12 体育祭
文化祭より先に、体育祭がやってくる。
その日は、朝から快晴で、青い空が突き抜けるように高い。その空を見上げながら、
「天高く……」
七緒がつぶやくと、横から一花が、
「馬肥ゆる秋?」
赤いハチマキを頭に巻きながらフフフと笑う。
「こういう秋の空を見ると、言いたくなっちゃうよねぇ。わかるわぁ。」
一花も基本的に、生粋の文学少女だ。こういうところも、七緒と一花は感性が合う。
「でも、ホント言うと、私、体育祭は嫌い。」
一花がベェっと小さく舌を出した。
七緒も運動はあまり得意ではないから、その気持ちは分かる。
「まぁ、一日限りのお祭りだから、楽しもう。中学最後だし。」
七緒が一花の肩をトンと叩く。
「そうだね。中学最後ダ。」
一花も少しだけ、しんみりとした口調で応じた。
「ナナちゃんの家はお母さん、来るの?」
「うちは仕事あるから。でも、私の出番の時間に合わせて、ちょっとだけ顔を出すって。一花のお母さんは?」
「うちは、気合いれて、朝からカメラの準備してたよー。」
撮るようなハイライト、何もないのにねぇと、わざとらしく渋い顔をしたが、心から嫌そうなわけではない。
そんな何気ない話をしている間に、校庭は、着々と体育祭の準備が進んでいる。
各々が椅子運んだり、それから、何人かで大きなベニヤ板が運んでいる生徒たちもいる。
ベニヤは、伝統的に「応援旗」と呼ばれるもので、各クラスが制作している。
表面には、ペンキやラッカーで、それぞれのクラスの考えたスローガンや絵が描いてあった。
「それにしても、応援旗って名前なのに、旗じゃなくて、ベニヤだよね。」
「昔は本当に旗を使っていたみたいだよ。お兄ちゃんが言ってた。」
「えっ!? そうなの? 3年目にして、初めて知ったー。」
他愛無い会話を一花と二人でしながら、始まる前の時間、各クラスの席の前に続々と設置される応援旗を見て歩く。品評しないと、と意気込む一花。これは、単に趣味らしい。
二人で、1年生の並んでいるところを通る。
応援旗に書かれたキャッチコピーは、『優勝目指して、頑張ろう!!』『栄光の橋を架けろ!!』、『勝利!!』……
「うん、ストレートで、初々しさが、いい感じ。2年は……っと、」
『高く跳べ!!Fly High』、『疾風迅雷 我らが手に勝利を!』……
一花が順に読み上げながら、顎の下に手をあて、フンフンと頷く。
「やっぱ、1年とは違うわ。積み重ねを感じる。」
コメントする一花に、
「そんなに真剣に応援旗見てる人、一花の他にいないよ。」
「私、体育祭は好きじゃないけど、応援旗だけは、めっちゃ好きなわけよ。だから、体育祭という苦行中で、せめてこれくらいは、しっかり楽しみたい。」
「苦行って……」
大真面目に応じる一花。彼女は、いつでも好きなものに真っ直ぐだ。
「で、3年生は……?」
今度は3年生の席の方へと足を向ける。
一際、力の入った派手な看板たち。中央には昔の漫画のキャラクタらしきものが書いてあり、
「『我が体育祭に、一片の悔い無し』おおっっ!!あのアニメの名台詞。アリだな。『百花繚乱。咲き乱れろ!!華と散れ!』ちょっとパチンコっぽいけど、それもまた良き。」
眼福だと満足げに頷く一花と、それを暖かく見守る七緒の横を、ベニヤの片端を持った本郷が「危ないぞー」と声をかけながら、通り過ぎた。
「うちのクラスのやつ来たじゃん。ナナちゃん、見に行こっ!」
応援旗は、体育委員を中心に、クラスの有志が作っていたから、七緒も一花も、まだ、自分のクラスのものを見ていない。
一花に手をひかれ、自分のクラスの応援旗の前に行くと、ちょうどクラスの男子たちが、座席の前に立てかけるところだった。
「えぇーと、うちのクラスのスローガンは……」
