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真実の愛を知りたい侯爵令嬢に出会う話

作者: 癸

初投稿です。

よろしくお願いします。

 ベルカーン王国立学園、王都の外れに広大な土地を使って作られた学び舎。

 そこは国内の貴族の子どもたちが12歳から18歳まで集められて、王国の歴史や他国を含めた世界各土地の特徴、特産品、階級社会の仕組や序列、マナーや貴族としての役割や心得を基本として、剣技に格闘技、魔術や文学や計算、科学に化学、製造や農業、畜産までほぼ全ジャンルと言えるくらいに幅広く取り扱っている。必須授業もあるけれど基本的には選択式で好きな授業が学べるという太っ腹な国家の人材育成環境。

 作られた当初は貴族の令息令嬢たちを預かることで人質の意味合いが強かった学園も国が安定している今となっては、お手軽な出費で豊富な知識を学べて、王家への面目も立ち、上手く行けば上級貴族との縁も出来るし、何なら将来のお相手も見つかる。と言うことで貴族としてはそこに通うことは喜ばしいイベントになっていた。昔と違って今は途中のお休みで家に帰れたりもするし、王都に家のある貴族ならば気が向いたら帰れたりもするので寂しくもない。

 私ことクレマリア=メール子爵令嬢も10歳から王都のお屋敷に引っ越し、12歳から学園に入学して数年。運良く立派な婚約者であるジェレール=トーバック子爵令息にも出会え順風満帆な日々を送っていた。


「クレマリアさま、お聞きになりました?」

「え?」


 とある晴れた日。友人のカトリーヌ=コルマコン子爵令嬢が浮かない顔でぽつりと口を開いた。

 学園の廊下、教室の移動中に会話をしながら隣を歩いているのにカトリーヌの視線は私ではなく遠くを見ている。それを追ってみると、ここから少し離れた所にある広場に魔術訓練中の生徒たちの姿が見えた。

 攻撃系魔術の授業なのだろう、時々閃光が走ったり、別の場所では火柱が上がったり、突風に吹き飛ばされている男子生徒の姿もある。その状況は様々ではあるが、荒っぽい授業のため選んでいる生徒は男子の姿がほとんどだ。

 その中に私の婚約者であるジェレール様の姿を見つけた。濃い金色の髪が陽に当たってキラキラと輝いている。こちらには気付いていないが、真剣に授業を受けているらしい婚約者の姿を見て心が踊る。

 その隣にはカトリーヌの婚約者であるセルジャン=プロヴブー公爵令息の姿も有った。公爵令息なのだから家の格としては上なのだが、傍から見るとそんな差など全く感じられないような親し気な雰囲気で一緒に訓練をしている。

 彼らが7人で固まりを作っている集団の中に、ひと回り小さな女子生徒の姿を見つけた。紅一点というところだろう。性別不明や体格だけではなく、金色や銀色、茶色と淡い色彩を持つ者が大半の中で女子生徒の深い紺色の髪は強く目を引いた。

 そこにジェレール様とセルジャン様がいなかったらもっと早くに視線を取られていただろう。同性の私から見ても見惚れるくらいの可愛らしい少女だった。


「あの方はカロル=ヌブローズ侯爵令嬢。今までは御身体に問題があって侯爵家の中だけで過ごされていたのですって。それで先日ようやく学園に来られたそうですわ。でも、その……いつお見かけしても殿方がお側にいらっしゃるので」

「そうなのですか」


 紺色の長い髪を後頭部の上の方でまとめて、尻尾のように揺らしながらヌブローズ侯爵令嬢はにこにこと彼らと何やら話している。あまり見かけない赤い目を細めて微笑む姿はとても楽しそうで愛らしい。


「疾しいことはないと思うのですが、その、周囲にいる皆さまがお相手の決まっている方々ばかりですのでまだご存知じゃなければお耳に入れておいた方が良いかと」


 なるほど。

 彼女の周りには男子生徒がいて、それも婚約済の者が多いと。

 そしてその中にジェレール様とセルジャン様もいるのだと。そういうことだ。


「大丈夫よ、ジェレール様とセルジャン様に限ってそんな不誠実なことはなさらないわ」

「そう、ですわね」


 もやもやする心を振り切って、何事も問題はないと私が励ますとカトリーヌは小さく笑った。




 と言ってはみたけれど、やはり婚約者の側に他の女子生徒がいるという事は気になる。ということでまずは情報を集めようと、聞こえて来る話に耳を傾けると、元より噂話が好きな貴族令嬢たちが集まっているのだ。簡単に話を聞くことが出来た。

