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転生した俺は乙女ゲーの隠しボスだった女の子を預かる。  作者: イオナ
一章. 10才、セピア島編
5/35

5. ドンムレ村のセリックはその名を残す。

「よし、この程度ならば火力は充分か。ゲームでの知識も捨てた物ではないな。」


倉庫の壁に埋めた赤い宝石のような特大の火玉、『怒りの粉塵』を見ながら満足げに笑う。


火玉はゲームでは炎属性の魔法ダメージを50だけ与えるという意味不明なアイテムだったが、色々な素材と合成することでかなりの威力を誇る炎属性の爆弾に化けるのだ。

単体で使うのではなく、あくまで合成の基本素材として価値があるアイテムといえるな。


その火玉を素材とし、最大に強化した物がこの『怒りの粉塵』である。

【硝子の夜明け】では魔力をボス戦まで温存するために、雑魚戦でエネミー達を一掃する時や硬い敵に貫通ダメージを与える必要がある時に使っていたっけ。


何故だかは知らないが、この怪しい基地の倉庫には戦闘用アイテムや合成に必要な素材が山ほどあるのだ。

しかも、アイテム合成をやる時に必ず必要な道具、『奇跡の天秤』まであると来た。


ゲームではこの天秤の両方に素材を置き、魔力を注ぐと合成が行えるという設定で、戦闘用アイテムを作るだけでなく装備をも合成し強化するなど、色々世話になる物だった。


物を買うのなら商店に行かねばならないだろう?

で、必ずその商店には店主のNPCがいると。


この天秤はまさしくそれなのだ。

アイテム合成という機能を使う時に、それらの過程を全部管理し行う一種のNPC的な物と言えるだろう。


……何故、ここにこの天秤があるかはよくわからない。

原作では王宮に保管されているたった一つの貴重な物で、姫になった主人公だからこそ特別に使う事が許されると、そういう説明を聞きながら合成機能が解禁されるはずだが。


倉庫に妙に素材が多く保管されていることや、戦闘用アイテムはあってもどれもレア度が低く、まさしく合成の素材でしか使い道がないものばかり。

まるでこの天秤を使ってアイテム合成してね!と言っているかのようだ。


うん、まあ、だからしたけどね。

理由はわからないが素材もいっぱいあるし、合成に必要な天秤まで全部あるのだ。

なら、迷う必要もない。


天秤を動かすための魔力は一時的に魔力をアップさせる消費アイテムで代用し、合成を行う。

俺はまだ魔力を運用するという感覚がよくわからないので仕方ない。


最初は流石にゲームとは勝手が違うので何回か失敗したが、そもそも合成の為の材料や量は全部知っているのだ。

コツを掴み、今ではこの特大火玉、『怒りの粉塵』を含め、俺が原作でよく使っていた消費アイテムをいくつか作る事に成功した。


時間さえあればここで沢山作り持っていきたいどころだがその余裕はない。

とりあえず、ここから脱出する時に使えそうな物だけを最優先にして作ったのである。


「……さてと、これで予め決めていた場所には全部設置し終わったかな?ちょっと地図貸してくれる?」


「うん。」


手のひらの上に図面が置かれる。

俺の隣でずっと作業を見ていた白き少女が素早く渡したのである。


「ありがとう。」


「ううん。」


礼を言うと、少女は首を横にブンブンと振りながら強く答えた。

どうやら'どういたしまして'と言いたいらしい。


この子は聴力を失っているらしいからな。

それでも不思議な事にこちらが言っていることを理解できるらしいのだが、音が聞こえるわけではないので、まともな発音は出来ていない。


結局、必然的にこの子が話す言葉は'うん'とか、'ううん'というイエスやノーしか話せなくなっている。


「……お前も本当に苦労しているんだな。」


「?」


「ああ、気にするな、俺の独り言だから。」


「うん。」


少女は素直に頷いた後、俺が壁に設置した特大火玉を興味深そうに見始める。


最初にこの子と出会った時は気難しい子だという印象があったが、案外こうして共に行動をしているとそれは勘違いだとわかってしまう。

俺の行動を一々目を光らせながら観察するとか、俺がどこかに行くと小鳥のようにちょこちょこ付いて来るとか、やっばりこの子も歳相応の女の子だなと実感するのだ。


だからこそ、こんな純真な子にあんな仕打をしてきた黒頭巾の連中がどうしても気に入らない。


……うん、改めて俺の中から迷いが消えた。

計画通りに事を運ぶとしよう。

と言っても、本当に上手く行くかどうか心配ではあるが。


どこかもわからない、とある絶壁の中。

カルト的な変な信仰を持っている頭おかしい集団が引き籠もっている秘密基地。

その中でも俺達がいる場所は出口とはもっとも離れている隅っこの倉庫だ。


周りには魔道具やガラクタが置かれている棚だらけで、この倉庫にいるのは俺と隠しボスである白い女の子だけ。


神殿から離れて三十分ぐらい経っただろうか。

その間、他の人達にばれないように動きながら、ようやく作戦の下準備が終わった頃である。


といっても、別にそこまで気をつける必要はなかった。

なにしろ、ここの人達は結界とやらを張り直すためその殆んどが出口の方に行っているからな。

案外、楽な作業だったといえる。


「さてと……次はやっぱりどの出口で行くべきか、だな。」


この基地の図面を見ながら思索に耽ける。


まず、先ほどジャキルという奴を尋問してわかった情報によると、ここにいる奴等は'深き森の一族'らしい。

精霊神獣を神と崇め、神謀している、言わばカルト宗教的な奴らだ。

昔からこのセピア島に人知れず住んでおり、その数はおよそ三百人ぐらいだとか何とか。


でもそれはあくまで一族全員の数であって、この基地にいる人々は五十人も満たないらしい。


儀式の為に用意した神殿。

霊脈というのが強い場所がここ以外にも存在して、そこにも人々が待機しているようだ。


ちなみに一族を率いる長老という人がいるらしいが。

その人もここにはなく、バジルという幹部が代りにこの場所を仕切っている状態だという。


(バジルなら、部下達に怒鳴っていたあの老人だったな。)


俺がここに来た時、何かの計画が上手く行かず子供に怒鳴っていた奴だ。


あれはいけないよな。

いくら何でも周りに八つ当たりをするのは論外だ。

ストレスを発散するのなら別の方法がいくらでもあるのだから。


ちなみに、俺はそういう時には敢えて何も考えず、ボーッと散歩をしたり、俺の部屋を整理したりする。

何故かそういう時に限って部屋の掃除が面白いし、散歩をするとなんか楽しいのだ。


現実逃避?

違います。

頭が痛くなる案件を未来の俺を信じて後回しにするだけです。

むしろ自分自身を信頼していないと絶対に取れない勇気溢れる行動なのです。


「……といっても、今回だけはそれも出来ないか。どう考えても今やらないと、後というもの自体がなくなる訳だし。」


「……?」


図面を見ながら改めて作戦を見直していると、隣に立っている少女が不安げに俺を見る。

どうやら俺の独り言を聞いて心配になったらしい。


……どうしよ、俺。

独り言をブツブツ言うのが完全に癖になってない?

この一ヶ月、本音を明かして会話をしたことが皆無だったから仕方ないけど。


「ああ……、えっと、大丈夫だよ。そんな目で見なくてもいい。必ず上手く行くとは流石に言わないけど、だからといって絶対に駄目だと悲観的になる必要もないからね。」


「……。」


何とか安心させようと見栄を張ってみたが、どうも完全に納得してはいない様子だ。


先ほどまでは俺が倉庫の壁に設置した特大火玉を観察していたが、もうそこには目もくれず、少女は俺の隣に座り込む。


どうしたんだろうと思っていると、少女は俺が手に取っている図面のある部分を指し示した。


「出口?」


この基地には左と右、中央の三カ所に出口がいてそこを通じここの外、山へと出られる。


その内の一つを指しながら少女は静かに俺を見つめてくる。

何かいいたげなようだ。


「……何で直ぐにでも逃げないのか、そう言いたいの?」


「うん。」


当たりらしい。

素直に頷きじーっと俺を見つめるあたり、どうも先からずっと気にしていたようだ。


……そういえばこの子には何も説明していなかったな。

時間が足りなかったので急いで準備する余り、説明するのを忘れていた。


まったく、それなら作業している内に一言聞いてみたらよかったのに。

どうして黙っていたのか、ホント気を使いすぎだな、この子は。


……うん、まあ、この子はまともに話せないんですけど。


「簡単な事だよ。あの神殿から真っ直ぐ出口に行ったとしてもそのまま脱出することは不可能だからさ。」


「?」


少女が驚いたように目を丸くして俺を見る。


流石にこれは言わずともわかる。

絶対'どうして?'と言ってるな、これは。


「君は知らなかっただろうけど、この周りの結界が解除されたらしいんだ。そのせいで、今ここにいる人の殆んどが結界修復のために出口に揃っている。出口が三つだから単純に考えて五十人を三等分して……、大体、十六人か十七人ぐらいはいるだろう。そこに子供にすぎない俺達が行ったとして、どうなるかはわかるだろう?」


「……。」


「そもそも、君と合流する間にも時間は過ぎていくからね。結界がある程度は張られたと見るべきだろう。なら、尚のこと直ぐ出口に行っても脱出できない。あのジャキルという奴から聞き出した事によると、どうも結界を自由に解除できるのはバジルという最高責任者だけらしいからな。」


「…………。」


……おかしい。


俺はあくまで冷静に、それでいて客観的に今俺達が置かれた状況を説明しているだけなのに、この子が縮こまりショボンとするのを見ると、まるで俺が酷く責めているかのようだ。


何か凄く罪責感を感じるんですけど。


え?大丈夫?

