3話
「……うがッ、はぁあ~~」
目覚めるといつの間にか朝日になっており、俺はあのまま木に腰かけたまま寝ていたらしく体を伸ばしてと同時に情けない欠伸を出してしまう。
はて?俺はこんな森の中で何をしていたんだっけ?確かバイトをクビになって落ち込んだまま帰っていた途中……に……
「ッ!!」
そうだ!見たこともない蟻の怪物に襲われてここまで逃げてきたんだ!
それを思い出した俺はすぐに立ち上がり慌てて周囲を見渡す。流石に朝なので森の中でも目が効き、近くにあいつがいないことを確認した。
逃げきれた……?いや、俺はあと少しで殺されるところまで追い詰められていた。ならば俺を殺さずにどこかへ行ったのだろうが、あんなに執着していたくせにあの場面で見逃す理由が分からない。
「……夢でも見ていたのかな?」
やっぱりあんな蟻の怪物が現実に存在しているはずがなく、夢でも見ていたのかもしれない。信じられない程体が動くようになっていたのも俺の妄想として解決できる。
しかし夢で何故俺がこんなところにいるという説明にならない。確かに俺は寝相が悪いが夢遊病の癖は無かったはず。
ならばクビになったショックで幻覚を見ていたのかもしれない。しかしその可能性も左肩を見て無くなった。
「俺の肩……治ってる?」
服の左肩部分に大きな穴が開いており、あの蟻に刺された所なのはすぐに分かった。俺がさっきまで寄りかかっていた木にも同じようなサイズの穴が開けられている。
しかしそこに付いているはずの傷穴が綺麗さっぱり消えており、槍で刺された時の痛みが嘘のように消えていた。傷一つ付いていない肌が服の穴から露出し、何とも不可解な現象を見ている。
そして一番謎なのは口の中、バイトの帰りから何も食べていないはずなのにそこには今まで味わったことがない極上の甘い味が広がっていた。
「やっぱり何か変だなぁ……だけど体も痛くないし」
解せない気持ちになりながらも俺は自宅へ帰っていた。
蟻の化け物、強くなった自分の体、そして塞がっている傷。全てが不可解なためやはり夢と解決した方が楽になると思ったが、そうは問屋が卸さない。この通り服の穴として証拠があるため少なくともあれは現実に起きたことだ。
じゃああの蟻の化け物を何て説明するか?通り魔を化け物に見間違えたと言った方がまだ現実的かもしれない。それ程までに俺の中であの蟻の存在が信じられなかったのだ。では治った傷はどう説明つく?
「――ああもう!頭痛くなってきた、この話題もう止め!」
ただでさえ馬鹿なのにこれ以上難しいことを考えるとパンクして爆発する!夢だろうが幻だろうが全て忘れよう!何故なら、俺はそれよりも次のバイトを探さなければならないからだ!
帰りにコンビニに寄って求人雑誌を貰おう、そう思って歩いていると俺の鼻が甘い匂いを捉える。その香りに思わず立ち止まりその方向を見た。
(甘い匂い……あの店からか?)
そこには広い庭を持った一軒家、近くの看板には「和風カフェ・センゴク」と書かれている。和風というだけあってその外装は所々「和」の要素が強く見られたがそれでいて西洋の感じも両立している。爽やかな雰囲気になりそうなデッキ、庭までの道のりには沢山の置物があった。
あのようなオシャレ空間は一生俺と縁が無いだろう、そう思っていたが何故かその甘い香りに光に集まる虫の如く引き寄せられてしまい、いつしかその前まで進んでいた。
(こんなところに和風カフェなんてあったのか……知らなかったぁ)
まぁもっとも毎日バイト漬けだった俺にこんな小洒落た店に寄る金も時間など無かったので知らないのも無理はない。それにここはバイト先へ出勤する道とは正反対だ、蟻から逃れるためにこんなところに来ていたのか。
すると外にもメニューが設置されておりふとそれを手にとって見ると、そのあまりの値段に目が点になり驚愕してしまう。い、今どきのカフェはこんなに高いのか……恐ろしいものだ。
そしてこのカフェに俺なんかが近寄ったらまずいのでは?なんていう謎の謙遜が頭をよぎり恐れる目をしてゆっくりとカフェから離れていく。しかしその前に扉が開いた。
「いらっしゃいませー!どうぞ中へ!」
「え、いやあの……はい」
出てきたのは長い栗色の髪の女の子、バイトの高校生だろうか?兎に角店員の1人が俺を出迎えてくれたわけだが、内心しまったと思う俺。すぐに立ち去ろうとしたがこうお招きされてしまうと帰りにくくなってしまう。そして入店すれば何か注文しなければならなかった。
勿論今の俺にそんな金は無い。今財布の中には一万円、これが今の全財産。これで今月をどうにかやりくりするつもりだったのに……
ここまできたら帰る方が失礼だろう、今の心情が顔に出ないようにその店へと入っていく。
内装は意外と洋風な感じで、明るく広々とした空間の天井にはこう言った店でよく見かけるシーリングファンが設置されていた。数ある丸テーブルの中から1つ選んでその席に付き、再びメニューを見る。
(どうしよう……一番安いのはどれだ?)
