95話
「成る程……勝家の言う通り毛無猿の文化は大分変わったようだ。見ていて飽きんな」
そのムカデの武将、信長は興味深そうに周囲の建造物を見渡す。彼らが住処とする終張国の文化としては人間でいう戦国時代から止まっているようなもので、その立場からすればこうして西洋の色が強くなった今の日本は珍しいだろう。
突如として現れた信長、信玄、謙信たち三大名。鎧蟲たちの頂点ともいえるその身から溢れる強者の気配に英たち甲虫武者は蛇に睨まれた蛙が如く動けなくなってしまう。
「あ、そうだしまった……どうせここに来るなら毛無猿の服を纏えば良かったか」
「ご冗談を、あんなヒラヒラとした布切れで戦うおつもりか?」
「分かっていないな謙信、それもまた一興ではないか!」
しかしそんなことは露知らず、信長たちはまるで海外を訪れた観光客のように騒ぎ始める。実際異国であることには変わりないがそれにしても空気が軽い。先に足軽たちをけしかけているのでここに甲虫武者がいることは承知しているはずであった、つまり大勢の武者を前に余裕をかましているのだ。
「先行させた部隊の半数がやられている……流石は武者諸君。取り敢えず名乗らせていただこう、儂は信玄。終張国で一番の軍師よ!」
(信玄……って確か黒金の……!)
「――ッ!」
そう言って信玄はまるで歌舞伎の役者のように片足を前に出し、オオスズメバチの顔で豪快に笑いながら名乗り始める。その名に覚えがある英は、因縁がある黒金の表情が更に強張ったのを見逃さなかった。
蜂の武将「信玄」、菱形の模様が並んだ赤い陣羽織を羽織りその軍配を振りかざしているその鎧蟲は蜂独特の危険色に肌を染め、自主的に警戒させてくる。勿論その威圧的なオーラは黒と黄だけで生まれるものではなく、その豪胆さの裏にある隠しようのない残虐さがそれを倍増させていた。
「この男を真似するようで癪だが、合戦場で対面した武人としてこちらもその誇りを示そう。私は謙信、諸君らに送り込んだ上杉御庭番を操るものだ」
「上杉御庭番って……あの蜘蛛たちか!」
そしてどこまでいっても信玄とは対照的であるバッタの謙信は、落ち着いた様子で名乗りを上げる。次に反応したのは上杉御庭番の一番の被害者と言っていい森ノ隅学校の教師である豪牙、つまりこの男があの惨劇を生み出した張本人だった。
その陣羽織の青い生地には竹の葉のような模様が描かれており、その下に白い着物を纏っている。背に背負われている薙刀は天を貫くように刃を上にし煌めいていた。異形の物とは思えない程の凛とした佇まい、その風格に思わず感心してしまう者もいた。
そうして名乗っていないのはただ1匹になったが、しかしいつまで経ってもその鋏型の口が開かれることはない。しばらく続いた沈黙に耐えきれなくなり、横にいた謙信が注意するようにそれを急かす。
「信長公、貴殿も武人として名乗りを上げよ!自分の名も教えず武器を奮うのは恥であるぞ!」
「――どうして今から死ぬ者に教える必要がある?俺の名前は冥土の土産としても毛無猿風情には上等すぎるものだ」
「おいおい、だとしたら儂等の名前は貴様より下ということになるぞ!」
黒い陣羽織の中には紫の木瓜紋が点々と存在しておりその組み合わせがより禍々しさを引き立てていた。元々ムカデという存在は虫の中でも一段と危険なイメージがある。どっちにしろ「うつけの魔王」としては相応しい風格であった。
その名「信長」は本人の代わりに謙信が口にする。そこでようやく三大名の名が甲虫武者に知れ渡ったことになる。
「勝家殿、そして私の御庭番を打ち負かしたことを聞き我らが直々に貴殿らの首を取りに来た。合戦の場を漁夫の利を取るように横入りするのは些か無礼であるが、我々の相手もしてもらおう」
(信長って名前も聞いたことがある……勝家と秀吉にとっての偉い奴!)
