11. プレイヤーの意地は強い。
深い深い、鯨さんの巨大な口の中に入っていくかのような道程でした。
実際に鯨というものを見たことはないけれど。
慣れていない道を辿る奇妙なる不安感、そして未知なる場所を歩きながら感じる一抹のドキドキさは、きっとそれと同じものではないかと思います。
それは以前に見たとある童話のお話。
煌めく星々は芳ばしい菓子で出来ていて。
とてもはしゃいでいる兎さんは帽子を被ったまま陽気に道を案内します。
誰もが夢見る世界。
'幸福を探しに行こう!!'と、そんな事を言いながら、案内人である兎さんは鯨さんの口へと子供を案内します。
兎さんは悪戯好きで子供をいつも困らせるけれど。
二人は共に様々な事件を経験し、最後の最後に子供は幸福という名の飴を手にいれます。
けれど、なんてことでしょう。
その幸福の飴を、兎さんはわざとか、それともうっかりか溶かしてしまい、失われてしまうのです。
泣いてしまう子供に兎さんは言います。
'大丈夫!目を開けてごらん?君は飴を失ったけど、本当の幸福はちゃんと残っているからね'。
飴という形の物ではなく、目の前にある世界。
自分を囲み、迎えているこの世界こそ、そしてここで経験し、笑った思い出こそが真の幸せであると兎さんは言います。
幸福とは形ではなく、いつも君の心の中に残っているのだと。
……これは妹によく聞かせる童話だけれど。
同時に、私のお気に入りの物語でもあった。
自分が知らない世界。
自分が見たこともない幻想。
自分が経験していない道程を、空想のなかで描く。
今の状況をもしあの童話に例えるのなら、このどこかも分からない森は鯨さんの口の中で。
私はその童話の主人公であり。
私の前で歩いている少年は、その案内人である兎さんと言えるだろうか。
「あっ!」
「!」
月光が弱いせいで前がよく見えず、危うく転ぼうとする。
すると、黙って歩いていた少年が素早く振り返って私の腕を掴み、支えてくれた。
「あ、ありがとうございます……。」
少年は何かを言おうとするように口を少し動くが、結局、何も言わない。
むしろぶっきらぼうに手を放し、私から離れ、急いで歩き出す。
そして、またも会話がない静かな散歩が始まってしまう。
「……。」
不思議な人だ。
あの童話で主人公を別の世界へ連れていく兎さんのようだと思っても仕方かない。
もちろん、童話での兎さんとは大分違う。
あの童話で出てくる兎さんは陽気でよく話していたけれど、この少年はとても寡黙な人に見える。
先ほど、あの怖い傭兵さんに向けてぺらぺら話したとは思えないほどに。
ぶっきらぼうで、何故かわたしを一切見ようとしない少年。
口が悪く、暴言をよく吐いて、それどころか私を自分の女にするとか、奴隷とかいう酷い人。
一言で話すのなら、'とても怖い人'だと、そう思ってしまう。
では一体、どこがあの兎さんと似ているかというと。
悪い人か、良い人かよくわからないという点がそうだっだ。
兎さんは鯨さんの中へと案内してくれる良い兎だけど、とても迷惑をかけたり、主人公を虐めたり意地悪なところをよくみせる。
それで主人公が'どうしてそんなことをするの?!'と言うと、'ごめんよ?オイラは悪戯で生きていくのだ'と答える。
良き兎さんか、悪い兎さんかハッキリ言えず、けれどどこか憎めない兎さん。
それに似た印象を、他でもないあの少年から受ける。
言っている事はどれも最悪で、昨日は妹のアイリちゃんを虐めていて。
先は何と、大衆の前で私を犯そうと言い出した人。
悪い人だ。
まぎれもなく、悪人だと思う。
童話ではいつも最後に泣いてしまう悪役のように。
……けれど。
「あの、カイルさん……で合っているのでしょうか。」
どうしてか、嫌いにはなれない。
いや、それよりは。
まだ嫌うべきかどうかがわからないというのが正しいだろうか。
行動も言葉もきっと悪い人なんだけど。
それはまだ早とちりではないかと思ってしまう。
……そう期待してしまう。
「カイルさん?ちょっとよろしいでしょうか。」
「……何だ、僕は忙しいんだぞ。話なら後にしろ。」
こちらを見ようともせず、少年が冷たく答える。
つい悲しくなり、内心落ち込むが、何とか勇気を絞り出す。
どうしても、この少年には聞きたい事があったのだ。
「そうはいきません。私、昨日からずっと貴方を探していましたから。」
「……はあ?」
ピクッとしながら止まり、森を歩いていた少年はようやく私の方に振り返った。
それに'やっと見てくれた'という嬉しさと、'やっぱり怖い'という感情が同時に沸き上がる。
私を見る少年の目が尋常ではない。
きっと私と大差ない子供で、平凡な顔たちなはずのに、目がとても鋭い。
まるで先ほど、私を剣で切ろうとしたあの傭兵の指揮官さんを見ているかのようだ。
兎さんも、鯨さんでもない。
悪い狼さんみたいな目。
……でも、伝えないと。
私が今日、傭兵さん達の宴会に雑用として行くと決めたのは、これが理由でもあるのだから。
「これを。貴方のものだとお婆様から聞きました。」
ここに来る前から用意してた包みを渡す。
カイルさんは何故かゴクリと唾を飲み、少し躊躇う動きで包みを持っていく。
……どうしてあんなにも緊張するのだろう。
今、怖がるべきは私の方なのに。
「あ、これは。」
「はい、カイルさんが買った本です。後でお婆様に聞いてみると、貴方が買った本だと聞いて。」
「お、おう。」
カイルさんの顔が一瞬、明るくなる。
……いや、なったのだろうか?
