23. 未だに破滅は俺を逃さない。
「成る程。つまり、この兵士の方達は皆、帝国の騎士達と。」
「ええ、そうよ。貴方の身辺にきっと何かが起きたと思ったからね、協力を得る事になったの。」
暗殺者たちとの戦いから三十分が経過した頃。
戦いが終わり、その後片付けが行なわれる現場で灰色の少年、ロネスは一人の女性と情報交換を交わしていた。
シエスタ アドウェイー。
軍服を着ているその女性はヴァロワ公爵家の一人娘であるヴァロワ公女の付き人であり、正規軍で頭角を現わしている若きエースである。
そして、堕落している貴族たちと対抗しているノルマン宰相派の人物である為、首都ではロネスも何度か顔を合わせたことがある人だった。
今回、この島にヴァロワ公女とシエスタを向かわせたのはノルマン宰相からの気遣いだったのだろう。
「ごめんね、ロネス君。今回は完全に私の落ち度だった。まさか、ここまで荷担する人が多かったとは。」
「いいえ、それも致し方ないことでしょう。それよりも私が驚いているのは帝国の騎士たちが協力してくれた事です。」
相手が相手な為、普段とは違う言葉使いをしながら、少年は隣で話を聞いていた老紳士へと目を移す。
「……危機を救って頂き、誠にありがとうございました。あなた方の助けがなかったら今頃、私達の命もなかったでしょう。ご厚意にどう返すべきか。」
「いいえ、お礼は不要です。私はあくまで殿下の命令に従ったまでの事。どうか、その言葉はこの老いぼれではなく、我が主人にしてくだされ。」
素直にお礼を言いながら深く腰をかがめる少年が偉いのか、老紳士は優しく微笑みながら首を横に振るう。
暗殺者たちからロネスとアリシア達を助けた凄腕の老人。
'アデレイド'だと名乗った少女と共に現われてから、すぐにシエスタと帝国の騎士団が駆け付け、状況はすぐ終了した。
この老紳士一人で何の魔法も使わず、王立騎士団を叩きのめしたのである。
その実力だけでなく、懐の深さと人柄を感じてロネスは自分の御爺さんを思いだし、感銘を受けるが。
「ええ!!だからあの時、私がやってやったのです!もう我慢するのは出来ない!だって仕方ないんですもの!親まで殺されようとする子供の前に現われ、華麗にその横暴を止めてこう言ったのです!」
近くから聞こえる明るい声にロネスが引きずった顔でそちらを見る。
この威厳溢れる老紳士とは裏腹に、全く威厳が感じられな姫の方にと。
「'ごめんあそばせ?そちらの猪みたいに太っているお方?先日の狼藉、利子まで付けて返させる為に戻ってきました。無論、こちらの子供の分も含めてね。'、と。」
何かの武勇談を話しているのだろうか。
ドレス姿である金髪のお姫様がドヤ顔で変なポーズを取ると、その様を見ては黒髪の姉妹達が目を輝かせながらパチパチと拍手し始めた。
「凄いです!以前、罰当たりな事をした返しまでしやったのですね!」
「お姉ちゃん、すっっごい~!ロウゼキが何なのかはよくわかんないけど!」
「ええ、ええ!私もあの時は'ああ、これは決まった'と得意げになったものです!」
馬車の隣りで集まり、一体何がそんなに楽しいのかキャキャ騒いでいる少女達を見ながらロネスがジド目をする。
呆れて声も出ないという、そんな考えが丸出しな表情。
「……あれが本当に帝国のお姫殿下か?どう見てもただの頭がハナバターーー」
「はい、ストップ。それ以上はNGね。何を言いたいかはわかるし、つい素になってしまうのもわかるけど。アルスさんの前でそれを言うのは流石にどうかと思うわよ、ロネス君。」
「ふふ、私めは気にしておりまえんよ?夢見がちなのは事実であり、それこそがあの方の長所なのですからな。どうか、寛大な心で見て頂ければ。」
アデレイド姫の姿を微笑みと共に見守る老紳士の言葉に、ロネスは何とも言えない顔になる。
こんな立派な人が使えている帝国の姫があんなにも残念な感じとは、世の中とは何と不思議だろうか。
浮かれてはしゃぐ姫と、'おおお!'とパチパチ拍手を続くアリシア達を見ながらロネスがため息を吐くときだった。
その隙にシエスタとアルスが会話をする。
「それにしても今回のご助力は本当に助かりました。一歩間違うと我が国の人材をならず者共によって失ったやもしれません。」
「何、先ほどモンモランシー様にも言いましたが、全ては姫殿下がお決まりになった事です。元々我が国とハルパス王国は同盟国。善き関係の為に尽力するのは当然の事でしょう。不埒なならず者を討伐するのもまたその一環にすぎず、どうか頭を上げてくだされ。」
「……忝ない。」
今の発言がどういう意図で出たのかをわかってるからこそ、シエスタは顔向け出来ない気持ちだった。
事情を深く聞かず、全てそちらの言葉に合わすと言っているのだから。
騎士団の大半は一族と【黒きサソリ】の討伐に向かい、残っている中でもかなりの人数が暗殺に荷担している状況。
圧倒的に人手が足りず、もはやどうしようもない状況に陥ったシエスタにアデレイド姫が提案してきたのだ。
ーあら、まあ。どうやら、お困りの様子ですね。どんな悩みかお聞かせて頂けますでしょうか?何か力になるかも知れませんわよ?ー
相手は帝国からの姫、しかも神獣の存在を知っていると思われている人である。
簡単にこちらの事情を話して良いのかと悩んだが結局、シエスタは助けを求める事にした。
約束の時間になっても港にロネスが来る気配はなく、明らかに騎士たちの動きが怪しい。
公女様も出かけている中、シエスタは最悪の状況を想定していたのだ。
ノルマン宰相から何が何でもかの少年を無事に連れてこいと頼まれた以上、もはや好き嫌いを言う時ではない。
そう踏んだシエスタは少し事実を伏せて語った。
この島にいる【黒きサソリ】が貴族の子を拉致しており、それを助ける必要があると。
そして、それを聞いたアデレイドの反応は。
ーまあ、それは大変!お任せください、そういうことなら私も黙ってはいられません!いい加減、様子見にも飽きて……こほん、とにかく悪い人は許しませんとも!!ー
それからの動きはまさしく迅速と言えるだろう。
例の魔法なしで通信が出来るという装置を使い、別の港に到着している帝国騎士たちと連携を取り、それを指揮。
念の為に医療班まで用意してシエスタと共にここまで同行したのだ。
誰を信頼すればいいのか判断が付かない状態でこの選択は、仕方なかったと言えど上々だったと今では思う。
帝国騎士たちという兵力が有ってこそ、こうして宰相のお望み通り、モンモランシーを助ける事ができたのだから。
「……うん、本当によかった。貴方もよく耐えてくれたわ、ロネス君。この場所を予測したお嬢様といい、予め別のルートを用意した貴方といい。やはり天才同士、通じるものがあるのかな?」
「え?」
意外な言葉が聞こえ、ロネスは少し面食らってしまう。
それを謙遜してると思っているのか。
