2. 俺は逃げ出す。
「くあッ……!!」
お腹に激痛が走る。
体が風船のように空中に飛び、そのまま地面に落下して転がると痛みが全身に広がる。
「ッ!!」
……子供を相手に全く容赦が無い。
先から関節はもちろん、みぞおち、首、肩口など、急所と呼ぶべき場所を的確に殴り、痛めてやがる。
今も、みぞおちを膝で強く蹴られ、息がまともに出来ない。
こんなに酷くボコボコにされるのはいつぶりだろうか。
何しろ今でも死にそうな苦痛なのだ。
ここまで殴られるのは始めての体験かもしれない。
「ほらほら、どうした、どうした。もう降参か?根性がなってないな。もうくたばるようじゃ、小型種の一匹も狩れないぞ。そんな役立たずのゴミ屑、果たしてうちにいる必要はあるのかねぇ?」
「くッ……!!」
呼吸がまともに出来ず、息を切らしてる俺の耳にそんな煽りが聞こえた。
顔だけを何とか持ち上げると、俺を見下ろしながら偉そうに笑っているシグマが見える。
「おッ!目はまだ死んでないな?結構、結構。いいぜ、そうこないと話にならねぇ。だが、そんなに伸びているようじゃ、俺に一発かますのは夢のまた夢だな。男ならその程度の痛み、すぐに無視して立たないとよ。」
……好き勝手に言ってくれる。
この稽古が始まって以来、一方的に叩き潰しているくせにどの口で言っているのやら。
モンスターの解体作業を何とか終えて要塞に帰ってきたら、シグマは約束だと言い、すぐに稽古を始めた。
が、これを果たして稽古だと言っていいのだろうか?
お互いに木刀を持ってはいるものの、今の俺は10才の子供。
相手はこの乙女ゲームで中間ボス的な傭兵、あの傭兵王シグマだ。
普通に考えて勝てる余地など一切ないのに、こいつ、俺に気を配るつもりなど微塵もないようだ。
首を木刀で突き、関節を容赦無く叩いて、骨が折れるような音が出るほど強く急所を殴る。
もはや稽古も何でもなく、何かの処罰か、虐待に近い。
何とか起きようと思っても、冗談も弱音でもなく、足が勝手にガタガタ震えてちゃんと立てない。
呼吸も喉に何か詰まっているように望むまま出来ず、この状況に苛立ちすら感じる。
せめてこいつに一泡吹かせないと……!
「……ほう。本当に立つのか。意外だな。以前のお前ならそこまではしなかった筈だが。」
体の激痛を無視して体を起こす。
木刀を杖にして、ガタガタ震え、言うことを聞かない足を無理やり動かせる。
俺が何とか立ち上がると、そんな俺を見ながら、何故かシグマは深く溜め息をつき、髭を擦りながら語った。
「お前、本当に変わったな。見間違える程だぜ。ガキは成長が早いってか?うん?カイルよう。」
「……そうっすね。全部お頭のお陰ですよ。上が素晴らしいと下も自ずとそれに影響されますからね。」
「ハッ!見え見えの世辞なんか抜かしやがって。確かに以前よりは、今のお前の方がよっぽど気に入るな。いいぞ。また立つのなら約束通り、稽古の続きを……おっと!!」
「チッ!」
膝を狙った必死の突きが簡単に防がれる。
喋っている隙を狙ったが、流石にそう簡単にはいかないようだ。
だが、ここで止まる訳にはいかない。
勢いを増してなお木刀を振う。
シグマは油断しているのか、こっちの出方をみるのか、直ぐ反撃して来ない。
ならば、まだこっちのターンだ。
子供には、子供ならではの戦いがあることを見せてやる。
「ッ……!!]
「おお、かなり、すばしこく……!!なった! ……じゃねえか!!野郎……!下ばっかり狙いやがって!何だ、何だ?!躍起になればなる程、鋭くなるタイプだったのか、お前?……おっとと!!」
「クッ!!」
足首を狙って振った一撃が紙一枚の差で躱された。
先から足首、膝、股間など、主に下半身を狙っているがやっばり素早い。
今の俺は10才の子供。
成人の男と真面に戦える筈などなく、ならば低い背を活用しようと、下半身の急所だけに集中して攻撃しているが、流石はシグマというべきか。
そう簡単に一撃を許してくれない。
だが、この戦法は確実に効いている。
さすがのシグマも下の急所をやられると痛い筈。
こっちの攻撃を軽く躱したり、防ぎたりして中々当たらないが、逆に言うとあちらからも満足に攻撃できていないという事だ。
この状態で奴が攻めるとしたら、足下でちょこまかと動くこっちを蹴ろうとするか、木刀で頭を割るのみ。
反撃のルートさえわかれば、それを躱すタイミングを見間違えなければいい。
動きを鈍らせるな。
もっと集中しろ。
今の奴は全く本気ではない。
なら、必ず一矢報いるのも出来るはず・・・!!
