92話
「ハァ……ハァ……あ、見えた!私んち!」
豪牙の助けを貰い工藤たちから逃げ果せた伊音と小峰、息が上がろうとも足を止めずに走り抜き、ようやくカフェ・センゴクへと辿り着いた。急いで閉店中と書かれた扉を開け店内に避難、そこには鴻大が待機していた。
「お父さん!」
「伊音!無事だったか!小峰君まで!」
娘の安全を確認した鴻大は胸を撫で下ろし慌てて駆けつける。どこか怪我をしていないかも確認し、無事であることも確かめ再度安堵した。
そこで伊音は今さっきの出来事をなるべく簡単にまとめて説明する。工藤たちの甲虫武者化に流石の鴻大も驚かずにはいられず、目を丸くして今回の事件の始まりを聞く。
「クラスメイトが甲虫武者に……!?それにお前を狙っているだと?一体何が起こっているんだ……」
「それで今……先生が戦っていて……」
「英と黒金も向かっている。それにしても伊音狙いか……」
やはり神童伊音が狙いと聞いて一番初めに連想するのは彼女の誘拐を企てたコーカサスたちのこと。話を聞く限りでは工藤たちの甲虫武者化が鎧蟲の仕業には思えず、だとしたら奴らの仕業である可能性が高い。鎧蟲たちが自分たちの脅威となるであろう武者を増やすとは思えない、そもそもこの現象は誰かによって行われた人為的なものなのか?分からないことが多すぎるので考えれば考える程謎は深まっていく。
(もしそうだとしたら、前回のように英たちが戦っている間にこいつを狙ってくるかもしれない。ここはあいつらに任せて俺が伊音を守る!)
前回というのは面義による誘拐の件、あの時は現れた鎧蟲と英たちが戦っている時を狙われ伊音を攫われた。今回もそれと同じかもしれないので、このカフェ・センゴクにて鴻大が直々に娘の身を守ることにした。
そんな鴻大の期待を知らずの内に受けている英たちは、丁度工藤たちと立ち向かっている真っ最中であった。
「づッ……のわ危ね!」
英が対峙しているのは同じくカブトムシの山内、まるで錆のように汚れた刀を対照的に白く輝いた刀身で受け止める。そのガムシャラな振り方は意外と力が込められており、英との唾競り合いに無理やり押し勝った。
そうして迫る第二の刃に対し英は左手を差し出し真正面から防御、硬さを自慢とする英の籠手がその程度で斬れるはずもなくただ火花を散らしただけに終わった。そのまま右足で山内を蹴り飛ばす。
(こいつら、無理やり突っ込んでくる!)
しかし突き飛ばしてもすぐに跳びかかり、隙あらばと懐に潜り込み斬りかかってきた。グラントシロカブトの鎧ならばその猛攻を無理やり受け止めることもできるが、この暴れっぷりを抑えることは流石に難しい。豪牙の頼みで大きな傷を与えることはできない為無暗に斬ることができないのだ。
「うおッ!?頼むから大人しく……してくれ!」
両手で肩を抑え地面に押さえつけるもジタバタと足掻き一向に捕縛できる気がしない。すぐに刀で斬りかかり無理やり英を退かした。
まるで子供が包丁を持って駄々をこねているようであり、かといって手が付けられない猛獣のようでもある。ただ考え無しに突っ走り英に挑んでいた。
一方その頃、黒金は岩下と戦っていた。彼だけは彼らの捕縛に反対していたがなんだかんだ言ってその2本の黒刀で直接斬りかかろうとはしていない。相手の一刀流を数で抑え込もうとしていた。
「全くこれだから……ガキの子守りは大変だ!」
せめて持っている武器だけでも放させよう、そう言って柄を握る手を重心的に狙っていくもその単純な動きは逆に狙いを定め辛くし黒金に苦戦を強いらせていた。勿論普通なら持ち前の切れ味で圧倒できるだろう、しかしそれも叶わない。
そして豪牙と工藤、この2人もまた周りと同じような戦い方を繰り広げていた。
「頼む工藤!目を覚ましてくれ!」
「ウゥウ……ッア、ガウァアッ!!!」
何度声をかけても半狂乱の返事しか返してこない工藤に豪牙は体を震わせる。一体自分の生徒に何が起きたのか?誰がこいつらをこんな風にしたのか?正体も正確に分からない相手への怒りが、豪牙の中で煮え滾る。
そしてその燃える怒りを浴びるべき存在が、近くのビルの屋上からその戦いを傍観していた。
手すりに足を乗せ、地面を見下すように眺めている。
「派手に暴れているようだな、出来損ないだが中々楽しめそうだ」
そう言って工藤たちの強さを品定めしているのはコーカサス、前回の誘拐事件の際に橙陽面義を一刀両断にし殺害した男である。その様子は今にもそこから飛び出し真下の戦場に参加しそうな勢いだ。
そしてそれを後ろから止めたのはその仲間であるギラファことアミメ。ただ仕止めるといっても腕を組み冷静に言葉だけで彼の動きを制止させていた。
