79話
「着いた――って何だありゃ!?」
一方その頃、既に甲虫武者の鎧を纏った英たちがようやく森ノ隅学校に到着。そしてその変わりように驚愕した。
既に学校は蜘蛛の手によって糸だらけにされ見るに堪えない姿となっており、白い壁によって遠目から見ればまだ普通に見えるがある程度近づくとその上に糸が巻き付けられていることが分かる。英たちはそれを見ただけで誰に仕業かはすぐに分かった。
「この前の蜘蛛忍者……糸で学校を巣にしているのか。鎧蟲の気配もあそこからしている」
先日起きた蜘蛛と英たちの戦い、その時は糸の攻撃を殆どしなかったわけだがそれは巣を作る用の温存目的だったのだと黒金は気づく。現に虫の知らせなど使わず目視でも数匹の蜘蛛は確認できた。
それによって心配されるのは伊音――そしてその他の人物の安否。あそこまで鎧蟲に支配されていれば残っていた人間たちは決して安全とは言えない。もしかしたらもう襲われているかもしれなかった。
「……今虫の知らせを集中させてみた。数人が校舎内でまだ生きている。ここからだと誰かまでは分からないが……多分伊音は無事だ!」
そこで鴻大が虫の知らせで校舎内の動きを確認、個人の判別は不可能であるがそれでも人の存命を察知できた。甲虫武者として経験豊富な鴻大だからこそできる芸当だろう、第六感にも近い虫の知らせの扱い方に慣れている。そして娘が無事であることも直観的に気づいていた。それだけは甲虫武者の力ではなく親子の繋がりに近いものである。
「よし、待ってろよ伊音ちゃん!今助けて――!」
「待て雄白!まだ校内に入るな!」
早速その救出の為学校に乗り込もうとする英、その猪突猛進の勢いを黒金が首根っこを掴んで止めさせた。そのせいもあって英は「うげっ!」とバランスを崩しその場で転倒してしまう。
「いつつ……何で止めるんだよ黒金!」
「よく見てみろ、何か結界のようなものが学校全体を覆っている」
黒金は突入前に千代女の展開した巣界を察知する。まるで空間を分けるかのように薄い光の壁がドーム状に広がり校舎どころか校庭までも隔離していた。英は今その目前にまで迫っているわけだ。後もう少し黒金の制止が遅ければとっくに入っていただろう。
一体それの何が悪いのか?黒金たちはまだ、その結界がどのようなものかを知らない。
「鎧蟲の仕業だ。奴らの中には魔法のような術を使う個体がいると聞いたことがある、恐らくそいつがこれを作ったんだ」
「……それがどうしたんだよ?」
「分からないのか?もし中に入れば何か影響を受けるかもしれない、人間にしか効かない有害な術という可能性だってある。どちらにしろこれが罠であることには変わりない」
つまり、その中に入るということは少なからず鎧蟲が何かをもたらした空間に身を任せるということ。そもそもその結界――とどのつまり巣界に入る事すら英たちは初めてなのだ。何も考えずにその中に入るのは無謀でしかない。
「そもそもまずこの中に入れるかどうかも分からん、俺たち甲虫武者を中に入れない為のものかもしれない……ってオイ!?」
「おーすり抜けられた」
黒金の説明が続く中、なんと英は既に巣界の壁を通り抜け校舎内に足を踏み入れていた。光の壁の中を通るという滅多にない経験に英はその影響など気にもせず眺めており、その警戒心の無さに黒金は呆れるばかりであった。
「お前本当に馬鹿だな!それで何かあったらどうするつもりだ!」
「多分大丈夫だぞ、変な感じがあるわけでもないし……」
「何も無いわけないだろ!いいから戻ってこい!」
「……いや、出れないんだけど」
すると英は内側からその巣界の壁を叩き始める。パントマイムではない、さっきまで普通にすり抜けられた壁を本当に叩いていた。通過できたはずの壁が普通の壁のようになっている。英は試しに刀で斬りかかるも火花が散るだけに終わる。