俺はもしかしてこの一ヶ月の間、あのゴロツキ達のように薄情で人の心とかない奴になってしまってない?


「……あの、ね?そんなに心配しなくてもいいよう?その状況を打破するためにこんな下準備をしているのだからね。確に俺達では結界を解除できないだろう。そして、普通に戦ったら連中には敵わないはずさ。でも俺から言わせればそんなのは関係ないと言える。」


「?」


おっ、少女が顔を上げて'どういうこと?'の視線で俺を見つめる。

どうやらちょっと興味が出てきたようだ。


「簡単な事だよ。俺達が結界を解除できないのなら、奴らに開けてもらうのさ。それはもう、どうぞここから出てくださいと言っているかのよう、ちょちょいのちょいっとね。」


「??」


俺の言葉を聞き不安は完全に消えたらしいが、その代わりに好奇心が沸き上がって来たらしい。


少女はその青き瞳を輝かせながら俺に近付き、ジッと見始める。

俺の袖をグイグイと引き始めるあたり、'どうやってなの?'と言いたいのだろう。


……言葉はせずとも何を考えてるか全部わかるとか、この子、かなり感情が豊かな方じゃない?


どうしよ、ちゃんと説明するべきかな。

以前、子供を育てる時は子供が興味を示したり、関心を持つと粘りづよく説明してあげるべきだと育児関連の記事から見たことがある。

俺とは縁のない話だと適当にスルーしたんだが……。


……まさか結婚どころか相手もいないのに、子供を育てる方法について悩む事になるとは。

一体、これから俺の生活はどうなるのやら。


「あ、吐きそう。」


「!?」


ここから逃げた後にこの子を育てる事を考えると、その苦労が簡単に想像できて吐気がする。


そうだ、俺は頭が痛くなるほどの案件に出会すと緊張のあまり、お腹を崩してよく吐くのである。


きっと誰も知らなかった事実であろう。


俺はいつも落ち着いていて、抜かりない印象を与える人間だと自負しているからね。


他の人にそんなことを聞いたことは一度もないけど、それは気にしない。


「ああ、大丈夫だよ。本当に吐くつもりはないから。そんなに慌てて何か袋みたいなのを探す必要はないって。」


隣の少女が周りの棚を見回し袋を探そうとするので止める。

まさか、すぐにこんな反応を見せるとは。

いい子なんだな。


何でこんな良い子ちゃんがあんな仕打を受けて、最後には隠しボスになるん?

頭おかしくない?

神とか、あの乙女ゲームを作った人とか、後で実際に会ったら文句を言いたい程だ。


「ううん。」


俺の言葉を聞いて袋を探す事を放棄した代わりに、今度は俺の背中を擦り始める元隠しボス。

その姿を見ていると、内心'しようがないな'と思ってしまう。


……確にこれからが大変なんだが、そんなの全部覚悟した上で引き受けったんだし。

それにこの子を預かるのは必ずしも悪いことだけではない。


先ほどこの子と一緒に行くと決めた時は、俺がひねくれた奴で、こいつと一生に生き残ると胸がすくという理由しか言わなかったが、さすがにもう一つの理由があるのだ。


その理由は簡単。

この子が隠しボスである故だ。


そう、それこそがもっとも重要なキーポイントである。


この子は原作で魔女アウロラーに回収され、隠しボスになってしまう。

その力は絶対的で、一度そうなってしまうとこの大陸全体が危ない程だ。


だが、まだそうなると決まっている訳ではない。

何しろ、今は原作時点より過去であり、まだこの子はあの魔女に見つかっていないのだから。


つまり、もし俺がここでこの子を預かり共に逃げれば、隠しボスが降臨するという展開は避けられる可能性がある。


本来の方針では、ゲームのストーリーに深く関わるのは避ける予定だったが、それはあくまで俺の動きにより女主人公が王国を救う過程が予定と違ってしまう事を懸念したからだ。


でも、この子の場合は話が違う。


この子を魔女アウロラーから遠ざけるだけならば、メインストーリーがおかしくなることもないし、主人公が無事に王国と世界を救う過程がどこかで狂う心配もない。

なにしろ、後日談に出てくる隠しボスの出現だけ止めるのだからな。


俺が帰る方法を見つけ出すまで、ずっとこの子の面倒を見てやる必要があるが、未来で隠しボスが現れるフラグを事前に折ることにもなるのだ。

充分にやってみる価値はあるのではないだろうか。


……まあ、以上の理由もあり、そして何よりもこの子が置かれた現状と未来があまりにも理不尽で気に入らない事もあり、この子を預かると決心したのである。

さすがに実際のメリットがないと、いかに激情を感じるといえどそんな選択は出来ないからな。


あの短い瞬間に、よくここまで打算的に事を考え決めたものだ。

自分でも自分の思考方式に引いてしまう。

もしや、俺って奴は人の心とかいないのでは?


「ねえ、俺ってかなり冷たい奴なのかな。」


「?」


自ずと不安を溢してしまうが、そんな俺の心境をこの子がわかるはずもなく。

ただ、'どういうこと?'と言うかのように小首を傾げるだけだ。

……まあ、そりゃそうよね。


「いや、何でもないわ。さてと、まだ作戦開始までは時間があるか。だったら……。」


倉庫の外に向けて耳を澄ませるが、俺が期待するような音はまだ聞こえない。

おかしいな、もうそろそろ聞こえて来てもおかしくない頃だが。


仕方ないと思い、俺は背負っていたリュックから気になる物を取り出す。

時間は限られており、それを少しも無駄にはできないのだ。


今の内に考えを纏めるのも悪くない。

作戦の途中にはこんな余裕もなくなるだろうし。


「あ。」


「やっぱり、お前も気になる?これ。」


俺が取り出した物を見ると少女の顔色が変わる。

どこか悲しくも見えて、同時に何かを気にしているような目付きだ。


俺が手に取っているのは端的に言うと'拳銃'だっだ。

しかも一つではない。

いわゆる双銃である。


紅蓮の色を纏い、鋭くも洗練されたデザインをしている拳銃が二丁。


見るからに普通の品物ではないとわかってしまう程、尋常ではない魔力が漂っている。


……いや、日本から転生した俺はまだ魔力というのをよくわからないっていうか、感じられないので、より具体的にいうと尋常ではない雰囲気というべきだろうけど。


とにかく、とんでもない双拳銃ということだ。


それもそうだろう。

俺はこの双銃をよく知っている。


燃え上がる炎のごとき明るくも深い深紅の色付き。

そして、見るからにとてつもなく強い気迫を感じ、凄まじい魔力を蓄えているとわかる(気がする)圧倒的な存在感。


何を隠そうか。


これこそが、あの乙女ゲームで得られる最強武器の七つ。


その内の一つである最強双銃、『鳳凰紅玉銃(クリムゾン・ヘルガン)』である。


漢字とルビが違う件については聞かないで欲しい。

俺も知らないから。


鳳凰紅玉銃と書いてクリムゾン・ヘルガンとは一体どういう事だろうか。

鳳凰と紅玉はどこに行ったん?


「というか、何でこれがここにあるんだよ。……って、ちょっと!触ろうとするな!これは銃だから危険だぞ!めっ、だからね!」


理解出来ず放心していると、隣に座っている少女がそっと『鳳凰紅玉銃(クリムゾン・ヘルガン)』を触ろうとするので急いで止める。


こんな危険物は子供が触るべきではないのです!

俺は中身が成人だからセーフなだけだからね!


