5話
「うっ……がはッ!」
痰のような咳をしその音で目覚める。そして最初に目に入ったのは見慣れない照明と天井、どこかで見たことがある雰囲気である。
「ここは……どこだ?あれからどうなったんだ?」
蟻と戦いそのまま倒れた所までは覚えている、しかし何故か俺がここで寝ているまでの記憶が無かった。どうして俺はフッカフカのベットで寝ていたのだろうか?
現状を確かめるべくゆっくりと起き上がる。そこで初めての自分の体の異常に気付いた。
「傷が……治ってる?」
あの蟻の化け物に刺された肩、腹から痛みを感じないことに気づき、そこで初めて傷が治っていることを察した。しかも包帯も巻かれたりなど一応の手当てもされている。つまり、誰かが俺をここに運んでくれたということだ。
それにしても本当にあの傷が綺麗に治っていることが信じられない、腹に至っては二度も刺されて内臓なんかぐちゃぐちゃになってると思っていたが、そんな様子も痛みも見られなかった。
「あ、目覚めたんですね!」
「君は……あのバイトの……」
すると俺が寝ていた部屋に見たことのある女の子が入ってきた。甘味を味わいながらその栗色の長い髪をもう一度目にしてここがどこかの予想がつく。
もしかしてここは……あの「カフェ・センゴク」か?
俺が蟻の群れと戦う日の朝に寄ったあの和風カフェ、今俺がいる部屋やバイトの彼女がいるということはここがセンゴクであることは間違いないだろう。
しかし何故俺はそのセンゴクで寝ているのか?もしかして彼女がここまで運んでくれたのだろうか?
「お父さーん!白髪の人起きたよー!」
「……お父さん?」
窓から見るにこの部屋は2階、そして彼女は1階にいる自分の父親を呼び出した。そうしてドタバタと階段を駆け上がる音がしたと思うと、そのお父さんらしき人物が部屋に入ってくる。
「目が覚めたか!傷の具合はどうだ?」
「あ、もう大丈夫です……」
顎髭を蓄えた大柄な男、筋骨隆々としており堅苦しいイメージの持ち主であった。しかしそれとは正反対的ににこやかな笑顔を見せて俺に歩み寄ってくる。それだけで優しい人というのが分かる程曇りなき笑みであり、第一印象から心を許せそうであった。
「伊音、こいつがお前の言ってた甲虫武者か?」
「うん、うちのパンケーキ食べてた」
どうやらあの女の子は伊音というらしい、向こうも俺のことを覚えてくれていたようだ。そう言えば男の客は珍しいと言ってたので印象に残ったのだろう。
それにしても、今男の人が口にした「甲虫武者」とは一体どういう意味だろうか?生まれてこの方聞いたことも無い単語だ。
「俺の名前は『神童 鴻大』、このカフェで店長をやっている。そしてこいつは娘の伊音だ」
「あ、どうも……雄白英です」
そしてこの人は鴻大、父親であるこの鴻大さんが店長ということは伊音ちゃんは娘として店の働いているのだろう。
向こうが自己紹介をしてきたので俺も自分の名前を教える。取り敢えず鴻大さんから話を聞くことが適切だ。体を起こし座った鴻大さんと目を合わせる。話を聞くにあの蟻について何か知っていると思うからだ。
「まず何から話した方が良いかな……取り敢えず、さっきの白い鎧を纏ったのは初めてか?」
「はい……って、俺の戦いを見ていたんですか!?」
ナチュラルに俺が白武者として戦ったのを見たと言い、何の疑問も無くあの鎧について聞かなかったことに驚いた。自分自身あの姿については詳しくなかったので助かったと言えば助かったが、やはりこの人は何かを知っているようだ。
「……これと同じ痣が、お前の右手にもあるんだろ?」
「カブトムシの痣……!そうです!この通り!」
そして何と鴻大さんの右手にも俺と同じようなカブトムシの痣があり、思わず自分の痣も見せた。痣を持っているということはまさかこの人も……
「成り立てか……急なことで大変だっただろう?」
「もしかして……鴻大さんも同じ……?」
「そう、この痣を持ち鎧武者の姿に変身できるものを『甲虫武者』と呼ばれている。俺やお前だけじゃなく、日本中に甲虫武者はいるんだ」
甲虫武者、さっき鴻大さんが口にしていた言葉だ。痣から糸を出し蛹に包まれその中で鎧を身にまとったあの姿、どうやら俺はその甲虫武者という存在になってしまったらしく、鴻大さんもその甲虫武者らしい。
そんなことを急に言われてピンと来ないが、現に俺はさっき武者の姿となり蟻の怪物と戦った。それは紛れもない事実であり俺自身が証拠でもある。そして彼にも同じような痣がある事から、信じる他無かった。
「甲虫武者といった存在がどういう原理でカブトムシの鎧を纏い、一体何者かは分かっていない。一般的にその存在が知られてもないし、都市伝説に近いものだ。基本的な共通点は人を超えた身体能力、大きな傷を負ってもすぐに治る再生能力、そして奴らに対抗できる戦闘能力」
「……奴ら?あの蟻のことですね」
再生能力というのはもう体で理解していた。蟻に体中を突き刺され何度もその傷を再生していた。あの回復の早さが甲虫武者の能力のものなら納得がいく。
