13 告白
体育祭が終わると中間テスト。それが終われば、文化祭。
近づく文化祭に備えて、委員の集まりは定期的に行われ、当日のプログラムの説明、係の割り振りなどの諸所連絡が行われている。
委員会では、主に文化祭実行委員会 担当教諭の糸川がすべてを取りまとめている。糸川が、どうしても参加できないときは、サブ担当の篠崎が代わりを務めていた。
特に正規の委員会ではなく、本郷が立ち上げた『有志企画の会』には、篠崎エリカが来ることが多かった。
若い篠崎は、はじめの頃こそ、傍観者のように、ただただ、見守っているだけだったが、回を重ねるに連れて、しっかりと教師としてのまとめ役を果たすようになってていた。
篠崎からも有志の企画を成功させてやりたいという強い想いが感じられて、文化祭に向けて、全体的に良い雰囲気ができている。
はじめは全部、本郷だった。
ここにいるみんなも、篠崎も、本郷に引っ張られて、成功させたい、良いものを作りたいという気持ちが高まった。
本郷には、そういう、全体を引き上げるような力強さがある。
七緒も、そうやって乗せられた一人かもしれない。
実は、今回のスタンプラリーの企画の中で、七緒が考えた問題が採用されている。
問題の作り方のコツを、前に図書館で本郷と会ったときに、教えてもらったから、自分なりにチャレンジしてみたのだ。
「別に難しい問題を作る必要はないんだよ。むしろ奇を衒ったものより、誰でも解けるわかりやすいものがいいって、糸川先生も言ってただろ?」
テレビのクイズ番組で見るような、思わず唸るような問題をつい想像してしまうのだけれど、
「いくつか型みたいなのがあるから、定型のフォームに則れば、誰でも作れる。水無は、言葉をたくさん知っているから、きっと良い問題が作れるよ。」
本郷の言葉に乗せられて、七緒は夏休みの宿題と塾の合間に考えてみた。
七緒の考えた問題は、至ってシンプル。
まず絵を提示し、その絵の下に、絵の答えを示す文字数のマス目を置く。そのマス目には所々、数字を振ってあり、その数字の表す文字を順に読んだら答えができた上がる。
ヒントとなる絵は、全部で5つ
・・・・・・・・・・・・・・・・
1.月と十二単衣のお姫様
「①○○○○」
2.二人の少年少女とお菓子の家
「○○○○と○○○②○」
3.小坊主姿の男の子
「③○○○○○○」
4.腰蓑をつけた青年と亀、魚に囲まれたお城
「○○④○○○○」
5.剣を持った猫。足元はブーツ。
「○○○⑤を○○○○○」
そして、回答は、
「①②③①④⑤」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
初めて本郷に見せたときは、すごく緊張した。
全然ダメだと言われるんじゃないか、解けないんじゃないか、って心配だった。
しかし、実際に問題をみた本郷は、「うん。いいね」と、感心したように頷いた。
「コレ、すごく水無らしい。」
絵は、すべて有名な昔話や童話を表している。
本が好きで、たくさん読んできたのが七緒だ。だから、それをそのまま問題にしてみた。
本郷の「水無らしい」という一言には、素直な感心が込められていて、それが、褒められているようで、認められているようで、嬉しかった。
絵の答えは順に、
・・・・・・・・・・・・・・・・
1.「かぐやひめ」
=「①○○○○」
2.「ヘンゼルとグレーテル」
=「○○○○と○○○②○」
3.「いっきゅうさん」
=「③○○○○○○」
4.「うらしまたろう」
=「○○④○○○○」
5.「ながぐつをはいたねこ」
=「○○○⑤を○○○○○」
になり、「①②③①④⑤」に対応する数字を当てはめて読むと、答えは
『家庭科室』
