1 フードコート
番外編は、本編の主人公、水無七緒の親友、宮迫一花のお話です。
5話の予定です。
14時過ぎのフードコート。
目の前には、広げたノート。
ベビーフードの空き箱を、トレイに乗せて通り過ぎる親子連れの横で、宮迫一花は、ノートそっちのけで、うっとりと目を細めた。
「9年前に謎解きに込めた告白が、中3になって叶うなんて……まるで小説みたいだと思いません?」
同じ机には、緑色のトレイ。ハンバーガーショップで買ったポテトフライが、倒れた紙ケースからはみ出している。
目の前の男は、一花の熱弁を聞きながら、しなしなになった、そのポテトを無言で摘んで、口に放り込んだ。
だが、一花は、構わず話しかけた。
「だって、9年ですよ? 9年! しかも途中、アメリカだし」
対面でポテトを咀嚼している男が、
「別に、場所は関係ないんじゃない?」
「いえ、ありますよ! 大ありです! だって、遠距離も遠距離。超遠距離じゃないですか。日本とアメリカの距離、わかってますか、草間先輩?」
問われた男ーーー草間傑が、苦笑いした。
「3回も言わなくたって、分かってるよ。それと……」
塩で汚れた指をペーパーナプキンで拭きながら、
「宮迫が、水無に彼氏ができたことを心底、喜んでる……ってこともね」
「それは、その通りなんですが……いえ、それだけじゃなくってですね……」
一花の親友、水無七緒と、同じクラスの本郷圭太が長期にわたる紆余曲折を経て、付き合い始めたのは、つい先日のことだ。
2人は、ただ中学でクラスメイトとして出会って、付き合ったわけじゃない。
七緒と圭太は、9年前、同じ保育園の幼馴染で、しかも圭太は、その時から七緒に片想いをしていた。
ところが圭太が、父親の仕事の都合でアメリカに引っ越すことになり、二人は離れ離れに。
圭太は、アメリカに発つ前、七緒にノートを渡した。
そのノートには、自作のクイズや謎解きの問題が書いてあったという。その問題を最後まで解くと、そこには圭太の気持ちが……
つまり圭太は、その謎解きに、自分の気持ちを託したのだ。
しかし、七緒は結局、その謎を解けなかった。
解けないまま数年が過ぎ、そして、中学生になって、2人は再開した。
本郷圭太は遠く離れても、ずっと七緒のことを忘れなかった。
一方の七緒は初め、圭太のことを、あのときの男の子だと認識していなかったらしい。
圭太は名乗り出ることができないまま、2人はついに、中学3年生で同じクラスに。
一時は、いろいろあって、七緒から嫌われていた圭太だったが、その後の猛アプローチが、ついに実を結び、七緒の心を掴んだ。
「本郷の頑張りの甲斐あって、2人は両思いに!! そして、ノートの謎も解けて、絵に描いたようなハッピーエンド!!………って、ね、小説みたいじゃないですか?」
いかにドラマチックで素敵なことか。
そんなこと、現実にあるのかしらと思うほど。
それを、こんな間近で拝ませてもらって、興奮しないわけがない。
「なんてったって、告白が謎解きですよ、謎解き! しかも、保育園。それが、数年の時を経て、解けたわけですから!」
きゃあきゃあ盛り上がる一花に水を差すように、「ズゴッ」とジュースを吸い込む音がした。
「あ、ごめん」
傑は、ジュースのカップの残量を足し溜めるようにをカラカラと鳴らして、トンと机に置いた。
「で? えぇーっと……つまり宮迫は、謎解きで告白されたいってこと?」
「…………うん?」
何か違う。
確かに、2人の馴れ初めは、素敵なエピソードだ。めちゃくちゃ憧れたし、興奮した。
でも、そこだけ抜き出してしまうと、ちょっと違うっていうか……
「そういうことじゃ、ないんですケド……」
一花は、小声でつぶやくと、何だかうまく伝わらいないわだかまりを、クールダウンするように、ジュースのカップを持ち上げた。
表面についた水滴が一粒、流れ落ちて、指を濡らす。
ストローに口をつけたまま、一花は、そっと視線を持ち上げた。
目の前にいる人、草間傑。
一花と七緒が所属していた図書委員会の先輩で、去年の図書委員長。今は、近くの公立高校に通っている。
傑は、一花の話が済んだと思ったのか、眼鏡の似合う涼やかな目で、一花のノートを眺めている。
足を組んで、片手で本を構える。そういう姿が、見惚れるほどに様になる。
傑が座り直した拍子に、隣に置かれた紙袋がカサッと音を立てた。紙袋にはデパートのケーキ屋のロゴが入っているが、中身はケーキではない。一花が貸した本だ。
一花と傑が、本の貸し借りをするようになったキッカケは、中学2年の終わり頃。
夕食後に、母に頼まれてコンビニに牛乳を買いに行った一花が、塾帰りだという傑に出会ったのは、たまたまだった。
一つ年上の傑は、その時、ちょうど第一志望の高校入試が間近に迫っていた。
「お久しぶりです」
アイスのショーケースを眺めている傑に気づいた一花が声を掛けると、傑は眼鏡の奥の目をキュッと細めてから、
「……あぁ、宮迫か」
いつにも増して、物静かな声。いっそ、沈んでいると表現したほうがいいくらいに。
「受験勉強、大変なんですか?」
