1. 俺は運がない。
基本、この物語は主人公にチートなどなく、それでも厄介ごとに立ち向かい、克服する物語です。
チートや力による無双は皆様が思うよりも少ない可能性があります。
また、全体的な話数を少なめにする代わり、一つの話に多くを詰め込んでいるため。
各話の字が多く、読む時の呼吸が長くなっております。
それを了解した上で読んで頂けると幸いです。
唐突だが急に思ってしまう。
今頃、日本はどうなっているのだろうか。
俺がここへ来た頃は確か6月末のはずだから、今頃だときっと蒸し暑い頃だろう。
不思議なものだ。
熱いのが苦手で、夏に外へ出かけるのはあんまり好きじゃなかったのに。
今ではそれでも構わないから日本の町並みをもう一度歩きたいと思ってしまう。
もう一度あの景色を見たい。
もう一度あの馴染み深い空気を感じたい。
そう、たった一度、ほんの一瞬でも構わないからあの場所へ帰りたいと。
心の中から切実に願ってしまう。
20年以上住んできて見慣れた町並み、夕焼けに沈んだ何気ない光景。
それらを思い出すと口元が緩む。
同時にぐっと懐かしさが沸き上がる。
ああ、きっとこういうのをホームシックと言うんだろう。
普段は気に留まなかった景色が今ではあまりにも恋しくて堪らない。
外国に出て働いてる友人が時々「日本が恋しいよ~!」と愚痴る気持ちが今では痛いほど分かる。
うん、確かにこれはきつい。
家と親、友はもちろん、あの性格悪い妹さえ懐かしくなるほどだ。
普段はこっちに文句ばかりなのに金が必要な時だけ甘えてくるあの性悪すら恋しくなるとは、恐るべきホームシック。
認識改編、いや、もう洗脳レベルでは?
しかし、だからと言ってあっさり日本に帰ることもできない。
根底からして帰る方法すらわからないのだ。
まず俺が今いるここが日本と遠く離れた場所なのは間違いない。
他郷と言えるだろう。
……いや、うん、「でもそれがどうしたって言うんだ」とそう言われるかも知れない。
いくら遠く離れた外国だろうと、金さえあれば飛行機に乗って帰ることはいつでも出来るから。
でもそれすら不可能だったらどうすればいいのか。
飛行機に乗っても帰ることが出来ないのなら?
そんな話で纏められないのなら?
「おい、野郎共!!何を手間取っていやがる!獲物はたかが2匹!しかも小型じゃねえか!休みすぎて体が怠けったか、あん!?そんなザマじゃあ、今日の夜は宴会じゃなく、強化訓練確定だぞ!」
「はあぁぁぁぁぁぁ!?おい、ふざけるなよ、シグマ!!こいつら、見た目は小型だけど力は並みの中型以上だぜ!?下手したら中上型クラスの連中なのに、んな横暴があってたまるかよう!!」
「そうだ、そうだ!そこまで言うならおめぇも戦えよう!そんなところで偉そうに言ってなくてよう!」
「……ったく。司令官に前線に出ろと言いやがるとは、本当、頭悪い連中ばっかりで困るぜ。うちの連中は何でこうなのかねぇ?」
周りに響き渡るのは男達の叫びと殺意が込められた獣の咆哮。
それによって思索にふけていた精神が見たくもない現実へと引き戻される。
いやいやと地に倒れている体を起こすと、未だに信じがたい光景が広がっていた。
どう見ても現代の日本とは思えない、時代錯誤的な革鎧を着ている筋肉おじさん達が化け物を囲み、検と槍で戦っている。
そう、化け物だ。
例えも、冗談でもなくマジの化け物である。
頭は獅子、体は熊に似ていて、二足歩行しながら狂暴に拳を振り回している。
おまけに背には翼まである。
蝙蝠みたいな奴だ。
まさしくファンタジー、映画にしか見えない光景だがこれは間違いなく現実だった。
少なくとも今の俺にとっては。
目を閉じ夢だと思いたくても、地に倒れていた皮膚では砂の感触が生々しく伝わってきて、化け物と男達が戦う音もまた、あまりにもリアルで現実逃避する余地すらない。
これが日本に帰りたくても帰れない理由。
外国にいるから飛行機に乗って故郷に帰るとか、そんな簡単な話ではない。
そもそも世界すら違うのだ。
すなわち、俺はいわゆる異世界転生とやらをしたという訳だ。
転移ではない、転生なのである。
今の体は、元の俺の体ではない。
気が付けばいつの間にか今の体になっていて、全く違う世界へ迷い込んでしまった。
まるで憑依でもしたような感じ。
そんな状態に始めて陥ったのが大体、一ヶ月前であった。
時々読んだ小説とかラノベでよく見る展開だな。うん。
……まあ、ここまではいい。
今でも何で俺がこんな出来ことに巻き込まれたのか全然わからないし、理解もしたくないが、とにかく転生はしたと。
でもそれなら普通は何かのチート能力を一つや二つ貰うべきではないだろうか。
それとも綺麗な美小女と出会って幸せに暮すのがお約束じゃない?
