93話
コーカサスたちが傍観する最中、英たちは攻め切れない戦いをまだ続けていた。敵と味方の数が同じなため必然的に1対1の勝負が3つに分かれていたが、最終的にそのバランスも崩れ再び集まった。
疲弊し荒い息遣いを繰り返す英たちに対し、後天的に甲虫武者になった存在「堕武者」――それに選ばれた工藤たちは止まることを知らず常時興奮状態に陥っている。その考え無しの動きが逆にプレッシャーを与えこちらの動きを間接的に遮っているのだ。
「めっちゃ手強いな……流石に疲れてきた……!」
「おい、まだこいつらを攻撃できないと抜かすか!このままだと押し切られるぞ!」
「……ッ」
豪牙の躊躇により一向に工藤たちへの攻撃ができないままの甲虫武者たち、教師の生徒への想いが枷となっていた。勿論向こうがそんなことを気にかけるはずもなく問答無用で殺しにくる、その大きな差が経験と力量が全てを言う戦いにおいて逆転を起こしていた。
等々それに我慢できなくなったのか、黒金がまるで説教をするように豪牙の意識の改善を図る。しかしそれでも象武者は自分の生徒に教育の鞭ではない暴力を与えるのを躊躇っていた。
——分かっている、担任として俺がこいつらを止めないといけないのは。
生徒の暴走を抑えることも教師の仕事のうちだ。それは理解している、しかし生徒を思いやるその身がそれを拒んでいた。どちらが工藤のためかも判断はできるし、このまま放置しておけばいつか取り返しのつかないことが起きることも分かっていた。
何度も葛藤する自分への怒りに対し手を握り締めることで発散する。黒金の言う通り自分の甘さが2人に迷惑をかけている、だからこそ何とかしなければという責任があった。
「……あれがどんなものかは分からんが、基本は俺たち甲虫武者と同じだ。その証拠に俺が付けた小さい傷が回復している」
「何か考えがあるのか?黒金」
すると反対していた黒金が何かを思いついたのか話を続ける。てっきり遠慮なく斬りかかると思いきや、工藤を助ける手立てを考えてくれたことに豪牙は驚きを隠せない。
黒金は堕武者と自分たちとの違いを冷静に分析、そして先ほどの戦いでこちらと同様に再生能力を持ち合わせていることを発見した。小さな傷というのは岩下の頬を掠めていたもので、そんな些細なものだとしばらく目を離した隙に完治していた。
「甲虫武者と全く同じなら倒すには一気にダメージを与える必要がある。それと同時に気絶させて後からこいつを食わせれば傷は治るはずだ」
そう言って取り出したのは黒金の製菓会社で作られた甲虫武者専用のチョコバー、これを食べることで大量の糖分を一度に摂取することができ傷を完治できる。
黒金としては落ち着かせるも何もまず工藤たちの武者状態を解かせる必要があるので、まずは倒してこのチョコバーで傷を癒すというのが作戦らしい。しかし当然その為にはどうしても相手を攻撃する必要があった。
「……生徒は攻撃できないんだろ?その役目は俺と雄白がやる、お前はその無駄にデカい体格で囮になり3人の動きを止めろ」
「黒金……すまない」
豪牙の矛盾だらけの葛藤に対し黒金は彼なりの優しさを見せる。もう甘いことは言ってられない、生徒を傷つける手伝いをするという罪を被る覚悟を決めた豪牙は大槌を大いに振るいその意志の強さを見せつけた。
その広い背丈の後ろに立つ黒金と英、あんなことを言っていた癖に豪牙の意志も尊重した黒金を英はこれでもかと弄っていく。
「意外と優しいところあんじゃん、甘いんじゃなかったのか?」
「……本来なら硬いだけが売りのお前にやらせるつもりだった役割を変えただけだ。だがお前に攻撃役をやらせると力加減を間違って殺してしまいそうだから不安で仕方ない」
「するかそんなこと!ようするにやっつければいいんだろ、簡単だぜ!」
その作戦内容を理解しきれていない発言に対し黒金は溜息を吐き捨て、考えていてもしょうがないと黒刀を構える。同じく英もやる気を見せ鼻息を荒くした。それはようやく3人の甲虫武者の意志が重なった瞬間であり、先ほどまではバラバラになって戦っていたが一致団結し始める。