そこで黒金は右手を伸ばして恐る恐る結界に触れようとする。するとその手は壁の中に埋まり、英とは反対の現象が起きる。
「まさか……入るときは通過が可能だがその中から出ることはできないのか?」
「駄目だ傷1つつかねぇ!てかこれどうなってんだ!?」
どうやら体全体が入らなければいいが、一度中に入ったものを外に出す気は無いらしい。現に英は何度も突撃したり斬ったりを続けているが全く通れるようにはならない。つまり英は自分から入って閉じ込められた形になったわけだ。
「仕方ない、俺たちも入るぞ黒金」
「本気ですか鴻大さん!?この結界の効果がこれだけとは限らないのに……」
「どちらにしろ中に入らないと伊音たちは救えない、それに助け出すためにはこの結界を壊す必要がある。その為にも中に入ってこれを作った鎧蟲を倒さないといけないだろ」
そして鴻大も巣界の中に入ることを提案、伊音や他の人を救出して逃がすためにはこの壁が邪魔になることは目に見えていた。なのでその中に侵入するのは最早絶対に必要な事であり、この巣界を展開した張本人――つまり千代女を倒さなければならなかった。
「それに、奴さんもこっちに気づいたようだ」
すると鴻大は校舎の方を指し黒金にそれを伝える。校舎の壁に張り付き糸を放出していた蜘蛛たちの殆どが英たちの存在を察知しゾロゾロと大群を成して集まってくる。その数は校舎の壁と糸の色を上から真っ黒に埋め尽くす程で、続々と校庭に降りて英たちを目掛けて走ってきた。
「……仕方ない、鴻大さんの言う通りだな」
「ヘイヘーイどうした黒金?ビビってんのかぁー!?」
「喧しい!ガキかお前は!」
ジッとしていても仕方ない、そうして2人も意を決して出れない巣界の中へと足を踏み入れ3人揃って蜘蛛の大群を迎え撃つ姿勢に入る。そうしている間にも校庭は蜘蛛の集団に埋め尽くされ、数えきれない程の目で英たちを睨みつけた。今にも跳びかかってきそうな程の勢いで取り囲み、大量にひしめき合う。
「この数に出られない結界……もしや狙いは人間じゃなくて……」
その数に圧巻する黒金、それに加え学校を包み込む巨大な巣界。その組み合わせで鎧蟲側の意図を理解しかけたその時――その答えが突然後頭部から聞こえてきた。
「――そう、お前たち武者だ」
「ッ――!?」
その声に黒金は大きく見開き、そして自分が致命的な接近を許したことに気づく。
それでも近くには英や鴻大もいた。黒金はその間におり左右からの干渉は絶対と言ってもいいほど不可能であり、ましてや真後ろにもその気配は無かった。つまり圧倒的なスピードでその背後を取ったことになる。
「――はぁ!」
そこで黒金は咄嗟に振り向くと共に二刀流の刀を走らせる。突如として現れたのはゴキブリの半蔵、不意打ちにと振りかぶっていた小刀と衝突し火花が散る。
それにより英と鴻大も半蔵の存在を察知、気づいた時には黒金の二刀と半蔵の小刀が唾競り合いのようにぶつかり合っていた。
しかし半蔵の剣撃が強いのか聞かれればそこまでではなく、寧ろ黒金の一太刀に競り負け後ろに薙ぎ払われる。宙で華麗な身のこなしを見せて着地、3人の甲虫武者の顔を一瞥した後半蔵は消えるように走り抜け、校舎側から迫っていた蜘蛛の団体の戦闘に移った。
「チッ……力勝負じゃ歯が立たないか」
「喋っている……武将か!」
「うっわ……デカいゴキブリだ」
そこで半蔵が人の言葉を話していることを再確認、それによって目の前の奴が他の鎧蟲とは違う存在であることに気づく。一方英は人型の、しかも自分の体格を超えるそのゴキブリの怪物の姿を見て顔をしかめる。確かに英は少なくとも伊音と比べて虫への耐性があると言えよう、それでも巨大ゴキブリなんて見れば誰もが嫌悪感を抱くだろう。