余りにも短い、刹那の時だったので確信を持てない。
本を手に持ったカイルさんは私の方を見ては、何か考えるように顔が曇ると。
急に本を私に押し付けてしまった。
「ハッ!知らねえ本だな。誰かのものと勘違いしたんじゃねえか?」
「……え?」
呆然としてしまう。
この人はいきなり何を言っているのだろうか。
本を無理やり私に押し付けた少年はいかにも興味なさげに、鼻で笑うのみだ。
本の方は見ようともしない。
「いらねぇからテメエが持っていけ。あと、そいつらは僕とは全く無関係な本だからよ。誰かに言って僕を困らせるな。もし、誰かに変な事を言ってみろ、そん時はぶっ殺してやるぜ。」
「……そんな悪い言葉は言っては駄目だと思います。」
「当然だろが。僕はあの【黒きサソリ】の傭兵なんだぜ?人も普通に殺すし、女も犯す。今からテメエを犯そうとしているようにな。」
「人を殺した事があるのですか……?」
「まあ、な。」
嘘だ。
何となく、それは嘘だとすぐにわかってしまう。
だってそうならば、私がこうしてこの少年を気にするはずがない。
私が昨日からこの人を気にしれいる理由は他でもなく……。
「ったく、今そんなのを聞く場合かよ。テメエはホント馬鹿な女だな。話にならねぇぜ。今から自分が酷い目にあおうとしているのに、呑気に他の事を気にしやがって……。」
一瞬、ムッとなってしまう。
どうしてこの人はいつもこんなに酷い事をいうのだろうか。
「私は馬鹿ではありません。」
「いや、馬鹿だろ。何しろ昨日に続いて、今日も危ない事に首を突っ込むんだからな。……ああ、本当に頭がどうかしてるぞ、お前。敵う筈もないのに直ぐ立ち上がって、自分の身を危険に晒せて、これが馬鹿じゃないと何だってんだよう。」
また、少年の顔が一瞬だけ暗くなる。
今にも吐きそうな、または凄く苦しんでいるような表情。
「……もしかして、心配してくださるのですか?」
「はあ!?」
大きな声と共に少年が慌てる。
顔が少し赤くなり、拳を握りながら私を睨みつく。
そうでなくとも怖い顔なのに、そんな表情まですると思わず固まってしまう。
「っんなワケねぇだろうが!テメエはホント頭が花畑だな!?何で僕がテメエの心配をしないと駄目なんだよう!?」
「そ、そうですね。すみません。」
余りの迫力に反論することができず、つい頷いてしまった。
私の返事を聞いた少年は荒い息を落ちつかせようとする。
その姿はどこか緊張しているように見えて、凄く怖じけついているようにも見える。
「……」
昨日の事を思い出す。
アイリを守る為に、この少年と向き合った時を。
最初はとても怖くて、でも妹の前だからそれを悟らせるワケにもいかず、必死に毅然として振る舞った。
相手の少年はすごく怖い顔だったし、言い方も荒く、誰もが忌避する人だったのだから。
内心、心細くて震えていたけれど。
……でも。
あの時だけは違った。
大きいな傭兵さんが短剣を投げて、それで私を傷付けろと言った時だけは。
「ったく。変な事を言う暇があったら黙って付いてこい、マジで殺すぞ。」
前を向いてしまい、少年の顔は見えない。
でも、今でもハッキリと思い出せる。
短剣を手に取って、ぷるぷると震え、私を見る顔を。
最初の怖い印象など感じられず、最悪な人という感じすら受けられず。
……ただ、助けを求めているかのような顔。
どうしてあんな顔をするのだろうと思った。
どうしてあんなにも辛そうにするのだろうと疑念を感じた。
追い詰められているのは私とアイリで、貴方に不利な事など、辛い事などなにもない筈なのに。
どうして私を見て、そんなにも。
……そんなにも、今にでも泣きそうな顔をするのかと。
'鵯っ子の小僧?さて、儂から言うことはないのう。じゃが、アリシアや。お主が違和感を感じるのならそれはきっとあるのじゃろう。なら……'
……なら、自分の目と手と足で直に確かめるべし。
お婆様の教えを思い出し、腹を括る。
そう、私が今日ここに来たのはこの本を彼に届く為。
そして、もう一つ。
昨日見た、あの顔の意味を問い質す為だった。
もしも、あの顔に何らかの意味があるのだとしたら。
それがこの少年の素の顔だとしたら、放っておくワケにはいかない。
未熟な自分でも役に立てるものがあるのならそうするべきだ。
だって、そうすれば何もかも上手く行く。
私が頑張ればきっと、全部良い方向に変わる。
……そう、私が努力すればきっと、いつかは認められるに違いない。
「カイルさん!少々、よろしいでしょうか!」
彼が本当に酷い人なのか。
それとも昨日見せたあの姿こそが真の彼なのか。
悪い兎さんか、良い兎さんかを見極める。
そして、もしも良い兎さんなら。
何か、どうしようもない理由で苦しんでいるだけならば。
力になろう。
私に出来る事があれば必ず。
だって、私はそうして生きてきた。
そういう方法しかしらない。
そういう方法でないと報われず、認められないのだから。
「……何だよう。妙にジッと見やがって。テメエ、ここでやられるのがお望みなのか?そんにやられたいと?」
「ちょっと聞きた……えっ!!?な、ななな、何を言い出すのですか、貴方は!?」
いきなりの暴言に思わず、尻込みしてしながら叫んでしまう。
この人はどうして毎度毎度、こうも唐突に変な事を言い出すのだろうか。
……やる?
やるだなんでまさか、こんな所で?
この森で今すぐ?