「ほっ!よっと!!ったく……!大人が有難い言葉を賜わす時は、ちょっとは大人しく聞けってんだ!なのにこのクソガキはよう~!こんな汚さは一体、誰に教わったのかねぇ?!」
「そりゃ、お頭っスよ!!」
今までずっと殴られた鬱憤を込めて振り回すと、また俺の攻撃が軽く防がれる。
もう息が上がってきてるが、ここで攻撃を緩める訳にも行かない。
すぐに木刀を回収し、足首を狙って突きをぶっ放す。
「おおおおっ!いいぞ、いいぞ!そのまま行け、カイル!シグマの奴に痛い目を見させろよ!!」
「ばっか野郎!!狙いが馬鹿正直なんだよ!!動きが丸見えじゃねぇか!!フェイントを混ぜろ、フェイントを!」
「がははははは!あいつ、中々やるじゃん!モンスターの死体だけ構っていた奴が、いつあんな風に出来るようになったんだ?!」
俺がシグマに攻める度に、周りから歓声と怒鳴りが沸き上がる。
今、俺達が稽古という名目で戦っている場所は他でもない、バルティア要塞の中央グラウンド。
この一ヶ月の間、ここセピア島で【黒きサソリ】が拠点としている要塞である。
今は全ての日程を終えた夕方。
当初に予定されていた宴会のため、グラウンドには殆んどの傭兵達が集まり、酒とつまみを持ちながら俺とシグマの稽古を見物している。
言わば、今の俺は完全に見せ物扱いという事だ。
シグマが急に稽古をしてやると言い出したのは、俺を公然の場で辱める為だったのか。
「カイル!いい加減にぶっ倒れろ!!そのままだと賭けに負けっちまうだろうが!!金失ったら承知しねぇぞ!」
「……チッ!!」
こいつら、ホントうざい。
ただ見るだけではなく、勝手に賭けを始めては、さっさと負けろと怒鳴りやがる。
こっちは先から必死にシグマの攻撃を躱しながら、どうしたらあいつに一矢報いるかを考え、あらゆる手を尽くしているのに。
応援どころか、早くやられろと呪っているとは。
こんな集団にもっと滞在したら、俺の性格まで歪まないか心配になるくらいだ。
「おぉぉい~!カイルが今回でやられると賭ける奴はもういないか??息上がっているし、ここが稼ぎ時だぞ??」
「ッッ!」
どうしても聞こえる声にムカッとし、その声の主を横目で睨んだ時だった。
「……おい、どこ見てやがる。」
背筋が凍る。
あまりにも低く、心底から引き締まるような掠れ声。
俺だけが聞けるほど小さく、それでいて聞いたことが無いほど冷たい、感情が篭ってない声。
無意識的に体が固まり、目の前を見ると。
別人のように厳しい顔をしたシグマが俺を睨んでいた。
「人をここまで期待させておいて、それはねえな。あんまり俺をガッカリさせるなよ。周りのゴミ共を気にする程の余裕が今のお前にあったか?ん?」
「……ッ!」
今までずっと俺の動きに合わせ、木刀を振り切るだけだった動きが一変する。
シグマの木刀がまるで生きているかのように、滑らかな動きで角度を変更。
微々なるズレ。
それでいて直感的にこいつはヤバイと確信させる何かの変化。
出来る限り早く、地面を蹴って後ろに身を引く。
だが。
「遅せぇなぁー!!」
「くあッ……!」
俺が引くよりも早く、猛々しい一撃が下から俺の顎をかち割ろうと殺到する。
反射的に木刀で防ぎたが、その衝撃を完全に押さえる事は出来ず、体が後ろに弾き飛ばされ、手から木刀も離れてしまう。
結局、そのまま地面に頭から真っ逆様に落ちて転ぶと、全身から更なる激痛が走り出した。
「よっしゃあ!!9回目で終りだ!ここで倒れたから賭けはオレの勝ちだな!」
「っざけんな!まだわかんねえだろうが!おい、カイル!立て!!倒れるのなら、もう一回立った後でくたばれ!!今立たないと後でぶっ殺してやるからな!」
……ああ、本当に言っていることが滅茶苦茶だな。
さすがは原作で悪役として登場する集団。
救いようがないという言葉が、これほど似合う人たちがいるだろうか。
……それにしてもこれは本当にマズイ。
受け身を取ることも出来ず地面にぶつかったせいか、右の足首が酷く痛む。
もしや足を捻ったのだろうか。
倒れたまま目だけを少し開くと、遠く離れた所で俺の木刀が転がっていろのが見える。
この状態で早く起きて走り出すにしても、木刀を拾う前にシグマに阻止され殴られるだけだろう。
……一体これのどこが稽古だというのか全くわからない。
アイツが好き放題に殴っているだけではないか。
「……周りの連中はああ言ってるが。どうだ、カイル。もう降りるか?」
「…………………………。」
「おい~。もしもし~?どうした、気絶でもしたかぁ~?いや、それは勘弁してくれよう。ガキの世話なんか、こいつらのような、無知文盲な奴らが出来るはずねぇだろうが。」
「おい!シグマよ!それはどう意味だ?!馬鹿にしてんのか!?」
「ああ?いや、違うぜ。誤解すんな。これは誉め言葉だぞ。おめえらが本物の戦士だと言っているんだよ。まさか、どっかに定着して女に振り回されながら、ガキの世話を見るのが好きとか、そう言うつもりかぁ?」
「おおっ、そりゃ、そうだな~!!確にそんな腰抜けにはなりたくねえわー!!」
「おう、そういうこった。さあて、本物の戦士共!今日はがんがん飲みやがれ!宴は騒がしくやらないと損だろうが!!」
俺が目を閉じている間、シグマが部下共に景気付けする声が聞こえてくる。
あいつが肩に木刀を寄らせながら、余裕溢れる笑顔で見物人達と喋る盤面が頭に浮かぶ。
どう見ても疲れている気味など見えない堂々な姿。
それはそうだろう。
シグマがどれ程強く、強力なのかはこのゲームをプレイした俺はよく知っている。
ゲームの戦闘システムはお気に入りだったが、その難易度は鬼畜だったのだ。
イージーとか、ノーマルとか難易度を分けておく事もせず、常時ナイトメアモードなゲームで、アイツは中間ボスをやっていた。
そんな奴がこんな子供を相手に本気など出す筈がない。
断言できる。
こいつはこの稽古で10%はおろか、3%の力も出していない。
……でもそれがどうした?