「名乗らせてもらおう、俺は上杉御庭番の半蔵。罠だと知りながら千代女の巣界の中に入ってきたその勇敢さと愚かさは称えよう」
「ほら、言われてるぞ雄白」
「うっせえ!」
罠と知っていても入らなければならない、と言えば少しは格好がつくだろう。それ以前に英は千代女の巣界を罠と認識する前に中へと突入したのでその点は馬鹿にされてもしかたないだろう。流石にそれはただの不注意だ。
そして新たに発覚した組織の名前である「上杉御庭番」、鴻大はそれを見逃すことはなかった。
「上杉御庭番……そう言えば勝家がそんなことを言っていたな。名前とその恰好をみるに忍者の軍隊か。俺たちが狙いとはどういうことだ?」
「そう、まさしくそれだよ!お前たちは勝家を倒した。これ以上好きにさせるわけにはいかなくなり、俺たちがその暗殺にきたわけだ」
すると半蔵はやれやれと言った素振りで手を振りふざけた態度を取る。明らかに自分たちを格下として舐めているその態度に、鎧蟲嫌いの黒金は若干の苛つきを覚える。
「何が暗殺だ、こんな堂々とした暗殺があるか!」
「要するにお前たちの首さえ持って帰ることができたらそれでいいんだ、この巣界に入ったら最後解除されるまで脱出は不可能。つまり、ここがお前たちの墓場になるわけだ!」
そう言って半蔵が腕を大きく開くとひしめき合っていた蜘蛛たちが一斉に目の色を変え、まるで津波のように怒涛な勢いで襲い掛かってきた。僅か数秒の間で英たちの視界は蜘蛛に染まり、半蔵はいつの間にか姿を消していた。
「話を聞く限りじゃこの巣界とやらは他の鎧蟲が展開している。出るためにはそいつを叩く必要があるな」
「じゃあ早くこいつらぶっ倒して伊音ちゃん助けて、さっさと終わらせてやる!」
無論その数の多さに戦意喪失する英たちではない。兎にも角にもこの蜘蛛たちを蹴散らして伊音を含んだ一般人の救出、そして千代女を討ち取りこの巣界を打ち破る必要があった。
こうしている間にも誰かが危険に晒されている、そんな焦りにも似た感情を押し殺し甲虫武者たちはその群れに立ち向かっていくのであった。
「チッ……糸だらけじゃねぇかよ」
工藤は窓からの景色が糸によって殆ど遮られていることに悪態を付く。命を張って木村たちを助けにいくというほんの少しの優しさを見せたが、それでも普段のいじめっ子のような性格の荒さは無くなっていなかった。しかし蜘蛛の糸は外部の視覚情報を遮断することで閉鎖的な空間を作り、その場にいる人間たちの心を揺れ動かしていることには間違いない。
未だ安否が確認できていない木村と土井の捜索を始める伊音たち、豪牙にはジッとしているよう言われたが、それでも2人が心配でこうして隠れていた教室から出ていく。廊下に蜘蛛がいないことを確認し慎重に行動を開始した。
「それで……どこにいるか当てはあるの?」
「俺たちは別校舎の入り口から中に入ってそこから散るように逃げちまったんだ。その時に女子たちとはぐれて俺たちはその後に象山と合流した」
半蔵と出くわした時、工藤たち5人は伊音と小峰より先に逃げていった。つまりその時はまだ校舎内に蜘蛛たちが侵入する前であった。糸に行く手を阻まれたり襲われたりして紆余曲折の逃走をしてきた伊音たちと比べてスムーズに逃げられたのだろう。その途中で豪牙に会えたのは幸運以外の何物でもない。
「私たちもあそこから逃げてきたけど……少なくとも理科室に2人はいなかったし、逃げてる途中にも会わなかった。だから多分まだ別校舎にいてどこかの教室に隠れているんだと思う」
「だな、向こうに行ってみるか」
そこで木村たちはまだ向こうの校舎にいると推測、危険を承知で再び別校舎に戻ることとなった。