「た、確かに、今ここには私たちしかいませんが……」
「そうだな、テメエがどれほど叫んでも助けは来ないし、やるにはご都合ってことだろうよう。」
……私を見る少年の目が尋常ではない。
ジッと見つめてくる少年の顔はとても真剣で、先ほど私を自分の女にするとか、奴隷にするとかの言葉が思わず頭の中で浮かんでしまう。
「だ、駄目です!それは絶対に嫌だと先ほど言ったはずですよ!私、知っていますから!そういうのはその……す、好きな人同士がするのだと本に……!」
そう、私は知っている。
ちゃんと知っているのです。
だって、見たから。
それはもう隅から隅まで全部読んでわかっているから。
脳裏に浮かぶのはとある本の内容。
お婆様の本屋から偶然見つけ出した古い本。
お婆様は'お主にはまだ早い'と言って見せてくれなかったけど。
でもどうしても気になりコッソリと読んでしまったのだ。
そこには余りにも猥褻な絵が描かれ、しかもとてもつもない内容が書かれていて……。
「ッッ……!駄目です!絶対、絶対、駄目ですから!私は断固拒否します!そういうのは、やっぱり愛し合う仲の人とするべきです!」
「……何の話してるんだ、お前。」
私が必死に拒否してると、何故か目の前のカイルさんが呆然として私を見ている。
え……?
「え、えっと、だから、その……か、カイルさんは今ここで私と、や、'やる'と……」
「……殺されたいのかという意味で'殺る'といったんだが。」
「ふえっ?!」
足がガクガクする。
顔が今までとは比べないほど熱くなる。
もう爆発するのではないかと思ってしまうほどに。
……どうしましよう、穴があったら入りたい気分です。
何よりも、目の前の人がニヤニヤし始めるのがすごく居心地が悪く……。
「へえ……。お前、そんな歳でよく知っているな?まさか、あのお婆さんに学んだか?最近は子供にそういうの教えるのも早いもんだね~。いやはや、最近の世の中とは。」
「ち、違います!お婆様を悪く言わないでください!お婆様はすごく立派なお方です!ちゃんと私にはまだ早いと仰有ってくれましたから!た、ただ、その……どうしても気になったというか、ちょっとだけ目に入って……あ。」
ハッとする。
私の話を聞いた少年の笑みが段々と深くなるのが見える。
凄く意地悪な、悪い人にしか見えない笑み。
「違います、違いますから!私は別に言い付けを破ってまで、盗み見したとかは……!」
「大丈夫、あんまり無理はするな。女の子はそういうのが早いと聞くからね。なるほど、なるほど、その本を見つけた時は'ギャ!'と叫んで目を閉じたけど、やっぱり興味はあるからチラッと見て、そのまま全部読みきってしまった、と。まあ、そういうあたり?」
「……。」
どうしてこの人はあの時の私の反応を正確に言い当てているのでしょう。
もう、この人の顔をまともに見る事ができません……。
「あ、あのぉ……。カイルさん?もしよろしければ、この事はお婆様には他言無用で……。」
「……。」
「……カイルさん?」
「変態。」
体が固まってしまう。
少年がケダモノを見る目をし、私から身を守るように自分の体を抱き抱えてみせるのだ。
一瞬、体が冷える。
そして、次には爆発するかのようにぐっと胸の底から熱くなってしまう。
「あ、貴方にだけは言われたくないです!もういいです!貴方は悪い人です!判別する必要すらありません!もう私、カイルさんがどうなろうと知りま……?」
「……アリシア?」
一瞬、目眩がした。
視野がぼんやりして、風景が溶けるかのように見える。
「あ。」
息が詰まる。
悪寒が全身を貪る。
空気が今までとはまるで違う重みを纏い、体を踏み躙る。
急いで周りを見渡す。
空はいつも見てきた美しい夜空で、月様とそれに付き添う星たちが集まっている。
森は静かであり、静穏や清廉と共に眠りに就いている。
至って普通な、何も変わった事のない風景。
……だけど、違う。
これはあくまで建前の風景。
隠したいものを隠すために用意した、見た目だけの硝子細工でしかないと、そう感じてしまう。
いる。
この森と夜空に身を隠している何かが。
隠しきれない存在感を吐き、潜んでいる何かが。
今まで感じた事がない異質感。
空気は誰かの手のようで、この森全体が怪物の腸になっているかのような歪な感覚。
視線を感じる。
無数なる瞳を連想させる視線が、この空の下を、森の様子を、この辺りの全体を。
余す事なく全て見通そうとしている。
……'何か'を探している?
一体、何を?
ここまで切実に、それでいて邪魔なものは全部消そうとするほどの執着は……
「……い、おい……!しっかりしろ、いきなりどうしたんだ!おい!?」
「……カイルさん?」
肩を揺さぶられる感覚で我に戻る。
そうすると、私の肩を掴み慌てている少年が見えた。
……ああ、そうだった。
わたしはまたこういった変な経験を……。
「どうしたんだ、お前?貧血か?」
「……カイルさん、逃げましょう。」
「は?」
少年が呆然として私を見下ろす。
わかっている、私を異常と思っているのだろう。
今まで村の人達が時々私をそう見ていたように、後ろ指を指していたように。
けど、今はそれに構っている時ではない。
今もあの視線と気配は確実に伝わる。
とても大きな、それでいて殺気が極まった気配が、何かを見つけようとしているのだ。
「……ごめんなさい。いきなりの事で理解できないのはわかっています。でも、逃げないと!実は私、以前から時々、他の人が聞けないものを聞いたり、感じたりする事が出来て……。」
「……。」
「ほ、本当です!こんなの信じられないとわかっていますが!でもこの森に何かがいるんです!怪物でも、なんでもない……。何か得たいのしれない何かがこの周辺にいて……まだ私達は見つけていないけど、見つかるときっと……!」
言葉が自然と切迫になってしまう。
気配が飢えているかのように森を見渡している感じ。
見つかってしまうときっと大変なのに、これを伝える方法がない。
今までもそうだった。
私は聞く事ができるのに。
お婆様も、アイリも、村の誰もがそれを聞けなかったと言う。
私は間違いなく感じ取れるのに。
誰もが、そんな私の方こそ異常だと言う。
アイリは凄いと言ってくれた。
お婆様は私だけの才能だと慰めてくれた。
