78話
夕日は沈み校舎内はすっかり夜の闇に支配されていく。夜の学校など肝試しに持ってこいで、オカルト的な何かが現れるのではないかと思うだろう。しかし今はそれよりも張り詰めて緊張した空気が流れている。
突如として上杉御庭番の襲撃を受けた森ノ隅学校、その1人である半蔵から逃れた伊音と小峰は別校舎に避難、教師の指示を受けるためこのまま橋経由で本校舎に移り職員室に行くこととなった。
橋は3階の廊下に繋がっておりまずはそこまで上がる必要がある。2人は薄暗い階段を焦らずに上り目指した。外にいる半蔵が追ってくるかもしれない、なので急ぎながらも焦らず動く。ここまでは順調だった、これなら何事も起きず職員室に辿り着けるだろうと確信もした。
しかし、それは半蔵以外の鎧蟲をまだ確認していなかったからだ。2階に上がり向こう側の窓を見た瞬間、伊音たちは思わず硬直してしまう。
「うっ……!?」
そこには外側に張り付いた1匹の蜘蛛、糸を出しそれを紡ぎながら壁を渡っている。奇跡的に2人には気付かず、そのまま上に移っていった。
先程まで外の景色を見せていた窓は糸によって塞がれてしまう。それによって今自分たちがまさしく蜘蛛の巣の中にいるのだと認識した。
「今のは……蜘蛛?あのゴキブリだけじゃないんだ……」
あの怪物は他にもいるのか、小峰はそんな事実に絶望しかける。てっきり半蔵だけかと思っていた分落胆し、自分たちの生存確率が益々低くなったことに気づいたからだ。今はどうにか助かったが、もう一度見かけた時に気付かれたら命は無いだろう。
なら学校を襲った怪物は今の蜘蛛とさっきのゴキブリだけだろうか?そんな保証はない。他にも仲間がいる可能性は大いにあると考えられる。実際その通りで今の学校には大量の忍者が襲撃していた。
「と、兎に角急ごう——って……」
益々安全を確保するために職員室へ向かわなければならない。その為にも3階に上がらなくては、そう思って湧き始める焦燥を抑えながらも次の段に足をかける。その時ようやく校舎内にも異変が起きていることに気づく。
「く、蜘蛛の糸……外のと同じようなのが階段先を塞いでる!」
上の階へと繋ぐはずの階段、その踊り場はさっきの蜘蛛が吐き出していたのと同じような糸によって閉鎖されているのだ。まるでここから先は通さないと言わんばかりで、隙間はあるのでその気になれば突破できるがそれでも粘着性のある糸に触れたら一巻の終わり。動けなくなるしそもそも触れずに糸を避けながら階段を上るというのは不可能だ。
そこで2人は絶望と失意のどん底に叩きつけられる。上へと繋ぐ道が閉ざされたことは勿論、校舎の中に糸が張られているということは――蜘蛛たちが中に入ってきていることを意味している。
「――非常階段!外のアレで上に向かおう!」
「う。うん!」
それにより小峰たちは動揺し、慌てて階段前から離れて廊下の端目掛けて走り出す。この別校舎には外に非常階段が設置されており階の移動手段はそれと塞がれたものの2つしかなかった。
今しがた外に出るのは危険だと言ったばかりなのに、化け物が中にもいるという事実が恐ろしく冷静さを欠き少しだけ暴走してしまう。それでもあのゴキブリが別校舎裏からここまで来るのには時間がかかると踏んでの行動だった。
外に出る階段を恐る恐る開けると近くの景色が一望できるだけでまだそこは糸に侵食されてはいなかった。すぐそこに蜘蛛がいないことを確認した後、2人は非常階段を使って3階を目指す。
当然そこは今自分たちがどれ程高い位置にいるのかがよく分かり、糸が無いとはいえ上るのが少し怖かった。それでも鎧蟲に比べたらまだ可愛い方だろう。
「よし……これなら大丈夫そうだ」
「待って、この音……何?」
後もう少しでこの折り返し階段を上がり抜けるその時、伊音がその異変を感じ取り足を止める。小峰もそれに続きその場で立ち止まるが、それでも下の方からガンガンと勢いよく何かが駆け上がってくる音が響いていく。それは段々こちらに近くなり、迫ってくることを示唆してきた。