3階の廊下を慎重に渡り橋まで到着、その曲がり角で蜘蛛がいないことを確認し別校舎までの道のりに足を置く。伊音と小峰は蜘蛛に襲われる中ここを必死に走り抜けたわけだが、今は冷静になって渡っているせいかその時との相違点に気づく。
「……あんなにいた蜘蛛たちがいなくなっている?」
「そう言えば……何でだろう?」
窓を見る限りこの橋も蜘蛛の糸によってぐるぐる巻きにされていたが、その糸を張り付けていた大量の蜘蛛たちが1匹も見当たらなかった。どちらにしろ糸によって外の景色は見えないが、覚悟して来た割には何もないので所謂拍子抜けというやつである。
それは今この時に丁度英たちが校舎内に到着した時で、学校を支配していた蜘蛛たちの殆どはそこに集められているからだ。普通なら学校に纏わりついている鎧蟲たちが一斉に動き出したらすぐに分かるが、生憎糸によって外部情報は遮られている為それも叶わない。しかしこれはベストタイミングでもあった。
「じゃあ今のうちにとっとと行こうぜ、早く木村たちを探さないとな」
そう言って工藤が先導し橋を渡る。今まで見下してきた伊音と小峰に対し対等に話しているその姿は普段の彼を見ている身にとって違和感しかないだろう。それ程までに木村と土井が心配なのだろうと伊音たちは解決する。工藤もあくまで1人の人間、心配に思う友人ぐらいいてもおかしくはない。
そのまま何事も無く別校舎に到着、本館から外れている建物とはいえこの中から木村たちを見つけ出すのは簡単なことではない。どこの教室に隠れているかも分からないのだから。
「なんか、木村たちが隠れそうな場所とかないの?」
「……そう言えばあいつらとはぐれたのは1階、階段とは反対方向に逃げたからそこのどこかの教室に隠れているかもな」
確証とは言えない弱い情報だがそれでも目途にはなる。木村たちが身を潜めているのが1階の教室であることを願って階段を降り始めた。
1階には美術室、パソコン室、そして技術室の3つの教室がある。そもそも別校舎にそこまでの部屋の数があるわけでもないので下から順々に探していけばいつかは見つかるはずだ。
伊音たちは慎重に階段を下りていく。これでもさっきよりかは速く動けていたが、それでも蜘蛛たちがどこかに潜んでいるかもしれないので控えめになるのは仕方ないことだろう。
伊音も工藤も息を呑んでゆっくりと動く、しかしそれに反対するものがいた。取り巻きの山内と岩下だ。
「こ、こんなに鈍くて大丈夫なのかよ!蜘蛛たちはもういないだろ!」
「そうだ!寧ろこうしている間にも戻ってくるかもしれねぇ!」
見れば男子2人の顔は塗られたかのように青ざめており、ガタガタと小刻みに震えながら工藤の後ろを歩いていた。彼らも木村と土井の救出の為にこうして共に行動していたが、それでもあの蜘蛛に対する恐怖は消せないのか少しやけくそになり冷静ではなくなっていた。
「早く1階に行こうぜ!こんなジッとしてられるかよ!」
「あ!ちょっと待って!」
その結果山内たちは先頭の工藤と伊音を越し一気に階段を駆け下りていく。当然その足音はドタバタと鳴り響き暗闇の中へと溶けていき、あたかもここに誰がいると教えているようなものだった。
確かに来る最中に蜘蛛には出くわさなかった。それでももう校舎にいないという保証もない。なので慌てて動くのは危険しか残さなかった。
そして伊音の嫌な予感は当たる事となる。山内が2階に降りた瞬間、廊下の角からぬるりとそれが顔を出してきた。
闇の中で真っ赤に灯る8つの目、その鋏のような口の形を見て伊音たちは絶句することになる。
「——走って!」
「う、うわぁああああ!!!!」
悲鳴を合図に逃走が開始される。工藤と取り巻きたちはそのまま階段を戻って上の階へと逃げ、伊音と小峰は1階に降りる。つまり二手に分かれて逃げたわけだが、蜘蛛は階段を駆け下りていく伊音と小峰を標的にした。
『――シャッ!』
(こっちに来た!)