「う、うん。」


俺の慌てぶりを見て少し驚いたようだが、少女は素直に頷き銃から離れる。

でもチラチラと見ることは止めない。


まあ、その気持ちはわかるよ。

見た目は凄くかっこいいからね、これ。

紅蓮の双銃とか、男のロマンに結構来るものがあるからな。


……この銃が出たの乙女ゲームだけど。

後この子は女の子だから男のロマンとか知らないだろうけど。


そんなのどうでも良いのだ。

かっこいいのは事実だから、俺は好きなのです。


「さて、冷静に振り返して見よう。君も覚えているだろう?これを手にした経緯について。」


少女が頷く。

忘れる筈もないと断言するかのよう、迷いがない良い目だ。


うん、これならば期待出来るな。

俺が気付く事が出来なかった何かを気付いてるかもしれない。


「よし、じゃあ整理するぞ。まず、俺達はあの神殿から抜けて走っていたよな?」


「うん。」


「そして突然、よくわからない虹色の光が俺達に飛んできたと。」


「うん。」


「ばれたと思って君を庇おうとしたら、いきなり光が小さくなり、やがてこの双銃が俺達の前に置かれたと。」


「うん。」


「……つまり、どういう事?」


「……ううん??」


頑張って話に付いてきながら頷いていた少女の首が、急に横に傾げてしまう。

'よくわからないよ?'と断言するかのよう、迷いがない良い目だ。


うん、やっぱり駄目だったわ。

俺と同様、この子も何も知らないっぽい。


いや、本当にどういう事か全くわからない。


これは間違いなくあの最強装備の一つである『鳳凰紅玉銃(クリムゾン・ヘルガン)』だ。

ダンジョンを攻略して、素材を集めて、隠された特定のイベントを見て、ようやく作れるようになる最強装備である。


何故これがこんな胡散臭い場所にいるのだろうか。

しかも、獲得した過程も怪しすぎて、もはや何かの罠ではないか心配になるほどだ。


「ううん……?」


「どうした?これを使うのか、そう聞いている?」


「うん。」


あまりにも意味不明な事態に悩んでいると、そんな俺と『鳳凰紅玉銃(クリムゾン・ヘルガン)』を見ながら少女が口を動く。

どうやら銃を知らない分、気になって仕方がないらしい。


それにしても当たり前な事を改めて聞くんだな、この子。


こんなに強くて、とてつもない性能を誇る最強装備なのだ。


当然ながら。


「絶対に使わない。」


「!?」


「何でそんなに驚くようなんだ?見ろよ、どう見ても怪しいんだぞ?無闇に使う訳ないだろう。いいかい?この世にはタダ飯というのは絶対ないんだからね?それが人だろうと、物だろうとまずは疑いをかけるべきなんだ。ヘラヘラしてるとあっと言う間に詐欺やら何やらにやられるのが常の世なのだから。」


そう、俺は知っている。

あの厳しい現代社会を生き抜いてきた大人なのだ。


これは罠に違いない。

それとも何かの死亡フラグとか、地雷案件に違いないのだ。

常識的に考えていきなり空から最強装備が降りてくるとか、いかにも怪しいではないか。


まるで、「どうぞ!使ってください!これは特典ですぞ!」と言っているかのようだ。

じゃ、使わない。


オレ、知ってル。

これっテ、サギって言うんでしょウ?

オレは賢いかラ、やられないゾ?


「うん、後で帝国に行ったら高価に売ってしまおう。金にはなるだろう。」


十中八九、呪いとかが掛っている状態だろうが。

売ってしまえば問題ない。


「……あ、いや、よく考えたらそれも出来ないか?」


どうやって売るべきかを考えていると、一番重要なのを思い出してしまった。

今が原作時点より過去だというのなら、今はまだ'銃'というものはこの世界では開発されていないのでは?


……そうだ、確にそうだった。

原作でも銃は普通に登場するのだが、まだそこまで常用化されてはいなかったはずだ。

【黒きサソリ】の雑魚達は普通に使っていたけど、それはシグマが手を回して銃を誰よりも早く搬入しただけだった。


銃を開発したのは他でもない、今俺が目的地に決めているグランツ帝国である。


帝国は銃の他にも現代的な発明が次々とされる、かなり進歩的な場所だったはず。


ここ、ハルパス王国が魔術強国というのなら、グランツ帝国は技術強国といえるような。



'ああ、銃って奴ですかい?それは勿論持ってますぜ。だが、生憎と俺には合わなくてね。一応持ってはあるが、どうも帝国の新技術とやらは俺みたいな時代遅れとは相性が悪いみたいだ。いやー、それにしても、俺みたいなゴミ屑にも気を使ってくれるたぁ。さすがは新たなお姫様。懐が広い。……それとも、素手の傭兵一人。相手にする価値もないってことかねぇ。'



「……。」


そう、思い出した。

これは間違いなく、原作で主人公を始めて攫おうとした時にシグマが吐くセリフだったはず。


どのルートで言ったかは忘れたけど戦闘に入る直前の会話パートなのでちゃんと覚えている。

この言葉通りなら、やはり原作時点でも銃は開発されて間もない新技術だったのだ。


当然ながら、俺が過ごしたこの一ヶ月を振り返してもシグマが銃を帝国から持ち込んだ記憶はない。

つまり、隠しボスであるこの子が黒幕の魔女にまだ見つかっていないように、この世界には'銃'というものはまだ存在しないのだ。


「……え。ちょっと待てよ。これ、かなりやばくない??」


改めて俺の手に置かれた二丁の拳銃を見る。


本来、今の時点では存在しないはずの武器。


しかも俺が覚える限り'銃'というカテゴリーの中では最強の装備だ。


……マジでこれ、何でここにあるの?

冗談でも何でもなく、これ本当に厄ネタじゃない?


現在では存在しない技術だから帝国に行って売ることは出来ないし、他の国で売ってしまう事もできない。

設定を大きく変えてしまう恐れがあるからな。

単に黒幕が隠しボスを見つけられないように隠すのとは訳が違う。


「そもそも、これが本当にあの装備なら無闇に売って、それでどうなるのだ?」


原作で主人公や攻略対象達は各々が使う武器の種類が決まっている。

主人公は杖で、王子は剣しか使わないようにできているのだ。


主人公と五人のイケ面達、そして隠された攻略対象まで合わせると全部で七人。

よって、各自が使える武器の種類は七つ。

最強装備もまた一つずつで、全部で七つ。


その中でも銃を使う奴は……。

たしか、姫になった主人公の専属執事として配置されたイケ面で、表は親切で爽やかだけど実は腹黒でヤンデレ的な部分があった奴で……。

えっと、名前が……。


……。

………………。

…………………………。


「くそ!思い出せよ、俺!どんだけ男に興味がなかったの!?これはホントに、マジで、どうしても重要な部分だろうが!?」


「えっ?!」


隣で飛び上がるように驚く声が聞こえたが気にしない。

俺は考えに没頭する時には周りはあまり気にしないようにするのだ。

だって気が散るから仕方かないよね。


「ぐぬぬぬぬぬ……。」


……そうだ。

段々思い出してきたぞ。


あの執事のルートは王国の存亡が掛った他のルートに比べると、のどかというべきか。

緊迫な外部状況よりも、執事の過去や家柄の事情に注目し、それを愛で癒す事を重点にしたようなシナリオだったはず。


最後に精霊王が暴走するのは変わらないのだが。

それも王国が戦争に巻込まれたり、暴走が酷く、王国全土が混乱に陥る他のルートとは違い、あくまで姫と執事だけがその事実を知って地下で向き合う事になる。


そして、主人公は地下で死んだと死を仮装し、そのまま過去の呪縛から解放された執事のイケ面と彼の故郷である'ドンムレ村'に向かった……


「そうだ!思い出したぞ!ドンムレ村のセリックだ!」


ようやく攻略対象の内、一人の名前を完全に思い出した。

そうだ、そうなのだ。


ドンムレ村のセリック!


そいつは確、幼い頃から家の事情が複雑で、その影響で腹黒になったりヤンデレになったりする。

そして姫と執事として出会った主人公が彼の過去に深く触れ、愛を育てるのが主だったのだ。


ちなみに、このルートだけバットエンドが非常に多く、その殆んどが執事に監禁されたり殺されたりするのが多い。


うん、俺は後でヤンデレとは関わりたくないな。

怖いです。


「……いや、そんなのはどうでもいいわ。重要なのはアイツが銃を使う奴で、これはその最強装備だろう?じゃ、これをもしも俺が売ったりするとか、どこかでなくしたら?」


……本当に考えたくもないし、さすがにあり得ないと思うけど。

執事ルートに入ったのに装備が悪いせいでラスボスの精霊王を倒せないとか?


つまり、これが今俺の手の中にあるという事自体が、ルートによっては死亡フラグになり得る可能性があるのでは?