「……それにしても、カイルの奴。本当に気絶したようだな。はあ……、もう少しは見所が出来たかと期待したんだが。」
大きなため息と共に、地面を通じて微々な揺れが伝わってくる。
シグマがこっちにゆっくり近づいているのがわかる。
目を閉じたまま、その揺れに全ての精神を集中する。
チャンスは一度だけ、正面で戦っても勝てないのなら奇襲を仕掛ける。
これは最早、只の意地だ。
たった一度だけでもいい。
こいつにひと泡吹かせて見せる。
一秒が一分のように感じる中。
足音と揺れだけが全身を揺るがす。
……まだ遠い。
子供である今の俺のリーチを考慮すると、出来るかぎり近く来ないと仕掛けることは出来ない。
「さてと、さっさと運び出して終わらせるかねぇー。」
足音が止まる。
気配がすぐそこ、俺の頭、その真っ上から感じられる瞬間。
「フッ!」
素早く、前もって握っていた砂をシグマの目がいる方向に撒き散らしながら起床。
そのままシグマの懐に突っ込み、拳で奴の股間を狙う。
卑怯とかそういうことを言っている場合ではない。
そもそも相手は成人で、こっちは子供。
真面な戦いが成立するはずないのだ。
故に迷いなく、頭の中からシミュレートしたように体を動かす。
自分で考えでも速やかで、咎む事のない動き。
けれど。
「……なんてな。俺がそんな子供騙しに引っ掛かる訳ねえだろうが、間抜け。」
「なっ!?」
奴の股間を殴る前に、俺に手首が捕まえてしまった。
俺の動きなど既に読んでいたと言うかのように、シグマの顔に投げた砂すら、奴が普段から肩に巻いていたマントで防がれていた。
くっ、これすら駄目とは。
俺が歯を食い縛ると、そんな俺を見下ろしながらシグマは小さく笑みを浮かべた。
「まあ、発想は悪くなかったぜ。奇襲を仕掛けるにしても俺の股間を狙うとは。ちっちゃいくせに怖え事を考えるじゃねえか。だがよ、詰めが甘いな。」
「!!」
すでに何回も殴られたお腹が再び激しい苦痛に襲われる。
悲鳴すらならない小さな音を口から吐き、そのまま体が後ろに吹っ飛ぼうとするが。
片手がシグマに捕まっているせいで、体が空中に浮いたまま揺れてしまう。
「おおおお!」と、傭兵達の歓声が遠くのように聞こえる。
今度こそ気絶するのではないかと思う時。
俺にしか聞こえない、小さな声が聞こえた。
「いいか、カイル。自分の状態を把握して戦うのは結構だが、もう少し非情さも学んでおけ。」
「……うあ?」
一瞬、何を言っているのか理解出来ず、何とか顔を上げると、シグマが静かに俺を睨んでいた。
嘲笑う事でもなく、勝ち誇るのでもなく、考えを読む事が出来ない完全なる無表情。
「今の奇襲。俺がお前だったら情け容赦などしねぇ。俺の顔に砂など投げる時点で奇襲は失敗したんだよ。俺なら真っ直ぐ股間か、足首。背が低いのを利用し、素早く相手を地に倒した後、躊躇なく奴の目を指で突っ込んで潰していた。……何故、砂などを投げた?相手の視野を一時的に奪ってそのまま逃げる魂胆だったか?相手を傷付けるのが怖いと?」
「…………」
「甘ったれるなよ、小僧。以前より賢くなったのなら、自分がどう振る舞うかを見誤るんじゃねえ。お前はガキだ。戦場では相手より力は弱く、図体も小さい。そんな奴が相手に情けなど与える余裕があると思うか?……冗談じゃねえ。テメエがガキでも相手が怯える程、非情になれ。そうしないと生き残れないし、俺と共に行く資格もない。これが今日の稽古で俺が教える教訓だ。」
反論のしようがない。
悔しいし、今まで思うまま殴っておいて何を偉そうに言うのかと反抗心が沸き上がるが、確にそのとおりだった。
'生き残れない'。
その言葉が何よりも俺の心に刺さる。
今の俺にそのまま当てはまる言葉ではないか。
俺にはチートもなく、特別な能力もない。
この世界には魔法があるが、それは貴族や、王族じゃないとほぼ使えない。
全ての人間は魔力を持ってはいるが、これを運用して精霊と関係を結べるのは極僅かなのだ。
才能あるものだけが魔法使いになれる。
そしてこの才能とは、主に血統によって伝わる。
だから自然に魔法使い達は権力を握り、その才能と権力を自分の子孫に世襲している。
そんな魔法使い達によって成り立ったのがハルパス王国。
すなわち、この乙女ゲームの舞台である。
「……ありがとうございます、お頭。」
確にその通りだ。
俺は何を遠慮しているのだろう。
何としてもこの死亡フラグから逃げ出すと決めた以上、些細な事など気にする余裕などないのに。
俺は悪役雑魚キャラに転生した。
貴族ではなく、王族でもない。
当然ながらあいつらのように才能がないので魔法も使えない。
それなのにこれから起きる未来の出来事は、どのルートも生半可ではないのだ。
……たった一人。
平民でも魔法を使える、すごい才能の持ち主がゲームで登場するが、それはあいつが他でもない女主人公だったからだ。
実際、その才能を見込んで主人公は王宮に姫として迎えられるのだ。
……まあ、表では姫で、真実は生け贄としてだけど。
とにかく、そんな才能も能力もない俺が、この世界から無事に生き残る為には形振り構う余裕はないのだ。
シグマはそこまで考えて言ったんじゃないだろうけど。
「……お頭、本当にこれ、稽古だったんですね。」
シグマ。
俺は少し、アンタを誤解したのかもしれない。
どうしようもない悪役でも、自分の部下はちゃんと考えるんだね。
傷は痛むが、それでも得るものはあったと実感する時だった。
シグマが目を細くして、邪悪な笑みを見せる。
「ったりめだろうが、間抜け。ま、それもこれで終りだ。とっとと倒れろ。」
「くえッ!!」
小さな感動を蹴り飛ばすように、もう一度、俺のお腹が悲鳴を上げる。
あまりの苦痛で声もまともに出ない。
くそ、こいつ……!
