17. 夢はいつも咄嗟に覚めて
「よし、じゃあ。シルフィ、俺は最後にちょっとだけ様子を見てくるからな。ちゃんと隠れていろよ?」
夕方。
昼にロネスにアリシアとその家族を任せ避難させた後、かなりの時間が経っている。
食糧と水、金や地図、そして後でセリック君に渡す双銃など、必要な物品を用意し。
洞穴にいるシルフィに連れてくるのに結構時間がかかったものだ。
小屋に戻ってみると、ロネス達は既に旅立っており、誰もいなかった。
あの老婆もアイリという妹さんも待機させた場所にない。
ロネスと一緒にちゃんと逃げたのだろう。
「はやくくる?」
小屋にある奥の部屋、隠し通路と繋ぐ部屋でシルフィが俺を見上げながらそう聞いてくる。
元の予定より早まったからか、少し不安なようで、その青き瞳が微かに震えてるように見えた。
「ああ、すぐ帰ってくるよ。傭兵団の様子をちょっと盗み見てくるだけだし。」
朝に港から帰ってきてからはまだ俺は一度も要塞に行っていない。
ロネスとアリシアを脱出させる必要があったし、逃走の準備で忙しかったのだ。
だからこそ、もう一度あそこに行ってみる必要がある。
本来なら、岬に隠した船があるから気にせず逃げればいいのだが。
その逃走方法をロネス達に譲った以上、どうしてもシグマの様子を確かめなければならない。
(アイツらがどの港に行くかをわかればベストなんだが……)
シグマが事前に用意したであろう逃走経路。
それを確認するために、要塞へこっそり行ってみるのだ。
奴等の行き先を知らないと、対策の仕様もない。
可能ならば、俺とシルフィがこれから向かうサンゴロ港と被らないといいんだが。
「カイル、キをつけてね。」
「ああ、心配するな。流石に深入りするつもりもないからな。それより、いいか?一応、すぐ帰ってくるけど、もし俺以外の誰かがここに入ってくるように感じると、地下の空間に隠れるんだぞ?」
「うん。わかった。」
「よしよし、偉い偉い。」
軽く、シルフィの流れるような白髪を撫でる。
相変わらず、綺麗で良い感触だと思うのも少しだけで、俺は速やかに部屋を出て行く。
俺を見送りたいのかシルフィが小屋の外まで付いてきたい感じだが、流石にそんな危ない真似は許せないので、手を振るうだけで我慢させた。
バックの重みを少し感じながら、迅速に要塞の方へと足を運ぶ。
傭兵団の様子を探り、可能なら行き先を特定する。
だが、あくまで身を隠すのが大前提だ。
深く関わって見つかったりすると面倒くなるので、もしばれる心配があったら即、撤退する。
(運良く行き先が被らないにしても、結構大変だなー)
全ての港が掌握されている以上、この島から逃げ出すには王国から来ているという船に隠れて密航するしかない。
危険な方法だが、アリシア達をこの島から避難させる為には俺の脱出方法を譲るしかなかったし。
本当、どうしてこう頭が痛くなる案件が次から次へと出てくるのやら。
(……まあ、主人公とは関係を深めずに終わったし、もう会わないようにすれば問題ないか。)
昨日、あんな事を言って別れたのだ。
アリシアは俺を幼い頃に出会った感じ悪い子供としか思ってないだろう。
ロネスと一緒に逃げるようにしておいたし、家族も助ける形にしたからアリシアの中でロネスに関する評価もうなぎ登りの筈。
これからあの二人は勝手にイチャイチャして世界を救ってくれる訳だ。
「色々あったけど、深く関わらずに済んで良かったわ。後は俺たちが無事に逃げればベストだが……うん?」
つい、足が止まる。
同時にもう目視できる範囲にある建物を見る。
険しい山の中に立っている古い楕円方の建物。
森に囲まれ、夕焼けの下に立っているそれは間違いなく俺が二が月を過ごした要塞だ。
その姿に変わりなどなく、いつもと変わらない普通の景色に見える。
……しかし、何だろう。
この妙な違和感は。
風景と見た目は変わらないのに何かが違うような……
(……音がない?)
気付く。
その些細なる差を。
いつもならこの距離に入ると要塞から傭兵共の騒ぎ声がうるさく聞こえるのだ。
喧嘩だったり、食事の大騒ぎだったり、訓練だったり、宴会だったり理由は様々だけど。
そんな騒いだ音がない。
何一つの音すらあの要塞から聞こえず、不気味なまでの物静かだけが漂っている。
(……もう逃げたのか?)
