69話
面義の体が、夥しい量の血を流しながら崩れる。盾も綺麗に斬られコーカサスの足元に転がった。先ほど見せた斬撃とは裏腹に、その一太刀は静かに繰り出される。
英はその光景を大きく見開いて眺めていた。その広がる赤色が信号として目から脳へと届くまでは――
「こ、この野郎ぉおーー!!」
そしてそれを認識した瞬間、英は雄たけびを上げながら走り出す。向かう先はコーカサス、倒れた面義にトドメを刺そうとしている時に勢いよく飛び斬りかかった。歯を噛み締め大地を蹴り、けたたましい勢いで接近する。
その鎧に、白い剣撃が打ち込まれた。
「ッ――白断ちィ!!!!」
「――!」
不意打ちの剣撃に対しコーカサスは避けることを忘れ、そのまま自分の胴体の傷から溢れる血をぼんやりと見ている。英はその隙に面義を抱えそのままコーカサスから離れていく。
面義の出血は止まることを知らず、あっと言う間に英の白い籠手は真っ赤に染め上がる。無理もない、あの大剣で斬られたためその傷は深くなるのも当然だった。
あまりにも深すぎて今にも背中に傷の底が届きそうだったが、それでもまだ息は合った。甲虫武者の持つ強い生命力のおかげだろう。
「おい面義!しっかりしろ、おい!」
英は必死に声をかけ続けるも、それで血が止まることはなくそれどころかどんどん容態が酷くなっていく。肌の色が薄れていき目も虚ろになりかけている、例え甲虫武者でもこの傷ではすぐに再生することもできなかった。かといって甘味摂取用のチョコバーを取りに戻る時間も無い。
「お前……何で俺なんか庇ったんだ、病気を治すんだろお前!あいつに殺されてどうすんだよ!」
「ガハッ……やっぱり無理だったか……」
面義は自分が着実に死へと向かっているのに最後の最後で口角を曲げて、初めて英と会った時のような爽やかな笑みを見せる。その口から吐血が溢れ出てその残酷さが全てを台無しにしていた。
その姿はまるで死に様ぐらい格好つけようとしているようにも見え、英は慌てて声をかけ続ける。しかし面義の声は次第に掠れていき、指先からも力が抜けていった。
「……自業自得だな、命欲しさに伊音ちゃんを巻き込んで……それで今更仲間になろうとしたんだ……許されるわけねぇよな」
「許してくれるさ……俺だって一緒に謝ってやる!だから生きろ、死ぬな面義!」
すると面義を守っていたメンガタクワガタの鎧もドロドロに溶け、いよいよ彼は瀕死に陥っているただの人間へとなってしまった。もう生き残ることを諦めている面義を奮起させようと英は涙目になりながらも声を出す。
「やりたいことは!?手術して病気を治して、その後になんかないのかよ!?」
「……やりたいことはもうやった。どうせなら……お前に借りを作ってから死んでやろうと思ってな……」
面義の言うやりたいこと、それは鎧蟲狩りで大金を稼いだり伊音を誘拐したりなどといって金目当てのものでは決してなく、自分の意志で英を庇い命を犠牲にしようとしたのだ。
今まで金の為にと動いていた面義が、久しぶりに本心から思える感情であった。
最早面義に動く力は無い、動かせるのは表情金のみで今にも消えそうな笑い声をひねり出していく。自分の腕の中でどんどん冷たくなっていく面義に対し、英はどうしようもない絶望感に心を埋め尽くされ何も考えられなくなっていく。
「ハハッ……いつか、倍にして……返せよ……」
そして爽やかさを失ったその声が遂に消え、持ち上がろうとする腕は糸が切れたようにダラリと落ちる。そこからはとめどなく血が流れているが、それでも面義の体は動かなくなった。
静寂の中、風を切る音が廃工場を通過する。ヒヤリと冷たいそれが英と面義の頬を撫でる。
「面義?……おい!目ェ覚ませよ!」
その瞼は閉じ、いつしか血まみれの口からは呼吸の音が聞こえなくなる。英が何度も声をかけても面義が起きない。
人の死——それは今までに何度も聞いたことがあるものだ、だけどこうしてそれを肌身で感じたのは初めてだった。
「あ……あああああああああああああああああああッ!!!!」
遂に耐えきれなくなった英は、自分の手に付着した面義の血を見て発狂する。慟哭にも近いそれはボロボロの廃工場全体に響き渡り、その悲しみを共感させようと各々の耳に届いた。
しかし、それに対し鼻で笑う者が2名。
「これで1人が減ったわね、後は貴方たちだけよ」
「案外呆気なかったな……今度は逃さん」
「……呆気なかった?」
コーカサスの何気ない一言、それが耳に届いた瞬間英は正気を取り戻し、赤い手を握り締めながらゆっくりと立ち上がる。
