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転生した俺は乙女ゲーの隠しボスだった女の子を預かる。  作者: イオナ
一章. 10才、セピア島編
22/35

22. 交わった道は分れ、俺は別れる。

「……なあ、シグマ。ここに侵入しながら俺は言っていたな。以前、俺はここへ来たことがあって、今回の計画にはその時に仕組んでいた仕掛けを使うと。」


崩れる。

大きな唸りを上げながら。

岩石が落とされ、壁にひびが入り、大空洞が崩れていく。


神秘的な雰囲気を感じさせていた神殿も、もはや以前のような姿は見る影もなく。

古き遺跡や廃墟の如くボロボロになって、大空洞の崩壊に合わせゆっくりと、深き眠りに就こうとしている。


終演の時。

とある一族が長い間妄執に囚われ、築けてきた場所がその役目を終えていく。

小さい少女すら犠牲にてまで叶えようとした見勝手な悲願は潰え、この場所も最後を迎えている中。


俺は一人の男と向き合っていた。


見るからに鋭い印象の、汚い髭と黒髪をしている如何にも賊のような顔付きの男。

しかし、その実、心の中には誰にも負けない野心を抱き。

だからこそ、誰かを傷付け、奪ってでも目標にしがみつこうとした悪党。


その男を見ながら語る。

昔から彼を見て育ててきたカイルとしても、そして一人のプレイヤーとしてこのゲームをプレイした石田 栄一郎としても。

決して忘れない因縁の相手を見ながら、別れの為の言葉を。


「……実はな。俺があの時に仕組んだ仕掛けは全部で'三つ'だったんだ。」


大空洞の震動がより激しくなる。

もはやこの場所も長くはないとすぐ悟れる程、揺れが激しい最中。


男の瞳が一瞬だけ、丸くなり。

静かな静寂を抱えながら、俺を見つめてきた。


「……成る程ねぇ。最初からそのつもりっだった、と。そういう事かい?」


「ああ。」


「はっ!本当に食えねぇ野郎だぜ。ちゃっかり美味しい部分だけ持っていこうってか。」


一ヶ月前。

俺がシルフィと共にここから逃げる為に用意していた仕掛けは全部で三つ。


その内の一つは既に一ヶ月前に使っており。

そして、長老と一対一で戦う為に俺は二つ目の仕掛けを使った。


そう。

一ヶ月前に一つ、今回に一つで合わせて二つ。


ならば、当然ながらこの場所にはまだ。


'三つ目'の仕掛けが残っている。


「で、それを仕掛けた場所はーー」


「言わずともわかるぜ、この神殿だろう?ここで決着をつけようと提案したのは単純に奴等を隙を突く為だけではなく、事が終わった後、俺から逃げる為でもあったってこった。」


流石に理解が早い。

三つ目の仕掛けはまさしく一か八かの勝負に使おうと、この神殿に設置してあるのだ。


この頭がいかれた一族にとってもっとも大事な場所である神殿を壊し、俺達はこの湖の下にある隠し通路を使って逃げる。

二つ目の仕掛けでこの大空洞に繋がる道を断って増援が来ないようにさせた後、三つ目の爆弾で完全に止めを刺し、その隙に逃走するという計画。


一ヶ月前、ここの地図を手にいれアジトの構造を知ったからこそ企むことが出来た、

しかし。

余りにも危険だったが故に、最後の手段として考え、放置していたものである。


そう。

いくらシグマが早く、強く、そして用意周到であっても、既に勝負は付いていたのだ。


この場所に来ている時点で既に。

それこそ、一ヶ月前から。


「……俺の勝ちだ、シグマ。」


「ああ、どうやらそうみてえだな。何かあるとは思っていたが、さすがに一ヶ月前の仕掛けなんざ、予想できねぇからよう。今のテメエには不思議な強化も残っている。どうやらこれで詰みのようだ。」