「………………あ、吐きそう。」


「!?」


「あ、ごめんね。つい涙を流すところだったよ。いやあ、ホントどうして人生とはどこを行っても思い通りにいかないのか、不思議だネ。それで?俺達はどうしようとしていたっけ。今日の朝御飯は何なの?」


「うう!!」


少女が何故か大きく慌てながら俺の肩を掴み、大雑把に揺れ始める。


おお、以外と力があるね。

このお父さんは嬉しいぞ、うちの娘は今日も元気なのです。


「うう……!」


「……わかった、わかった。もう冗談はしないから安心しろ。はあ、気が滅入るな……。」


いい加減、少女が本当に泣きそうに見えるので現実逃避を止めることにした。


隠しボスを預かるのもいい、本来ドンムレ村のセリック君が使うべき武器がここにあるのといい。

どうやら破滅の運命とやらは、そう簡単に俺を逃すつもりはないらしい。


あの虹色の光を纏って現れたところ、きっと何者かが俺にこの銃を渡したと考えるべきだろう。

しかも特大の地雷、死亡フラグになり得る案件を、だ。

もしかして俺をこの世界に転生させた神の仕業だろうか。


……文句があるのならこんな回りくどい事をせず、直接俺の前に来て言って欲しい。

俺を苦しめてそんなに面白いのですか、神よ。


「……?」


大きなため息を吐くと、少女が涙目で俺を見上げる。

「大丈夫?」と言っているかのようだ。

相変わらずわかりやすいな、こいつ。


後、可愛いからそのように見上げるのは今後も俺だけにしなさい。

男という生き物は全部狼だからね。

このお父さん(仮)はつい心配になっちゃうぞ。


「……た……やら……!!」


「ええ……やく!」


一瞬、俺と少女の目が合う。

少女は涙目をやめて、俺は来るものが来たと直感する。


この倉庫の外が騒がしくなったのだ。

事態が動き出したらしい。


「シッ。」


少女に静かにするよう、指を唇に当てるしぐさをする。

少女が'わかった'と頷くのを確認し、扉に近付き耳を澄ませる。


……予想どおりだ。

神殿で気絶していたジャキルが起きたのだろう。

連中もようやく基地内に侵入者がいるのを気付いたらしい。


「やっと動いたな。まったく、もっと早くしてくれればよかったのに。」


そんな不満をつい呟いてしまうが、何。

ようやく俺が待っていた状況が来たのだ。

ならば後は進むのみである。


計画はもしも失敗する場合を想定し、三つ用意した。

プランAが失敗したら、直ちにプランBかCに切り替える準備もしてある。


「ふう。」


落ち着いて深呼吸をする。


今回は俺だけではなく、もう一人の命もかかっている。

万が一にも失敗は許されない。

用意した計画が全部台無しになる可能性も否定してはならないのだ。


あらゆる事を考え、それら全てに対して対策を立てないと、子供の体では生き残れない。

力も足りず、真っ正面で戦えないのなら、俺に残されたのは頭を使う事だけなのだ。


「よし。行くぞ。準備はできているね?」


「うん。」


どうやら、その覚悟はこの子にもあるらしい。

俺を見る目には生きたいという意思がちゃんと宿っている。


それを嬉しく思いながら、俺は直ぐに指示を下した。


「じゃあ、これからしばらく君はお荷物になってもらうからね。そこんとこ、よろしく。何が起きても絶対に声を出すなよ?」


「???」



***



「どうだ、巫女は見つかったか?!」


隠された霊脈。

その中央に立たれた古き神殿を守る為、長くにわたり作られた迷路の出口から、とある男の怒鳴り声が響き渡る。


見るからに歳を取っているとわかるような白く脱色した髪で、眉間には深い皺が刻まれている。


だが、まだ完全に老人だと言うのは難しいだろう。

その体は若い男性と比べられるほど健在で、見るからにも精力を感じられる頑丈な筋肉が見える。


このバジルという男はつい四年前まで、傭兵として大陸のあらゆる場所を行き渡っている。

'深き森の一族'が背負う多くの縛り、その中でも決して外に出てはならないという掟から数少ない例外として認められたのが、このバジルという男だった。


もはや体は全盛期の頃と比べられるものではないが、まだ若い者には負けておらず、傭兵として鍛えた戦闘能力は勿論、一族が秘匿していた'呪術'の実力はむしろ以前より力を増している。


いわば、この'深き森の一族'の中でも指折りの実力者だと言えるのがこの男だった。


外の世界を知りつつ、力と実力を備えているプロともいえる初老の強者。


故にこそ長老は巫女と霊脈の警備というもっとも重要な役割を彼に任せている。


だが、今のバジルは誰が見ても一目でわかってしまうほど動揺していた。

肩は興奮のあまり激しく上下に揺らしており、呼吸も乱され、視線が淀んでいる。


こうなってしまったら逆に報告をしに来た部下が戸惑ってしまう。


元々バジルは仕事にうるさく、元傭兵である経験があるせいか少しのミスも生死に関わると思うきらいがあった。


'深き森の一族'の中でも屈指の呪術使いでありながら、慎重さと狡猾さまで備わっている。

自分の思うように仕事が進まないと周りに八つ当たりをする悪い癖があるものの、断じて冷静さを失うような人物ではないのだ。


しかし、今のバジルはどうだ。

見るからに焦り、苛立っている。

それは意外の事態が起きたり、部下がヘマをする時に見せる反応ではあるが、それだけではない。


震えている。

恐怖を感じている。

その感情を隠す余裕すらないほどまでに、一族の中でも長老の次に強いとされる幹部が怯えているのだ。


……一体、何に?

バジル程の実力者がここまで恐れているのか理解できず、部下は完全に固まってしまっている。


だが、バジルから言わせればこの部下こそ理解出来なかった。

以前から、間抜けな奴らが多いと感じたが、よもやこんな非常時ですらこの怠けた様子とは。

事態の深刻さをまるで理解していない。


「ええいっ、いい加減にして話さぬか!貴様は一体何しにここへ来たのじゃ!巫女は見つかったか、否か!?」


「あっ!い、いいえ!見つかっておりません!ジャキルが言ったとおり、どうやらあの【黒きサソリ】に連れ出されたようで……」


「っ……!では、傭兵共は?巫女を連れ去ったという少年兵の行方はどうか?奴は一人ではないはずじゃ。あの憎きシグマめが仕掛てきたのだ。きっと狡猾な策を講じてきたに違いない。その少年が巫女を攫う役割なら逃走ルートを確保する奴らもきっといるはずじゃ。」


「も、申し訳ありませんが、その少年はもちろん、他の侵入者の様子も見えておらず……」


「他の出口の様子は?結界は全て張り直せているのじゃな?」


「はいっ!そちらが抜かりなく!呪石による防壁の作成は既に完了しております!」


怒鳴りたいのを何とか堪えながらバジルは周りを見渡す。


洞窟の出口からは半透明な緑色の膜、結界が展開されている。


周辺には結界の張るために用意した、原料である呪石が入っている箱が散らばっている状態だ。

その数はおよそ三十個、これならば数日は結界を維持できる。


こうなると問題は他の出口に張った結界の状態であるが、それも問題ないと部下の奴が宣う。


(……おのれ、何が問題ないというのじゃ。そう言いつつも儀式は失敗し、敵の侵入を許してしまい、巫女すら失っている状態ではないか……!しかも、その相手は……。)


