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転生した俺は乙女ゲーの隠しボスだった女の子を預かる。  作者: イオナ
一章. 10才、セピア島編
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8. 思惑は交差する。

【黒きサソリ】の日程は荒い気質の無頼漢達が集めているとは思えないほど確り決められ、厳しく管理されている。


朝早くから起きて点呼をとり、人員を確認してからは直ぐ朝の鍛練を始め。

戦争や略奪をやる予定がないのなら、午前は周りの見回りか陣地の補強、または修復作業。

午後は主にモンスター狩りをしながら実戦を想定しての訓練や模擬戦を行う。


ほぼ軍隊と変わらない日程は全てシグマが考えた事であり、右腕である副団長のジャンが直接取り絞めながら【黒きサソリ】の一日は回っている。


単純に訓練の強度のみならず、実生活に関しても色々と厳格な規律が多い。

他の傭兵団とは一味違う厳しい取り決まりや訓練に不満を抱く者も当然いるにはいるが、シグマやジャンに敵う筈もなく。

この生活があってこそ、【黒きサソリ】の練度は高いと有名で飯や金に困る事もない。

それに時々、シグマが宴会を開けストレスを発散させてくれるので本格的に反乱が起きるとかは今まで一度もなかった。


まさしくシグマの狙いがそれだったと言える。

無理やりルールに従わせるだけでは、いずれかは溜まっていた不満が爆発するに違いない。

犬を調練するためには適切に餌をくれる必要があるのだ。


たまに開けてくれる宴会もその一環であり、宴会があった次の日には午前の日程を休息と自律行動にしている。

言わば、この組織だけにある休日だ。


そしてそれは団長であるシグマも例外ではなく、午前9時を過ぎてからやっと起きた次第なのであった。


「ふああああ~~……ううむ。ったく、頭がズキズキしやがる。昨日はちょっと飲みすぎたかぁ?」


要塞の廊下を歩きながら大きな欠伸をする。

普段ならば朝の訓練をする部下達の声が近い方のグラウンドから聞こえる筈だが、昨日の宴会もあり今日は昼間まで自由時間だ。

当然、要塞の中は静けさに満ちてあり、誰にも邪魔されず思索に耽ける。


(昼あたりからまた半分を捜索に出すとして、残りは軽く体を解す意味で謀議戦ぐらいが妥当か?いや、その前に飲み水を調達するべきか。)


確か、昨日の宴会で酒や食糧だけでなく水も結構飲み干したはず。

食糧や酒は近くの村から持ってきてあるから充分にあるのだが、水は違う。

そればかりは近くの井戸から毎朝、水を汲み上げているのだ。


普段ならば下っ端であるカイルが一番早起きして一日分の水を調達してくるのだが、これから暫くはそれも期待できないだろう。

今日の訓練の後に部下共に水を飲ませるためには今のうちに水を汲む必要がある。


「やれやれ、あのクソガキめ、早く帰ってくるといいんだがねえぇ。今はどの辺まで行ったのやら。」


まだ酒気が残っているのか愉快な気分になり、シグマはニヤニヤとする。


カイルがコソコソと逃走を計らっているのは予め気付いていた。

この島にある港町は北に二つで南に三つ。

その中でカイルは果たしてどこを目的地にしたのか、ちょっと興味がある。


もしも追手を警戒するのなら南の方へ。

速戦即決と素早く事を済ませると決めたなら北の港へ向かうはず。


まだ二日酔いが残っている脳を覚ますために、シグマは軽く謎なぞを解こうと考えに耽け。


「……ふむ。南かな?」


五秒もかからず即断する。


最近のカイルを注意深く観察してきたからわかる。

あのガキはかなり慎重で、綿密に事を企んでから挑むタイプだ。

即興的に大きな賭けを挑むよりも、自分に本当に勝算があるかを計算し、その確率を少しでも引き上げてから戦いの場に出るタイプと言える。


ならば、きっと追手がありうると警戒するに違いない。

子供が一日に行ける距離、速度は限られているのだ。

大人の、しかも【黒きサソリ】の足の早さを考えると、北にある港にすぐ向かうという賭けはカイルの性格上、選ばない可能性が大きい。


だが、そうなってしまうとガキがたった一人で夜中に山脈を越え、南に行くという事になってしまうが……。


まあ、あのカイルだ。

きっと、何かの対策を用意してあるに違いない。

そこまで計画を立てておきながらモンスター対策を疎かにするはずもない。


(……俺も結構あのガキを高く評価するものだな、ったく。)


自分でも驚くような高評価につい苦笑いをしてしまう。

冷静に考えると、あんな小さいガキがモンスターが集まっている山脈を夜に越えるなど、決してあり得ない筈なのに。

もしかしたらと思ってしまうあたり、随分と高く見ているようだ。


「ま、これで懲りたら大人しく従うようになって欲しいもんだぜ。」


どの道、カイルは帰りざるを得ない。

どんな港町に行こうとこの島の港から出るのは不可能なのだ。


もし、奴が北ではなく南の港に向かったのならどれだけ早くても帰ってくるのに1週はかかるだろう。

それまでの雑用はあのピエルという灰色のガキと手が余っている部下共にさせるしかなさそうだ。


「おっ。」


「ういっス……いい朝ですぜ、シグマの旦那。」


丁度、廊下の向こうから部下二人が歩いてきているのが見える。

まだ二日酔いが残ってるらしく、顔色は悪いし声にも力がない。


だがそれに気を使い、構ってやるシグマではなかった。


「おう、ちょうどいいや。おい、おめえら。ちょっと近くの井戸に行ってこい。今日分の水が必要なんだよ。」


「えええぇぇ……朝っぱらからそれはねえですぜい、旦那。人使いが荒いったらねえ。」


「そうっすよ。それはカイルの奴に任せればいいじゃないっすか。ちょっとは休ませてくださいよ~。」


「ゴチャゴチャ言ってないでさっさと行ってこい、間抜け共が。そのカイルがねえからおめえらに頼んでいるのだろうが。アイツは暫くここにいねぇんだよ。俺が個人的に仕事を任せて外に出しているからな。」