こんなことをつい考えてしまう俺は俗物かも知れないが、転生した当初には若干ながらそんな期待も持ってはいた。
しかし、やがてここが何処なのかを気付き、俺はそんな期待も捨ててしまった。
そう。俺は知っている。
俺が転生した、この頭おかしいファンタジー世界のことを。
「………………」
ここは他でもないゲームの世界。
しかも【硝子の夜明け】という乙女ゲー厶の世界だった。
綺麗で優しい女主人公が王立魔法学院で各国の王子やら、皇太子やら、とにかく偉くてイケ面な攻略対象達とイチャイチャして、危機に瀕した王国を助けるという、よくあるストーリーの世界。
今どきには珍しくも選択肢だけで進行するノベルゲーム形ではなく、本格的に主人公と攻略対象のイケ面達を育て、戦い、イベントとボス戦をクリアしなくてはならない、RPG要素が主流のゲームだった。
そのくせ、乙女ゲーとは思えない超ハードな戦闘難易度や、めちゃくちゃ頭を使わせるギミック(と書いてチートと読む能力)を持つボス達。
後日談を見るために解禁する隠しボスはラスボスとは比べない程クソ強いとか、そもそも解禁すること自体が攻略を見ないと無理な程きついとか。
「いや、これ本当に恋愛中心の乙女ゲー?どうしてこんな頭おかしい難易度なの?これ作った人は何考えているの?」と大半のプレイヤー達に言わせた鬼畜極まりないクソゲーである。
ちなみに男の俺が何でこんなことを知っているのかと言うと、以前直接プレイした経験があるからだ。
と言っても別にやりたくてやったわけではなく、先ほども少し触れた友人のせいだ。
昔、そいつと徒にやった賭けに負け、罰ゲームとしてやったのがこの乙女ゲ─だった。
……後になってあいつがズルしやがったのを気付いたが、時すでに遅し。
目出度くもやりたくない乙女ゲーを全部クリアした後だった。
しかも感想文付きで。
……でも、結構楽しんだのも事実だった。
男達が赤面になってデレるのを見ても全然嬉しくないので、ストーリーは殆んどスキップしたが、戦闘システムは本当によく作られており、ボス戦や色んなダンジョンを攻略しようとかなりやり込んだ記憶がある。
特にその中でも'隠しボス'は理不尽なほど難しく、何とかしてクリアした時には自分へのご褒美として俺をこんな苦行に陥れた友人を殴りに行った。
「これ本当になんで乙女ゲーで作ったの??」という考えは最後まで消えなかったが、そこは置いておいて。
まあ、あの鬼畜難易度だからな。きっとあんまり売れなかったに違いない。
とにかくこの世界は俺が以前やってたあの乙女ゲームで、問題は俺が男ということ。
そう、よりにもよって男の俺は乙女ゲーに転生してしまったということだ。
綺麗なヒロインと出会い、幸せに暮す?