あり得なくもない。
どうやら、シグマはとっくの昔に逃走のルートを用意していた感じだったし。
既に兵を引き返し、撤収したのかもしれない。
俺やピエルの姿はみえないとしても、事が早急な案件なのを考えると、子供二人くらいは捨てて逃げてもおかしくはないだろう。
……しかし。
「……。」
つい、周りの森を見渡ってしまう。
ハッキリとして具体的な理由は言えないが、何故か凄く不穏な感じがする。
シグマが逃げたと思えば納得できるのに何かが引っ掛かる。
「……仕方かない。可能なら行き先だけは把握したかったが。帰ろう。」
うん、これは引き返すべきだろう。
要塞がああも静かなら、既に奴等がいない可能性がある。
これ以上ここにいると見つかる恐れもあるし。
もし、行き先が被ったらその時はその時だ。
現場の様子を確かめて計画を練るしか……。
「何だ、もう行く気か?それはねぇな。薄情にも程があるぜ。ここまで来たら顔くらいは出すべきだろうに。俺は心底悲しいぞ、なあ、カイルよう。」
「!?」
左の茂みから聞き慣れた掠れ声が聞こえる。
即時に、俺は来た道へと振り返って走り出す。
いや、走り出そうとした。
俺が走り出そうとした方向、その五歩先にある木にどこからか飛んできた剣が矢のように刺さる。
もし、俺がもっと足が早かったら、今頃あれに当たって血を流しながら倒れていたに違いない的確な投擲。
「そう急ぐな。時間は確かにないが、少し話すくらいは出来るだろう?」
何の音も聞こえず、気配もなかった茂みから一人の男が歩いてくる。
不敵な笑みを浮かべ、どこまでも自信溢れる表情。
ずっと隠れていたのか。
肩に付いた枝や葉を振り落としながら男は俺に向けて口元を歪んでくる。
余りにも見慣れた、見間違う筈もない、だからこそ。
今はどうしても会いたくなかった男。
「……お頭。」
「信じていたぜ。おめえの性格なら絶対にまたここに来るとな。一人でずっと待った甲斐が有ったもんだ。クソでっかいバック背負いやがって。どうだ、カイル。散歩なら俺も一緒に行ってやってもいいが?」
シグマの目が俺を睨んでくる。
自ずと背筋か凍ってしまう、狩人を思わせる視線。
その目がもの語っている。
俺を絶対に見逃さないと。
(……どうやら)
シルフィの元に帰るのは少し、遅くなるかもしれない。
***
(島から出る。)
夕焼けの日が窓を通じて入り、オレンジ色に浸っている小屋の中。
白き少女は考える。
この島から出ると。
以前からずっとカイルはそう言っていたけれど、ついにその時が来たのだと思うと複雑な心境になる。
無論、名残惜しいとか、少し残念とかという未練はない。
この島は少女にとって辛い思いでしかなく、以前からずっと心を閉ざしていたのだ。
だから、そういった感情など微塵も感じるはずないのだけど。
「……寂しいね。」
小さく呟く。
しかし、その音が少女の耳に届く事はない。
自分で声を出しておきながらも、少女は自分が正しく発言しているかどうかすらわからない。
ただ、この一ヶ月の間、ずっと練習していた通りに唇を動き、舌を動いて、何度も練習した通りの強さで喉から息を吐いただけにすぎない。
ここには今、あのお節介な子はなく、怖い顔をする変な子もなく。
そして、何よりも大切な人もいない。
(私、ちゃんと発音してるかな。)
精霊の友達に聞いてみるかと思ったがそれは止めた。
何か、心の中のどこかで穴が開いたように感じるのだ。
夕明けは綺麗で、個人的に気に入っていたけれど。
何故か今日だけはとても寂しくて、見ていると心が切なくなってくる。
……そう。
寂しい。
この島からいざ離れると思うと、心のどこかで自分は寂しいと思っている。
あの一族の中で過ごした覚えのせいではない。
それだけは絶対に違うと断言できる。
あそこで過ごしていた記憶は辛くて、苦痛以外のなにもなく、夜に悪夢として思いだしうなされてしまうのだ。
カイルは自分をとても思ってくれて、優しいから、余計な心配をかけまいと一度もそんなことは話さず、素振りもみせなかったけれど。
カイルと逃げ出した後、夜に眠る時は殆んど毎日、そういった悪夢にうなされたものだ。
今でもあの記憶は自分を縛り、苦しんでいると。
……けれど。
思ってみれば、その夢も最近は見なくなっていたと白き少女は気付く。
カイルか、それともあの灰色の男の子か。
二人の少年が毎日、日替わりとして自分の様子を見てきたし。