伊音たちが階段を飛ばし飛ばしで降りるのに対し蜘蛛は側面の壁に張り付き立体的な動きでそれを逃がさんとする。どこかに隠れる場所はないのか?1階に辿り着いた伊音は目の前に入った教室のドアを確認、小峰と共にそこへ駆け走って中に入り内側からつっかえ棒のようなもので引き戸をロックした。
「ハァ……ハァ……助かったけど、3人とはぐれちゃった」
「それに……あまりもたないかも」
伊音たちが逃げた先は技術室、大量の棚に工具や専用の機械が詰まっており授業で木材を切り工作をしているため木の香りが充満していた。息を深く吸えば空気中に交じる木粉によって咽てしまうだろう。
そして扉の向こう側からは蜘蛛が音を立てて無理やり入ってこようとしている。このままでは突破されるのも時間の問題、その前にどこかへ逃げなければならない。
かといって窓は糸によって封じられ外への逃走は不可能、ならば隠れて奴が探している隙に反対側の扉からここを出るしかない。そう思って伊音たちが隠れられる場所を探していると、机の裏側に誰かがいることに気づいた。
「木村!土井!」
「し、神童……アンタなにとんでもない奴連れてきてんのよ」
運が良いのか悪いのか、救出対象である2人が技術室にいた。恐らくここにずっと隠れていたのだろう。見つ駆らないよう体を丸めて机の陰に隠れ震えている、その姿は工藤の後ろにいてニヤニヤと笑う普段からは大きく外れていた。
兎にも角にも無事でよかった、怯えながらもまだ生きていた彼女たちの姿に胸を撫で下ろす。
「――落ち着いて、外のあいつが入ってきたタイミングで私たちも出よう。そしたらバレないよ」
そこで伊音は蜘蛛があの扉を打ち破って入ったと同時に廊下に出ることで、入れ違いになり自分たちが教室の外に出たことを気づかせない作戦を提案する。最早それ以外方法などなく、木村と土井も完全に怯えていたためそれに文句を言う気力も残していなかった。
そうしてドアがドンドンと叩かれる中伊音たちは反対側に待機、溢れそうなほどの鼓動を抑えながら向こうの扉を凝視する。
すると蜘蛛の足によって扉が貫通し、次の瞬間にはバラバラに砕かれてしまう。その派手な音とほぼ同時に伊音は自分側の引き戸を開け急いで廊下に出ていく。上手くタイミングを合わせることができ蜘蛛が教室内に侵入した際の脱出に成功した。
後は気づかれないように1階から上がるだけ、工藤たちとも合流し豪牙が戻る前にあの教室へ帰れば全てが解決する。
「……私たちを助けに来たの?何でアンタが……」
木村たちもまさか苛めていた伊音が自分たちを助けるとは思いもよらなかったらしく、抜き足差し足でその場から離れている途中に小声で伊音に聞いてきた。それに関しては小峰も同じ疑問で、何故自分を虐げていた生徒を助けようと思ったのか?それだけでも知りたかった。
「……私の知ってる人なら絶対に助けに行くと思ったから、何も見捨てる必要は無いと思っただけだよ。それに言い出したのは工藤だし」
「……工藤が?何であいつが」
そのまま伊音の先導で階段を上がろうとする。その途中で何故か木村と土井は伊音の言葉を否定した。普通友達が自分を助けようとしたのを知れば喜び感謝するはずだろう、しかし2人の表情は僅かな怒気を孕んでいる。
「何でって……2人の事凄く心配してたよ?絶対に助けるって……」
「そんなの嘘!あいつらは私たちを囮にして先に逃げたのよ!?」
「――え?」
木村から発せられた耳を疑う一言、それによって伊音の脳内は一瞬だけフリーズし思わず段を上がる足を止めてしまう。そして目を見開きそれがどういう意味かを聞こうとしたせいか、その後ろの存在に気づかなかった。
「――オラァ!」
「キャッ……!?」