わざと殴った場所をまた殴りやがった……!
「ようし!これで見せ物も終りだ!ほら!酒持ってこい!もういい加減、喉が乾いてしょうがねえ。」
息がちゃんと出来ない。
首を絞められるような感覚。
蹴られたところが悪かったかのか。
口の中から生臭い血の味がして、思わず喉から溢れ出るものを吐くと、吐いた俺自身がビックリする程、大量の血で赤き水溜りが出来てしまった。
……いや、これ、本当にやばくないか。
「よっしゃ!!10回目で終り~!賭けはオラの勝ちだぜ!」
「なっ!?おい、ふざけるな!最後のあれは立ち上がったか、どうか、曖昧だろうが!10回じゃなくて、9回だ、9回!」
「うるせえぞ、お前ら!くだらねぇ事を抜かす暇があったら、早く俺の酒でも持って来い!そして、カイル!」
傷の痛みで苦しんでいると、そんな怒鳴りが聞こえた。
普段なら「はいっ!何でしょうか、お頭!」と、明るくも何も知らない少年を演じるが、今は声すら出せない。
何かを話すどころか、息をするだけで吐気がするし、口から血が出るのが止まらない。
骨でも折れてないか心配になるくらいだが、俺を見て話すシグマは、何事も無いように俺の状態を軽くスルーした。
「戦いでの着眼やセンスはいいが、力が余りにも足りない。早く魔力で体を強化出来るようになれ。そんなんじゃ、傭兵なんか出来ねえぞ。いいな?」
それで終り。
シグマは宴会が広げられている所へ行き、既に飲んでいた部下達と無駄話をし始めた。
空は赤く染まり、段々黒く変わって行く中。
俺だけが一人で宴会と遠く離れ、吐き出す血を何とか止めようと苦労している。
誰か走ってきて、起きる事を手伝ったり、手当てしてくれる人はいない。
賭けの配当金を配り、酒や肉を貪って、歌い踊る連中だけだ。
「クソ……。」
俺だけが聞く小さな呟きが、騒がしい宴会の騒音と風に混ざり空中へ散っていく。
……あまりにも惨めすぎる。
一人で苦しんでいるこの状況を言っているんじゃない。
あのシグマに一撃すら与える事が出来なかったのが、凄く悔しい。
確に今の俺は子供だ。
それにアイツは原作では中間ボスだった。
あの鬼畜難易度の中間ボスなのだ。
その強さはプレイヤーだった俺自信が嫌になるほど知っている。
だが。
だがしかしだ。
アイツは全く本気ではなかったのだ。
先も言ったようにこの世界での魔法は、主人公のように余っ程の例外か、この王国の貴族や王族じゃないと全然使えない。
だが、魔力自体は誰もが持っている。
魔力を精霊と接続して運用する魔法は出来なくても、魔力を純粋なエネルギーとして使うことは普通な平民でも出来るのだ。
身体強化。
それが平民に許された、魔力を消費する唯一の方法であり、シグマはその中でも頂点に達している。
俺と同じく魔法を使えないシグマが原作で中間ボスとして活躍出来たのは、身体強化が普通の人とは桁外れに強く、上手かったからだ。
……それをアイツは今回、全く使っていなかった。
自分が言ったように稽古だからか。
それとも使う必要が全くなかったからか。
どっちにしろ、これから生き残るためにも、今の自分がどこまで通用するかを試そうとしていた俺としては。
この結末はあまりにも悔しく、そしてこれからが前途多難だと改めて実感させてしまう。
「身体強化か……。」
……でも、うん、シグマにセンスは悪くないと言われたし。
俺もシグマ並に体を強化出来れば主人公の姫さんや、王子達のように戦えるだろうか。
まあ、そこまで戦うようになっても主人公達と接触したり、出会う気は微塵もないけどね。
俺は生き延びる為だけに力を使うのだ。
放っておいても主人公達が勝手にイチャイチャして王国と世界を救うだろうからな。
藪をつついて蛇を出すということわざもある。
俺が余計な事をしてストーリーが変わると、予測出来ない状況に陥る可能性も無視出来ない。
どのルートに入るかを見極めつつ、絶対に安全な場所へ向かわないと。
だって、この乙女ゲーム、どのルートでも王国が滅ふ直前まで行くのが基本で、一歩間違えると、この大陸自体が破壊されるからね。
いや、ホントにさ。
世界滅亡がこうあっさり起きるとか、このゲームを作った人は何を考えているのだろうか。
それにその危機は全部、主人公がイチャイチャすると大体解決するし。
すげえな、愛。
……とにかく俺にとって大切なのは我が身だけだ。
'カイル'はどうやら赤ん坊の時から家族を失ったようだからな。
他に救う必要がある人は特にないということだ。
今では俺自身がカイルだから恥ずかしいが、それでもちょっとこの子には同情してしまう。
「……それにしても、ホント誰も助けてくれないんだな。」
いやあ、さすがは悪役組織。
余計に情が移ると逃げ出す時に辛くなるから、これでいいのかも知れないけど。
ちょっとは悲しくなるのも仕方なくない?
こいつら、人の心とかないの?