残念だがこの世界の主人公は女の子である。
しかもイケ面達を攻略してイチャイチャする乙女ゲームだ。
この世界があの女主人公を中心に進む以上、当然ながら俺は完全に外野の人間。
つまりただのモブキャラだ。
綺麗な美少女と仲よくなるとか、そんな都合のいい出会いなどあるはずがない。
そもそもあの鬼畜難易度が反映でもしたのか、この世界のモンスターたちは馬鹿げている程強く、ちゃんと生き残られるか心配になるくらいである。
チートなど全くない俺としてはそんな出会いを果たす前に、どう生き延びるかを先に考えねばならない。
…………うん、まあ、ここまではよしとしよう。
そう。
ここまでは色々と文句は有るけど、いや、本当に言いたいのは山ほどあるけど、まだ大丈夫なのだ。
転生した場所が乙女ゲーだとしても、主人公や攻略対象のイケ面に転生しなくても、俺は別に構わない。
何しろ俺には知識がある。
この世界で何が起るのか大体は全部知っているのだ。
これは絶対的なアドバンテージに違いない。
これを活用して何とか金を稼ぎ、ゆっくり元の世界に帰る方法を探すのが賢いやり方だ。
そう、そのはずだった。
今、俺が瀕している本当の問題は、転生はしてもそれが普通のモブキャラではなく……
「おい、カイル!!お前もお前だ。いつまで休んでいるつもりだぁ?俺は一人前も出来ないろくでなしの面倒をずっと見てやれる程、優しくねぇぞ?もう傷の痛みも消えた頃合いだろうが。仕事の時間だ。ほら、お前も行ってこい!!」
耳に響く怒涛の指示が再び俺を現実へと引き戻す。
少し前に、あの化け物に容赦なく蹴られた腹が痛むが文句を言えるはずがない。
俺が渋々と戦いが続いている現場へ足を運ぶ素振りを見せると、鋭い目付きをした黒髪の男は髭をさすりながら満足げに笑った。
「おう、いい根性だ。そうこなくてはな。一発でも構わんからとにかく打ち込んで来い。働かざる者食うべからずだぜ、わかっているな、カイル。」
「はい!!もちろんです、お頭!」
「……いいのか、シグマ。こいつはまだガキだが。」
もう泣きたい思いを堪えながら出来る限り笑って返事をすると、この集団の頭、シグマの隣に立っている大男が静かに反対し俺を睨む。
その目は細まり、俺をじっくりと観察している。
そりゃそうだろ。
だって実際の中身は大人でも、今の俺は子供の姿なのだ。
そう、よりにもよって俺は子供に転生してしまった。
今年でようやく10才になったばかりである。
そんな子供が大人達でさえ手古摺っている化け物に向かうのだ。
俺でもそんな目でみるわ。
って言うかこんな子供にあんな化け物と戦わせるなよ。
いや、マジで。
「そう言うな、ジャン。せっかくカイルもやる気じゃねえか。部下の意思を尊重してやるのも、いい上司の条件なんだぜ?」
「だが……。」
「大丈夫です!やれますよ!!」
もちろん嘘だ。
あんな化け物、元の体でも戦いたいとは思わない。
しかも今の俺は子供の状態だ。
一歩間違えると確実に死ぬ。
先は化け物が暴れる動きに巻き込まれ、偶然にも腹を軽く蹴られた程度で終ったが、その程度すら現実逃避したくなる痛みだった。
本気で打ち込まれたら死んでいただろ。
だが、だからと言って「怖いからいやです」と言うことは出来ない。
俺の前に立っているこの黒髪の男は容赦がない。
必要ないと判断すると躊躇なく捨てる。
それが人だろうと、物だろうと。
……それは駄目だ。
今化け物にやられるか、後でシグマに殺されるかの差でしかない。
「僕は大丈夫です!やらせてください!」
故に叫ぶ。
このガキはまだ使う価値があると思わせる。
今俺が置かれている状況を考えると泣きたくなるが、それを顔には出さない。
顔は笑っていても心は泣いていると言えるだろう。
まさしく道化と何ら変わりない。
もしかしたら俺はピエロの才能があるかもしれないな。
うん、自分でも何を言っているのかさっぱりだ。
もう家に帰りたい。
なんでここにいるの、俺。
「よし、よくぞ言った!気合いは充分だな。何、あんまり心配すんなよ。ガキのおめえに奴らの息の根を止めろとは言わん。だがお前も今年でもう10才だ。今後、傭兵として生きていくのなら、少しは生きてる奴の腸をぶち抜く感覚にも慣れておかねぇとな。いつまで死体ばっかり、いじってなくてよ。」