「「はあ?」」


部下達はお互いに視線を交差する。

全然予想もしなかったことを聞くと当然出てくる反応だ。

カイルがいきなりここにいないと言われるとそういう反応もするだろう。


……だが、おかしい。

それだけにしては、二人の視線から感じる戸惑いは少し違うと感じてしまう。

このボンクラ共は一体何に驚いているのか。


「どうした?何かあんのか?」


「いや、何かあるのかと聞きましてもさぁ……」


「何かの間違いではないんすか、旦那?」


「そりゃあどういう意味だ。わかるように言え、間抜けが。」


中々思い当たる事がなく、シグマが少し苛つきを覚える時だった。

次に聞こえた言葉を聞き、一瞬、シグマの顔が一気に冷たくなる。


「いや、だからカイルの野郎なら今、裏の訓練場にいますぜ?」


「……何だと?」



***



「シグマ、ちょうどよかった。探していたぞ。今日の午後に捜索隊として編成する人員なのだが……」


バルティア要塞、その裏の方面にある第三訓練場へと通じる廊下。

まだ寝ているのが殆んどの部下とは違い、朝早くから仕事に耽けていた巨漢、ジャンは向こう側から歩いてくる男を見て話掛ける。


人員の配置などを悩んでいたのだ。

今回の獲物、'深き森の一族'の捜索は難航だと言いざるを得ない。

シグマががどうしても奴らを一足早く探す必要があると言った以上、今は訓練よりも捜索を優先すべきなのだが、いい加減持っている情報が少ないのだ。


奴らが飼い慣らしている魔獣達が頻繁に襲ってきて邪魔するのはもちろん、何の理由か連中のアジトも特定出来ない状態だ。

このままでは今日の捜索も大した成果は得られない可能性が大きいだろう。

昨日のキメラみたいにまた、あの一族の使い魔が襲ってくる事もあり得る。


だからこそ、ここに残す数と捜索隊に誰を配置するべきか決められずにいて。

こうして朝からシグマと出会す事を良しとし、直ぐ話かけたのだが。


「ジャン。カイルの奴は何処だ?」


ジャンの期待とは裏腹に、シグマが出した言葉は先ほどの質問とは全然違う話題だった。


「カイル?そいつなら訓練場にいるが。武器の手入れを任せて来たところだ。」


「そうか。」


「……どうした、浮かない顔だが。」


「いや?俺は至って普通だぜ?ま、ちょっと気になる事があるにはあるがよ。悪いが話は後でしてくれ。」


それだけ言い残し、シグマは急ぐ足で廊下を突っ切ってゆく。

いつも通りと言っているが、見るからにそうではないのがわかる。


……妙な話だ。

ジャンは岩のような顔を顰め考える。

何時も平然を気取っているシグマがあれほどまで苛立っているのは珍しい。


何しろ、彼とは長い付き合いだ。

この【黒きサソリ】という組織が出来る前から共に行動していたのだ。

シグマがあんな反応を見せる時は大抵どんな時だったか、ジャンはよく知っている。


「ふむ。」


実に良くないと判断し、頭に浮かんでいた問題を後回しにしてジャンは先に行ったシグマの後を追う。


シグマがああして何かを警戒する時は、大体何か悪いことが起きる。

シグマが企んでいた計画、または指揮している戦争で番狂わせが起きる場合が多かったのだ。


普段は傲慢に見えるほどに余裕溢れているのがあの男だ。

そんな男が一瞬でも顔を歪め悩むのなら、その理由は何らかの厄介事に成り得る案件が殆んどだった。


その当時には理解できずとも、時間が経った後で、あの時心底気に入らない顔をした理由がそれだったのかと驚いた経験はもはや数える事も出来ない。

それを予測できたからこその苛立ち、あの態度なのだろう。


しかし、何故、よりにもよってカイルを探しながらあんな反応を見せるのか?

その理由はわからずとも、きっと何かあるのは間違いない。


ならば、奴に付いていくと決めた自分としてはそれに合わせて行動を取るのみである。


「よう、カイル!朝から元気にやってるな。朝っぱらから休まず武器弄りか?」


「あ、お頭!!おはようこざいますっ!昨日は有り難うございました!!」


だが、ジャンが訓練場に着いて見た光景は、腹を括る覚悟をしたのが恥ずかしくなるほど呆気ないものだった。


この要塞が古いせいか倉庫が全て潰れていた為、その代わりに武器保管の場として活用している小さいグラウンド。

その隅っこで剣や斧、槍などを整理していたカイルが後で訪れたシグマと楽しげに会話をしている。


シグマは普段通りの呑気な態度で、そんなシグマを憧れるが如く目を輝ける少年。

どう見てもつい先まで予測していた深刻な雰囲気とはまるで違う様子だ。

むしろ、平和に見える風景で気が抜けてしまう。


「やっぱ、お頭は強いっす!僕、凄く感激しました!」


「ったりめだろうが、間抜け。おめえのようなチビッコにやられるようじゃあ、傭兵なんかすぐ引退してるわ。」


……自分の考えすぎなのだろうか。

砥石と武器達を横に置いたまま二人は何気ない朝の会話を交わす。


その光景は普段通りというか、むしろ仲がいいように見えるのでそれはそれで驚きだとジャンは密かに考えた。

昨日の宴会の時でも語ったが、どうやらシグマは今のカイルを本当に気に入っているらしい。


(ならば、これからは雑用だけでなく組織の管理に関しても仕事をさせるべきか。)


それも悪くないとジャンは一人で頷く。


最近のカイルは見るからに賢くなっている。

こちらが多くを語らずともその意図や思惑を理解し、直ぐにそれに合わせて行動ができるようになっているのだ。


それは副団長として部下達の管理を直接預かっているジャンとしては実にありがたい事だった。

話がわかる有能な人材はどれほどいても困らない。

しかも、そのような系統の人材は、戦闘や戦いしか頭にない奴らが多いこの傭兵団では数少ないものと言える。


もしかしたら、シグマはそこに目をつけて気に入ったのかも知れない。

これから自分達がやる事を考えれば今から重要になるのは、戦闘が上手い部下ではなく行政、経済、法律、運営など今までとは全く違う部類で有能な部下なのだ。


身体強化も儘ならないカイルは傭兵としては使い道がないが、その方面でなら才能があるやも知れん。

何しろあの歳であの賢さだ、よく教えれば将来を期待できる。


……そうなるといつまでも他の部下達と一緒に居させるのも悪いか。

この島を離れ王国本土に戻ると、コネがある商人の元へ派遣し本格的に学ばせるべきだろう。


「で、こういう風にするとなお磨きがかかるってわけよ。」


「さすがお頭っす!勉強になりますよ!」


いつの間にか並んで座っては砥石で武器を磨いている二人を見てジャンは鼻で笑い、入り口で静かに見守る。

シグマが何かを懸念していたのではないかと考えたのは完全に思い違いだったらしく。

他愛のない話をする二人は歳が離れた叔父と甥を見てるかのようだ。


「そういや、カイル。お前、体の調子はどうだ?昨日、始めて稽古をやっただろう。もしかして痛みのせいで満足に寝れなかったんじゃねぇか?」


「大丈夫っすよ!確に所々が痛みますけどこれぐらいはヘッチャラっす!」


「そうか、そうか!そりゃ健気なこった。だが、無茶はしないほうがいいぜ。おめえはまだガキだからよう。傷が痛む時は夜風に当たるのも悪かねぇ。ちょっとは気分を切り替えるし、痛みも誤魔化せる。そういう時に限って色々考えがよく纏まるからお薦めするぜ。」


「お頭も大怪我する時があるんすか?」


「当たり前だろうが、なに馬鹿なことを抜かしやがる。戦いに傷は常に付き物で、負傷など負わない奴こそがおかしいもんだ。確かに負傷を負わないように振る舞うのは可能だが、それだとどうしても戦場で選べる選択肢が減ってしまう。何事も得るためには犠牲も考えないとよう。」


「…………成る程。」


「で、俺も傷を負う時はよく夜に風を当るって事よ。その意味でも昨日の夜は別格だったな。カイル、おめえも見ただろう?昨日の月、満月で見応えあったぜ。」


「あ、いやあ……すみません。僕はあの後、寝込んでしまって……。」


「そうかぁ~?おかしいな。テメエの様子を見ようとその後、ちょっと部屋を覗きに行ったがその時には確か誰もいなかった筈だが。」


「えっ、そうだったんですか?!全然知りませんでした……。僕は朝早くから色々やる事が多いんで……井戸から水を汲む必要があるし、先輩方の武器の手入れや服の洗濯とかありますからね。寝る前にちょっと明日の下準備をしようと席を外した時があったから、多分、お頭が訪れたのはその時ではないでしょうか。」


「ふうん……そりゃタイミングが悪かったな。ついでに色々アドバイスをしてやるつもりだったんだがよう。ま、次も稽古してやるからその時に話すか。」


「えっ!?また稽古してぐださるんですか?!」


(ほお。)


何気ない会話を聞いている内に気になることが聞こえ、ジャンは小さく驚く。

まさか、またカイルと稽古をしてやると言い出すとは。

どうやら、本気であの少年を鍛えるつもりらしい。


そしてその驚きはカイルも同じらしく、今までで一番驚くような仕草で驚愕している。

そんなカイルの反応が面白いのか、シグマが悪戯っぽく笑って見せた。


「何だ、何だ?その変な反応は。嬉しくねぇのか、うん?」


「そ、そんなワケないじゃないですか!嬉しいですよ!何時やってくださるんでしょうか!」


「おっ!やる気満々だな!いいぜ、ガキはそういう風に根性を見せねえとならねぇ。ふむ、そうだな……暫くは暇そうだし、これから毎日、夕食を食った後でもしてやるわ。」


「ま、毎日……。」


カイルが驚いた顔でそのまま固まってしまう。

そこまで感激しているのだろうか。

シグマに憧れてるのだからわからない事もないが、流石に大げさではないかとジャンは思う。


「じゃあ、そういう事で。武器の手入れ、適当に気張れよ~。地味だが重要な仕事だからよう。」


「は、はいっ!ありがどうこざいました、お頭!」


直ぐ様立ち上がり、深く腰をかがめて挨拶するカイル。

そんな少年の方に振り向きもせず、シグマは手だけひらひらと振るい去っていく。


結局、何事もなく日常的な会話だけをしてくるシグマを入り口で待ち、一緒に訓練場を去る。


どうやら昨日の稽古の後、カイルの状態を気にしていただけらしい。

自分の思い違いという結論に、内心恥ずかしさを感じながらジャンがため息を吐く時だった。


「なあ、ジャン。」


「うむ。」


廊下を歩きながらシグマが話しかけてくる。

何事かと思い答えるとシグマは世間話をするかのように軽い口調で話す。


「昨日、お前。確かカイルの奴を監視するかどうかと言っていったけか?」


「ああ、そうだったが。その必要はないと言っただろう。」


いきなり何の話題を持ち出してくるのだろうか。

中々シグマの考えを読めず戸惑いながら答えると。


次の瞬間。


精神が引き締まるような冷たい声が聞こえた。


「予定が変わった。今日捜索に出す予定だった人員の内、耳がいい奴と足が早い奴、それと斥候に長けた奴を選んで監視に回せろ。カイルの行動、接触する人、行き先。何でもいい。とにかく密かに付きまとって詳しく調べやがれ。」