 噂話の中心にいるのは侯爵令嬢というほとんどの人にとって格上の上級貴族だ。だが、雲上人だからこそ話題にもなりやすい。

 侯爵家の人間なのに今までは名前さえ知られていなかった令嬢が、現代では形式的なものとはいえ、一応義務教育の王立学園に途中から入学して来て、女子生徒と交流することはほぼなく男子生徒とばかり行動している愛らしい美少女。しかもそこには婚約者のいる男子も多く、場所を意識する事なく仲の良い姿を見せられては噂にもなる。むしろ噂をしてくださいと言わんばかりだ。

 実際、噂話だからと真に受けたりせず、自分の目でと、意識してみればヌブローズ侯爵令嬢の側には常に男子生徒の誰かしらがいて、入れ代わり立ち代わりにその周囲の男子生徒は20人くらいまでは確認出来た。

 その中には当然、ジェレール様とセルジャン様も含まれている。含まれているというよりも、かなりの頻度でお2人の姿をお見かけした。ジェレール様のお姿を見たければヌブローズ侯爵令嬢を探した方が早いのではないかと思ってしまうほどだった。


「あそこまで行くと逆に凄いわね」

「何を呑気におっしゃっているのですか」


 取り巻きの中に婚約者がいるという女子生徒がひとり体調を崩したという話が出た頃、私たちは庭のひとつに用意されたガゼボで小さなお茶会を開く。

 最近は人気の少ない庭を選んで私とカトリーヌの2人で過ごすようになっていた。ヌブローズ侯爵令嬢とその周辺の男子生徒たちの噂話は飽きられるどころか勢いを増して、耳を塞ぎたくなるような品の無いものに成長しているだけでなく、体調を崩した令嬢のように私たちも名前を出されることが増えて来たからである。こちらは子爵階級なので親しみがあるのだろう。

 お可哀想に、と同情なり憐れむなりするには丁度いい。

 ヌブローズ侯爵令嬢には相変わらず取り巻きが付いていて話しかける隙がない。そもそも相手は侯爵令嬢という格上の家柄なのでこちらから直接話し掛ける無謀さを持っている者もいなければ、それを乗り越えて文句を言えるような勇気も、当然陰湿な嫌がらせを仕掛けるような愚者もいなかった。

 彼女の周囲にいる男子生徒は大半が子爵令息。たまに公爵や伯爵や男爵の令息の姿もあったが、上手く婿入り出来れば大出世であるため貴族としてはそうおかしいことではない。そう考えると心が痛い。

 色んな意味で婚約者を信じたいけれど、私たち婚約者同士が一緒に過ごした時間を全て合わせても彼らがヌブローズ侯爵令嬢と過ごしている時間の方が遥かに長い気がするとあっては不安にもなる。

 現に私たちは随分と久しく、会話どころかまともにお互いの顔も合わせてはいないのだ。


「ジェレール様にお手紙を出してみたの」

「まぁ!」


 それで?とカトリーヌが目を輝かせる。

 最初の頃は憂い気味だった彼女の表情も、とある瞬間にふと、あの競争率でまさか勝てると思っているのかしら?と思い至ってからは、落ち着いたものに戻っていた。

 実際に身分で言えばセルジャン様は公爵家の方なのでお家柄だけで見れば私たちよりも侯爵家に近い。嫁ぎ先としては有り得ない立場ではないとなるとカトリーヌの心中は穏やかでは無いだろう。私とこうして会っている時はまだ気丈に振る舞ってはいるけれど、ひとりになった時にどうしているかまでは分からない。

 それでも、そう思いでもしなければやってはいられない。

 現に正式な婚約者であるというのに、今は相手への手紙1通出すのも怖いのだ。


「同じ学園にいるのに中々会えなくて寂しいので、今度お茶でもご一緒しましょうと書いてみたのだけれど」


 広い学園の敷地内では行動範囲が違えば偶然に出会える確率も低い。私たちが出会えたのは最初の頃の必須教科で一緒になれたからで、それが変わってしまった今は、合わせようとしない限り接点はないのだ。