「はい!!楽しみです!!」
知りたくもなっかたよ。そんな感覚。
子供に何を教えようとしているの、この人。
「うむ、そうだな。まあ、ちょっとしたアドバイスをするなら……、うん、首だな。まずは首を切る感覚から慣れておけ。特にどの角度、どの辺りから刺せば良いのかは早めに覚えておけよ。そうすると……」
「おい!!シグマ、ジャン!そっちに1匹行ったぞ!!手負いだ!!」
突然の大声で振り向くと、先から狩られていた化け物の内、一匹がこちらに迫っていた。
血まみれで今でも息が切れるように瀕死だが、それでも先天的な身体能力は凄まじく、突進を防ごうとする傭兵達を軽々空中に蹴り飛ばしている。
必死。
それ故の迫力と殺気。
目は赤く燃え、全身の傷から血を吹き出しながらも止める気配など微塵もなく、その視線は確実にこちらに向いている。
逃走路の先にいる俺達を邪魔物と認識したに違いない。
奴は威嚇でもするように雄叫びを上げ、地面を揺らしながら突貫して来る。
「シグマ。」
「ああ、丁度いいねぇ。おい、カイル。良く見ておけよ?急所というのはな。これだから早く覚えないと損ってもんだぜ。」
不敵な笑みを浮かべながらシグマは前へ出る。
あの化け物と比べるとあまりにも小さい短剣だけを片手に持ちながら。
他でもないあのシグマだ。
ゲームで飽きるほど見てきたキャラクタだし、多分大丈夫とは思う。
てもあの生々しい殺気を目の当たりにすると、本当にあれで大丈夫なのかと、不安が過ってしまうのも事実だ。
そんな俺の不安に気付いたのか。
隣に立っていた巨漢、ジャンが小さく笑って見せた。
「まあ、黙って見ていろ。」
「おぉぉぉい、野郎共――!!邪魔だ!!横に引っ込んでいろ!!」
シグマの怒鳴りを聞き、暴走する怪物を止めようと走って来る男達が足を止めた。
命令だから止まりはしたが、その目には懸念が見える。
つい先まであの怪物と直接戦っていたのだ。
その腕力と頑丈さをよく知っているせいだろ。
俺もほんの擦り程度の蹴りとはいえ、あの怪物にやられ地面を転がったからわかる。
あれは生身の人間が真っ正面で戦える相手ではない。
何しろ周りの樹を根こぞき引き抜いて片手だけでぶんぶん振り回せる程の怪力だ。
それがいくら手負いとはいえ、あそこまで狂暴になっているのなら誰でも身が縮こまるに違いない。
だが。
「ゴオォォォォォォォオオ――――――――!!!」
「ハッ、元気の良いことだな。ゴオ、ゴオっと健気にずっと叫びやがって。いい加減喉が痛くないのかねぇ?」
短剣を持ちながら男は余裕に振る舞う。
口元は笑みを作り、目は自分に向かってくる怪物を鑑定でもするように見下ろし、あくまで自分が有利だと言うような態度を取る。
地面が揺るがる。
殺意が込められた視線がシグマ、たった一人に固定される。
埃と土煙を撒き散らしながら肉薄する怪物はシグマとぶつかる直前、翼を羽ばたかせ跳躍。
飛んでいないかと思ってしまう高度まで飛び出し、獅子の咆哮を哮りなから落下を始める。
確実に仕留めると言わんばかりの動き。
獣の腕力と怪力、重力を全て合わせた拳が容赦なく地面に炸裂し、爆弾でも爆発したかと勘違いするような爆音が響き渡った。
「うおおおおおい!!」
「なっ、シグマの旦那!?!」
「お頭!?」
地震と何ら変わりない程の揺れが森を激しく揺さぶり、地面に亀裂が生じながら爆風が巻き上がる。
土煙のあまりの濃さに何がどうなっているのか全くわからない。
これまでの揺れ、威力だ。
普通なら木っ端微塵になるはず。
「だが」という考えが頭に過る。
平凡な一般人ならあんな一撃、耐えられるはずがない。
一溜まりもなくやられ、只の肉塊になるはずだ。
しかし俺は知っている。
あの男、どう見てもごろつきにしか見えないあの髭と黒髪の男がこの乙女ゲーでどんな役割を背負い、それに伴う能力を持っているかを。
「終わったな。」
隣に立っているジャンがつまらないように呟くのが聞こえた。
それは聞いて俺も確信する。
まだ土煙でよく見えないが、きっとこれで終ったのだろうと。
だってあまりにも静かなのだ。
