20 七緒のこたえ
「それでね、あの………」
圭太の目の前にペタンと座った七緒が、何か言いかけようと口をひらいた、そのとき。
「水無さん! 本郷くん!! 大丈夫ッ?」
騒ぎを聞きつけた教師の篠宮エリカが、こちらにかけてくるのがみえた。城崎杏奈が、呼んだらしい。
「あ、はい。大丈夫です。」
「今、窓の下に、糸川先生が行ったんだけど……。」
篠宮に言われて、痛い尻をさすりながら立ち上がる。倒れていた椅子を起こして登り、窓の下を見下ろした。
「おーい! 本郷くーん!! 大丈夫ですかー?」
いつも静かな物言いをする糸川にしては意外なほどに、よく通る大きい声で聞いた。
「はい! なんとか……!! 水無はこっちに引き上げました。」
「そうか。良かった。誰も怪我していませんか?」
「俺がケツをちょっと……」
「打ったか?」
「はい。」
「係のことは大丈夫だから、保健室でみてもらってください。水無さんも。」
「分かりましたー。」
椅子を降りると、少し離れたところで、城崎杏奈がカタカタと震えていた。
「わ…私……あの………」
七緒と城崎の間に、何があったのかは知らない。でも、窓枠にぶら下がっていた七緒は、ノートを手に持っていた。まるで、それを追いかけて飛び出したかのように。
「わざとじゃ……ないの。」
城崎が消え入るような声で、「ゴメンナサイ」と謝った。
圭太と城崎の微妙な緊張感に気づいた七緒が、慌てて、間に入ってきた。
「城崎さんとぶつかって、手に持っていたノートが飛んだの。」
ぶつかっただけで、窓の外まで飛ぶのかよ、と一瞬、思ったが、七緒がそう言う以上、追及するのはやめた。
何があったのかは知らないが、流石に城崎杏奈が、他人のノートを窓の外に、わざと放り投げるほど子供だとも、思いたくなかった。
城崎の目に宿る、不安と怯えと、すがるような僅かな期待。
それで、ようやく、圭太は気づいた。
そうか。
そうだったのか。
俺は、物凄く鈍かったんだな。
勝手に、前と同じ女友だちのままでいるんだと思っていたけど、お前はそうじゃなかったんだ。
圭太は、大きく深呼吸をした。城崎の前で、七緒のほうに一瞬だけ、視線を投げてみせて、
「ごめん。そういうことだから。」
かけられる言葉は、それ以外にない。
俺は七緒が好きで、ずっと好きで………だから、城崎杏奈に恋愛感情は抱くことはない。
「………うん。」
城崎は、唇を噛み締めて、小さく返事をした。
人より色素の薄い大きな目には、涙が溜まっていた。圭太は、それに気づかなかったフリをした。
◆ ◆ ◆
保健室の外で待っていた七緒に、「もう、いいわよ。」と、養護教諭の市村が声をかけた。
丸メガネのふくよかな顔で、「どうぞ、水無さんも中に入って。」と七緒に促す。
圭太が、打ち身の具合を診てもらうということで、ズボンを脱ぐ間、部屋の外に待機してきた七緒だったが、保健室の中に入ると、圭太は、椅子に座っていた。
「本郷、大丈夫だった?」
「お……おう。」
「大丈夫よー。しっかり歩けているし。単なる打ち身。痣は、できると思うけど。」
圭太の代わりに市村が、書類に何かを書きながら答えた。
「歩くのが辛いようなら、親御さんにお迎えに来てもらうように連絡しましょうか?」
「いえ、大丈夫です。」
圭太が、少しだけ、モゾモゾと尻を動かして顔をしかめ、「歩けます。」と答えた。
「あら、そう? それじゃ、次は、あなたの番ね。水無さん、椅子に座って。」
「私はどこも、打ったりは………」
市村は、椅子に座らせた七緒の腕や顔を、ざっと触れて確認する。
「うん。確かに貴女は大丈夫そう。」
多分、あのぶら下がった窓から落ちていたら、七緒も、多少の怪我はしていただろう。圭太が引き上げて、守ってくれたのだ。
「腕にちょっと、ブレスレットが食い込んだ跡がついているけれど、直に消えるわ。指先は? 痺れたりしていない?」
七緒は、二、三度、拳を握ってみた。特に痺れも違和感もない。
「はい。大丈夫です。」
「それなら、良いわ。」
市村が、また別の書類に何かをサラサラと書き付ける。
「二人とも、文化祭が終わるまで、このまま保健室で休んでいてもいいけど、どうする?」