 だが、何も無ければそれが自然だと我慢も出来ることも、相手が学園内でもちきりの噂話の中心に近い所にいるとなると中々に難しい。


「僕も会いたいけれど、しばらくは忙しくて時間が取れそうにないんだ。ごめんよ、落ち着いたら必ず連絡をするからどうか信じてそっとしておいてくれ、と」

「お忙しい、ね」


 信じて、と書いてきたと言うことは噂というか、自分たちの話が話題になっていることは気付いているのだろう。

 誤解だと弁明しに来るわけでもなく、他の女に群がっている姿を見せておいて信じろとは中々に難しいことを言って来る。とため息が出た。

 信じたくないわけではないのに、そう思ってしまう心もまた疲れてしまう。


「この状況で愛を囁かれるよりは良いのかしら」

「確かにお相手は侯爵令嬢ですから、例え選ばれなくてもお家としては上手く繋がりを持ちたいとは思うでしょうし」

「それもそれで嫌よね」


 吹き抜けていく風が涼しい。

 人気が無いのを良い事に私はテーブルの上に突っ伏す。淑女にあるまじき姿だけれどカトリーヌは特に咎めてくる様子もない。

 これがヌブローズ侯爵令嬢と仲良くしているのは家のためであって、未来のためでもあるから、どうか分かってくれ。と言うのであれば理解は出来るけれど嬉しくは無い。貴族として理解は出来るがそれなら逆にヌブローズ侯爵令嬢にも誠実ではないと思う。

 学園で良いお相手と恋愛感情を持ち合えたのがそもそも奇跡と言っても良い。貴族社会として政略結婚などの家の事情、損得で繋がる事は珍しいことではないし、それは決して悪ではない。少なくとも生まれた時から貴族の一員で、この学園に通って学んできた知識と経験から、嫉妬に狂って我を忘れられるほど浅はかにもなれなかった。結局中途半端な不完全燃焼のもやもやを抱えたまま、私たち令嬢の絆だけは増していた。

 同じような境遇の令嬢たちとも最近では視線を交わして貴女もですのね、で分かり合えた。どうしようもない。

 そんな味のしないお茶会を終えてカトリーヌと別れて、部屋に帰ったらジェレール様からのお手紙が届いていた。


『親愛なるクレマリアへ。中々会う時間が作れなくてごめん。長期休暇に入ったら二人で何処かに遊びに行こう』


 そう書かれた手紙を抱えて、私は声を噛み殺して泣いた。

 以前ならば舞い上がって喜んだだろう言葉が今はただ悲しい。

 返事は出せなかった。




「あら、落としましたわよ」


 定期試験の季節が近くなって来たある日、後ろから涼し気な声がした。

 反応して私が振り返ると、紺色の真っ直ぐな長い髪に赤い目の可愛らしい令嬢がいた。

 通路に落ちているハンカチを拾おうと今にも身を屈ませようとしている。


「失礼いたします、私が」


 ヌブローズ侯爵令嬢だ。相手は侯爵令嬢。例え多少不自然に割り込むような形になっても拾わせる訳にはいかない。

 私が通って来た道の上、認識した覚えのないハンカチが落ちているのを、深く考えないようにして拾い上げる。

 持ってみると見た目から手触りまで、どう考えても高品質な上級品だった。当然私のではない。つまり、先の「落としましたわよ」は、侯爵令嬢が落としたから拾えということだったのだろうと思い至って内心でため息をつく。


「どうぞ」


 と差し出そうとして動きを止める。一度地面に落ちたハンカチを侯爵令嬢に渡して良いものだろうか、せめて従者かそれにあたる人でもいればと周囲を確認しても取り巻きの姿はない。ヌブローズ侯爵令嬢が一人でいるのを見るのは初めてだった。


「ありがとう。大丈夫よ」


 柔らかな耳当たりの良い声に顔を上げる。

 いつも廊下や窓から見ていたので近くで見るのは初めてだった。


「ごめんなさい、拾わせてしまって」

「あ……いえ、お気になさらないで下さい」


 生まれた時から人の善意だけに触れてきたような、屈託のない笑顔で言われると思わずこちらも毒気を抜かれてどきっとする。

 近くで見るとより一層顔の小ささに透明感のある白い肌に華奢な身体付き。綺麗というよりまだ可愛いという表現が似合う、可憐な少女だった。


「実はわざと落としたの。そうしないと話しかける切っ掛けが思い付かなくて」

「そう……なのですか?」


 ヌブローズ侯爵令嬢が一歩歩み寄って来る。

 空気が揺れてふわりと良い香りがした。何らかの香でも纏っているのだろう。彼女にとても良く似合っているほのかながらも確かな甘い香り。


「そうなの。女の子と話してみたくて……ごめんなさい。拾わせてしまうなんて思ってもいなかったから、気分を害されたかしら?」


 こちらの表情を探ろうとじっと見つめてくる瞳の赤が宝石のようでとても綺麗で目が離せない。これは確かに男子生徒たちが夢中になるのも無理はない。とても良くわかる。彼女は、とても可愛い。