「……まさか」
それを察した小峰は顔を青ざめると、後ろからガゴンという大きな音が鳴る。慌てて振り返ってみれば、手すり部分にかぎ爪のような足がそこに引っ掛かって何かを支えていた。
その何かとは言うまでもない、蜘蛛はそのまま体を上げて伊音たちの階段に乗り込んでくる。そこで初めて顔と顔が合わさった。
恐怖によって口から溢れる悲鳴、しかしそれを甲高い鳴き声が塗り替える。
「――ジャアッ!!」
「うわぁあああ!!」
その赤く灯る8つの目に睨まれた小峰は咄嗟に伊音の腕を掴んで一気に階段を駆け上がる。蜘蛛も手すりを飛び越えて血眼になりながらその後を追った。急いで別校舎内への扉のドアノブを握り、慌てて中に入る。その際に伊音は本校舎側の景色を一瞬だけ見た。
(……何アレ)
元々2つの校舎はどちらも4階建てで本校舎には更に屋上がある。外にある非常階段からそれが見えるのは当然の事だった。
しかし問題なのは見たことも無いものがそこにあるということ、まるでエメラルドのように優しい緑色が強く発光していた。さっきまで階段を上がるのに夢中で気づかなかったが、まるで海辺の灯台のように存在感を放っている。
しかし今はそんなこと関係無い。3階の中に入った後伊音たちは急いですぐにあった横引きの扉を開けてその教室へと入る。そこは理科室で、別校舎は生徒用の教室よりも課目によって使い分ける特別教室が多かった。
(どこかに隠れないと……!)
しかし理科室に避難したまでは良かったもののこのままでは蜘蛛に追い詰められてしまう。ならばこの中のどこかに隠れてやり過ごさないといけない、2人は扉から一番離れた机まで駆け走り、その陰に身を潜める。生徒用の4本脚で支えられているタイプとは違って、この理科室のテーブルは体を隠せるスペースがあった。
しばらくするとガラッというドアが勢いよく開けられた音が聞こえた。奴が入ってきた、息を殺して必死に自分の存在を消そうとする。ここでまた見つかったら終わりだ、まさしく絶対絶命とはまさにこのことだろう。
人間とは全く違う構造の足から足音が一定で聞こえてくる。蜘蛛はまるで隠れている場所が分かっているかのように伊音たちの方へ近づいてきた。このままだと見つかるのは時間の問題である。
「……神童さん、僕が囮になる。その隙に廊下に出て本校舎まで走って」
「え……できるわけないよ!」
すると突然小峰がそんな無謀なことを言い、敢えて姿を見せようと机から飛び出そうとする。慌てて伊音はその腕を掴んで引き留めた。その体は恐怖で震え上がっている癖に自ら囮を引き受ける小峰、勿論優しい伊音にそんな見捨てるような真似はできない。
「落ち着いて、ちょっと危ないけどあいつが凄く近づいてきたら向こう側に移動しよう。気づかれないままここを出ればいいんだよ」
「……分かった」
そうして蜘蛛がすぐそこまで迫ってきた瞬間、伊音と小峰は素早く隠れる机を変えて移動。足音も一切立てず蜘蛛に気づかれないまま机を転々としていく。火事場の馬鹿力という奴なのか、今の2人は驚くほどスムーズに動けていた。
それでも数分かかってようやく扉のすぐそこまで辿り着く。蜘蛛は窓側に身を置きある程度の距離が存在している。
ここで重要なのは扉を開けようとするとその音で自分たちの居場所がバレてしまうこと。横引きの扉を静かに開けることはほぼ不可能で、蜘蛛自身も扉含めて教室を一望できる位置に居る為気づかれないように理科室から出るのはまず不可能だろう。
こうなったらもう手段は1つしかない。
「……一気に行くよ」
「うん……!」
覚悟を決めた2人は静かに開けようとするどころか勢いよく開け、それとほぼ同時に走り出して急いで理科室を後にする。当然それを察知できないわけはなく、それを確認した蜘蛛は飛び跳ねるようにその後を追った。
廊下にさえ出れば橋はすぐそこ、全速力で駆け走り本校舎へ続くその道に足を踏み入れる。そして伊音たちはそこでも驚愕させられることとなる。
(外が……蜘蛛だらけ!?)