シグマは意外とあっさり両手を挙げ、参ったというジェスチャーをする。


シグマはここにある逃げ道の存在を知らない。

故に、一度、この神殿に仕掛けてある爆弾が炎を吹き出し、完全な崩壊が始まると。

奴は俺を追う事は出来ず、生き残る為に必死に入り口まで戻るしかない。


確かにアイテムによる強化があっても俺はシグマに勝てないだろう。

それほどまでに奴の強化は凄まじく、老練なのだから。


だが、崩壊がすぐそこまで来ている切迫した状況ならば、話は違う。


如何にシグマには及ばずとも、この強化は普通ではない。

崩壊寸前の状況で俺を瞬時に制圧するのは不可能だ。

それはきっと、先ほどまで精霊雲と戦いながら俺の動きを見てきたシグマもわかっているはず。


故にこそ、男は素直に認める。


最後の最後。

隠されていた'三つ目'の爆弾を言われれば、もはや自分に打つ手は無いと。


「どうやら、これでお別れのようだな。胸糞悪い話だぜ。結局、俺はいいように利用されて終りってか。」


「それはお互い様だろ。今回は一ヶ月前の仕掛けが有ったからこそ、俺が勝ったが。もしその逆だったらお前は負けた俺を見下ろしながら嘲笑ったはずでは?」


「くくっ、違いねえぇ。やっぱ、お前は俺をよく知っているな。俺の性格も、俺の技や能力も、全部。……ああ、到底、納得できない程に。」


「……。」


全てが無に還っている中で、その男は枯れた笑いと共に俺を見た。


敗けを認め、別れを受け入れている瞳は乱暴者とは思えないほど静かで、落ち着いている。

歳を取り相手をありのままで見れるようになった、力無くとも賢明な老人のように。


「なあ、カイルの皮を被った旦那よ。あんたがそこにいるって事は、あのガキはどこに消えたんだ?」


またも、先ほどと同じ言葉だった。

カイルという、この世界で生まれ生きていた悪役の少年ではなく。

その内にいる'俺'を見抜いている言葉。


「……俺がカイルだが。」


「いや、違うな。あんたはあのガキじゃねえ。名前もしらねえ、顔もしらねえ。何故、そんな事になってんのか、その理屈や理論もしらねえ。

だが、ハッキリとわかる。あんたはあのクソガキではない。あの見込みなどない、俺の目にも入らなかった石ころではない。

……この二ヶ月、俺がずっと手にいれたいと思った人物は他でもない'あんた'だ。」


心の中にあるのは驚きと、微かな納得だった。

他でもないこの男が俺を見つけたという事実。

その事実にちょっと納得している事自体が驚きという不思議な感覚。


俺は頭のどこかでわかっていたのかもしれない。

もしかしたら、コイツならば。

コイツだけは、'俺'を気付く事ができるのではないかと。


この二ヶ月、俺は生き残る為に必死にシグマを騙そうとし、その腹を探ろうとした。

自分を偽り、演技をし続け、シグマの顔を伺う日々。


その過程で俺はこの男の内側を知ることになった。

コイツは原作でずっと見ていたような、ただやられる為だけに存在するボスではないと。

イメージが変わり、印象が変わり、だからこそ、より警戒するようになった。


そしてそれは相手も同じく。

この男もまたこの二ヶ月、'カイル'を警戒し、ずっと観察して見てきたとしたら。

その内を、ヘラヘラと笑う仮面の向こうを見ようとしたら。


ならば、当然、気付くだろう。

二ヶ月前の'カイル'と、今の'俺'の違いを。


その理由はわからずとも、その中にいるのは違う人だという事だけは感じて。

そして今、確信に至っている。


……不思議なものだ。

誰にもそんな事は言わず、わかってくれとアピールした覚えもないのに、勝手に気付いて'俺'を見つけた者がいる。

カイルではなく、石田 栄一郎という人間を。


その相手が必死に避けようとし、怖がっていた中間ボスとは何という皮肉だろうか。

出来ればアリシアやシルフィみたいな美少女だったら嬉しかったが。


しかしながら、コイツならば出来るだろうという妙な納得と、小さな嬉しさがある。

これは、先ほど共に怪物と戦いながら微かに仲間意識を持つようになったからか。


それとも……。


(……自覚はなくとも、誰か一人ぐらいは'俺'をちゃんと見つけて欲しかったのか。)