シエスタが揶揄うように笑い、隣で立っているアルスも孫を見るような仁慈に富んだ顔をする。
「そうですね。我々の助力が有ったと言えど。実際に生き延びる事が出来たのはこの逃げ道を用意したモンモランシー様と、それを的確に予測したヴァロワ公女様の読みが有ってこそ。このアルス、貴方がたの才気溢れる姿に心底、感服しております。」
そう。
如何に人員があり、動くことが出来ても、相手がいる場所を知らなければ対処の仕様もない。
シエスタとアデレイド達がここまで辿り着くのが出来たのは、事前にこの場所をリエナド公女が予想したからであった。
今朝、船でシエスタに地図を渡しながら標示したのがこの岬だったのである。
もしもロネスが暗殺の可能性を考え、それを気付くことが出来れば。
そしてその危険から確実に逃れるため、他の逃げ道を用意するとすれば。
その可能性がもっとも高いルート、場所はこの岬しかないと。
あの銀髪の少女は予め予測し、シエスタに伝えたのだった。
「事がこうなるまではこれは何の標示なのか考えもできなかったけど。でも実際に来てみると本当にここにいて、耐えていたもの。流石の手際ね。」
「……シエスタ卿、その件で少々話がありますが……」
「あら?何の話をそんなに熱心にしていらっしゃるのですか?私たちも混ぜってくださいな?」
シエスタとアルスの勘違いを解こうと、ロネスが口を開くときだった。
わいわい騒いでいた二人の少女が今気付いたようにこちらに近づいてくる。
遠くでアリシアの妹が老婆に何か言われている様子を見るに、どうやら老婆によって無理矢理会話が終わったらしく。
アルスが明るく笑いながら小さい主人である姫に話しかけた。
「おや、どうやらそちらの可愛らしいお嬢さんと仲よくなったご様子。嬉しそうですな。」
「ええ!私達、友達になりました!私に取っては数少ない、素の自分で付き合った友人です!アリシアちゃんはこの後に、首都へ行くのでしょう?なら是非、私の臨時工房にも寄ってきてね!!可愛い赤ちゃん達を見せてあげるから!!」
「は、はいっ!それは願ってもない事ですが……赤ちゃん……?それはなんでしょう?人形?」
「ううん、違う違う。人形よりもっとタフで、かっこよく、そしてとっっっても可愛い物なの!大丈夫、絶対気に入るから!!」
「……ほどほどにした方がよろしいかと存じますぞ。」
手を掴みながらぴょんぴょん飛んで喜ぶアデレイドにアリシアが困惑する。
その様子を見てアデレイドの機械オタク気質をアルスが咎めると、金髪の少女は少し頬を膨らませた。
「もう、余りいけずな事を仰有らないで。折角、アリシアちゃんとアイリちゃんを招待しようとしてるのに。」
「コホン。話を戻していいだろうか?」
隣りの老紳士と女性軍人が苦笑いをする中。
ロネスだけが何とか話の流れを変えようとする。
それでやっと我に帰ってきたらしくアデレイドは驚いた仕草と共にロネスを見た。
「まあ!すみません。どうぞ、話の続きを。でも、一体どんなお話をしていらしゃったのですか?」
「大した事で……もあるか。オレ達がこのルートへ逃げた理由についてだ。ここを考えついたのはオレではないと言おうとしていた。」
どうやらアリシアの前で自分の正体を隠したいようなので、ロネスはいつものだめ口で話す。
その考えは正解だったらしく、アデレイドはロネスの言葉使いについて気にする素振りはなくただ頷いて見せた。
「ふむ、ふむ。つまり、あれですか?貴方がたがここに逃げるように助言した人物がいたと?」
「あっ!カイルさんの事ですね!!」
「カイル?それは誰の事なの、アリシアちゃん?」
「とても頼りになる方です!実は今回、私たちを助けようとしたのも……」
どうやらそのカイルという人物によっぽどの好意を抱いているらしく、顔まで赤くしながら熱心に語るアリシアを見て、アデレイドは少し拗ねる気持ちを抱く。
だが、それも一瞬に過ぎず。
アリシアとロネスの話が続くと、段々とその顔が厳しくなっていった。
子供ならではの童心溢れる顔から、真面目で冷静な印象が表に現われる。
そして、顔が凍っていくのはアデレイドだけではなく。
隣りでそれを聞いているアルスも目を丸くし、シエスタに至っては顔が青ざめており、引きずってアリシアとロネスを見ていた。
「……それが事実ならとんでもないですね。そのカイルって少年は私達とほぼ変わらない歳なのでしょうに。どう思います、アルス?今の話。」
「そうですな……。的確に状況を読んで対策を取る所もそうですが、傭兵王の部下として振る舞いながら彼を欺き続けたというのが信じられませぬ。それこそ、何かの勘違いではないかと。」
「でも、もし事実なら?」
若き主人の言葉に老紳士は険しい顔で頷く。
それ以上は語る必要もないと言いたいように。
「率直に言って、只ならぬ者かと。アリシアお嬢さんと、モンモランシー様からの厚い信頼もある。直接会ってみないまでまだ確言は出来ませんが、それが事実なら恐らく、一番適任ではないでしょうか。」
「ええ、そうですね。私もそう思います。……では、アルス。」
「はっ。少々お待ちを。直ぐに確かめて参ります。」
先までの天真爛漫な雰囲気はどこに行ったのか。
先ほどとは完全に違う顔で老紳士と語るアデレイドを見ながら緊張したらしく、アリシアは少し不安げな顔でロネスに話しかけた。
「……あの、ロネスさん。よくわかりませんが、カイルさんが何か悪い事をしたのですか?」
「さてな。どうやらそんな雰囲気でもないようだが。」
二人の会話を注意深く聞くが、その意味をわからずロネスは少し首を傾げる。
老紳士がどこか慌てる風に騎士たちの方へ向かうのを見ていると、その視線の意味を勘違いしたのか。
何か考えていたアデレイドが優しい笑みと共に説明した。
「アルスが焦るのも無理はないです。彼は昔、傭兵王と戦ったことがありますからね。百翼騎士団の団長だった頃の話ですが。」
「それは……凄いな。百翼騎士団と言うと、帝国にある正式騎士団の中でも最高鉾のものではないか。皇帝の身を守る騎士の中の騎士と言う。」
「ええ、自慢の執事です。今は訳あって引退していますが。」
隣りでアリシアが夢物語みたいな話で驚くだけな反面、ロネスの顔はすぐに強張る。
アデレイドの言葉と共にその顔が暗くなるのを、少年は逃さなかった。
「……まさか、その引退は?」
「はい、負けたのです。その傭兵王、シグマとやらに。一騎打ちの戦いで。……これ以上は彼に失礼だから詳しく言いませんが。とにかく、その理由も有って彼も簡単には信じられないのでしょう。あの狼みたいな男を長く欺けてきた子供がいるなど。」
「あの傭兵さん……そんなに凄い人だったのですね。あのお爺様よりも強いなんて……。」
話の全てはわからずとも、とにかくあのシグマという男が強いという事だけは理解したらしく、アリシアが小さく感嘆する。