頭に血が上り、直ぐにでも鬱憤晴らしに目の前の無能に呪術を仕掛けたいが、そんな余裕はない。


相手はあのシグマなのだ。


そのような事をする時間になんとか対策を錬るのが賢明だ。


少しでも油断したり隙をみせると基地はおろか、ここにいる全員が皆殺しにされるかもしれない。


「……よかろう。結界に異常はなく、他の出口からも傭兵共の姿は見えておらんのだな?隠し通路の状態は?」


「はい!そちらも問題ありません!」


「ならば、奴等は必ずこの迷路のどこかに隠れているはず。わしが覚えているアヤツならば……」


脳をフル回転させる。

傭兵であった頃に出会ったシグマの姿とその戦い方を思い出す。


今まで生きてきた中で誰よりも強く、壁を感じさせた男。

秘匿の呪術を使い、その万能感に自惚れていた自分に現実の厳しさを、決して越えられない者がいると身を持ってわからせた怪物。


……今も思い出すと身が震える。

たった一度。

そう。

敵として戦場で対峙したのはたった一度だけだったが、その男が尋常ではないと体感するには充分だった。


彼が'傭兵王'と呼ばれるきっかけになった戦争こそ、バジルがシグマと出会し、徹底的に敗北した戦いだったのだ。


'リディア革命戦争'。


今から四年前の出来事である。

周りの国も支援する形で参戦し、ハルパス王国さえも王立騎士団、すなわち'魔法使い'達や正規軍の八割すら派遣した大規模な戦いに、傭兵だったバジルも参加していた。


今では'リディア王国'ではなく、'リディア共和国'と呼ばれる理由にもなったあの戦争でバジルはシグマと戦っている。


……ちょうどよいと考えた。


あの戦争は古き王族と、地方領主達の同盟がぶつかる、いわば支配者同士の戦いだった。


王族の長き暴政に不満を感じていた地方領主達が、とある名門貴族の若き天才少女が訴え出した声明文に影響を受け、決起し、一斉に立ち上がったのだ。


周りの国は己が国の利益を得るためリディア王国の王族か、地方領主側かを選び支援していた。

ハルパス王国もその戦争で天才少女と地方領主達を積極的に支援し、魔法使いと軍隊を派遣したのである。


戦況は戦う前からどっちが勝つか子供でもわかるほどだった。

勝ちが決まっている戦いといえる。


牙が抜けた古い王族。

実権を握っており、天才少女という女傑を中心に集まった地方領主同盟。


どちらを支援するのが後ほど、国に利益になるか問うまでもない。


その戦いで地方領主側として参加してくれと雇われるのは、金をただでくれてやると言っている事と変わらない。


しかもバジルは我が一族の呪術こそ、古き盟約を忘れつつあるあの愚かなハルパスの魔法使い達より優秀だと、その事実を証明する事を目的にしていた。

味方として戦うとはいえど、戦場でより多くの戦果を上げられるのならその証明にもなりうる。


だから意気揚々としていた。


地方領主側に付いた全ての国の軍隊、将軍、責任者達は誰もが勝ちを確信し、もはや勝ったも当然だと思っていた。


圧倒的な戦力差だったのだ。

王族側が一ならば、地方領主同盟はその二十倍といえる。

しかもあの魔法強国、ハルパス王国までもが味方として参戦した以上、負ける道理がない。

そう信じて止まなかった。


それが……。


…………それが、まさか半年も戦いが長くなり、首都攻略に失敗し続けるとは誰が予想したものか。


結果だけ見ると確に地方領主同盟は勝った。


だからこそ、王族は滅び、'リディア王国'から'リディア共和国'になっている。


今ではあの天才少女が出した案にすべて賛同し、一定周期で投票を行い以前の地方領主の内から統治者を選びなおすらしい。

歪で聞いたことのない統治だが、それは今重要ではない。


問題はあの圧倒的に不利な状況で王族側は半年も耐えたという事。


そして、それを可能にしたのは王族が招いたとある傭兵だったという事だ。


シグマ。


それだけ名乗り、素姓も明かさなかった無名の傭兵は首都を守り、半年も籠城を成功させたのである。


その間に王族側が受けた被害は少なく、むしろ攻撃を仕掛けた同盟軍こそ被害が莫大だった。


勝てなかった。


何度も、何度も、まさしく、もはや数えるのが馬鹿馬鹿しいほど仕掛けても、バジルが属する同盟軍は首都の城壁を越えることが出来なかった。


怪物。

または、戦の天才というべきか。


結局、戦いは半年で終わったがそれは同盟軍の完全な勝ちとはいえない。

戦いの幕が下りた理由は、王族側の内紛が起きたせいだったが故に。


部下によって王と王子の首が切られ、それで戦争は終わったのだ。


そう。


他でもないシグマ自身の手によってあの戦争は終わったのである。


……後で、同盟軍を率いった天才少女がどうして自ら雇い主を殺し降参してきたかと問うと、彼はこう答えたらしい。


'期待外れだった'と。


そして、これから自分の元に来て働かないかと誘う少女の提案を断り、まんまと包囲網を抜け逃げ出したのである。


その戦があったからこそ、奴の名は知れ渡った。


あらゆる国に、その支配者達に、無頼者とゴロツキ共である傭兵の中でも格段にずば抜けて脅威になりえる者がいると。

その業界に'傭兵王'シグマありと。


そしてバジルは傭兵をやめ故郷に帰る事を決めた。

どうしても越えられない者がいると気付くと今までの自分が恥ずかしくなったのだ。


「バジル殿……?どういたしましたか。どこか具合が悪いのですか?」


「…………。」


この非常事態に間抜けた顔をしている部下を見てバジルは体の中の臓器が歪む気持ちになる。


……こいつらは何もわかっていない。


外の世界を知らないから、この非常時にもこんなにも能天気なのだ。


よりにもよって、あの傭兵王を敵にするとういう意味をまるで理解していない。


「……何でもない、それよりも本当に奴めがここにおるのなら、恐らくは……」


バジルの声が更なる爆音によって途切れる。


洞窟が揺れ始め、天井から小さな石の欠片が落ちる最中、周りから悲鳴が聞こえ始める。


「ひいいいいいいいーー!」


「な、何だ!?何が起きてるんだ!?」


「落ち着けんか、ボンクラ共!そう騒いだところで何にもならん!」


「ば、バジル殿……!」


周りの部下達からくる混乱の眼差しを無視し、バジルは舌打する。


何か仕掛けてくるとは思っていたが、この揺れと爆音は一体何事なのだろうか。


「シグマ……、あの悪魔めは一体何をしとるのだ……。」


「バジル殿!!」


爆音と揺れは止まることなく続いて起きている最中、慌てる声が聞こえ、通路の先から黒頭巾を被った一族の子が走ってくる。


遠くから聞こえてくる悲鳴のせいか。

それともこの混乱の中、パニックになっているのか。

他の部下達と同じく小さい子もまた怯えている様子だった。


「一体何事じゃ!シグマが動いたのか!?」


「わ、わかりません!ですが、倉庫の殆んどが爆発し、いまあらゆる所で大火事が起きています!ど、どう考えても普通の爆発ではありません!」


「バジル殿!?それはいけないのではないですか?!儀式の素材はもちろん、呪術のための呪石が毀損したりしたら……!」


「くっ……!」


……何という事だ。

よりにもよって倉庫を狙われるとは。


'深き森の一族'は遠い昔から魔法ではなく、呪術というのを使っていた。

古き盟約のせいで劣化し続けた一族は魔法を使う事が出来なかったのである。

その代わりに物に精霊の力と魔力を宿らせ、これを活用する'呪術'を開発したのだ。


当然ながらそれらを作るためにかかるコストは普通ではない。

それらを失うということは、一族が守ってきた遺産をなくす事と同義である。


何よりもここは精霊神獣を降臨するために用意した特別な施設だ。

もしその呪石や道具を失うと、儀式を実行する事は出来ない。


(しかし、何故じゃ。どうやって、アヤツめがその事実を知っておる。まさか、ジャキルめが尋問で全部ばらしおったか?)


「おのれ……!あの無能は後できつく処罰してやるわ!全員!一旦、各倉庫に向かい、呪石と道具を回収しろ!どうせ、連中は袋の中の鼠じゃ!まずは、我らの遺産を死守するのを優先せい!」


「「はっ!!」」


部下の青年達が急ぎ通路の向こうへと走り出す。


その様子と顔を顰めているバジルを見てどうするべきか迷っているかのように、事態を伝えに来た子供が慌てて話した。


「ば、バジル殿!わ、私は……」


「貴様もさっさと行って呪石の一つでも拾うに決まっておろう!どこまで腑抜けなのじゃ、貴様は!」


「し、失礼しました!!」


まったく、どうして自分の周りにはこういう無能な奴らしかいないのか。


そう心の中で嘆きながら、バジルも急ぎ通路に向かおうとした時だった。


「待て。」


「は、はいっ!どうしましたか!」


先までとは違い、バジルは一気に冷めたような冷静な声を出す。


体が強張る。

目に力が入り、内から熱が込められる。


見えたのだ。


一瞬だけ、通路の方へ行こうとする子供が被った黒頭巾。

その中が。


頭を深く被ったその頭巾の下から'黒い髪'が見えた。

一族の中で自分が覚えているかぎり、決していなかったであろう髪色。


「その頭巾を下ろせ。」


「え?それはどういう事ですか!?」


「黙って言うことを聞かんか!貴様が被った頭巾を下ろせと言っておる!」


懐に入れていた雷の呪石を取り出し、真っ直ぐあの子供の背を狙う。


子供はこちらに振り向く事なく、だからといって頭巾を下ろそうともしない。


それで確信を持ち、バジルの目に怒りが灯る。


「……貴様、何者じゃ。」


「……知っているのにわざわざ聞く必要あります?ご想像のとおりですよ、親愛なるバジル殿。」


「そうか、ならば聞こう。貴様の仲間達……いや、巫女は何処(いずこ)か。」


きっとこの基地にある下っ端の子から奪ったであろう。


黒頭巾を被っている侵入者は小さくため息を漏らす。


「答えぬか。巫女殿は何処(いずこ)に……」


「そんなの、決まっているでしょう。疾っくにここから逃げて、逃亡の真っ最中ですよ。」


「何!?」


バジルの目が丸くなり、口が驚きでパクパクする。


コヤツは今何と言った?

逃げた?

この基地から既に抜けて外に出て逃走中だと?


「でたらめな事を言うな、小僧!!そんなことが出来るはずがなかろう!!結界が張られておるのだ!ここから逃げられる筈が……」


「じゃ、そもそも何で僕がここにいるかの話ですよ、バジルの旦那。」


「……!」


ようやくこっちに振り向き頭巾を下ろすと、薄笑いを浮かべている少年の顔が見える。


黒髪の少年。

巫女や、一族の中で一番歳下である子らとあまり変わらないほど小さい。

どこからどう見てもただの小僧だ。


だが、違う。

こやつは普通の子供ではない。

以前、外の世界を旅し、傭兵として暫く働いたからわかる。


今、目の前でニヤニヤしているあの小僧は間違いなく子供だが、雰囲気が全く違うのだ。

そう感じざるを得ないほどの余裕と落ち着きが見える。


「貴様がジャキルが言っておったシグマめの手下か……。」


「そういうこと。僕がここにいる事が、そして今もこの場所が攻撃されている事こそが、貴方が信頼する結界が万全ではないという証明なのです。じゃあ、逆に僕から聞きましょう。何故、貴方は結界が完璧だとお考えか?強制的に解除され、張りなおす必要がある欠陥品だというのに。」


「……貴様。」


こいつは知っている。

儀式の影響か、何らかの理由で結界が解除されていた事を。


それは何故だ?