つい先まで絶えなかった咆哮は聞こえず、なにか重い攻撃が繰り広げらる音もない。
ただの静穏、何事もない森の静かさだけがそこにあった。
やがて煙は静まり視野がはっきりする。
そしてその光景が見え、俺を含め殆んどの傭兵達は沈黙した。
たた一人、恐らくこの中であの男と一番付き合いが長いジャンという大男だけが、鼻で笑いながら退屈な顔をするのみだった。
「やれやれ、牛の首を切るのは屠畜職人がやる仕事だろうに面倒くっせえなぁ。ああ、いや、こいつは牛じゃなくて獅子だっけ?いや、熊?……まあ、何でもいいか。」
土煙が消えた現場で現れたのは亀裂だらけの地面と、傷一つなく平然としているシグマ、そして首から大量の血を流しながら倒れている怪物だった。
正確に何が起きたのかはわからない。
ただ、全てが終ったという結果のみが残されでいる。
シグマが持っている短剣に血が付いているのを見ると、あれで仕留めたのは間違いないが、いったいどうやったのが全く見当もつかない。
「よう、カイル!よく見たか?急所さえちゃんと捉えていりゃ、ほら。こんな風に無駄な力を使わず簡単に終るってわけだ。」
「いや、その……、お頭が何やってたのか全然見えなかったっス……」
「はあ?!おいおい……、お前の目は節穴かぁ?そりゃよ、一発で真似してみろとは言わないがよう―!さすがに全然見えなかったはねぇだろ。やる気あんのかの話だぜ、ったく。」
シグマが心底引いている顔で舌打するが、それは俺が言いたいことだ。
いや、本当にあっと言う間、しかも埃と煙でよく見えなかったのにそれをどうやって見ろと言うのか。
ゲームでも無茶苦茶だったのに実際に見ると尚おかしい。
ゲームでこいつに毎度勝っていた主人公達は何なのか。
俺が育成してクリアしたとはいえ、こうして直接見るとマジで頭おかしい。
シグマといい、これ以上のはずである女主人公といい、モブの俺とはあまりにも違う世界だ。
いや、本当にお前たち俺と同じ人間なの?人外じゃない?
「……あんまり無茶は言うな、シグマ。まだガキにお前の動きを捉えろと言うのはさすがに酷だ。大体、今のをちゃんと把握出来たやつはこの中でも殆んどいない。」
俺が呆れているとジャンが静かに俺を庇ってくれた。
この人、見た目はめっちゃ怖いし、どうしても威圧感を感じるけど根はいい人だろうか。
……なんてね。
俺がこの世界のことを何も知らなかったらそう信じたに違いない。
だか俺はこのゲームを隠しボスまでクリアしたし、大体のストーリーは把握している。
当然ながらこの人たちの成り立ちや素姓も知っているということだ。
そして、これこそが今、俺が置かれている最大の問題といえる。
「おっと。こうしている間にあっちも終ったか。」
俺が忘れていた懸念を思いだし悩んでいると、そのような言葉が聞こえた。
なるほど、確かに。
こちらへ逃げてきた1匹を仕留める間、向こう側では戦いが続いていて、ちょっど今終ったらしい。
もう一匹の怪物が唸り声を鳴きながら倒れていく。
死体を囲む20人程度の男たちが安堵と勝利を祝う雄叫びを上げているのを見ると複雑な思いだ。
……あのように大勢の人たちで対応するのをたった一人で片付けるとは。
さすがというべきか。
改めてこの集団のボスと今の俺の間に存在する力の差を実感してしまう。
……うん、やっぱり一ヶ月前に考えた対策は間違いではなかった。こいつと正面で対決するのだけは必ず避けないと。
「お頭!あのモンスターから素材回収して来ます!捌いた後、肉はどのくらい持ち込めばいいでしょうか!!」
「うん?ああ、そうだなぁ……後一ヶ月はここに滞在する予定だし、まあ、そのくらいかね?村で貰う分もあるし、そこまで多くは必要ねえぞ。」
「了解ッス!適当にって事っすね!じゃあ、行ってきます!」
「お、おう。お前、最近かなり変わったな。以前はもうちょっと内気だったようだが。」
「お頭のお陰ッス!」
「……俺、何かしたか、ジャン?」
「知らん。」
首を捻る二人を置いて急ぎ怪物の死体へと走る。
怪物を仕留め、その片ずけをしようとしていた男たちは俺が走ってくるのを見ると、嬉々として話しかけてきた。
