74話
伊音が学校生活を過ごしている時、学校から遠く離れた町の路地裏にて暗躍する存在が数匹いた。
表は人だかりで溢れているのに対しそこは人気も無くビルの陰によって隠れており、身を潜めるには絶好の場所だった。
数匹といっても今は人間の皮を被り甲虫武者の虫の知らせから逃れている。それでもその異様なオーラは一般人でも足を止めてしまうだろう。
1匹は触覚のように二本の髪を立たせ、ボサボサの髪型で目元を隠し唯一見せている口元は卑しい口角の曲げ方をしていた。服装は擬態前の忍装束をそのまま着ている。両手は手袋を身に着け、ある程度の露出を防ごうとする努力が見られる。
対し2匹目の姿は現代を謳歌する美女そのもので、赤色のポンチョで上半身を隠しこの人間社会にある程度馴染んでいた。しかしその美しくも冷徹な顔付き、漂う冷たい雰囲気はハッキリ言って異常としか言いようがない。
「どうしたんだよ千代女、その恰好は」
「信玄様が信長様から譲り受けたものをお借りした。何でも毛無猿の雌用らしい」
女の方は千代女と呼ばれる。男の軽い声に苛立ちを覚えながらも今自分が来ている衣服が借りものであることを説明し、ポンチョの下で人間の細い両手を僅かに動かした。
そんな彼女が人間、所謂毛無猿に上手く化けていることがそんなに可笑しいのか男はヘラヘラと笑いを唇の隙間から零す。そんな反応に千代女は更に顔をしかめ舌打ちを鳴らす。
「俺たちの任務は武者の暗殺、だけどまずはそいつらを誘き寄せる必要があるわけだ。何か考えでもあるのか?」
「簡単だ。足軽たちと同じ要領で猿狩りをする、そうすれば自ずと向こうから来るだろう」
そうして2匹が視線で捉えるのは日夜生活の為に働く人間たち、誰1人として路地裏にいる千代女たちに気づかず、それは彼女たちが気配を殺すのが上手いということを示唆していた。勿論場所の関係上もあるだろう、しかしその鎧蟲たちは闇の中に姿を隠し完全にこの世界から消えていた。
忍者「半蔵」、くノ一「千代女」、彼らこそが三大名の1匹謙信の下に就く「上杉御庭番」であった。
といっても、全ての忍が謙信に忠誠を誓っているというわけでもなかった。
「それにしても、もし今回の任務で武者共の首を落とせたらその功績は謙信様のものとなる。となればあのお方が国で一番の権力を持つことになるだろう!そう考えれば薄汚い毛無猿の世界に足を踏み入れるのも我慢できる」
「いいや、頂点に君臨するのは謙信様ではなく信玄様だ。豪快で革新的な思想を持つあのお方こそが我らを統制するに相応しい」
自分の主の株を上げようと奮起する半蔵、それに対し上杉御庭番に属している身なのに謙信ではなく信玄の名を挙げる千代女、対立する双方の思想に場の空気は凍りつくように静まった。半蔵と千代女は目を合わせることなくあらぬ方向に視線を移し、何も喋らない沈黙が続く。
しかしその瞬間――鋭い衝突音が鳴り響きそれを粉々に砕いた。
見れば半蔵は小刀を抜き、千代女は黒く鋭さを光らせるクナイを取り出し互いの刃を交えている。両者先ほどまでの興味のないふりを止めその眼光と共に殺意を飛ばしていた。
「――元々お前は甲賀武田の者、信玄様に陶酔しているのは構わん。だがそれも昔の話、今は謙信様の忍であることを忘れるなよ」
「元々私が上杉御庭番の忍者になっているのは他ならぬ信玄様の命だ。立場上貴様らと共にしているが、この心まで安く売った覚えはない」
やがて2人は静かに武器を収め再びそっぽを向き合う形となる。元々千代女は謙信ではなく信玄の下に就いていた忍者であった。なので彼女が信玄に忠誠を誓うのは当然のことであり、その度に半蔵と仲違いをしている。