血眼になって値段を上から順に見ていき俺の財布に優しいものを探す。そうしてふと目に入ったのは「パンケーキ」の欄にあるものであった。
600円か……まぁこれでいいだろう。他に客もいない為その女の子はずっと俺の側で待機していた。彼女に選んだメニューを伝える。
「この……『チョコソースたっぷりパンケーキ』を」
「チョコのパンケーキですね……コーヒーと紅茶どちらにします?」
「えっと、じゃあコーヒーで」
「かしこまりましたー!しばらくお待ちください!」
そう言って彼女は元気一杯で料理場へと入っていく。今俺が座っている席からその様子が見え調理に取り掛かる姿が確認できた。
……そう言えば他の店員、もしくは店長はいないのか?流石にバイト1人だけに店を任すというのは些か無謀というか油断しすぎだと思う。そう言えばコンビニの前に喫茶店で働いていたことがある。それもクビになったが。
「お待たせしました!チョコソースたっぷりパンケーキです!」
数分経つと俺の前に頼んだ彼女の手でパンケーキが運ばれてきた。そこには想像以上にチョコをぶっかけられていたパンケーキがあり、思わず後ろに引いてしまう。
同時にコーヒーもやってきて俺の食事の準備ができる。思えばパンケーキなんて何年ぶりに食べるだろうか?フリーター生活に入ってから全然味による娯楽を楽しんだことはなかった。
「この際堪能するか……いただきます」
そう言って俺は慣れていないフォークとナイフでふんわりとしたパンを切り裂いていく。そして一口サイズにしたものを早速口の中に入れた。
「……うまいッ!」
その味は自分が想像してたよりも美味で、パクパクとフォークが進む。そこまでチョコが好きというわけでもなかったが、今となってはこの甘味の虜となっていた。
コーヒーの苦みとも調和させあっという間に完食してしまう。もうちょっと味わって食べればよかった。まるで本能が呼び起こされるかのように口へ運んでいた。
「うち、女性客が殆どで男の人なんか全然来ないんですよ。1人だけ常連の人がいますけど」
「いやー美味しかった。ごちそうさまでした」
そう言って俺は満足した表情で両手を合わせる。その際女の子は俺の手を見て目を丸くした。チョコレートでもついていたかと思ったがそんなことはなかった。じゃあ一体何を見てそんなに驚いているのか。
「あのお客様……そのカブトムシのような痣は?」
「ああこれか、何か昨日突然ついたんだよね。しかも偶然カブトムシの形になってるんだよ」
そう言えば昨日の不良にもタトゥーと間違われていたな。まぁ痣が偶然カブトムシの形になるなんて奇跡にも近い話だ。確かにこれなら目を丸くしてもおかしくない。
それにしても……結構量があったから昼飯は抜こうと食べる直前に考えていたが、この分だと普通に入りそうだ。
「よっこらせっと……お会計お願いします」
「え、あっはい!ただいま!」
すると何故かぎこちない表情になった彼女は不思議なものを見る目で俺の会計を対応する。やっぱりこのカブトムシの痣は変か、だけど何故か消せないしどうしようもなかった。
そうして俺は店を後にする。その際、最後まで彼女にその視線を向けられていたことにも気づかず。
そこから一旦家に帰り着替えた後、これからの生活を支えるためのバイト探しが始まった。ただでさえパンケーキを食べるなんて贅沢をしてしまったため力を入れなければ。
しかし運が悪いのか、近くにこれといった求人が無く雑誌の情報は全滅してしまった。こうなったら足で探すかと再び外に出かける。
身近にある飲食店、本屋、バイト募集してそうな店を片っ端から周り求人していないかを確かめていく。しかしとことん運が無いのかどこにもそれらしい店は無かった。こうなったらあのカフェに募集していないかと聞けばよかった。