「とんでもございません、私たちからではお話したくても出来ませんもの、むしろ光栄ですわ」

「本当?良かった……ねぇ、貴女いつもこちらを見ていたでしょう?誰かの恋人なの?だぁれ?」


 ハンカチを握ったまま中途半端になっている私の手に自分の手をそっと添えて、ヌブローズ侯爵令嬢が好奇心に満ちた表情で見つめてくる。

 とても綺麗な赤だ。 

 あぁ、気付いていないと思っていたのに知っていたのか。

 何気ない所作で周囲のことを全て把握する。流石は侯爵令嬢だ。上級貴族として完璧だと思った。この様子だと噂話も何もかも彼女の耳には入っていたのだろう。それだけの噂ではあったけれど。

 くらり、と頭の中で何かが揺れた。視界が真っ赤に染まる。何の香りだろうとても心地良い。甘い香りに思考の輪郭がぼんやりと溶けて行く。


「何をしている!」


 唐突に飛び込んで来た罵声にビクリと身体が跳ねる。

 反射的に顔を声のした方に向けるとこちらに駆け寄って来るジェレール様の姿が有った。


「あ……」


 赤い思考の中で自分の心臓の音がドクンドクンと激しくなって、挨拶をしなければならないのに言葉が出ない。


「あら、早かったのね」


 ヌブローズ侯爵令嬢はつまらなそうに呟いて、私に手を添えたままくるりとジェレール様の方を向く。


「カロル様!」

「ね、この子知ってる?可愛い子だし良い子だからお友達になって貰おうと思って」


 ね?とこちらを見て、にこやかに微笑む。

 無邪気な笑顔がとても可愛い。


「お友達になったのよね?私たち」

「…ええ、そう、ですわね」


 そうだっただろうか。


「クレマリア!大丈夫か」


 見つめ合う私とカロル様の繋がった手を引き離して、ジェレール様は私とカロル様の間を遮るように身体を捩じ込む。

 狭い所に無理矢理入られたジェレール様に押されて半歩後ろに下がった私は思わず彼の背中に掴まる。

 大きな背中が暖かい。

 大丈夫かとは何だろう。私たちはお話していただけなのに。


「その様子だと貴方の恋人なのかしら?」

「そうですよ、彼女は俺の婚約者です」

「こんなに可愛い方がいらっしゃるのなら、紹介してくれれば良かったのに」

「出来るわけないでしょう」


 ジェレール様とカロル様が何やら言い争いをしている。

 と言っても聞いている限りでは一方的に噛み付いている感じでカロル様の声には特に動じる様子は無い。

 久しぶりに聞く声と身体が何だかとても愛おしくて、思わずぎゅっと抱き着いた。


「ク……クレマリア!?大丈夫か!?」


 困惑した声をあげながらも、私に向き直ったジェレール様は振りほどいたりせずに、背中にそっと手を添えてくれる。


「カロル様ばかりじゃなく私も見てください」

「な!……あ、いや、そうだな、すまない……じゃなくて」

「仲がよろしいのね」


 何だろう、とてもふわふわする。わたわたするジェレール様の黒い瞳が困惑して揺れているのがいつもの落ち着いた格好良さとの差で今日はとても可愛らしく感じる。久しぶりのジェレール様と会えたことでおかしくなってしまったのだろうか。まぁ良いや。

 そんな私たちを楽しそうにカロル様が揶揄ってくるのもくすぐったいくらいで気持ちが良い。


「大丈夫よ……えーと、クレマリアさん?もう少ししたら落ち着いてくるから」


 あぁ、そう言えば私はまだ名乗っていなかった。でも、カロル様が名乗りをあげていないのに私が名乗れるはずもない。

 カロル様?あれ?いつから私はそう呼んだっけ?

 お友達になってから?