「それに甲賀武田衆が上杉御庭番に吸収されたのはそちらの方が組織として数に優れていたからだ。一昔のように戦を行えば甲賀が勝つ」
「ほう……ならまたやってみるかよ?」
再び険悪な雰囲気になる2匹、どちらも自分たちの方が優れていると譲る気は無く今にも争いが始まりそうであった。
しかしここで周りが騒がしいことに気づく。見れば向こう側で数人の人間がこちらを覗いていた。恐らく先ほど鳴らした金属音によって気づかれてしまったのだろう。
「……まぁいい、まずはお手並み拝見だ。お頭が来る前にやっちまうか」
そう言って半蔵が指を鳴らすと誰もいなかったはずの背後に数え切れないほど眼光が浮かび上がる。カサカサと音を立てて動き犇めくそれは、一斉に人間たちに襲い掛かった。
数秒後、平和だったはずの街に悲鳴が鳴り響く。
「そろそろ昼かぁー伊音ちゃん俺の作った弁当味わってる頃かな?」
「フン、お前の弁当など怖くて食えん」
一方その頃カフェ・センゴクでは、店員の英と客である黒金が嫌味混じりの雑談を繰り広げていた。黒金も伊音が今日から学校に行き始めたことを知っており、鴻大も今は買い出しに出かけているため英と黒金の2人だけであった。
勿論街の悲鳴がここまで届くことは無い、しかしそれとは違う別の「何か」でその異変を感じとる。
「ッ――久しぶりに来たか!」
「しかも結構いるな……早いところ行かないと!」
英たちは虫の知らせで鎧蟲の出現を知るや否や店から飛び出しその反応が示す場所を目指す。人間離れした速さで道を駆け抜け、スマホの位置情報と合わせてどこに現れたかも調べた。
そうして2人はその現場に到着する。真っ先に目に入ったのはうつ伏せで道のど真ん中に倒れている人だった。
「大丈夫ですか!?」
英は急いで駆けつけその容態を確認する。気を失い重傷までとはいかないものの怪我を負っている、恐らく現れた鎧蟲に襲われたのだろう。そう考えると怒りが込み上がってくる。
「雄白後ろだ!」
「――ッ!」
黒金の注意と虫の知らせ、それによって背後から殺意を感じ取った英はその人を抱えると同時に後退しその攻撃を回避する。
距離を取り敵の姿を確認する。黒い装束で体の露出を抑え背中からは4本の長い足を生やしている。蜘蛛の鎧蟲だ、しかし今までの鎧蟲とは何かが違う。
「何だこいつら……まるで忍者だな」
「蜘蛛の鎧蟲……囲まれたか」
すると待ってましたと言わんばかりに周りに隠れていた忍者たちが集まり、英たちを中心に円を形成して取り囲む。蜘蛛の目は8つ、それらが大群で集まりその全てに睨まれ、圧倒的な数の眼光が突き刺さっていく。
その目は、2人の右手の甲に注目していた。
「こいつら、どうやら俺たちを待っていたらしい」
「どうでもいい、とっとと全部ぶっ倒すぞ!」
その圧倒的な数に少々圧されかけるも、英たちは奴らがガン見しているカブトムシとクワガタの痣を掲げ一気に蛹でその体を包み込んだ。
そして内部で武者の姿になると同時に切り開き、立ちはだかる忍者たちに突撃していった。
「出陣!――我こそはグラントシロカブト!!」
「遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ。我が名は――オオクワガタ!」
グランドシロカブトの白武者である英は真っ直ぐ蜘蛛たちに向かって突っ走り、初手から一太刀を決めようと刀を握る。
その煌めく白い刃に対し、蜘蛛たちは素早く躱しまさに蜘蛛の子のように散り陣形を展開していった。
「くッ……はぁあ!」
散らばった忍たちはその周囲を素早い動きで動き回り英を翻弄しようとする。そしてある程度の等間隔で丸の陣形を作った後、四方八方から同時に跳びかかった。
(グランドシロカブト――浄竜巻!)