けれど、わかる。
わかってしまう。
きっと、私は異常なんだ。
大勢の誰かが聞こえぬものを聞き、感じられないものを感じる。
ならば、間違っているのは私の方に違いない。
そして、間違ったものに対しての反応は厳しい。
表では何ともない顔をしても、裏では何か言われる事を感じ取れる。
普段ではそんな素振りを見せず、私が去った後で精神がおかしい子だと指をさされる。
聞こえてしまう。
どれだけ離れても全部聞こえてしまうのだ。
きっと、私の勘違いの筈なのに、それらの事は全部聞こえてしまう。
でも、それを言っちゃったらどうしてそれを知っているのかと尚、恐れられてしまう。
……だから、いつしか諦めていた。
私が間違ったと認めて、既に壊れてしまった関係を取り戻す為に、必死に村人さん達を助けて来た。
私にはそれしかない。
私はその方法しかわからないから、今までがんぱってきたけれど……
「お願いします!信じてください!今、きっと危ない何かが!」
今、またもその時と同じ無力感を感じろうとしている。
形振り構わず、早く逃げないといけないと感じる気配がいるのに。
その息がこうもハッキリ聞こえるのに。
またも、私だけが異常だと。
お前がおかしいのだと言われるのだと。
「カイルさ……。」
「うるさい、少しは落ちつけ。」
少年が冷たく私の言葉を止める。
以前、村人さん達が始めて私の'異常'について言った時のように。
少年の顔がとても固くなり、強張っている。
そのような顔は見たことがある、私の言葉を疑う時に見た顔だ。
胸が引き締められる。
またも、理解されないのかと悲しくなる。
いつも私が異常で、皆が正しくて。
でも、既に言ってしまった言葉を取り消す事も出来なくて。
異常だと罵られて、それを挽回するために奮闘して。
……でも、結局後ろではおかしいと子だと罵られて。
「変な気配を感じたとそう言うのだな?すぐ、逃げるべきだと。」
「……はい。」
次に聞こえる言葉を思いながら頷く。
この少年もまた、気のせいだと言うのだろう。
でも、私は逃げないといけないと言い、やがては頭がおかしい人と思われる。
けど、だめだ。
今は逃げないと。
今まで感じたどの気配、声とは比べないほど今の気配は大きく、おぞましく、そして異常なほどの執着を感じるのだから。
たとえ、どう思われようと今は……。
「よし、じゃあ、さっさと逃げるぞ。」
「……え?」
瞬間、何を言われたか理解できず目の前の少年を見る。
少年は相変わらず怖い顔で周りを見ている。
まるで私が感じ取った気配の居場所を探ろうとするみたいに。
「逃げる所なら一応あるにはある。そこに行くから付いてこい。もう貧血とかは感じないんだな?」
「は、はい。そうですが……信じてくださるのですか?今の話……。」
今まで一度も見たことのない反応に逆に困ってしまう。
幼なじみの友達も、親しく過ごした人達も、妹も、お婆様までもが、私の言葉に耳を傾けず、信じてくれなかったのに。
どうしてか、この少年だけは直ぐに信じ行動しようとする。
むしろ戸惑っている私を見ては眉を歪ませる。
まるで私が馬鹿だと言っているように。
「当たり前だろうが。お前がそこまでびびる程の何かって事だろ?なら、今すぐ逃げるに限る。その何かとは、まだ俺達を見つけてないんだな?」
「は、はい!この森を探索していますが、まだ探しているものは見つけていないようです。すごい焦りを感じますから。」
「……なら、地下に潜るしかないか。ほら、手を掴め。足がそうガタガタでは走れないからな。後先構わず逃げるから、ちゃんと付いてこいよ。」
「はい……!」
差し伸べられた手を掴むと、少年はある方向へと走り出す。
こっちの話を疑いもせず、ここから逃げようとする。
……何て不思議な人だろうか。
必死になって逃げようとする少年からまたも、先ほどとは違う印象を受ける。
とんでもなく悪い人だと、そう思うし、それは間違いないと思うけれど。
こういう姿をみると、それは違うのではないか期待してしまう。
本当にあの童話で出てくる兎さんのよう。
意地悪で、何時も物語の主人公さんを困らせて虐めるけど、結局、最後はいつも助けてくれるあの……。
一抹の戸惑いもなく、私を信じてくれる少年の後ろ姿を見て。
思わず、掴んでいる手を強く握ってしまう時だった。
「っ!!カイルさん!前に何かいます!」
「!」
今までとは違う気配を感じ、咄嗟に叫ぶ。
カイルさんは直ぐに止まり、瞬時に私の前で立つ。
私を庇おうとしてくれるのだろうか。
その行動にまたも以外さと驚きを感じていると、向こうの茂みが大きく動く。
やっぱり何かがいる。
「おい、アリシア。」
「は、はいっ。」
こっちを振り向こうともせず、少年は小言で話してくる。
「お前は左の方に走れ。遠くないどころに小さな小屋がある。そこの地下に……」
「嫌です。」
「……まだ俺の話、終わってないんじゃが。」
絶対に拒否する。
皆も聞かなくてもわかる、この人は自分を囮にする気だ。
いい兎さんか、どうかはまだわからないけども、それだけは理解できる。
「逃げるのは一緒ではないと駄目です。手、絶対放しませんからね、私。」
「……いや、だけどよ。」
手を放さないために一層、強く握る時だった。
向こうの茂みがもっと激しく動き、小さな声が聞こえる。
「カイル?」
とても綺麗な、可愛らしい声。
化け物でも、そして先から感じる歪で大きな気配でもない、まるで異なる波動を感じる。
その新鮮な感じに少し慌てていると、茂みから姿を現すのは小さな女の子だった。
「カイル!!」
白くも長い髪をして、声と同様にとても愛らしい姿をした女の子がこっちに、もっと正確にはカイルさんの方に明るい顔で走ってくる。
「シルフィ!?おまっ……?!」
言葉が終わる前に、まるで頭突きでもするかのように女の子が少年の懐に飛び入る。
そのせいで掴んでいた手も放されて、少年は白い女の子と一緒に倒れてしまった。
「よかった、アエナイとオモッダよ。」
地面に頭がぶつかり'うおおお……'と唸り声を出す少年とは違い、白い少女はこの邂逅が凄く嬉しいのかニコニコして少年を強く抱きしめる。
「馬鹿か、お前?!何でここにいるんだよう?!誰かに見つかるとどうする気だ!?」
(お知り合い……でしょうか?)