「……理由を聞いても?」


「野郎は警戒すべき、そう判断した。」


「わかった。すぐ手配しよう。」


それだけで短い会話が終わる。


シグマは何時ものヘラヘラしている顔ではなく、完全な無表情になっている。

それこそ彼が真剣になっている証だと知っているジャンは、これ以上深くは聞かない。


先ほどまでカイルと交わした言葉、仕草はすべで演技だったのか。

一体、あの子供の何を警戒しているのか理解できない事が多いけれど。


この瞬間、ジャンが思うのはやっぱりシグマに関しての自分の考えは正しかったという事だった。


「やれやれ、こういう時に頭を使う案件が増えやがるとは、面倒くさいもんだぜ、ったくよう。」


「だがお前がそこまで警戒する程なのだ。それはつまり、奴には使い道があるという事の証明だろう。」


「ハッ!違いねぇ。」


廊下の向こう先に、そろそろ二日酔いから覚めて起床した部下達が欠伸をしながら歩いてくるのが見える。

それを見て冷たく凍っていたシグマの顔が、普段の呑気な顔に戻る。


再びあの無頼者達のリーダとして振る舞おうとする直前。

シグマは狼のように荒々しい笑みを浮かべ小さく呟くのだった。


「さて……、一体何を企んでいるのか、お手並み拝見といこうかねぇ。」



***



「……シグマにばれたかも知れないと?」


再び訪れた夜時間。


隠し家として使っている洞穴の中で作業をしている途中。

今日あった出来事の情報を交換しているとピエルが案の定、そこに反応して見せる。


「まあ、あくまでそういう可能性があるかもという事だよ。だから、こうして……おっとと、シルフィ、その辺りしっかり捕まっていてね。」


「うん。」


大きな板材を真っ二つにひき切ろうと、のこぎりを持って来たのはいいが、子供の体なのでちょっと扱い辛い。

どうしても板材が揺れたり、滑りだしたりするのでシルフィが隣で板の端っ子を確り掴んでくれないとどうも駄目っぽいのだ。


「警戒しすぎではないか。今聞いた話では奴が気付いたと判断するのは難しいと思うが。」


何とか板の中央の方にのこぎりを当てようとすると、そんな俺とシルフィの様子を見ながらピエルが話す。

先ほど聞かせたシグマとの会話を思い返しても、その深刻さがわからないらしい。


「確に普通に聞けば只の世間話にしか聞こえないだろうけどな。アイツ、何気なくこっちを試すような事を言い出したんだよ。」


「試す?」


「ああ、昨日の夜、俺の部屋に訪れた事があると言ったのがそうだ。」


今でも今朝の事を思い出すと頭が痛くなる。

ピエルと一緒に要塞に戻った後、何とか傷の手当てを受け、下っ端としての仕事をこなしていたが、突然シグマの方から接近して来たのだ。


アイツは昨日の稽古もあったから俺の様子を見に来たと宣ったが、それにしてはその会話は余りにも不自然すぎる。


「……君の部屋に訪れたというのは、あくまで探りを入れる為だと?」


「ああ、ほぼ間違いない。お前ももう知っているように、俺はずっと以前から逃げ出す用意をしていたんだからな。誰かが俺の部屋にコッソリ入って来ないか警戒していたんだよう。そうだろう?もしも、誰かが勝手に入ってばれてはいけない物を見つかるかも知れないからさ。」


そう、だからこそ、俺は色々と対策を考えていた。

羅針盤や食糧などがばれないように常に隠していたし。

俺の部屋に誰かが入ってもすぐ気付くように、扉が第三者によって開けられたかどうかを判断するための仕掛けを用意してある。


「床にある白い染みとかがそうだな。要塞が古いせいか、床には妙な染みが多いだろう?」


「ああ。それを仕掛けに利用したというのか、君は。」


「まあね、お陰で床に変な白い染みがあっても不思議ではないからご都合と思ってな。丁度、扉が開く時、扉と摩擦する部分に小麦粉を置いておいたんだよ。誰かが扉を開くとそれに粉が擦れて、小さな白い染みみたいになるんだよな、これが。俺の部屋は窓すらないから、風とかで粉が散る心配もないからさ。」