10分程度過ぎて、空も完全に黒くなる頃には、血も止まり何とか体を動かせるようには回復した。
が、そんな俺に傭兵達は全く興味を持たない。
先まで賭けに負けると覚悟しろと言っていたのはいったいどこの誰だったのか。
酒を飲み、踊り、余計な喧嘩をやるなど、自分達だけ楽しむのに夢中になっている。
……うん、まあ、こうなると俺が動きやすくなるからいいけどね。
本当にこれでいいのかな、こいつら。
内心引いている時だった。
どこからか視線を感じ、自然にその方向へ顔を向けてしまう。
「うん?」
宴会場で酒を運び、給仕をしている子供が一人、遠くから俺を見ていた。
この'カイル'の体と近い歳に見える少年は灰色の髪をしている、少し暗い感じの美少年だった。
ほら、たまに見た事はないだろうか。
幼い時から、「あっ、こいつ後で絶対イケ面になるな」と、そういう印象がパッと伝わる子供が。
まさしくあの灰色の子がそういう感じだ。
大きくなったら一匹の狼のようなイケ面になる感じ。
すなわち、俺とは全く違う世界の住民である。
「…………うむ。」
名前は……、えっと、ピエルと言ったかな。
この傭兵団で見習いとはいえど、正式に所属している俺とは違って、あの子はこの島で滞在しながら捕まった捕虜だったはずだ。
ここ、バルティア要塞は遠い昔から放置されていて、拠点にするには色々と手を加える必要があった。
大体の補修は近くの村人を強制的に働かせたが、常時にここへ留まり些細なお使いや、扱き使う奴が必要だと、シグマが直接捕まって来た子の筈だ。
立場的には今の俺とかなり似ているが、あんまり話した事はない。
ピエルは口数が少ないタイプで、どこか冷たい壁を感じさせる子だった。
それに俺もこの一ヶ月の間、ここから逃げ出すために計画を練り、その準備をするだけでも忙しくて、ちゃんと交流したことがない。
……でも、時々俺を見る視線から軽蔑が宿っている事はわかる。
ああ、あの子はきっと傭兵達を憎んでいるんだなと、そう実感させる視線。
反抗心や侮蔑を隠そうともしない視線と挑発的な目付きが合わせ、それを見た【黒きサソリ】の奴らが夜に酷い虐待をするが、それでもあのピエルという子はその目を抑えたりはしなかった。
……子供で在りながら精神力が凄い奴だとは思うけど、それでも少しは現実と折り合いを付けて生きるべきではないだろうか。
人生を全部、自分が望むままに生きていくのは無理だからな。
引くときは引き、堪える時には堪える。
そのやり方も学んだ方がいいと俺はそう思う。
最後に自分が叶うべき目標さえ見失わなければ、道を間違う事もないのだから。
「……ふん。」
案の定、ちょっと目が合っただけで、ピエルは軽蔑が込められた目で俺を見ては顔をそむけてしまった。
そして、周りの傭兵が酒を持ってこいと怒鳴り、渋々とそっちへ向かうのが見える。
……うん、心が痛むが仕方かない。
あの子とは仲よく過ごす理由もないし、正直そんな余裕すら今の俺にはないのだ。
彼はこの理不尽な連中に目をそむけず、真っ直ぐ顔を上げて走り出す。
俺は時を待ちながら雌伏し、その時が来た瞬間に戸惑いなく走り出す。
残念ながら目に見える事を全部拾い上げる事は出来ない。
無理をすると必ず、本来なら出来たはずの事さえ失敗し、持っていたものも失う。
あの子の事はちょっと引っ掛かるが、今の俺がどうすることは出来ないのだ。
今はこの死亡フラグ連中から逃げ出すのを優先しないと。
「……よし。」
空は夕焼けが去って、代わりに星々が浮かぶ夜空。
周りには殆んどの傭兵が集まり、酒に酔っ払っている。
今日の歩哨、不寝番はこういう時に必ずこっそりと酒を持ち込んでサボるマックスとマレスのコンビ。
……時はきた。
ついにずっと待ち続けたチャンスが来たのだ。
今まで率先してモンスターの解体作業をしたのはこのためだった。
こっそり素材の一部を隠して売りながら路線を用意したのだ。
この辺りの山脈を踏破するための装備も用意してある。
本来、戦争に参加したり、近くの村を略奪するのがメインであるため、こいつらはモンスターを狩っても素材や肉をおろそかにする場合が多い。
俺はその作業を全部引き受け、素材を少しずつ集め、近くの村で売りながら金を集めたのである。
シグマにボッコボッコにされたが、これもよく考えると好都合だ。
公然の前であれ程やられたのだ。
さすがに今日は酒を持ってこいとか、食事を運べとかそんな指示をする人はいないはず。
だからといって、自分の部屋で眠りに就こうとする傷付いた子供に一々気を配ってくれるほど、心優しい奴もいない。
シグマも、ジャンも、他の人達は全部、夜遅くまで宴会に夢中のはず。
唯一、部外者である捕虜、ピエルもまた、親切にしてくれるほど俺を気にしていない。
つまり、今日こそが何の邪魔も入らない日。
この死亡フラグ集団から逃げる日なのだ。
「……じゃ、そういうことで。今まで世話になったぞ、シグマ。」
主に俺が苦しむ記憶しかないけどね。
まあ、でも、ゲームでずっと見てきた人と出会い、実際に生きているのを見るのはゲーマーとしては感慨深い経験だった。
じゃあ、シグマ。
さよならだ、もう二度と会わないようにしよう。
後さ、もし俺が逃げた事に気付いても、追って来ないでね。
こんな子供一人、わざわざ追う必要はないだろし、うん。
学校を卒業する時と同じ妙な解放感を感じつつ俺は素早く、それでいて迅速に動く。