急に転生してしまってから、二ヶ月。

生き残る為に必死に足掻き、生き抜こうとした日々。


偽り、演技し、全てを騙しながら、自分をさらけ出すなど言語道断で。

そしてこれからも俺はこうして生きていくしかないだろうと、心のどこかで諦めていた。


だからだろう。

この胸の中に妙な満足感と嬉しさが有るのは。


心底ムカつく話だが。

どうやら、俺は俺を見つけてくれた事がとても嬉しいようだ。

その相手がお互いの腹を探ろうとしていた、最悪の狸野郎だとしでも。


「……カイル?」


隣でシルフィが俺を見上げる。


呆れて笑う俺を見て不安になったのだろう。

俺にくっつき、腕を絡んでくるので、安心させるためにその手を握ってやった。


か弱く、小さく、そして柔らかな。

俺が預かり、守るべき手を。


「悪いが、その質問には答えないな。だって、何の意味もない。俺が誰だか、俺の正体とは何なのか。そんなの今更だ。」


「……何?」


「どんな事情、遍歴があろうと、今の俺は'カイル'だって事だ。この子が知っていて、頼ろうとしているのは、な。」


'俺'を見つけてくれたのは嬉しい。

カイルではなく石田 栄一郎という人間を直視してくれたのだ。

相手がシグマなのが非常に残念なのだが、まあ、それは置いておいて。


でも、今、大事なのは名前か、俺が誰かなんかではない。

この子が見て、この子が頼ろうとしているのは俺であり、この子と生きようと決めたのもまた俺だ。


ここで俺の正体を明かすべきか、その名前を言うべきかどうなのか。

そんなものは全く重要ではない。

だって。


「……生憎、今の俺はこの子を預かっているのでね。本当の名前が何だの、正体が何だの、そんなのを一々気にする理由も、答えてやる余裕もない。

俺は'カイル'だ。この子が信じて、この子を預かろうとし、名乗ったのがその名前だ。

なら、今はそれで充分だよ。」


だから、俺の本当の名前を言う必要はない。

そんな事を意気揚々と語るつもりもない。


石田 栄一郎を見つけてくれたのは嬉しく思っても、今の俺は'カイル'だ。

原作のクソ雑魚悪役としてのカイルではなく。

この小さき子が信じている、そしてこの子を預かると決めた'カイル'。


そう名乗って、それが今の俺である以上。

この質問に'石田 栄一郎'と答える事はできないのだ。


「まあ、俺が自由なままだったら答えてやってもよかったがな。」


「……ハッ、そうかよ。本当にムカつく話だぜ。立派な保護者(ツラ)をしながら、とぼけやがって。こうなると、その嬢ちゃんを恨んでしまうだろうが。嬢ちゃんさえなければ、とよう。」


「シルフィに手を出したらただでは済まないぞ。何がなんでも必ず後悔させてやる。」


「ああ、よく知ってるよっ。いやァ、お父さんは大変だねぇ~。綺麗で可憐な娘さんを持つと、悪い狼に取られないかいつもハラハラする訳だ。」


ついに、その時が来た。


遠くから何かが崩れ落ちる音と共に、大空洞のひびが大きくなって、何とか持ち堪えていた部分も崩れ始める。

壁が下へと身を投げ出し、岩石が雨のように湖に向かって降り注ぐ。


その様を見て慌てるシルフィを抱えて抱き上げながら、俺は最後にシグマを見た。


この二が月、ずっと警戒して怖がっていた。

でも、稽古をしたり、色々と忠告を貰ったり、今の俺に多大な影響を与えた男を。


アイツも最後に俺の姿を目に焼き付けようとしたのか。

俺と目が合った瞬間、シグマが真剣に語る。


「覚悟しておく事だ。これからあんたがどこに向かい、何をしようと。その嬢ちゃんと一緒にいると必ず戦いに巻込まれる。'力'とはそういうもんだぜ。持ってないと踏み躙られるが、持っていても争いの元になる。厄介なことこの上ねぇってこった。」


「そうかよ、親切なご忠告どうも。でも、余計な心配だ。俺は欲がない人間でね。戦いとかはせずこの子と静かに暮らすよ。」


「はっ!あんたがそのつもりでも、周りが放っとかないって言ってんだ、間抜けが。力とはそういうもんだからよ。……だが、まあ、確かに。あんたなら、力に酔って乱心する事はないか。」


何がそんなに愉快なのか。

声を殺すつもりもなく、シグマは豪快に笑い出す。


今でも壊れていく大空洞の中で少しも慌てたり、怖がりもせず。

余裕溢れる男を見ながら呆れてしまうと。


「カイル!はやく逃げないと!」


そんな俺の耳元に向けてシルフィが慌てて注意する。


流石にもう時間がない。

この状況で三つ目の爆弾を使うと、この神殿は一気に吹き飛ぶだろう。

爆発に合わせて、湖に乗り込まないと。


「じゃあな、シグマ。この二が月、アンタと過ごした時間は何だかんだと悪くはなかっ…………いや、ないな。うん、それはナイナイ。どう考えてもないわ。」


最後ぐらいは良いことを言って別れようとしたが、どう考えてもコイツとはいい思いでなどない。

あるのは稽古という名目で殴られて、血を流して、とにかく無茶苦茶にされた思い出だけだ。


「……まあ、嫌な思い出ばかりだが、これで完全にお別れだ。頼むからもう俺やこの子には関わらないでくれよ。そうしてくれると、アンタのその目標とやらが上手くいくように祈るぐらいはしてやる。アンタが最悪な人間なのは変わらないけどな。」