そんな友人の姿が可愛らしいのか、アデレイドは小さく微笑みを浮かべて頷いた。
「ふふ、そうね。そして、そんな傭兵王を長く騙したと言うのが本当なら、そのカイルって少年も凄い子だわ。是非、会ってみたい。」
「はいっ!それはもちろん!カイルさんは凄いです!ちょっと性格に難がありますが!……いや、その……ちょっととは言えず、かなり難がありますが。」
流石にそのひねくれた性格を全面的に肯定する事はできず、アリシアがシュンとなり、ロネスも頷いて同意する時だった。
ずっと青ざめながら何か考えに没頭していたシエスタが少し震える声でロネスに話かける。
「あ、あのぉ……ロネス君?もしかしてというか、もしかしなくてもというか……。その、以前君が手紙に書いていた……」
「お嬢様。島の全港への連絡、及び報告を確かめて来ました。」
シエスタの話が終わるよりも先にアルスが戻ってきて、皆の視線がそっちに向かう。
話が途切れてしまいシエスタがとても慌てるが、そんな彼女の状態に誰も気にしておらず。
アデレイドが真剣な顔で老紳士を問い質した。
「どうでした?カイルという少年と思わしき人物は?」
「いいえ。どうやら、どこにも確認されておらぬご様子です。一番可能性が高いサンゴロ港も同じく。そこで待機しているミゼリエ譲には、もしその少年と思わしき人物を見ると保護するように伝えておりました。」
「……お姉さまを港へ置いてきたのはファインプレーでしたね。もし、カイルという少年が来ると保護してくださるでしょう。」
「ちょっと待ってくれ!今の情報は確かなのか?!今だにカイルは港へ到着していないと!?」
黙って二人の会話を聞いていたロネスが急いで割り込む。
シエスタは今のが帝国で開発されている新たな'通信'技術なのを知っているが、アリシアやロネスにその辺の知識はなく、未知のもの。
しかし、それに関する驚きと疑念よりも最悪の知らせを聞いた焦りと懸念が勝り、ロネスはほぼ襲うかのようにアデレイドに突っ掛かる。
「答えろ!その情報は信頼できる物なのか、どうか!本当に奴はまだサンゴロ港にすら到着していないと?!」
「……失礼ながら間違いないかと。既にこの島の各港には我々護衛の皆々が配置しております。いくらその少年が只ならぬ人物であろうと、島を抜ける為に船を動かすのならば目に留まらないはずがありません。」
「ええっ!?ちょ、ちょっとタイム!タイムです!!アルス卿!?今の話は私としても初耳な情報ですが!?」
今まで青ざめていた顔がより酷くなりながらシエスタが異議を唱えた。
今回の姫の護衛は全面的に王国側が担うとなっており、帝国から来た騎士団達はどちらかと言うと動きを束縛されていたのだ。
シエスタの要請でアルス含めた一部が協力してくれるのは兎も角、島の全港へ忍び込み潜伏しているなどとても看過できる話ではない。
場合によってはかなり危険な所まで解釈できる行為にシエスタが抗議しようとするが。
そんな彼女に向けてアデレイドが清々しいほどに良い笑顔を見せる。
「私が指示しておきました。昨日の夜に言いましたよね。今回、私の騎士たちはお休みを得た事にすると。それで、折角ですし?皆が海で思いっきり遊べるといいな~と思って、港へ向かわせたのです!……確か、リエンちゃんも承認してくれた案件ですよね?」
「っ!ぐぬぬ……」
'全然休みじゃないだろ'、とシエスタがほぼ泣き出すかのような顔をする。
あのトンチキな姫が何かをやらかすかもしれないとリエナド公女からよく見張っておけと言われたが。
まさか、全騎士たちを島の各港へ派遣していたとは。
完全に神獣と一族を狙った動きではないか。
道理でアルスとの合流が早かったわけだと納得し、この不始末を後でどう報告するべきかを考えしゃがみ込むシエスタだが。
既にアデレイドはそちらに興味は持たず。
撃沈させた相手を無視し、小さい姫は直ぐに真剣な顔でロネスを見つめ直す。
「それで?どうかしましたか?その反応。どうやら、何か思うことがあるとお見受けしますが?」
「それは……」
少し、ロネスは迷ってしまう。
話し相手は王国の者ではなく、外国からきた重要人物である姫殿下。
しかも、どうやら自らの軍隊を港へ派遣し掌握していると見える。
アリシアなら何の疑いもしないだろうけれど、自分は違う。
この助けがただの善意や気まぐれとは思えず、その目標や内柄もはっきりしていない。
鬼が住むか、蛇が住むか、その奥底を知らない以上、警戒すべきの人物なのだ。
……だが、しかし。
王立騎士団の殆んどが敵となっている今。
'彼'の身を案じるなら、この場で頼れる唯一の相手でもある。
「……わかった、語ろう。」
そして、ロネスは覚悟を決める。
相手への不信よりも友人への心配が打ち勝つ。
もし自分の心配が正しいのならば、カイルは今かなり危険な目に負わされている可能性があるのだ。
「この逃走ルートの事だが。まず、カイルの読みは正しかったと思う。オレを狙った……誘拐犯、その裏を突いたと言えるだろう。」
一旦、アデレイド達、帝国の人間には今回の出来事を王国内の内分ではなく只の誘拐だと言っておるので、'暗殺'と言い掛けたのを止める。
それでもこの姫と元騎士団長という老紳士は多分気付いていると思うのだが。
「……それで、だが。どうやら、シグマはカイルのこの逃走ルートすら読んでいたのではないかと思うのだ。追ってきた'ならず者'が傭兵王に何か指示を受けたように見えた。」
「成る程。つまり?貴方はそのカイルという少年が逃走の最中、傭兵王に捕まったか、または身動きが取れない状態に陥っているのではないかと。そう懸念していらっしゃるのですね?」
「……ああ。サンゴロ港はあの要塞からもそれなりに近い港だ。この時間になっても到着していないとなれば、何かのトラブルが起きたとしか思えない。」
「そんな!」
アデレイドの言葉にロネスが頷くと、急変に場の空気が重くなる。
アリシアが慌てて他の人々の顔を伺うが、誰一人もその可能性を否定する人はなく。
先まで明るく笑っていたアデレイドすら深刻な顔で考えに耽ける始末だった。
「本当ですか、ロネスさん!?カイルさんとシルフィちゃんが……!」
「……あくまでそういった可能性があるという話だ。まだ慌てる段階ではない。仮にそうだとしてもその現場にはヴァロワ公女が向かっている。今回、彼女に送る文書でカイルの事も書いていたからな。見つかると助けてくれるはずだ。」
「まあ!それは朗報ですね、心強いです!リエンちゃんは性格があれだし、性根もあれで、とにかくあれな人だけど、その力だけは確かなお方。それが事実なら多分問題はないかと。」
アデレイドの顔が少し明るくなり安心すると、ロネスも同意するという意味で頷く。
リエナド・デ・ヴァロワ公女。
その性格に些か難があれど、同じくノルマン宰相と繋いでいる人物としてロネスもある程度は意識し、友好的な関係を考えている少女である。
