐ後ろの席の宮迫一花が、ちょんちょんと七緒の背中をつついた。
「ねぇ、ナナちゃん。」
七緒が振り向くと耳元に手を当てて、コソコソと小声で、
「ナナちゃん、文化祭実行委員やるの? 図書委員じゃないの?」
「本郷に勝手に書かれた。」
「えぇっ!」
一花は、一瞬だけ後ろを振り返って本郷を確認した。
「な……なんで?」
「わかんない。でも、後で堺屋にお願いして変わってもらうつもり。」
二者の間での交換なら誰にも迷惑かけない。堺屋は、前も「別に何の委員でもいい」と言っていたから、頼めば変わってくれるだろう。
「そうだね。私もナナちゃんと一緒がいいんだけど。」
しかし、休み時間に話しかけた堺屋は、予想に反して、すげなく言った。
「僕、文化祭実際委員と体育委員はお断りなんだよね。」
「えっ……なんで? 前はどれでも言いっていってたのに……」
「1年のときはね。」
堺屋が、スッと鼻頭のメガネを押し上げた。
「それぞれの委員が、どういうことやっているのか、どれくらいの負担感があるのか、イマイチ分からなかったし、割と時間にも余裕があったから、まぁ、何でもやってみればいいかなって思ったんだけど。」
「今年は駄目なの?」
「行事系の仕事は、自分には向いてないって分かった。それに今年は、受験があるからね。合わない委員で無駄な神経使いたくない。」
堺屋は、成績上位の常連。
愛想は良くないが、別に失礼な態度を取るわけではなく、物事を極めて合理的に考える。こういう男の子を、俗に「クール」と表現するんだろうな、と思う。
体育委員は、普段の体育の授業以外に体育祭の運営がある。文化祭実行委員は、その名の通り、文化祭が主な仕事。この両者は、所謂、行事系の委員だ。
公立中学の行事だから、そう複雑な活動内容ではないが、それでも向き不向きはあるし、堺屋の「向いていない。」というのも、本音だろう。
しかし、それを言うなら、七緒だって行事系は向いていない。
「水無もさ、嫌なら、決まる前に言えばよかったんだよ。」
「う……まぁ、そうなんだけど………」
暗に、「今更言うなよ」と匂わされ、その通り過ぎて、反論できない。
「それに、別に、大丈夫だと思うよ?」
「大丈夫って……?」
堺屋が、軽く小首をかしげた。励ましてくれるつもりなのか? メガネの奥の瞳は、意外との優しいかも。………と、思った自分は間違いだった。
「水無って結構、責任感強いし、ちゃんとやれると思う。」
つまり、諦めろということか………。
もうっ!!
七緒は、もう一度、窓際の最後列、相変わらず逃げるように身体を縮めている本郷圭太を睨みつけた。
こうなった責任とって、本郷には、きっちり働いてもらうから!!
という気持ちを、込めて。