地面に倒れたまま怒る少年と、少しシュンとなっている少女はいかにも親しいように見える。
それにしてもとても綺麗な娘だ。
着ている服は、服とは言えない布だけれど、見た目や顔たちがとても可愛い。
白い髪はサラサラしてて、まるで雪にできた滝のようだし、青い瞳や透明な皮膚まで合わせてまるで童話に出てくる妖精さんのよう……。
「……あの、カイルさん?失礼ですが、その方とはどういった関係でしょう。私達とあんまり変わらない歳のようですが。もしよろしければ、紹介してくださるでしょうか。」
この島には基本、子供が少ない。
若者達が段々首都に行きたがるからだ。
だから、近い歳の子供は少なく、大抵の子は全部覚えているつもりだけれど。
こんな娘は見たことがない。
うん。
ぜび、この子と仲よくなりたい。
だって、凄く可愛いんだもん。
「ッ、しまった……。」
「カイル、このヒト、ダレエ?」
「あ、始めまして!えっと!私はアリシアと言います!そこの方?お名前を聞いても……?」
数少ない近い歳の女の子、しかも妖精みたいにすごく可愛い子という事もあり、ぜひ友達になれないかと話しかける。
……なのに、何故か。
私を凄く不審がって見ながら、カイルさんの後ろに隠れてしまう。
あ、小さな小動物みたいで凄く可愛い……ではなく、悲しすぎる。
とても警戒心が強い人だろうか。
カイルさんの背に隠れてピョイっと顔だけ出して様子を見ている。
あ、やっぱり可愛いです。
「カイルさん。」
「……おう。」
「彼女を紹介してください。今直ぐ、早く、至急に。しないと訴えますよ、こんな娘を誘拐している悪い人だと。」
「……いや、何でそんなに必死なんだよ、お前。」
「……カイル。このヒト、コワイイ。」
どうしてかカイルさんと、妹のアイリちゃん並に可愛い娘が私を見て呆れています。
理由はわかりませんが、きっと大事な事ではないでしょう。
なにしろ、私は純粋にお友達になりたいだけですからね、ええ!
「さあ、お早く!」
「ひっ!」
「……俺達、何か危険な奴から逃げていたはずでは?」
***
「成る程、つまり、シルフィさんは最近、言葉の練習をしていらっしゃると!」
「……エエット、うん。そうよう、ソウデス。」
「だから、カイルさんはお婆様にそんな本を買っていらっしゃったのですね!このアリシア、バッチリ理解できました!」
隠れ家として使っているいつもの洞穴。
深夜なので、小さな蝋燭によって照らされている秘密基地でいつもとは違う明るい会話が聞こえる。
普段なら、俺とピエルの作戦会議や、シルフィの発音練習の声しか聞こえない筈なのに、先からずっと活気な声が聞こえるあたり、洞穴の雰囲気が随分と明るく見える。
それもどれも、シルフィと元気よく話している黒髪の少女のせいだ。
仲睦まじく会話してる……いや、睦まじいと言えるかな、あれ。
アリシアは目をキラキラしてて話してるけど、シルフィはそれが負担になるのか、時々俺に助けを求める視線をおくるのだが。
「……おい、これはどういう事だ。何故、ここに部外者を連れてきやがる。」
「……そういうお前こそ、何でシルフィを外に出してるんだよう。俺が見つかってよかったものの、他に見つかったらどうする気なんだ。」
如何にも香ばしい少女達の会話とは裏腹に、暗くて薄黒い男たちの会話が行なえる。
つまりは俺とピエルである。
一緒に隅っこで座り、少女達を見ながら陰鬱にお互いの馬鹿さを指摘しているときた。
「先ほども説明したが、オレが着いた時は既にあの子はいなくなった後だった。別にオレが外出させたワケではない。」
「……そこからしておかしいんだよな。何で、シルフィがここにいろっていう言い付けを守らなっかたのか。」
実に妙な話だ。
ピエルがここに来た時は既にシルフィの姿はなかったらしい。
そしてご本人のシルフィは要塞近くの森で俺とアリシアに合流したのである。
……あの子は俺が言うことをよく聞く良い子なはずだが。
「君と会いたくていてもたってもいられず旅立った……とかでは?」
「わあい、すっごいロマンチックだね。お前、意外に恋愛に関してそんな口なの?そんな頭花畑な思考で行動を起こすと迷惑になるから、心底困るんじゃが。」
「……だったら、直接聞いてみたらどうだ。嫌みを言うより、そっちの方が早いと思うが。」
「やだよ。アイツ、怖いんだもん。」
「あの女がか?そういう風には見えないが……」
アリシアを見るピエルは俺の言葉を理解出来ず首を傾ぐが、それはあの子の真価を知らないからだ。
何しろ主人公様であり、この世界を救う未来の救世主様なんだ。
悪役雑魚である俺とは本来、一緒にいられない存在である。
……だからこそ、何とか助けようとしたのだが。
まさか、成り行きだったとはいえど、シルフィと接触させるばかりか、秘密基地にまで来させる羽目になるとは。
でも、あのままあの森にシルフィをずっと留ませるのは危ないし……。
だからといってアリシアを残して来たら、俺がいない間にシルフィに関して誰かに言わないか怖いし……。
「おお、神よ……一体、俺が何をしたと言うのですか……。」
「よく知らんが、昔、何か悪巧みでもしたのでは?」
俺がつい泣きたくなって独り言をこぼすと、ピエルから人の心がない指摘が聞こえる。
失礼な奴だな、俺はいつも清く正しく生きてきたのに。
そんな悪どい事をした覚えなど全然ないんだぞ。
たぶん。
「シルフィ。ちょっといいか?」
「あ、うん!」
とにかく、いつまでもこうもしていられないのでシルフィに話しかける。
そうすると、シルフィが凄く良い笑顔で俺の方に振り返った。