感想に浸るのはまだ早い。
そう自分に言いつけながら俺は音を出せず、静かにグラウンドから離れていった。
◇◇
「カイルは行ったか?」
騒がしく続く宴会の中、一発芸を見せる部下共を見ながらシグマは静かに呟く。
既に時間は夜になっていて、自然に宴会の雰囲気も盛り上がっている。
爆発するような笑い声や、怒鳴り声、歌いながら踊る騒がしさに比べるとシグマの呟きはあまりにも小さい。
それを聞く人はないと思うのが普通の見解だろう。
だが、シグマは全く構わない。
余計に聞かせる気など元から無かったのだ。
そんな彼の心中を理解しているのか。
すぐ隣で答える声もまた静かなものであった。
「ああ、つい先にな。いいのか、放っておいても。あのままでは痣が残る筈だが。」
「いいんだよ。痣がどうしたってんだ。そんなの、時間が過ぎればすぐ無くなるだろ?気にする必要はねえよ。ちゃんと手加減してやったしな。」
「……確に。」
ケラケラ笑いながら語るシグマをじっと見ながら革鎧を纏った巨漢、ジャンは静かに頷く。
先ほどの稽古とやらをずっと見ていたが、確にシグマは手加減していた。
得意の身体強化はおろか、技一つすら使っていない。
あくまでこれは稽古であると言っているかのように、彼は真面目にカイルと向き合っていた。
「何故だ。」
「うん?」
周りの連中はお頭であるシグマが、宴会の為に面白い見せ物を用意したとしか考えていないだろう。
カイルを公然の前でいたぶり、苦しませ、雰囲気を盛り上げて自分達を楽しませる為だと。
だが、それは違う。
自分は知っている。
見分ける事が出来る。
シグマのヘラヘラする顔、その中のどれが本音で、どれが演技なのかを見極める事が出来ると、長きにわたり共に行動しているジャンはそう確信している。
「何故、本気で稽古などした。お前らしくもない。部下共が何処で何をしようと興味を持たなかったはずだが。」
「おいおい、何だそりゃ?面白くもねえ冗談だな。俺が本気であのガキと手合わせをしてやったってのか?」
「ああ。」
先ほどのシグマは真剣だった。
揶揄うのではなく、子供を辱めるのではなく、只の暇潰しでもない。
真剣に、まるで試すかのように何度も倒し、その反応と対策を観察していた。
しつこく急所ばっかり狙って殴ったり、蹴ったりしたのは身を持ってその場所をわからせる為。
挑発して馬鹿にしながらも圧倒的に叩き潰さなかったのは、カイルの出方が変わるかどうかを確認し奴の真価を見極める為。
どれも相手を侮辱し弄ぶのとは距離がある。
カイル本人はどう感じたかは知らないが、ジャンの視線でそれらの戦いは間違いなくシグマによる真面目な稽古だった。
いや、'試し'と言うのが正しいのか。
「そんなにカイルに興味を持っていたのか?始めて拾った時には使い捨てすらならないと、名前も覚えてなかった筈だが。」
「……まあ、そうだな。」
否定する気が消えたのか、シグマは椅子の背に体を傾けながら肯定する。
それを聴いたジャンの眉が微妙に動き、驚きを見せた。
「珍しいな。そんなに気に入っていたのか、アイツ。」
「勘違いするなよ、ジャン。今でも俺のやり方、判断の基準は変わらねえ。俺が気に入っているのは'今のカイル'だ。'以前のカイル'ではない。」
「…………? 同じことだろ。」
シグマは答えない。
笑みも浮かべず、顔を顰める事もなく、ただ無心に部下達の馬鹿騒ぎを見ている。
それを黙って見ながら、一人で考えを纏めたジャンは自ずと頷いた。
「なるほど。カイルが成長して興味を持ったと。確に、最近の奴は以前より賢くなったからな。だからか。」
シグマの代わりに部下共の関係を管理するジャンが見ても、最近のカイルは以前とははっきり違うと言える。
魔力の使い方は何故か以前より下手になったが、それ以外、生活面や他のメンバーとの関係などでは目を疑う程、良好になっている。
それにこっちから一々指示をしなくても自分で大体の雑用を全部片付けたりするのだ。
毎日のようにあの荒々しい部下達に殴られていたが、この一ヶ月はアイツに暴力が振る舞われた気配すらない。
周りの評判も随分と上がり、話が通じる奴になったと喜ぶ連中が殆んどだ。
もっとも、使い勝手のいい子分が出来たという意味だが。
「……むしろ、カイルが成長したせいで、最近の奴らは見るに堪えないようになってしまったか。」
「それは俺も同感だな。クソ共が。怠けるだけならともかく、余裕が出来たせいか、最近は露骨に付け上がってきやがる。組織の規律が何故必要なのか、近い内に改めてしっかり認識させないとな。…………だが、それも後の話だ。まだ'奴ら'の本拠地を見つかっていねえ。それまではお預けさ。こうしてガス抜きもしてやらねえと、堪ったもんじゃねぇだろうよ。」
「うむ。」
「それよりもよ、ジャン。先の稽古でカイルの奴を見た感想はあるか?」
踊りの真っ最中、手を振るう部下達に適当に反応してやりながら、シグマは大きな肉を口に入れグチャグチャと食べ始める。
そんなシグマに酒を渡しながらジャんは首を傾げた。
「感想と言っても特にはないが。一方的にやられただけだろ。」
「コクコクコク……!……ぷは!!ふう……、まあよ。結果だけ見るとそうだが、重要なのはその過程だろうが。それを見て言いたいことや、感じたことはねえのか?」
酒を飲み、唇をなめ回しながらシグマは興味深いようにジャンを見つめる。
どうやら聞き出すまで引かないつもりらしい。