あのお節介な女の子まで加わってからは、もう夜にそういった夢は全然見なくなっていた。
男の子が来た時は、自分が眠るまで本の内容を読んでくれて。
女の子が来た時は、目を煌めきながら面倒くさいほど絡んできた。
そして、カイルが夜に来た時は、いつも他意のないお喋りをして。
私が眠らずにいると、ブツブツと愚痴るけどちゃんと膝枕をしてくれて。
頭を撫でながらずっと隣で見守ってくれる。
そうしてまた朝になり、昼には他の二人も来たりして。
四人が集まり、洞穴で魔法の練習や、読書や、自分達のやる事をやって。
その時間がとても居心地が良かった。
何も話さずとも、一緒にいるだけで心が安らいて。
ああ、私はちゃんとここにいるんだな、と。
ここにいて良いんだな、と感じられて。
「……ああ、そっか」
(私はその生活が名残惜しんだね。)
ようやく、白き少女は気付く。
あの生活は悪くなかったと。
この島で苦しい記憶しかなかった自分にとって、この一ヶ月は掛け替えのない時間だったと。
それこそ、今からこの島を出ると聞いて少し残念に思ってしまうほどの。
(……あの子達はもう行ったとカイルが言っていたけど。お別れ、したかったな。)
やっと、ある程度は話せるようになったのだし。
出来れば、自分の声でちゃんと'さよなら'と言いたかったと、少女は考える。
あの子達は何だかんだといい人達だった。
もちろん、一番はカイルだからあくまで二番と三番だけど。
あれだ。
カイルより遥かに劣るけれども、いい人達だったのだ。
あの女の子はやっぱりちょっとあれだけど。
「……。」
少し、微笑んでしまう。
この一ヶ月を少し名残惜しいと思うからこそ、これからの生活を期待してしまう。
あの人が自分の前に現われた時から、世界が変わったのだ。
苦しみと真っ暗な暗闇しか存在しなかった視野が、ぱっと広がるように。
こんな世界もあると彩られて、色を持つようになって。
毎日が楽しく、充実して、いつも間にか悪夢も見なくなっていた。
そしてきっと、こういった喜びはこれからも続くだろう。
少年はあの時、約束したのだから。
最後まで自分と一緒にいてやると、そう言ってくれたから。
きっと、この幸福は続く。
「……?」
気配がした。
耳が聞こえず、その分、精霊との繋がりが強い少女だからこそ敏感に感じられる気配。
小屋の外に人がいる。
誰かが来たようだ。
「カイル……?」
少女はずっと心待にしていた人の名を呟く。
しかし、すぐに彼女は気付く。
これはカイルではない。
気配は一つではないのだ。
複数、五人くらいの生命の響きを感じ取れる。
咄嗟に少女は床に隠された扉を開き、その下の隠し空間に入る。
カイルが警告し言い付けていた通り、急いで身を隠す。
小屋の中に誰かが入ったのはそれとほぼ同時だった。
小屋の中を漁っているらしく、乱暴に壁を叩き、中のものを手あたり次第に投げつける。
(誰……?)
カイルではない。
あの人はあんな怖い事はしない。
あの人はあんな乱暴で、汚らわしく、俗悪な気配を出さない。
ここまで近くなると感じられる。
あの汚く、低劣な気配は、ずっと心を安心させてくれる静かで落ちついた気配ではなく。
もっと、別の……。
……そう。
これは久しく感じていなかった気配だ。
以前に嫌でも覚えている気配だ。
このおぞましく、つい目を逸したくなるほど醜悪な脈動の持ち主は……。
「ーーーーーーーー」
誰かが、何かを言っている気がした。
いる。
この上の奥の部屋に。
それを気付き、急いで地下通路へと逃げようとすると。
それよりも早く、隠されていた床の扉が開かれる。
「あ。」
開かれた扉の向こうに見えるのは自分を見下ろしている人の顔。
見覚えのある、そして二度と出会いたくもなかった面影。
黒い頭巾を被った老人がいる。
図体が大きくでっぷりと太って丸い体をした老人は、少女と目が合った途端、笑い出す。
三重顎が震えるほどに大きく、それでいて愉快に。
小さい体を震え、怯えている白き少女を見ながら、太った老人は歓喜に浸たる。
笑ってはいけない盤面にもかかわらず笑い、か弱く震える少女を見て爆笑する姿はまさしく異常。
不気味な老人は口を動かす。
その声は耳が聞こえない少女には聞こえずとも。
この一ヶ月、練習に練習を重ねた少女は、口の動きでその言葉を読み取った。
'お迎えに上がりましたぞ、我らの巫女殿。'と。
幸福な夢を壊し、またも残酷な現実へと引き戻す言葉を。
今日は短めです。
詰み始める。