「まぁ……勉強は大変っちゃ大変なんだけど、それより……ね」
「それより?」
一花は尋ねたが、傑はそれには答えず、冷凍ケースからパピコを取り出した。
行こう、と呼びかけるような素振りを見せたので、牛乳を手にした一花も、なんとなく一緒にレジに向かう。
順に精算を終わらせ店外に出たところで、もう一度、一花が聞いた。
「それで? それより、何か大変なことがあるんですか?」
一緒に歩き出した傑に、一花が改めて尋ねると、傑は少しだけ間を置いてから、
「実は今、キンドクしてるんだよね」
「き……キンドクですか? 初めて聞く言葉ですが?」
眉を寄せ、首を捻る一花に、
「僕が勝手に作った言葉だからね」
傑が肩をすくめた。
「大人は酒を止めることを禁酒、タバコを止めることを禁煙って言うでしょ? だから……」
キンドクーーー
「あぁ、禁読! 先輩、本を読むのを止めているんですね?」
「正解」
草間傑といば、一花と同じ……いや、それ以上に本の虫だ。空き時間は、基本的に本を読んで過ごしている。
しかし、日常の勉学ならば、いざ知らず、受験のための勉強時間を捻出するとなると、読書時間を削るしかない。
傑曰く、中途半端に読み始めると、続きが気になって、つい読み進めてしまう。だから、そうした事態を防ぐために、年が明けてからは、参考書以外の本を読むのを、自分に禁じたのだという。
肩を並べて歩きながら聞いていた一花は、驚愕した。
「く……草間先輩が、本を我慢しているんですか?ホントに?」
一花も本が好きだし、七緒もたくさん読む。だけど傑は、さらに、その上を行く。
「あの……体、大丈夫ですか?」
本気半分、冗談半分で聞いたつもりが、傑は想像以上に、渋い顔で、
「ホント、それなァ……」
と、深いため息をついた。
「僕にとっては、生活の一部みたいなものだったからね。最近じゃ毎日、早く受験終われーって祈ってるよ」
一花の知る傑は、たった一つしか年が違わないのが信じられないほど、落ち着いた人だ。いつも冷静で、あまり感情の波が表に出ない。
その傑が、本が読めないというだけで、弱りきった顔をしている。それが、なんだが可愛くみえた。
「あの……」
そんな姿をみたせいか。自然に、言葉が口をついて出た。
「本、貸しましょうか?」
「え?」
一花の提案に、一瞬パッと顔を輝かせた傑は、すぐに「……い、いいや」と、首を横に振った。
「受験が終わるまで、手を出さないって決めたんだ。僕は一度決めたことは、キッチリ守らないと気がすまない性格だから」
「知ってますよ」
見た目通り、几帳面で計画的なのを好む人だもの。
「今じゃなくて、受験が終わった後…なら、どうですか? それまでに、私が読んで、先輩の心に刺さりそうな本を厳選しておきます」
すると、傑の顔が、みるみる綻んだ。
「え? ホントに?!」
「え……えぇ、はい」
冷静沈着、穏やかな口調で物を言う、いつもの傑からは、想像もできないほど無邪気な笑顔に、一花は内心、たじろいだ。
傑は、ホクホクと頬を蒸気させて、
「宮迫が読む本は、僕が読まないタイプのものが多いもんな。それでいて、意外にツボを突いてくるし。宮迫からオススメされるの、実はいつも、楽しみにしていたんだよね」
傑は、本に関しては雑食だ。
どんな本でも、勧めれば、色眼鏡なしで手に取る人。
それでも、やはり好みはあって、SFやミステリー、ホラー……それも、昔のものを好んで読む。一花が前に聞いた時は、これで3周目だという、小松左京の『日本沈没』を読んでいた。
そういえば、一緒に図書委員をやっていた時も、勧められないと読まない一花のオススメは新鮮だ、と喜んでいた。
「そっか、じゃあ……受験、頑張らないとなー」
傑の口元から、気合を入れるように吐いた白い息の塊が立ち上る。
一花は、その姿から、目を離せなかった。それで、思わず、
「あっ……あの!」
立ち止まって、呼び止めていた。
つられて、傑が足を止める。
「ん?」
電灯に照らされた傑の顔が、どうしたのかと、小首をかしげる。
「あ……」
どうしよう。何か言わないと……
何か……何か……ーーー
「あっ……あの、私の家アッチなので……」
モニョモニョと小声になりながら、右方の別れ道を指差すと、傑が「あぁ、そっか」と頷いて、
「暗いから、送ろうか?」
「いえ。大丈夫! すぐ! そこの…マンションです」
指差す先は、民家の向こうにニョキッと映えた背の高いマンション。
「先輩は、早く帰って勉強してください」
「……うん、分かった」
強く辞退すると、傑は手に持っていたパピコの外袋をパリッと破いた。さっきコンビニで買っていたやつだ。
中から、繋がった2つのパピコが顔を出す。
傑が、ちぎり離して、そのうち一つを一花に差し出した。
「ほんとは歩きながら食べようと思ったんだけど、思ったより寒かったから……家で暖かくして食べて?」
「私に……ですか?」
「本を貸してくれるんでしょ? これは、お礼ってことで」
でも、その話より前にパピコを選んでいたよね。
ひょっとして、最初っから分けてくれるつもりだった……とか?