 そんなことをぼんやりと思った時に、ふわりと身体が浮かんだ。私はジェレール様に抱き抱えられていた。ふわふわと夢を見ているような感じなので実感はないけれど、体温に包まれているのが暖かくて気持ちが良い。


「とにかく、クレマリアをこのままにはしておけません。場所を移します。カロル様は……」

「お邪魔をするつもりはないのだけれど、このままだと他の子に声を掛けてしまうかもしれないわね」


 次に出会うのはどんな子かしら?と明るい口調で言うカロル様に私の視線の先に見えるジェレール様が眼光を鋭くして顔を顰める。ジェレール様のこんな表情を私は初めて見た。格好良い。


「分かりました。とりあえずカロル様も来て下さい」

「はぁい」


 カロル様の表情は見えなかったけれど、楽しそうな返事に、私は何故だかとても安心した。




「は……ァ!?ジェレール様!あの!……私、大丈夫ですから!」


 二人と私が歩き出してどの位が過ぎたか、霧が晴れたかのように唐突に自分の現状を理解した。

 いくら婚約者と言えど学園内という公衆の場で殿方に抱き抱えられて、要するにお姫様抱っこされて移動している姿を理解すると、顔から火が出そうになるほど恥ずかしくて、急激に上昇した熱で顔だけでなく全身が熱くなる。


「あぁ、良かった、クレマリア。大丈夫?もう少しで着くからね」

「え?あ、いえ、その……えーと」


 見慣れたジェレール様の穏やかな黒い瞳が嬉しそうに私を見る。下ろす気が無いのはジェレール様の表情で分かってしまったので、私は次の言葉が見つからないまま、顔を伏せる。

 肌に感じていた太陽の光がふ、と途切れたと思ったら私はジェレール様から離されてそっと椅子に座る姿勢で優しく下ろされた。

 目を開けると、私たちが普段お茶会をしているガゼボのひとつにいた。


「ごめんよ、直ぐに戻って来るから少しだけ待ってて」


 ジェレール様はそう言うと、ヌブローズ侯爵令嬢を伴って隣のガゼボに向かう。隣と言っても普通に会話をしたくらいではお互い聞こえないくらいの距離がある。

 見た感じ周囲に他の人の姿はない。

 恥ずかしさに火照っていた身体に、ガゼボを通り抜けていく風が心地良い。


「ここが普段御令嬢たちがお茶会とかしてる場所なのね!」


 ヌブローズ侯爵令嬢をそこに残して、ジェレール様は駆け足で戻って来た。

 ヌブローズ侯爵令嬢の声が聞こえた。ひとりにされたと言うのに楽しそうで安心した。侯爵令嬢をお一人にして不興を買ったりもしもの事があったら下手をするとお家が潰れかねない。