此度の任務も他ならぬ彼女が来るのは以前から知っていた。
彼女の副官であるシエスタに向けてずっと報告書を送り、連絡を取り合っていたのだから。
カイルと共に首都に行くつもりであったロネスは当然、彼らを同行させるためにカイルとシルフィの無害を主張し、保護するようにと最終報告書に書いてある。
それを読んだリエナド公女ならば、きっとシグマによってあの少年が窮地に陥っていると助けてくれるだろう。
「……失礼。顔色が非常に悪いようですが。何か心配事でもあるのでしょうか、アドウェイー殿。」
黙って聞いていた老紳士の言葉に全員の目が女性軍人、シエスタ アドウェイーに向かう。
先ほどから何かを言おうとしながら、しかし、どうしても話に割り込むことが出来ずにいた彼女。
まるで、思いもよらなかった障害にぶつけたような。
または、今になってずっと見えていなかった罠を見つけたような。
そんな途轍もない衝撃に塗れ、青ざめている。
「……何か、気になる事でも?」
そういえば、先ほどから顔が蒼白になって何かを言おうとしていたと、そう思い出したロネスが少し控え目に問う。
この女性軍人とはあまり親しいワケでもないが、首都にいた頃にここまで慌てる姿は見たことがない。
「……ロネス君。そして、そこの子はアリシア、だったわね?こういう事を言うのは私も心苦しいだけど……、多分、ヴァロワお嬢様がその少年を助ける事はないと思う。……むしろ、率先して抹殺してしまうかも。」
「なっ!?」
「えっ?!」
ロネスとアリシアの顔から同時に血の気が引いていく。
一瞬、明るくなっていたアデレイドの顔も強張り、アルスは無言で白い髭を擦る中。
灰色の少年が怒鳴り出した。
「何故だ!?オレがこの前に送った報告書に書いた筈だが!?あいつが如何に無害で、罪がないかを!モンモランシー家門の名に懸けて保護すると署名も……!」
「……ええ、それは私も読みました。でも、お嬢様はそれを認めなかったの。ロネス君には悪いけど、そもそも貴方が書いた私見には目もくれなかった。……そして、此度、この島に来ながらお嬢様が下した命令はこれよ。【黒きサソリ】は誰であろうと全部抹殺しろうと。」
「馬鹿な……!!」
折角、友好的な関係を結ぼうと繊細に気を使いながら書いた報告書を蔑ろにされる。
しかもカイルを助けるのを認めて欲しいという私見には目もくれてなかったとは。
一気に殺意溢れる顔になった少年と、申し訳ない顔をしている女性軍人。
その二人を見ながらアデレイドは小さく頷く。
彼女もまた、リエナドという人物を知っている人なのだ。
「成る程……。考えてみれば、それもそうでしたね。確かにあのリエンちゃんらしい反応です。どんなに情けを乞おうと、そんなものなどに価値はなく。ただ自分の思うがまま、好き勝手に前へ進むと。まさに暴君、'我'の塊かと。彼女に好感を抱く私ですが、正直、ドン引きですね。」
「……ヴァロワお嬢様は以前からそうやって生きておられた方なので。恐らくですが、ロネス君の請願を真面目に受け入れても結果は変わらなかったでしょう。そんなに有能なら、自分で直に試すと仰有って、やはり今回と同じく抹殺体制に移ったかと。」
「で、自分の目に叶わなかったら迷いなく殺すと?……わお。あの子なら本当にやりかねないのでますます笑えませんね……。」
「誠に同意でございます。」
あの傲慢で冷徹な銀髪の少女を知っているからこそ、アデレイドとシエスタがお互いを見ながら以心伝心を感じる。
まるでふざけてるかのような会話だが、どちらも目と顔は笑っておらず、冷や汗を流していた。
「ふざけるな!!冗談じゃない……!あの頭がイカれた女が……!こっちは友人の命がかかっているのだぞ!?」
今回、ロネスが取っていた行動の中で一番のミスはあの公女をよく知らなかった事だろう。
天才と呼ばれ、自分の思うがままに生き、障害を悉く踏み倒しながら進んできた銀髪の公女。
その性格とプライド、生き方を少しでも理解していたのなら。
その在り方を納得まではできずとも、受け入れていたのなら。
報告書でカイルの事を書くだけではなく。
モンモランシー家門、その全てを賭けて実力行使でカイルを庇わなければならなかったのだ。
もっとも、仮にそうしたとしても、カイルという少年を救う事ができたかどうかを確言するまでは至らず。
シエスタが言った通り、モンモランシー家門と戦争になってでも、'ならば、その人間が本当に使えるかどうかこちらで試してもらうわ'といいながら真っ先に抹殺しようとする訳だが。
「……しかし、そうなるとその少年はとても危険かと。モンモランシー様の推察通りなら、既にその少年は何らかのトラブルに巻込まれているのでしょう。そこにドラゴンすら倒したというヴァロワ公女様まで加わるとするとーーー」
「ええ、私もそう思います。傭兵王にリエンちゃんまで。まず、生き残る事は無理ですね。」
アルスが暗い顔で語ると、アデレイドが頷き同意する。
その悲観的考察を聞いてムカッとしたロネスが歯を食いしばり、突っ掛かろうとする時だった。
それよりも早く、一人の少女がアデレイドの肩を掴み問い質す。
「待ってください!それは一体どういう事ですか!?カイルさんを危険から助けてくれる人がいると言ったのでは……!」
「アリシアちゃん……。」
黒髪の少女がしている表情を見て、アデレイドが固まり。
そして、気付く。
今の言葉は失言だったと。
少なくともこの子の前ではするべきではなかったと。
今でも泣き崩れるかのような、大事な人を失うかもしれないという恐怖と不安に駆り出されている表情。
今までの会話をこの少女は殆んど理解できていない。
魔法を使えるようになっても、所詮は島で何も知らずに生きてきた村娘。
しかし、それでも。
何か悪い事が起きているとだけは感知し、それが自分にはどうする事もできないと理解できた。
理解してしまったのだ。
「ロネスさん……!」
この憂いと不安が自分の勘違いで欲しいと、余計な心配だと言ってくれと、少女は灰色の少年を見るが。
彼は苦しい顔で目を背ける。
アルスも心底哀れんでいるようにアリシアを見て、シエスタも首を横に振るう中。
最後にアリシアの目が行ったのは目前に立っている金髪の少女だった。
先ほど自分達を助けてくれて、そして数々の武勇談を楽しげに語っていた、
自分を'正義の味方'だと言っていた少女へと。
「アデレイドさん……!」
「っ!」
「ちょっ、貴方、このお方が誰かと思って……!」
アリシアがアデレイドに凄まじい勢いで突っ掛かる。
肩を掴んだ手に力を入れ、顔を近くする。
余りの握力にアデレイドが痛みで顔を歪むと。
それを見ていたシエスタが急いで止めようとするが。
そんな彼女の肩を後ろに引っ張りながら、老紳士がシエスタをやめさせた。