そう直感したジャンはため息を吐きながらも渋々と答える。
「話にならん。確に戦う感覚や、戦略眼は持っているようだが、魔力で体を強化出来ないと傭兵など到底出来るわけがない。」
「それはそうだな。貴族様や王族なら魔法だの精霊だの出来るが、俺らは違うからな。不憫で哀れな下っ端共は精々が体をちょっと強くさせるだけってこった。」
「ああ。そしてカイルはまだそれすら出来ていない。論する必要があるか?」
'ないな'、そのような断言が返ってくると考えた時だった。
意外な返事が聞こえ、ジャンは内心驚く。
「無論、有るとも。」
シグマは不敵に笑う。
一切の懸念も、疑いもなくそう断言して見せる。
こうなると戸惑うのはジャンの方だ。
シグマが他の人よりもずば抜けているのは、以前からずっと感じていた。
この男は自分達とは違う。
そう感じさせる何かを彼は持っている。
いつも遠くをみて、ジャンは見ることも出来ない深いどころ、それでいて高い場所を睨んでいる。
そんな印象をずっと感じさせる男だった。
故にこの男より劣るという劣等感、だからこそ共に歩みたいという羨望、その行き先を見たいという希望を抱いてしまう。
それを決してシグマ本人には言わないが、ジャンという人間は彼を深く信頼し、彼が目指す目標を共に見たいと思っている。
もしも、その行き先がどうしても覆る事が出来ない破滅であったとしても、後悔など決してしないだろう。
ただ、それを叶えなかった事を残念がり、悲しむのみである。
だからこそ、ジャンは驚いた内心を落ち着かせ、静かに頷いた。
変な突っ込みや、言い掛かりなどしない。
そんな物は意味を持たない。
「ならば、カイルの奴を監視しよう。私が直接やってもいいが?」
「いや、その必要はねえ。当分は望むがままにさせてやれ。奴が何をやろうとしているかは、まあ、見当はついているのでね。そういや、今日の歩哨はマックスとマレスだったけか?」
「ああ。また酒でもこっそり持ち込んで、飲んでいる頃だろ。」
「おっ!じゃあ、アイツは今日辺りにやらかすかねぇ。妥当だな。むしろ今日やらないとガッカリしてしまうぞ。機会が来てもそれを掴む度胸がねぇって事になっちまう。」
「何が…………いや、聞くまい。お前のことだ、何かあるのだろう。それよりも、まさかお前にそこまで興味を持たせるとは。……あいつも随分化けた物だな。子供の成長はこれだから怖いと言うのか。」
「おい!!ジャンの旦那!こっちに来てくださいよ!こいつ、先から敗けを認めず、言い掛かりを言って困りますぜ!」
突然の大声にシグマとジャンの会話が途切れる。
二人の視線が自然に向かった先は、火の辺りから揉めている5人の部下達だった。
全員片手には酒の瓶を持ち、お互いに一歩も引かず怒鳴っている。
また、揉め事か。
頭にすぐ血が上る奴が多い以上、仕方ないとはいえど、一度も静かに過ごした事がない連中を見るといい加減呆れてしまう。
しかも、今は重要な話の最中だったではないか。
「悪いが少し待っていろ。すぐ話を終えて……。」
「いや、俺はいい。行って来いよ。元々こういう争いを纏めるのはお前の役割だろ、ジャン。」
「……いいのか?」
「ああ、話したいのは大体したしな。それよりも早く行って止めろ。あいつらはまた明日から捜索をしないといけないんだぜ?ここで余計な傷を負えて働けなくなったらどうする?」
「わかった。行って来る。」
「へいへい、気張れよ~。」
余りにも適当な応援に苦笑いをしつつ、ジャンは迅速に揉めている現場へ向かう。
この【黒きサソリ】の副団長で、あれ程の図体と力だ。
ジャンが割り込むだけで、場が静かになるのを現物しながらシグマは一人で杯を傾ける。
今日の夜は月の光が強く、夏にしてはやや涼しい。
まさしく、夜に出かけるのなら絶好の環境と言えるだろう。
まあ、夜遅くわざわざモンスターが彷徨く外へ出かける奴など、ここでは限られているが。
「……ガキは成長が早い、ねぇ。」
確に納得がいく言葉ではある。
ガキはあっという間に変わる。
いきなり化ける奴がいれば、見違える程ひねくれる奴もいる。
成長と言うより、劣化したと言うべき情けない奴もいた。
子供の頃、自分の周りにいた奴らを思い出すと、なるほど。
確に頷けない話でもない。
だが。
果たしてあれをそんな物と一緒に扱っていいのだろうか?
「ふむ……。」
シグマが覚えている'カイル'という少年はどこにでもいる、気弱で力ある物に取り入ろうとし、無条件に追従する頭が空っぽな弱者だった。
卑屈にヘラヘラ笑いながら、他の間抜け共を真似して強盗や、盗み、脅迫も戸惑い無くやる三流の子悪党。
このまま大きくなったら、今、周りで馬鹿みたいに騒いでいるあの連中と何ら変わりがないだろうと、そう確信させる人間性。
だからこそ興味を持っていなかった。
とこから来たのかも忘れたガキはこの仕事をしていると、道で蹴られる石ころのようにどこでも転がっている。
生きる術がないからこそ、戦場からついてくるガキ共はそう珍しい話でもないのだ。
殆んどが戦いに巻き込まれて死ぬか、嫌気が差っして逃げ出すか。
この二つの内、とっちかの結末になるだけだが。
稀に最後まで生き残り自分達のやり方を学んで、そのままならず者の傭兵になる奴もいるにはいる。
だからカイルもそのうち、何らかの結末になるかと思い、気にも留めなかった。
名前すら覚えなかったのだ。
そうだろう?