今まで俺は自分の部屋に入る時、扉を小さく開けてその隙間から入っていたのだ。

事前に置いたあった粉が扉に擦る前に、隙間から部屋に入るので変な染みができたりはしない。


そして、この方法は俺の体が子供だから出来る芸当である。

成人、大人ならそんな風に部屋に入ることは出来ず、必然的に扉を大きく開け床には白い染みみたいなのが残る。


要塞には変な染みが多いので床にある他の染みと混ざり、事前にそんな事があると知っていないかぎり、まず見分ける事は出来ない。


「……結構考えたな。子供である君だからこそ痕跡を残せず部屋に入れると。」


「後、他に可能なのは俺と似た体格のお前だけかな。話を戻すけど、今朝、部屋に戻った時には小麦粉はそのままだった。夜の間、誰も俺の部屋には入っていないんだよ。」


そこまで話すと流石に理解できたらしく、ピエルの顔が少し固くなる。


そう、粉がそのままだった以上、昨夜、俺の部屋には誰も入っていない。

それなのにも関わらず、シグマの奴は然り気無く俺の部屋を訪れたと言うのだ。

これを意味深に考えなくてどうする。


「だが、シルフィに関してまで全部知っていると見るのは難しい筈だ。やはり警戒しすぎだと思うが。」


「それはそうだけどよう。俺から言わせると、お前の方が油断しすぎだと思うぞ。前から思っていたけど、ピエル。お前、シグマの事をちょっと舐めてないか?」


「そんなことは……。」


ついカッとなって話そうとしたピエルだが直ぐに黙り込む。

どうやら心当たりがあるらしい。

少し不満げに腕を組む美少年を見ながら、俺はのこぎりで板材をひき切る。


「シグマがお前の動きに気付いていなかったかどうかは知らないけど。今奴が俺の動きに注目しているのはほぼ間違いないんだ。ならその対策も練ないといけないだろう?」


「……注目か。そう言えば先は流石に驚いたぞ。まさか…………でよくもまあ、また稽古をやっているのだからな。」


のこぎりを動く手がつい止まってしまう。

今度は俺が仕返しされ黙り込むタイミングだろうか。

俺がちょっと気まずそうに振り向くと、ピエルが心底呆れている目で俺を見ている。


「カイル?」


「あ、おう!ごめん、ごめん!ちょっと手が止まってしまったよ。」


俺がいきなり作業を止めて不思議がっているのだろう。

隣で板を掴んでいたシルフィが心配そうな目で俺を見上げる。


ここには今この子もいるからな。

ピエルは中間にわざと小さく喋ってよく聞こえなかったが、何を言い出したのかはわかる。

'あんな傷でよくもまあ'、そう言ったのだろう。


「言っておくけど、俺は別にやりたくてやったわけではないぞ。」


「だと良いがな。で?どうなのだ、具合いは。」


「……まあまあかな。」


ちょっと隣を覗くとシルフィはのこぎりの動きだけ集中して観察している。

こちらの会話を深く気にしていないらしいが、それでも声高らかに話すのはちょっと難しく、適当に誤魔化してしまう。


正直に言うと夕方にやった稽古はマジできつかった。

まだ傷が全然治ってなく、しかもピエルが警告していたように苦痛の麻痺も解けてまともに話せないほどの痛みを感じる中、シグマのあの手加減などない稽古を受けたのだ。


昨日のように一泡吹かせてやろうと試すのは論外。

脇腹は勿論のこと、一撃でも受けないために必死に避けてばかりだった。

そのせいか、また稽古を見物しに来たゴロツキ共には臆病者だの腰抜野郎だの散々罵倒を言われたが……。


「……シグマの奴、マジで手加減ないからな。あれを明日もやるとか、吐きそうだよ。」


今も先ほどの稽古で殴られた時を思い出す。


昨日の稽古でもボコボコにされて血を吐いたりし散々だったけど、今日はそれ以上だった。

肩と腕を殴られたが、それだけでも脇腹の傷に響き、余りの激痛に周りを気にせず悲鳴を上げたいところだったのだ。


……そんなことをすると、流石に傷を負っているのをばれかねないので唇を食いしばりなんとか耐えたけど。


その二撃だけでも気絶直前の有り様だったのだ。

そのような苦行をこれから毎日やると思うと心が重くなる。


「はあ……、まったく。後で帰る前にちょっと顔を出せ。少し見てやる。」


「うん、ありがとな。」


「可能ならそんな無茶はするなと言いたいが、君の話だとそうも言ってやれない状態みたいだからな。オレなりに色々ポ─ションと薬を作ってやる。明日からはそれを使え。」


うん、それは素直に嬉しい。

ピエルは自分は医者ではないからあんまり過信せず、後で本物の医者に傷を見せろと言ってるが、今朝、コッソリ俺の傷を見てやる姿や。

夕方の稽古の後、また傷が酷くなっていないかと確認し、急ぎ作ったという鎮痛剤を渡してくれるなど、どう見ても本物の医者と変わらない実力だ。


こいつが天才でないのなら、一体この乙女ゲームで天才と呼ばれたイケ面達と悪役令嬢達はどんな化け物なのか想像もしたくない。

もしかしたらピエルという少年を味方に付けたのは、最高のファインプレーだったかも知れないな。


……まあ、それはそれとして、どうしても気になる事がある。

ピエルには感謝しているが、もういい加減にスルーできない事があるのだ。


「なあ、ピエル。一つ、聞いて良いか?」


「何だ。くだらない物なら聞かないが。」


「……あのさ。お前、何か今朝から俺を呼ぶ呼称が変わってない?」


俺がのこぎりを動く事さえ止めてピエルを見ると、隣で俺の作業を手伝っていたシルフィも首を傾げながらピエルを見つめる。

そんな俺達の視線を一身に受けるピエルは少し沈黙し。


「気のせいだ。」


プイッと顔を背ける。


「そんな訳あるか!お前、俺のこと馬鹿にしてるの?!どうしたんだよう、一体!昨日まではずっと、'……貴様'、とか!'ふん……'、とか!余計に気取ってムカつく口癖だったのに、いきなり'君'呼ばわりするから虫酸が走るんですけど?!」


「……貴様、オレの事をそんな風に思ってたのか。」


「あ、戻った。」


よかった。

いつもの不機嫌で無愛想、しかも生意気な美少年に戻ったよ。

何か俺の事を一々'君'と呼んで凄く親しく、且つ馴れ馴れしく接して来るのでどうしたかと思ったからな。


夏休みの後で再会した友達がいきなり金髪になり敬語を使い始めた時ぐらい驚いたぞ、俺は。

……いや、あんまり驚いてないっぽいな、この例えは。

むしろ面白すぎてめっちゃ笑ったけ、俺。


「オレがキミ……貴様をどう呼ぼうがオレの勝手だろうが。何だ、その反応は。」


「いや。いくら何でも急だったから頭でも打ったかなと。大丈夫?この指の数、ちゃんと数えられる?自分の名前、はっきり言える?」


「……成る程、どうやらオレが作ってやる薬は必要ないと見える。」


「すみませんでした、ピエル様!冗談だったので何卒、お許しを!!」


くっ、何たる卑怯なやり方だろうか。

余りの脅迫につい持っていたのこぎりを床に放り投げ、土下座してしまった。

何故かこれから俺に稽古をしてやるというシグマのせいで、毎日あの地獄を味わうのだ。


正直、ここでピエルから傷のケアを貰えないとかなりキツイ。

最悪、稽古の途中で脇腹の傷が広がり、血が溢れ出して命の危機に瀕し、尚且つシグマにその傷はどうしたかと追求されかねない。


俺がピエルに向かって土下座をしている時だった。

何故かすぐ隣で足音が聞こえては、何か暖かい感触が感じられる。


何事かと顔を上げるとシルフィが俺の肩にピッタリとくっついてピエルを睨んでいた。


「カイル、駄目!」


どうやら俺を虐めるなと言いたいらしい。

頬を膨らみ、ギュッと俺を抱きしめながら睨むシルフィを見ては、ピエルは戸惑うかのように小さくため息を吐いた。


「……何故、オレが悪者みたいになってるのだ。」


「……それよりも俺はこの子が'駄目'と、ちゃんと言えたのが驚きなんじゃが。」


「じゃがはなんだ、じゃがは。キミ……いや、貴様こそ時々言い方がおかしいぞ。」


仕方ないだろう。

この一ヶ月、ずっと演技をし続けたのだ。

時々言葉が混じるのも仕方かないのです、はい。


「それよりもシルフィ、お前、いつからそんなに話すようになったんだ?俺の名前は練習したから出来たとしても、今の'駄目'は結構綺麗な発音だったが。」


「うん。」


何故か小さく頷いたシルフィは作業台から離れ、洞穴の隅っこへと走っていく。

どうしたんだろうと思いピエルを見たが、アイツも肩をすくめるあたり、どうやらよくわからないらしい。


そうして何事かと待ってると、戻ってきたシルフィが手に持ってるのは部厚い本と羽ペンだった。


「それはオレの……ここにあるのは勝手に使ってもいいと言ったが、早速使ったのか?」


ピエルの質問に頷きながら、シルフィは本を開いてその最初のページにペンで何かを書き出す。


「まさか、シルフィ、お前。」


ハッと思った瞬間、俺の予想が現実として現わる。

シルフィが何かを全部書いたと思うと、直ぐに本を持ち上げ俺とピエルに見せ出したのだ。


〈二人がいない間、練習したの。〉


「凄い!!お前、字がわかるのか!?」


「……これは驚いた。平民の子供はまともな教育を受けず、文盲が殆んどの筈だが。」


「まったくだよ!凄いぞ、シルフィ!!やっぱり普通の子供ではないんだな、お前は!」


「……いや、何気なく字をわかっているあたり、その言葉は君にも当てはまるが。」


隣でピエルがシルフィ同様、俺をも意味深に見るのだがそんなのは気にしない。

いや、気にしないよりは、予想もしていなかった出来事につい喜びが込み上がり、気にする余裕がないと言うのが正確だろう。


だって、そうではないか。

今、ピエルが言っていたようにこの世界で字をこんなに幼い時からわかる人は少ないのだ。


ちゃんとした教育を受ける貴族や金持ちならともかく。

金のない貧困な平民の人達がそういった教育を受けるのは難しい。


大人になる頃には流石に少しぐらい字を覚えるらしいが、それもまともな教育を受けた人々とは比べ物にならないほどだ。


首都で住んでいる人達はちょっと事情が違うと聞いたけど。

この島のように片田舎で、しかも字とはあんまり関わる事のない生活を過ごす場所は文盲率が高い。


何を隠そうか。

俺もつい最近までは文盲だったのだ。

転生してからは一ヶ月、俺も字を覚えるために必死だったのである。


ここは乙女ゲームの世界なくせに、字が日本語とは全く違う。

何故か口で喋る言葉は日本語なのに、字だけは英語でも外国語でもない、全く新しい物と来た。


……ゲームをやる時、イベントCGとかで出てくる店の看板や書類は日本語ではなく変な字だと思ったが。

それが反映でもされたのだろうか。


もしそうなら、何とも迷惑な話があったものだ。

転生したのならせめて字もひらがなと一緒にしてくれと言いたい。

言葉は同じだから助かったけど。


当然ながら字も知らないようでは、これからちゃんとした職を探す事ができる筈もなく。

転生してからの一ヶ月は逃走の準備と一緒に、文字の独学で忙しく過ごしたものだ。


……今思い返してもマジできつかった。

【黒きサソリ】はゴロツキ共だから、字を知らない奴が殆んどだったし。

村に行っても俺を恐れるあまり誰かに教えを乞うことも出来ず、何とか本を買い集め夜になるとコッソリ勉強したものだ。


その苦労があったからこそ、俺は晴れて文盲から脱したのである。

故に、今のこの現状には感激しざるを得ない。


「くううう……!まさか既に字がわかるとは!偉い、偉いぞ!俺はでっきり俺が教えなきゃと思って悩んでいたんだよ!流石、我が子!俺は嬉しくて涙が出るぞ!」


「いや、君とこの子は同い年だろう。」


「だから!気分的にだよ、気分的!お前はホント、ノリが悪いな~!」


「どんな気分だとお父さん気取りになるのだ……。」


シルフィの髪をわしゃわしゃに撫でながらピエルと話していると、擽ったいのかシルフィが少し頭を後ろの方へと引く。

流石に興奮しすぎだったらしい。


「おっとと、ごめん。つい嬉しくてな。」


「ううん。」


大丈夫と言いたいのだろう。

俺の謝罪に首を横に振りながらもシルフィはどこか嬉しいように見える。

口元が少し上がり、小さくも優しい笑みを浮かべている。

褒められたのを喜んでいるのだろうか。


「……しかし、妙だな。」


「うん?何がだ?うちの子が何か?」


「だから、君とこの子は……いや、もういい。妙だというのは練習という事だ。この子は耳が聞こえないのだろう?なら、字をわかるとしてもそれを発音する時、正しく発音しているかどうか判別できないと思うが。どうやって練習したのだ。」


