56話
刀を振り上げた瞬間、全身から一気に力が抜けていくのが分かった。そして糸が切れたように倒れ、目の前の勝家と同じように地面に寝転がる。
空を見上げれば爽やかな青空、どこまでも続く青一色が広がっていた。しかしそれとは逆に俺の口内はとっくに血だらけとなり赤色に染まり、鉄の味が舌を侵食していく。
「や、やってやったぜ……!」
流石に無茶をし過ぎただろうか?だけどああでもしないと長引いた戦いを終わらせることはできないだろう。そうこうしている間にも意識が遠のいてきて、瞼も重くなっていく。
俺に刺さった矛は抜け地面を転がり、それによって更に出血量が増えていく。
……このまま死ぬのかな?そんなことをボンヤリと考えていると、勢いよく口の何かを突っ込まれた。
「うぼッ!?」
「とっとと回復しろ」
その犯人は黒金、しかし急に人の口にしやがるという怒りよりも、たった今口に入れられた棒状のものから漂う甘い匂いが脳に伝達した。
チョコバーだ、頭でそれを理解するより先に顎を動かしてそれを噛み砕く。すると見る見るうちに怪我が治っていき、万全の状態へと戻った。
「あー助かった!でも何すんだコラ!」
「鴻大さんもどうぞ」
「ああ……ありがとよ」
何とか命は助かったがそれにしたって今の食わせ方は無い、文句を言ってやろうとするとそのまま師匠にもチョコバーを分けていく。俺とは違って両手を使っての手渡しである。そしてどうやら黒金や面義も回復を済ましたようだ。
俺はそのまま立ち上がり、周囲の状況を見渡す。人並み溢れたはずの街は激闘の末ボロボロになっている。ガードレールは歪み地面のあちこちが陥没しており、そこに散らばるのは雑魚鎧蟲たちの骸。
これだけあったら面義は「宝の山」と称して大喜びするのだろう、しかし今のアイツはそれよりも価値のあるものに目を奪われていた。
視線の先には倒れている勝家とそれを屈んで見ている面義、驚いたことに勝家にはまだ意識があり、喋ることもできるが流石に動く体力はもう無いらしい。
「驚いたな……貴殿が白武者たちと協力するとは思わなかったぞ、盾武者」
「利害の一致……みたいなもんかな?お前を売るためにはあいつらの力が必要だったんだよ。正直今すぐにでもお前を殺したいところだが、あの社長さんが聞きたいことがあんだと」
そう言って面義は親指で黒金を指す。すると向こうも勝家に歩み寄ってきた。
その目は冷酷の色に染まりまるで拷問するかのような冷たい感じである。まぁあながち間違いでもない。黒金の目的としては勝家から家族の仇である信玄のことを聞きだすこと、その為なら少々荒っぽいこともやむを得ないだろう。
「俺の言いたいことは分かるよな?武将勝家」
「……信玄のことか、家族を殺した者を我から聞きだすつもりだな……」
傍から見れば瀕死の勝家に2人の武者が詰め寄ってるので虐めのようにも見える。だがこれは仕方のないこと、それでも気が乗らない俺は今から起きるであろう惨状を伊音ちゃんに見せないようにする。虫嫌いの彼女にとって鎧蟲の拷問などトラウマものだろう。
「確かに我はあの男が好かない……だが言ったはずだ。どんなことをされようが決して口は割らん……!」
「そうか……長くなりそうだ」
そう言って黒金は黒刀を構え早速ことを始めようとする。もうどっちが悪か分からなくなってきた、兎に角俺も目を瞑って見ないようにしようとしたその時――風を切る音を闇の中で感じる。
「なッ――こいつまだ動けたのか!」
「――ッ!」
目を開けて見てみれば、勝家が黒金たちの間を潜り抜けていた。まだ動けることにも驚きだが、傷だらけとは思えない程の速さを生み一気に駆け抜けていく。
その先にあるのはさっきまで俺に刺さっていた瓶割矛。地面に転がるように着地しそれを拾い上げた。
「まだ抵抗するか……無駄なことを!」
その諦めない精神は見事だ、しかし今の勝家が全回復した俺たちに勝てるとは思えない。これは油断や傲慢とかではなくその怪我を見れば誰もが勝敗がついていると思うからだ。
さっきだって確かに速かったが、そのせいで更に出血が酷くなっている。奴の通った道に緑色の筋が作られていた。
「ハァ……ハァ……我が使命は貴殿らの首を持ち帰ること。しかしそれも全うできず挙句の果てに見世物として晒される……死んでも死に切れん!!」
するとその瞬間、勝家の瀕死の体に異常が走る。俺たちが与えた傷を中心にまるで物体のように亀裂が走り、体色がどんどん紫色に染まっていった。
そしてボロボロと欠片となって崩れていき、下に落ちたそれは粉々となり風の中へと消えていく。あまりの異常な行動にその場に居合わせた全員が見開いた。