2階の時のように蜘蛛が橋の窓におり糸を張り付けている。しかも少なくとも両手で数えきれない程の大群が外側にいた。皆が糸を吐き出し自分の巣を作るように紡いでいき、橋はいつしか糸だらけになっている。
幸いそれに夢中で中にいる自分たちに気づいていないことを安堵するが、それでもその圧倒的な量の群れは消沈するしかない。教師と合流してもどうにもならないかもしれない。
しかし落胆している暇は無く、先ほどの蜘蛛の足音が後ろから響いてきた。2人とは立ち止まっていた足を再び動かし逃亡を再開する。そのまま廊下の柱に身を潜め、蜘蛛が自分たちは正反対の方向に行ったことを確認してやり過ごした。
今伊音たちがいるのは一般教室前、そこは3年生たちが使う教室で自分たちとはまだ無縁のものである。
「職員室は……2階だよね?また何も起こらなきゃいいんだけど」
「そうだね……ン!?」
終着点は一階下の職員室、それまでまた蜘蛛たちに見つからないことを願った途端に後ろのドアが開けられそこから伸びてきた腕によって口元を抑えられてしまう。
まさかすぐそこにいたのか?やばい捕まってしまった!2人は必死になってそれを振り解こうとする。しかし自分たちをガッシリ捕まえているその大きな腕が、見覚えのある人間のものだと気づいた。
「俺だ、象山だ!」
「象さん先生……!」
探していた象山豪牙がそこにおり、その頼れる体格と顔を見て再び安心しホッと息を吐く。どうやら彼はこの教室に隠れていたらしい、静かに中に招き入れて安全を確保してくれた。
電気を点ければ誰かいることがバレてしまう為教室内は真っ暗で、それに加え外にいる蜘蛛たちに気づかれないよう闇の中で屈んでいる3人の人影、それは普段なら見たくもない顔であったが今だけはホッとする面々だった。
「……工藤、他の2人も」
「何だ神童と小峰かよ、とっくにあの怪物に殺されたかと思ったぜ」
苛めの主犯である工藤、そしてその取り巻きである山内ともう1人の男子である「岩下」。確かに自分を苛めていたがそれでも生きていてホッとした。しかしいつものメンバーと比べて女子の2人がそこにいない。
「後の2人は?確か……木村と土井だっけ?」
「……逃げてる時にはぐれた」
「嘘……じゃあどこかに隠れているかもしれないってこと!?」
2人の女子である木村と土井、工藤たちと半蔵から逃げた2人であったが工藤曰くはぐれてしまったという。つまり今どこかで怯えながら隠れたり逃げ回っているかもしれないし、最悪の場合もう殺されているかもしれない。確かにあのあの2人も陰湿な苛めをしていたが、それでも伊音はその身を心配せずにはいられなかった。
「だから今から俺が探そうと思ってたところだ。突然怪物に襲われて意味が分からないかもしれない、だけどお前らやあの2人の命は必ず俺が守る!」
「そんな……危険ですよ!」
確かに豪牙の身体能力は体育教師特有のものを持っている。あの2人を探すならこれ以上の適役はいないだろう。しかし鎧蟲がどういった存在かを知っている伊音としてはそれも無謀にしか思えないのだ。そもそも身体能力云々無しで虫の怪物が蔓延っている廊下に出ること自体が有り得ないだろう。
だからこその警告、伊音はこのまま行っても無駄死にするだけということを悟らせようとするがそれでも豪牙は教室から出ようとする。
「……里中先生が殺された」
「……え?」