どうせ、もうじき死ぬか、いなくなるガキだ。
そんな奴を一々覚える程、自分は暇ではない。
……その考えが変わるようになったのが、丁度、一ヶ月前だったか。
目付きが変わった。
顔付きが変わった。
そして何より一番変わったのは、奴の目から確固たる意思が見える事だった。
以前のように奴はこっちに媚びて来るし、馬鹿げた言動を見せている。
だが、違う。
明らかに違う。
以前が心からの追従なら、今は雌伏しながら何かを隠す為の演技だ。
そう感じさせる程の何かがあいつの目から見える。
だからこそやったのが、先ほどの稽古だった。
もちろん、今のカイルが気に入ったから本気で鍛えてやるつもりもあるにはあった。
しかし、それだけではない。
これを機会にこいつを試し、その根本を判断するためのテストでもある。
人間は窮地に追い込まれると必ずその本性をさらけ出す。
本性と呼ぶべき物がないとしても、その対応と態度を見ると、その人間が持つ気質を見抜く事も出来る。
それをシグマはこの業界で生きながら嫌になるほど実感し、経験していた。
つい先ほどは愛していると宣う馬鹿な恋人達が、死際に落ちると自分は助けてくれと嘆願する。
自身には譲れない信念と仲間がいると言い張る奴が、指を一本ずつ切り落とすと我が身可愛さに仲間とやらを密告し裏切る。
偽善、欺瞞、見掛け倒しは飽きるほど見てきた。
だから、完膚無きまで叩き込んでやった。
的確に急所だけ狙い、子供であるカイルがもう本当に殺されると思わせる程に。
「…………。」
アイツは戦った。
一歩も引かず、何とか自分を倒そうと必死に足掻いていた。
その過程で見せる動きは中々悪くなかった。
いや、むしろ驚く程と言っていい。
奴は理解していた。
自分自身がシグマという相手よりどれほど小さく、力がないかを。
故にその小さい背を利用し、なんとか隙を突こうとする動きを見せていた。
最初からずっと。
……人とは学習する生き物である。
必ず成功だけしながら生きていく事は出来ない。
挫折を経験し、失敗を通過し、それによってより良い方法を学ぶのが人間だ。
まだ10才でしかない、カイルがシグマとの体格の差を克服するため、そのように戦ったのは自然だ。
妥当だと頷ける。
だが、問題があるのだ。
アイツは一体'いつから'それを考え、認識していたのか。
その戦い方を、自分と大人の正確な差を、いつから正しく把握しそれを覆そうと戦略を練っていたのか。
普通に何回打ちのめされた後、ようやく戦法を変えたのではない。
そんな中途半端なものではなかった。
奴は最初からその動きだったし、そもそもそれならば動きにどうしても鈍さが、ぎごちなさが見えたはずだ。
只の子供が大人に普段から虐待を受けて、その差を理解したのならばわかる。
だが、それもない。
それならばカイルの動きには染み付いた虐待の恐怖が感じられたはずだ。
奴はそのどっちでもなかった。
殴られて途中から戦い方を変えたのではなく。
恐怖により大人との差を理解し、それでそんな戦いをしたのもない。
アイツは完全に理解していた。
自分が置かれている現状、身体、能力を。
その全てを理解し、把握して、その上で'相手を打ち勝つ'為の行動と策を出し、最後までしつこく粘り、噛み付いてきた。
特に最後の奇襲はあまりにも不思議だった。
もし、自分が'今のカイル'を意味深に思ってなかったら、あの攻撃をあっさり許したかもしれない。
それ程の執念と意表だった。
故に理解出来ない。
その奇襲は完全に自分が弱者であることを理解し、相手が油断するはずだと思わないと仕掛ける事は出来ない。
そこまで用意周到でありながら、何故、無駄に砂を投げるなど無意味な事をしたのか。
それが奇襲の過程であんまり効果がないのくらい、今のアイツならわかる筈なのに。
以前のカイル。
馬鹿みたいに大人の傭兵達を真似して、あらゆる悪事を躊躇い無くやったあいつなら、そんなへまはしないはずだった。
そもそもその頃のカイルなら、そこまで立ち上がって戦ったりもせず泣いただろうし、そんな奇襲など考え出す事も出来ないだろ。
……そう、あまりにも違う。
その気概、反抗心、熱意は以前のカイルからは全く感じられなかった。
故に'いつから'という疑問が浮かんでしまう。
その短い稽古の間、ずっと感じていた印象。
緊張しながら明らかな敵意を宿った目。
それはまるで'最初から'シグマとぶつかる事も覚悟していたとように見えた。
戦いたくはないが、もしもそういう時が来たら必ず打ち破ると言うような目付き。
最初に出会った時のカイルとは余りにも矛盾している。
……ジャンはこれを見て子供の成長と言った。
まだ未熟だが、それでも確に見間違える程、奴は成長したと。
最近の部下共もカイルが賢くなったと嬉しがっている。
面倒事は全部アイツが預かるのだ。
だからか、以前からあったカイルへの暴力と虐待は捕虜の灰色のガキに集中している。
確にアイツは変わった。
以前よりもすばしこくなったし、視野が広くなり、見所も出来た。
それを見て他の奴らは、やっと使えるようになったと、子供の成長は早いと感嘆するが。
「……だがね、人が完全に変わってしまった事を、果たして成長と呼んでいいのかねえぇ?」
稽古の最後の瞬間、自分を本気で倒すつもりで睨んでいたカイルの目を思い出しながら。
シグマは静かに呟く。
その答えを持つ子供が今頃、どこまで行ったかを考えながら。