9. 俺は出会ってしまう。-弐-
バルティア要塞のとある部屋。
元々は司令官か要塞の責任者が使う個室だったが、今では【黒きサソリ】の団長が使っている部屋で紙をぱらりとめくる音だけが聞こえる。
窓から見えるのは完全なる夜空。
司令官室は蝋燭の微々なる光で照らさせ、どこか重い雰囲気を感じさせる。
部屋の扉の前に門番のように立っている巨漢は黙秘し。
その視線の先にある鋭い感じの男は髭を擦りながら紙に書かれた内容だけに集中している。
誰も話さず、その必要も感じないが故に生まれる静粛。
結局、蝋燭から溶けた蝋が微々に落ちる音とパサパサと紙の音しか聞こえない状態で三十分程が経つ。
その間紙の内容を全て読み終えたらしく、黒髪の男は疲れたように指で眉間を解しながら小さく呻き音を出した。
「これが、この一週間、カイルを監視して得た結果だと?」
「ああ、監視に付けていた部下達の報告を私なりに整理したものだ。」
門に背を向けながら仁王立ちしているジャンの返答に黒髪の男、シグマは顔を酷く歪ませ、再び報告書を読み上げる。
「毎晩、ピエルと共に要塞から約1キロ程離れた小屋に移動。必ずどちらかは小屋の前で見張りを任され、残りの奴は小屋に入りそのまま夜明けまで出てこない、と。」
「ああ。そして今日、二人が消えた後、部下達が小屋の中を調べたところ、地下に小さな隠し空間があったらしい。」
ピクッとシグマの眉が小さく反応する。
再び報告書を素早くめくりながら、何かを探す素振りを見せる。
「だが、ここでは子供がやっと入るほど小さな場所だとしか書かれていねえな。隠し通路みたいな場所ではないのか?例えば……、そうだな。何か、地下の道に通じる階段のような物があったとか。」
「いや、そんな報告は聞いていない。そこに書かれている通り、その地下の空間はとても小さく、金と食糧が保管されていただけなようだ。そして、その金の事だが、あまりの量で監視に行った奴等も結構驚いたらしい。」
「……確かに、多いな。」
報告書に書かれた内容を検討しながらシグマは呟く。
そこに書かれている金の額は四人の家庭が三ヶ月は遊んで暮せるほどの量であり、食糧も含めると半年以上の備えと言える。
子供二人がずっと密かに集めていたというのなら、驚きを禁じ得ない程だ。
「よくあの間抜け共が大人しく置いて来たもんだ。手を出したりはしてねぇんだろう?」
「ああ。そんな事をすると流石に直ぐばれる。実際、手を出す気だったようなので、私が確り言い聞かせておいた。どうやら、カイルがあれほどの大金を隠し持っていた事にかなり怒っているようだ。」
「で、そいつらはお目出度くもガキ共が隠していた秘密を暴き、満足して帰って来たと?」
「ああ。それら以外に地下の隠し空間などなく、小屋にも特筆するものはないと言っていた。カイルの不自然な行動は、自分達の金を隠すためだったのだろう。」
「……成る程ねぇ。」
これ以上は見る必要もないと言うかのようにシグマは報告書を揉みくちゃにして適当に投げてしまう。
もはや部下達の意見が書かれた報告書など目もくれず、思索に耽けるシグマを見ながらジャンは直ぐにでも問い質す。
「やはり不満か、この報告は?」
「…………。」
「お前が望むならもう一週間、監視を……」
「ジャン。」
巨漢の言葉を途中に切りながらシグマが口を動かす。
それで直ぐ黙り込み、ジャンが質問を聞くという意味で頷くと、その様子を窓に映る姿で見ていたシグマが静かに語る。
「お前はどう思う、この結果について。」
蝋燭の明かりしかない薄暗い部屋の中、凍っているかのように冷たい顔をした相棒を見ながらジャンは答える。
隠し事などは言わない。
自分に意見を求めるという事はシグマは何かを悩み、判断をする為の素材を欲しがっているという事だ。
余計な探索、配慮はむしろシグマの考えを曇らせるだけであろう。
「……純粋なる意見を言うのならば、妥当だとは思う。」
「理由は?」
「それが自然だからだ。あれほどの金と食糧を隠していたとなればカイルが何かを隠そうとする素振りを見せた事も頷ける。ピエルを仲間に入れたのは意外だったが、子供ならではの仲間意識を感じ、意気投合したと言えばわからなくもない。」
最初にこの部下達からこの報告を聞いたときはかなり驚いたものだ。
まさか、子供二人であれほどの金を隠し持っていたとは思えなかったし、それを隠していたとなると。
もしかしたら'逃走'を計らっているのではないかという疑いも出てくる。
それをわかっているからこそ、監視に出ていた部下達も怒っているのだろう。
いつも下っ端であり、自分たちの子分と思っていた子供が生意気にも大金を隠し、逃げようとしていたのだ。
シグマには自分が言い聞かせたと簡単に言ったが、当分はその金の存在を知らない振りをしろうという指示に部下達は完全に納得していない。
気を抜けばまたその小屋に侵入し、金を奪うつもりで間違いない筈だ。
「お前が懸念していたように、実際、カイルは我々に秘密にしてかなりの金を隠していた。あの小屋も、そしてその床に隠されたという小さな空間もそのためだったと思うと辻褄は合う。部下達もそれに納得している。」
「……。」
曇っている外の光景が映っている窓だけを見ながら、シグマは黙り込んでいる。
ジャンの意見を聞くだけで、特に何かを聞き出したり、反論して来ない。
彼もこの報告が自然であると認識しているのだろう。
だが……。
「どうした、次を言え。まだあるんだろう?あの腑抜け共はそれで納得していると言った。それで?お前はどうなんだ、ジャン。」
「そう……だな。正直、拍子抜けとは思う。」
「と、言うと?」
シグマがこちらを見つめてくる。
今までは天井か窓だけを見ながら聞いていたが、今の話に始めて反応してみせる。
それを見て今更自分の思いすぎと言える筈もなく、ジャンは深いため息と共に正直な感想を話した。
「他でもないお前が警戒するほどなのだ。今までの出来事と比べると……」
「比べると?何だ?」
「……どこか安易だと言うか、気が抜けるというか。想像していたよりも大した事はないような印象はある。カイルという子供にそんなのを期待するのは間違いとは思うが。……すまない、忘れてくれ。ちょっと考えすぎたようだ。」
つい口元を手で隠しながらジャンが発言を取り消す。
自分で言っておきながら余計な感想だと考えてしまうのだ。
いくらシグマがずば抜けた能力を持っているとしても、彼も人間だ。
失敗する時や読み違う時は当然ある。
今回の事の顛末がいつものものと比べて拍子抜けである事は否定できないが、その失望をシグマに話すのは事違いではないだろうか。
相手はまだ十歳でしかない子供二人。
これほどの額の金を隠しているだけでも充分驚くに値するのだ。
