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蠱毒の戦乱  作者: ZUNEZUNE
第八章:象武者の出撃
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80話

工藤たちの裏切りにより囮にされてしまう伊音たち、小峰も右足を負傷し満足に走れる状態ではなくなった。そんな中蜘蛛は今度こそ逃がさんという意思をその複数の目で訴えかけ、執拗に追いかけてきた。

このまままた1階の教室に逃げてももう一度まくことはできないだろう、そう思った伊音は小峰を背中で抱えたまま木村たちと階段を駆け上がる。曲がり角を上手く駆使しなるべく蜘蛛の視線から逃れ、2階にある3つの特別教室のうちの1つである家庭科室に逃げ込んだ。その際に木村と土井は反対側にある第二理科室へ行き分かれてしまう形となる。


「大丈夫小峰君!?足の具合は……」


「ハァ……ハァ……!」


伊音はソッと小峰を下ろしその右足の容態を確認する。僅か数分しか経過していないのに膨れるように腫れあがり、とてもじゃないが歩けそうにはなかった。もしかしたら骨折しているかもしれない、小峰自身の息遣いも荒さを増していき苦しそうにうなされている。

これでは自分の力で逃げることはできない、だったら先ほどのように伊音が抱えばいいかもしれないがそれだけで解決する問題でもなかった。まず彼女たちが向かうべきは豪牙に残っているよう言われた本校舎の教室、木村と土井を連れてそこに隠れていた方が良い。しかしいくら小柄とはいえ1人の男を抱えたまま普段通りに走る力は伊音にはなく、言ってしまえば枷となってしまうのだ。


あの蜘蛛は速い、ただでさえ普通に走っていても追いつかれそうになるというのに、小峰を抱えたまま逃げたら絶対捕まって殺されてしまうのが目に見えていた。

勿論彼を見捨てるという選択肢は無い、伊音という人間にそんなことをできるはずもなく第一それは嫌悪している工藤たちと同じ行為だ。

では一体どうすればいいのか?教室外の廊下は蜘蛛が彷徨っており獲物を探している。一応突破されないようできるだけのバリケードは設置したが奴の前では簡単に崩されてしまうだろう。


そこで意外にもこの状況を打破する提案をしたのは、足を負傷して苦しんでいる小峰であった。


「ぼ、僕を囮にすればいいよ……神童さん」


「小峰君……そんなことできるわけないよ!」


そして自分自身を犠牲にしようとする案に伊音は呑み込めるわけもなく、彼は足を怪我して自暴自棄になっているのだと思って却下した。しかし苦悶の表情を浮かべているその瞳の奥には、覚悟を決めたかのような真っ直ぐとした意志が見られる。まるで自分が囮になることは当然だと言わんばかりであった。


「どうせ動けないんだ……僕を抱えてたら君も殺されちゃう。だったらせめて……犠牲は僕だけでいい……!」


「……そんなこと言わないで!もっと自分を大切にしてよ、何でそんなに囮をやりたがるの!」


そう、彼が囮に名乗り出たのはこれが二度目。一番最初は第一理科室にて蜘蛛に見つかりそうになった時だ。あの時はまだ足も負傷しておらず自分の力で逃げる余力は十分あった。それなのに己を犠牲にしようとしたのだ。

その死に急ぐともいえる無謀な行動に伊音は疑問しか感じなかった。どうしてそこまで危険に身を委ねようとするのか、何故自分を大切しないのか?


「……工藤たちに苛められそうになった時、神童さんは僕を助けてくれた。だから……僕も君を助けなきゃ……」


「そんな……私はもう小峰君に助けてもらった!それで十分だよ!」


半蔵に襲われそうになった際、小峰は勇敢な行動でその直前に伊音を救った。伊音に助けてもらったという「それ」はあくまでも苛めにおいての話、命の恩人ともいえる小峰の救出とは比べ物にならない。お礼と言うがそれ以上の恩を小峰は彼女に売っていた。

ふと彼女の脳裏に、小峰を囮にして自分と木村たちだけが助かる光景が映る。確かに彼の言う通り、この中で動けない小峰を囮にするのは賢い手かもしれない。だが正しいとは言えなかった。


そして彼自身の立場になって考えてみた。自分以外は逃げて助けも来ない。薄暗い部屋でゆっくりと蜘蛛の怪物に頂かれる、自分だったら耐えきれなくなった発狂してしまうだろう――と。


「――絶対工藤と同じ真似なんかしない!小峰君は囮になんかしないし、木村たちも見捨てない!」


彼女はこうも考えた。確かに鎧蟲は怖い、虫嫌いにとって奴らは最も恐れおののく対象だ。そんなのに食い殺されるなんて絶対に嫌だ。

――だけど、自分の大事なクラスメイトがそんな目に遭うのはもっと嫌だ!