瞬間、伊音はそいつに蹴飛ばされて階段状で大きくバランスを崩す。そのせいで下にいた木村や土井もそれに巻き込まれ最終的に一番下にいた小峰になだれ込む形になる。ドタバタと音は響かせ伊音たちは突き落とされた。
「いつつ……一体何が……あっ小峰君!?」
「う……ぐっ……!」
突如として背後から襲ってきた衝撃に困惑し、数秒置いてようやく自分たちが小峰を下敷きにしていることに気づく伊音。その辛そうな顔を見て慌ててその上から退き、その苦悶の表情の原因を悟る。
うめき声を上げて床に転がり、真っ青になりながら右の足首を抑えている。恐らく3人がのしかかった際に運悪くそこに重心が集中したのだろう。兎に角立つことも難しそうだった。
「そんな足が……私のせいで」
「だ、大丈夫……神童さんたちこそ怪我は無い?」
足に怪我を負ったというのに寧ろこちらの身を案じてくる小峰の姿を見て、伊音はどうしようもない責任感に囚われる。こんな状況で足を負傷するなんて命取りにしかならない。鎧蟲から逃げることが難しくなったわけだ。
勿論これを伊音の過失とは言えないだろう、この場で最も罪に問われるのにピッタリな人物は蹴飛ばした犯人としか言えない。
「……一体どういうつもり、工藤!」
「ハッハ、派手に落ちたなお前ら!」
その犯人とは先ほど分かれたばかりの工藤のことだった。そしてその取り巻きである山内と岩下もその後ろにいるが、その突然の凶行に対し驚いたり咎めたりするわけでもなく、ただリーダーと同じようにヘラヘラと笑っている。
工藤たちは踊り場から伊音たちを見下すだけで手を貸そうともしない、当然だ。蹴飛ばした工藤が助けに行くのもおかしい話である。この場合おかしいのは工藤の行動そのものであった。
「あの化け物が今そこにいるんだろ?だったらお前らが犠牲になって引きつけてくれよ、その間に俺たちは逃げてやる!」
「……まさか、木村たちもこうやって囮にさせたの!?」
そこでようやく木村の発言の意味に気づく。工藤は木村たち女子を半蔵から逃げるための囮にし、自分たちだけ安全な場所に逃げたことに。半蔵が深追いしなかったから良かったものの、いつ鎧蟲に殺されてもおかしくない状態だった。これはただの囮ではなく――見殺し。
「女3人にどんくさいチビ、囮としてこれ以上の適役はいねぇ。本当はそいつらを助ける体を装ってさっさと外に逃げるつもりだったが、まぁ優しい神童さんと小峰君が俺の嘘を真に受けて付いてきた……こんな虫の化け物が蔓延る校舎の中で助けに行くわけねぇだろバーカ!」
「ッ……最低!」
これには伊音も悪態を付くレベルの外道。先ほどまで少し上がっていた工藤の株は一気に急降下、寧ろいじめっ子としての認識の時より低い位置にまで落ちてしまう。
やっぱり工藤が木村たちを助けに行くだなんておかしかった、そんなことは後ならいくらでも言えよう。少しでも信じた自分を恨む。
「でも助かったぜ、こうしてお前ら2人も囮になってくれるからよぉ!助かる確率が上がるわけだ」
「ふざけんなよ工藤!アタシらにこんなことしてぇ!」
「あー聞こえない聞こえない、じゃあこれからゆっくりと蜘蛛の怪物に食い殺されてくださいねぇ~?」
木村たちの怒声をぶつけられても平気な顔をする工藤たち、耳をほじりながら階段を上がっていき自分たちだけで逃げ出した。正直言って伊音にはあの3人が自分と同じ人間には見えなかった。
後を追って文句の1つでも言いながらぶん殴ってやりたい程の怒りと嫌悪に蝕まれるが、そんな暇は無いと言わんばかりに背後から視線が刺さる。
振り返れば、階段から落ちた時の音でこちらに気づいた蜘蛛がこちらを凝視していた。
「――逃げろぉ!」
急いで伊音は動けなくなった小峰を抱え、木村と土井と共に逃げ出す。2人の救出作戦は、最悪の形で完了した。




