8話
「ハァ……ハァ……やってやったぜ……!」
息を荒げながらも勝利を笑みを浮かべるが、一安心したところで今まで忘れていた腹の激痛が襲い掛かってくる。もうここまでくれば逆にマシになってきたが、流石にこの大量出血は誤魔化せない。
伊音ちゃんによれば甘いものを食べれば傷が回復するらしいが、早いところそうしないとまた勝った後なのにぶっ倒れてしまう。
「その前に……こいつの死骸をどうにかしないとな」
だが先にやることがあった。たった今俺が倒し地面に倒れている鎧蟲の亡骸、流石にここに放置しておくわけにはいかず、どうにか運び出さなければならなかった。
しかし今の俺にそんな力も無く、そしてこんな巨体を隠す場所も無い。正直扱いに困っていた。最後の最後で無駄にデカくなりやがって……
「気持ち悪いが……刀で細切れにして適当に埋めるか……」
もうそれしか方法は無い、自慢の白刀で蟻の死骸をコンパクトに切り刻みこの公園の土に還らせるしかない。蟻の怪物を解体するのは流石に嫌だが仕方ない。
そう言えば鴻大さんは俺に襲ってきた蟻を倒して助けてくれたわけだが、その死骸は一体どう片付けたのだろうか?気絶していたので知らないが、そこんところもいつか聞かなければならない。
おっと、ぐちぐち考えて現実逃避している暇は無い。早く済まさないとこのまま貧血で俺もぶっ倒れて、蟻の死骸と同衾しているところを報道されてしまう。
覚悟を決めてまずはその首から切断しようと刀を構える。しかしその瞬間、その体がピクリと動いた。
「なッ!?こいつまで生きて――!!」
「ギィイイイッ!!!」
咄嗟に刀を盾にして防御するも、強烈な不意打ちに後ろへ吹っ飛ばされてしまう。何と倒していたと思っていた蟻が起き上がり槍で殴ってきたのだ。脇腹にあんな深手を負ったというのにまだ動けるのか。
最悪だ、もう俺に戦う力は残っていない。それに対し向こうは少し弱っているがピンピンしている。どう足掻いても負けるのは目に見えていた。
「もうどうにでもなれだ……来るなら来い!」
しかしさっき言った通りここで逃げてはいけない、例え負けが決まっている勝負でも今こいつと戦えるのは俺しかいないからだ。
そして死を覚悟しもう一度突撃しようとしたその時、突如として俺の前に誰かが現れてそれを阻止してきた。その広い背中には見覚えがある。
「鴻大さん!?」
「良かった、どうやら間に合ったようだな」
カフェ・センゴクのマスターにて俺が知っている唯一の甲虫武者である鴻大さんであった。どうやらこの人も鎧蟲の発生を感じ取ってこの場に駆けつけてきたらしい。
「遠くに出かけていてな、察知するのが遅れた。それにしても……共食いによる強化か、厄介なのと戦っていたな」
「知ってるんですか!?そいつ滅茶苦茶強いっすよ!」
「ああ、後は俺に任せろ!」
そう言って鴻大さんは強化鎧蟲に歩み寄る。そう言えば鎧の鴻大さんの前身は見たことが無い。いよいよ見れるのだ、俺以外の甲虫武者の姿を。
痣を隠すためのグローブを脱ぎ右手の痣を出す。そして鴻大さんはとある単語を呟いた。
「降臨!」
瞬間、俺と同じように痣から糸が飛び出し蛹で自身を包んでいく。俺の蛹と比べて鴻大さんの蛹には長い角と短い角が伸びており、サイズも俺より大きかった。
そして中から聞こえる装着音、やがてその蛹は一太刀によって斬り落とされ生まれ変わった鴻大さんが姿を見せる。
全身に纏っているのは金色に近い黄色と黒が入り混じった鎧、その黒い兜は蛹と同じように2本の角があり背中には黄一色の煌びやかなマントが風に靡いていた。