それに対し工藤たちはどうだろうか?正気を失った彼らに連携する様子は見られずただ目の前にいる敵に斬りかかっているだけだ。それこそが一番の「差」であろう。
「――クイアアァ!!!!」
そんなことなど露知らず、工藤たちは一斉に跳びかかり刀を振りかざす。吹っ切れた豪牙にもう迷いは無い、迫りくる4本の刃に正々堂々から立ち向かった。
片足を前に出し衝撃に備え、それらを大槌の柄で受け止める。
「今だ――頼む!」
「「――おう!!」」」
その掛け声と共に透かさず後ろに潜んでいた2人が左右に展開し英は工藤の二刀流を、黒金は山内と岩下を刀で弾きそのまま押し切った。そうして豪牙を中心に英と黒金が左右に身を置く陣形を展開する。
「さぁガキ共――象山の代わりに俺たちが教鞭を打ってやる。真面目に勉強しないとこいつみたいに馬鹿になるとな」
「うっせえ!」
最後まで喧嘩を続けた英たちはそのまま工藤に向かって走り出し、今度は倒す目的で挑む。躊躇が無くなったと言えば嘘になるが、彼らを助ける為の剣撃は溶けかけた鎧をどんどん切り裂いていく。
いざ戦う気になれば出来損ないの堕武者が敵うはずもなく、例え3対2でも徐々に押されていった。しかし工藤たちは体を斬られてもお構いなしに突撃していった。
「――飛べ!!」
「――!」
すると後ろの豪牙が突然合図を送る。振り向けば何もない場所を狙って大槌を大きく振りかぶっていた。その意図は分からないが何かする気だということを察した2人は咄嗟にジャンプし地面から足を離す。
「行くぜ必殺!エレファスゾウカブトォ……!!」
防御の際と同じように再び片足を前に出す。しかし今度は体を前のめりにして強く踏み出し、それと連携する形で柄を握る両手の握力も引き締めた。
息を深く吸い肺の中を空気で満たしたその瞬間に大槌を振り下ろす。
「――巨象の誇りッ!!」
力強い掛け声と共に頭部分を地面に叩きつける。その衝撃で地面が陥没するわけではなかったが、その瞬間周囲の地面が強く揺れ波紋が起きた。指示通り飛んだ英たちはその影響を受けなかったが、足を思い切り置いていた工藤たちはあまりの揺れに立つことすら困難になりそのまま宙に投げ出された。
近くの塀の上に置かれていた花瓶は全て落ちて割れ、大木はバサバサと根元から震え落ち葉を散らしていく。まるでここら一帯だけが驚異的なマグニチュードに襲われているかのようであった。
使いどころを間違えれば人的被害も出しかねないその技を空中で観察する英、その威力と範囲に目を大きく見開いて圧巻した。
「うっはすっげぇ!」
「言っている場合か――チャンスだぞ!」
「分かってる!」
折角豪牙の作ってくれた隙、無駄にすることはできない。空中で完全に姿勢を崩している工藤たちに向かって一気に加速し、その間を一気に埋めている間に各々の刃を研ぎ澄ませる。
「グラントシロカブト――!」
「オオクワガタ――!」
「白断ちィ!!」
「蒼玉雷閃ッ!!」
そして込めた力を全て解き放ち剣撃を走らせた。3人のうち山内と岩下がその一撃を受け空中でトドメを刺される。地面に落ちるより先にカブトムシの鎧がドロリと崩れ去り普通の人間に戻って倒れた。
傷は負ったが重傷と訳でもなく、気を失い倒れているので結果オーライだ。後でチョコバーを食べさせれば全快するだろう。
――残るはリーダー格である工藤のみ。残されたクワガタの武者は例え仲間がやられようともその闘志を滾らせることは止めなかった。
「後1人!もう後は楽勝だな!」
「油断するな、何をしてくるか分からない相手だ」
黒金はそう言うが正直言って今の英たちに負ける要素など殆どない。相手はガムシャラに突っ込んでくるだけの素人が1人、こちらは3人という有利以外の何物でもない状況である。
かといって慢心するのは駄目だ。英たちにとって堕武者とはその理屈、存在全てにおいて不可解なものでありまだ何か隠されている可能性もあった。