実際英と黒金は信長の家臣である勝家と秀吉と一度会ったことがある。その際に名前を聞いただけなので他の武将としか思っていなかったが、こうして対面することで今までの武将とは桁違いの強さであることを虫の知らせで確信した。
鎧蟲たちが住む「終張国」、その名前を聞くのは初めてであった。そして信玄たちの言葉が過信でなければ今目の前にいるのは鎧蟲の中で一二を争う強さであることを意味する。
コーカサスたち同様決して楽ではない相手、それが3匹も増えた現状に生唾を飲む英。そんなことなど知った事かと、三大名はそっちのけで誰が誰と戦うかと話し始めた。その様子を見れば向こうにとってこの戦いは遊び感覚であることが伺える。
「先ほども言った通り2匹ずつに分ければいい、俺としてはあの象のようにデカい武者と戦いたい。狩り甲斐のある大きさだ」
「待て、相手は猿もどきと言えど中々侮れない。ここは連携して同時に仕留めよう」
「儂等が連携などできるわけがない、かという儂は誰でも良いがな」
甲虫武者たちを蚊帳の外に話し込む三大名、信長の案としては丁度割り切れる人数なので平等に分担しようとするも謙信はそれに反対、このまま大乱戦に持ち込み一気に攻め込もうと提案。一方信玄は振り分けなど興味が無いというあっけらかんとした態度を取り少々面倒くさそうにした。
この状況、一体どうすればいいのか?向こうから挑む気はまだ無いようなので先手必勝の攻撃をするのもありだが、正直言って三大名が揃ったあの場所に向かって突撃する勇気は無い。英たちは黙って見ることしかできなかった。
しかし刹那、黒い影が真っ直ぐと信玄に向かっていく。
「だったら……俺の相手をしてもらおうかッ!!!」
「――!」
先行したのは黒金、三大名を前にしても一切恐れずその黒刀を振り下ろした。恐怖を感じないのはそれ以上に怒りと恨みの感情が前に出ているからであろう、しかしその二撃も信玄の持つ軍配によって受け止められてしまった。その表面には「風林火山」と一文字ずつ丁寧に書かれている。
例え防がれようとも引く様子を見せない黒金、鬼の形相で間近からその蜂の顔を睨みつけ刃に力を込めていく。火蓋を斬り落とす暇も無く黒金と信玄の戦いが始まった。
「ようやく見つけたぞ……武将信玄!!」
「……と思ったら、活きの良い奴が向こうから来たな。こいつは俺が貰うぞ!」
信玄は軍配は豪快に振り回し黒金を刀ごと弾き飛ばすと、その瞬間まるで突風のような衝撃波が四方に飛び土埃を舞わせた。その勢いに競り負けた黒金は宙でバランスを取り何とか着地する。一撃交えた後の睨み合いが沈黙を生んだ。
それにより信玄も向こうを相手にすることを決め、こうして黒金は家族の仇を討つ絶好のチャンスを得た。
「丁度千代女に作らせた匣がある、早速使わせてもらおう!」
「待て信玄!貴様勝手に――!」
そう言って信玄が取り出したのは葉と竹模様の小さな小箱、全部で3つあるわけだがどれも硬貨のように小さく手の中にすっぽり収まる程であった。
謙信の忠告も無視しそれを高く放り投げる。その場にいた全員がそれを見上げ警戒しながら観察していると、突然宙で制止し大きく膨れ上がり独りでに開封した。
「展開しろ、蟲術――悪居ノ巣界!」
「ッ――なんだこりゃ!?」
そう宣言すると同時に中から緑色の触手が溢れその下にいる甲虫武者をどんどん縛り付けていく。斬り落とそうにも落ちる木葉の如くヒラヒラと舞い狙いが定まらず、英たちは勿論その敵であるコーカサスたちもそれに巻き込んでいった。
そして有無を言わせる暇も無く触手たちは武者たちを2人ずつ内部に閉じ込めていく。それを見ていた三大名たちも1匹ずつ自らその中に入っていくのであった。その際謙信は仕方ないといった呆れ顔を見せていた。
やがてその場にいた全員を中に入れた悪居ノ巣界こと匣は、閉じ込めたまま元の小ささに縮小化。物理現象も無視され中にいるはずの武者や武将たちも同じように小さくなっていた。
コロリと、匣が転がる。
「いつつ……一体何が……」
匣の中に入れられた英はその場で倒れており、現状を確認するべく起き上がる。突然の襲撃に成す術も無く敵の手中に収まったわけだが、傷も無く体にも大して変化は無かった。
「……洞窟!?何で箱の中が外みたいになってんだ!?」