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「解き方もシンプルで、話も、誰でも知っているものばっかりだろ? これって結構、大事なことで、すごく良いと思う。」
本郷の後押しもあり、七緒の作った問題は、実際に企画で採用されることになった。
ただ七緒は、絵はあまり得意ではない。代わりに、イラストについては、絵の得意な1年生の男の子が描いてくれることになった。
そして今、七緒は、その仕上がりを待って、一人で、教室で勉強をしながら時間を潰していた。
今日が提出の締めきり。
糸川先生は、明日でもいいと言ったのだけど、昼休みに、その子がわざわざ七緒の教室にやって来て、「あと少しだから、放課後、自分の教室で残って仕上げたいです。」と言ったから、七緒も付き合って待っていることにしたのだ。
描き終えたら、七緒の教室に持ってきてくれることになっていた。
それで、七緒は、待ち時間を勉強に充てることにした。これでも、一応、受験生。一人の教室は静かで、集中出来る。
七緒が、宿題の、苦手な数学の問題を苦労して解き終えた頃だった。
「なんだ。まだ、いたの?」
ひょいと顔を出したのは、本郷だった。
「うん、ちょっと……」
七緒が残っている理由を話すと、本郷が、
「もうすぐ下校時間だろ?」
日没30分前が下校時間と決まっているから、日の短い、この時期は早い。
「暗くなるし、代わりに俺が待とうか?」
「もうすぐ来ると思うんだけど……本郷はどうしたの?」
「ちょっと、担任と。」
その言葉だけでピンとくる。この時期に受験生が、居残りで担任の先生と話す内容なんて決まっている。
「受験……のこと?」
本郷は七緒の問いかけに答えようか、少し迷ったようだが、結局、「そう。」と頷いた。
アメリカに戻るのか、戻らないのか。
進路のことは自分だけでは決められないといっていた。面談するということは、家族との話し合いで、何か進展があったのかもしれない。
「決まったの? アメリカに戻るかどうか。」
「いや、まだ……戻る場合と戻らない場合の両方を考えてる。」
本郷は話しながら、七緒の方に歩み寄ってくると、一つ前の席の椅子に腰掛けた。そのまま、七緒の机に肘をかけ、深くため息をついて頭を垂れた。
「………俺、また親の都合に振り回されそう。」
「また……?あぁ、小さいときのこと?」
本郷が頷いた。
「俺さ、保育園までは、こっちにいたんだよね。」
以前もそんな話をしていた。確か、年長のときに遠足で、プラネタリウムに行ったという話のときだ。
「卒園と同時に、アメリカに行くことになったんだけど、それ知らされたとき、ショックで、めちゃくちゃ泣いた。」
「えっ!? 泣いたの?」
図体のデカい本郷が泣く姿は、あまり想像できない。
「俺、小さいとき、めっちゃ泣き虫だったから。」
照れたように笑うと、少しだけ幼い表情がのぞく。
「離れたくない友だちもいたし……でも、仕方なかった。俺に選択権はなかったから。」
本郷の父は、工学系の研究者なのだという。アメリカの大学から招致があり、一家揃って引っ越した。それが、また日本の大学に戻ることになったので、本郷の中学入学の少し前に、元々住んでいた家の近くに戻ってきた。
それが、どうやら、再びアメリカの大学からお呼びがかかるかもしれない、ということらしい。
「今度も……本郷は、日本を離れたくないの?」
「その質問は、答えが難しい。」
「アメリカに行きたい気持ちもある?」
本郷は、黙って、うつむいた。
「前に言っていた……将来の夢のこと?」
体育祭のときに、やりたいことがあるから、そこに至るルートなら、どういう形でも良いと言っていた。
そのことに触れていいか、いけないのか……七緒は迷った挙句、聞くことにした。