七緒と圭太は顔を見合わせた。
圭太の答えは、聞かずとも分かる。そして、七緒も同じ気持ちだった。
「戻ります。」
二人の返事がユニゾンみたいに、同時に響いた。それが、余程可笑しかったのか、先生はフフフと笑って、
「無理はしないのよ。」
保健室を出た七緒と圭太は、薄暗い廊下を並んで歩いた。
保健室は北校舎の一階の一番端にある。文化祭では、ほとんど使われていない棟だから、人通りもなく、静かだった。
七緒は、隣を歩く圭太の様子をチラリと伺う。
(どうしよう……。)
自分から、話を切り出すべきだろうか。迷っていると、ふいに、圭太が足を止めた。こちらを見た。目が合った瞬間。
「あのさ、……」
「あの……」
二人の声が重なる。
「あっ……ごめ………」
「ううん。本郷こそ、何?」
「あ、いや、あのさ………」
本郷は、落ち着きなく視線を巡らせてから、
「改めて聞くけど、それ……解けたんだよね?」
七緒が、大事に胸元に抱えていたノートを指差して聞いた。
「それ書いたの……俺だって、分かってるよね?」
「………うん。」
そう。ちゃんと解けてる。
答えもわかっているし、それを書いた人のことも。
9年前、6歳の圭太がくれたノートに書かれていた謎の答え。
・・・・・・・・・・・・・・・
ボクのオヨメさんになって
・・・・・・・・・・・・・・・
盛大な告白。
盛大で、でも、とても一生懸命で、愛らしい。
圭太は、本当に、小さい頃から、ずっと、七緒のことを好きでいてくれた。想いを告げていてくれた。
そして今も、また………
そのことに気づいた七緒は、圭太が遠くに行ってしまうかもしれないと知って、居ても立ってもいられなくなった。だから、思わず、圭太を探しに走りだしたのだ。
しかし、いざ、目の前にすると、うまく言葉が出てこない。
「あー、ゴメン。俺、別に返事をしてほしいとか、そういうことじゃなくて……」
黙ってしまった七緒を気遣って、圭太が言った。
「ただ……」
圭太は、一瞬だけ言葉を探すように間をおいた。真剣な眼差し。深呼吸。
「ただ、あのノートを渡したときから……いや、それより前から、本当に、ずっと、水無のことが好きだった。」
二度目の告白は、初めてのときのよりも落ち着いて聞けた。圭太の一言一言が、七緒の心に、ストンと入る。
「アメリカに行っても、水無はずっと俺の支えで、ずっと………俺のこと励ましてくれた。俺の心の中で、だけど。」
圭太が照れたように、視線を反らした。
「あー、ゴメン。上手く言えないや。」
ワシャワシャと、頭をかく。
「水無は小さい時から、状況や思考を整理するのがうまくて、いつも、俺が困ったとき、上手く相手に伝えられないとき、いつもフォローしてくれただろ?……覚えてないかもしれないけど。」
「私……が?」
保育園のときの話なのだろうけれど、全然、ピンとこない。
「俺、あっちで、ずっと水無のこと思い出して、考えて、頑張ってた。向こうでは、自分の意見や考えていることを論理的に伝えられないと、シンドイことが多かったから、そういう時は、水無なら、どう言うんだろうって、いつも考えてた。だから、今の俺があるのは、マジで水無のおかげ。」
「そんな……私……違うよ。」
私は何もしていないよ、と小さな声で呟くのが精一杯だった。
だって、実際、七緒の力なんてなにもない。
今の『本郷圭太』があるのは、圭太自身が頑張ったから。
わかっているのに、そう伝えたいのに………
七緒は、圭太の言葉が、どうしようもなく嬉しい。
何か……何か言わないと、と顔を上げたら、突然、圭太が「はぁぁぁぁー。」と、大きく息を吐いた。
「あぁ、やっと言えたぁ。」
ホッとした顔で、笑った。
「あの日、教室で告ったとき、ホントは、全部、伝えたかった。でも、水無が、全然覚えてないからさ……」
だから、今、ようやく言えたいことが全部言えたのだと、うなじを触わって言う。少し照れていて、でも、スッキリと爽やかな笑顔で。
「今すぐ、どうこうしてほしいってワケじゃないけど……俺、水無に振り向いてもらえるように、好きになってもらえるように、頑張るから。だから、俺の気持ち知っておいて。」
言い切ると、突然、くるりと七緒に背を向けた。