「言ってくれるぜ。だが、そりゃあ、できない相談ってこった。神獣とその嬢ちゃんは兎も角、あんたにも興味ができちまったからよ。今回は時間もないし、このまま流すが。次に会う時には絶対、本当の名前を聞かせて貰うぜ。その時には代わりに俺の名前も教えてやるよ。」


「いや。興味ないし、会いたくもないわ。つうか、シグマって偽名だったのか?」


またも原作では語られなかった事実に呆れてしまう。

このシグマって男は、もしかして中間ボスで終わるには勿体ない人物だったのか。

設定はもっとあるのに、製作の都合上、全部カットしたとか?


……まあ、あのゲームに裏の設定などが本当にあっても、今になっては知る方法もないし、あんまり興味もないけど。


「あばよ、名も知らぬ旦那よ。今回は俺の敗けにしといてやるぜ。その嬢ちゃんを預かるなら、精々気張るこった。きっと、碌でもない茨の道だろうからよ。」


「ああ、さよならだ、シグマ。そして、これは先ほどの忠告のお礼であり、俺の個人的な感想だが。アンタ、無理してまで理想の王だの、英雄だのを探すのは止めた方がいいぞ。」


「……何?」


「だって、そうだろう?」


爆弾を起動させる寸前、シグマが最後に呆気を取られた顔をする。

今までずっと余裕が溢れて、決して慌てさせる事が出来なかった男が最後の最後に俺を見て面食らってるのだ。


その事実に少し痛快さを感じながら俺は語った。

数時間前、原作でも語られなかったシグマの目標を知ってからずっと感じていた事を。


「そんな汚い事までしてまでやり遂げようとしてるんだ。最悪だとわかってもやってしまって、諦めなくて。それなのに最後は他人に全部任せてしまうなんて、あり得ないだろう?」