ジャンは心のどこかで引っ掛かっている物足りなさを何とか忘れようと首を横に振るい、本題に戻ろうとする時だった。
次に聞こえた返答にジャンは驚きを隠せず呆然としてしまう。
「やっぱ、お前もそう感じるか。なら、もう少し気をつける方がいいのかねえぇー。」
「……どういう事だ?」
余りの言葉についボッとしたまま呟く。
相棒の素な反応がおかしいのか、ずっと深刻に歪んでいたシグマの顔に小さく笑みが浮かべる。
「自分で言いながら驚くとどうしろってんだよう、ったく。堂々としやがれ。あながち、間違った事でもねぇと思うからな。」
「やはり、おかしいと思うのか、この結果は。」
「いや?違うぜ?おかしい所とかはいねえよう。むしろ自然だ。先ほど、おめえが言ったように妥当だと言えるだろうな。」
不思議に思いながら聞いた質問に、またもあっさりと訳がわからない答えが帰ってきて、ジャンは首を傾げる。
どこもおかしい点などない。
むしろ、これほどの金を隠そうとしたのだから、そういった疑いがかかる行動をしたと思うと自然だと、シグマはそう言っている。
それは即ち、この報告は正しいものであり、何もおかしい点などないと断言するのではないだろうか。
しかし、それならばどうしてこうも浮かない顔をしていたのか。
「……説明してくれ。疑うところがないのにどうして気をつける必要があるのだ。」
「簡単な事だよう。この報告に不自然な事はない。そして、これならばカイルの不自然さも全て解決し、説明できる。」
「そうだな、予想より呆気ないものだが。だが、それならば警戒する理由はないのではないか。」
頷きながらジャンが相槌を打つと、それを聞いたシグマの顔が少し暗くなる。
まるで苦いものでも無理やり噛んでいるかのような顔で、ジャンは思わず自分が何か失礼な事を言ったかと懸念になる。
だが、次に聞こえた言葉にそんな考えはすぐにでも頭から飛んでしまう。
「だからこそ気が向かないんだよう、これは。余りにも簡単かつ、すんなりと明かされて、まるで'どうよう、これで納得しただろう?'と言っているかのようだ。気に食わねぇ。」
「……罠だと、そう言いたいのか?」
「さてな、それはどうだか。」
全然考えなかった可能性に驚きながら聞くが、帰ってくる答えはまたも曖昧なものだった。
シグマはどこか気が抜けたかの様な表情になり、鼻で大きく息を吐く。
手を頭の後ろに組みながら、椅子の背もたれに背中を預けている姿はどこか悩んでいるかのようにも見え、または呆れているかのようにも見える。
「どうもハッキリしねぇんだよな、これが。今回のカイルの出方は何だか、どれもしっくり来る感じがいねぇ。根拠があるにはあるが、半分は只の勘だと言ったほうが正しいだろうよう。」
「根拠とは何だ。」
「大したこたはねえぜ?もしこれがブラフだとしたら、野郎がそれを気付くチャンスはあったかどうかという話なだけだ。」
「監視に気付いたと?カイルが?私たちの?」
ありえない。
いくら何でもそれはないとジャンは心の中から否定する。
【黒きサソリ】のメンバーは気が荒く、ジャンもうんざりするような無頼者達だが、その実力は確かだ。
他でもないジャン自身が育て、鍛えたとも言える。
そんな者達がいくらなんでもまだ十歳でしかない子供にすっかり尾行を気付かれるなど、決してありえない筈なのだ。
だが、しかし、続いて語るシグマはあくまでも平然な様子であった。
まるであの子供ならば、そのくらいはやっても当然だと思っているかのように。
「当たり前だろう?これがブラフなら、野郎はとっくにこっちの行動を読んでいて、対策としてこんな味な真似をしたって事だろうが。」
「……あいつが、本当にそれが出来ると。」
「ああ。俺の見る目が確かならな。野郎はそのくらいは充分に出来る野郎だ。実際、先程の報告書にもそうだと判断できる部分があったしよう。」
……一体、シグマはカイルをどんな風に見ているのだろうか。
今まで見てきた少年の人物相、判断が大きく揺れる。
自分の考えに確信を持てなくなる。
ジャン自身が見てきたカイルは至って平凡な、むしろ色々劣っている少年だった。
最近は賢くなったと言えど、以前からの評価を完全に反転させるほどでもない。
そもそも、どれだけ賢明でも只の子供なのだ。
プロの傭兵達の監視に素早く気付きそれを欺くなど可能な筈がないのに。
……それなのにも関わらず、シグマは至って当然の如く説明を続ける。
カイルという少年は充分にそれほどの能力があるという事を前提にして。
「まず、野郎がピエルと組んでいた事は間違いねぇ。それは報告書にも書かれていたしよう。だが、問題なのは野郎がそれを急に隠さなくなったという事だ。」
「隠さない……?」
「ああ、あの金の量、そして小屋という隠し場。あれらは間違いなく以前から用意した物だ。少なくともこの一週間で急に用意できるものじゃあねぇだろうよう。二人が共に行動したのなら、おそらく以前からの付き合いと見た方が納得しやすい。」
(よりにもよって、あの二人がねえぇ……。)
シグマの顔から一瞬、表情が消える。
奴らが隠していたという金と食糧、それがブラフという可能性よりも。
ピエルの方にカイルが加わったという事実がどうしても気になるのだ。
カイルはここから逃げ込む事だけに集中していたし、あのピエルという小僧の性格を見ると奴等は絶対に絡まないと見て、放っといておいたが。
どうやら、自分の認識が甘かったようだ。
もしも、カイルの厄介さを気付いて、あのピエルというガキが先に味方として誘ったのならばこれほど面倒くさいことはない。
もしそうなら、今よりも警戒度を上げるべきだろう。
(……胸糞悪い話だぜ。放置しても良しと考えた些細な塵共が、いつの間にか集まって目障りな染みになってやがる。)
「……重要なのは野郎共はグルだったという事だ。そして、それをここまでよく隠していた。ここまではわかるな、ジャン?」
「あ、ああ……。」
「だが、いきなり連中はそういうのを全然隠さなくなった。この一週間、時々あのガキ共はよく行動する姿を見れるようになった。なら、その関係を隠さなくなったタイミングは何時からか?」
「……私たちが、監視を付けた次の日。」
まるで操れるかのように呟きながら、ジャンはハッとする。
シグマが言っていたブラフの可能性。
その根拠とはどういう事か、若干見えたのである。
「まさか、監視に気付いたから?」
「ああ。監視か尾行を振り切る事は出来ないと見て、不必要な行動はしないようにした。そういう事だろうよ。俺なら演技をし続ける方を選ぶだろうが、それは方針の差だろうなぁ。野郎は演技をして誤魔化すよりも、それっぽい餌を投げてそこに追手共が群がるようにするのを良しとした。事実、なかなか悪くねえ話だしよう。的を射ってやがる。」