「そんなことするくらいなら……私が囮になる!」


「神童さん――まさか!?」


その言葉に伊音がこれから何をするつもりなのかを察した小峰は、苦痛の中というのに止めようと大声を上げる。しかしそんな制止も無視し彼女はバリケードを潜り抜けて勢いよく扉を上げ、なるべく目立つように廊下へ飛び出た。


「木村!私が引きつけるからその間に小峰君を――!」


『――ジャア!!』


それと同時に向かいの第二理科室に隠れている木村と土井に対しドア越しの大声で指示をし、そのまま3階に続く廊下へと走り抜ける。当然蜘蛛はそれに気付きその後を追い始めた。

二段飛ばしで階段を駆け上がり本校舎に続く橋へ到着、ちゃんと蜘蛛を引きつけられているかを振り向いて確認し、一気に2つの校舎の間を横断する。ここまで来ればあの3人は無事に逃げ出せるだろう、後は自分が逃げ延びるだけだ。


(――怖い!怖い怖い怖い怖い怖い!)


夜の学校を走り抜き、蜘蛛から必死に逃げる彼女の脳内は一体どうなっているのか?どうか小峰君たちが無事でいて、絶対に掴まってたまるか、それもあるが多くを占めていたのが鎧蟲への恐怖心であった。

後ろを振り向きたくない、だってすぐ後ろにあの蜘蛛の鎧蟲が追ってきているのだから。もし捕まったらどうなるのか?食べられるのか?それとも普通に殺されるのか?どちらにしろ蜘蛛にやられるなんて絶対に嫌だ!


最早伊音は軽いパニック状態に陥っており、目的も無く校舎内を駆け巡る。どこに行けばいいのかも考えられない程余裕は無くなり、必死の形相で汗を垂らして顔を青くする。勇気を出して飛び込んだはいいが助かる当ては無い、このままだと確実に殺される。そんな恐怖がじわじわと伊音を精神的に追い詰めていった。

気づけば彼女は本校舎2階の廊下の隅に辿り着く。その先には何もない、運悪く隣の教室も閉められまさに絶体絶命であった。勝負あった、蜘蛛は伊音の追いかけっこに勝利を確信しジリジリと近づいてくる。


「あ、あ……!」


あまりの恐ろしさに伊音は腰を下ろし、ガタガタと震えながら後ずさるも後ろは壁。最早涙を流して恐怖に身を任せることしかできなかった。

こんな結果になった自分の人生、やっぱり囮なんかやるんじゃなかったという後悔が無いと言えば嘘になるだろう。しかしそれよりも小峰たちの安否を最後まで気にし、その為だったら自分の死も無駄じゃないだろうと心の中で言い聞かせる。


――自分が死んだら小峰たちが助かるわけじゃない、鎧蟲に囲まれたという状況には変わりないし、もしかしたらこれは無駄死にかもしれない。この後も同じように小峰君や木村、工藤たちも後を追ってきてもおかしくはない。

いや、大丈夫だろう。私が死んでも英さんやお父さんたちが来てくれる。あの人たちならきっと彼らを助けてくれるだろう。


(お父さん……英さん……ごめん)


自分の犠牲は無駄じゃない、今にも甲虫武者たちが学校に来てくれると伊音は信じていた。正確にはもう英たちは校庭に辿り着いているのだが、大量の蜘蛛よって行く手を阻まれている。なので今すぐに校舎内に来るのは難しいだろう。寧ろ彼らが鎧蟲たちの相手をしているからここまで生き延びられたと言える。

伊音は目を瞑って覚悟を完了させる。そしてそれを受け取った蜘蛛は彼女の体に牙を――


「――うおおおおおおおおおおッ!!!!」


彼女を起こしたのは食われた痛みではなく、聞き覚えのある野太い声。一体何が起きたのだろうか?ゆっくりと目を開けて最初に映ったのは蜘蛛の体ではなく、巨人のような大きな背中であった。