原作でのシグマは失敗していた。

理想の英雄を探そうとして、コルシオンというイケ面と出会い。

その人物を立派な王にさせようとした。


だから、その命令に従い、どんなルートでもアリシアを狙う訳だが。

それは成功せず、コルシオンのバットルートでは望んだ結末とは違い、コルシオンが暴君となってしまう。


そして、コルシオンの真エンディングですらも、そのイケ面は野心より(アリシア)を選び、二人で旅に出るのだ。

王の座も、野心も。

自分を支え、滾らせていた事を全て捨てて。


あのゲームを無理矢理やっていた時、そのエンドを見て'いいハナシだったなー'程度の感想しかなかったけど。

シグマの内面を知った今に思うと、そのエンディングもまた、彼にとってはバットエンドだったに違いない。


英雄に、王にさせようとした人が成長したと思ったら。

アリシアを選び、その目標を捨てたのだから。


でも、それもしかた無いと思う。

失敗し続けるのも当然だ。


だって、そうではないか。


「他人に全てを委ねて叶うのではなく、自分の力で成し遂げてこそ意味があるものだろう?自分の夢ってのは。少なくとも、俺はそう思うぞ。」


「…………。」


「まあ、あくまで俺の個人的な感想だよ。あんまり深く考えるなくても良い。俺もシルフィと一緒にいると危ないというアンタの忠告、軽く無視するつもりだし。」


「……そうかい。そりゃあ、また、呑気なこった。」


それで終りだった。

この男との別れも、この空洞の維持も。


俺はずっとボケッとに隠し持っていた赤い呪石を取り出し、使う。

それは一ヶ月前、この神殿の真ん中に設置していた'地雷'を発動させる為の装置。


起動と共に今までのような柔な震動とはまるで違う、世の終りが来たような霹靂が空洞に響く。

神殿がいる小さい島ごと、湖全体が激しく揺ぎ、崩れながら沈んでいく。


もはや、この場所は人が立っていられる場所ではなく、完全に死地と化すのだ。

数百年前からそうあるべきだったように。


無理矢理に作られた妄執の形が幕を下ろそうとしている。


「カイル!」


「ああ、確り掴んでいろ!」


激しい震動と爆発の中。

シルフィを抱き上げながら壊れていく神殿を脱出していく。


シグマが立っている入り口の方ではなく。

逃走経路がある神殿の裏、湖の底へと。


まだ強化が残っている足で壊れていく足場を蹴りながら、最後に後ろを振り向くと。

シグマが俺を見ていた。


神殿が壊れ、もはやこの大空洞も原型を持たない状況。

山崩れと共に崩壊しているにも関わらず、男は立ったまま笑っている。


原作で、そしてこの二ヶ月の間ずっと見てきたように、堂々と。

ちっとも怯まない自身溢れる顔で、ゆっくりと手を振りながら唇を動かす。


'また会おうぜ'と。

最後にそんな事を言っているような気がしながら。


そして、俺はシルフィと一緒に湖の中に飛び入り。

その姿すら見えなくなった。



***



「……振られてしまったか。ったく、最後まで食えねえ野郎だったぜ。」


爆発と共に沈んでいく神殿の中、少年少女が消えていた方向を見ながら男は枯れた笑いを飛ばす。


結局、あの'男'の正体はわからずじまいで、名前も同じく。

最後の最後まで自分の思い通りにならない男だった。


「……本当に手に入れたいものは何でいつも簡単に手の中からこぼれていくのだか。泣きたいもんだな。」


「シグマ!!」


落ちていく岩石達が湖が埋めていく最中、シグマは空洞の入り口で立っている部下を見た。

あの少年の姿をした男を除いては唯一、自分の真の目的を知っている部下が。


恐らく、先ほどの爆音を聞いて急いで来たのだろう。

外でも相当の戦いがあったらしく、巨漢は血まみれであり、荒らい息を吐いている。


外にいろと言っておいたのに、あんな状態になってまで来るとは、本当に忠直な奴だと思ってしまう。

だからこそ、この男は信じられると思い、仲間にしたいと思って誘ったのだが。


「……まあ、運がない俺でも一つぐらいは、ちゃんと手にいれていたという事か。」


苦笑いと共にシグマは瞬時に沈んでいく神殿から抜け出す。

上から落ちてくる岩達を足場にして飛び渡りながら湖から脱出し、入り口にいる仲間の元へと向かう。


「よう、ジャン。その様子じゃあ、どうやら相当苦労したようだな。」


「そっちこそ、その腕の傷は酷いものだ。……それに、奴は逃してしまったか?」


「ああ、見事にな。この基地を知り尽していた奴の勝ちってもんだ。残念なこったぜ。」


「だが、諦めてはいないのだろう。」


その言葉にニヤニヤしながら、シグマは右腕である巨漢を見る。


傷だらけで、険しい、始めて会った時とは随分と変わった外見。

しかし、その揺るがない目だけはあの頃のままな。


「失敗はいつもの事だ。しかし、諦める事だけはしなかったからこそ、私たちはここにいる。あの時も、今も。……お前の夢は一度の失敗ぐらいで終わるものではないはずだ、シグマ。」