それに対し英は片足を横に強く踏み出しそれを軸とするように回転。円を描くように剣撃を走らせ群がる蜘蛛たちを一掃した。奴らの鮮血がそれに影響され、緑の円が浮かび上がる。
空中に投げ出される忍者の体。しかし刹那――いつから隠れていたのかその後ろに別の蜘蛛が潜んでおり、まるで瞬間移動でもしたかのように姿を現してきた。
「ぬおッ――ッ!?」
急に出てきたことにより目を丸くして驚く英に蜘蛛は小刀を抜きその眉間を狙って刺突してくるも、咄嗟に足を出して蹴り飛ばしそのまま後ろに退避する。
しかし、間髪入れず他の連中が先に回り込んできた。
「こいつら速いな、まるで本当に忍者みたいだ!」
「虫の知らせを集中させろ!いかに素早くとも捉えきれないスピードじゃない!」
不規則ですばしっこい動きに英は翻弄され、いつの間にか死角にいる蜘蛛たちを鬱陶しく思うも横から飛んで来た黒金のアドバイスが耳に入る。
一方彼はその言う通り虫の知らせを全力で活用し接近してくる気配を察知、振り向くと同時に黒刀を走らせバッサバサと斬り落としていく。両方から挟み撃ちにされた際も大きく足を開きその双撃で同時に斬り払った。
(新種の鎧蟲……この見た目の通りスピード重視か。数も多いし連携も取れている、着実に俺たちを潰すつもりか)
黒金のその予想は核心に迫っており、蜘蛛の忍者たちは統制の取れたコンビネーションで休む暇も無く攻め続けている。そうすることで戦場の流れを自分たちの方へ持ち込み、優勢の立場になろうとしていた。
蜘蛛たちが立ち止まって英たちの出方を伺うことはまったく無く、常に周囲を走り続け向こうの意識を一点に集中させていない。連携の面で言えばこの蜘蛛たちは今までで一番の敵だった。
「ここはこちらも陣形を組んで迎撃すべきか――雄白、背中を貸せ!!」
「お、おう!」
一向にこの囲まれた状態から脱出できない2人、そこで黒金は英に背中を預けるよう指令し互いの背を合わせる形となる。
そうすることで目前の敵だけに集中できるようになり、背後からの不意打ちも心配いらない。密集することで防御面を上げたのだ。
「一応盾としてのお前は信頼している、自慢の硬さを見せてみろ」
「言われなくても!」
そのまま英と黒金は自分たちの方へ迫ってくる蜘蛛たちを次々と斬り倒していく。その陣形により刺客からの攻撃は殆ど無効となり、常に守り続ける形ではあるが着実にその数を減らせる有効な手でもあった。
攻め入る隙が無いことに蜘蛛たちは痺れを切らしたのか、数匹の蜘蛛が一斉に跳びかかり同時に攻撃を仕掛ける。多方向からの攻撃ならば防げまいと考えての行動だろう。
しかし甲虫武者にとってそれは、的が狙いやすくなっただけだった。
「――白断ちィ!!」
「――金剛砕きッ!!」
繰り出される最高の一撃、破裂するように蜘蛛たちは吹き飛ばされた。宙でバラバラに切り裂かれたその骸が散らばる。
今のでかなりの数が減ったがそれでもその軍勢が収まることはなく、それどころか仲間がやられて更に殺意が加速していた。
「まだやる気か……ッ!?」
一向に退く姿勢を見せない蜘蛛たちに呆れていると、今度は数多の手から一斉に糸を放出、四方から糸の塊が英たちを狙い伸びてきた。
「何か」来るとは察知していた2人は咄嗟に翅を広げ上空に回避、さっきまで寄り添っていた場所は粘着性のものに包まれる。
「こいつら糸まで!――って吐くか蜘蛛だし」
「今のは中々厄介そうだな……来るぞ!」
そして奴らの手が一斉に上空の英たちをロックオン、今度は弾のように固まった形状で次々と飛ばしていった。もし当たれば翅が動かなくなり落下は必須、ハチの巣になる前に飛翔し踊るようにその弾幕を抜けていく。
「蜘蛛の巣張られる前にぶった切ってやるぜ!」