今は自分達が口を挟む時ではないと、目で語る。
「信じてください!カイルさんは悪い人ではありません……!ロネスさんの知り合いさんは何か勘違いをしているのです!!本当はとてもいい人で……!」
そう、あの少年はぶっきらぼうで何時も酷い事しか言わなくて。
素直に喜ぶ姿すら自身の前では少しも見せてくれなかったけど、お婆様みたいに行動のあらゆるどころにこちらへの配慮を感じらせる人だった。
だからこそ、この三週間、仲よくなりたいと思った。
この人は悪い人ではないと。
村の皆が指さすような人ではないと、そう信じる事が出来たのに。
「……なのに!ただその傭兵団にいたという理由だけで殺されるなんてあんまりです!あの人は何一つ悪い事はしていないのに……!裏でシルフィちゃんを、ロネスさんを……!私や私の家族まで助けてくれていたのに……!……なのに。」
「……アリシアちゃん。」
自分が何を言っているのか、何を言い出すべきかも黒髪の少女はハッキリわかっておらず、考えもしていない。
ただ、このままジッとしていられなかった。
このままあの人が死んでいくのを黙って見ている訳にはいかなかった。
でも、今の自分には力がない。
その少年の元へ向かう余力も、華麗に助ける力もない。
だから、自分はこうするしかないと。
こうやって他の誰かに懇願し、助けを乞うしかないと。
悔しさで唇を噛み締めながら少女は涙を流す。
その姿を遠くから家族が心配げに見ている事すら気付かず。
「……お願い、します。信じてください。カイルは本当にいい人なんです……!アデレイドさんが助けるに値する、そんな、'善'と言える人だから……」
'助けて'、と。
その最後の言葉はすぐ目前にいるアデレイドしか聞こえず、彼女は理解する。
つまり、この可憐な少女は言っているのだ。
その少年は善なる人だと、優しくて、きっと正義と言える人だと。
だから、他ならぬアデレイドが助けても申し分ない人なんだと。
そう。
先ほど、半分は揶揄って冗談めいた言っていた言葉を。
悪を倒し、善を成し遂げる'正義の味方'という勢いに任せて喋った言葉を、この子は本気で信じているのだ。
(……私の失言でした。軽い言葉すらも誰かにとっては縋りたくなるほどの救いになる。そんな事、他でもない自分自信が経験し、分かっていた事だろうに……何と残酷で、愚かな事でしょう。)
少し目を閉じ、自分自身の愚かさに幻滅すら感じながら、アデレイドは思い出す。
もっと幼い頃、頼るべき人など今のメイドしかなく、皇族にもかかわらずとある館で放置され、棄てられていた頃を。
人形のように空虚な目でボッと窓の外を見るだけだった日々。
その時。
自分に手を伸ばしてくれた人が全て嘘であり虚言だったと知った時、自分は如何に傷付いた事か。
「……。」
姫はゆっくりと瞼を上げ、目前の少女を見る。
涙でボロボロになってもはや顔を伏せている黒髪の少女、昔の自分と重なって見える姿を。
「……大丈夫です、さあ、どうかその涙を拭いてくださいな。貴方は私に出来た友達。友人が悲しむ姿は余り見たくありませんの。しかも、その理由が他ならぬ私のせいでもあるだなんで、とても。」
「アデレイドさん……?」
「心配なさらないで、アリシアちゃん。貴方がそこまで思う殿方は必ず助けてみせます。この私、アデレイド・エルンストの名に懸けて。だから、どうか顔を上げてくださいな。貴方は妹さんと同じく笑ってこそ輝く人なのだから。」
泣いている少女へと姫は優しく微笑んで見せる。
まだ幼いながらも、我が子を安心させるかのように笑う事ができる姫を見て、シエスタが驚いてる中。
隣りで静かに聞いていたアルスが真剣に声をかけた。
「……よろしいのですか、殿下。」
「ええ、無論です。元よりリエナド・デ・ヴァロワが動く以上、こちらの目的を叶える見込みは少なかったのです。ならば、私はこちらを優先します。
たとえ、軽い気持ちで話した言の葉といえど、あれは間違いなく自らが外へとかけた発言。それを信じ、頼り、助けを乞うならば全霊を持って答えましょう。上に立つ人間とは自らの発言に責任を負うべきなのです。」
「ご英断でございます。このアルス、殿下の意に沿えましょう。」
話が自然と纏まったらしく、アデレイドに向けて老紳士が敬礼し、敬意を表する。
その姿を見ていたロネスは少し考えながら姫を見る。
「……任せていいのか?」
「私に二言はありません。ですが、急がないといけないでしょう。リエンちゃんは本当に容赦がなく、傭兵王もまた恐ろしい。ましでや、そのカイルさんという人がどこにいるのかすらわからない状態です。探索は困難ーーー」
「いや。それなら一つ、思い当る場所がある。」
皆の視線が注目する中、ロネスは懐から地図を取り出してアデレイドに渡す。
それは夕方、小屋でカイルに渡されたあの地図だった。
そこに描かれているとある場所を指さしながらロネスが説明する。
「公女なら恐らくこの辺りに向かったはずだ。オレが文書で伝えた場所だからな。正確な場所はわからず、そこにカイルがいるかは不明だが、それでも手がかりが完全にないよりはマシだろう。そして、念のため、傭兵団のアジトがいる場所も標示してやる。」
「助かります。流石の手際ですね。モンモランシー家門は私も聞いていましたが、どうやら家門の未来は明るいようです。」
それを嫌みと受け入れたか、どうなのか。
考えを読めない顔でロネスはただ渋々と、地図に怪しい場所を標示する。
やがて全ての標示を終え地図を渡し、最後にロネスはアデレイドを真剣に見つめた。
「……あいつを頼む。オレのたった一人の友人だ。どうか、助けてやって欲しい。今は貴方がたが唯一の頼みだ。」
「ええ。私もまた友人から頼まれた事ですもの。当然、助けます。それに個人的にもちょっと興味が出てきました。アリシアちゃんがここまで思いやる人はどんな人かと、ね。」
……それもあの少年が生き残っていればの話だが。
その最後の言葉はあえて話さず、アデレイドは直ぐ行動を取る。
事態は一刻を争い、その少年の生存可能性は限りなく低い。
ここからの距離を考えるとどれほど素早く動いても朝まではかかるはず。
それまで傭兵王と、あの怪物と変わらない銀髪の少女を相手にするのだ。
普通に考えれば、たかが十歳、しかも魔法も使えない子供がそれまで持ち堪える筈がない。
それこそ、奇跡でも起きないかぎり。
(……どうか、私の友達を悲しませないでくださいな、カイルという方。)
***
「へっくし!?」
「カイル、カゼ?」
急に背筋が冷えたと言うか、堪らずくしゃみをすると、隣りで歩いていたシルフィが心配そうに聞いてくる。
俺と同じく湖の中に潜って水に濡れたはずなのに、シルフィは至って平気に見える。
……もしや、これも普通の雑魚キャラと隠しボスが持つ純粋なる違いか何かだろうか。
病気への耐性も違いがあるとか?
