75話
時は少々遡り場所も変わって伊音の学校、丁度四時限目の授業が終了しチャイムが終わりを告げる。
一限から四限まで僅かな休みしかない生徒たちにとってそれは待ち望んでいたものだろう、チャイムが鳴った瞬間クラスメイトたちは声を上げたり体を伸ばしたりする。
それは伊音も同じで長らく学校を休んでいた身としては長時間ぶっ通しの授業は疲労を強いられるものだった。この昼休みはまさしく時間のオアシスのようであった。
四限は担任である豪牙の体育知識の座学、普段はその肉体美溢れる体で男子に運動を教え込んでいるが今日は男女共有の勉強だ。
(そう言えば英さんがお弁当作ってくれたんだった)
そして彼女はふと朝貰った弁当箱を思い出し早速それを頂こうと机の上に出す。しかしその前に黒板前の豪牙の声が耳に入った。
「すまんが、誰かこれを運ぶのを手伝ってくれないか?」
「あ、じゃあ私が……」
見れば豪牙が教卓の上に置かれている沢山の教材に音を上げていた。確かにあの逞しい体を持ってでもあの量を一度に持ち運ぶのは大変だ。始まる時も1回職員室を往復していた。
伊音は率先してそれを手伝うことに、豪牙と伊音が荷物を持って教室を出る。その光景を工藤たちが見ていた。
「何あの女、いい子ちゃんぶっちゃって」
「ホントホント、そこまでして点稼ぎしたいのみたいな」
まず最初に口を開いたのは取り巻きの女2人、豪牙を手伝う伊音の姿が気に入らないのかネチネチと悪口を零していく。今朝は卑しい笑顔を浮かべていた工藤も何やら気に食わない様子で深みのある真顔になっていた。
「やっぱあいつ調子に乗ってんな、朝だって歯向かってきたし……俺たちが立ち場ってやつを教えてやろうぜ」
しかしすぐに口角を曲げまるで新しい玩具を見つけたように顔を歪ませる。その下劣な視線と情熱は、伊音の机に置いてあった弁当箱に注がれていく。
「悪いな神童、飯の前だってのに」
「いえ大丈夫です。今朝のお礼もありますから」
一方その頃伊音と豪牙は大荷物を共に運び職員室を目指して長い廊下を渡っている。取り敢えず豪牙が持てる分だけの教材を抱え、それで余ったものを伊音が運んでいた。
今朝のというのは、朝のHR直前のこと。工藤に殴られそうになった時に豪牙がタイミングを見計らって教室に入りそれを止めたのだ。
「たくあいつらは懲りない……もう一度ガツンと言ってやろうか」
「象さん先生はお昼どうするんですか?」
「教室で食う、そう言えば飯で思い出したんだがたまにお前の家のカフェに行っていいか?最近甘いものにハマってな」
「どうぞどうぞ!先生としてじゃなくてお客様としても歓迎しますよ!」
そんな世間話を職員室までに到着するまでする豪牙と伊音、すると突然豪牙は歩みを止め、何もない窓の方を眺め始めた。
そこにあるのは別校舎と青い空だけ、何か目に留まるものがあるわけでもないがただ遠くを見るような目で見つめている。
「……先生?」
「あ……すまん、なんか変な気がしてな」
そう言って豪牙は虚空を見つめ続ける。本来ならばその方角に虫の怪物と武者の戦いが繰り広げられているとは知る由も無いだろう。
――甲虫武者でもないかぎり。
その後荷物を運び終わった伊音たちは教室へと戻っていく。豪牙も予め買っておいた総菜パンを持ち意気揚々と廊下を歩いた。伊音も地味に英の作ってくれた弁当が楽しみで、一体どんなおかずか気になっていた。彼はコーヒー以外のものなら問題なく作ることができる、味には期待できるだろう。
「おう皆お疲れ!五限に備えてしっかり休めよ~?」
教室のドアを開けると同時に豪牙の爽やかな声が全体に突き抜ける。普段ならそこで生徒と教師の何気ない会話が始めるのだが、今日は何故だがクラスメイトたちの雰囲気が暗く一向に返答が返ってこない。
その原因は、すぐに分かった。
「ッ――!」
伊音の机、先ほどまでは何も汚れてない綺麗なものだったが今は見る影もない。その上には色々なものが散らばり埃やゴミを被っていた。周りにもそれらが落ちてるのを見る限りゴミ箱を傾けて中身を出したのだろう。
一体何が汚されているのか?わざわざ包みとフタが開けられて、伊音の弁当がその汚れを浴びていた。
絶句――伊音と豪牙、他のクラスメイトも顔を青ざめることしかできない。しかしその中で、唯一クスクスと笑っている存在が数人いた。誰の仕業かなんて、もう分かりきっていることだ。
「おい、どうした神童。待ちに待ったランチタイムだぜ?」
「――工藤ッ!お前らァ!!」
豪牙の怒号が鳴り響いた瞬間、工藤たちは速い逃げ足で教師を飛び出していく。豪牙も顔を真っ赤にしてそれを追った。一度は騒がしくなった教室だが再び静寂に包まれ、楽しいはずの時間は居心地の悪いものになってしまう。