「カイル!!なんだ、なんだ!そんなに急いで。また、死体捌きってか??」
「はいっ!僕の得意分野ですからね!先輩方はどうか!ゆるりと休んでください!!」
「がははははは!!てめえも段々わかってきたな!先輩に対する礼儀を学んでいるようで安心したぜ!」
「……本当変わった奴だな。こんな面倒な事をよく自らやると言い出すもんだ。」
「まったくだぜ。こんなつまんねえ作業は奴隷か捕虜に押し付ければいいのによ。確か要塞に一人捕まったガキがいなかったか?」
「おいおい、そう言うなよ、てめえら!カイルの奴が殊勝にも面倒事は全部自分がやるって言っているだろが。さっさと帰って酒でも飲もうやー!」
相当に嬉しいのか俺の背中をパンパンと叩く人がいれば、呆れる顔で俺を意味深に見る人もいる。
その他にも後で肉や革が傷付いたり、素材が毀損すると覚悟しろと意味もなく脅す人や、それをやると臭うから全部処理して洗うまで近くに来るなと自分勝手な事を言う人もいる。
反応は様々だが、共通的にこんな面倒事はやりたくないという考えがあり、俺をパシリのように思っている。
誰一人も自分がやるから大丈夫とか言い出す人はいない。
まあ、知っていたけどネ。ウン。
「じゃあ、お先に失礼するぜ~、剥ぎ取り気張れよう~。」
「はいっ!お疲れ様でしたっ!」
深く腰をかがめお辞儀をして、どう考えてもごろつきである先輩達を見送る。
ここまでの会話を見ると気付くだろう。
今の俺は乙女ゲーの世界に転生はしても、かなり特殊な環境に来てしまったということを。
どう考えても魔法学院を通いながら美男美女が幸せにイチャイチャする世界とは思えない。
何これ、ジャンル違わない? と言うレベルである。
しかし、何も不思議がる事はない。
おかしい点などないのだ。
ここは俺がプレイした【硝子の夜明け】、あの乙女ゲーの世界で間違いない。
愛の力で王国を救うという頭が花畑な世界だ。
たが、俺が転生した人間はこの物語の主人公であるお姫様も、才能と金、外見までイケ面な王子様達でもない。
ただのしがない傭兵、しかもその見習いの少年である。
そしてこれこそが最大の問題だった。
何故ならこの傭兵団は原作で悪役として出てくる連中なのだ。
つまり、今の俺の状態を一言で纏めると'悪の組織の雑魚キャラA(見習い)'である。
「……いや、本当に何でだよ。」
「うん?何がだ、カイル。」
「ひいいいいっ!お頭!?」
周りに人が無くなったと思い呟いたら、後ろからかすれ声が聞こえビックリしてしまう。
俺が慌てて後ろを見ると、先まであっちにいたはずだったシグマがいつの間にか、すぐそこに来ていた。
「そんなに驚いてどうした?なんか疾しいことでもあんのか?」
「単に驚いただけですよ!!帰ったのではなかったんですか!?」
「おめえに言われずともさっさと帰るわ、間抜け。だがまあ、どうやらあの馬鹿どもがまたお前に面倒事を押し付けたようでよ。その景気付けにな。」
景気付け?
何だろう。
金を沢山くれて、「もうお前の好きに暮らしな」と自由を与えてくれるとか?
ここから解放してくれるん?
心の中から今一番欲しい展開を考えていると、聞こえてきたのは全く違う内容だった。
「そいつらをある程度、解体したら俺の元へ来いよ。帰ってきたら稽古をしてやる。お前、前からしてくれ、してくれとせがんでただろ?ここ最近、かなり頑張っているようだからよ。そのご褒美ってわけだ。どうだ、嬉しいだろ!」
「あ……」
「うん?何だ、嬉しくねえのか?」
あ、しまった。
あまりの拍子抜けに呆然としてしまった。
その稽古とやらを頼んだのは以前のカイルであって俺ではないのだが、シグマがそれを知るはずがない。
……気を付けなければ。
今のは素の反応じゃないか。
こいつに憧れている少年を演じないといけないのに。
「違いますよッ!あまりの感激に言葉を失ってしまいました!!本当に僕と稽古してくださるんですか!?お頭!!」
自分で考えても本当図々しいと思う。
何、この手のひら返し。
この一ヶ月の間、変な方向のスキルが磨かれているようで悲しくなる。
目を輝かせ上目付きをするとシグマの奴も嬉しいのか豪快に笑い始めた。
まあ、俺が転生、いや、憑依?