「問題ないと言いたいけど、やっぱちょっと寒くなってきたな。このままだと明日には本当に風邪になるかも。」
「痛いなら、ねる?」
「そうもいかないだろう。何とかシグマから逃れたけど、俺達はまだ逃走中なんだぞ?そんな余裕は……」
……いや、そうでもないのか?
あの崩壊していくアジトから逃げ出して一時間程。
大博打を何とかなったという興奮と追われるかもしれないという焦燥もあり。
ずっと山の中を走っていたのだが……
「……そうか。もう、俺達を追う奴等はいないのか。」
「いない?」
「ああ、いくらシグマでもあの通路の存在と行き先はわかってないだろうし、お前を狙っていた一族も完全に潰えたし。」
……あれ?
よく考えたら本当に全部解決してね?
【黒きサソリ】は俺達の行き先を知らず、'深き森の一族'も潰えた。
そして、王立騎士団とやらは俺の狙い通り、あのゴロツキ共によって足止めさせられ俺達の姿すら見ていない。
そしてシルフィがここにいる以上、もうこの島が原作みたいに神獣によって滅ぶ事もないときた。
そう。
俺はやり遂げたのだ。
あの死亡フラグだらけだった地雷を全て潜り抜け、未来を変え、そして生き延びる事が出来た。
今までは前へと走る事だけを考えていたから気付かなかったけど、いつの間にか、俺はゴールに辿り着いていたのだ。
「……何だか、ちょっと実感が湧かないな。」
何か極的な変化とか、'クリアー'の文字が出てくるとかを期待した訳ではないけれど。
いざ、こうして全部成し遂げて見れば、何だか本当にやってやったとか、生き延びたという実感がない。
夢でもみているような感覚で、未だに追われているのではないからとすら感じてしまう。
(でも、まあ。案外、こんなものだろうな。)
そう。
転生先が以前俺がやった乙女ゲームの世界と言えど、ここもまた現実。
何かを成功したらしたでレベルアップの文字が出たり、ステータス画面が出る事もなく。
特別なイベントが始まったという通告や、セーブとロードが出来るはずもない。
ここにも人々は健気に生きていて、時には喧嘩をしたり、仲よくなったり。
成功の喜びを満喫し、失敗に苦しみながら悩み、そして生きる。
きっと、どの国、どの異世界だろうと人の世っていうのはそう変わってないのだろう。
「カイル?やっぱり、痛い?」
「……いや。大丈夫。もうちょっとゆっくり行ってもいいかなと思っただけだ。帝国に行くと色々忙しくなるしね。」
「うん、楽しみ!」
今までよりも一番明るい笑顔と共に、シルフィが俺の手を掴んでくる。
何か、あの神殿で助けてから以前よりもっとくっついてくるというか、何か俺を信じすぎるという印象を受ける。
……やはり不安だったのかな?
だからこうして甘えたり、頼ったりして安心感を感じようと?
(まあ、まだ子供だしな。)
何だかんだ言っても、この子はまだ子供。
そう考えてしまうのも無理ではないだろう。
以前、約束した事もあるし。
隠しボスとか、生き延びる為とか、そんなの抜きでも色々心配になってきたし。
これからも面倒を見てやらないといけなそうだ。
「……これが親の気持ちか。俺、まだそんな相手もいなかったのじゃが。」
「?」
俺と並んで歩きながらシルフィが首を傾げる。
それもそうだ。
今の独り言を聞いた所で理解するはずがない。
何だかんだ言ってもこの子はまだ常識が足りないのだから。
……帝国に行ったら何とか学校とかに入学させないだろうか。
いや、それだとやはり金がいるな。
一層、俺が本を買って直接教えるとか……?
「カイル、どこにイクの?」
「うん?ああ、そうだな。このまま港へ行こうとしたけど、もう島が滅ぶ心配もないんだし。食糧も結構あるからな……うん。一、二週ぐらいは隠れて、落ち着いたら逃げるか?」
「私はいつでもいいよ。」
「……じゃあ、そのように逃げるとして。帝国に行ったら商売にでも挑戦して見るか。丁度、思い当たる商品もいつくかあるしな。」
「うん。」
以前から、機会がある度に原作の知識と相違なアイテムを纏めていたのだ。
後で、どこかに売る事ができるかも知れない。
そんな考えをしながら、未来の計画を空想する時だった。
「ほお。それは是非ともワタシも聞きたいものだ。帝国にどうやって行く気なのか、少し語ってもらおうではないか、少年。」
深き森の向うで、落ちた枝を踏む音と共にそういった声が聞こえてくる。
聞いたことがない声だった。
清らかながら、幼さが残っている声。
まるで、アリシアやシルフィのような小さい女の子が喋っているかのような。
「誰だ!!」
シルフィの手を放しながら咄嗟に腰から短剣を抜き、構える。
こんな夜中。
険しい山脈、どこかも正確にわからない樹海に誰かがいるのだ。
ただ道を迷っている人や、散歩する人と見るのは無理がある。
「ほお……威勢の良いことだ。先ほどから掃除していた奴らとは少し違うな。ちょうどいい。逃げ腰の軟弱共を狩るのもいい加減飽きてきたところだ。」
またも、向うの暗闇から聞こえるのは美麗なる美声。
間違いない。
どう考えてもこれは大人のそれではなく、まだ子供の声。
しかも、'女の子'のものだ。
「カイル?」
俺の隣りからシルフィが心配してくるのが聞こえる。
俺がそれに反応するよりも先に、向うから見えない少女の声が呟いた。
「……その名前、見覚えがあるな。まさか、キサマはあれか?黒きなんとかに所属している敗北者共の?」
(コイツ、俺を知っているのか?)