武器は長い太刀、その鞘は鎧同様綺麗な黄色に輝いている。全てにおいて存在感を放ち俺の前に降臨した。
「我こそは!ヘラクレスオオカブト!!」
「ヘ、ヘラクレス……!?」
世界のカブトムシにおいて代名詞ともいえるその名前、その大きさとかっこよさに全ての少年が憧れ一度は生で目にしたいと願っただろう。世界最大のカブトムシと謳われるヘラクレスオオカブト――その甲虫武者が鴻大さんであった。
黄色く輝く鎧に目を奪われ、マジマジと見つめてしまう。その鎧の形、色、大きさは男心を凄くくすぶってきた。
すると鴻大さんは鎧蟲を前にしても鞘から刀を抜こうとはせず、鞘と柄を握ったまま姿勢を低くするだけで何もしない。それを見た蟻の方から仕掛け鴻大さんに迫ってくる。
それでも鴻大さんは動こうとしない、やがて蟻が槍を振りかぶって突き刺すと同時に彼は目を開く。
「――ハァ!!」
刹那、蟻の体に一瞬で斬撃が通り、気づけば上半身だけが鴻大さんの頭上を通り過ぎていた。
悲鳴を上げる暇も無く上半身を失った下半身は力を無くすように崩れ、下半身を失った上半身は口をパクパクを動かしながら絶命する。瞬きのように短い時間で勝負は決まった。
「嘘だろ……あんなに硬かったのに一撃で……」
確かにあの蟻は俺との戦いで満身創痍になっていた。しかしその致命傷を与えるのにも苦労したというのに鴻大さんはそれをあっさりと一刀両断したのである。これが驚かずにはいられるか。
たった一撃で鴻大さんは自身の強さを証明して見せた。確かに向こうの方が甲虫武者としての経験が豊富なため当然と言っちゃ当然だが、まさかここまで強いとは思いもよらなかった。
一刀両断となった蟻は今度こそ絶命し息絶える。これで戦いは終わりを告げ鴻大さんと瀕死の俺だけがその場にいた。鴻大さんも俺も鎧がドロドロに溶け元の姿に戻るがもう立っているのも限界で膝をつき、朦朧とする意識の中何とか自我を保とうとする。流石に血を流しすぎたようだ。
「鎧蟲の死骸に右手の痣を翳せ」
そんな俺に鴻大さんは手を差し伸べ、そのまま助言をくれた。それで何とかなるかどうかは分からないが、今の俺に躊躇している余裕も時間も無い。鴻大さんの言う通りに自分の痣をその亡骸に向ける。
するとどうしたことか、蟻の死骸がどんどん俺の方へ引き寄せられていく。そしてまるで掃除機のようにそこへ吸い込まれていった。
「だぁーー何これ!?どんどん俺の手の中に入ってくるぞ!?」
次々と巨体が俺の体に吸収されていき血の一滴も残さず吸い込まれる。まるで蟻の怪物など最初から現れなかったように片付き、いつしか本当の意味で俺たちだけが残った。
しかし不思議なのは俺の体、あれだけ大きかった死骸が全部入ったというのに外見的な変化は全く見られない。そう、外見的な意味では……
「傷が……治ってる!?」
奴に突かれた腹の傷、それがいつのまにか綺麗さっぱり塞がっており痛みも消えていた。まだ貧血気味だが十分歩けるレベルまで回復していた。
甘味を食べて再生する甲虫武者の体、しかしこんな状況で甘いものなど食べるはずも無く何の前触れも無く傷が再生したのだ。だが今さっきあの鎧蟲の体を吸収したばっかりだ、もしかしたらそれが関係しているのかもしれない。
「甲虫武者が食べて傷が治るのは糖分だけじゃない、倒した鎧蟲の体を痣経由で食ってもいいんだ」
「た、食べる……ですか」