やがて全ての糸を避けきった後、まるで滑走路に着陸する飛行機にように降りる英と黒金、抜群のコンビネーションで敵の横をすり抜けると同時に斬り裂き、それでいて虫の知らせにより弾も全弾躱したり斬撃で斬り落としていく。
「よしこのまま――のわッ!?」
そのまま更に追撃しようと蜘蛛たちに向き合った瞬間、突如として大きな旋風が吹き荒れ始めた。その台風のような疾風に甲虫武者側や鎧蟲側も構えずにはいられず、目を閉じて両手を前に出しガードする。
その際、周囲に街路樹も無いのに沢山の葉が風に乗っており度々それが頬を撫でた。数秒がそれが続きようやく止んだところで目を開く。
「なっ……消えてる!逃げたのか!?」
「何だ今の風は……蜘蛛共のものじゃない」
その時には既にさっきまで戦っていた蜘蛛の群れなど消え去っており、残っていたのは地面にへばりついた奴らの糸、そして風に舞い上げられた後に落ちてきた死骸ぐらいだった。
「虫の知らせも反応してない……やっぱり向こうの世界に帰ったのか?それにしても変な敵だったな……いつもみたいな蟻とかじゃなかったし」
「新種の蜘蛛鎧蟲……今までの足軽とは違ってまさしく忍者のように洗練された動きだった」
静まり返った戦場、虫の知らせも反応しなくなった。それが意味するのは既にあの蜘蛛たちが元の世界に逃げたということ。人間の姿に擬態した可能性もあるがそれができるのは武将の鎧蟲だけである。
それよりも黒金が気になっていたのは蜘蛛たちが使っていた糸、蜘蛛の特性を持つ忍者が糸の攻撃をしてくるのはおかしくはない。しかしまだ心に残る違和感があった。まさしく糸のようにそれはへばりついていた。
(……糸の攻撃手段があるなら何故最初からしなかった?蜘蛛らしく地面に巣でも張っていればこちらの動きを制限できたはずだ)
「おーおー、うちの精鋭たちがこの様だ」
一方その頃、自分の部下を元の世界に戻らせた半蔵と千代女。人間に擬態したまま今の戦いを側で見ていた彼らは、再び影に隠れて英たちを見ていた。
今の疾風は千代女の仕業であり、そろそろいいだろうと思って逃がしたのだ。
「想像以上だ、これが勝家殿を倒した武者の力か……やはり巣を作る方を優先した方が良い」
「だな、その為にも下っ端共には糸を温存させるか」
蜘蛛たちが糸を使わなかったのは半蔵たちが温存させるよう命じていたため。しかし甲虫武者たちの戦いで追い込まれ、自分の身を守るためについ使ってしまったわけである。
「で?どこに作るんだ?」
「――寺子屋だ」
その瞬間、更に闇の深い場所から低い声が響く。現れたのは半蔵と同じように忍装束を身に纏い、口当てもしていかにも忍者という格好だった。
髪は女のように長く纏められ、全身黒に包まれたその男の人間態。それは闇に乗じるにはピッタリの色合いで見事に暗黒の中へと浸透しているが、それ以前にその男の気配を隠す技術によりまるで本当にその場にいないようにも錯覚してしまう。
「お頭!」
半蔵はその男を「お頭」と呼んで慕い、その場で膝をつき頭を下げる。しかし千代女だけは何もせず腕を組んで立ち尽くしているだけだった。
この男こそが「上杉御庭番」の頭領にして、謙信の補佐役。蜘蛛の忍者たちを束ねる存在であった。
「武者共は毛無猿を守るために戦っている。そもそも巣を作るのは奴らを誘き寄せる為、ならば若い毛無猿が集まる場所……つまり寺子屋などといった学問の場が餌として有効だろう」
「つまり、毛無猿の寺子屋を探し出せばよろしいのですね?」
「ああ、必ずやその首を手にいれ謙信様に献上するぞ」
「「御意!」」
そうして3匹の忍者はその場から消えるように立ち去る。英たちがその存在に気づくことは最後までなかった。