シグマ自身だったら監視に気付くと、直ぐ様、その人数と構成を把握して、わざと演技をしつつ間違った情報を流し相手を翻弄する方法を好むが。
今回のカイルが取った行動はそれとは違う印象を受ける。
如何にも自然で、だからこそ気になるやり方だ。
急にピエルとの関係を隠さなくなった事、そしてまるで見せ付けるかのような隠し場と莫大な金。
只の能力不足だからばれたとしては、これまでの一ヶ月をよく凌いだ事が説明出来ず。
同じく油断したからばれたとしては、今まで自分が観察して把握したカイルとの性格とは余りにも合わない。
ピエルの方が油断したと言うのならばわかる。
実際、ピエルの思惑に気付いた素振りは見せず、あの小僧の前ではずっと間抜けな姿を見せ続けて来たのだ。
ピエルが元々抱いている傭兵への嫌悪、軽蔑、侮りもあり、こいつは自分を低く見てるという確信がある。
だが、カイルは違う。
あの小僧はピエルとは全く違うのだ。
能力の話ではない。
'シグマ'という人間に対する評価、認識の話である。
あの黒髪の小僧は間違いなくシグマと言う男を強く警戒している。
その能力を正確に認識し、正面では倒せないと踏んで今まで演技をし続けてきた。
そのやり方、そして判断は間違っていない。
その用心深さと的確な眼目を気付いたからこそ、シグマは最近のカイルを高く評価している。
そんな奴がこの一週間でいきなり油断し、このように全てをさらけ出して、ばれたというのはどうも考え難い。
(……いや、認められない、が正しいか?もし、そうなら今までの評価が全て台無しになるからよう。)
「……だが、私はどうしても考えられない。一体、どうやって我らの監視に気付いたのだ。」
考えに耽けているシグマに対してジャンが戸惑いながら疑問を話す。
それは相手が子供という事実。
そして部下達の能力を知ってるからこその反応であり、ジャンの意地でもあった。
部下達の気性はともかく、彼らの能力、力には絶対的な自身があったのだ。
特に、この組織が成り立った時から、一から部下を鍛えていた者として、いくら何でもこうも容易く監視を見抜けられるという事実は信じがたいものがある。
もしかしたら、シグマが深読みすぎたのではないだろうか。
「それなら一つ、思い当たる事があってね。こればかりは俺のミスだと言わざるを得ねぇだろうよう。……ったく。ちょっと焦って隙を見せるたは、顔を上げない痛恨の大失敗ってもんだ。」
「どういう事だ?」
「こっちの話だよ。要は奴が充分に監視に気付くチャンスがあったってワケだ。心底ムカつくが、俺の犯したミスのせいでよう。」
「……。」
ジャンがジッと見つめてくるが、どうも詳しく話す気はないらしく、シグマは目を閉じてそのまま瞑想に浸る。
当然だ。
流石にこればかりは恥ずかしくて言えるはずがない。
今から一週ほど前、カイルが逃走してすぐ帰てきたあの日。
朝に奴の考えを探ろうと会話をした時、うっかり'昨日の夜'ついて聞いてしまったのだ。
その時は、どうしても奴の動きを理解できず、その事情を早く把握するべきと思うばかりでそう言ってしまったが。
後になって考えるとそれは明らかな失策だった。
余りにも露骨的だったのだ。
もしも、相手が注意深い性格の持ち主ならきっと警戒するに違いない。
そして厄介な事に、カイルこそまさしくそういった性格に当てはまる小僧であり、実際、その日からいきなり奴の動きが変わったのだ。
もしも、野郎が監視の可能性を思いつき、気付いたのなら、その原因は自分が焦った余り迂濶に話してしまったその発言のせいに違いない。
今となって思えば、あの時もう少し落ち着いて対応するべきだったと。
シグマは目を閉じたまま舌を打つ。
「……シグマ。お前は、ずっと可能性と言っているが。本当は確信しているのではないか。これはカイルの、あの少年のブラフに違いないと。」
「さあな。先も言ったが半分は勘みたいなもんだ。」
「私にはそれこそ、間違いないと言っているかのように聞こえるが……正直、信じられない。あの少年を少し過大評価してるのではないか。」
「そうかぁ?ま、他の視線から見ればそうも見えるか。ガキ一匹にうろうろする姿とは確かに無様すぎて話にもならんだろうよう。」
「いや。」
ジャンは少し口を閉じ、考えを纏める。
カイルという今まで注意深く見ていなかった少年。
気にも留めていなかった子供への認識が今、大きく変わろうとしている。
シグマの言うことを聞くと、その少年がどうにもその歳に合わない、尋常ならぬ者に見える。
それは確かに信じがたい事だ。
監視を真っ先に気付かれたことなど、今まで部下達を鍛えた身としては納得しかねない事である。
そしてこの報告が全て、あの少年が企んでいたブラフであり、監視の目を欺く為の囮だとしたら、それはもはや十歳の子供に出きるものではない。
それこそ天才の所業、戦場でずば抜けた能力をみせる人が為せる事なのだ。
今、ジャンは選択の岐路を目のあたりにしている。
今の言葉を信じるか否か。
シグマのこの意見を単なる深読みだと一蹴するか。
それとも、妥当なる読みだと認めるか。
とちらにも答えを出すには拒否感を感じ、信じられない事は同じだ。
だが、しかし、これらは以外と簡単な事でもある。
これらの選択肢を単純に纏めるとこうなるのだ。
即ち。
シグマと普段の常識。
果たして自分という人間はどちらを信じるべきかである。
「ふむ。」
迷いが消える。
今まで戸惑っていた困惑、懸念が腐蝕する。
考えてみれば今までもそうだった。
戦場でも、そして王族や貴族の前での交渉でも、シグマはいつも'勘'といいながら誰も考えないものを予測し、言い当てて来た。
ならば、今回も同じものであろう。
迷う必要などない。
これは'何'を信頼するかの話である。
そして、そういう主題であれば、ジャンという人物の中で答えは既に出されている。
八年前、この男に付いていくと決めたあの日から、ずっと。
「了解した。では、カイルへの警戒を最大にし、再び監視を付けよう。人選は私が直に選ぶ。お前が望むならば今度こそ、私が直接行ってもいいが。」
「……いいのか?」
シグマが閉じた目を再び開き、暗い目でジャンを睨む。
その言葉がどんな意味を含めての事なのかは、聞くまでもない。
「ああ。私はお前に付いていくのみだ。であらば、お前の懸念を少しでもなくさせる事が私の役目と言える。」
「そうかよ。そりゃ、また健気なこった。俺はどうやら良い部下を持ったらしい。これも俺という人間が持つ人徳のおかけかねぇ?」
「変人の周りには変人が集まるのが道理なだけだろう。」
「言ってくれるねぇ!!ハハハハハっ!!」
ジャンの一蹴に、シグマがようやく普段の余裕溢れる顔で爆笑する。
やはり、半分は勘といいつつ、カイルが何かを隠していると踏んでいたに違いない。
