橋を訪う人・9
新書「橋を訪う人」9
当時、後継者問題に悩んでいたディニィ。彼女の周囲の者も同様だった。
しかし、ルーミとディニィの場合は、姪に当たるクラリサッシャ王女と、レアディージナ王女が既にいた。ただ、前者は神官長候補、後者は病弱なため、ディニィには、別途、跡継ぎが期待されていた。イスタサラビナ姫は、奔放な質のため、正式に結婚はしないだろう、と見なされていた。
もし、ディニィ達に子供がいなければ、サッシャ王女ということになるが、その場合、王女出身の神官長が、長く不在ということになる。ディニィは結婚のため放棄したが、ディニィの叔母に当たる、先の神官長候補は、上級神官になる前に、病死していた。王女以外が神官長に成れないわけではないが、王女でなければ権威を感じられず、神殿の力が弱まると考える人々は、何人もいた。
当時の最高聖職者、ロバリスがそうだった。
最高聖職者は、名誉職で、聖職者の中で、それだけで議会の参加資格が得られる唯一のものだった。しかし、実務上は、いてもいなくても、問題はなく、空位の時もある。現に今はいない。また、上級聖職者でも、わざわざ希望する者も、滅多にいなかった。
上級聖職者は男性のみで、政治的・宗教的な存在、というよりは、神学者の側面が強い。(教会にいるのは民間聖職者(昔は下級聖職者といった)だ。)
学者なので、政治的野心を持つ者は、あまりいなかった。というより、政治的野心があれば、上級聖職者には成りたがらなかった。騎士でなければ、上級役人か、魔法関係を目指したほうが良い。実際、ほとんどの上級聖職者は、下手に最高聖職者になって研究時間がなくなるのを嫌がったが、一部、異なる者たちがいた。そういった者の一人が、ロバリスだった訳だ。
「上級聖職者と神官が独身なのは、そもそもは王族との間に、子供を作れる、選ばれた者たちだったから、と伝えられています。やむを得ない時に、嫡出子を確保するためや、王族同士の婚姻の繰り返しを避けるため、など、諸説あります。殿下は、歴史でご存じでしょう。」
と、リスリーヌは語った。
「もちろん、そんな慣習は、廃れて幾世にもなります。今の世に、そんな慣習、いえ、因習を復活させようとしても、無理です。ですが、ロバリスは、その積もりでした。
彼は、上級聖職者にも、魔法院に相当する、政治的に強い中枢がいる、それで神殿の幹部に聖職者を据えるとして、王女の身分を越える権威が必要と考えていました。女王陛下が王位を継ぐ道を歩むと、その前提がなくなります。ただ、これは、後で彼の弟子から聞いたことなので、本人から聞いた訳ではありません。
彼は議会には出席していましたが、発言は期待されませんでした。今後のために、何か確実な物が欲しかったのではないかと思います。
彼は、ディニィ様に直接申し上げる前に、当時の神官長に提案しました。当然、反対されましたが、副神官長のラニスは、
『ディアディーヌ様に、お話だけでも。』
と、肯定的でした。その時は、お話しは流れました。
ですが、しばらくたってから、神官長から、私からディニィ様に、お話してくれないか、と言われました。
ロバリスは、とても熱心で、何度も神官長に提案し続けていたようです。私は、ためらいましたが、ご本人から断られれば、納得するだろう、と、『友人として』、『神殿からの提案』をお伝えすることになりました。もちろん、ディニィ様は断りました。後継者の必然性は、お分かりでしたので、とても悲しそうなお顔でした。
それで、この話は終わった筈でしたが、ロバリスは、諦めていませんでした。またしばらくして、神官長から、私に、『候補者のリスト』が渡されました。ロバリスは、すでに、自分の弟子の中から、身分が低く、家族の縁が薄い者を、『候補』に挙げていました。
その一人は、私の秘密の甥でした。
私の姉は、まだ少女の頃に亡くなりましたが、それは出産のせいでした。姉は、王都での、ラエル伯爵のお屋敷に仕えて、伯爵夫人が宮廷に参上する時には、お供していました。相手は解りませんが、騎士か、貴族のご子息の誰か、と聞いています。私は御名前は聞いていませんが、結婚の約束が反故になってしまい、姉はこっそり出産し、子供は養子に出すことに決まったそうです。
私が上級神官になった時に、父が亡くなり、その時に、子供が男の子で、孤児院から、ある商家の養子になっていた事が解りました。その商家は、何人も養子を取っていましたが、その後に跡取りが産まれたので、甥は聖職者を目指すことで、身の振り方を考えたようです。
候補が甥であることは、私しか知りませんでした。甥は私のことは知りません。
神官長は、私の動揺を、話を蒸し返したからだと思われたようです。彼女は、ロバリスから説得されたようで、
『もう、個人的な問題ではないのです。』
と言いました。
ロバリスがここまで熱心で、野心的な人であれば、いずれは実現してしまうかもしれません。強引な方でした。候補選択にも現れていました。
例えば、甥は背格好はルミナトゥス陛下に似ていましたが、髪は暗い褐色でした。他の候補も、金髪でも陛下には似ても似つかずだったり、色白でも顔立ちが東方系だったりで、正直、ばれてしまうだろう、と思われました。髪の色を除けば、甥が一番適任でした。
ですが、もし甥が選ばれたとして、後はどうなるでしょう。ロバリスは名誉や権力を手に入れますが、後ろ楯のない甥は?ディニィ様のお立場は?
