琥珀の灯火・5
新書「琥珀の灯火」5
オルタラ伯爵領は、火のエレメントの土地、と言われている。その主な原因は、この地に生息する、ファイアドラゴンだ。
ファイアドラゴンは、ドラゴンの中では、もっとも攻撃力があり、好戦的な種族だ。しかし、魔法力は、ほぼ皆無だ。火のエレメントが増幅するものは、魔法攻撃力なので、複合体でもなければ、大規模な驚異とはならなかった。
しかし、夏には火のエレメントの増幅と供に、行動範囲が広がる。人里まで降りてくることは滅多にない。
オルタラ伯の収入源の主たる一つは、独特の土地柄からなる、多彩な鉱山と、森林資源だ。山や森の奥深くで遭遇したら、やっかいだ。このため、オルタラ家は、昔から、魔法官やギルドメンバーを積極的に借りだし、時には傭兵を雇って、統治を続けてきた。
ここで、ルーミ達と、火のエレメントの複合体を倒した時、オルタラ伯の本屋敷のある街は、海洋都市のオルタリアだった。しかし、もともと伯爵家の本拠地は、郊外の静かな佇まいの田舎街シンシーダだった。こちらは鉱山と森林資源の街で、今は、ファイアドラゴンの生息地への入り口となっている。
聖女コーデリアの恩恵か、火のエレメントとファイアドラゴンがある反面、水のエレメントの強いスポットが点在して、火竜炎症を初めとする、熱過多に効果的な薬草の森や、豊かな冷水の湖があった。
しかし、その牧歌的な雰囲気は、今は無かった。ファイアドラゴンの個体数の現象に伴い、都会化が進んだ事もある。だが、今この時、街は荒んでいたからだ。
街は避難民で溢れていた。伯爵の雇っているギルドメンバーと魔導師、傭兵が力を併せ、彼らを保護している。俺達が駆けつけると、オルタラ伯爵本人が、妻に支えられながら、教会から出てきた。脚を負傷していた。付き従う魔導師の女性も、腕に包帯を巻いていた。伯爵は、俺達に説明をしようとしたが、駆けつけてきた男性の魔導師が、
「街の人達の薬は大丈夫です。ですが、自警団の分が、やはり充分にありません。」
と報告した。伯爵は、
「足りるはずだ。倉庫の分を使え。」
と指示した。男性の魔導師は、少し躊躇ったようだが、直ぐに踵を返した。しかし、伯爵は、一時だが彼を呼び止め、
「ハーグズはどうした?彼に指示しているはずだが。」
と尋ねた。その答えは、
「副団長は、『火の氷室』から、戻っていません。」
だった。伯爵は、驚いていたが、伯爵夫人が、
「イシウセが負傷したなら、仕方ないでしょう。ゼリア、貴女も一緒に戻って、纏めて。」
と言った。女性魔導師は、転送魔法を使おうとしたが、中断し、足で歩いて、戻っていった。
「風魔法が、上手く効かないのか。」
とグラナドが言った。伯爵は、「効かない、と言うよりは、出にくい、ですね。弱い者だとまったく出せないようです。
避難させるのに転送魔法を駆使したので、風魔法使いの消耗が激しくなっています。」
代わりに、火は力を増しているそうだが、ファイアドラゴンが相手なら、メリットにはならない。
「騎士団も魔法官もいないのは、何故だ。ここはビクタルスとマーシレアが派遣されていたはずだ。」
とグラナドが重く尋ねた。ビクタルスは、王都で、名前だけは聞いていた。優秀な隊長、と言う程度の話だったが。マーシレアは初めて聞くが、名前からして女性、おそらく魔法官だろう。
「『襲撃』のある直前に、王都から呼び戻されました。追って使いを送りましたが、まだ戻りません。」
伯爵が冷静に話したので、状況は把握できたが、続く話の内容は突拍子もないものだった。
ファイアドラゴンの子供(翼が生え揃い、飛び方を覚え始めた年代)が、大群で街に飛んできた。ファイアドラゴンは大型に成りがちで、成長すると、体が重くなり、返って飛べなくなる。だから、成長過渡期のこの時期は、機動力が最大と言って良い。だだ、親離れは、繁殖が可能になってからで、これは翼が完璧になってから、体が重くなりはじめる時期になる。この性質のため、自在に飛べるとは言え、親から離れて、子供だけで街まで飛んでくることはあまり無かった。