自分の答えに大変満足しているシグマを見ながら、ジャンはこれこそが正解だと確信する。
「いやあ、そう言ってくれるのはありがたいが、正直これ以上の監視はお薦めしないぜ。」
「どうしてだ?」
「これもまた単純な話でよう。俺達は良くも悪くも上に立っている者だからって話だ。」
その言葉を聞き、ジャンも薄々気付く。
瞬時に思い浮かぶのは、不満な顔をして自分の命令に不服しているかのような部下共の顔だった。
「成る程……。連中は納得しないか。」
「そういうこった。」
監視役として付けた部下達はこれで仕事は一段落したと思っている。
既にカイルの金に勝手に手を出すなと釘を打っているところなのだ。
今でも不満を感じているであろう部下達を、再び監視役として付けるのは少し考えを改めべきだ。
事情を話した所で部下達が真剣にカイルを監視するとも思えない。
ジャン自身ですら半信半疑だったのだ。
自分がこうして積極的にシグマの意見に賛同するのは、シグマへの信頼があるのが理由であって、他の部下達にそれを期待することはできないだろう。
「……それでも無理を言って監視をさせるのも可能ではあるが。」
「得策とは言えないな。わざとこんなブラフを用意したんだ。当然、本命は別のところに大事に隠しているだろうよう。なら後は長期戦になるのが必然……果たしてあの短気な間抜け共はそれをちゃんと我慢できるかねえぇ?」
「無理だな。この一ヶ月間の捜索すら目的を明かさず、ずっと働かせているのだ。もし、無理やりまた監視に回し、そっちも手ぶらで帰ってくる羽目になると溜まっていた不満が爆発するやもしれん。」
「おう、だから俺も言ったんだよう。カイルの野郎にとって、このブラフはなかなか悪くねぇ話だとな。組織の雰囲気をよく知っているからこそ、こっちがもっと強引に出れないだろうと踏んだんだろう。ったく、可愛いげのねえガキだぜ。明日の稽古は本気で揉んでやろうかね。」
「確かに、もしそこまで計算してこの計画を用意したならば、奴は只者ではない。お前が警戒する事も頷ける。正直、今だに信じられない気持ちはまだ残っているが。」
「そうか?俺は結構懐かしいぜ?まるで俺がまだ年若い、純粋な少年だった頃を見ているかのようでよう。いやあ~、昔を思い出すねえ~。」
ケラケラと笑いながら机の上に足を置いてグッタリと座っているあたり、かなり余裕があるように見える。
その姿を見ながら、改めてジャンはカイルという少年への評価を訂正する。
今の話が全て本当であり、あの少年がそこまで踏んでこの計画を立てたのなら決して子供だと油断できる相手ではないのだ。
【黒きサソリ】の監視にすぐにでも気付く敏感なる感覚。
その対策を瞬時に用意する機敏さと行動力。
そして裏の裏まで読み、自身に有利な状況を作ろうとする用意周到さまでも。
それを直ぐに気付くシグマもシグマだが、ここまで事を計画し、簡単に手を出せないように仕掛けたカイルもカイルだ。
これが素のカイルだとしたら、今までは全て演技という事になり、空恐ろしいくもある。
一体、あの子供は何時からこんな事を心の内に秘めながら、騙し続けていたのか。
「……四年前に出会したあの天才少女を思い出すな。子供でありながら、化け物だと感じられる腕利きはあの子だけだと思っていたが、やはり世界は広いらしい。」
「うん?ああ……、リディア革命戦争の事かぁ。そういや、いたな。可愛い顔して生意気だった小娘が。自分の部下になれと堂々と提案してきた時は笑えたぜ。確か、名前が……」
「シルバブラスク。イザベル・シルバブラスクだ。いくら何でもこの名は覚えておけ。今ではシルバブラスク家はリディア共和国で一、二を争う権力者の家門。そしてイザベルはそこの'裏の当主'と言われる天才だ。後で仕事関連で関わる事があるかもしれん。」
「ああ。そうだ、確かそういう名だったな。どうも興味ない奴の名前は覚え難いんでよう。で?あの小娘がカイルと互角と?」
「さて。それはどうかな。尋常ではない子供という点であの少女が思い浮かんだだけだ。」
「そうかい。ま、共和国で暮しているお姫様は置いておいて、問題はカイルだな。今は無理やり部下も動かせない。そして、俺やジャン、おめえが動くとしても、あのクソガキがそれを予想していない筈もない。もし直接手を出せば、野郎は隠していた牙を見せて、温存していた何かの策を使い、全力で突っ掛って来ると見た。」
「では、どうする。」
「さて……。いやはや、困ったもんだぜ。捜索の件で部下共の不満も溜まっているしよう。それさえなければいくらでも遣り様はあるんだが。」
シグマはニヤニヤしていた事をやめ、真剣に考え込む。
そんな彼に何か力にならないかとジャンもまた腕を組み考えるが、どうもこれだという考えはない。
シグマの言う通りなのだ。
カイルがシグマが思っている通りの人物ならば、このブラフで終わりな筈がない。
何かを隠しているかは知らないが、その本命を何としても秘匿して死守しようとするだろう。
これを如何にして暴き、正体をわかることができるのか。
この一ヶ月、捜索はずっと手ぶらであり、部下達の不満も段々と溜まっている。
自分達が直接出るならばカイルは警戒して反撃してくるだろうし、だからと言って部下達を動かせるには後の不安が残る。
となると。
「……シグマ。一つ、提案があるのだが。」
「提案?珍しいな、何だ。言ってみろ。」
「ああ、カイルが隠す事に関してだが、監視を付けるとして……。」
誰もが夢に浸っている深夜。
暗い部屋の中で二人の男が密かに密談を交わす。
その言葉と会話が窓や扉を通じて漏れることなどなく。
会話を聞けるものはもの語っている巨漢と、彼の相棒である鋭い印象の男のみ。
もしもこの光景をとある少年が見たら冷や汗をかいてヤバイと言う筈なのだが、ここには二人の傭兵以外には誰もなく。
結局、二人を除く誰も気付かないまま、とある少年を狙う計画は進み。
夜だけが更けるのみであった。
***
一度起きたことは、二度もあり得る。
その事実を俺は常に頭に入れて行動するようにしている。
だって、そうではないか。
物事は単純に見えながら複雑であり、もはや理解できないほどに難解に見えても、その本質は呆気ないほど簡単な事もある。
何かの出来事と直面した時、一目見ただけでどのような案件でどう解決するべきかを判断できるのは、いわゆる天才の領域だ。
俺はそんな才能溢れる者ではなく、只の凡才に過ぎない。
よって必然的に経験していない事、未知なる事件には直接ぶつかってみないとわからない。
そしてその際に俺の武器になり得るのが、今まで生きてきながら重なってきた数々の経験である。
始めての出来事であれば、以前に似たような経験からその成り行きを推測して対策を練る。
またも起きた出来事であれば、以前の経験を生かしよりベストな結果を目指す。