そして最初に見た光景に目を丸くし、その異常さに慌てふためく。
そこは四方八方が岩に囲まれた洞穴の中、どう見ても今さっき自分が入れられた匣の内部とは思えず辺りを見渡した。小さい箱を軽々と超える広い空間、常識から大きく外れたその現象に英の足りない頭は更にこんがらがっていく。
「取り敢えず箱の中には間違いないんだよな?出口探して早く出ないと――ッ!?」
しかし兎にも角にも今自分がすべきことは脱出すること、それを見極める脳はあった。早速見慣れない閉鎖的な空間の中を進もうとしたその瞬間、虫の知らせが攻撃を感知する。
咄嗟に横へ転がりそれを躱す英、さっきまで自分がいた場所に覚えのある大剣がめり込んでいた。
「――見つけたぞ白野郎!!」
「コーカサス!?何でお前がここに――のわッ!」
運が悪いことに、最初に合流したのがよりにもよってコーカサスであった。向こうは自分が閉じ込められたことなどお構いなしに英へと斬りかかる。
その大剣が振るわれる度に小石が飛び散り岩が削られ、周りに障害物が無くなった分その攻撃の幅はより広くなっていた。
ここに来て厄介ごとが増えた。この場でコーカサスを倒しその上で出口を探さなければならないのだ。
「ああもう!どうすれば良いんだよ!」
「簡単だ、俺を倒せばいい」
コーカサスの猛攻を躱しながらやることの多い現状に自棄になって愚痴を零す英、すると洞窟の奥からその答えを教える者が現れた。
ムカデの武将、信長だ。
「お、お前までここに来たのか……!」
「この空間は信玄のくノ一が作った言わば土俵。俺を倒せば外に出られる仕組みだ」
つまり、今の英はコーカサスと信長を同時に相手をしなければならないというわけだ。それがどんなに絶望的状況か、無理難題にも等しいそれに英は思わず冷や汗を掻いてしまう。
そしてこの状況は、他の匣でも発生していた。
第二の匣、そこは蜂の巣のような正六角形が隙間なく埋められた壁が全体に広がっていた。まるで小人になり蜂の巣の中にでも入ったような気分である。
そうしてそこに囚われたのはオオクワガタの黒金、そしてギラファノコギリクワガタのアミメであった。
(これは……蟲術!あの千代女とかいう武将が形成した巣界か!?)
「どうやら、お互い敵の罠にまんまとかかったわけね」
ここでも敵対する者同士が相見えていたが、最早黒金にとってアミメなどどうでも良くなっていた。今まで戦っていたのは何も英のように面義の仇を取るわけではない、家族を殺した武将を討つため。
そしてその仇が目の前に現れたわけだからそうなるのも無理はない。
「どっちも黒い鎧か……自分で選んだわけだが少し華やかさが足りんな」
「――信玄ッ!!」
この異様な空間に相応しい蜂の武将、顎に手を添えたまま現れたのは仇である信玄。その登場にいち早く反応し怒気を孕んだ目で睨みつける。
今まで蓄えてきた恨みを柄に込め、2本の黒刀を震わせる。歯を食いしばり全身で怒りを発散させるがそれでもその鬱憤が晴れることはなかった。
そして最後の匣、信長と信玄の物と比べてそこは実に爽やかな空間であった。地は草の絨毯が広がり、その地平線は晴々とした青空と合わさり1本の線を引いている。箱の中とは思えない程の解放感、人間の世界にもこういった広々とした草原はないだろう。
「ここは……外!?」
「成る程、こういった澄んだ空気もまた美しい……」
そこに閉じ込められたのは象山豪牙と七魅彩辻。豪牙がその異世界に驚愕しているのに対し彩辻はその爽快な雰囲気に惚れ惚れとしている。彼の虹色の鎧は青空の下更に輝いている。
太陽も無いのに昼間のように明るく、果てまで続く草原。そんな夢の世界のような場所を1匹の武将が闊歩した。
「私の相手は貴殿らか、この謙信……全力で挑ませてもらう!」
「……閉じ込められたのか、俺とこいつは……!」
「虫にしては良い趣味だ。良いだろう、お前にも私の美しさを見せてやる!」
バッタの武将「謙信」、青空を背にし薙刀を構えながら豪牙と彩辻に歩み寄る。そして決闘でも挑むかのような真摯な態度を取り、2人に斬りかかる。
こうして3つに分かれた三つ巴の戦い、甲虫武者と鎧蟲の戦いにおいて史上最大の合戦が今始まろうとしていた。