「……他の生徒たちは?いつもなら何人もいらっしゃるのに」

「廊下とか見える場所にはいるよ。多分今は空気を読んで様子を見ているんだと思う」


 ジェレール様は向かいではなく椅子を手繰り寄せて私のすぐ真横に座る。

 ならばこの状況も見られているのだろうと思うのに、つい凭れかかってしまった。さっきのお姫様抱っこが見られていたのであればこの位はしても許されるだろう。


「ちゃんと説明するけど、まずはごめん」

「……ごめん、と言うのは?」


 言った後に後悔する。可愛くない言い方をしてしまったので顔が見られない。

 それでもジェレール様は特に気にした様子も無く、少しだけ背けた私の頭に頭を合わせる。


「ひとつは、酷い噂が流れていたのに婚約者である君を不安にさせてしまっていたこと。そしてもう一つは、カロル様から目を離したこと」


 やっぱり知っていたのだ。と思いながらもそれ以上に気になる言葉に気持ちが寄って行く。


「目を、離した?」

「うん、王家とか上級貴族が関わってくるからどうしても言えないんだけど俺達がカロル様の側にいたのは理由があるんだ」


 王家という言葉に自然と背筋が伸びる。


「それはね」


 にゅ、と間に入って来た声にビクッと驚いて、思わずジェレール様から離れて真っ直ぐに座ってしまう。

 振り返ると離れたガゼボにいたはずのヌブローズ侯爵令嬢がいた。

 そう言えばいつの間にかはしゃいでいた声は止んで静かだった。


「カロル様」

「だって貴方だと、言えないーとかそんなのばっかりでしょ」


 咎めるような声のジェレール様にヌブローズ侯爵令嬢は口を尖らせる。整った顔が途端に子どもっぽくなるけれどそんな仕草も可愛らしい。


「私はね、人間とサキュバスの子どもなの」

「は?」


 ヌブローズ侯爵令嬢にとっては誇らしいことなのだろう。形の良いのが制服の上からでも分かる胸をぴんと張ってキラキラと輝いた表情が眩しい。


「お父様は間違いなくヌブローズ侯爵なのだけれど、お母様が生粋のサキュバスなのよ。つまり人間と魔物のハーフね」


 しっかり説明してくれたが、こちらとしては「はぁ」としか言えない。何を言っているんだ。その言葉に尽きる。


「知ってる?サキュバス」

「え、……えーと、確か……その」


 問われて慌てて思考を回転させる。

 浮かんだ言葉は有ったが嫁入り前で婚約者がすぐ側にいる貴族令嬢としては口に出すには憚られた。


「夢枕に現れる女性体の夢魔ね。人の精力とか性液がとても好きなの」


 言った。

 私が言い淀んだ言葉をヌブローズ侯爵令嬢はすんなりと口に出した。彼女には抵抗のある言葉では無かったのだろう。


「だから効率良く相手を満足させられるようにね、魅了の力があるの」

「え……?」


 反射的に目を向けてしまった。

 ふふ、と無邪気な笑顔に一瞬で色が着く。心臓が大きく跳ねてくらりと心が揺れた。


「させませんって」


 ヌブローズ侯爵令嬢の赤が遠退く。

 ジェレール様の手が私の目を覆って、カロル様を遮る。


「大丈夫よ、ほんのちょっとだもの」


 その方が理解出来るでしょ?と特に気分を害した様子もなく言う。

遠くでさっき嗅いだ甘い香りがする。そうか、これがと確かに理解した。


「大丈夫か?」

「ええ……ジェレール様ありがとうございます」


 思考は無事だ。ゆっくりと呼吸を整える。

 私の落ち着いた声が届いたのだろう。ジェレール様も覆っていた手を離す。


「ジェレール様は大丈夫なのですか?」

「うん、言ってなかったけど俺には魅了抵抗があるから」


 大きな暖かい手が遠ざかるのが寂しくて、ジェレール様の手をそっと掴む。特に抵抗はされなかった。


「トーバック領だと魔境とか近いものね。魅了とか幻惑耐性が無かったら食べ放題みたいなものよね」

「……まぁ、うん。王都ではほとんど使わないんだけど、領地とかハンターとして必要だから基本スキルとして持ってるんだ。だから大丈夫」


 知らなかった。


「そう、半分は人間なのだからちゃんと人間を知らなくてはね。ってお父様にお世話になることにしたまでは良いんだけど、今まで制御とかして来なかったからちょっとテンション上がったり緊張すると出ちゃうのよね」


 はふぅ、とヌブローズ侯爵令嬢はわざとらしくため息を吐く。


「折角、人間として暮らすのだから彼氏もいずれは欲しいけどまずは同性のお友達が欲しい!って言ったのに、絶対ダメ!ってみんな言うのよ」

「当然でしょう」

「酷いわよね」

「何で好き好んで大事な人に魅了持ちのハーフとはいえ淫魔を近付けるんですか。するわけ無いでしょう」

「女の子の耐性持ちってほとんどいないんだもの……つまらないわー」

「では、セルジャン様も……?」

「あぁ、セルジャンもある程度の耐性があるから……でも、それで逆に見張りとして買われてしまって」


 子どものように拗ねた声を出すヌブローズ侯爵令嬢にもジェレール様は冷たく跳ね除ける。

 精神干渉魔術については名前と概念くらいでまだ少ししか学んではいない。

 学んだとしても他人を操るなんて禁忌に近いのだから、そう多くは学ばないだろう。

 けれど確かに経験をして実感した。その方が理解出来るという意味を。


「あぁ……では、ジェレール様たちはずっと」


 ここに来るまでの間に何となく理解していたものが、一度にすとんと胸に落ちた。心だけではなく理屈でもピタリと符合する。


「クレマリア!?大丈夫か?」


 ジェレール様の姿が滲む。慌てた声が聞こえた。

 私は泣いていた。仕切りが壊れたかのようにぽろぽろと溢れて来るものが止められない。


「ずっと守って下さっていたのですね」


 全て、逆だったのだ。

 相手が侯爵令嬢だというのならば、私たちには無視は出来ない。

 例え断れない交流の中で何かが有ったとしても相手が侯爵家というだけで無かったことになってしまう。そして残されるのは魅了に耐性のない私たちがどうなるかという結果だけ。

 問題にはならないだろう。問題だと思うこともきっとないのだから。

 そこまで考えると怖くなって身体が震えた。

 そんなにも思われていたと言うのに、私たちは不誠実だとジェレール様たちを信じてもいなかった。

 自分のことばかりでいつかそう遠くない日に婚約解消を言われるのではないかと怯えていたのだ。そう思うと申し訳なくてどうしようもない。


「すまない……本当にごめんよ」

「ごめんなさい…っ、でも、良かった……っ、本当によかったぁ……!!」


 ジェレール様が柔らかく抱きしめてくれる。その優しい声に私はとうとう、声を上げて泣いた。



 