表を返した応援旗には、黒い夜空に輝く数多の星と、『掴め!勝ち星!!』の文字。黄金に輝く銀河の中に、一つだけ、他より大きな、真っ白い星がある。
「勝ち星? す……相撲?」
絵も思ったより地味だと一花が、不満げに口を尖らせた。
「それ、本郷が決めたらしいよ。」
いつの間にか二人の後ろに立っていた堺屋湊が言った。
「堺屋、うちのクラスの応援旗がコレだって、知ってた?」
「まぁ……一応?」
一花は、目を細めてマジマジと看板を見る。
「勝ち星って、もともと相撲の言葉でしょ? 勝った方に白い丸つけるやつ。」
「白い丸って言っちゃうと味気ないだろ。」
堺屋がメガネを押し上げながら苦笑した。応援旗の一際大きな星をトントンと指して、
「一応、この白い星が、勝ち星ってことなんじゃない?『白星を上げる』とか言うし。」
「いや、相撲の勝ち星は白丸でしょ? っていうか、何? 本郷、相撲好きなの?」
「知らねーよ。あと、さっきから、宮迫、相撲、相撲っていうけど、普通、勝ち星イコール相撲……って連想しないんじゃない? 『勝ち星を掴む』とか普通に使う表現だと思うんだけど。」
「むむ。その言い方だと、まるで私が普通でない……とも言い切れないけど。」
「言い切れないのかよ。」
七緒は、二人の息のあったやり取りを横で聞きながら、何かが心に引っかかっていた。
何か……とても意味があること。でも、それが何かは分からない。
「僕もよく分かんないけど、ともかく、本郷が、絶対にこれにするって言いはったんだよ。」
「ふーん。本郷のセンス、私にはよくわからんわ。」
一花の琴線には触れなかったようで、ぷうっと口を尖らせた。
◇ ◇ ◇
着々と体育祭のプログラムを消化されていく中、グラウンドに向かって、クラス毎に並べられた椅子、その3年5組の片隅で、七緒と一花、ついでに堺屋が、何となく固まって見ていた。
七緒たちのクラスは7クラス中3位と4位をいったりきたりして、入賞に入るか入らないかのライン争いという、絶妙な盛り上がりを見せているが、3人とも、その争いにおいて、たいした活躍が出来ないことを自認している。
「いやぁ、本郷、すごいねー。」
一花がトラックの中の本郷を見ながら言った。
本郷は運動神経がいいようで、それなりに、あちこちからの声援を受けている。
「ベンチを温めてるだけの私たちとわ違うわ。」
「ベンチっていうか、ただの教室の椅子だけどね。」
一花の言葉に、七緒が笑いと同調をこめた合いの手を入れる。
「あいつ、バスケ部だっけ?」
「あ、うん。そう……だったかな?」
「頭もいいし、あの見た目だし。こりゃ確かに、いい感じに育ってるね。」
1年のときに、顔も覚えていない、あの女の先輩が言っていた台詞。
「そうだね。」
笑いながら相槌を打つ。
「一花、それ、覚えてるんだ?」
「まぁ。忘れられませんわ。」
本郷は、運動神経が良いだけじゃなく、背も高い。本郷が走ると、1年生までもが、「きゃあ、きゃあ」と黄色い声をあげる。
少しだけ心が、モヤっとしたのは、その甲高い声が、耳に触るからだ。
「これで、この後、応援団やったら、体育祭明けにはファンクラブでも出来ちゃうんじゃない?」
「えぇっ!? ファンクラブ?」
マンガみたいなことを言い出す一花に、「まさか?」と笑って返すと、
「あら、七緒サン、興味なし?」
「どういう意味?」
「最近、本郷と仲良いから、妬くかと思って。」
「えぇ!私が?………ナイよ。」
全然ない。ついこの前、互いに「友だち」と確認したところだし。
そもそも、「本郷は、なし。」って、最初から……あの日、放課後に教室の横を通ったときから、決めていた。
あのとき、本郷がクラスの男子たちに向かって、「水無は、アリかナシで言ったら、アリだなー。」と言っていた。