「本郷は……ええっと………」
どうやって聞けばいいんだろうと迷った挙げ句、出てきた質問は、
「大きくなったら、何になりたいの?」
その問いに、それまで下を向いていた本郷の肩がふるふると揺れた。
「………。」
「ほ……本郷?」
ブハッと吹き出す。
「水無、大きくなったらって、保育園児かよ。」
アハハと大きく口を開いて、お腹を抱えた。
「そんなに笑わなくたって…」
「ごめん。いや、でも、なんか和んだ。」
ふぅと一息つくと、さっきまでの重々しい空気とは一変した気軽な調子で言った。
「俺、航空宇宙系の分野にいきたいんだ。」
「航空宇宙系?! 宇宙飛行士とか?」
「いやいや、直接自分が宇宙に行くわけじゃなくて、その分野の研究者ていうか……携わり方はいろいろあると思うんだけど。」
「研究者って、本郷のお父さんみたいな?」
「まぁ……厳密に言うと分野は違うけど。」
本郷は、軽く髪をかきあげた。照れたように。
「どうして、その分野に行きたいって思ったのか、聞いてもいい?」
七緒の質問に、一瞬だけ、迷うような表情をしたが、すぐに元の顔に戻って、
「何年か前に、無人の惑星探査機が戻ってきたこと、覚えてる?」
「あぁ……うん。」
もともと4年で帰還するはずの惑星探査機は、あるトラブルから予定を大幅に超える7年間もの間、宇宙を彷徨っていた。奇跡的に日本への帰還を果たしたときには、ちょっとしたブームのような熱気に包まれていたことを、七緒もよく覚えている。
「宇宙は、まだ分からないことだらけで、小さな惑星のたった一握りの土を持ってくるだけで、何年もかかるんだ。でも、そうやって、人類が気の遠くなるほど長い期間挑み続けていた壮大な謎なんだ思うと、結構ワクワクするんだよね。」
今度は、本郷の瞳が、まっすぐに七緒を捉えた。
「だから、いっちょ俺が解き明かしてやろうかな、的な……」
少しおどけた言い方だけど、純粋な好奇心に溢れる瞳。
この目はーーー初めてではなく、どこかで………?
「………水無?」
ぼーっと本郷の顔を見つめていた七緒を、心配そうに覗き込む。
「どうした?」
その瞬間、心の中で何かが大きく弾んだ。ドキン、ドキンと心臓が早鐘をうつ。
「あっ……うん。ごめん。ちょっとぼんやりしていた。」
慌てて、何でもないように取り繕って笑う七緒の、髪をかきあげる手が震えていた。
ふいに、その手を、本郷が掴んだ。
「水無。」
「えっ……?」
本郷の、ひどく真剣な眼差しがぶつかる。捕まれ、包まれた手首がカッと熱くなった。
「ごめん……あれ、嘘。」
「嘘? えっと……なに? さっきの話のこと?」
「いや、そうだけど……いや、そうじゃなくて………」
二人の間に、束の間の沈黙。
教室に傾いたオレンジ色の日の光が斜めに差し込んでいる。
本郷の顔が紅く染まる。
ドクン、ドクンと打つ自分の心臓の音が、教室中に響いている気がして、落ち着かない。
本郷がゆっくりと、口を開いた。
「前に公園で、お前のこと友だちって言ったこと。あれ、嘘。で、本当は…………俺、本当は、お前のことが好きなんだけど。」
「え?」
本郷に掴まれた手首がジンと痛んだ。でも、逃げられない。
「ずっと、水無のこと、好きだった。だから、お前にした、いろんなこと、全部ごめん。俺の勝手で……でも、本当に、ずっと好きだったんだ。」
「そん………な…こと」
そんなはずは、ない。
だって、城崎杏奈が言っていた。本郷には、ずっと好きな子がいると。中学に入学よりも、ずっと前から、ずっと、その子のことが好きなのだと。
だから、中学1年のときに初めて会った自分のはずがない。
ない、のに………。
否定するために尋ねるべき言葉は、七緒の口から出てこなかった。
本郷に伝えられた気持ちを、疑うような言葉を口にできなかった。