ジャキルを尋問し聞き出した?

それとも……。


「……まさか、結界の解除は儀式のせいではなく、貴様らの仕業だったのか?」


「さあ、僕からは何とも。」


黒髪の少年はわざとらしく口元を歪ます。


……よくも、ぬけぬけと。

どう見てもこっちを挑発している。


信じがたいが、それならば頷けるのも事実だ。

急なる結界の解除とこの時を狙ったかのような奇襲、そして巫女の誘拐まで。


シグマはとっくの昔にこの場所を特定して、時を狙っていたと見た方が自然ではある。

あの'傭兵王'なら充分可能だろう。


「……それで、仮に巫女殿が貴様の仲間と一緒に逃走中だとしよう。なら、貴様はなぜここにいる。」


「それはまた簡単な事を。それはもちろんこれが僕の役割だからですよ。」


得意げに話した少年は素早く手に握っていた何かを、洞窟の中に通じる唯一の通路の天井へと投げる。


何事かとバジルが警戒する直後だった。


遠くから聞こえるのとは比べられないほど大きな爆発音と共に、天井の一部が崩れ落ちる。


洞窟が崩れないか心配になるほど揺らぐが、特殊な呪石により作られた基地は壊れず。

破片と岩石で通路だけが塞がれる。


「なっ……!」


「まあ、ご覧のように貴方を足止めするのが僕の役目でね。あの子がせっかく自由を求めて逃げ出したんだ。追わせる訳にはいかないんですよ。」


……なるほど、理には適っている。

この基地にいる中で結界の解除が出来るのは自分のみだ。


バジルという人間さえ押えれば残りの追手も心配することはない。

それを叶える為に、傭兵として使えない少年兵を使い捨ての駒として活用する。

まさしく、あのシグマめがすることではあろう。


だが、今はそれよりも違う問題がバジルに怒りを与えていた。


「……貴様、何故我々一族の呪石を使っておる。」


「は?呪石?」


「我々一族が何百年も秘匿し開発した魔法の石の事じゃ!さては、貴様ら!あの爆発も全部我々の技術を奪い、悪用したものか!!」


それは'深き森の一族'であることを誰よりも誇りにしているバジルにとって、許しがたい行為であった。

まさしく、シグマへの恐怖と巫女を取り戻さねばならぬという焦りすら忘れるほどに。


「……ああ、なるほど。あの香水と同じく、この戦闘用アイテム達はそんな設定だったと。」


「何をわけのわからぬ事を抜かすか!絶対に許さぬ!貴様を使い捨ての駒にしたシグマを恨むがいい!」


「チッ!」


バジルの手から雷撃が発する事と当時に、少年が横へと体を飛ばす。


(何……!?)


まさかこの奇襲を、しかも速度に関してはどの呪術よりも早いはずの雷の呪術を避けるとは。

流石に予想出来ずその一瞬、バジルの体が鈍くなる。

そしてその微々たる隙を、少年は逃さない。


小さな足が地面を強く蹴り、信じられない程の速度でバジルに肉薄する。


一歩で速度が最速に到り、

二歩で距離を完全に縮め、

三歩で鋭く輝いている刃がバジルの足首を斬る。


(コヤツ……!!)


(浅いっ……!)


舌打する声が同時に重なりながら、少年とバジルは各自、後ろへと後退し距離を置く。


右の足首から感じられる痛みから、もうちょっと深く斬られたら右足を満足に動けなかったはずだと、傭兵の経験があるバジルは瞬時に理解する。


それをあの少年もわかっているのだろう。

ナイフを持ちながら構えている少年は眉を歪め不満そうな顔をしている。


……先ほどの爆発的な加速は身体強化か。


手慣れた魔力運用でないと決して成し得ない速度だった。

しかも、的確に隙を突き急所を狙うやり方まで。


(なるほど。ジャキルを拷問して巫女を回収したのもいい、コヤツ。使い捨ての駒ではなく、歴とした傭兵であるか。シグマめ、とんだ虎の子を育てているものよ。)


頭に血が上ってしまった事を反省する。


もしも、あの子がもう少し大きかったら深く斬られ、そのまま立つこともままならず不利になっていただろう。


この子に殿を任せたのもいい、もしかしたら目の前の少年はシグマが鍛えている未来の腹心候補なのかもしれない。


「よかろう。久方ぶりに滾った来たわい。小僧、傭兵として先輩でもあるわしが、いかに世界が広いかを教えてやろう。」


「……それはまたどうも。涙が出るほどありがたいっ、すね!!」


少年が再び飛び付く。


やはり早い。


成人の身体強化と比べても決して劣っていないほどだ。


だが、いい加減リーチが短い。


子供であるが故に腕が短く、ましでや持っているのは短剣のみ。


確に、こっちの懐に入れば脅威ではあろう。

だが……!