それが、子供だけで集団で飛んできて、親の影さえない。しかも、闇雲に火を吹きながら町中を飛び回り、建物にぶつかり、小さな個体は燃え尽きたり。明らかに行動がおかしかった。
自警団団長のイシウセは、精鋭を連れて、自ら、ドラゴンが来る方向を探索した。帰ってきた時、イシウセは外傷こそ軽いが、重い火竜炎症にかかっていた。部下達は、軽い火傷と切り
傷、擦り傷程度だった。
彼等は、森で、オレンジ色に輝く壁を見た。その壁の向こうから、小さなドラゴンが出てくる。だが、此方には気付かず、一心に街に向かう。近寄って調べるかどうか相談していたら、不意に、壁から火魔法が吹き出し、ピンポイントで、団長を狙った。
壁に穴などは無く、どこから撃たれたかも、解らなかった。が、壁の向こうに、「指揮官」がいる。
副団長のハーグズは、「火の氷室」と呼ばれる、森の中の洞窟に、「水のエレメントの武器」を取りに行った。
洞窟とはいえ、研究施設が隣接していて、転送装置もある。現在は、マーシレア一行が帰還したため、施設には殆ど人がいなかった。洞窟内部は、水のエレメントの、天然の氷室だ。そこで、何年もかかって、水魔法を徐々に凝縮して、エレメントを調整しながら、武器や防具に加工していた。銃弾レベルではなく、盾や剣である。
この技術の基礎は魔法院にもあったが、効率よく大物を生産できる場所が限られているため、実用化しているのは、オルタラ伯爵だけだった。希に起こる、ファイアドラゴンとの抗争のためである。
以前、ルーミが剣を、ユッシが盾を使い、複合体と戦った。それは俺がホプラスに融合するきっかけとなった事件だ。
副団長は、その武器を取りに行ったのだ。しかし、それだけにしては、遅い。伯爵は、戻らぬ彼に、最悪の想定をしていた。
折りも折り、子のドラゴンの襲撃が止んでいた。敵が切り札を得て、戦い方を変えたのでは、との考えだ。
グラナドは、これに対して、
「無限に、子のドラゴンを供給できる訳は、ないだろう。種が尽きて、こちらが近寄るのを待っている可能性もある。」
と答えた。
しかし、時間を開ければ、復活するだろう。どちらにしても、その「火の壁」を攻めないといけない。
「ああ、お助けください。」
女性の声が背後から響いた。初老の女性が、俺達に向かい、膝まずいて、
「息子を、ジャセンを、お助けください、殿下。」
とさらに言った。背後から、夫らしき男性と、息子らしき青年が、彼女を立たせなら、
「ジャセンも、覚悟の上のお役目だ。」
「立ってください、無理を言わずに。」
と言った。
母親は、続けざまに、
「ハーグズさんは聞いてくれなくて。」
と言ったが、夫に
「いい加減にしろ、みな、同じなんだ。」
と怒鳴られていた。泣きじゃくりながら、「同じじゃない」と繰り返す母親は、夫に引きずられて行った。後に残った青年が、謝罪と供に名乗る。
青年の名はガードン、彼等は街の食料品店の一家だった。ジャセンはガードンの弟で、伯爵の傭兵団に雇われ、研究所で働いていた。マーシレアが引き上げた後でも、研究所に残っていたうちの一人だ。
騎士団がいない、魔法官もいない、傭兵も負傷者が多い。仮に健在でも、ドラゴン狩りのプロが、未知のエレメントの壁なんかに、役に立つだろうか。以前、火の複合体は大型のファイアドラゴンだったが、あの時は、騎士団と魔法官、傭兵は沢山揃えていた。それでも、苦戦した。
手っ取り早い、最善の策はあるが、俺は避けたかった。昔のことで気弱になっていたかもしれない。なんと言っても、ここは融合の地だ。だが、人々が口々に「殿下達がいるなら助かる」と呟き始めた。その流れに沿うように、
「ハーグズは、何人で行った?研究所と洞窟には何人いた?」
と、グラナドが、伯爵に聞いてしまった。