故に、俺はどんな事であれ経験というのを重んじるし、他人の人生と経験も出来る限り尊重しようとしている。
そういう積み重ねによって、より良き結果、良き自分になろうとするのは人間ならではの特徴なのだ。
だからこそ、俺は常に一度起きる事は二度もあり得るという事実を頭に入れながら生きているのである。
で、何で俺がこんな事を考えるかと言うと。
まさしくそれに当てはまる事態に、再び連れて来られてしまったからだ。
「では、今日の取り立てを開始する。明日の宴会は大規模で行う。各自、任された分は確り確保するように。」
青い空。
降り注ぐ熱い夏の太陽。
そして、高い山の傾斜面で出来ているが故に味わえる、どこか涼しくも熱い風。
今、俺がいるこの鉱山都市は鉱山のすぐ隣、激しい山の傾斜面の上に成り立っている。
そのせいで階段や傾斜が多く、今立っている場所でも下に山の絶景と共に色とりどりの建物たちがいっぱい見える。
もちろん、俺の上も同じ状況だ。
あらゆる色の建物たちで傾斜が彩っている。
日本で生きた頃にはよく見れない光景なので、始めてこの村の風景を見たときは新鮮な感じを受けたものだ。
外国の観光地に訪れているかのようで、こんな状況ながら心がちょっと浮き立ったりもしたのだ。
……うん、あくまで最初だけはね。
「ジャンの旦那!ってことは?久方ぶりに女共も来るという事ですかい?!」
「取り立てをする際に、この村の女も自由に持ち帰って良いと!?」
俺の隣に立っている五人の傭兵共、もといゴロツキ共が見るからに歓喜してジャンに怒涛の質問をとばす。
その内容は主に金と食糧以外にも女も攫っていいか、犯していいかなど頭おかしい内容しかいない。
通りで通りかかる村人達の目が痛い。
こちらを嫌悪し、同時に恐怖している視線だ。
……それもそうだろう。
バルティア要塞に泊まり込んでいる【黒きサソリ】。
その傭兵共がまたも近くの村に来ては、略奪と強奪を行おうとしているのだ。
このセピア島に駐屯するようになってから一ヶ月。
以前にも言った覚えがあるが【黒きサソリ】はここに留まりながら周りの村を襲い、食糧や金、物資を強奪している。
しかも、大勢が襲い掛かり一気に滅ぼすのではなく、村を制圧しては自分達に従うように脅迫し、周期ごとに物資を取り立てる方法を取っている。
以前は前者の方法をよく取っていたらしく。
ゴロツキ共の中ではどうしてわざわざこんな面倒くさい方法をとるのかと不満を零す人もいるが、シグマの目的を知っている俺としては、奴がこんな方法で物資を集めるのも頷ける。
何しろ、この島に来た理由はあの黒頭巾の一族を探すためなのだ。
その理由までは知らないが、目標が捜索であり、それが長期戦になる可能性がある以上。
村を滅ぼして全ての物資を奪うより、わざと生かしておきながら少しずつ奪うほうが長く維持できる。
勿論、この島の村の中では、反抗してきた所もあったが、その時のシグマの対策はマジで容赦などなく。
まるで見せしめにするかのように徹底的に滅ぼし、殺したものだ。
しかも、物資を奪うだけで終わらず、村人の死体達を隣近の村や、刃向かう村に送ったのだ。
反抗したらどうなるかと見せ付けるかのように。
その効果はまさしく覿面で。
結局、三つの村を滅ぼしてからは、反抗的な態度を取る村も消えてしまい、周期的に取り立てを行うようになった。
……ここまで説明すると理解できると思うが。
今日、この'マリアン村'に来てるのもその日課でもある取り立てのためである。
「女を無理やり攫う必要はない。既にシグマが明日の宴会の為に島の各所から若い女を用意している。今日はあくまで決められた分だけ取るように。」
「おおお!流石は旦那!話がわかりますぜ!!で?今回のノルマを達成してない家はぶっ殺していいんすかね?」
「ああ、構わん。殺るときは大通りで人を集めて殺るように。あくまで見せしめである事を忘れるな。」
俺が黙っている間、五人のゴロツキ共とジャンの間からとんでもない会話が聞こえる。
こうして取り立てに来る度に聞く言葉であるが、やはりいまだにこういう話に慣れないあたり、まだ俺の感性は正常と見ていいのだろうか。
チラッと周りをみると、村人達が俺達を恐る恐る見ながら、避けてばかりだ。
時には震えて泣き出す子供や、うら若い乙女を隠そうとする人々を見える。
……毎度の事ながら。
こうして取り立てに同行すると、改めて俺が悪役組織に転生したことを如実に自覚してしまう。
始めて取り立てに付いて行った時は、今でもハッキリ思い出せる。
日本では見れない異国的な町並みに感心して心が踊り、興奮したりしたが、それは最初だけだった。
周りからの軽蔑と恐怖の視線が酷かったのだ。
今まで感じた事のない憎しみと、露骨的な敵意にいても立ってもいられなくなるのは勿論。
あろう事か、取り立てのノルマを果たせなかった家の人を残酷に殺したりする姿をすぐ隣で見る羽目になったのだ。
泣き縋りながら助けてくれと叫ぶ人や、どうか殺さないでくれと嘆く家族を無惨に踏み付く姿まで見てからは、もう耐えきれず。
その日は要塞に帰った後、密かに吐いて悪夢までみたものだ。
「…………。」
「カイル。お前はいつも通り、帰る時までは自由にしていろ。」
「へ?」
嫌な記憶を思い出し吐気を覚えていると、いつの間にか、ゴロツキ共は解散して通りには俺とジャンだけが残っていた。
俺がついジャンを見上げると、彼は相も変わらず岩石のような表情で語る。
「回収した物資を持って帰る時までは自由にして構わないと言った。わかっていると思うが、ぐれぐれも【黒きサソリ】の名を汚すような真似は控えるように。」
「わ、わかりました!!お任せください!!」
ピシッと背筋を伸ばし敬礼しながら返事すると、ジャンは小さく頷いて去っていく。
俺は一応、まだ子供なのだ。
流石に取り立てをするように強要される事はなく、主に回収した物資を要塞まで運ぶ手伝いとして同行する場合が多い。
そして、先程も話したとおり。
始めて取り立てに同行してゴロツキ共の残忍なる光景を見てからは、これからは何とか帰る時までは自由に行動できないかとお願いしたのだ。
一つの村の取り立てが全部終わるには大体四時間から六時間はかかるので、それまでは俺は自由に行動できるという訳だ。
俺が今まで逃走用の物資とアイテムを集めたのは主にこういう時を利用していた。
……まあ、それにしても。
「……妙に素直だな。アイツら。」
足が早いのか、もう遠くへ行っているジャンの背を見ながら呟く。
おかしいものだ。
監視まで付かせる程なのだから、流石に今回の取り立ては自由行動を認めないと思っていたのだが。
もしや、この一週間にずっと用意していたブラフが通じたのだろうか。
だから、俺に関しての疑いも晴れて監視も解かれたと?