「あ、確に。」


聞いてみると確にその通りだった。

俺の名前を覚える時も俺が隣で間違っているかどうかを教えたからやっと発音できたではないか。

俺とピエルは昼時間には要塞にいたのに一人の状態でどうやって練習したのか。


ピエルが疑わしい者を見る目をし、俺もどういう事かと見ると、シルフィは直ぐ様ペンを動き、答えを書き出した。


〈精霊のお友達が手伝ってくれたの。〉


「ほう。」


「なっ!?」


今回は俺とピエルの反応が先ほどと真逆になっている。

俺が静かに頷き納得する反面、ピエルは今までなかったほどまでに目を丸くし驚愕する。


「馬鹿な!!精霊だと?!貴様、精霊と意思疏通が可能だと言うのか?!」


「ちょっ?!止めろ、ピエル!そんなに肩を強く掴みながら言うとシルフィが戸惑うだろうが!少しは落ち着け!!」


「これが落ち着けるものか!君はよくわからないからそう言えるのだ!エウペイアの祝福もなしで精霊と通じるんだぞ!?魔法使いの才能があるという事ではないか!この事実がもし上の連中に届いたら只では済まん!!」


「……どういう事?」


状況を飲み込めず俺が呆然と呟くと、それを見てからハッとしたか、ピエルは虫でも噛んでいるような顔になってシルフィから離れる。


その直後、シルフィは急いで俺の背に隠れる。

どうやらグイグイと攻めてくるピエルを見て怯えたらしい。


シルフィの手を密かに掴んで安心させながら、真剣に問う。

どうやらゲームでの知識しかいない俺としては、まだ知らない情報があるようだ。


「ピエル。今の話、もっと詳しく。」


「……チッ。そのまんまの意味だ。補説すべき事は特にない。その子が魔法の……精霊との疎通が可能という事が知られたら直ぐにでも王宮から騎士団が派遣されるだろう。」


「どうして?」


「当然、その子を捕縛、もとい回収するためだ。昔からの決まりだ。稀に平民でも魔法の才能があると判別すると、強制的に魔法学院に入学し、成人になった後は国家によって管理される。……カイル、君も愚か者でないからわかるだろう。魔法を力とする貴族達によって、魔法を持つ平民が現われるのがどんな意味か。」


「…………。」


……成る程。

納得した、そして同時に頭が凍るかのように冷たくなる。


どうして気付かなかったのだろうか。

ゲームで平民であった女主人公が魔法の才能があるとわかった途端、王宮に連れ去られたのだ。


表側だけを見ると突然姫になり、イケ面とイチャイチャする花畑なラブストーリーの始まりだが。

深く考えるとそれはかなり怖いものではないだろうか。


今までの生活など全部奪われて、全然違う環境に閉じ込められるのだ。

家族も、友達も、自分の家すらからも離れられ、捕らわれる。


……それは余りにも怖く、そして恐ろしい事だ。

ほぼ拉致されるのと同じだろう。


そう言えばストーリーの初盤で主人公が密かに泣くイベントがあったのを思い出した。


その時も大体のストーリーはスキップして戦闘に集中していたので、イベントCGだけを見て、事情を知らず'こいつ、姫様になったのになんで泣くの?'と思ったが、今になって考えるとゾッとする状況ではないか。

あんな状態でよくも崩れたりせず、健気に生きて黒幕の魔女を倒したと、今では感嘆と驚嘆を感じる。


「……国家に管理されると言うのは具体的には?」


あの黒髪の少女、女主人公が姫になったのはあくまで暴走寸前まで行った精霊王に生け贄として捧げる為だった。

あれが魔法の才能を覚醒した平民に対する普通の処置とは思えない。

あくまでも状況が特別だったのでそう利用しただけだろう。


ならば、この子は?


この子が魔法の才能があるのは予め知っていたから驚いたりはしない。

その才能があったからこそ、黒幕に目を付けられ魔神の器になり、隠しボスになってしまうのだから。


だが、それならば普通の場合、この子はどんな処置を受けるのか。

姫になるのは女主人公だ、ではこの子は?


「それは……。」


「ピエル、契約を忘れるな。」


「……詳しくは知らないが、基本は魔法を研究する機関に送られるらしい。ごく稀に騎士団に入団したり貴族の養子になる人もいるとは聞くが、例があまりにも少ない。それと、その機関とやらに送られる場合だが……」


「実験動物扱い。またはそれとほぼ変わらない扱いか?国家に管理されると言うし。」


「…………以前はそうではなかった。純粋に研究員として招かれ、その才能を認められた人は新たな貴族として認められる事もあったのだ。だが、時間が経つにつれ上が段々狂ってしまい、今では君が言った通りの有り様だ。あそこに入ってしまうと、もう外の世界を見ることも出来ない。廃人になるのが殆んどと聞く。」


「そうか。」


そういえば、このハルパス王国は王族と貴族が堕落したのが原因で、革命軍が出来上がったり、精霊王が暴走したりしたっけな。

どうやら魔法の才能を持つ平民の扱いもそれに影響されたらしい。


となると、おそらくその魔法機関では何かの非人道的な実験が行えられて貴族共が肥えていると。

そんな設定、もとい状況が裏に起きていると見た。


……そう聞くと、この乙女ゲームの主人公。

あの女の子もかなり気の毒な子だったな。


精霊王の生け贄として選ばれるか、それでなかったら実験動物扱いで廃人行きという事じゃないか。

アイツが今どこにいるかはわからないが、ちょっと心配になる。


……だが、それでもその女の子はイケ面達によって救われるし、ちゃんと守られるのだ。

その反面、この子はどうだ?

誰か守ってやったり、味方になる人がいるか?


つり後ろを見てしまうと、俺の背にくっつきながらシルフィが暗い顔をしてるのが見える。

今の話を聞いて流石に怖じけて、憂鬱になっているようだ。

掴んでいる小さい手が微々に震えるのを感じる。


だからこそ、その手を強く握りながら語り出す。


「よし、じゃあ予定は変わらないな。」


「何……?」


「……カイル?」


「何だよ、お前ら。揃いも揃って間抜けな反応をして。俺はそもそも王国本土に行く気などサラサラなかったんだ。これで絶対に行かない理由が増えただけだよ。」


そう。

忘れては困る。

俺は元からグランツ帝国に行こうとしたのだ。

今の話を聞いても今更というか、王国など捨てる理由がもう一つ増えただけにすぎん。


「君は……行かないのか?首都には。」


「行ってもしょうがないだろう。俺みたいな田舎者、しかも傭兵見習いふぜいがそこに行ってどうする?元からそこに行く気はなかったし、むしろご都合って事だな!シルフィをそんな目に合わせたくないし。」


「……そうか、まあ、今はそれでいいだろう。」


何が今はそれで良いというのだろうか、こいつは。

何か一人で納得しているピエルを、不思議に見ている時だった。


急にシルフィが後ろから俺を抱きしめて来る。

どうしたかと思い顔だけ後ろへ振り向くと、笑顔で俺の背に顔を埋めているのが見える。


……きっと嬉しいのだろう。

その感激と感謝を俺に伝えたいのがよくわかる。


うん、その気持ちは大変嬉しいのだが、止めて欲しい。

マジでやめて。


脇腹が痛いのです。

滅茶苦茶痛いのです。

感激と感謝だけでなく、激痛と吐気まで伝わって来ますけど?!