相手は俺を知っているようだが、こちらは全く覚えがないという状況。
敵と見るべきかどうなのかも定かではなく。
どうすればいいのかと悩み、固唾を飲んでいると。
「……成る程、理解した。一族の輩らが逃げていた理由をずっと考えていたが、そういう事か。となると?その隣りにいるその女。さては、……'巫女'だな?」
「!!! シルフィ、逃げろ!!」
咄嗟にシルフィを後ろへと突き飛ばし、同時に防御用のアイテムを向うの方へ投げる。
《請願の護符》。
原作ではたった一回だけ、あらゆる魔法ダメージを無効にする一回限りのアイテムである。
何か見えた訳ではない。
魔力とか何とかを感じた訳でもない。
ただ、相手が'こっち'を知っている。
俺の素姓を、そしてシルフィの正体すらも把握している。
それが何とも言えない程に不吉で、'巫女'と呼ぶ声に口では形容できないネバネバした殺意が感じられて。
だから、反射的に投げた。
何の読みや予測もなく、生き延びたいという直感のみで防御用のアイテムを使う。
そして、'それ'が空中から襲ってきた。
夜空が紅蓮に染まる。
爆発と共に突風によって周辺の樹が折れて倒れていく。
周りを全て炎によって飲み込めながら走ってくるのは'火炎の竜'。
体が燃えている爆炎に出来ているそれは、大きな口を開きながらがシルフィの方を襲い、消える。
俺が反射的に使った'無敵'アイテムのバリアーによって防がれ、無惨に爆発する。
「ほお?」
「っっ!?」
魔法とアイテムがぶつかり発生する高熱で体が焼けるかのようだが、今はそれどこれではない。
そんなことを考えている暇はないのだ。
「嘘だろ……!?」
理解できない。
頭が出した結論を受け入れる事が出来ない。
他でもない理性が何故、この期に及んでコイツが出てくるのかと否定しようとしている。
今の一瞬で俺が驚いた理由は二つ。
一つは相手が完全に真っ直ぐシルフィを'殺す'つもりで攻撃したこと。
そして、もう一つは。
今飛んできた'火炎の竜'のような魔法が俺がよく知っているアイツの魔法という事だった。
「シルフィ!!受け止めろ!!」
後ろへ飛ばされ何とか立ち直っていたシルフィに、背負っていたバックを投げ渡す。
慌ててそれを受け止めたシルフィが困惑する目で俺を見た。
'どうしてこれを渡すのか'と。
「逃げろ!!今すぐに!!出来るだけ、遠く!振り向かずに走れ!!」
「……!」
続いて向こう側から、紅蓮の竜が火炎を纏い飛んでくる。
それを続いて《請願の護符》を投げて防ぎながら、俺は思いっきり叫んだ。
とんでもない爆音で既に俺の声すらまともに聞こえず、この急なる猛攻を防ぐだけでも精一杯である。
「モタモタするな……!さっさと行けと言ってるんだよ!!」
何故、今ここに'アイツ'がいるのかわからない。
何故、よりにもよって、全てが終わったと思ったタイミングで奴が出現するのか、理解できない。
まるで呪いのようで、運命や神とやらがそこまで俺を手放したくないのかと恨んでしまう。
だが、今はそれどころではない。
文句を言う時間はなく、見えない神を恨む隙もない。
'コイツ'の前でそんな悠長な事をしていたら、一瞬で焼かれ、そのまま灰になるだけなのだ。
だからこそ、無駄な考えを全てショットさせ、必死に生き延びる為の方法を模索する。
「カイル!ヤクソクして!後で、ぜったいにくると!」
「……っ!そんなことは約束できねえから、さっさと逃げろ!もう一度俺に逃げろと言わせたら、その時はお前と永遠に縁を切ってやるぞ!!」
「!!」
頷けない。
その約束は俺としてはどうしてもやれない。
何故なら、コイツは。
チートを持って転生したのと変わらない破格的な強さを持つこの相手は。
……今の俺ではどうしても勝てない存在なのだ。
「くっ!」
最後の《護符》が連続して飛んでくる魔法に飲み込まれ、消えていく。
その爆発に巻込まれてしまい、右腕から焼かれるかのような痛みが走った。
爆風によって地面を転がりながら、何とか体制を立て直して立ち上がると。
俺の怒鳴りが効いたのか。
やっとシルフィが俺の荷物を持って逃げていくのが見えた。
「……七回、か。ふっ、不思議な事もあったものだ。力を抜いていたとはいえ、ここまでワタシの魔法を受け止める人がいるとは。しかもその相手とやらには魔力を感じられず、何かの力を使用した前触れもない、と。」
「はあ、はあ……」
火事が起こり、赤く染まった夜空の下。
風邪によって踊るかのような炎の向こうにて、その少女が歩いてくる。
周りの樹たちを蝕む炎をまるで自分の護衛の如く従わせながら、現わすのは炎とは裏腹に氷のような少女。
冷徹な印象を与える綺麗な緑色の瞳。
春風のように流れる銀髪。
整頓された顔によく似合う白き軍服は、まるで小さい司令官を見るかのような服装で。
……だからこそ、俺は唇を噛み締めた。
やっぱりアイツだったと、出来れば違って欲しかったと。
心の底から果てしない絶望が身体中を蝕み始める。
……見覚えがある。
忘れるはずもない。
その姿は未だに十歳の子供。
けれど、あの目。
他の人やプレイヤーをずっと下等な生き物としか見ていない冷たい瞳や。
凍りの女王のような見た目は、まさしく原作のまま。
傲慢であり、自尊心の高い銀髪の少女。
紅蓮の竜みたいな火属性の魔法と、全てを貫通する光属性の魔法を得意としていた怪物。
事実上、このゲームのメインルートである王子ルートでアリシアと戦う事になる、その悪役令嬢の名は……
「リエナド・デ・ヴァロワ……!」
「ほお、ワタシを知っているのか?これは驚いたな。どうやら、ワタシの読みが少し外れたみたいだ。」
俺が覚えている原作のドレス姿とは違って幼く、司令官スタイルでの服装だが、しかし、ハッキリとその面影がある。
「キサマ一人という事はこれは傭兵王の指示ではなく、単独行動といった所か?大した度胸だな。一族と傭兵団、どちらも出し抜こうとするとは。」
「……何故、お前がここにいる?」
火傷を負ったらしく、右腕から感じる痛みを堪えながら何とか質問で時間を稼ぐ。
先ほどの連撃を防ぐのに防御用のアイテムは全部使ってしまった。
残ってるのは、スピードアップが二つ。
麻痺と猛毒を与える状態異常系が三つ。
そして水と風属性の攻撃型が一つずつ。
手持ちはこれが全て。
これで何とかするしかない。
「簡単な事だ。狩りは追い詰める事も大事だが、退路を断ち切るのも肝心でな。騎士団が傭兵達にやられていたから、少し手助けはしたが。一族が逃げる素振りが見えたので、すぐ、その逃げ先を潰そうとしたという事だ。」
「……逃げ先?」
「何なら、キサマも見てみるか?ワタシの後ろにいるぞ。今のキサマのように、ここまで逃げ込んだ腑抜け共の死体達がな。」
そう語りながら銀髪の悪役令嬢は残酷な笑みを浮かべる。
どこまでも自信に満ちて、己が自身の行ないややり方に一切の疑念を抱かない性格。
傲慢、残忍、加虐。
それが全て形作られているかのようなお嬢さん。
そして、理不尽な事にも。