「お、おい何だよアレ……」
「チッ……やはり副作用があったか……!」
それはどんどん広がっていき、勝家は紫一色に侵食されていく。さっきまであんなにドバドバと血を流していたはずなのに、今となってはその鮮血もボロボロとなり残りカスのように消えていく。
「……同じだ」
「え?」
しかしそれを見て一番驚いていたのは黒金、その驚愕の表情にはそれ以外にも何故か怒りも感じ取れる。目をより一層開きプルプルと震えている手を強く握りしめていた。
その目は、まるで仇である信玄を目撃したかのようなものだった。
「俺の家族が殺された時と同じ症状だ……あれと同じ色に染まり、同じように崩れていった!」
「なッ……じゃあアレは……」
「そうだ、我が服用した薬を作ったのは信玄。奴にとって我はただの実験体だったわけだ」
今までの鎧蟲には見られなかった現象、それは黒金の家族が殺された時と同じらしく、つまりこの症状は信玄によるものであることが分かる。
「グッ……こうなることは分かっていたが、それでもあの男に利用されたのは腹が立つな」
「わ、分かっていて飲んだのかよ?何で……」
「何故?言っただろう……こうでもしないと我は貴殿らを討ち取ることができないからだ。言わばこれは弱き自分への罰だな……」
良く分からないが、兎に角勝家が飲んだというドーピングの薬は命を削るものだったらしい。しかしあいつはそれを承知の上で服用したのだ。死ぬことが分かっていたのに何故そんなことを?その理由を勝家は瀕死の声で淡々と答えていく。
「我にとって……我が主の命は絶対、あのお方の為ならば喜んでこの命を捧げる性分だ。それでもこの様だ……せめて、死に様だけは信長様の家臣に相応しいものにしなければ」
信長、新たな名を口にした勝家は崩れかけた体を無理やり起こし、最早千切れかけている両腕で矛を構える。ちょっと握っただけで手全体に一気にヒビが入った、もういつ死んでもおかしくはなかった。そして……
「――死後猿に辱めを受けるか、憎き相手の毒にかかるか……この命、そう安いものではない!!」
「じ、自分の体に矛を……!?」
震える瓶割矛の先で、そのまま自分の胸を貫いた。
もう血は出ない、その穴から更に傷が広がり遂に腰もボロボロとなって上半身と下半身が別れてしまう。さっきまで矛を握っていた両手も崩れ、徐々に顔部分へ侵食するように粉々になっていった。
「最後に……頼みがある、誇り高き我が宿敵たちよ……」
するともう頭部だけになってしまった勝家が、消える直前に俺たちの方を見てそんなことを聞いてきた。こうしている間にも首が崩れ、亀裂は顎に到達していく。
俺は勿論、鎧蟲を恨んでいるはずの黒金、売る対象が消えていき大損である面義、師匠や伊音ちゃんなどその場にいた全員がそれに耳を傾けた。
「貴殿らとの時間は……夏夜の夢路のように儚く短いものだったが……どうかこの勝家の名を、後世に語ってくれ……さすれば、いつしか信長様のお耳にも届くだろう……我の……忠義を……」
そう言い残すと勝家の頭は完全に砕け散り、跡形も無くなって消えてしまう。粉々になったその一部は風に吹かれてどこかへ消えていき、それが虚しさを語っていた。
――勝家は倒された。普通なら雄叫びを上げて跳ねながら喜ぶことだろう、なのに何故かそんな達成感が全然湧いてこない。
たださっきまで勝家がいた場所を眺めるしかなかった。そこにはあいつが翳していた瓶割矛と、羽織っていた緑色の陣羽織が漂っている。
「勝ったんだよな……俺たち?」
「ああ……最悪な形でな」
何かやるせない気持ちの俺は思わず黒金にそう聞いてしまう。見ればその表情は怒りと驚愕のものからしかめっ面へとなって皺を寄せていた。それは向こうの面義も同じ、頭を抱え溜息を重く吐く。
「糞ッ……結局なにも聞け出せなかった!」
「最悪だ!何のために戦ったんだよ俺は!」
俺は別に勝家を倒せたため何も文句は無い、しかしこの2人にとって本来の目的は達成されていない訳だ。信玄のことを話す口や大金で売れる死骸は粉々になって消え、実質何の成果も無いことを示す。
――いや、それは俺も同じかもしれない。俺は人と鎧蟲をこれ以上争わせないために戦っている。その為にこれからも鎧蟲たちを倒し奴らを切り伏せる必要があった。勝家を倒したということはその第一歩とも言えるだろう。
なのに何故だろうか、心にすっぽりと穴が開いたような喪失感があった。
「……取り敢えず、一旦カフェに帰ろう」
師匠の指示により、今は店に戻ることになった。一件落着とはいかなかったものの人類にとっての大きな脅威が1つ消えたことは喜ぼう。
そうしてその場から立ち去ろうとしたその時――後ろから聞き覚えの無い声が聞こえた。