「まだ……本、貸してませんよ?」
「前払い。宮迫のお陰で、ちょっと頑張るかって気になったから」
フッと柔らかい顔をした傑が、片割れのパピコを「どうぞ」と、揺らす。
「あ……りがとうございます」
茶色いパピコの表面は、霜がついて白んでいる。受け取ると、指がかじかむ程に冷たい。
じゃあね、気をつけて、と踵を返す傑。
遠ざかっていくダッフルコートの背を見送っていると、手にした冷たいパピコとは裏腹に、頬が熱くなった。胸がドキドキと早鐘を打っている。
つまりーーー至極わかりやすく、単純で凡庸な表現をすると、一花は恋に落ちていた。
その晩から三週間が経った頃、一花の携帯に、傑から連絡があった。
無事に受験が終わったこと、第一志望に受かったこと、そして……約束通り、本を借りたいということ。
知らせを受けた一花は、思わずベッドの上で歓喜した。
傑の受験が無事に終わったのも嬉しかったし、卒業しても会う理由ができたことも嬉しかった。
それから、約束通り本を貸し、その後も定期的に会うようになってーーー
「宮迫?」
フードコートの喧騒の中、目の前の傑が、一花を呼んだ。
「聞いてる?」
メガネの向こうの瞳が、怪訝に歪む。
「あっ……はい。えっと……」
「だから、この問題。答えが合わないっていう」
広げた参考書を、シャーペンの先でコツコツ叩いた。
「途中で、計算ミスをしてるでしょ?」
一花の書いた数式の横に、一花より鋭角の数字で書かれた式。傑が検算をしてくれたらしい。
本の貸出で会うついでに、何となく一花の受験勉強に傑が付き合うようになったのは、夏休みに入った頃。
一花の第一志望は、傑と同じ近くの公立高校だ。ちなみに、七緒も一緒。傑がいたことが志望動機ではないけれど、それでも、つい勉強には気合が入る。
余裕で合格圏内の七緒と違って、一花にとっては、ややギリギリ。ボーダーライン上をふらふらしている。
傑も、それを知っているから、熱心に一花の勉強に付き合ってくれるのだろう。
傑が、自分で書いた数式の一部をくるりと囲んだ。
俯いたはずみにズレたメガネを直しながら、
「だから、宮迫の計算式は、ここが……って、どうかした?」
問題ではなく、傑の顔を見ていたせいだろう。手を止めた傑に、一花は慌てて、
「いえ、別に……。早く受験終わらないかなって……」
「頑張れ。いつかは終わる」
傑らしく淡々と激励の言葉をかけると、また問題に目を落とした。
二、三週間に一度ほどの限られた時間。
受験が終わると、この時間も終わってしまうのかと思うと、少し寂しい気もする。
受験も、勉強も嫌だけど、この時間だけは、ずっと続けばいいのになぁ……なんて思う。
◇ ◇ ◇
一花のノートに、謎の落書きを発見したのは、その日の晩のことだった。
一花のものより、薄い筆圧。
少し尖ったクセのある字で、
・・・・・・・・・・・・・・・
稲妻 ↔ まず無い
エクレア ↔ あれ食え
軽い鰐 ↔ 庭いるか
イカすダンス ↔ ①◯◯◯◯◯
・・・・・・・・・・・・・・・
「…………え? なにコレ?」
久しぶりに、投稿しました。
ご挨拶もかねて、活動報告更新しました。