その絶大たる自信に似合うほどに強く、だからこそ実際に何でも出来てしまう怪物。
それこそがリエナド・デ・ヴァロワ。
あの【硝子の夜明け】というゲームのメイン悪役令嬢である。
原作で、あのゲームをやっていた頃、目前のコイツをクリアする為に一体どれほど苦労したものか。
……まさしく、最悪の状況と言える。
この島に王国からの軍隊が来るのはロネスに聞いてはいたが。
まさかその中に、よりにもよってリエナドがいるとは。
原作でこの女と決戦をするのは、まさしくラスボス戦が行なえるその手前。
当然ながらステータスとスキルはえげつなく、強さはラスボスにも引けを取らない程である。
中間ボスであるシグマよりも確実に強い。
正面でシグマすらも勝てない俺が、この公女を相手にして勝てる見込みは全くない。
無理ゲーにも程がある。
設定としても、確かコイツは既に一人でドラゴンすら単独で狩ったという逸話があるはずの化け物。
あの長老や、精霊雲と戦ったのとは比べ物にもならない。
ここにはもうシグマもなく、神獣からの祝福もないのだから。
「……っ。」
「それにしても、理解できないな。キサマの目的はなんだ?一族と傭兵王すら出し抜こうとしたのなら、あの巫女を攫い、高値で売ると思ったが。何故、自らここに残る?ワタシの事は知っているのだろう?」
銀髪の公女が夜風に髪とを靡かせながら、聞いてくる。
それは単純に、本当に興味本位で聞いているのだろう。
何か、特別に思うことはなく、何かの企みがあるわけでもない。
ただ、残党を狩っていたら俺と出会い、気になったから聞いてみた、それだけである。
これに答えたら'そうか'と頷き、もう用はないと言いながら直ぐ殺そうとするはずだ。
原作で彼女が描かれた姿のままに、そしてアリシアが何度も学院でそんなリエナドを止めようとしたように。
コイツは殺そうとしているのだ。
俺と、そして、あの子を。
「……一つ、聞きたい事がある。お前、あの子をどうする気だ?」
念のために聞く。
そんな期待は抱かなくとも、それでももしやと思って。
だが、そんな微かな期待も無駄な物だとすぐに悟った。
「ふっ。成る程、そういう事か。」
今、俺はどんな顔をしているのだろうか。
鏡がない以上、それはわからないが、とにかく尋常ではない顔だと思う。
俺を見た銀髪の公女が何故か小さく笑うのだから。
「一族を滅ぼし、その研究成果は奪う。そして、'巫女'は後難にならないように抹殺する。これがワタシに与えられた任務だ。……と、言うと、キサマはどうするのかな?」
シルフィが逃げた方向を意味深に見ながら悪役令嬢が楽しいように語る。
愉悦に満ちた、どこまでも上から見下ろしているかのような目線。
原作で主人公であるアリシアにもよく見せていた、どうしようもない'馬鹿'を見て嘲笑い、貶す視線だ。
……確かに、今の俺は馬鹿で間抜けだろう。
自分でもそう思ってしまう。
相手はあのシグマよりも強く、その気になれば無敵状態すら破る貫通魔法や、チートと変わらない強さを持つ者。
あの【硝子の夜明け】というゲームを鬼畜難易度にさせて極悪な相手なのだ。
先ほどのように誰かの助けを期待する事は出来ず。
息を合わせる仲間もいない。
この場にあるのは数少ないアイテムと、先ほどの戦いで消耗している自分のみ。
相手になるはずがない。
勝てるはずがない。
それでも戦うと言うのなら、それが馬鹿でないと何だと言うのか。
それを知っているからこそ、あの女は愉悦に浸り笑っている。
原作でずっとそうだったように、傲慢に構えながら。
……だが、それでも。
「……ふうん。逃げないのだな。いい、とてもいいぞ。面白いじゃないか。ワタシに勝てると思っているのかな?」
「そんな訳あるか。実力の差は明白だ。普通に考えて俺がアンタに勝つのは無理だろう。だから、あの子と約束はしなかったんだよ。俺は守れない約束はそもそも言わないたちでね。」
何とか痛みを堪えながら短剣を握った手を持ち上げると、そんな俺をみる悪役令嬢の笑みがより残酷になる。
子供とは思えないほどにドSな顔。
間抜けな獲物を見てどうやって弄んでやるかを考えている表情。
「そうか。では、これはただの蛮勇という事だ。勝てないと知りながら憐れにも挑もうとする弱者に現実をわからせる、か。
……ふふ、悪くない。だらしもなく滾ってしまうな。丁度、覇気もない蟻達を踏躙るのも飽きてきた所だった。」
どうやら、完全に注意が俺のほうに向けたらしく、リエナドはもはやシルフィが逃げていった方向は目もくれず、俺だけを見る。
……やっぱりというか。
原作で見ていた時から思っていたけどコイツ、絶対にドSだな 。
相手を虐めて楽しさを得るタイプと見た。
「……折角、可愛い顔してるのに勿体ないな。少しは相手を思いやれる気持ちとやらを学んだらどうだ?後で好きな相手にドン引かれるかも知れないぞ?」
「ふっ、余計な心配だな。生憎、そういった感情を覚える必要は感じず、そんな事をしてまで思う相手もない。それよりも、この状況でもその生意気な口の聞き方……、ますます悪くない。助けてくれと泣き縋る姿が楽しみだ。」
「うるさいわ、変態野郎。」
「……誰が変態だ。」
お前だよ、お前。
俺は親切にも未来で王子様に捨てられないように助言したつもりなのに、この公女様はあっさりとそれを否定していらっしゃる。
後ろの炎のせいか少し顔が赤くなっている公女が黙り込み、俺もこれ以上話す言葉もないので黙る。
既に時間稼ぎは充分。
手持ちのアイテムを再確認は終わり、頭の中でこの公女のスペックとスキルを出来る限り全部思い出した。
……今から、俺は無理な戦いに挑む。
島の消滅。
黒きサソリ。
傭兵王シグマ。
頭いかれた一族。
精霊雲と化した長老。
その全てを克服し、生き延びたと思った最後の最後。
俺を取り逃さないようにと現われたのは最凶の悪役令嬢と来た。
スキル、スペック、ステータス。
何をどう見ても勝てる見込みは見えない。
頭をフルで回転させているが、本当に手も足も出ず、妥当な計画が思い浮かばないのだ。
戦えば確実な敗北。
勝算などなく、万が一の勝機もない。
残っている方法は逃走のみ。
それならばまだいくらか策は出せると、理性が冷静に訴える。
けれど。
「……この先には行かせない。あの子を殺そうと言うのなら、何が何でも阻止してやる。」
既に、俺の中に逃走という選択肢はなくなった。
巫女を殺すと宣言された時点で残されたのは一か八か、ぶつかるという一本道のみ。
戦えば必敗だとわかっていても構える。
右手には短剣を、左手には残っている二つの内、片方のスピードアップアイテムを取り出す。
そんな俺を見ながら、銀髪の少女はどこか女の色気すら感じられる笑みを浮かべ、
「せいぜいやってみるがいい。その大切な乙女を目前で直に焼き殺されたくなければ、な。」
左手でアイテムである脆い石を砕くのと同時に。
俺は直ちに目前の悪役令嬢へと突進するのだった。
ラスボス戦という名の無理ゲー