そこまでアリシアとの会話が気まずかったのだろうか。
気持ちはわかるが、隣のご本人がすごくガッカリしているから少しは隠しなさいよね。
見ていて可哀想だぞ。
「ちょっと聞きたいが、どうしてあそこにいたんだ?俺は確か、危ないから外には出るなと言ったはずだが。」
少し声を厳しくして話す。
一応、事情は聞いてみるが、あれは本当に危ない行動だったのだ。
あの頭イカれた一族がどこにいるかもわからないのに、勝手な外出など許容できる事ではない。
場合によっては、始めてこの子を叱るべきかもしれない。
間違った子を叱る親としての覚悟を察したか、シルフィが慌てて紙と羽根ペンを探す。
アリシアはどういう事か理解できずキョトンとしているが、ピエルと俺は一緒にいた分、その行動を理解できる。
急ぎ伝えたい事、話したい事があるのだろう。
一応、練習のため、なるべく話すようにしているがまだ発音が慣れていないのだ。
そのため、長い言葉や説明はまだ出来ず、そういう時はやはり筆談でやっている。
「……盗み見はやめようね、失礼だろう。」
「す、すみません!!つい!」
アリシアが興味津々な顔でコッソリ、シルフィが書いてるのを見ようとするので言い止める。
そうすると直ぐ様、赤面になって謝ってきた。
やはり、根っこは良い子ちゃんなのだろう。
……それはともかく、コイツ、あの主人公様なんだろ?
隠しボスのシルフィとこう仲よくして大丈夫なのだろうか。
まあ、子供は仲よくやっていくのが良いことだし、二人とも凄く綺麗だから目の保養にもなるし、どうでもいいんだが。
隠しボスと主人公が仲睦まじく話しているのを見るとこう……何だか複雑な気分になる。
「カイル!コレ!」
「おう。」
シルフィが全部書いたらしく、俺の方に来ては紙を渡す。
後ろからピエル、前からはシルフィとアリシアの視線を感じながらそれを読む。
……時々、変な言葉や単語が混じっていて、読みにくい。
これはシルフィがお世話になっている精霊さん達の名前なのだろうか。
ちょっと長くて、読むのが大変だが、内容を纏めると大体こうだった。
'精霊達がとても危険だと警告してきて、自分も尋常ではない気配を森の方から感じたので、カイルが心配になり、迎えに行っていた'と。
「……この危険とは?」
シルフィの方をチラッと見る。
俺の視線を感じた途端、あの子は静かに首を横に振るう。
どうやら、本人も詳しくは知らないらしい。
次にアリシアの方をチラッと見る。
俺とシルフィを交代に見ていたアリシアは俺と目が合うと、何故か顔を赤くしてちょっと緊張する素振りを見せる。
……いや、何でだよう。
「アリシア、今はどうだ?」
「え?……あ、はい!すごくいい場所だと思います!シルフィさんやカイルさんや、そしてあのピエルさんまで、まるで仲よく一緒に秘密基地に来ているようで……私!あんまり友達がなくて!こういう経験がまったくなかったから、今とても興奮しています!」
「……いや、俺は先程、お前が感じたという危ない気配の事を聞いているんじゃが。」
「ふえ?!」
何でコイツはいきなり自分が一人ぼっちだと告白しているのか。
急に黒歴史を語られても困るんだが。
先ほども、悪役を演技しているのに一人で勘違いして自分はエロい知識が豊富ですよと告白してきたし、以外とドジなのだろうか、この子。
ムッツリでドジなところね……。
これが素の顔なら原作時点では相当無理していたんだな、コイツ。
原作では中盤から本当に英雄っぽい感じで、高貴なお姫様感が半端なかったのだが。
「し、失礼しました!私はてっきり……!あ、えっと。先の気配ですね?それなら、もう感じません。シルフィさんと出会った喜びで忘れていましたが、いつからか感じなくなっています。」
「成る程。」
「……カイル。そいつが言っている気配とは何だ。」
後ろからピエルが質問してきた。
どうやら気になるらしい。
アイツにシルフィのメモを渡してそれを読んでいる間、俺は静かに思索に耽ける。
危ない気配。
危ない気配と来たか……。
普段ならば気にもしないし、考えても仕方かないと無視する筈だが。
今回は訳が違う。
何しろ、この気配を感じたのがシルフィとアリシアなのだ。
隠しボスと、主人公。
よりにもよって、この世界で最強の才能を持つ二人が同時に感じたと言う。
これを単純に偶然だと言うのは難しいし、気にしないのは不可能だ。
しかも、もしかしたらこのセピア島で、とんでもない事件が起きるのではないかと推測した途端にこれなのだ。
(……何かの前触れ、兆しなのか?)
つい目が洞穴の外、この山脈の地平線へと向かう。
夜の暗闇に浸っている森が、気のせいかとっても不気味に見える。
「……アリシアといったな、貴様。いくつか、質問があるが。」
「は、はい。」
「先ほど、貴様は気配を感じたらしいが、それは本当か?何かの勘違いではなく?具体的にどのような?」
「え、えっと……」
隣でピエルが深刻な顔でアリシアと面談を始める。
シルフィのメモを見てこれが'魔法'と関わる案件だと悟り、アリシアの発言の深刻さに気付いたらしい。
シルフィと同じ事を感じたという事は、即ち、彼女も魔法の才能があるとういう事だから。
……気になると言えば、ピエルもちょっと尋常ではないよな。
コイツ、どう考えても有能すぎるし、何故か字もちゃんとわかっていて、首都や魔法に関しても知識はあるようだし。
しかも、シグマに対して何らかの計画を企んでいるあたり、絶対普通の子供ではない。
時々、俺が探りを入れると、直ぐはぐらかして自分の事を言わないけど。
(しかも、めっちゃ美少年だし。まさか、コイツ……?)