「生ぬるいわ!」


「!?」


バジルが指でパッチンと音を出しながら周辺にばら蒔く呪石が一斉に輝く。


直後、炎の柱が地面から吹き上がり、バジルを守るかのように囲み出す。


「これなら貴様では近付けまい!」


意気揚々と叫ぶバジルとは対照的に少年は落ち着いて火柱から離れる。


むしろ、先よりも冷静になっている顔で静かに火柱を見つめる。


まるで、そんなのは見飽きたというかのような目。


バジルにとって心底気に障る視線だ。


「……強がりおって。可愛いげのない小僧め。」


我が一族の秘術を見ながらその態度、後悔させてやるわい。


火柱の呪術の持続時間は約三十秒。


魔法を使えない以上、奴がこちらに手だしする事はできないだろう。


その間に、こちらは呪術で徹底的に叩き潰す。


あのような小僧に使うのはもったいない感じがなくもないが、あの少年は間違いなくシグマに鍛えられた取って置きに違いない。

ならば、使う価値があろう。


「食らえ、小僧!我が一族の秘術、篤と味わうがいい!」


水、風、雷。

三つの呪石に一斉に魔力を込め容赦無くブッ放す。


それが危険であると感じたのか、少年は急ぎ動き出すが、もう遅い。


これによって産み出すは人工的な嵐、しかも前方のすべてを切り刻むカマイタチの術だ。

絶対に避けられる筈がない。


「くそ!」


危ない何かをしようとするのだと感じ、止めようとするのだろう。


その感の良さはさすがだというべきだが、無駄だ。


速度を活かし一気に殺到して来たが、結界のように張られた火柱によって手出しは出来ず。


むしろ近くなったせいで、発動したカマイタチの術を正面から受けてしまう。


「グアアアアアアァァァ!?」


少年の悲鳴が洞窟に響き渡った。


爆風が吹き出し、鋭い空気の刃がバジルを除くすべてを切り刻み、蹂躙する。


壁に大きく斬れた傷跡が生まれる。

天井に出来ていた鐘乳石が粉々になり、欠片が雨のように地面に落ちる。

周りに散らばっている呪石を入れた箱達が倒れたり、所々に大きな傷跡が出来ていく。


逃げ先などなく、出口は結界によって防がれ、唯一なる通路は他でもない少年自らが爆破し塞いでしまった。

呪石を保管するため特製品で箱達や、火柱の術で守られるバジルとは違い、少年は為す術なくそのカマイタチに切り刻まれる。


カマイタチの持続時間は約十秒。

ちょうど、火柱の効果も切れ、静かになった洞窟の中はまさしく嵐が通り去った後の無惨なる光景が広がっていた。


天井、壁、地面、箱達。


傷跡がない場所などない。


そして、その静かになった洞窟の真ん中に少年が血まみれになって倒れている。


着ている服はボロボロになり、顔も大きい鎌によって切られたような傷で滅茶苦茶にされている。

喉を切られ、そこから流れている血で水溜まりができてる状態だ。


勝負はあった。


カマイタチの術は元から傭兵の頃から大軍を相手に使うほど広範囲な呪術。

それをこの密閉された空間で受けたのだ。

死体が原型を留めているだけでも奇跡だろう。


まさしく、一族の中でも指折りの呪術使いであるが故に可能なる秘術。


「幸運に思うがよかろうて。このわしが秘術まで使ってやった程じゃ。子供でありながらその手腕。まったく後が怖い小僧だったわい。」


バジルは真剣に呪術を使った余韻に浸りながら静かに呟き、すぐ頭を切り替える。


今重要なのはそれではない。


今もなお通路の先からは爆破の音が続いている。

この少年が自身の足止めならば、恐らくあと数人が残りこの基地を壊しているのだろう。


一体、あれほどの爆破を起こす手段が何なのか見当もつかないが、相手はあのシグマだ。

きっと何かの武器を仕入れたに違いない。

まさしく帝国の新たな兵器みたいな。


今こうしている間も巫女は襲撃の本隊に攫われ急速にここから離れているはず。

急いで追わなければ取り返しがつかなくなってしまう。


「誰か!誰かおらぬか!聞こえるのなら応答しろ!」


待機室に置いてある呪石と通じる通信用の呪石に怒鳴りながら、片手で結界の解除作業を始める。


早く追わねばならないという焦りで頭に血に上る思いだが、それでは作業の能率が落ちてしまう。


八つ当たりをする部下も周辺にないため、バジルは何の罪もない通信先へと声を荒げるのだった。


「わしじゃ!バジルだ!誰かおらぬか!?返答をしろう!」


『……バ……殿!ご無……でし……か!今はどこへ!?』


やっと繋がれたかという安堵と、通信の状態が良くない状態に舌打をしながらバジルは叫ぶ。


「それはこちらが言いたいわい!今、同胞達は何をしておる!」


『倉庫から呪石や素材達を回収するのに専念……』


「それは後でよい!念のため、腕が立つ十人だけを残し、全員、外へ出て巫女と巫女を攫った不届き者共を追うのじゃ!」


『え、それはどういう事ですか!?』


「わしが指示をすると黙って従わぬか!巫女を攫った連中は既に外に出ているという事だ!よいか、結界は今解除した。最小限の人だけを残し……。」


「いや、それは駄目だな。流石に追手が多いと困るぞ、俺は。」


「!?」


バジルの声が直ぐ後ろから聞こえる声によって止まってしまう。


決して聞こえる筈がない声に信じがたい思いを抱きながら振り向き。


「貴様、どうして生きて……ぐおっ!」


次の瞬間、全身が麻痺し、まともに立つことが出来ずその場で倒れてしまう。


バジルが倒れると、地に落ちてしまった通信用の呪石から慌てる声が聞こえる。


『バジル殿!?どういたしましたか?!なにか……』


「はい、プチッと。通信機みたいなアイテムか?こういうのがあった覚えはないんだが。」


「き、貴様……!」


目の前で呪石が靴で踏み壊されるのを見ながら、バジルは目の前に立っている少年を見上げる。


体が動いてくれないせいで、地面に倒れたままバジルは叫び出した。


「何故じゃ!何故……、一体どうやって生きておる!?貴様はわしの秘術を受け死んだ筈では……!」


理解出来ない。


目の前で起きてる現状が、なんの傷もなく平然としている少年があまりにも解かせない。


あの傷は間違いなく死んでいたはずだ。

即死でなければならなかったのだ。


顔もムチャクチャにされ、喉さえも切られ完全に死んだはず。

なのに今目の前に立っているこの少年はどうか。


傷がない。


何一つ痕跡がいない。


周りが滅茶苦茶になっている中、この少年だけはまるで別の空間にでも行っていたかのようだ。


それがあまりにも理不尽で、理解できず、地面に倒れたまま目を赤くするバジルを見下ろしながら、少年は小さくため息をし、懐の中で何かを取り出す。


それはバジルが見たことのない、丸くも星の文様が刻まれた小さい石だった。


「何だ……それは。」


「アイテム……あんたの言い方に倣うなら呪石かな。これで何とかなったんだよ。これは一度だけあらゆる魔法ダメージを無効にできる代物でね。これであんたの攻撃を防いだってわけさ。」


「馬鹿な!?呪石だと!?そんな物は見たことがない!!」


「……。」


少年は答えない。

ただ、静かにそれがどうしたというかのような冷たい目でバジルを見下ろすのみだ。


その視線を見たとき、改めてバジルは気付く。

この少年は先までとは言い方や態度がまるで変わっている事を。


まさか、先までのそれは……


「……演技だったのか?」


「ご名答。先も言っただろう?この中で唯一あの結界を解除出来るのはあんただけだと。だから、やられる振りをして寝転んでいたのさ。あんたが自ら結界を解除する時までね。そして、あんたはまんまと俺が望むようにしてくれたって事。」


「くうっ……!」


乗せられた。


自身より遥かに歳の若い小僧に、その手の平の上で乗せられていた。


衝撃と理解出来ない出来事にバジルは強く頭を振るう。


「ありえん……!例えその行動と言葉が演技だとしても、あの傷は間違いなく……!」


「ああ、それはこれ。混乱の状態異常……といっても知らないだろうな。簡単に言って、相手に幻覚を見せる呪石だよ。あの火柱は一定数値の物理や魔法ダメージを防ぐけど、状態異常は防げないからな。あんたが秘術とか何とかを使おうとした時、わざと俺は近くに行っただろう?これを使う為だったてことさ。一定範囲にいないと使えないから、これ。」


不敵に笑う少年はまたも見たことのない呪石を懐から取り出す。

あり得ないという気持ちと、だがそれ以外には説明できない状況に混乱する。


この少年は一体何者なのだ。

長くにわたり呪術を研究した自分さえも知らないものを次々と持ち出すこの者は。


そもそも、呪術は我ら一族だけの秘匿されし術。

なぜ、この者はこんなにも詳しく知っている。


「まあ、そうは言っても結局は見た目だけそれっぽく見せるだけなんだよね。子供騙しみたいなものだよ。……アイツには、これを使っても恐らく通じなかっただろうな。」


「どういう、事じゃ……。」


「ただの独り言……ううん、違うな。要は一度でも俺の死体を観察したら直ぐ偽物だとわかったって事だ。あんたはそんな当たり前の事をせず、その結果、俺の奇襲を許してしまった。それに関しては礼を言わせてくれ。ちょうど数時間前に同じことをしたんだけどよ。その時はあっさり見抜かれてしまったんだ。正直自信がなくなっていたが、これではっきりわかったよ。やっぱりそれはアイツが只者ではないから失敗したとね。」


何を言っているかわからない。


だが、それが自分を侮辱するために言っている事は理解できる。


今この少年は敢えて誰かと比べる事で自分を弱いと罵ったのだ。


その傲慢な振る舞いに怒りを感じ、歯を食いしばりながらバジルは少年を睨みだす。


「自分がここから逃げ出すためには何でもするという事か、身の程も知らず調子に乗って。」


「何とでも言え、あの子にあんな仕打をしてきた下種共に何を言われようが気にしねえよ。それにな、先ほどの事は全部演技だと言っただろう?いい加減頭が回らないな、あんた。」


「何……?」


「おい、もういいぞ。出てきていいからな。」


どういうことか理解できず、キョトンとしているバジルを見下ろしながら少年は得意げに笑みを浮かべる。


一体、誰に話しかけるのか。


その答えはすぐにでも目の前に現われ、今度こそバジルは驚愕してしまう。


今起きている事態と、この状況を仕組んだ少年についてまさしく、爆発するような怒りを覚えてしまう。


「き、貴様……!キサマァァァ……!!!!」


「はい、そういうことなのです。ありがとうございました、バジル殿。まさか、ご親切に僕()の為に自ら結界を解除してくださるとは。嬉しくて涙がでますね!」


結界の維持の為に出口に運ばせた数多くの箱。

そのうちの一つが勝手に開け、その中からとある少女が出てきたのだ。


褐色の布をマントのように纏い、目映い程に綺麗な白金の髪をした女の子。


その少女こそ、自分達が血気になって連れ戻そうとした巫女であると気付き。


完全にこの少年に騙されたとわかったバジルはもはや、麻痺して動かないことすら忘れ咆哮する。


「キサマはいったい何者じゃ!!名乗れ……!!名乗らぬか!!必ず地の果てまで追い付き殺してやるわい!!そして、キサマもだ!巫女め!そこで何をしとる!こっちに来い!キサマみたいな呪われた小娘に今まで情けを与え、保護し、守ってきたのが一体誰だと思うのだ!!」


出口の近くに立っていた白き少女が急ぎ近づいてくる。


倒れているバジルではなく。

その横に立っている少年の隣へと。


まるでバジルの事を完全に無視し、少年の体だけを心配するように見える行動。


「この恩知らずな小僧が!!!一体何様のつも……くおっ!」


「……流石にうるさいぞ。それに何様と言いたいのはこっちだ、下種が。この子の耳まで潰しておきながら、何言ってるんだ。本当、何様のつもりだよ。」


「黙れ!!部外者のキサマとは関係なかろう!シグマの手先ふぜえが!名乗る覚悟もない小僧が何をいきり立つの……」


「俺がいつ、名乗らないと言った。」


「何……。」


「えっ?!」


少年の答えにバジルだけではなく、白き少女までもが驚く。


まさか、ここで素直に名乗るとは誰も思わなかったのだろう。


それは当然だ。

麻痺が解かれると直ぐにでも追ってくるであろう者に自分の素姓を明すのはありえない事だ。


バジルは名乗れと叫びながらも本当にそうするとは思わなかったが故に呆然とし。

白き少女はそれは駄目だと訴えるように、少年の袖をグイグイと引きながら首をブンブンと横へ振る。


だが、その反応を全く気にしていないよう、少年は不敵に笑うのみであった。

自信に溢れ、それでいて意気揚々と、まるで自分の名前に誇りを持っているかのように。


「望むのなら聞かせてやる。よく聞け、俺の名を。」


少年は叫ぶ。


バジルが、そして'深き森の一族'がこれから決して忘れないであろうその名を。


高く、大きく、この世に刻むかのように宣言するのであった。


「俺の名はセリック!!