「悪いッ。自分で言っといて何だけど、流石に、ちょっと恥ずかしくなってきた。」
大きな背中が、「……そろそろ、戻るか。」と歩きかけた。
その瞬間、七緒は思わず、圭太の制服の裾を掴んだ。
「待ってッ!!」
「うわッ!!!」
七緒に引っ張られ、圭太の足が空を切って、身体が後ろによろける。
「危ねぇ。急に掴むな………」
圭太が振り返った。
七緒の手は震えている。多分、顔は真っ赤だ。
「あの……」
「……え?」
「あの、本郷……?」
駄目だ。
言いたいことが……伝えたいことが、全然出てこない。
さっき、せっかく圭太が褒めてくれたのに。七緒は、気持ちを言語化して伝えるのが上手いって、言ってくれたのにーーーなのに、肝心の自分の気持は、纏まらなくて、何も出てこない。
七緒は、泣きたくなった。
引き止めたのに、口からは何もでてこなくて、頭の中はグチャグチャで、ただただ、俯いてばかり。
「大丈夫。」
圭太の両手が七緒の腕をつかんだ。向かい合うように、少し身体を屈めて、視線を七緒の高さに合わせてくれる。
「大丈夫。慌てなくていいから。ちゃんと聞くから、教えて欲しい。水無の気持ち。」
噛み砕くようにゆっくりと、包み込むように優しく、圭太がいった。
その目は、まっすぐに七緒を見ている。
そうだ。
いつだって、そうだった。
圭太は、ずっと、ずっと、七緒を見ていた。真っ直ぐに。
七緒は深呼吸をした。
ちゃんと、自分の気持ちを言葉にするために。
「最初はね、本郷のこと、ただの有名な同級生だって思ってた。何か人気があるらしいって聞いていたけど……。 2年になって、話すようになったときも、別に何とも思わなかったの。会えば話す男の子ってくらいで。」
「うん。」
「なんなら、2年の終わりから3年の頭……というか、夏くらいまでは、ちょっとムカついていたし。」
「う………うん。悪かった。」
「でも……でもね、本郷と一緒に文化祭実行委員やって、ちょっと見る目が変わった。やりたいことがあって、それに向かって真っ直ぐ、しかも周りを巻き込ながら進む本郷は、かなり………」
一度、大きく深呼吸。
「かなり、カッコよかったよ。」
頬は熱い。多分、耳まで真っ赤だろう。それでも、目を逸らさずに、ちゃんと伝えられた。
「あと、将来の夢のことを語ってる時も、カッコよかった。」
圭太は、真剣な目で頷いた。
「うん。ありがとう。」
「正直、保育園のときのことは……そんな子がいたなぁってくらいにしか、思い出せないんだけど、でも、あのノートのことは忘れなかった。だから、本郷も、ずっと、私の心の中にいたし……今もいる。」
私が伝えたかったこと。
本郷への気持ち。
「本郷が好き。」
順を追って自分の中の気持ちを整理したら、驚くほど簡単に、その言葉が出た。
「私も、本郷が好き。私にとっても、これから先、本郷がいてくれることが、心の支えになると思う。頑張れると思う。」
自分のやりたいことや夢に向かって前向きな本郷を見てきたから。
「だから……」
だから…えぇっと、何だろう。なんて言えばいいんだろう。
あぁ、そうか。
「だから……これからも、よろしくお願いします。」
七緒の手を包みこむ本郷の手。頭を下げたら、おでこがその手にソッと触れた。本郷の手は、小刻みに震えていた。
顔をあげると、真っ赤な顔した圭太と目があった。けど、すぐに逸らされた。
「あっ、えっと……本郷?」
「ごめッ………余裕なくて。」
七緒の手を離し、七緒に背を向けた。腕でゴシゴシと顔を拭うような仕草をしきりにしながら、「ちょっと……待って」と呟く。
「ヤバい。嬉しすぎて……」
肩で何度も深呼吸を繰り返した圭太は、ようやく、クルッと七緒のほうを向いた。頬は、まだ少しだけ赤い。
でも、それは多分、七緒も一緒。
圭太は、片手を七緒に向けて差し出した。
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
七緒より随分大きな、その手を、おそるおそる握る。
ちょうど、文化祭の終わりを告げるチャイムが鳴り響いていた。
次で最後です。
ちょっと推敲に時間がかかっているので、来週です。