クラスメイトも昼食を再開するが思うようにその箸が進むことは無く、何人かはその空気に耐えきれず他で食べようと退室していった。そして一番の被害者である伊音はそのままどこかに走り去っていく。
「言っちゃったね神童さん……」
「しょうがないよあんなことされたら……」
生徒たちがコソコソと同情の意志を分かち合っている際、その中で小峰だけが俯き何か申し訳なさそうな顔をしていた。そして彼女が出ていった教室の扉をチラリと一度だけ戻し、また視線を手前に戻す。
「……?」
その隅で映った視界情報に小峰は疑問を浮かべる。その机の上に置き去りにするはずのものが無いからだ。
そして夕方、日も暮れ太陽が半身で夜を招いている。カフェ・センゴクの裏口はそんな時に開かれた。
「あ、おかえり伊音ちゃん!」
丁度英が裏で作業をしている途中に伊音が帰宅してくる。その表情は夕日によって影に埋もれどんな色をしているかが分からなく、それどころか逆光で薄暗い雰囲気の彼女の姿に英は微かな不安を抱いた。
「……どうだった?学校」
恐る恐る聞くと彼女はゆっくりと扉を閉める。その際にようやく表情が分かった。
英に見せてきたのはニッコリと愛らしい笑顔、「楽しみまくった」と言わんばかりにその顔をほころばせる伊音。
「大丈夫でした!久しぶりに友達にも会えて良かったです!」
「そうか……!良かったね伊音ちゃん!」
その破顔と言葉に英は胸を撫で下ろし一安心の溜息をつく。どうやら余計な心配だったらしい、自分の思い過ごしで良かったと心の底から安心感と嬉々とした感情を絞り出していく。
そこで英の脳裏に過ったのは昼間現れた蜘蛛の忍者集団、まだ奴らを倒せたわけではなく鴻大と黒金がその捜索をしていた。なのでそのことを彼女にも話そうと考えるも、折角学校生活を楽しく再会できた伊音にそんな不安要素の種を植え付けることはできない。慌てて英は口を閉じた。
(やっぱり話さない方がいっか……)
「あ、お弁当ありがとうございました!」
そして伊音は鞄から弁当箱を取り出しお礼を言いながら英にそれを手渡す。どうやら彼女関連で心配することは無いらしい、そんなことを考えながら洗おうと台所まで移動し蓋を開けた。
「……全部食べてくれたんだ!苦手なものとか無かった?」
「どれもとても美味しかったです!コーヒーもあれくらい上手に淹れられたら良いのに」
「うっ……善処するよ」
空の弁当箱を見て、尚且つ自分の作ってくれた弁当を褒められ舞い踊りそうになる英であったが、その後痛いところを突かれてしまう。伊音も英の不味いコーヒーを敢えて話題に出すことで不安がる英を和ませた。
そこから学校であった出来事を意気揚々と伊音は話していく。久しぶりにあった友人、クラスメイトの話。今日はどんな授業で何を学んだのか、その内容に足りないものがあるとは気づかず英は親身になってそれを聞いていく。
「じゃあ私は宿題やります、お弁当本当にありがとうございました」
「いいってことよ!明日も作ってあげるね!」
そうして彼女は笑顔のまま階段を上がり自室に戻る。そこに入ると電気も点けずにベッドの上に乗り、鞄を床に置いてそのまま体育座りで顔を膝の中に埋めた。制服姿から着替えようともせず、ただ暗闇の中で動かずにいる。
伊音はそのまま英が作ってくれた弁当を思い返す。少々幼稚なタコさんウインナーにハンバーグ、勿論肉やメインだけではなくキャベツをその下に敷きトマトを隅に飾っていた。それに加えデザートということで別の容器にサクランボも用意されていた。
何故そんなに聡明にその外観と味を頭の中で再現できるのか?――食べたからだ、ゴミ箱やトイレに捨てることなく、所謂便所飯というので伊音は汚された弁当を完食した。
それに伴いその時の光景を客観的に想像する。
お世辞にも言えない小汚い便所、便器に座り個室という息が詰まりそうな閉鎖的な空間で昼食を食べ続ける自分。その昼食も工藤たちの魔の手によって台無しにされ、素晴らしいものとは呼べなくなった。
しかし英が折角作ってくれたものを無駄にはできない、嫌悪感にしか変換されない食感と味覚を全て味わった。
――それが、どれほど酷い光景であるかを承知の上で。
「……うぅ」
遂に伊音は耐えきれなくなり、英には見せなかった涙目を解放する。ポロポロと零れる大粒の涙、薄暗い部屋で彼女の嗚咽だけがひっそりと聞こえた。
どうしようもない虐めに絶望しかける伊音、それでも決してめげない為にもこうして誰も見ていない場所で自分の感情を解放するのであった。