俺とピエルが力を合わせて用意した偽の地下倉庫に、侵入者が現われたのは昨日、既に確認しているからな。
今まではあくまで可能性としてか考えられず、半信半疑だったのだが、実際にあの小屋の地下に誰かが侵入したのだ。
やっぱり俺に監視が付かれていたと確認できたのは勿論のこと、あの監視役達が'本当の隠し通路'に気付いていない事もわかっている。
要塞から余り離れていない小屋。
その地下には子供がやっと入れるような空間があり、そこを通じてこの島全域に通じる巨大な地下通路に行けるのだが。
その入り口とも言える、小屋の地下空間に少し細工を加えたのだ。
地下通路に通じる道は事前に用意した板と煉瓦を使って隠し。
その空間に換気口みたいな抜け道はなどないと思わせる為、今まで貯めた金と食糧を全部置いておいた。
明かりはなく、子供がやっと入れる小さな空間。
板と黒い煉瓦で本来見える筈の細い抜け道を塞ぎ、金と食糧を如何にも大事に隠しているように置いておく。
当然ながら、真の抜け道に気付くはずもなく、あのゴロツキ共は小さい空間に置かれた箱を開け、その金の額を確認しては激怒し、同時に喜ぶ。
これが俺が隠していた秘密に間違いないと勘違いしては、俺に対して全てを知ったと自惚れるだろう。
そして、昨日ようやく、その地下空間に誰かが侵入した痕跡があって、本命の抜け道がばれた様子は全くなかったのだ。
普通に考えれば俺のブラフがちゃんと通じたと見るべきなんだが……
「うむむむ……」
どうもしっくり来ない。
上手く言ってよかったと言いたいが、本当に監視されていたとわかると正直怖くなるのだ。
本当にこれでシグマを騙せたのだろうか?
俺に対する疑いはちゃんと晴れたのだろうか?
まあ……最近のあのゴロツキ共の様子を見るに、あのブラフを見て尚これ以上監視を続けさせるのはシグマとしても毒でしかない筈。
だからこそ、この方法が上手く効くと思い用意したのだが、イマイチ手ごたえがない。
……ぶっちゃけ、不安なのだ。
あのシグマのスペックの高さを知っているからこそ、簡単に安心できない。
「まあ、ジャンはいつもの様に見えるし、多分大丈夫かな……?」
…………うん。
続けて考えを纏めたいが、いい加減移動するとしよう。
一人になった俺を見る目が余りにも冷たい。
この通りにいる人々は俺の顔をよく知っている。
この一ヶ月ずっとあのゴロツキ共について回ったガキなのだ。
あの【黒きサソリ】の者だと警戒され忌避されるのは勿論の事と言える。
流石にここまで悪意と敵意を感じられる視線を受けながら、思索に耽けるほど俺は図太い人間ではない。
心が硝子で出来ている、とても繊細な人間なのだ。
「……本屋にでも行くかな。」
近くの階段の方に向かい、下へと降りていく。
本屋はこの村でもかなり下のほうにあったはずだ。
ここ、'マリアン村'はバルティア要塞とはかなり近い村であり。
その分、取り立ての回数が一番多く、要塞の手入れの時には強制的に人力を徴集された場所でもある。
当然ながら、【黒きサソリ】に対する認識は最悪で、俺が時々運搬の手伝いとしてここに来た時もかなり険悪にされたものだ。
食糧を集めたり、逃走用の羅針盤を買ったり、物資を用意するにあたってこの村を一番多く利用したが、その度に態度や視線が余りにも険悪で、今にでも腹に包丁をブッ刺す気まんまの状態である。
その度に心の中では、何で俺をこんな状態に転生させたのかと神を恨んだものだ。
流石に何度も通って慣れた階段を下り、この鉱山都市で唯一ある本屋に着く。
俺がこの世界の字を勉強する為に各種の本を買う時、よく訪れた場所だ。
この島は文盲率が高いので、店は小さく、通う人も少ない。
ここの店主は腰が酷く曲がった老婆で、この村でも変人扱いされる人だった。
何よりも、一応【黒きサソリ】の所属である俺を見ても特別視しないあたり、確かに普通の人ではない。
「邪魔するぞ、ご老人。ちゃんと生きてるか?」
人の気配など全く感じ取れない扉を開き、昼とは思えない薄暗い本屋に入る。
小さな本屋は古い本ならではの湿っぽい臭いが満ちており、どうも廃墟みたいな印象を感じる。
「……またお主か、鵯っ子の小僧。その生意気な口癖はどうも治らぬようじゃな。」
「そう心にない言葉を吐くな。ずっと寂しがっていたのだろう?僕の来訪すらないと、人の足など通わない寂しい店なのだ。少しでも活気を与えてくれるお客に随分と失礼な態度だな、ご老人。」
「失礼とは儂ではなく、お主を指して言える言葉じゃろうに。相変わらず、可愛いげのない言い草よのう。傭兵とは全部そう偏屈だけなのかい?」
「さあな、僕は心清く、真っ当な人間なのだ。あまり参考にはならんだろうよ。」
「よく言うわい。お主が真っ当ならこの世界に戦争などなく、あのならず者共のような屑もいなかろうに。」
湿っぽい空間の一番奥底、小さな椅子に座っている鷲鼻の老婆が薄ら笑いを浮かべる。
ううん……、何回話しても変わった人だ。
見た目といい、性格といい、物言いといい、まるで物語に出てくる魔女、そのまんまなイメージで逆に安心する。
先ほど、この人は【黒きサソリ】である俺を特別視しないと言ったが、その実、相手が誰であろうと刺々しく悪口をする人である。
まるで自分の空間に入ってくるなと言うかのような態度で、本屋に入る度に'いらっしゃいませ'よりも'何で来たの?出ていけよ'という言葉を吐く人なのだ。
なら本屋など何でやってるのかの話だが、怖いからそれは言わない。
でもまあ、何だかんだと他の村人とは違い俺を平等に扱ってくれるので、この村では唯一安心できる場所でもある。
「……こう言っても出て行かぬか。その生意気な口といい、態度といい、本当にムカつく小僧よのう。諦めを知らぬようではいつか痛い目に合おうぞ。」
「それを言うのならあんだも同じだろう、ご老人。いい加減、僕が聞く耳を持たないと学習したらどうだ。まさか、歳が歳で新たな事を覚えないというのかな?」
「お主よりはちゃんとピンピンとしとるわ、鵯っ子め。今日は先約がおる。さっさと出て行かぬば面倒になるのはお主の方じゃ。」
如何にも魔女っぽい老婆は俺をチラッと見ては、膝に置かれていた厚い本に視線を移す。
どうやら、これ以上話す事はないと言うかのような態度だ。
「それは困るな。僕はお客だろう?店番もちゃんと出来ないろくでなしと言うのか、あんたは。」
「少なくとも口の聞き方がなっておらぬお主よりは真面よう。」
そりゃあ……うん。