「が……、あっ……!」


「……おい、その辺にしとけ。カイルが困っているではないか。感謝も度が過ぎれば迷惑でしかない。」


「あ、うん!」


そんな俺の状態に気付いてくれたのか、ピエルがフォローしてくれたお陰でシルフィがようやく離れてくれた。


……マジで危なかったぞ、立ったまま気絶する寸前だったよ。


俺が何とか傷の苦痛が治まるのを待つ間、どうも話声は聞こえず、ピエルとシルフィが気まずそうにしているのが見える。

どうやらお互い、相手にどう接するべきか困っているらしい。


まあ、仕方かないよな。

ピエルはどうも友達が少なそうなタイプだし、シルフィはちょっと明るく見えるとしてもつい昨日までは酷い仕打を受けていたのだ。

この二人が普通の子供たちのように話すのを見るのは、まだちょっと後になるらしい。


「さてと!じゃあ話を纏めるぞ?今回の事でシルフィがちゃんと話せるようになる可能性を見つけたのは大きい。かなりの時間と努力が必要だろうが、ちょうど次の逃走まで時間があるからな。これからを考えると、ちゃんとした発音ができるようになるのは重要だ。

特に、シルフィは耳が聞こえないのにちゃんと相手が何を話しているかわかるから。普通の人と変わらないように会話する事も夢ではないはずさ。」


「……それも精霊との疎通が可能なら頷ける。遠く離れていても精霊を経由して音を捕らえる魔法があると聞いたことがある。恐らく、それと似たような原理だろう。」


「なるほど、参考になるご意見、ありがどうこざいます。で、当事者であるシルフィさんはこの意見をどうお考えで?」


俺が司会者っぽく話を纏めると、シルフィが急ぎペンを持ち出し、また何かを書き出す。

その間、'何してるんだ、こいつ'という目でピエルが俺をみるが、そんなのは無視だ。


〈うん、精霊の友達が皆手伝ってくれるから、カイルが言うこと、全部わかる。〉


「へえ……。ファンタジーっすね。」


何が何なのかよくわからないが、とにかく凄い。

音が聞こえなくなっても精霊のおかげで聞けるとか。

どういう感じなのだろうか。


「……まさか、正式な契約もせずそんな芸当が可能とは。とんでもない才能だな。尚更気をつける方がいいぞ、本当に。」


ピエルがシルフィの返答を見ては真剣に警告する。

それはまあ、当然だろう。

この子は元々隠しボスになるほどの子なんだから、それほどの才能があるのは当然と言えば当然なのだ。


「よし、ではこれからシルフィがちゃんと話せるよう訓練をするとして、その方法を考える前に重要な事があります、それは何でしょうか?」


「シグマか。」


「正解を言うのなら挙手してから言えよう、反則だぞ。」


「……オレは時々、君の事がよくわからん。」


うん、俺も今の俺のテンションをよくわからん。

適当に勢いに任せてボケているのだからな。


いつもなら妹の容赦ない突っ込みが入る筈なのだが、ここにそんな人材はなく、俺のボケを指摘される事もないと来た。

……ツッコミ不在、恐るべし。


「まあ、ふざけるのはここまでにして。真面目な話。シグマが俺の動きに注目している以上、大きな動きはできないと見るべきだろうよ。」


「だが、今までこの場所がばれなかったのも事実だ、オレはやはり気にしすぎだと思う。」


ピエルが腕を組みながら真剣に話してくる。

大事な話なので俺のボケを無視するのだろうか。

その雰囲気に圧倒されたらしく、シルフィは俺とピエルを見ながら静かに待機している。


「先も言ったけど、ピエル、お前はシグマの事をちょっと舐め過ぎだ。アイツはやわな奴じゃあない。今までは確かにこの場所に気付いていなかったかも知れない。だが、本当の問題は、()奴は間違いなくこちらに興味を持ったという事だ。そうなると今まで通りとはいかないだろう。」


「つまり……?」


「恐らくだが、監視を付けるか尾行されるかで、こちらの出方を確認しようとする可能性がある。」


というか、俺ならば絶対にそうする。


部下の奴が怪しい行動を見せるのだ。

本当にしているかどうかを問わず、疑わしい行動を見せるのならその真意を確認するべきだ。

相手と個人的に話をしながら探りを入れるとか、それでも駄目なら何をしてるか注意深く観察するとかするだろう。


シグマは魔法を使えない。

この世界には監視カメラなどの機器はなく、SNSのようにその人間の内の声、その痕跡が残るような物もない。

俺が知る限り、この世界にあるアイテムの内でも密かに相手の位置を追跡出来るとかの代物もないと来た。


そんな状態で奴がこっちの出方を確認するのならば、必ず監視か尾行を付ける。

今はこの山脈であの黒頭巾の奴らを探しているようだから、そんなに多くの監視役を付けるのは出来ないだろう。

恐らくは二人、……いや、それはちょっと少ないか。


三人か四人辺りが妥当なはずだ。

二人だけ送るほど警戒していないならそもそも監視など付けないし、今朝、俺の考えを探ろうともしなかった筈だからな。


今朝の会話。

あの途中で俺が感じた違和感。

相手が絶対に裏で何かを考えているという確信。

それをシグマも感じたに違いない。


あの一瞬、ヘラヘラしている中で見えた冷たい目を今も忘れないのだ。


「……では、どうする?要塞ではなるべく君と接触しないようにとしてあるが、そうやってずっと演技をし続けると?」


「いや、それはやめよう。お前と知らない振りをするのは、必要以上に疑われるのを避ける為だったのだけど。もう疾っくに疑われているからな。どれほど演技したら監視が解かれるかもわからない以上、それは余りにも非効率的だ。逃走の準備まで遅れてしまう。」


元々今朝、要塞に着きながら、ピエルとはお互い知らない振りをしようと話を合わせていた。

だが、それも今では大した意味を為さなくなった。


シグマが俺に昨日の夜に関して聞いてきたあたり、奴は恐らく俺が逃げ出した事に気付いている。

それはそれで奴の手の上に踊らせているようで癪だが、それならまだいい。


奴はまだ全てに気付いてはいないのだ。

だからこそ、次にうってくる策は監視か尾行の筈。


今、俺にとって重要なのはシルフィの存在を隠す事。

そして一ヶ月後に無事に逃げ出す事。


既に疑われている以上。

ピエルとの関係を続いて隠そうと無理をするのはやめるべきだ。

計画が遅れてしまうし、そんな演技をし続けてもシグマが監視をやめたかどうかを確認することも出来ないのだから。


……うん、やっぱり方法はあれしかないな。

ちょっと危険だが、あながち完全に駄目という事もない。

なにしろ、失敗したとしてもまだ次の策に乗り換える程の余裕がある事が魅力的だ。


俺が改めて当面の計画を検討していると、ピエルが少し不満そうに語る。

どうやら、俺が全部を話さないのが気に入らないらしい。


「勿体振らずに言え、先からあの子と一緒にのこぎりで切っていた板、あれを使うのだろ?どうやって使う気だ。オレとの関係を隠さないなら、この場所に通じる通路でも隠したりでもするのか?」


「いや、それは無理だな。相手は頭が悪いゴロツキだが、あの【黒きサソリ】だからな。俺みたいなど素人がどんなにやっても相手はこの方面のプロなんだ。多分、今のままだと隠し通路があるのはすぐばれるだろう。」