「……象さん先生!」


「無事か神童!」


それは木村と土井を助けに学校内を探し回っていた豪牙であった。なんと生身で蜘蛛と真正面からぶつかり合い、その6本の手を一気に束ね相撲のように体で押し攻めている。

大きく見えた蜘蛛の体も豪牙の巨体の前ではさっきより縮んだようにも見え、その筋骨隆々とした腕と蜘蛛の細い手足とでは比べるまでも無いだろう。


「うらぁあああ!!!!」


豪牙は蜘蛛の体を持ち上げ、そのまま柔道の背負い投げのようにして壁へ叩きつける。その際鈍い音が鳴り響き、今のがどれ程力強く当たったのかが分かる。


(凄い……普通の人なのに鎧蟲と戦ってる!)


甲虫武者という存在を知っている伊音としてはただの人間であるはずの豪牙が鎧蟲を軽々と投げ飛ばすその姿は目を疑うものであった。まさか一般人が鎧蟲と互角までとはいかないもののここまで戦えるとは思いもよらず、改めてその身体能力の高さに感服する。体育教師とはここまで凄いのだろうか?


「よし今だ!逃げ――がぁ!?」


「先生!」


しかしこれでやられては鎧蟲側も甲虫武者たちも面目丸つぶれである。豪牙が伊音に逃げるよう言う為振り返った際に、蜘蛛は素早い身のこなしで体を起こしその体に跳びかかると同時に左肩へ噛み付いた。

豪牙の悲痛な叫びと共に血飛沫が飛び散る。いくら筋肉の鎧でも鎧蟲の牙を防ぐことはできず、深く傷に食い込んでいく。


「ッ――このぉ!!」


それでも豪牙が弱まることはなく、逆に背中に張り付いた蜘蛛の腕を掴み振り回すようにして教室の扉に叩きつける。鍵が閉まっていたがそれも壊れて引き戸は吹き飛び、蜘蛛は無理やり教室に入れられた形となった。その力業も称賛せずにはいられない。


「……そんなのあり?」


「くっ、今のうちに逃げるぞ!」


そのまま豪牙は伊音の手を引いて蜘蛛から逃走、1階へと駆け下りた。そしてどこか隠れる場所は無いかと辺りを見渡し、結果保健室へ逃げ込むことになる。

今まで隠れ場所としてきた教室と比べて狭い空間であったが、それでも設備は整っており肩の傷もここで手当てができるだろう。


「お前……何で教室に残らなかったんんだ!」


「すいません……木村たちのことが心配で」


そこでまず行われたのは説教、教室で隠れているよう言われたのに木村たちを助けるため無断で出ていったことに対するものだった。当然教師の身としては自分の生徒が危険に晒されることは良しとしない、それは最初から分かっていたので伊音は素直に謝罪した。

そして今度は伊音が自分たちに何があったのかを説明し始める。工藤の裏切り、小峰の足の負傷など。そして彼らの安否がまだ分からないことも告げる。


「そうか……だったら、あいつらのところへ行ってくる!」


「待ってください!せめてその怪我の手当をしないと……」


すぐに小峰たちを探しに行こうとする豪牙であったが、まずは蜘蛛に噛まれた傷の手当てが先にとそれを引き留める。保健室であるため包帯や薬は豊富にある、伊音に応急手当の経験は無いがそれでも包帯で覆うことはできるだろうと行動に移す。

そうして左肩の傷を手当てしようとしたその時、その具合を見て伊音は思わず見開いて動きを止めてしまう。その悲惨な傷跡に拒否反応を示したわけではない、寧ろ逆だった。


(嘘、()()()()()()?どうして……)


さっき噛まれたはずのその傷はほぼ治りかけており、流血も止まっていた。そしてこうしている間にも傷穴は塞がっていき、信じられない治癒力を伊音に見せつけた。

この異様ともいえる再生能力には心当たりがあった。知っている、甘い物さえ食べれば傷が治る存在のことを。今の豪牙は見事にそれと当てはまっている。


そしてそれを裏付けるように、豪牙も自分自身の異変に気づく。


「……ん、何だこれ?」


「それは……!」


その大きな右手の甲には英や父親の鴻大と同じようなカブトムシの痣が浮かび上がっており、彼も今それに気づき不思議そうに眺めていた。

もしやという疑問が確信に決まった。しかしこんなことがあり得るのだろうか?少なくとも伊音が知る豪牙という男はついこの間まで普通の人間だったはずだ。


(……間違いない、象さん先生は……甲虫武者だ!)