ハルパス王国の東に位置する美しくも、豊かなドンムレ村出身の男!

そう、ドンムレ村にその人ありと言われる男こそ俺よ!

聞いて驚け、そしてその脳みそにしかと刻むがいい。

俺こそがあの有名なドンムレ村のセリックなのだ!!」


「ドンムレ村の……セリック……!」


「ああ、そうさ。恨むのは勝手だが、気をつけるんだな。ドンムレ村のセリックはそう簡単にやられたりはしねえよ。追ってくるならそれなりの覚悟をしておく事だ。」


その言葉を最後に何故か唖然としている少女を連れ、ドンムレ村のセリックは悠々とこの場を去る。


残るのは助けが来るまで地面に倒れているしかないバジルのみ。


そして、バジルは静かに呟き、心の中からその名を刻むのだった。


'深き森の一族'全体が敵として見るべき男の名を。


「……待っていろ。このまま、無事にこの島から離れられると思わない事じゃ、ドンムレ村のセリック……!!」



***



「いや、上手くいってよかった!本当ヒヤヒヤしたぞ、俺。」


何とかあの不気味な場所から離れ、密林の中に身を隠しながら安堵の言葉を吐く。

俺の隣にはあの隠しボスこと白き少女がちゃんと付いてきている。


うんうん、どうなることかと思ったが何とかなってよかった。


あそこから脱出するには結界を解除できるバジルをどうにかする必要があった。

だが、脅迫は通じないだろう。

ジャキルという小物を尋問した時とは状況が違うのだ。


バジルはあの集団の頭だし、必然的に周りには人が大勢いる。

ならば次に浮かぶ問題は、いかにバジルを一人にさせるかだ。


一人にさせつつ、俺達が脱出できるように奴自らが結界を解除させる必要がある。

そのため、考え出したのが先ほどの一連の出来事である。


倉庫に奴らが大事にする物が多いとジャキルから予め聞き出していた俺は、時間が過ぎると自然に爆発するようアイテムを設置し、時を待つ。


あの連中が侵入者の存在を気付くのは時間の問題だろう。

ならば、それを逆手に取る。


侵入者を探す人と、倉庫の素材を死守するべく動く人。

そうやって強制的に二手と分断させる。

爆弾の連続爆破によってパニックになるはずだから、なお都合がよかった。


そして本格的な爆破が起きる前に、バジルがいる出口に運ばされる予定の箱に予めこの子を入れて隠す。

後は、まさしく出たとこ勝負。


バジルを上手く騙し、少女が外に逃げ込んだと思わせる事が肝要だったが。

うん、思っていたよりも上手くいってよかった。


「……でも、自惚れては駄目だな。今回はヤツらが使う技が全部ゲームで登場する戦闘用アイテムだったから勝てたわけだし。」


まさしく、ジャンケンでいうとバジルがパーで、俺がチョキだといえるだろう。

まさか、戦闘用アイテムがあの何とか一族が作り出した技術という設定だったとは、全然知らなかった。


っていうか、原作ではあいつらは全然出なかったのだが、それはどうしてかな。

アイテム合成で使う天秤も何故か王宮ではなくあそこにあったし。

隠しボスがここにいるのと何かの関係があるのだろうか。


……まあ、とにかく、あの乙女ゲームで戦闘だけは完璧にクリアしていた俺としては、バジルが使うすべての戦略を見抜く事が出来た。

ならば、いかに子供の体といえど勝機が生まれるし、やつらの倉庫から合成しておいた戦闘用アイテムも使えば勝つ事も充分に出来るわけだ。


うん、まあ、あの戦いで合成したアイテム全部使ったけどね。

もっと作っておいていたかったが、如何せん時間がなかった。


「でも、念のために用意した他の計画を使わなくすんでよかったよ。あれは本当に一か八かの大博打だからな。……あ。」


「??」


……どうしよ。

そういえば、二つ目と三つ目の計画として設置したアイテム達、あれらは大丈夫かな?


一応設置はしたものの、かなりヤバイ地雷みたいなものだから可能なら使いたくなかった代物だが……


「……まあ、いいよね!俺がやられるのもないし。」


それにあの連中はこの子を拷問してきた下種共だからな。

うん。問題なしだわ。


俺がそうやって納得し隣の子を見ると、小さい身でありながら懸命に俺に速度を合わせようとする少女が見える。

俺の視線に気付いたか、少女は静かに俺を見上げてきた。


小さくも、傷だらけの体。

あの苦しい所からずっと耐えてきたであろう少女。


「……うん、お前もよく耐えてくれたな。何が起こっても箱に入っていろとは言ったけど、ちゃんと守ってくれるか心配だったぞ。」


隣に歩いている少女の頭に手を乗せ、撫でる。


小さい頃、妹によくやったものだ。

まだ小学生の時はよく懐いてくれたが、いつのまにか生意気になって疎遠になってしまったからな、あいつ。


「うん……。」


「何だ、照れているのか?あ、もしかしてこういう経験がないとか?」


昔を思い出しながら撫でていると、少し恥ずかしいのかそれとも擽ったいのか、少女はモジモジしている。

それでも手を拒否していないから、嫌ではないようだが。


「で?どうだった?少しはスッキリしたか?」


「うん?」


俺が撫でるのを止めて、ずっと聞きたかった事を聞くと、何故か少女はキョトンとする反応を見せる。


……もしかしてこの子、俺がここまでした理由を理解できていない?


「いやいや、俺が言っただろう?あの連中に一泡吹かせてやるって。喋れないお前に代わってあのバジルというヤツを馬鹿にしたり、罵ったり、俺なりにやってみたんだが……。」


……あれ?

もしかして足りなかった?


俺はあんまりそう経験をした事がないから、あれが俺ができる最大の煽りだったんだが。

もっと外道みたいにした方がよかったと?


俺がもっと罵倒するべきだったか後悔していると、急に袖を引かれる気がし、隣を見る。


「……。」


少女が小さく笑っていた。

夜空から注がれる月明かりを受け、まさしく煌めくかのような笑み。


それが、この子が今感じている素直な感情だったのだろう。

今まで一度も笑う事なく、感情を無くしたり、苦しむのが殆んどだった子がようやく笑顔を見せる。

自分はこうして外に出られただけでも嬉しいと、そうやって自分を責める必要がないと言うかのように。


……やっぱりせっかく綺麗な子なんだからな。

笑うとすごくいいと思う。


その宝石のような笑みを見て、

可能ならこれからこの子がこのように笑っていられるといいなと、そう思った時だった。


「……ぜ……リッブ……?」


「へ?」


……何か丁度、俺が忘れようとしたことを口にしたような気がする。


俺が固まると、今度はもっと正確に言おうと頑張るように少女が慎重に発音する。


「ぜリッ……?」


「……違うぞ、俺はカイルだからな。間違っても他の人の前でその名前を出すなよ。いいね?後でもしセリック君と会うことになっても知らない振りをするんだ。」


「??」


……気まずい。

じゃ、どうして先はそう言ったのかと、そう聞くような目は止めて欲しい。

純粋な視線で見られると心が痛むではないか。


……だって怖かったしね、仕方ないよね。

このゲームで一番強いのは主人公と攻略対象達で、その中でもようやく思い出した名前がそれだけだったのだ。

うん、仕方ない。


そして、大丈夫だ。

何しろ、あんなに強いシグマをゲームでは毎度打ち勝っていたのが主人公達なのだ。


俺は誰よりも彼らを、そしてドンムレ村のセリック君を信じている。

あいつらは乙女ゲーの攻略対象なだけあって、子供の頃から天才だっていう設定だったし。


セリック君はその才能を認められ王宮に使用人として入るからな。

そうなると、あの連中も流石に手だしは出来ないだろう。


「……それにまあ、さすがにこんな事でストーリーがどうなる訳もないだろうしね。」


うん、心配する必要はない。


むしろ、未来でアイツが使う最強装備を今俺が預かっているのだ。


この双銃を作るには本来、反吐が出るほど高い素材に、反吐が出るほど出ないボスのレア素材が山ほど必要なんだぞ。


それを後でタダでくれてやるつもりだから、これぐらいは許して欲しい。

……これで貸しはなしという事でよろしくお願いします。


それよりも今は俺達の問題だ。


あの基地から脱出はしたもののまだ安全ではない。

直ぐにでも追手が来るに違いないのだ。


「よし、いくぞ!これからが重要だからな、しっかりついてこいよ!」


「うん!」


そうして俺は少女と共に走り出す。


暗闇の中でとこに向かうべきかもわからないが、それでも。


この歩みこそ、俺達に与えられた破滅を避けられる大一歩であると信じながら。


ドンムレ村のセリック、きっと強い奴に違いない。

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