……とにかく俺が転生する前のこの子は本当にこいつを尊敬していたようだからな。
幼い頃からこの集団にいてシグマを見てきたんだ。
そりゃそうだろうと納得してしまう。
特に目の前のこの男がゲームの中でどんな役と力を持っているかを考えると余計にそう思ってしまう。
……何も知らない子供が見るとまあ、尊敬するだろうな。
こいつらがやっていることがどれ程外道な事か、よく理解してないのだから。
「…………。」
「よし、じゃあそういう事で。素材回収もいいが、今回はあくまで要塞に近付く奴等を片付けただけだからよ。あんま長くまでする必要はねえぞ。肉もそこまで必要ないから適当にやれ。むしろ大雑把にして死体を周辺に散撒くと良い。ご都合だからな。」
「え?それはどういう事っすか?」
「隠れている鼠共にはいい見せしめになるってこった。」
俺が首を傾げるとそれを見てシグマはいたずらっ子のように笑った。
絶対俺を見て面白がっているな、こいつ。
シグマの真意はわからないが、とにかくわかったと頷くとシグマは適当に手を振りながら遠ざかる。
その間、他の傭兵達はとっくに撤退していていた。
シグマと遠くでそれを待っているジャンまでもが馬に乗り行ってしまうと、ようやく俺と二つの死体だけが現場に残る。
「はあ……。」
やっと一人になったという安心感で足の力が抜けてしまう。
そのまま座り込むと自ずとため息が口から零れ落ちた。
……何故俺はこんな理不尽な状態に陥ったのか。
転生をしても何故乙女ゲー、しかもこんな悪役組織の見習いに転生してしまったのか。
俺はそこまで欲がない。
何事も大半は満足しながら生きてきたし、他の人が持っている物や能力にそこまで嫉妬したり羨ましがる事もなく、今の自分自身に納得し、満足しながら生きてきた。
チートなど別にいなくても構わない。
そんなこと貰ってもむしろ困る。
そりゃ、最初は嬉しくて喜ぶだろうけど、でも本来俺が持っていた物や学んだ技術でもないのにそれで無双するとか、どうしても後ろめたさを感じてしまう。
烏滸がましいのも程があるので正直チートなどはこっちから願い下げだ。
……それにここは元々乙女ゲーだからな。
主人公キャラは当然女の子だし、ライバルである悪役令嬢も女である。
正直それで転生しなかったのは本当によかったと思う。
俺は既に20年以上男として生きた身だ。
今更、TSされるとかマジでキツイ。
……でもな。それでも、もうちょうとマシな転生先があるんじゃないか。
何でよりにもよって、俺がゲームでボコボコにしていた三下に転生するんだ?
「ぐへへ、かわいい顔してるじゃないか~」みたいなことを言って、軽く負けた後「く、くそ!!覚えていろよ!!」と言いながら逃げ出す奴に転生するの?
こんなのおかしいだろ?
只の村人Aよりも質が悪いじゃないか。
「あ、やばい。吐けそう。」
今の現状を見返すとまた吐気がする。
俺はもっと平凡な役に転生しても満足して生き抜いたはずなのに、何でこの【黒きサソリ】の一員として転生してしまったのか、まるで理解できない。
……そう、【黒きサソリ】。
【黒きサソリ】だ。
この【黒きサソリ】が一番の問題なのだ。
この集団はあの【硝子の夜明け】をプレイした人ならば忘れたくても忘れない集団であった。
全てのルートに必ず登場し、見事にやられる悪役たち。
それがこの【黒きサソリ】である。
表側は傭兵団と宣うがその実、只の強盗となんら変わりがない。
金を得ようと色んな戦争に首を突っ込み、戦争が無い時には普通の村へ行って休みを得る。
……傭兵達は休みと言うがその実、強盗、略奪、侵略行為だ。
冬を過ごそうと食糧を備蓄する村を襲い略奪して、女は犯し、反抗する人々は殺す。
その様は見るに堪えないほど残酷で悲惨だった。
先ほどのシグマも、ジャンも、あの連中は一人残らず否定しようがない悪人達なのだ。
この一が月、今の状態に転生してから俺はそうやって潰した村を三つも見た。
それをすべて最後まで目撃して、俺ははっきり認識した。
こいつらは簡単に殺る。
なんの躊躇もなく、良心の呵責もなく、まるでこれが当たり前のように殺し、犯し、奪うのだと。
……以前はともかく、今の俺はたかが10才の身。
それを止められるはずもなく、むしろ一番下っ端で、力のない子供である分、酷い扱いをされやすい状態といえる。
実際、体には俺が知らない傷が結構多い。
恐らく、俺が転生する前の'カイル'があのごろつき共にやられた痕跡だろう。
「………………」
そこまで考えがいたると、やたら頭が重くなる。
重ねて言うが、この組織は原作では悪役として現れる。
攻略対象のイケ面の一人が雇い、裏で操っていたのだ。
確かそいつの名前は……。
……うむ。
…………………。
……………………………。
うん。
とにかく攻略対象の一人がこいつらを雇って、主人公であるお姫様を自分の物にしようと企んでいた。
そのせいで全てのルートに全登場するのがこの【黒きサソリ】である。
名前?