「――だぁあ!」


英の白刀が1匹の蜘蛛を切り裂く。緑色の血が袈裟斬りの剣撃を追うように飛び散りその刀身を汚していった。

すると今度は、背後から3匹が飛びかかってくる。


(グラントシロカブト――浄竜巻!!)


それに対し飛ぶと同時に体を翻し、宙で回転切りを繰り出して同時に蜘蛛たちを葬った。ボトボトとその死骸が落下し仲間たちの頭上に浴びせる。

すると今度は取り囲んでいる全ての蜘蛛が糸を発射、白い弾丸が四方八方から打ち込まれていく。


「くッ――ハッ!」


英は虫の知らせを最大限に展開、それにより飛んでくる弾の軌道を直観的に予測し全弾回避する。凄まじい弾幕の間を潜り抜くと同時に群れに接近し更に切り殺していく。

その際、向こうにまだ蜘蛛の群れが続いていることを確認した。


(まだこんなにいんのかよ……こんなところで立ち止まってるわけにはいかないのに!)


あれから数分蜘蛛忍者1匹1匹はそこまで強いわけでもないのでそう苦戦することはなかった。しかしその数が一向に減っていく様子は見られず、いつまで経っても大群の終わりは近づいてこない。英はそんな圧倒的な数の違いに嫌気が差していた。


まず伊音たちの救出、及び巣界を展開している鎧蟲を倒す。やるべきことが沢山ありこんなところで手こずっている暇は無かった。なので早いところここを突破したいところだが、そうは問屋が卸さないと上杉御庭番が立ちはだかる。


するとその瞬間、向こう側に群がっていた鎧蟲が一気に弾け飛んだ。


「ヘラクレスオオカブト――滌大河(すすぎたいが)ッ!!」


その中心には太刀を大きく振るっている鴻大の姿。その剣撃は荒れ狂う水の流れのようにけたたましく、周囲に群がっていた蜘蛛たちを斬りつけると同時に上空へ打ち上げた。所謂回転切りというやつで、その規模や威力は英の浄竜巻とは比べもにならなかった。


(すっげぇ、流石師匠だ!)


こう感服している間にも鴻大は蜘蛛を蹴散らしていく。俺も負けてられない、英は間接的に鼓舞されてうんざりする数に立ち向かおうとする。

そうしてもう数匹を切り裂いた、その時だった。


「後ろだ雄白!」


「ッ!」


虫の知らせは全開にしたはずなのに、英は黒金に言われるまで敵の接近に気づけない。それはその武将が速すぎるからだった。

黒金の時と同じようその忍者、半蔵は英の死角に入り2本の小刀で斬りかかるも咄嗟にそれを受け止められてしまう。


「――猛吹雪ィ!」


英は刀でその唾競り合いを押し切ると同時に大量の斬撃を展開、それら全てを半蔵に向かって放つも大気中に残像が残る程の速さでその間を潜り抜けていく。


(速い!)


「――シャウラァ!」


その回避力に驚愕している間にも半蔵は目前まで接近してくる。首元目掛けて刃を走らせて来るのに対し英は自分の虫に従い回避行動へ移行、何とか間に合い半蔵の刀は肩部分に火花を散らせるだけに終わる。


「チッ……中々硬いじゃないか、鎧に守られたな」


(やっぱりこいつだけスピードが桁違いだ、全然見えねぇ……もしかしたら勝家より速いかも!)


蜘蛛を軽々と倒していた英を圧倒的な速さで翻弄する半蔵、この僅かなやり取りだけでも目の前のゴキブリが他の鎧蟲とは全く違う存在であることはすぐに分かった。


「鎧が断てないのなら次は顔だ、穴だらけにしてやるぜ」


「ッ――お前らの相手なんかしてる暇は無いんだよ!」


早く校舎内に向かいたい英たちを半蔵たち忍者集団がそれを邪魔してくる。この場合甲虫武者たちの目的は武将の討伐ではなく伊音たちの救出だが、一向に突破させてくれない。

しかし数分後には、戦況を大きく一変する事件が起きることとなった。

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