こう生意気な態度を取る子供にいい印象を受けないのは当然だけど。
でも仕方かないのだ。
【黒きサソリ】の下っ端である子供が礼儀正しい態度を取れる筈もなく。
シグマやあのゴロツキ共に目を付けられるのも面倒なので、他所の人にはこういう演技をしなければならない。
だが、流石にこういった事情を話せる筈もなく、俺は敢えて強気に出る。
ここは何としても踏ん張り所なのだ。
この性格が歪んだ老婆は何だかんだと、結局ちゃんと本を売ってくれる人である。
だからこそ、ここの本で字を勉強できた訳だしね。
「本を探している。店の店主なら少しは手伝え。発声をする時の口の動き方や筋肉の動きなどに参考する事ができる本を探しているが、あるか?それと、余り難しい字はなく、子供が読む練習をする時に使えそうな物も。」
「……ほお、それはまた珍しい要求よのう。お主は、もう字を覚えたと知っておるが?どこに使う気じゃあ、そんなのを。」
「それを言う必要はないだろう。あんたは食材を買うとき、店主に作るおかずの内容や作り方を一々説明するのか?とんだご親切もあったものだ。何かの病気に違いないから早く医者にでも見せてみろ。」
「……減らず口は本当に一人前よのう。まあ、よい。興味が沸いた。少し待っとれい。」
椅子から立ち上がり、曲がった腰と震える足で何だか不安を感じさせる歩き方をしながら老婆が姿を消す。
暇になったので店の中を見回しながら、興味を引かれる本はないかと見ていると。
奥底の本棚から老婆が三つの本を持ち込んできた。
「ほれ、お探しの本じゃ。」
「助かる。ちょっと立ち読みしても?」
「駄目に決まっとるわい。金から寄越せ、前払いよう。」
「ケチ。」
本当に性格が歪んだお婆さんだな、この人は。
俺が演技をしているからこの口癖ではあるが、本来の礼儀正しい態度を取っても恐らくこの老婆は態度を変えないだろう。
流石、村で変人扱いのお婆さん、その異常さは伊達ではない。
「これでいいか?」
「……ふむ。確かに。しかし、やっぱり気になるのう。何じゃ、鵯っ子の小僧。お主、読唇術でも学ぶつもりかい?」
「一々そんなのを聞くな。今日は妙に口が多いな、あんた。やっぱり寂しかったか?」
自分でも何と礼儀知らずな言い方だと思うが、如何せん仕方がない。
こういう演技をし続けるのも慣れてきたし、帝国に行くとこういう演技ともさよならだから少しの辛抱だ。
金を払って譲り受けた本を少し読んでみる。
こんな所で突っ立っていないでさっさと出ろという無言の圧力を感じるが、そんなのは無視だ。
俺が探し求めた本でないなら返金しないといけないのだ。
絶対してやらないと言うだろうが、必ず返金してやる。
今回、監視の目を誤魔化す為、かなりの金を囮に使ったので金銭的にちょっとキツイんだぞ、マジで。
だが、そんな心配は杞憂に過ぎず、幸いにして、本の内容は俺が求めるものだった。
最近、本格的にシルフィの発音練習を始めたが、単純にそれは違うと言うのでは限界があると感じたのだ。
正しい発音をする時の口の動きや、それに参考できる資料があれば練習の精度も上がるはずだ。
「……悪くないな。失礼した、また来るとしよう。」
「二度と来なくてよいわ、生意気な鵯っ子めが。」
いや、それだとどうやって店を運営するのですかね、この人。
毎度ここに来る度にそう聞きたい気持ちが満タンなのだが、流石に素の部分を見せる事もできず肩だけをそびやかし、店を出ようとする。
最近のシルフィの発音は練習の成果が有ったか、段々良くなっている。
これで練習になお、拍車をかける事になると良いのだが。
そう思い、出入り口の扉を開き、外に出た直後だった。
「いたっ!!」
「おっと?!」
丁度、この中に入ろうとする人とぶつかってしまう。
持っていた本が周りにばら蒔きながら、少し体が蹌踉めく。
何とか均衡を保てて倒れずに済んだが、相手は見事に尻餅をついてしまった。
「ちょっ!大丈……あ、ごほんごほん!」
「え!?」
ウッカリ素の方が出ようとするので直ぐに口を閉ざす。
ちょっと空咳をしながら見ると、俺の前で倒れているのはとても小さい女の子だった。
年端もいかなく見えるし、まだ幼いシルフィやピエル、そして今の俺よりも遥かに年下と思われる。
ざっと見て大体五歳か、六歳というどころか?
尻餅をついたまま、俺を見上げてる表情はすっかり怖じけているし、ガタガタと震えている。
どうやら、俺が誰なのか知っているようだ。
……まあ、この村は近いせいか頻繁に来てるし、俺を見て'あの人には近づくと駄目!'と親に言われたのだろう。
心底、悲しくなり、出来れば怪我はしていないか見てやりたいが、そうも行かないのが現状というものだ。
この村には今も一緒に来たゴロツキ共がいるのだし、普段と違う行動を見せる訳にもいかない。
シグマに監視まで付けられ、注目されているのだ。
カイルの様子がおかしいという話がシグマの耳にいつ届くか、わかったものじゃない。
故に、深呼吸をしながら心を鬼にする。
この子供には本当に申し訳ないが、少しだけ怖い思いをさせる事になる。
今の立場に本当に泣きたい思いだが致し方なく。
俺は思いっきり怒鳴り出した。
「テメエ!!一体、何様のつもりだ!僕が誰だがわかっているのか?!あん?!」
「ひっ!」
「ひっ、じゃねんぇんだよう!!この本、一体どうしてくれるんだ!?テメエが弁償してくれるのか?あん!?」
威嚇的に強く地面を足で叩きながら脅迫するゴロツキと。
見事に怯えて涙目でガタガタ震えている小さい子。
うん、見事だ。
俺が考えても本当にどうしようもない屑で、見事な三下っぷりだと思う。
本なんか別に水溜まりに落ちた訳でもないのに、子供に弁償しろうと怒鳴るあたり、理不尽さが半端ない。
「ご、ご、ごめんな……」
「あああ!?何言ってのか、全然聞こえねえんだろが!テメエはちゃんと喋る事も出来ねえのかよう?」
「ひくっ……!」
「チッ、ああ~、こりゃどうすればいいのかねぇ~。おい、テメエの親を呼んでこいよう。この本、汚したからちゃんと弁償しねえとな。」
ここまでくると小さい子がしくしくと泣き始める。
親を呼んで来いと言われたのが、よっぽど怖かったのだろう。
大した事でもないのに、こんな小さい子にここまでやるとは。
ホントどうしようもないクソ野郎だな。
手のつけようがないとはまさにこの事だ。
一体どこの誰だか知らないけど、地も涙もない外道に違いない。
…………うん、まあ、俺だけど。
