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16 幼い日のサヨナラから

今日から、しばらく視点が圭太に変わります。


水無七緒(みずなし ななお)


 

 中学の入学式で、クラス分けの一覧に、その名前を見つけたとき、圭太は、クリスチャンでもないくせに、思わず神に感謝した。


 いや、そもそも、感謝というのもおかしな話だ。

 私立にでもいかない限り、同じ中学に進学することは、分かっていたのだから。



*  *  *


 圭太がアメリカに引っ越したのは、保育園の卒園式の翌々日だった。



「パパとママとケイちゃんの3人で、アメリカに、引っ越しすることになったのよ。」



 そう告げられた日、圭太は泣いた。


 布団を頭から被って、部屋に閉じこもって、泣きに泣いた。



 アメリカがどこにあるのかくらい、知っている。リビングに貼ってある世界地図を見ればわかる。

 大きな海を挟んだ向こう。果てしなく遠い。


 だから、もし僕がアメリカに引っ越したら………


「もう、ナナちゃんに会えないの………?」



 ずっと仲良しだった女の子。

 大好きだった女の子。


 こんなに遠くに行ったら、もう僕のことは忘れてしまうかもしれない。


 僕のことを忘れてーーー



「そんなの、嫌だ。」



 だから、僕は考えた。


 必死で考えて、僕のことを覚えておいてもらえるように、ノートを書いた。



 クイズや迷路が大好きだったから、自分で問題を作った。僕のことを覚えておいてくれるように、思い出してくれるように、願いながら考えた。

 最後には、思い切って、僕の気持ちを乗せて。



 そして、約束をしよう。

 

 また会えるように。それまで、僕のことを覚えておいてくれるように。



「ねぇ、ナナちゃん。この謎が解けたら………」



*  *  *



 圭太が、再び日本に戻ってきたのは、6年生の夏休みだった。本郷一家は、前に住んでいたところから程近いエリアのマンションに越してきた。


 住所は、確かに程近い。

 しかし、学区は違う。


 学区という無情な線引のせいで、圭太は、七緒の通っているであろう小学校ではなく、隣の学校に通うことになった。


 そのことに気づいたとき、圭太は母に恨み言の一つも言いたくなった。勿論、「なんでそんなこと言うの?」と聞き返されたら困るから、心の中だけで、とどめておいたが。



 一応言い訳しておくと、別に、ずっと七緒のことを思い続けていたわけじゃない。少なくとも、意識的には。



 ただ、圭太にとって七緒は、『忘れられない初恋の女の子』なのだ。


 それは同時に、日本での思い出そのものだった。だから、せっかく日本に帰ってきたなら、彼女に会いたかった。




 入学始業式のクラス割を貼り出した紙を見て、「水無七緒」の名前があることを確認した瞬間、圭太の心は浮足立った。


 ふわふわした幸せな気持ちと、会ってしまったらこの気持ちが萎んでしまわないかという小さな不安、そして、自分のことを覚えているだろうかという期待。



 ごちゃまぜの感情を抱いて、圭太は七緒と対面した、その瞬間。その顔をひと目見た圭太の不安は吹っ飛んでいた。


 ふわふわとした幸せな気持ちは、萎むどころか増し、七緒と話したい、あのときサヨナラした子だと伝えたい、と強く思った。

 だけど、七緒は、自分のことを、全く覚えていなかった。



 圭太が6年ぶりに七緒と話したのは、学校の図書室。



 どうやら図書委員らしいと風の噂に聞いて、それなら、本でも借りにいけば、自然に挨拶ができると、適当な本を選んで、カウンターに向かった。


 貸出カウンターには、二人の女生徒が座っていて、圭太は、七緒のカウンターが空くのを待った。



「次の人……?」


 圭太はごくりと唾を飲み飲むと、ゆっくり一歩進んで、本を差し出した。


 自分を見て、どんな反応をするだろう。

 覚えているだろうか。


 七緒は、まだ図書委員の仕事に慣れていないようで、先輩に教えてもらいながら、貸出手続きをしてくれた。


 手続きを、終えて顔を上げた瞬間。6年ぶりの七緒の顔。


 どちらかというと細面。小さな口に、真っ直ぐとこちらを見る、黒目がちで凛とした瞳。


 変わっていない。


 幼いときの面影そのままに、中学生になっている。

 でも、残念ながら、その瞳には、圭太に対する特別な親愛の情は浮かばない。


「あの………」


 今しかない、と思った。


 名乗れば、思い出してくれるだろうか。



「………あのっ!」



 俺のこと、覚えてる?