「ガァア!!オウアアアァ!!!」
「こいつらの為だ――さっさと終わらせないと……ッ!?」
そうして向かってくる工藤を返り討ちにしようとする英、しかしその瞬間上空から突然殺意を虫の知らせで感じ取る。そして上を見上げる暇も無く咄嗟に後ろに退避した。
その前触れから間髪入れずに何かが空から降り、地面に落ちると同時に土埃を上げてその場にいた全員の視界を埋め尽くす。
「ッ――何が起きた!?」
「一体どうしたんだ……工藤は無事なのか!?」
たった今落下してきたものを確認しようとするもあまりの風圧に目が開けられず、両手で眼前をガードするしかない。突然の異変に対し豪牙はこんな状況になっても生徒である工藤の身を心配した。
やがて煙が張れ徐々に視界が晴れていく。そして映ったのは何が起きたのか分からず戸惑っている工藤と、見覚えのある黒い鎧と大きな体であった。
「ッ――逃げろぉ!!」
それを見た英は顔を青ざめ思わず工藤に加担するような言葉を口から出してしまう。その黒く禍々しい鎧は英と黒金の心にとても強い恐怖として根付いていた。
――しかし時すでに遅し、想像を絶する大きさの大剣がスッと現れ工藤に向けて振り下ろされる。
「――アッ……ガァ……!?」
振り終えると同時にズドンという鈍い音が鳴り響き、工藤は動かなくなる。その股下には大剣の刃先、すると持っていた2本の刀を落とし血の涙を流しながら白目を剥く。
そして最後には、中心が裂け綺麗に左右バランスよく分断された。断面から血を噴き出し悲惨な姿となって地面に倒れる。
「くっ――工藤ォオオオオオオオ!!!!」
それを後ろから見ていた豪牙は思わず声を上げた。無理も無い、自分の生徒が真っ二つにされる光景を見て叫ばない教師などどこにいるのだろうか。
結果汚れた鎧はドロドロに溶けていき残されたのは一刀両断にされた工藤の死体、断末魔を上げる暇も無く絶命し無残な死に様にされてしまう。流石にこれは治るはずもなく、只々その死が豪牙の心に響いていく。
「お前が……お前が工藤を殺したのか!?」
そして次に仇を討つと言わんばかりの怒りが込み上げ豪牙を突き動かす。両手を強く握り怒りに身を震わせる。ここまで分かりやすく怒りの感情を現した姿を見せるのは初めてであり滅多にない。いざそのガタイの良い男が激怒する様を見れば身を引き締める迫力であった。
しかし英と黒金は既に他の物に目を奪われている。真っ二つにされた工藤を見て連想するのはかつての仲間、橙陽面義の最期。そしてその時を思い出し英もまた目くじらを立てて感情を昂らせた。
「……またやってくれたな、コーカサス!!」
「よぉ、久しぶりだな白野郎」
鎧の名、そして男の呼び名はコーカサス。たった今行った残虐非道な行為にも悪びれる様子も無くそれどころか気さくに挨拶を交わす。面義の仇を目の前にし英は睨みを利かせて歯を食いしばり、黒金は以前ボロボロにされた記憶を思い出し最大限の警戒をする。
忘れるはずも無い圧倒的な強さ、とっくに外道に身を落とした残虐さ。全てにおいて狂人としか言いようのない男、そして英たちが最も恐れていた存在がコーカサスであった。
「何だ、ただ活気が良いだけで脆いな。こんなの作ってもこいつら相手じゃ囮にもならんだろうし」
「こいつらの甲虫武者化はやっぱりお前らの仕業か!一体何をした、何故殺した!?」
「ああ、何でも堕武者というらしいぜ。うちのボスがそこのガキ共を甲虫武者にした」
英の問いに対しコーカサスはその名前を教えてくれるだけじゃなくボスという存在を仄めかす発言をするが、何故殺したという尤もな疑問には一切答えない。殺されずに済み気絶している山内と岩下を指差して淡々と説明を繰り返す。
しかし英は自分で聞いておきながら激昂状態に陥りその意味を理解する程冷静ではない。豪牙もまた現れたこの男に対する怒りに呑み込まれていた。正確に話を聞いていたのは黒金だけである。
(ただの人を甲虫武者にしただと……!?それに囮というのは……まさか!)