しかしそれより気になったのは鴻大さんの「奴ら」という発言、正直鎧の力は二の次であの蟻の化け物の方を知りたかった。
「奴らもまた甲虫武者と同じく異様の存在――『鎧蟲』と呼んでいる」
「害……虫?」
「鎧の蟲と書いて鎧蟲、いつから存在しているか、どこからやってくるのかも分かっていない。ただ人間を襲うということは判明している、甲虫武者はそんな鎧蟲から人々を守るために戦っているんだ」
「じゃあ……ヒーローみたいなもんなんですね」
鎧蟲、ここにきて明確な名称が発覚する。そして甲虫武者たちはそんな鎧蟲を討伐することを生業にしているらしく、まさしく人の平和を守るヒーローのような存在ともいえるだろう。
「そんなヒーローにお前はなったんだ!もっと誇らしくしたらどうだい?」
「い、いや俺は大したことは……」
「何を言ってるんだ、蟻の鎧蟲に襲われたところを救ったじゃないか!初めてだったのに立派なことだよ!」
そんなに言われると流石に照れてしまう、思えば人からこんなに褒められたことなんか最近皆無で、気づけばいつもバイト先の先輩や店長に叱られた思い出がある。人に慕ってもらい久々に心が暖かくなった。
それにしても話を聞くに鴻大さんは今までの俺を間近で見ていたような節がある。ならば助けてくれても良かったのではないか?まぁここまで運んでくれた身に贅沢は言えない。
そんなことを考えているうちに忘れていた記憶を思い出す。そう言えば鎧蟲と遭遇した1回目と2回目のどちらも最後に黄色い甲虫武者の姿があった。
「あの……俺が見た黄色の鎧武者ってまさか……」
「それは俺だ、1回目の時はお前が甲虫武者になっていることに気づかなくてな、そのまま放置しちまった。すまんな」
そう言って気さくに謝ってくるが黄色の甲虫武者――鴻大さんがあの時助けに来なければ俺はこの世にいなかっただろう。俺はこの人に二度も救われたのだ。
それにしても鴻大さんの鎧は黄色、俺は黒い斑点付きの白、どうしてここまで色の差があるのだろうか?そのことも聞いてみた。
「甲虫武者の鎧は個人によって種類がある。お前は確か白い鎧だったな」
そう言うと鴻大さんはその部屋にあった本棚に手をかけ、1冊の厚い本を取り出す。瞬間、今まで突っ立っていただけの伊音ちゃんが瞳孔を小さくし、顔を青ざめながら後ろへ引き下がる。
鴻大さんが手にしたのはたまに目にする程有名な虫図鑑、大きなその本をパラパラと開いて目的のページを探し、それを俺に見せてきた。
カブトムシの欄、1ページ丸まる写真に使って書かれているのは白いカブトムシ、「グラントシロカブト」。俺の鎧と同じ色を持ち、虫に詳しくない俺でも見たことがあるカブトムシであった。
「甲虫武者の鎧は何故かカブトムシやクワガタが元になっている。お前の鎧は恐らくこの『グラントシロカブト』だな!白いカブトムシなんてそういないし」
「グラントシロカブト……」
確かに白いカブトムシなんてあまり聞かない。聞いたとしても真っ先に思い浮かぶのはそのグラントシロカブトだろう。
それにしても俺の鎧がグラントシロカブト、甲虫武者の鎧がカブトムシを元にしているのは分かった。なら鴻大さんの黄色い鎧は一体何の虫だろうか?
まぁそんなことはどうでもいい、問題は俺の鎧がグラントシロカブトということだ。どうせならヘラクレスとかコーカサスとかゲームとかで強いイメージのある奴が良かった。
「あのぉ伊音ちゃん……娘さんがめっちゃ怯えてるんですけど」
「こいつは虫が嫌いなんだ。図鑑の表紙を見るのも嫌なくらいな」
「あ、ごめんなさい。私ほんと虫駄目なんです……」
どうやら伊音ちゃんは虫嫌いらしく、それならあの怯えようも納得いく。それにしてもカブトムシが元の甲虫武者の娘が虫嫌いとは何とも皮肉だ。まぁ人の形をしているし武者自体はセーフゾーンに入っているのだろう、でなきゃ表紙も見れない女の子がこの空間にいることもできないはずだ。
「ところで英君、お前は今晩泊まるといい。再生力で傷が癒えているとはいえまだその体に慣れていないだろう?」
「えッ……いいんですか!?そんな赤の他人の俺に……」
「一晩だけならいいだろう、なぁ伊音」
「私も大丈夫です。どうぞゆっくりしてください」
鎧蟲から救い傷の手当までしてくれたというのに、今度は一晩部屋を貸してくれるという。この数日間で俺は鴻大さんのお世話になってばっかりであった。
ここまでくれば少々申し訳ないが、ここまでしてもらってそれを断るというのも失礼な話だ。それに今の俺は甲虫武者として覚醒したばっかの右も左も分からない状態、最初の1日だけは誰かに頼りたかった。
「じゃあ……お言葉に甘えて」
こうして俺は鴻大さんの家にて一晩明かすことになり、自宅の物とは比べ物にならない程フッカフカのベッドで今日を振り返るのであった。
甲虫武者や鎧蟲、現実離れした記憶を暗闇の中で振り返り、こう考えると今までの事は全て夢だったのではないかと思ってしまうが、カブトムシの痣がそれを否定する。
ベットの中で色んなことを考えた、しかし馬鹿だからかすぐに本当の夢の中へ意識を沈めていったのであった。