「どうぞ、お使いになって」


 気の済むまで泣いて、ようやく落ち着いた私にそっとハンカチが差し出される。


「そのままで良いのよ。女の子だもの、見られたくない姿もあるでしょう?」

「ありがとうございます」


 完全に放置していたというのにヌブローズ侯爵令嬢の声は優しい。

 ハンカチを受け取って、ジェレール様に促されて改めて椅子に座り直すと、何故かテーブルの上にはお水の入ったカップとポッドが有った。来た時は何も無かったのに。


「お恥ずかしい所をお見せしてしまい申し訳ありません」

「恥ずかしいなんて、とんでもない」


 テーブルの上、3つあるうちの1つを取ってヌブローズ侯爵令嬢は美味しそうにカップを煽る。


「あんなに美味しそうな涙を見たのは初めてですわ」

「……は?」


 す、とジェレール様が無言で私とヌブローズ侯爵令嬢の間に立つ。


「好きな人のことを思って流す涙!安心と後悔と反省の入り交じる乙女の瞳から落ちる純粋な甘露……っ!これが愛なのですね!素敵!」

「帯刀していたら叩き斬っていた所だった、良かった」

「うふふ、貴方如きで斬れるものならどうぞ、その耐性の遠慮の無さに免じて不敬罪は不問としてあげるわ」


 何なら一筆書きましょう、とヌブローズ侯爵令嬢も立ち上がる。


「お母様が言っていたの『あなたのお父様は強くて格好良いのに2人きりになるとシャイになってとても可愛らしいのに夜は情熱的で素晴らしいお方、あなたも魔族でも人間でも良いから私達のような真実の愛を見つけなさいね』と。羨ましい!私も真実の愛を探したい……探して恋の話とかしたいわ!」


 ぽわぽわと甘い香りが飛んで来るけれど、ジェレール様が間にいるからなのか、違和感は無い。


「恋の話?」


 ぽつりと言った言葉は小さかったけれど、しっかりとヌブローズ侯爵令嬢の耳には届いたらしい。


「ええそうよ。皆あの方はいつもあの方と一緒にいらっしゃる、とかあの方はあの方と仲がよろしいのねとか、そんな話ばっかりしているのだもの。羨ましい、私も混ざりたいのに」


 この人たちは全然話してくれないのよ!と嘆く声だけ聞こえているが、見なくても大体様子は分かる。


「当たり前でしょう。貴女に話した所で会わせろとか紹介しろとか無茶を言うに決まってるんですから」

「そうよね、そうなりますわよねー!私もサキュバスですから殿方も好きなので文句は無いですけれど人間でもあるのでお友達も欲しいんですけどねー!」

「あの、殿方はお友達にはならないんですか?」


 空気を読めていないのは分かるが、つい素朴な疑問が口をついて出る。だっていつもあんなに周囲に男子生徒がいたのだ。


「無理ね」

「ないな」


 ヌブローズ侯爵令嬢とジェレール様がほぼ同時に言った。


「耐性のない人はそもそも好みじゃないし、耐性のある人は基本、魅了を害として認識しているから一緒に行動は出来ても馴れ合うのは難しいわ」

「俺としてもハーフじゃなくて王族や侯爵閣下から頼まれていなければ、事故を装ってでも叩き斬りたいところだよ」

「うふふ」

「ははは」


 2人のやり取りは言葉だけは殺伐とした会話ではあるが、ギスギスした空気ではない。不自然でもないので、取り繕っている感じでもない。

 いつもこんな感じなんだろうという気がした。

 なるほど、これは傍から見れば仲が良さそうに見えなくもない。

 と口にした場合、多分また2人から全力で否定されるのだろう。

 そう思うとジェレール様の婚約者としては心からほっとした。


「と言う訳で、クレマリアさん、改めまして私のお友達になってください」

「え、あ……の、その」


 良い悪い以前に耐性が無いのだから無理よね。と思うけれど相手は侯爵令嬢である。


「身分とか気にしなくて良いのよ。そもそもこの間までは魔物として過ごしていたのだから。あ、でも人間だとそうもいかないのよね。んー、じゃあそれなりに地位も役に立つみたいだから侯爵令嬢として何かいい感じに利用してくれて構わないわ」