神官は妊娠しにくく、
成功するとは限りません。しない確率のほうが高いでしょう。結局、ロバリスの下に、邪な力が、集まるだけです。
私は、ディニィ様の友人でしたが、副神官長の立場だったので、神官長に、決定的に強く意見する事は出来ません。ロバリスには、微妙でしたが、神殿を差し置くわけにはいきません。ですが、妙に熱心なラニスが
『光があると妊娠しにくい、という迷信があるから、それをうまく使えば。』
『陛下が長期にお留守な今が、その時期では。』
と言い出すのに、いてもたっても、いられませんでした。
国王陛下にお話することなく、止めるにはどうしたらいいかと思い、私は、ヴェンロイド師にお話しいたしました。
ディニィ様は、その頃は、師のお気持ちには、気付いていました。師が御結婚なさらないどころか、決まった恋人もお作りにならなかったのは、自分のため、だと言うことにも。
私は、ディニィ様の、師に対する罪悪感と、師の、ディニィ様を思う気持ちに、漬け込みました。
私が、神官長の意見として、お話しした時の、ヴェンロイド師の表情は、未だに忘れられません。
『そんな説得を、僕が?』
とおっしゃいました。
『必要は理解している。だけど、王妃は、僕の一番…一番、身近な、義姉だ。夫の国王陛下は、たった一人の兄だ。
聖職者の地位に居座り続けただけの、凡人の野望に、付き合わせるなど、出来るわけがない。』
口調こそ、きっぱりとしていましたが、表情は、まるで、小さい子供のようでした。
『リスリーヌ、あなたも、反対なんだろ?』
と言った声は、震えていました
。
『私が反対だとしても、それだけでは、もう『駄目』なのです。少なくとも、ロバリスに利用される事態は、避けたいと思いました。だから、貴方に相談したのです。
最善の結果は望めないにしても、少なくとも、ディニィ様が納得されるように、お話だけでも、願えませんか?』
そう申し上げると、
『わかった。話だけは、させてもらう。だけど、僕は、姫…王妃様の意思に添いたい。』
とお答えになりました。
私は、ディニィ様には、ヴェンロイド師が、神殿の内部の不穏な動きについて、相談したいから、私と三人で、夜中に人目につかない、静かな場所で面会したい、という旨をお伝えしました。
そして、私は、そこには姿を見せませんでした。異変があったら、わかる程度の所に、控えていました。
グラナド殿下が産まれてから、もしヴェンロイド家の姿を色濃く残してしまっても、微量の魔法結晶で、赤ん坊の色素だけなら、一時的に調整できます。男性は、まず聖魔法は使えませんが、そう、色素だけなら。
それに、もしかしたら、陛下に似る可能性もありました。両親ともにラッシル系でも、産まれた子供三人が、全員、北西コーデラ系の容姿をしていた、という一家の話しがありますから。
産室には私、神官長、ラニスを始め、選ばれた神官とお医者様しか入れず、陛下は、慣習で、直ぐには対面できません。その筈でした。
ですが、ディニィ様がご危篤になり、医師が陛下を呼びました。
私は、掛けてはならない橋を、掛けてしまったのです。」
リスリーヌが語り、嘆く中、女王も、クロイテスも、アリョンシャも、グラナドも、皆、沈黙していた。辛うじて女王が、
「甥ごさんは、どうなったの?」
と、僅かに震える声で尋ねた。リスリーヌは、
「ご出産の後、ロバリスは引退しました。クーベルで講師をしてから、しばらくして亡くなりました。甥は、着いていきましたが、ロバリスの死語は、王都で、教師をしていました。ですが、クーデターで亡くなりました。養親の一家は地方のため無事でした。遺体はそちらで引き取りました。私とは、生涯、面識はありませんでした。」
と答えた。
俺は、静まる中、ようようグラナドの、
「俺は、まだ、運命を嘆かなきゃいけないほど、不幸じゃないし、傷ついてもいない。」
が聞こえるまで、立ち尽くしていた。
やがて、女王が、退室を促した。リスリーヌだけは残り、クロイテスと俺、アリョンシャは、部屋を出た。
「あ、忘れる所だった。」
と、アリョンシャが閉じようとしたドアから首を出し、
「オネストス、君も休んで。」
と言った。さっき、ハーストンの出てきた陰から、オネストスが出てきた。
ぼうっと、焦点の合わない目をしていた。
彼に聞かれた事には、俺はわずかながら、憤りを感じた。ファイス、ハバンロ、ミルファさえいないところで、オネストスがいる。だが、俺個人の感情はこの場にはどうでもよく、クロイテスは、自然にオネストスを連れて、控えの間に行った。リスリーヌがしばらく残るから、アサーナを連れていくためだ。
俺とアリョンシャは、グラナドを私室まで送った。彼は無言で、ようやく、部屋に入る時に、おやすみ、と一言だけ言った。
アリョンシャは、
「僕は、ちょっとクロイテスのとこに寄ってから休む。君も、今日は休んで、ぐっすり寝ておくといいよ。」
と、軽く転送で消えた。
彼が後に残した風で、少し空気が冷えた。
俺は、考えるべき事がたくさんあるのは解っていたが、そのまま、自分の部屋に引き取った。
“掛けてはならない橋を掛けてはしまった。”
疑問とわだかまりを、その言葉の中に残しながら。