「なら……」


「だから、発想を逆転するんだよ。無理やり隠すのではない。むしろ見つけてもらうのさ。それはもう、あの連中がぬか喜びしそうな秘密をね。」


そう、それこそが今の危機を打破出来る方法に違いない。


奴らの監視がいつ解かれるかはわからない。

計画が遅れるのを考えると、ここに来る頻度を減らすことも出来ず、演技をし続けるのも出来ない。


ならば、むしろ奴らにやられてやる。

それはもう、生意気だと、よくもまあこんな物を用意してコソコソしていたと奴らが怒り、そして納得するような秘密を用意してやる。


重要なのはただ一つ。


俺に監視が付く可能性があるという事。

そしてその監視とはシグマ本人ではなく、あのゴロツキ共という事だ。


ならばいくらでも遣り様はある。

シグマが直接来るなら兎も角、そうじゃないなら付け入る隙はいくらでもあるのだ。


「いいか?ピエル。物を隠す時はな、必ずしも隠す事だけが方法ではないんだぞ?獲物を間違った場所に誘くには餌を用意しないとな。」


満足けに笑いながら俺は作業台に戻り、床に置いてあるのこぎりを持ち上げる。

朝が来るまでに出来る限り早く作業を終わらせないといけない。


そう思い、揺れる板を掴んでくれないかとシルフィを呼ぼうとすると、何故かシルフィとピエルがジッと俺を見つめていた。


「……何?俺の後ろにお化けでもいる?」


え、自分で言ってそれはないが、ちょっと怖い。

お化けとかあんまり会いたくないんですけど。

綺麗なお化けならちょっと興味はあるが。


「はあ……。君は本当に訳がわからない奴だな。」


「何だ、いきなり。変な事を言い出す暇があったら手伝って欲しいんじゃが。」


ため息を吐くピエルを睨むと、本とペンを持ちながらシルフィがトコトコと俺の元に走ってくる。


その姿が可愛らしいと思う矢先、いきなりシルフィが本に書いた文字を見せ出した。


〈カイルは、悪党?〉


「……何で?」


いきなり何を聞くのだろうか、この子は。

こんなにも健気に生き残ろうと頑張る俺に悪党なのかと聞くとは。


俺がちょっと訳がわからず戸惑うと、シルフィが急いで次の文句を書き出す。


〈凄く悪い顔で笑ってた。〉


「……。」


少し、日本にいた頃の先輩を思い出した。


仕事で愛想良く笑えと俺によく怒った先輩、お元気ですか。

俺は異世界で転生しても同じ事を言われるあたり、全然心が元気ではありません。


まさか普通に笑っただけなのに、ここでも凄く悪い顔で笑ったと言われるとは。

転生しようがなかろうが俺の顔の印象は最悪らしいです。


「悪かったな、こんな顔で。」


「ううん。」


俺がぶっきらぼうに言うと、白き少女は力強く首を横に振ってから新たな文字を書く。

そしてまた俺に見せるのであった。


〈カイルが悪党なら、私も悪党。ずっと一緒が良い。〉


「……。」


何、こいつ、天使かな?

ちょっと目が潤っとしてしまう。

まさか、こんな小さい子に励まされるとは、俺もまだまだらしい。


息子や娘が子供のままでいいと言う、親達の気持ちが少しわかった。

こんな優しい子が後で大きくなったら反抗期になり、俺の妹のように生意気になると思うとマジで怖い。


それこそ、新たな意味で隠しボスになり得るような。

少なくとも、俺の精神に特攻を持つボスになるのは間違いなしだ。


「……冗談はやめて、ほら、ちょっと手伝ってくれ。悪党も何も、まず生き残らないと話にならないからね。」


「うん。」


ちょっとデレ臭くなったのでこの子をあんまり見ないようにしながら、のこぎりを動く。


そう、まずは生き残ってからだ。

この子が大きくなるかどうかはちゃんとこの島から抜け出し、平穏に過ごせるかどうかに懸っているのだから。



***



とある少年少女達が隠れ家で語らっている時と同時刻。

暗闇に潜む険しい断崖絶壁にて、静かに語らっている者達がいる。


一日の仕事を終え、明日に備え眠りに就く善良なる住民ではなく。

陰の裏に隠れ、その存在を何百年も隠し続けてきた人達。

表の世界では既に死した事になり、決して日差しが当たらない場所をこそ生き場にした囚人。


隠された秘密の基地で、黒い頭巾を被った彼らが密かに密談を交わす光景はさぞかし怪しい風景であろう。

実際、大きな円卓を中心に七人が並んで座っている姿は余りにも不審であり、胡散らしい。


もしも昨日、この基地に訪れた黒髪の少年がこの光景を見ると、'如何にも悪役幹部達の会談'と思い絶対関わらないようにするだろう。


「ホッホッホッ~、成程、成程。そうでしたか、それはまた災難でしたね。よくもまあ、誰も死なず、無事に終わったものです。」


円卓の真ん中に座っている老人が大声で笑い出す。


図体が大きく、でっぷりと太って丸い体をした老人だ。

かなり太っているせいか笑う度に三重顎が激しく揺れる。


見るからに血色が良く、他の人達と比べるとむしろやりすぎると思う程に健康に見える太った老人。

ニコニコしている顔はほのぼのとした印象を与え、どこまでも慈愛に満ちていると言っているかのような表情をしている。


だが、しかし、誰一人もその老人の前で安心などしていない。

見るからに緊張をしているとわかってしまうほど体が縮こまっており、深く被っている頭巾の下でお互いの顔を伺っているのがわかる。


その妙な緊張と凍てついた空気を気付かない筈もないのだが、それでも老人はニコニコと笑うのみである。

場の雰囲気とは余りにも掛け離れているが故に、その笑みが不気味に見える。


「それで、バジル君?どうですかな。我らの神を迎接する為の呪石は失われておりませんね?」


「はっ!それに関しては抜かりなく!何とか倉庫の呪石および道具達は死守しましたので!」


「よろしい。では後は我らの巫女殿さえお戻りになられば後は全て解決されますね。ホッホッホッ~!それは何よりです。ええ~、ここが襲われたと聞いた時は、恥ずかしながら年甲斐もなく興奮しすぎましたからね。まだまだ私も未熟らしい。」


「申し訳ありませぬ!長老の信頼に答えられず、このバジル、一生の不覚にて!これはもはや腹を切る他になく……」


「要りません。貴方が腹を切ったところで巫女殿はお帰りになられるのですか?そんな事に力を浪費する程に愚かなら、貴方に対する評価を改めねばならないですね~。私は心底悲しいですよう、バジル君?」


「め、面目次第も御座いません!」


ニコニコしている顔とは裏腹に冷たく出された声に圧倒され、右に座っている黒頭巾の男、バジルは直ぐ頭を垂れる。

'深い森の一族'、その長老である老人の前では如何に部下達の前で意気揚々としているバジルさえも只の力なき者に過ぎないのだ。


「しかし、やや困りましたね。まさか、肝心の巫女殿が家出をなすとは。我らのお持て成しがお気に召さなかったのでしょうか。しかもあの方を連れて行ったのがか弱い少年、たった一人だけとは。はてさて……。」


「…………失礼ですが一つ言葉の修正を。そやつめは只の子供ではありませぬ。警戒なされるのがよろしいかと。」


バジルの発言に場が少しどよめく。


今回、巫女を奪われる決定的なミスをやらかしたが、バジルは一族の中でも認められる実力者である。

そんな彼が長老の言葉を途中で断ってまで進言するのだ。

この場に集めている誰もが今回はやはりただ事ではないと実感する。


その尋常さを長老本人も感じたか、今までニコニコするだけだった表情を少し変え、不思議そうにバジルを見つめる。


「ほほう、具体的にどのあたりを警戒しろうと?」


「奴めは子供でありながら狡猾であり、卑劣極まりない悪党です。しかも、身体強化すら並の成人以上で、戦い方も熟知しています。決して只の子供ではありませぬ。あの傭兵王シグマが密かに育てている……」


「ホッホッホッ、バジル君は少し勘違いをしていますね。その少年は傭兵王とは無関係ですぞ?」


「はあ……?」


場に揃っている人々の視線が長老に集まる。

再びニコニコする顔に戻った老人は、前に置かれているティーカップを持ち上げ悠々と紅茶を飲む。


「長老殿、今の言葉はどういう……。」


「少し考えるとすぐにでもわかる事です。むしろ今まで気付かないとは、貴方らしくないですね、バジル君。あの少年にやられたのがそれほどショックでしたかな?」


「それは……。」


「ホッホッホッ!そう畏まるな、畏まるな。只の冗談です。軽い戯言に過ぎないのですから。」


大きく笑いながら手をヒラヒラと振るう長老に向けて何も話す事が出来ず、バジルはその場で静かに身を竦む。


この長老は一族の中で唯一、本物の魔法を使える人物。

古き盟約で一族全体が魔法を禁じられた中、たった一つある例外として魔法を使う事を許された人物なのだ。


力と正当性、伝統までも全てこのお方が上。

ならば、今は黙るしかない。


そう考え、発言を控えるバジルをチラッと見ては、続いて円卓に集まっている幹部を見回した後、長老は静かに語り出す。

皆が自分の言葉に集中していると判断したらしい。


「報告で聞きましたが、かの少年が巫女殿と脱出するまで他の人はいなかったご様子。少年がバジル君と交戦する時もずっと一人だったと聞きました。傭兵王とやらが力を貸していたのなら余りにも不可解な状況です。

何故、少年が戦いから勝利し逃げる直前まで誰も助力しなかったのか?