あれこそ、七緒が本郷を嫌う決定打だったワケだがーーー
城崎杏奈が、本郷には、『ずっと好きな女の子』がいる、と言っていた。勿論、七緒のことは、アリとかナシを判断しただけで、イコール好き、とかそういうことじゃない。
でも、それほど一途に好きな子がいるくせに、他の女子を「アリ」とか言うのって、なんか、とてつもなく失礼だ。
なんてことを考えていたら、一花が、
「そりゃあ、そっかぁ。ナナちゃん、夏前くらいに、本郷のこと避けてたもんね。なんなら、ちょっと嫌いだったでしょ?」
「えっ……?! えぇーっと……そんなこと……」
「ダメダメ。漫画と小説読みまくってる一花サンのカンを、舐めたらアカンですよ。」
一花が、「チチチ」と、顔の前で人差し指を振る。
「あれは、何か理由があったの?」
「理由……は……」
七緒の目が泳ぐ。一花が、
「言いたくなかったら、いいけど?」
「別に、そういうわけじゃ……」
言いたくなかったら……って言われると、かえって七緒が気にしているみたいだ。別に、隠すようなことはない。
だって、本郷がどうであれ、七緒は「ない」んだもの。
「実は……」
あのとき聞いてしまったやり取りを打ち明けると、一花が目を釣り上げた。
「まぁ、よく考えれば、男同士の軽いノリみたいものなんだろうけど………」
「えっ?! なにそれ!! 本郷、何で、そんな上から目線なの?」
怒り散らかす一花。と、横から、突然、堺屋湊が口を挟んだ。
「それって……『あるなしクイズ』じゃないの?」
それに反応した一花が、ギュインと横を向いて、
「ちょっと! 女子の話を勝手に聞かないでください。えっち。」
と、パッパッと手をふる。
「じゃあ、聞こえるように話すなよ。っていうか、さっきの水無の話の誤解を解いてやろうとして言ってるんだけど?」
「誤解……? 私の聞いたことが?」
「そう。それ、多分、『あるなしクイズ』してただけだから。」
堺屋によると、どういう流れだったか、放課後の教室で、本郷が何人かの男子に問題をだした。
「えぇーっと、確か……算数にあって、理科にない。人参にあって、大根にない………とか……そんな感じ。僕も細かくは覚えてないけど。」
「ちょっ……ちょっと待って。」
一花が、適当な石ころを拾って、地面に「あり」、「なし」の字を書く。
「他は?ヒントなに?」
「えぇっと……ゴマにあって…ナントカにない……?」
「ナントカ?」
「イマイチ、覚えてない。」
アリ ナシ
算数 | 理科
人参 | 大根
ゴマ | ?
「こんな感じ?」
「そうそう。それで、誰かが、もっとヒントないかって聞いて、そしたらーーー」
『水無は、アリかナシかで言ったら、アリだなー。』
「って、本郷が。」
「え? じゃあ、あの言葉は、問題のヒントってこと。」
「だと思うけど?」
堺屋が、地面の『アリ』の上をトントンと指して、
「で、僕が、それなら宮迫もアリだなって言って………」
「あ" ん?」
「いや、問題の話ね。」
「分かってる、分かってる。ただ、ちょっと、『私はねぇよ』って思っちゃっただけ。」
二人が、言い合っている横で、一花の書いた問題を見て、考えていた七緒だったが、堺屋のヒントで閃いた。
「一花もありって、ことは……?…あっ、数字?」
「うん、当たり。」
それで、一花も、「あぁ!」と感嘆。
「さんすう、にんじん、ごま、ってことね!」
「それに、水無七緒に、宮迫一花?」
二人とも、分かりやすく名前に数字が入っている。
(だから、アリだったんだ……!っていうか、私………わたしッ………!!)
真相に気づいたら、急に恥ずかしくなってきた。
(もしかして、今まで、めちゃくちゃ自意識過剰だった?)