「何が『我の忠義』だ、だったら武者の首を1つでも多く持ち帰ってそれを示せ」
「――ッ!!!」
刹那、勝家が死んだと時に同じように消え去った虫の知らせが一気に反応する。鳥肌も尋常じゃない程立ち、俺たちは振り返りながら後ろへと下がる。師匠は伊音ちゃんを抱えながらその前に出ていた。
見れば勝家の矛と陣羽織がある場所に蜘蛛の巣が浮かび上がっている。そしてその声の主がそこから姿を現した。
「最期には毛無猿に懇願する始末……信長様の家臣と聞いて呆れる。やはりあのお方に相応しいのは私だな……!」
「蟻……足軽か?いやこの感じは……!」
そいつは今まで戦ってきた足軽と同じように蟻の顔を持っていた。しかしそんなのとはレベルが違うことを虫の知らせが何より知っている。そもそも勝家と同じような陣羽織を纏っている時点で何者かは分かっていた。
その背中には両手で数えきれない程の武器が背負われており、それがまるで甲冑の一部のように展開している。
「……新しい武将か!」
「よぉ、お前らが武者か。私の名は『秀吉』――以後よろしく」
蟻の武将、名を「秀吉」と名乗ってきた。武士のように真っ直ぐな志を言動と行動で見せていた勝家とは逆に、こいつは何か軽そうな雰囲気がした。
それにしてもこのタイミングで別の武将が来るなんて……俺たち4人は一斉に構えだす。
「おっと!今日はお前らと戦う気は無いんだ。俺の目的はあくまでこれ」
そう言って秀吉は勝家の陣羽織を踏みにじり、その横に転がっていた瓶割矛を大事そうに撫でながら拾い上げる。さっきの言動といい、仲間であるはずの勝家の死に対し何とも思わないのか……?
「今の戦いを見て分かった。お前らと戦うのはまだ先だ、時期が早すぎる」
「――待てよ!」
そのまま立ち去ろうとする秀吉を、面義が呼び止める。ニヤリと笑い盾と刀を構えている、どうやら戦う気満々らしい。
「丁度良かった、勝家の死骸が手に入らなかったのは残念だが同じ武将なら問題ないだろ!」
「止めとけ面義!初めて戦う敵だ……何をしてくるか分からねぇぞ!」
「うっせぇ!タダ働きだけは御免なんだよ!」
目的の物を手に入れられなかった面義はヤケになり、代わりに秀吉を倒して売ろうと奮起する。だけど俺たちが勝家に勝てたのは少なからず祖の戦い方を知っていたからだ、未知の敵――それも大量の武器を持つ相手だと危険すぎる。
そんな俺の忠告など耳にせず、面義は盾から髭を伸ばしそれらを一気に伸ばしていく。奴の視界が髭の塊で埋まり迫っていく。
しかし次の瞬間――一度にいくつもの穴が開き千切れてしまう。
「なッ……俺の翁呪樹が簡単に……!」
「今の技は……!」
面義が自分の技を負かされたことに驚いているのに対し、俺と黒金は既視感のある今の光景に息を呑む。見れば秀吉は蟻の顔で笑い今しがた拾った瓶割矛を構えていた。
「今のは……勝家の技だ!何でお前が……」
「……武器は、使用者の強い感情の影響を受けその者の記憶が宿る。持ち主が強ければ強いほどそれは深くに眠っているもんだ」
すると秀吉は勝家の矛をさも自分の物のように振り回し始める。ようにではない、なんとその動きはさっきまで戦っていた勝家と全く同じ動きと速さだったのだ。
再び衝撃を受ける俺たち、まるで倒したはずの勝家が生き返ったかのようだ。
「私はその記憶を呼び起こし、自由に使うことができる。今の技は確か……障子破りという名だったか?」
「嘘だろ……そんなのありかよ!」
つまり、秀吉は武器を持っただけでその本来の使用者の動きを完璧に真似ることができるという。嘘のような話だが、今さっき見せられた勝家と同格の矛捌きが何よりの証拠であった。
それにより一気に緊張感が走る。こいつは――強敵だ!
「ま、さっきも言った通りお前らと戦う気は無い。今日のところは見逃してやるよ」
「……見逃す?命拾いしたのはそっちじゃないのか?」
すると黒金が挑発のような一言を最後に添える。余計なことはよせと止めるべきだろうが、こっちは4人もいるし敵の正体が不明とはいえ負ける気はしない。この場で戦う覚悟はあった。
しかしそんなものは、秀吉の一瞥によって掻き消されてしまう。
「――図に乗るなよ、今ここでその四肢引き千切って屑のようや無様な姿にし、厠の糞の山に捨てることもできるんだぞ」
「――ッ!」
俺たちの虫がこう言う、「こいつと戦ったら死ぬ」と。その鋭い視線だけでも殺傷力があるような気がして、思わず回避行動に移りそうになった。
そして秀吉はそのまま蜘蛛の巣へと去り、俺たちの前から姿を消す。情けないことに、それに少し安堵してしまった。