「チッ、クソが。泣けば全部解決すると思うか?お目出度いガキだな。」
舌打をしながら周りを見回す。
そうすると、一体何事かと大人達が見に来ているのが見える。
数は四人ほどだが、誰も助けに来たりはしない。
心配する顔ではあるが、俺が誰なのかを知っているからこそ、手を出せずにいるのだろう。
俺と目が合うとむしろビクビクしながら逃げる人もいる。
(……まあ、流石にここまですると大丈夫かな。)
演技をしなかったらこの人達に素の俺を目撃されたであろう。
本当に心が痛むが、そればかりは避けないといけないのだ。
シグマがどこまで把握しているかもわからないのに、疑いを強くさせる行動はあまりしたくない。
ここまで目撃者を作ったのなら、後でこの騒ぎをジャンやゴロツキがわかっても不思議がったりはしないだろうからな。
後は……。
'ケッ!クソが。泣くばかりで話にもならねぇじゃねえか。興が冷めたぜ。いいか、後でまた僕の邪魔をしてみろ、そん時はぶっ殺してやるぜ。'
うん、まあ、こんな事を言って適当に本を拾って、退散すると全部終わりかな。
せめて殴ったり、蹴ったりなどせず、直接手を出さずに済ませたい。
この子には本当にすまないと思うが、どうか許して欲しいものだ。
……本当、どうして俺はこんな状態に転生してしまったのか。
「ケッ!クソが。泣くばかりで話にもならねぇじゃねえか。興が冷めたぜ。」
地面に唾を吐きながらわざとそんな言葉を大きく話す。
それで何とか俺が引く気だと悟ったのか、まだ残っている大人達が安堵のため息を吐く姿がチラチラ見える。
どうして誰も助けに来ないのかという考えもあるにはあるが、仕方かないものだ。
【黒きサソリ】に反抗的な態度を見せた村は既に三つも滅ぼされて、その無惨な死体をここにいる彼らも見せしめとして見てしまったのだ。
いくら子供で、三下みたいなセリフを吐こうと簡単に止めに入る事はできないだろう。
だからこそ、ここで俺さえ引いてしまえば事は丸く収まる。
流石にこの状況で止めに入る人もいないだろうからな。
もし、そんな人がいたら、それは物語の主人公ならみにお人好しか、馬鹿に違いない。
何故か、主人公達ってこんな状況を見過ごせず、
'やめろ!か弱い人に何て事をするんだ!'と言ってくるんだようね。
「やめてください!!その子が何をしたと言うのですか!!」
うん、うん。
まさにこんな風に止めに入ってくるあたり、本当にお前らは正義の味方かようと……
「……へ?」
「お姉ちゃん……!」
思いも寄らぬ事態に一瞬、ボッとしてしまう。
その間、誰もが怯え固まっている中、唯一、走ってきては小さい女の子と俺の間に割って入る人がいる。
流れるような黒髪が風にはためく。
端整な顔つきと共に力強い意志を感じる黄金の瞳が見える。
まだ子供なのにも関わらず、美しくも艶やかな顔からは、どんな事態であろうと決して引かないという真っ直ぐで、健気な意志を感じられる。
その美麗なる顔立ちも顔立ちだが、他の何よりも、気強い気質がビシビシに伝わってくる迫力が目の前の子が決して普通の子供ではないと悟らせる。
何しろ、この事態。
大人の誰もが見て見ぬ振りをする中、何の戸惑いなく現われ、それを止めようとするのだ。
その差出がましい程のお人好しさ。
しかも、どんな事態であろうと決して引こうとしない気強さを備えた少女は、尻餅をついている子を庇うかのように立ち、真っ直ぐ俺を睨んでくる。
「もうやめてください。この子が怯えています。ここまでする理由はないでしょう。」
聞こえてくるのは子供とは思えないほどに清雅で、清らかな音色。
よく整えている顔立ちと合わせて上品さが感じられ、大きくなれば必ずや絶世の美女になるとわかる優美さがある。
腰にまで来るほど長い滝のような黒髪もあり。
見た目だけをみると、どう見ても貞淑で淑やかな美少女という感じだが。
……目が違う。
ハッキリとわかる。
この子は決して口数が少なく、揉め事が起きると黙って口を閉ざすタイプではない。
この先に苦難があれば、それを避けずに突破する。
涙も流し、辛い思いに苦しんだりもするが、決してそれに屈せず勝利をもぎ取る。
どんな苦行、逆境にも目は絶対に死なず、自分が置かれた現状を必ず打破して見せる。
大人しく見えるのは見た目だけで、その実、折れることを知らない強い女。
それこそが、今俺の前に立っているこの黒髪の美少女の正体であり。
生来の気質、生き方であると俺は知っている。
……そう、知っているのだ。
この優美なる美貌も。
あの夜空の煌めきのような黒髪も。
子供とは思えないほどに強い意志を感じられる黄金の瞳も。
俺は全部、ハッキリと覚えている。
忘れる筈がない。
(……何でだよう)
一度起きたことは、二度もあり得る。
先ほど、俺は現実逃避しながらそう考えていたっけか。
確かに俺はそうは言ったけれど、そしてその状況を頭に入れて行動するようにしているけれど。
それでも、流石にこの状況はないだろうが。
ふざけているのか?
神とやらは俺に一体何のご不満があるというのだ?
俺を弄ぶのはそんなに楽しいのだろうか?
……吐気がする。
今でも頭が割れそうな頭痛を感じる。
本来、絶対出会う気など無かった隠しボス、シルフィを預かって一週間ほど。
まさか、あの時の状況とほぼ変わらない事態が再来と来た。
これは最早呪いか、露骨的な嫌がらせではないと説明にならない。
「君は……。」
今でも喉から反吐を出したくなるのを堪え、何とか口を動かす。
それを聞いた長い黒髪の少女は静かに俺を見つめる。
余りにも見慣れた顔と目付き。
しかし、それは今、明確に'敵'を見る容赦のない視線になっている。
「……アリシアです。名字などない、だだのアリシアといいます。」
それはここに転生してからずっと忘れずにいた言葉。
一番最初に思い出し、そして絶対関わらないと決めた人物の名。
理不尽な事態に陥ってもそれに屈しない不屈の精神で数々の出来事を打破し、イケ面達の愛と輝かしい未来を掴み取る人。
【黒きサソリ】に転生した俺にとって、もっとも忌避し、避けるべき女。
アリシア。
今はまだ只のアリシアというが、遠くない未来では'王女 アリシア'と呼ばれるようになるだろう。
そう、それこそ、【硝子の夜明け】という乙女ゲームの女主人公が持つデフォルト名であり。
悪役雑魚に転生した俺としては決して会いたくなかった、天敵と言える少女の名前なのだから。
「…………あ、吐きそう。」
オワタ。