その目は涙を流しながらも怒りの色を強く見せ、面義を殺したコーカサスに向けられた。
「お前ら自分が何をしたのか分かってるのか!?人が死んだんだぞ、人を殺したんだぞ!!」
「ん?あぁそうだな……それがどうかしたか?」
そして訴えかけるもコーカサスはあっけらかんとした態度で聞くだけで、自分の行った行動に何の疑問も抱いていなかった。それこそがコーカサスの恐ろしいところであり、人を殺すことに何の感情も感じていないのだ。
そこで英の涙は治まり、代わりに今までにないくらいの怒りが込み上げてくる。血まみれの手を強く握り刀を拾った。
「お前……お前ェーー!!!」
そのまま翅を広げ一気に加速、真っ直ぐ飛んでコーカサスに挑もうとする。しかしその途中で鴻大に止められ足を地面に置いた。
「止めろ英!悔しいが……今は退くべきだ!あの威力の斬撃をそう何度も放たれたら一溜りも無い!」
「だってこいつは!面義を、人を殺したんですよ!?許せるもんか、ぶっ潰してやる!」
その制止を振り解いてでも斬りかかろうとする英、最早悲しみと怒りがごちゃ混ぜになった状態で興奮を抑えることができないのだ。獣のように歯を食いしばり血眼の表情を見せる。
そんな英にコーカサスは不思議そうにしているだけで、一向に構えようとはしなかった。
「……何を言っているんだ?俺は確かにあいつを殺した、だけど元々はお前を狙っていたんだ。それなのにオレンジ野郎が邪魔しただけ……全部あいつが悪い」
「ッ――この野郎ッ!!」
しかしその疑問は英にとってただの煽りにしかならず、逆にその逆鱗に触れることとなった。完全に血が頭に上り切った英は鴻大の制止から抜け出しそのまま攻撃しようとする。するとその直前で、懐に強い衝撃が走る。
「うぐっ……!?」
「……許せ、英」
見ると鴻大が自分の太刀で峰打ちを当てていた。グランドシロカブトの鎧の隙間を潜り命中したそれは英を気絶させ鎮める。連戦による疲労も残ったのだろう、あっさりと気を失い鴻大に抱えられた。
「そのまま逃がすと思っているの?怪我人を抱えて私たちから逃げきれるかしらね?」
そしてそのままこの廃工場から飛び去ろうとするも、ギラファがそれを妨害する。鴻大たちに退避する理由はあってもそれを見流す義理は彼女にはなく、こうやって逃がさないようにするのは当然だった。長く伸びる二刀の長刀が鴻大に詰め寄る。しかし鴻大は落ち着いたままの様子を見せギラファと対峙した。
「……いや、お前だけは追ってこれんさ」
「何ですって?……ッ!」
その瞬間、背中から走った熱い感触に彼女は顔をしかめる。それと同時に綺麗な2枚の翅がボトリと落ち床の上で舞った。
見れば、その背中の傷と鴻大の太刀に同じような形で血が付着していることが分かる。
「いつの間に私の翅を……!」
「さっきお前と戦っていた最中にだ!」
そう言い残して鴻大は英を抱えたまま飛翔、そしてあっと言う間にこの場所から去っていった。こうなればもうギラファに追跡は不可能、となれば飛べるのはコーカサスだけだった。
「コーカサス!追うのよ!」
しかし彼女がそう命じてもコーカサスは動こうとはしない、それどころか大剣を後ろに放り投げて自分の鎧を解除していき、ボロボロのシャツと穴だらけのジーパン姿を辺りに曝け出す。
「……止めだ。あの白い奴は生かす」
「ハァ!?何を勝手なことを……!」
「あいつがもっと強くなれば、俺もより楽しめる……お楽しみだ」
コーカサスはギラファの命令を無視して英を生かすことを宣言、彼の強さに対し何かを見出しての行動だった。
しかし、それをはいそうですかと認めるギラファではない。脅し文句を言って後を追うように促した。
「貴方……こんなことしてあの人が黙っていると思う?――殺されるわよ」
「そいつはいいな!あいつとの戦いも面白そうだ!」
しかしコーカサス相手ではただ喜ばすだけで、ギラファは呆れ様子で顔に手を当てる。そして重い溜息を挟んだ後彼女も鎧を解いた。
大男と可憐な女性、そしてその先で転がる男の死体。傍から見れば何が起きたのか分からない光景だろう。
「ところでよ、これ……俺が食っていいか?」
「ご自由に」
こうして廃工場での戦いは幕を閉じた。残ったのは伊音が誘拐されるという悲惨な結末ではなくかといって報われた終わり方でもない。
残ったのは、橙陽面義という1人の武者が死に絶えたという結果だった。
――「橙陽面義」メンガタクワガタ、死亡――
その死に様は大量出血で苦しんでいる素振り1つすら見せず、逆に満足気のような顔をしていたという。夕日のような美しい色の鎧を纏う武者が、今夜空の下で息絶える。