「……いや、流石にないか。」
うん、いくら何でも考え過ぎだ。
いくら俺がストーリを疎かにしても、流石に名前を聞くとあのイケ面達かどうかはすぐわかる。
ピエルという名前は聞いたことがないし、攻略対象で灰色の髪はなかったはずだ。
いくらなんでも、この島に主人公、隠しボス、中間ボスに攻略対象までいる訳がない。
そんなでたらめがあってたまるかよ。
もしいたら、裸になって爆散してやるぜ。
俺が考えに耽けていると、会話が終わったらしく、ピエルが暗い顔で俺の耳元に密かに話しかけてきた。
「……カイル。深刻な事実が判明した。」
「うん、何。」
「君が連れて来たこのアリシアという子だが、驚く事に……。」
「うん。」
「……どうやら、あの子も魔法の才能があるらしい。まだシルフィのように精霊と交感する事はできないが、才能は普通ではない。あの歳とは信じれないほどの魔力運用が可能のようだ。……遠回しに聞いてみたが、あいつ、もう成人並の魔力運用を越えてると思われる。まさか、こんな僻地に天才が二人も……」
「へえ、スゴいネ~。」
「……おい、オレの話を聞いていないのか?」
「いや、ちゃんと聞いてるよ。それで?お前はそれを上という連中に伝えるのか?」
俺は先からずっと聞きたかった質問をする。
あの子達の才能など、俺は疾っくの昔に知っている。
重要なのは、その事実をもう一人、他の人が知ってしまったということである。
ピエル。
原作では登場しないはずの、もう一人の天才少年。
コイツの出方次第でこれからの方針が変わるのだ。
そんな俺の真剣さに気付いたか、ピエルも同じく緊張した顔で返してくる。
「……冗談もやすみやすみ言え。言う筈がないだろう。シルフィもあのアリシアという子もこのままでは悪用され、利用されるのみだ。保護する必要がある。」
「そうか、うん。それを聞きたかったよ。やっぱ、お前はいい奴だな。」
「……なんだ、薮から棒に。」
「別に?今感じた本音を言っただけだが。さてと……、それを聞いて俺も覚悟ができた。ピエル、これから俺が何を言おうと少し黙っていてくれ。これは必要な事だからな。」
「?」
訳がわからないという顔をするピエルを後にして、俺はシルフィとアリシアに近付く。
二人は俺とピエルが密談しているのを気にしていたらしく、俺が近寄ると興味深い顔で俺を見上げてくる。
……本来出会うはずのない二人。
隠しボスと、主人公がここで出会ってしまい、そしてその関係も本来の道筋から少し歪んでしまった。
最初は頭が痛くなり、どうするものかと悩んだが、よく考えればこれはチャンスでもある。
未来の出来事、その逆境に対して今の俺に何が出来るのか。
今から起きようとする未知の脅威に対して俺は何を用意出来るのか。
忘れてはならない。
俺はカイル。
【黒きサソリ】の下っ端であり、悪役の雑魚キャラである。
力は弱く、才能もない三下だ。
しかし、決してそれだけではない。
俺は確にカイルだが、それと同時に。
あの【硝子の夜明け】というゲームを最後まで完全クリアーしたプレイヤー。
石田 栄一郎でもあるのだ。
さも、プレイヤーの役目とは如何なるものか?
それは決まっている。
ゲームをクリアーする事。
その物語を最後まですべてやり遂げ、話の終りまで人物たちを導くことである。
なら、ゲームをクリアーするにあたってプレイヤーは何をすべきか?
それもまた決まっている。
主人公を、メインキャラを強くさせる事。
即ち、その人物たちが使う武器を調達し、強化させ、レベルアップをし強くさせることである。
「アリシア、忘れてはねぇだろうな、テメエは僕の女という事をよ。」
「え……?」
俺はこれからとんでもない大博打をする。
これはストーリに関わらないという本来の方針にちょっとだけ逆らうことになるが。
既に俺は主人公と出会ってしまい、シルフィとも顔を会わせてしまった。
なら賭けてみる価値はある。
上手くなると返ってくるメリットも大きいのだ。
そしてなによりも。
ここ、セピア島で起きる出来事や、あの'危ない気配'という未知なる脅威に対抗できるカードが増える事になる。
「'え?'じゃねぇよ。忘れちゃ困るな。僕は悪党だ。テメエは何か勘違いしてるかも知れないがよ。僕は簡単に人を殺れるし、犯せる畜生って事だぜ。それはわかってるな?」
「……何をお望みですか?」
……あれ?
思っていた反応とちょっと違う。
俺はてっきり、また顔を赤くして'どうしてそんな酷い事を言うのですか!!'と言ったり、宴会場のようにピンタを受けると覚悟していたが……。
何故か、アリシアは真面目な顔で俺を見上げる。
動揺したりせず、悲しい顔もせず、それともやっぱり獣だと軽蔑するのでもなく。
あくまで、芯が強いと感じられる決意に満ちた顔をしている。
まさに、主人公様にこそふさわしい顔だ。
「私を犯すのですか?ここで?」
「……テメエの返答次第ではな。」
「では、言ってください。私になにをお望みですか。」
……え?何?俺、ちゃんとやってるようね?