そして突然突きつけられる知ってる人の死、そもそも伊音はその先生に手伝いを頼まれて今日校舎に残っていた。なので数十分前まであの優しい顔を見せてくれた人の死をすぐに受け入れることはできない。
「つまり、この学校にいる教師は俺1人ってわけだ……だったら、俺以外に誰が助けるっていうんだよ!」
「……象さん先生!」
「鍵は閉める!お前らはそこでジッとしていろ、すぐに戻る!」
伊音の制止にも答えず豪牙は教室を飛び出していく。その宣言通り教室には鍵が閉められ外から廊下を走る足音が遠のいていった。
後を追おうにもこの学校の教室は全て外側からは鍵の開閉ができるが内側からだとできない仕様になっており、悪く言えば出られない状態になってしまったわけだ。それでもここでジッとしていれば安全には変わりない。
(……そろそろお父さんたちが来るはずだ。やっぱりここを動かない方が安全かも……)
確かに豪牙や木村たちの安否は気になる、しかし所詮自分たちが外に出てもあの蜘蛛たちに対抗できる力はない。ならばいずれ来るであろう甲虫武者たちをここで待っているのが得策だろう。
しかし、それに異を唱える意外な人物がいた。
「……俺たちも木村たちを探しに行くぞ」
「工藤……!?」
なんとあの工藤が危険を顧みず自分たちが木村と土井の救出にいくと宣言する。山内や岩下も最初こそその発言に驚いたが、お互いに頷き合ってそれに賛同する。
正直意外だった。てっきり今まで見てきた陰湿な性格上放っておくと思っていた伊音と小峰だったが彼らなりの絆があるのかもしれない。
「今こうしている間にもあいつらが危険に晒されてるかもしれねぇ。ジッとなんかしてられるか、象山だけじゃ無理だろ!」
「……確かに」
いくら豪牙と言えどこの沢山の教室が存在している森ノ隅学校、鎧蟲たちも蔓延っている中で2人の女子を探し出すのは困難を極めるだろう。そしてそれまでに彼女たちが無事という保証も無い、それを黙って見ているくらいなら確かに自分たちも捜索した方が良い。
「……でもどうやって鍵開けるの?」
「この学校結構ザルでよ、確かに内側からだと鍵は開けられないが欄間だけは中から開けられるんだ。元々閉じ込められた奴が出るようにも用意されてるらしいが、象山や他の奴らは知らない」
確かにその教室の欄間は内側にレバー式の鍵がある。机でも積み重ねでもすれば容易に届くし、そこなら人も通れるサイズであった。
これなら教室から出ることができる。早速工藤たちは片っ端から机を運び少々危ない階段を形成、いつでも欄間から出れるようにした。
「お前らはここに残ってろ、俺たちだけで行く」
普段は苛めをしている工藤だったが今だけは頼り甲斐にあるように見えた。あまりにも普段と変わりすぎて別人じゃないかと思ってしまう程に。そうして欄間から外に出ようとする3人を見て、伊音はジッとしていられなかった。
「――待って!私も行く、多い方が見つけやすいと思う」
「神童さん……だったら僕も行く!」
そしてあの工藤が助けに行こうとしているのだ、伊音と小峰もそれに続き共に木村たちの救出に名乗り出た。普通なら豪牙の言う通りここでジッとしているのが安全だが、若さゆえの勇気か危険な事にも恐れず突き進もうとする。それ程までに木村と土井のことが心配なのだ。
こうして伊音たち生徒は豪牙の言いつけを破り2人の救出に向かうことになったが、伊音と小峰は気付かなかった。その時、小峰がいつも通りの笑みに戻っていたことを……