「ダメです」

「貴方に聞いてないし、恋人の交友関係にまで口を出すの?やだこわーい」

「そんな人を器の小さい男みたいな言い方をして挑発しても無駄ですよ。クレマリアには耐性がないですからね。ダメです。絶対」

「ふ、ふふふ……では、魅了が問題なければ良いのね?」


 ジェレール様の言葉にヌブローズ侯爵令嬢が勝ち誇ったような上機嫌な声を上げる。


「実は今、研究所で魅了制御の道具を作ってもらっているの」

「そうなんですか?」

「そうなの、王族としても良い機会だから精神干渉に対する抵抗策を徹底的に研究しようって話になって、その研究の一環も兼ねてね」


 なるほど。確かに王族を筆頭に上級貴族は精神干渉を受けては大変だ。国が傾く事態になってしまう。

 そこに侯爵令嬢として魅了の力を持つ混血児が現れたのならば、研究するのには良い機会だ。

 禁忌に近いとは言え、使えるものが居ないという訳ではない。対策はしておくに越したことは無い。


「私は制御をして自由になって幸せ、研究所も協力者が出来て研究も進んで幸せ。王族や侯爵家も問題児が悩みの種を無差別に振り撒かない。でもいざと言う時には利用も出来るから幸せ。みんな幸せ」

「俺も解放されて幸せですね」

「そうなの!だからね、それが出来て楽しくなっちゃっても他人に魅了の力が作用しなくなったらで良いから」


 ヌブローズ侯爵令嬢がただの女の子になったら。

 そうなったらここ暫く私たちを悩ませていた問題は全て解決する。

 婚約者との誤解も解けて、噂の張本人と親しげに過ごすことが出来れば、そこに確執は無かったと噂は噂でしか無かったとそのうち静かになるだろう。

 その穏やかな光景を想像することは難しいことでは無かった。


「そうしたらお友達になってくれる?」


 その言い方があまりにも可愛らしくて、思わずジェレール様の背中から顔を出してヌブローズ侯爵令嬢の様子を見る。

 もじもじとこちらを窺う表情がとても愛らしい。

 ちらりとジェレール様を見ると、複雑そうな顔で苦笑いを浮かべて、私の頭を撫でる。止めはしないのならば、大丈夫なのだろう。

 

「ええ、もちろん」


 ぱぁっと目の前にあるヌブローズ侯爵令嬢の顔が一気に華やぐ。手を伸ばしてこちらに寄って来ようとするのはジェレール様に阻まれてまた背中に隠された。


「……まぁ良いわ。とりあえずこれからはカロルと呼んでくださいね!公共の場では仕方ないでしょうけれど」

「分かりました。カロル……様、私のこともクレマリアとお呼びください」

「クレマリアさん……!!よろしくね!呼び捨てはお友達になってからの楽しみにしておきますわ!」


 ぷわぷわと良い香りが風に乗ってやって来る。


「では、私は早速研究所に行って早く完成するように念を送って来ますわね。失礼いたします」


 侯爵令嬢が去るのであれば、挨拶をしなくては。と慌ててジェレール様の陰から身体を出してみると、カロル様の姿は無かった。

 走り去るには早いし、音もしなかったので思わず周囲を見渡すがその姿はない。代わりにジェレール様と目が合った。


「クレマリア」

「は、はい!」


 場が落ち着いて冷静に考えると、2人きりになるのは本当に久しぶりだった。


「その……色々と本当にすまなかった。侯爵家の問題だから言えなかったとはいえ、君を傷つけてしまって」

「それは……もう、良いのです。私もジェレール様を信じきれていなかった。そんなことはない!と強く信じていれば良かったのに」

「君のせいじゃない……不安になるのは当たり前だよ」


 優しい声でそう言うと、ジェレール様は私の前に立って、私の右手を掬い上げるとゆっくりと片膝を付く。

 この後を想像すると期待で心臓が壊れそうだ。


「俺も正式なプロポーズはまだ先になってしまうが、改めて約束させて欲しい」

「ジェレール様」

「俺と結婚して下さい」

「喜んで!!」


 期待通りの言葉に嬉し過ぎてつい余韻も何もなく食い気味に返事をしてしまう。少しだけの沈黙で我に返って、途端に自分の必死さに全身が火照る。

 そんな私を見て、蕩けるような笑顔になったジェレール様の表情にまた私の意識は真っ白に溶けそうになった。


 それが私と後に親友になるカロルとの出会い……だけれど、それを思い返そうとするとジェレール様との幸せなやり取りも同時再生されてにやけが止まらなくなる忘れられない1日だった。





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[一言] ここに塔を建てよう(*´ω`*)
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