コイツ、妙に素直で何か怖いんじゃが。
強くさせる気はあるけど、仲よくなる気は微塵もないんじゃが。
一瞬、不安が過るが、こうなっては仕方かない。
ええいっ、ままよ!!という勢いで話す。
「いいか!これは契約だ!テメエの身はこの僕が責任を持って先輩方から守ってやる、ついでに大事な貞操もちゃんと守ってやるよ。その代わり、テメエはその得意という魔力運用をシルフィに教えろ!」
「シルフィちゃ……さんに?」
「ああ。無論、コイツの存在も隠す事も忘れるな。もしも、誰かにばらして見ろ。ろくな死に方はしないと覚悟しー」
「それは大丈夫です!!絶対話しませんので!!むしろ、私がそんな人がいたら絶対に容赦しません!」
「……あ、はい。」
やっべ。
余りの勢いに、つい素で答えてしまった。
何、この子。
もしかして、可愛いものには目がないとか、そういうこと?
アリシアを見るシルフィの目がもっと不安になって、もはや不審者を見る目になるが、まあ、それは置いておこう。
やる気があるのはいいことだ。
……原作でもし、この二人がもっと早く出会っていたら、何か違う関係になっていたかもしれないな。
「ま、まあ、とにかく!いいか?!テメエはコイツに魔力運用を教える!そして、同時にコイツから精霊との交感を学べ!」
「せいれい……?」
「!! ちょっと待て!!カイル、君は自分が何を言ってるのかわかっているのか!?この二人に魔法を体得させる事になるのだぞ?!」
「ああ、それが目的だからな。」
「なっ……。」
後からピエルが反発してくる。
首都の様子を詳しく知っているようだし、どうやらまだこの子達には早いと思ったのだろう。
それはわかる。
本来、魔法学院に入学するのは16才からで、アリシアが魔法の才能を自覚するのもその時だ。
この試みは本来の筋書きよりも、六年早く、二人の才能を開花させる事になる。
「だが、それがどうした?」
そう、そんなのは関係ない。
未来で来るであろう苦難は変わらない。
現在にその存在を隠している危険も変わらない。
ならば、強くなる事自体は間違いではないはずだ。
既存よりももっと早く、そしてもっと強くさせてみせる。
そして強くなったアリシアが完膚なきまでラスボスと魔女アウロラーを倒す。
既にシルフィと出会ってしまったのなら。
それを逆に利用し、一早くアリシアを成長させてやる。
「いいか!?とにかく、学んで学んで強くなれ!世の中は理不尽だらけで、いつも不条理な事だらけだけど、それでも積み上げたものは必ず残る!いざという時、誰かが助けてくれるとは思うな!まずは自分が強くなって、何とかしようとしろ!助けを求めるのは、自分がやれる全てをやり尽した後でも遅くないからな!」
ピエルがため息を吐きながら俺を見る。
アリシアがどこか真剣に俺を見上げる。
シルフィは相も変わらず純粋に'?'という顔だ。
このメンツは一時に集まった事に過ぎず、長くはいかないだろう。
俺はシルフィと共に三週後には去るつもりだし、関係もそれまでに過ぎない。
それでも。
「期限は約三週!それまでがテメエとの契約の期限だ。やるか、どうか今すぐ決めろ。やるならよし。やらないなら、ここで犯した後、口止めとして殺して終りなだけだ。」
「……いいえ、大丈夫です。やります!」
俺が次に逃げ出すまで後、三週。
それまで何かがあろうと対抗できるように、アリシアを、そしてシルフィを強くさせて見せる。
それこそがあのゲームを最後までやり遂げた、一人のプレイヤーとしての意地なのだから。
***
「くそくそくそが……!何でオレばかり……!皆は今頃お楽しみの最中だろうに……!」
バルティア要塞近辺の森で罵声をとばしている男が一人。
六匹の魔獣の死体に囲まれている傭兵は、自分の哀れな身の上を嘆いている。
誰もが待っていた、女共を犯すことができる大宴会。
そんな晴れの日にシグマに言われ、強制的にこの森で潜伏していないといけなかったのだ。
「今日という日に小屋の近くでずっと監視していろとか、まるで意味がわからん!!しかも、何故か見たことのない魔獣も出てきやがるし……!」
意味がわからない。
そう、意味がわからないからこそ、この理不尽さに傭兵は怒る。
こんな日にこそ、監視をすべきだと監視の役目を無理やり押し付けたシグマも。
きっと、この近辺にはなかったはずである魔獣達の襲撃も。
そして……。
「……カイルの野郎、確か妙なガキ共と一緒にいたような……?」
遠くて見た光景。
カイルが二人の少女と一緒に小屋に入るのもまた、理解不能であった。
その後、すぐこの得体のしれない魔獣達に襲われ、撃退するのに一時間もかかってしまった。
当然、それほどのタイムロスがあれば、状況は変わってしまう。
小屋に入ってもその中には誰もいなかったのだ。
あの二人の少女と楽しんだ後、おさらばしたのか。
「くそが!!あのガキ共もやって楽しんでのに、何故オレは……!」
今の自分と、女二人とやったに違いないカイルを比べ鬱憤を感じる時だった。
傭兵は気付く。
暗闇に浸っている夜空。
月すら雲の後ろに隠れ、光など一切ない空に、白い何かが浮いている事を。
「……?なんだ、ありゃあ。」
直ぐに思い浮かぶのは人影という印象。
だが、人は空を飛べない。
魔法を使う奴等の中にはそういう部類もいるとは聞くが、魔法使いがこんなところにいるはずもない。
自分の気のせいだろうかと思い、目をこすってまた見てみると、既にその白い人影のようなものはなく。
真っ暗な夜空だけが残っているのみだった。
『…………』
そして、更なる上空。
白い海のような雲の上、月と星たちの下にて浮かんでいる透明な影はある一カ所を見つめる。
そこは、つい先までとある子供たちがいた小屋だった。
'ようやく見つけた'という感慨に耽けながら影は動き、飛んでいく。
誰もが各々の思惑を抱き、夜は更け、そして夜明けを迎える。
そうやって新たな日が始まり、またも事は進む。
時間はそうしてすぎてゆくのだと言うかのような、自然なる流れ。
そして、三週が過ぎる。