忘れた。
やつの見た目とスキル、能力値は全部覚えているのに不思議な物だ。
ちなみに悪役令嬢達は名前もちゃんと覚えている。
可愛かった。
なんでこの子達は幸せにならないのかとゲームしながら理解できなかったな。
まあ、いざボス戦に入るとあまりのチートさにそんな印象、全部消えたけど。
俺が必死に展開した無敵スキルを無敵解除と特攻で10倍のダメージを叩き込まれた時には悪魔にしか見えなかった。
しかも無敵を無視して何倍返しするインチキスキルを悪役令嬢達は全員持っていたし、じゃあ何で無敵スキルを作ったのか訳がわからん。
……まあ、とにかく、すべてのルートに皆勤する【黒きサソリ】だが、実際のプレイヤー達には'やられ団'と呼ばれていた。
5人の攻略対象と、隠された6人目のルートまで全部出てくるくせに、主人公と王子達に全然勝てず、あっさりやられるので付けられたあだ名た。
団長であるシグマや、その腹心であるジャン以外は頭が悪く描写され、戦闘でも雑魚という言葉以外浮かばない程弱い。
まあ、シグマだけは世間で'傭兵王'と呼ばれているという設定で、事実の中間ボス的な役割を任されている。
どんなルートだろうと必ず戦い、主人公達を苦戦させるボスとして悪名が高かった。
まさしく他のゴロツキとはまるで違う別格と言える。
ストーリーは殆んどスキップし、戦闘やダンジョン攻略だけに集中していた俺としては主人公並みに見慣れた相手だ。
だから名前もちゃんと覚えていたわけだし。
だがゲームで俺をずっと苦しめたシグマでさえも、シナリオに逆らうことは出来なかった。
あいつを含めこの【黒きサソリ】は結局、たった一度も幸せな結末を迎えることがないのだ。
各攻略対象達には相応の悪役令嬢が存在して、自分が出るルートてはないのなら悪役令嬢といえど酷い目に遭うことはないが、この【黒きサソリ】は違う。
すべてのルートに必ず出てきて、どのルートでも必ず敗北し滅ぶ。
しかも悲惨に、今までの応報を受けるかのように。
故にやられ団。
決して勝利する事はなく、生き延びる道もない哀れで因果応報な連中という意味のあだ名。
それが今の俺がいる組織だった。
「本当何でこんなところへ転生したの、俺……」
日本で平和に生きてきて、普通に過ごしていた男。
ある日、何の兆しもなく突然転生したら、そこは誰もが夢見る綺麗なヒロインとの出会いもなく、チートを使ってのんびり過ごすこともない、男の俺とは全く関わりのない乙女ゲ─の世界。
そして転生先はやられ団と呼ばれ、毎度主人公達にボコボコにされながら破滅する悪役組織、【黒きサソリ】。
どう見ても幸せとは距離があり、この世界がどんなルートに入っても最後には悲惨な結末しか存在しない、言わば死亡フラグ集団。
その一番下っ端で、才能も何もない10才の雑魚キャラAという現実。
それこそが、今'カイル'と呼ばれている俺、石田 栄一郎が置かれた、残酷で悲しい現状であった。
……神は本当にいるのだろうか。
もしいるのなら、なぜ俺にこんな仕打をするのか。
俺が何か罰当たりな事をしたのか、真剣に悩んでしまう。
ともあれ、今はまだ俺が知っている原作開始の視点まで時間がある。
具体的にどれほど前かは知らないが、この一ヶ月の間ずっと観察した結果、まだシグマは誰かと契約していないことがわかった。
原作では攻略対象のあの……、
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とにかく何かいけ好かない奴を主としていたからな。
今そうでない以上、女主人公と王子達が魔法学院に入学しストーリーが始まるのはまだ先という事だ。
一ヶ月後か、一年後か、それとも数年後か。
そこまではわからずとも、決定的な破滅はまだ来ていない。
ならば、今、俺がやるべき事はたった一つ。
「……ああ、このまま大人しくやられてたまるかよ」
そう。
こんなところで黙ってやられるわけにはいかない。
現実から逃避したい思いを堪えながら俺、石田 栄一郎は覚悟を決める。
原作開始はまだ先の話。
ならば何が何でも必ずや、この歩きまわる死亡フラグ集団から逃げ出してみせると。
そう決めながら、今日も懸命に生き残るため、俺はモンスターの解体作業に掛かるのだった。