「人の命を何だと思ってやがる!確かにこいつらは伊音ちゃんを苛めていた……だけど殺される程の奴じゃない!」
「知るかそんなこと、殺し終わった奴の事情なんかに興味はねぇよ。この間の……あいつ、オレンジの奴もな」
「「――この野郎ッ!!」」
英は面義の事を、豪牙は工藤のことを煽りの材料にされ遂に怒りが頂点に到達する。そしてすぐに走り出しコーカサスに斬るもしくは殴りかかろうとしたが黒金が咄嗟に言葉で引き留めた。
「待て!こいつらの狙いはカフェにいる伊音ちゃんのはず。こいつは囮で今頃向こうに他の刺客が行っているはずだ!」
「――いえ、その心配は無用になったわ。黒金大五郎」
次いで更に聞き覚えのある声が空から響く。上から見上げれば同じく黒色の鎧を纏い纏められた髪を風に靡かせており、女性の印象が強い姿であった。
そして彼女に抱えられているのは七魅彩辻、先ほどのコーカサスと比べて優雅にその場に降り立つ。
「ギラファ……お前もいたのか。その男……男?そいつも仲間か?」
「お初にお目にかかる。私の名前は七魅彩辻、お前たちと同じ甲虫武者だ」
女の甲虫武者であるギラファことアミメ、その鎧はその名の通りギラファノコギリクワガタ。そして初めて英たちの前に現れた彩辻は名を隠すつもりもなく堂々と名前と正体を晒した。
甲虫武者という自己紹介に場の空気は更に張り詰め、倒した堕武者と代わるように新たな敵が3人もやってきた事実を窮地と認識する。コーカサスとギラファも凄まじい強さを持っている、そこに未知の敵が加わればそれをピンチと言わず何と言うのか。
「その馬鹿のせいで今回の作戦は台無しよ。3人の堕武者を囮にして私たちが神童伊音を攫う予定だったのに……まさか指示を無視して飛び出すとは思ってもいなかったわ。流石にそいつをこれ以上野放しにするわけにもいかないし、こうして貴方たちの前に現れたわけ」
「すまんな、我慢ができなかった」
アミメ曰くコーカサスがこの場に参戦してきたのは予想外の行動らしく、これ以上この男の暴走を許せるわけもないので仕方なく彩辻と共にこの場へ現れたという。長々とその文句を語るが当の本人はたった二言でそれを済ませようとしそれで更にギラファを苛つかせた。その一連の流れは宛らコントのようである。
勿論笑えるはずもなく、それどころか1人の人間を殺しておきながら淡々と話を続けるコーカサスたちに豪牙は更に激怒した。
「俺の生徒を囮にしただと……なんであいつらを選んだ!」
「始めまして象山豪牙、新しい甲虫武者。それは勿論囮と言えど神童伊音を捕まえさせるためよ。クラスメイトのような近い関係なら怪しまれず近づけるかと思った、それだけのこと」
――我慢の限界だった。今まで以上に柄を握りしめ、牛のように鼻息を荒くし顔を真っ赤にする。このまま追ってしまう勢いで握力を込め大槌に力を込めた。自分のクラスの生徒が道具のように弄ばれて使い捨てにされた、侮辱にも等しいその行為をどうしても許すことができなかった。
「……つまり、これからも俺の生徒を狙うかもしれないってことだよな?だったら……お前らをここで、倒す!!!」
戦う理由の大部分が「自分の生徒を守る事」、それに変わりは無かった。しかし目の前の敵は甲虫武者だけではなくその生徒にも牙を剥く。ならば守るだけでは守り切れない、コーカサスたちを倒さなければ生徒たちに平和な未来は無かった。
コーカサスたちの狂気を直に触れた豪牙は、それを目の当たりにしたからこその決意を固める。
「――それはこっちの台詞よ、こうなったらここで貴方たちを始末して……神童伊音を我らのものにする!」
「しゃあ!最初からそうすれば良かったんだ!」
アミメのその言葉を待っていたのか、戦えると分かったコーカサスは雄たけびを上げて大剣を肩に乗せる。そして彩辻と共に彼女の横に移り共に対峙する。そして英たちもまた3人並んでコーカサスと睨み合った。
「彩辻、貴方もさっさと変態しなさい」
「まぁ待て、この下賤な奴らに真の美しさという奴を見せてやる」
そう言って彩辻は一歩前に出しポンチョの裏に潜めていた右手の痣を空高く伸ばして翳した。ゆっくりと行われるその動作の1つ1つに華麗さが込められまるで劇の登場人物のように舞い始める。
痣に描かれている痣はアミメと同じクワガタ、太陽の光を後光のように扱い甲虫武者への変化を始めた。
「――君臨」
そう小さく呟くと同時に自分をあっという間にクワガタの蛹で身を包み、その中で己の鎧を装着していく。そして蛹を切り開きその輝かしい姿で正しく君臨を遂げた。
自らを美しいと言い自己愛の強さを示していた彩辻、しかしその鎧を見ればそれにも納得がいく。グラントシロカブトのような白でもなければ黒金、アミメ、コーカサスと同じ黒でもない。寧ろ他にこんな色をしたクワガタがいるわけがない。
――虹色。光沢と共に七つの色が鎧を彩りその他とは違う意味での存在感を放つ。それに加え鎧でガッシリ守られているわけでもなくまるでドレスのように色鮮やかな布がマントのように幾つもはためいていた。
そしてその武器は何か?西洋のサーベルのように刀身が曲がっている湾刀が2本、他とは違う刀の形状が更に特別感を放っている。
「……どうだ美しいだろう?これこそが我が鎧、ニジイロクワガタだ」
ニジイロクワガタ、ニューギニア南部またはオーストラリア北部クイーンズランド州が生息地の世界一綺麗なクワガタとして有名である。その七色に輝く虹色の鎧は、まさしく彩辻に相応しい。
これで敵の甲虫武者はコーカサスオオカブト、ギラファノコギリクワガタ、ニジイロクワガタの3人となった。
堕武者との戦いが終わり、続いて新たな戦いが始まる。