あの虫の怪物を食べるなんて聞いてるだけでゾッとする。ましてや今さっきそれを実行してしまったから鳥肌が立ってしまった。伊音ちゃんがそれを話さなかったのはその時が食事中だったからもあるのだろう、それに加え虫嫌いの彼女にとって想像もしたくない光景だったからに違いない。
それにしても、本当に甲虫武者という体は出鱈目にできすぎている。こんなに簡単に傷が治せ尚且つ鎧も出せる、まるで最初から仕組まれたような存在に思えてしまう。
どうやらこの体は、俺が思っている以上に奥が深かったようだ。
「あの……また助けてくれてありがとうございます!もう少しでやられるところでした」
「いいや、あそこまで綺麗に斬れたのはお前が追い込んでくれたおかげだ!まだ2回しか戦っていないのに凄いよお前は!」
「あ、ありがとうございます!」
一瞬だけ逃げようと考えてしまったことを情けなく思っていたが、そう言われると少し救われた。だが確かにこの前まで普通の人間だった割には上手く戦えていたと自覚している。
でもずっとこれが続けば流石に身が持たない。ここは鎧蟲と戦っても余裕で勝てる強さが欲しかった。
「ところで英君、平日の真昼間にこんなところにいるが……仕事はどうしてるんだ?」
「……あ、あぁああああああああああああ!!バイトの面接忘れてたぁあ!!!」
そこで重要なことを思い出し思わず雄たけびを上げてしまう俺、そもそも外に出たのはバイトの面接の時間だったからで、そこに運悪く鎧蟲が現れたからこうして戦っていたのだ。そのことで頭が一杯で面接のことが頭から零れ落ちていた。
まぁ人命とバイトのどちらを取るかと聞かれれば迷いなく人命を選ぶが、それにしてもようやく見つけた求人情報を自ら捨てたのは痛い。このままだと餓死という冗談が笑い話にならない。
「あぁ……どうしよう」
「なんだフリーターだったのか、じゃあ俺の店で働くか?」
「え!?良いんですか!?」
その言葉を聞いて慌てて鴻大さんの下へ詰め寄る。地獄に仏とはまさにこのこと、今の俺にとって仕事先から誘われるということは救済にも近かった。
「いや伊音だけに店を任せるのもどうかなと思ってたんだ。だが甲虫武者のことを隠す必要もあるからそこら辺の人を雇う訳にもいかない……そうだなそれが良い!うちで是非とも働いてくれ!」
「はいはい勿論!こちらからもお願いします!」
まさかあのカフェに雇ってもらうなんて、鴻大さんには本当に助けてもらってばっかりだ。これでしばらく仕事には困らなさそうで一安心する。
そして今は甲虫武者としての先輩も欲しかった。
「そして英君――いや英!お前は俺の弟子になれ!」
「俺が鴻大さんの弟子に……!?」
「これから1人で鎧蟲たちに立ち向かっていくのは辛いだろ?俺が甲虫武者の戦い方を教えてやる!」
つまり鴻大さんは俺の師匠になると言っているのだ。突然の提案に驚きと戸惑いしかないが俺には甲虫武者や鎧蟲の戦い方も知識も無い、なので確かに教えを受けられる存在は必要だ。
ましてやこれから先も続くであろう激戦、それを1人で勝ち抜いていく自信は無い。今の鴻大さんの強さを見てその力に頼らないのはおかしい。
「鴻大さん――いや師匠!俺に色々教えてください!」
「お!中々ノリが良いじゃないか!これからよろしくな!」
新たなバイト先に加えなんと師匠という存在まで手に入れた俺は、こうして甲虫武者としての人生を歩み始めるのであった。
未知の怪物との戦いは確かに怖いしこれから自分がどうなるのかも分からない。暗雲しかない行き先に不安を感じるのは当然だが、所詮馬鹿の杞憂、これ以上先の事を考えるのも面倒くさかった。