そして逃げた後も、どうしてあの少年以外には一人も侵入した痕跡がなかったのか?」


「……確に。」


「ホッホッホッ!ええ、ええ。バジル君は元々頭の回転が早いですからね。直ぐ理解できたようで何よりです。どうやら貴方はあのシグマという人間に拘りすぎらしい。それで判断を鈍らせるのは駄目ですぞ。」


「はっ、畏まりました。」


その言葉を最後にバジルは自分を恥じるように口を閉ざす。

そして長老もまた余裕溢れる動きで紅茶を飲み始めるので、次に言葉を吐くのは自然と今まで黙って聞いていた別の幹部だった。


「長老殿、ではその少年は何者でしょうか?バジル殿を出し抜くあたり、只者ではないのは間違いないようですが。」


「ええ、当然の帰結、疑問です。その事ですが、既に思い当たる者がいるのです。」


「おお!」 「何と!」 「流石は長老殿!」


長老の発言に場がざわざわし始める。

希望と信頼の眼差しを一身に受けそれを堪能した後、長老は小さく咳払いをしては然も厳重な声で話す。


「実はとあるコネを通じて、近々王国本土から兵力がここに送られるという情報を入手しました。恐らく、我らの動きに気付き、盟約を忘れたあの愚かな子孫達が手を回したのでしょう。」


「……それはかなり危険なのでは?まだ、我らの神の降臨は……」


「まあ、まあ、まだ先の話です。今は帝国の使節団が首都に来ているのでそっちの対応に忙しいようですからね。流石に外国の人が来ている状況で大それた動きは取れないでしょう。本格的に動くのは早くても三ヶ月後の筈です。」


再び紅茶を口にしながら'ホッホッホッ'と独特な笑い声を出す長老を見て、安堵のため息が所々から吐かれる。


ついに王族が動くというのだ。

盟約のお陰で、このセピア島で一族が生きながらえる事を約束されていたが、年月が経ちながら王族は見る見るうちに堕落している。

盟約もいずれ無視するようになり、攻撃して来るのではないかと誰もが感じていたのだ。


ついにそれが実現すると知り不安な反面。

まだ先の話だと安心するという複雑な心境が、今ここに集まっている人々全員が抱くものだった。


「では、話を戻して我らの巫女殿を攫ったその少年は誰なのか、ですが。実は既に一人の斥候がこの島に潜入しているのです。しかも、首都で'天才'と呼ばれる若き子供達の内、一人が。」


円卓に集まっている幹部達が無言で固まる。

特に、右に座っているバジルは見るからに激しく動揺し肩を動く。


その反応を楽しみながら長老は残る紅茶を一気に飲み干した。


「……ドンムレ村のセリック。入った情報はとある天才少年が派遣されたという事だけで、詳細は聞けなかったのですが。巫女を攫ったのは彼で間違いないでしょう。傭兵王と無関係でありながら、傭兵王の事を言及して我らを動揺させ、的確に巫女殿だけを攫ったのです。王宮で詳細を全て聞かされたとすると、全て納得できます。

いやはや、まさか、かの傭兵王すら出し抜いて先に我らの基地を見つけるとは、天才という呼び名は伊達ではなかったようですね、ホッホッホッホッ~!」


「わ、笑い事ではないのでは!?それはつまり、巫女殿をよりにもよってあの王族に奪われたという事ではないですか!!一刻も早く取り戻さないと!!」


「そうですぞ!あの傭兵共に奪われるよりも、なお質が悪い!神獣との盟約を忘れ、神王すら利用している不届き者共に我らの希望を奪われるなど!!」


今までとは違う意味で場が乱れる。

黙って聞いていた幹部達が一斉に語りだし、座から立ち上がるなど瞬時に混乱に陥る瞬間。


「お静かに。」


カップが割れる音と共に円卓が大きく響く。


カップで強く円卓を叩いた長老が始めて顔を歪んでいるのを見て、その場で騒がしくしていた人々が黙り込む。

まるで時間が止まったような風景だった。


「長老殿の御前じゃ。皆、静かに座らぬか。」


水が差されたように静かになった会談で、バジルが他の幹部達を窘める。

長老にだけは敬語を使い大人しく従っているが、それ以外の人々は決して太刀打ちできない一族のナンバー・ツーなのだ。

当然、誰もバジルに反駁するはずもなく、渋々と自分達の席に座る。


それを見て満足したか、またも長老の顔がニコニコの笑みに変わる。

ゴロゴロと表情が変わるのがどうしても不気味さを感じさせるがそれは誰も言わない、言える筈がない。


「ホッホッホッ、ありがとうございます。流石はバジル君。頼りになりますね~。ようやく本調子に戻ったのですかな?」


「滅相もございませぬ、それよりも長老殿。あの首都から来たという少年、ドンムレ村のセリックですが……。」


「ああ、そうでした。彼の話でしたね。大丈夫、心配はいりません。彼がこの島の港を使い抜け出すのは不可能ですからね。」


「……と、言いますと?」


「傭兵王のお陰です。彼は我らを逃さないため、既に島の港とそこの人間を全部掌握している。不審に島を出ようとする者がいるとそれを強制的に捕縛し、その間、自分に知らせがくるよう仕向けてあるのです。流石の天才少年君も傭兵王の抜かりない対策には舌を捲くでしょう。

面白くありませんか?我らを手古摺らせる傭兵王が、今ではあのセリック君が逃げられないようにしてくれる仲間なのですから!ホッホッホッホッ~!]


その事実がさぞ愉快なのか、長老は今までで一番上機嫌に爆笑する。

顎の下にある肉が激しく振るうほどに体を揺さぶる長老を見ながら、バジルと他の幹部達は静かに頷いた。


それならば長老のこの余裕も妥当なのだ。

相手が如何に天才と言えど結局は子供一人。


その少年がシグマとも敵対してるのならば、追跡の途中で傭兵王とぶつかる心配もなく。

王国が本格的に動くのが最短でも三ヶ月後なら、子供に味方する第三者が現われることもない。


「さあ、皆の衆!我らにはついにあの()()()()()まで付いてくださったのです。シグマにも、あの愚かな王族にも我らと我らの神を止める事は出来ない!立ち上がりましょう、そして我らに課された運命を覆すのです!

目標は我らが巫女!そしてそれを不敬にも攫ってしまった愚かな少年!

彼に現実を教えましょう!我らの神、精霊神獣に刃向かうのがどう意味か、自分が如何に矮小な存在かを徹底的に気付かせるのです!!」


両腕とぱっと広げ雄大に語る長老の言葉が終わると、周りから拍手喝采が起きる。

いつもの会談が終わると、今度は興奮した幹部達が先を争い発言する。

それらは一族の顔に泥を塗ったあの'ドンムレ村のゼリック'をいかに拷問し、処刑すべきかの意見であった。


方針が決まり、処罰の内容を決まる会談に変わった会議を見ながら長老は心の中で静かに激情の炎を焚き付ける。

この一族の長になってからこれまで数多くの苦難を経験してきたが、流石に今回のような出来事は経験した事がないのだ。


何よりも大事な神の降臨。

その儀式のための巫女を、よりにもよって子供一人に奪われたという事実こそ、長老の神経を激しく刺激する。


この場にてもっとも憤怒を感じている人を選ぶのなら間違いなく長老自身が選ばれるだろう。

今まで不敵に笑い平然に振る舞ったのはあくまで部下達を慰め、自分達は充分に余裕があると見せるためである。


こうしてニコニコしている今さえも、長老は残忍な発想を頭の中で巡らせていた。

あの愚かな少年と、今まで育ててくれた恩を仇に返した巫女を如何に苦しめるべきかを考えながら、長老は加虐的な笑みを浮かばせる。


(……ええ、私の計画を邪魔する者は決して許さない。覚悟しておくことですね……我々に刃向かったことがどれほど愚かな事か、その身を持ってわからせてあげましょう、ドンムレ村のセリック……!!)


自分達がやらかした過ちを振り返たりもせず、ただ自分達から巫女を奪った少年に怒りと憎しみだけを抱く。


太っている長老を含め、誰もがかの少年と巫女をどのように拷問しこの鬱憤を晴らすべきかに関して熱い討論を行う。


そのような会議の様子を、最初からずっと覗いていた白い光のような透明な人影は、誰に気付かれる事なく冷たい息だけを吐き、空中へと消えるのだった。


次はあの子が出る番かな。

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