 このたった一言を、しかし、圭太は口にすることが出来なかった。



 横の札を見れば分かるような貸出期限のことを質問した自分に、何をやっているんだと落ち込んだ。



 それでもと、その後も機会を見つけて、図書室に足を運んだ。



 圭太の心が、「気づいてほしい」と、「伝えたい」で、いっぱいになっていた頃だった。


 城崎杏奈(しろさき あんな)から、告白された。


 秋の林間学校でのことだ。



「もし、他に好きな子とかいないんだったら、付き合ってほしいなって……。」



 城崎杏奈は、圭太が小学校6年の夏に日本に戻ったときに、同じクラスにいた女の子だ。中学でも、同じクラスになって、わりと仲良く話せる女子の一人ではあった。


 その城崎は、ずっと圭太のことを好きだったのだという。圭太はそんなことには、全く気が付かなかったから、驚いた。


「どう……かな?」


 イギリス人とのクォーターだという城崎の、祖父母譲りらしい大きな瞳が、じっと圭太を見つめていた。


 そういえば、西洋人形のような顔立ちに、周りは皆、「カワイイ、カワイイ」と騒いでいた。

 圭太は、和風で凛とした七緒の顔立ちのほうが好きだけど。



「圭太と私、結構気が合うと思うんだ。初めは私のこと、好きじゃなくても………」


「……っ、ごめん。」


 気づいたときには、謝っていた。


 頭で考えたわけではない。

 でも、『他に好きな子がいないんだったら……』その一言で気づいてしまった。反応してしまった。



「ごめん。好きな子、いるんだ。ずっと………好きだった子が。」

「……ずっと?」

「うん。」


 城崎の瞳が、哀しげに揺れた。


「……その子とは、連絡とっているの?っていうか、私の知っている子?」


 圭太は首を横に振った。


「今はほとんど……連絡していない。」

「遠くに………いるの? 会ったりはしていないってこと?」

「…………」

「それならッ……それなら、私でも……私と付き合ってみたら、気が変わるかもしれないじゃない。」

「いや、ダメなんだ。俺が……」


 圭太は一旦言葉を切った。自分自身が噛みしめるために。


「俺が、諦められないから、ダメなんだ。」


 キッパリと言い切った圭太に、城崎は、俯いたまま、「分かった。」と小さく言った。肩が少しだけ震えていた。でも、下手な慰めなどしていはいけないことくらい、分かる。圭太に出来るのことは何もない。



 しばらく黙っていた城崎が、顔を上げたときには、もう元通りの表情をしていた。



「ごめんね。変なこと言って、困らせて。」



 それから、去り際にポンッと圭太の肩を叩いて、



「じゃあ、これからも、今まで通り友だちってことで。」


「ごめんッ……」



 離れていく背中に向かって、圭太はもう一度謝った。



 その後の城崎は、こちらが拍子抜けするほど、アッサリしていた。

 態度は今までと変わらず、気さくで、2年半が過ぎた今も、圭太にとっては、よく話す女友だち。



 でも、城崎のおかげで気づいたことがある。



 自分は今も、『水無七緒』に捕らわれている。



 初恋の想い出じゃない。

 忘れてなんて、いない。


 今も……今でも、好きなんだ、と。




 しかし、七緒とは、現時点で、接点が何もない。保育園の時のことを思い出す様子も全くないし、ほぼゼロからのスタートだ。


 どれだけ図書室に通っても、図書委員と借りに来る人以上の関係にはなれない。



 それなら、いっそ、自分も図書委員になるのはどうか。



 2年生になったとき、圭太は、その計画を実行した。思ったとおり、七緒も図書委員。


 七緒は保育園のときから絵本が好きだった。圭太たちの保育園には、小さな図書室があって、よく七緒はそこで絵本を借りていたのだ。



 当時の七緒が、そのまま今の七緒の中にいるのだと思うと、圭太は嬉しかった。



 一緒に図書委員をやるという企みは、一応成功だった。


 途中までは。



 七緒と一緒に委員の仕事をやるようになって、他愛もない会話をする仲になった。過去のことを思い出してくれないかと、「謎解きが好きで、そういう本をよく借りている」とか、それとなく水を向けてみたこともある。見事にスルーされたけれど、めげなかった。


 別に思い出してくれなくてもいい。イチから自分のことを知ってもらえればいいと、思うようになっていた。


 その努力の甲斐あって、仲の良い男友だちくらいにはなれたかな、という矢先のことだった。




 あの事件が起きた。




 後期になり、委員会活動からほとんど身を引いたはずの3年生、草間傑(くさま すぐる)図書委員長が本を返しにきたのだ。


 七緒と草間は、昨年から同じ委員会で、しかも、よくよく聞けば、小学校の時の登校班も一緒だったのだという。



 だから、前からよく話してはいたのだけれど、せっかく二人で当番だった時に、突然現れた草間と楽しそうに会話をしているのを見てーーー正直………苛々した。



 七緒が、こんなふうに軽口をたたく上級生は草間だけだ。草間も草間で、七緒には特別愛想がいい………気がする。


 嫉妬からくる思い込みかもしれないけど。



 二人の会話を横目に見ながら、昔もこんなことがあったなと思いだした。



 保育園の年長組とき、担任2人のうち、一人が男の先生だった。七緒はその先生にとても懐いていて、よく側に寄って、絵本を読んでもらっていた。



 圭太はその光景を見ていて、いつも悔しかった。



 七緒があの先生に寄せる信頼に、妬いていた。


 まだ小さい圭太は、あの先生のように、上手に本を読んであげることは出来ない。だから、今の圭太じゃ、かなわない。



 でも大丈夫。

 あの先生は、僕たちより、ずっと年上だし、七緒がいくら好きだったとしても、相手になんかなりはしない。


 この先もずっと、ナナちゃんの側にいるのは僕のほうだ。



 そう思っていた矢先の引っ越し。


 6年ごしの再開。ようやく、7年ぶりに話が出来るようになったっていうのに……



 これは、なんだ?



 楽しそうに話す七緒と草間。



 だめだ………って分かってる。口にしちゃいけないって。


 でも、止められなかった。


 つい、口に出した。



「女って、ホント、年上好きだよね。いくつになってもさぁ。」



 その場が凍りつくのが分かった。



「……はぁ?」



 七緒が、今まで聞いたことのないような低い声で問い返した。



「なに……それ。どういう意味?」



 怒りで声が震えている。


 謝らなきゃ。今すぐに。


 そう思ったのに、七緒の軽蔑するような瞳に、言うべき言葉が、何も出てこない。



「あの………ごめ……」



 七緒がガタッと立ち上がり、無言で、カウンターから離れていく。




 圭太は、その背を引き止めることができなかった。


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