と、後ろから影が伸びてきて、
「何、話してるの?」
「あ、本郷。もう戻ったの?」
「今、200メートル、終わったとこ。見てなかったのかよ。……っていうか、それ………?」
本郷が覗き込もうとした瞬間、一花が、猛スピードで、手で砂を払ってかき消した。
「ほ……本郷が走るところは、見てたよ。後輩から声援浴びて、大活躍じゃん。」
「体格に恵まれてるだけだよ。俺は別に運動神経が特別良いワケじゃないし。」
本郷が、水筒の水を飲みながら言った。
「何いってんの。本郷、バスケ部レギュラーだったんでしょ? モテるくせにー」
「いや、別にモテねぇって。あと、レギュラーなのは、3年が少ないから。もう引退したし。」
からかう一花に、本郷は少し、うっとおしそうに顔をしかめた。
「宮迫、次、出番だろ。堺屋も。そろそろ集合場所いけよ。」
わざとらしく、シッシッと手を払う本郷に、一花が「はーい。」と、ひらひらと手の平をふって、去っていく。
「本郷、頑張ってね!」
という、謎の捨て台詞を残して。
一花と堺屋が去り、七緒と本郷の二人が残された。
さっきまでの自分の誤解と自意識過剰が尾を引いて、ちらりと、横目で盗むように本郷を見ると、また、水筒の水をぐいっと飲んでいる。
あまりにもグビグビ飲んでばかりいるので、
「………本郷、熱中症じゃないの?」
「はっ?」
「なんか、耳が赤いけど……大丈夫?」
覗き込もうとする七緒を避けるように身体をひねる。
「熱中症じゃねぇ。」
ちょっと怒ったように言い返したかと思うと、すぐに、いつもの口調に戻って、
「別に、ちょっと暑いだけ。」
「そう? 気をつけてね。このあと、応援団あるんでしょ?」
応援団は各クラスから5名。本郷は立候補していた。
「みんなの前でエール振るんでしょ?緊張してる?」
「いや? むしろ楽しみ。」
整った顔がくしゃっと笑った。不覚にも可愛いと思ってしまい、なぜだか焦る。
「あー……えっと、好きなんだね。体育祭も文化祭も。」
「うん。好き。」
清々しいほど短く言い切り、高い空を眩しそうに仰いだ。
「今が、ずっと続くとは限らないから、俺は、こういうイベント一つ一つをちゃんと楽しみたいし、大切にしたいんだ。」
ーーー今がずっと続くとは限らない。
ふいに、城崎杏奈に言われたことを思い出した。
それは、本郷にとって、『日本にいること』を指しているんだろうか。
「本郷、中学を卒業したら、アメリカに行くの?」
七緒は思い切って、尋ねた。
本郷が、驚いたように目を見開き、それから困ったように眉を下げた。
「進路は…俺だけの問題じゃないから。」
「家族のこと……?」
「………うん。」
七緒も本郷も、まだ中学生。
七緒は、なんの疑いもなく、近くの高校を受験して、そのうちの受かったところに行くということが当たり前だと思っていた。
でも、本郷は違う。アメリカに行くも、日本に残るも、家の都合次第。
「本郷は、どうしたいの?」
「俺は……やりたいことは、あるよ。そこに至る道に、どうしたら乗れるのかってことは、常に考えてる。」
本郷の目は、まっすぐだった。
「そっ……か。将来の夢?とか?」
「まぁ、そんなところ。」
七緒は、背の高い本郷の顔を改めて見上げた。
眩しいのは空が高いせいだけではない。
つい、今の今まで、隣に並んでいた、クラスメイトの本郷が、実は自分とは全然違う世界を生きているような、すごく遠くにいるような、そんな気がした。
「ナナちゃーん!そろそろ一花ちゃん、出るよ。」
最前列で見ていたクラスメイトの女子が呼ぶ。
「一瞬に応援団しよう!!」
「今、行くー。」
七緒は少しだけ後ろ髪を引かれるような思いを振り切って、本郷に「じゃあね」と告げ、座席に戻った。