それはこの巨漢に自分の内側を明かした時に話した言葉。


その時から既に8年。

生きる意味もなく、家族もなく、友人もない。

ただ、屍体だけが残っている戦場で、生き延びたクズ(自分)たちが朝日を迎えながら交わした会話を思い出す。


何もかも失って、何一つ持ってなくとも。

それでも、まだ心の中では夢を抱き、どんな手を使ってでも叶えようと語っていたあの時を。


「……ふん。妙に感傷に浸っているな。らしくないぜ。見た目より傷が酷いのか?死際になると人間は誰しも感慨深くなるもんだしよ。」


「素姓もわからない子供を仲間にしようとしたのだ。文句の一言はしたくもなる。」


「あれは本物の逸材だったぜ。そりゃあ、欲しくもなるもんだ。それにあの時の俺達と似たような感じだったしよ。」


他意のない会話をする傭兵王と右腕の男は余りにも落ち着いていて。

二人とも重傷を負い、今いる場所が壊れていく最中だとは見えない程であった。

まるでこんな事は常に経験していたことのように。


……そう。

これはいつもの事なのだ。

失敗も、敗北も。

8年前、夢を追い、叶えようと決めたあの時からずっと。


それでも止まる事はなく、これからも止まらない。

決まっている破滅が訪れるその瞬間まで。


「……夢は、他人に任すのではなく自分で叶えてこそ、ねえぇ……。」


「どうした、シグマ。」


「いや、ちょっと気になった事を言われてな。本当、不思議な奴だったぜ。結局、最後まで何者かも聞けなかったが、ま、それは次に会う時に聞くとして。他の奴等は?」


「問題ない。お前に言われた場所に、既に避難させてある。あれはさすがの怪物だった。今だ十歳だとは信じられん。何とか退却するのにも、この始末だ。」


「ふむ、やはりあのガキも絡んできたか。念の為、逃げるポイントを用意して正解だったな。」


予想通りとはいえ、本当に'あの女'がいたという事にシグマは舌を捲く。

他の間抜け共はともかく、シグマはこの巨漢の実力を知り、信頼している。


そんなジャンがここまでの傷を負っているのだ。

ならば、やはり噂は本当だったのだろう。


王国に現われたという稀代の天才少女の噂とやらは。


「あのガキが現われるとこっちの分が悪いと読んだのは正しかったって訳だ。今の内にさっさと逃げるぜ。奴の狙いは'巫女'。俺達に獲物がないとわかれば、深くは追ってこないだろうよ。」


「……しかし、あの怪物が巫女を追うなら、カイルは生き残れないな。あれは本物の化け物だった。先ほど戦ったからわかる。」


「ま、それで死んだら奴はそれだけだったてことだろう。強力な武器を持つとはそういう事だ。どうせ、あの嬢ちゃんと一緒なら望もうが望まないだろうが、戦いは避けられねえ。」


ジャンの感想を適当に聞き流しながら、シグマは先ほどの言葉を思い出す。

少年の外見をした、誰かもわからない人。


何の力もなく、才能もないくせに。

預かった以上、決して怯まないと言っていた大馬鹿野郎を。


「行くぜ、ジャン。もういない奴の事を言っても仕様がねえぇ。此度の計画は失敗だが、命まで奪われなきゃ、まだこっちのもんだ。次のステップに行こうじゃないか。」


「ああ。だが、本土に行くとどうするつもりだ?」


「そうだねえぇ……。」


既に途絶えつつある道を強化した拳で無理矢理貫き、道を切り開きながら男は笑う。


失敗に落ち込まず、負けても心は挫かない。

目指す場所があり、目標がある。


ならば、たとえどんなに汚く非道な事だろうと成し遂げて見せると。

男は燃えるかのような目付きでそれを思い浮かぶ。


数時間前。

ずっと秘めていた目標を話した時、あの少年が呟いた言葉を。


「'()()()()()'。そういった名前の奴がいないか、少し調べるぞ。後、知り合いの魔法使いにも連絡を入れておけ。聞きたい事がある。」


「了解した。しかし、始めて聞く名前だな。誰だ、その'コルシオン'って奴は。」


「さあな、俺もそれが知りたいもんだ。」


あの男はカイルではない。

二ヶ月の観察と、この数時間の共闘によって男はそう確信し、少年もまたそれを完全に否定していなかった。


何故、奴は魔法をあんなにも知り尽していたのか。

何故、奴は自身(シグマ)の技を全部知っていたふうに見えたか。


その理由と理屈はわからずとも、そういった不思議な姿を見ると只者ではないと思ってしまう。

ならば、きっと。

あの時、呆気になって呟いた'()()()()()()()()()'という言葉にも何かの意味があるだろう。


(もし、無事に生き残ったらまた会おうや、名も知らぬ旦那よ。その時には……)


俺も隠していた名前を言ってやるから、と。


そう心の中で呟きながら傭兵王は右腕である部下と信じられない速度で走り、抜けていく。

その歩みに迷いはなく、今までと何の変わりもない姿だった。


しかし、彼は知らないだろう。

この瞬間、これを分岐点にして、彼の運命が大きく変わっていると。


一人だけ残った神獣は全てを見通して、その奇跡に驚く。

そして、これもまた定めだと思い、閉じていく狭間の中で今度こそ旅立った白き少女を思う。


その歩みにどうか祝福を。

決まっていた不幸から逃れ、どうか、誰もが満喫する安らぎを。


そういった祈りと共に、最後に送る虹色の祝福があの少年少女に向かって飛んでいきながら。



そして。

ついに大空洞は完全に崩れ落ちた。


神殿は姿を隠し、湖は消え、美しくも神々しい空洞は見る影もなく岩に埋もれていく。


とある少年と少女、そして一人の男の道が交わり、分かれ。

三人の未来を大きく変えてから。


妄執の果てだった場所はようやく、数百年ぶりの眠りを迎えるのだった。



シグマはラスボスではなかった。


続きは明日の夜か、明後日かと。

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