「待ちなさい、あれは貴方を楽しませる為に作ったものではないわ。そもそもあそこに行ったら今回の作戦が全て台無しよ」
「チッ……そもそもあの小娘の誘拐にそんな大人数が必要とは思えねぇな」
「今標的は神童鴻大に守られている、あの男に勝つには相当な戦力差が必要なのは貴方も分かっているはずでしょ?」
工藤たちを攫いあんな風にしたのは勿論彼らである。そして伊音の捕獲、そしてそれを逃した後の防衛を手薄にする為に英たちに3人を仕向けたのだ。結果として英側の甲虫武者の内鴻大以外は全てこの場に集まっている。
しかしコーカサスはこの場から離れることが不服なのか、アミメの命令に顔をしかめ恨めそうに英の姿を見た。
「あの白い奴はお気に入りなんだ。確かに鴻大って奴も楽しめそうだが、一番はあいつだ……!」
「全くまたすぐに私情を優先しようとして……別にあのまがい物で彼らが仕留められるとは思ってないわ。神童伊音の誘拐に成功したら好きにしてもいいわよ」
コーカサスは何故か英のことを強く買っており、その闘争心故か今すぐにでも戦いとウズウズしていた。ギラファはその手が付けられない狂気に呆れと疲れの混じった溜息を吐き、まるでペットが言うことを聞いてくれない飼い主の心境を理解する。
「――あれがドクターの言っていたものか?」
その時、コーカサスでもギラファでもない第三者の声が後ろから届く。ギラファはそのまま後ろを振り返り、その質問の答えを教えようとした。
ビル風がロングで葡萄色の髪を崩そうと暴れる。しかしその紫陽花のように美しいかつ妖艶さを帯びたそれが乱れることはなく、逆にそれがアクセントとなりその男の可憐なオーラを際立たせていた。
遠目で見れば女優と見間違えてしまいそうな姿、その口元を潤わせる緑色の口紅が更に男気から遠ざける。そうしてギラファに向かって歩くその姿はファッションショーを彷彿とさせた。
夏だというのに深紅のポンチョで上半身を隠し、スラッと長い両足だけが隠しきれていない。極めつけに右手に描かれているクワガタの痣までも露出していた。
「ええ、鋼臓を植え付け後天的に人を甲虫武者に進化させた存在『堕武者』。あれもドクターの偉業が生んだ1つの成果よ」
「……あれを偉業と言うのなら、どうやら私が望み夢見たものとは違う。まるで泥を被った獣のようだ……なんて醜いのだろうか」
コーカサスが工藤を戦いの相手として興味を示したのに対し、その男は辛辣な言葉を見下しながら吐き捨てる。その目はまさしく汚物を見るかのような冷徹な視線で本心から軽蔑しているのが見て分かった。
「勿論あれは通過点に過ぎない、あの方が目指すものはもっと先……貴方風に言えば美しいもののはずだわ」
「……それを聞いて安心した。ならばこの七魅 彩辻、ドクターの意志に尽力しよう」
男の名は七魅彩辻、彼もまた甲虫武者であり彼らの仲間でもある。「美しい」を口癖とし、その女々しさはある意味コーカサスと同じように呆れられている節がある。しかしその可憐な姿を見れば口だけではないのが一目瞭然であった。
「蜘蛛の武将と戦った時の傷はもう大丈夫そうね。といっても甲虫武者だから当たり前か」
「やはりこの体は素晴らしい、あの薄汚い虫けらに付けられた傷がこうも簡単に治った」
そう言って彩辻は自分の体を愛でるように傷のあった場所を撫でる。瀕死の重傷であったとは思えない程綺麗な肌が広がり、甲虫武者の再生力を物語っている。
上杉御庭番の頭領である段蔵、その部下である半蔵と千代女が英たちと戦っている間に段蔵が戦ったのはコーカサスたち一味であった。彩辻はその死闘の末大怪我を負った。
「美しさこそ強さ、強者こそ心理!この汚れた世界を、私がこの力で変えてみせる!」
「——貴方の論理はどうでもいいわ。私はドクターが望む世界を作り上げるだけ」
「——コーカサス、お前は何の為に戦う?」
仲間だというのにその志や意思はバラバラ、ギラファは「ドクター」への忠誠心を見せ一方彩辻は自分の世界を目指している。そして残されたコーカサスは何も言わなかった。結束力を高める為かそれを彩辻が聞いた。するとコーカサスは顔だけを振り向きまるで彩辻の問いを「当たり前のもの」かのように問い返した。
「あ?戦うのに理由が必要か?俺は戦いたいから戦っている。美しき世界だとかあの野郎の望む世界かはどうでもいい、俺はただ暴れられるのならそれで満足だ」
「……やはりお前とは分かり合えないようだな」
しかし目指すものが全然違うわけではない。例え理由は異なっていようともその目的は同じ、共に戦う意味としてはそれだけでも十分であった。
こうして英たちに新たな悪意が襲いかかろうとしているその時、それとは別の影が水面下に潜んでいることを誰も気づけなかった。