あっという間に夜になり、仕事など1つも見つからずにアパートへと帰る。また遠くまで来てしまい思わず蟻の怪物のことを思い出した。忘れようにも中々忘れられない。
結局あいつは何だったのか?また俺を襲ってくるのか?まぁ俺の事だから3日寝れば頭から綺麗さっぱり抜けているだろう。寧ろまたこんなに遅く外を出歩いていればまた蟻の化け物に出くわしてしまうかもしれなかった。
そんな杞憂にも近いことを考えていると、突如として不思議な感覚が頭を過る。
「なんだこの感じ……何かいる?」
周りには何もいない、目も耳も捉えていない。それなのにそう遠くない場所にその「何か」がいることを頭が察していた。行かなくてはならないという使命感、「それ」を求める欲求、不可解な感情が俺の体を奮い立たせた。
気づけば俺は走り出しておりその場所へと向かっていた。頭の中の地図も情報も無いのに何故か「それ」がどこにいるかが分かりそこを目指して道なりに進んでいく。
「キャッーー!!」
「悲鳴!?くッ!」
突如、向かっている方向から女性の悲鳴が聞こえてきたので走るスピードで上げ、急いでそこへと向かう。辿り着けばそこには見覚えのある人影が3つ、そしてそれに取り囲まれているのは悲鳴の持ち主であろうOLの女性。
「昨日の蟻!しかも3匹も……やめろ!」
襲われている女性を見て俺は居ても立っても居られなくなりその蟻たちへ突撃する。そして今にも槍で突き刺そうとする動きをタックルして邪魔し、その間に女性を逃がした。
それによって俺が怪物に囲まれてしまい、絶体絶命となってしまう。ただでさえ1匹から逃れるのにも一苦労するというのに3匹も集まったらどうしようもない。
「キキッーー!!」
「のわッ!」
すると後ろに回っていた蟻が不意打ちしてきたので、昨日と同じように直観で躱す。すると他の2匹も同時に攻めてきた。多数による猛攻がどんどん俺を追い詰めていく。
槍の突きは回避できるが腹を思い切り蹴られてしまい地面を転がった。強い衝撃が腹部に辺り思わず吐きそうになる。
「ガハッ……!」
地べたの上で悶えていると蟻たちがこちらに詰め寄ってきた。息を荒げながらも何とか逃げようとするが体が思うように動いてくれない。
すると昨晩と同じように俺の頭に映像が飛び込んでくる。それも昨日とは比べ物にならない程量が多く最早頭痛のようにも感じてきた。白い鎧に刀、そして肉が断たれるような激痛がカブトムシの痣に襲い掛かる。
「カブトムシの痣……これを使えばいいんだな?」
何が何だか分からない、だがこのカブトムシの痣がこの場をどうにかしてくれると何となく頭で理解する。こいつらはどうにかしなきゃさっきの女性のように他の人も襲われてしまう。
この痣でどうやって蟻に対処するのか?そうなったところで俺に何ができるのか?俺はここで死んでしまうのではないか?
「――もう、ごちゃごちゃ考えるのは疲れた!馬鹿は馬鹿らしく、突っ走ってやる!!」
そう言って俺は急いで立ち上がり、痣のある右手を空に翳す。それと同時3匹の蟻が同時に槍で刺してくるが、右手から糸が飛び出して群がっていた蟻たちを蹴散らした。
どんどん俺の右手から出てくる大量の糸、それは勝手に動き回り俺を包み込んでいく。
「何!?何これ!?ちょっとタンマタンマッ!!」
そんな俺の制止も効かず糸は完全に俺を隔離したところで次々と形を成していき、いつしかカブトムシの蛹の形になり白から茶色へと変色した。
一方蛹の中という狭い空間に閉じ込められた俺はどうすることもできず慌てふためく。すると今度は俺の体に白い鎧が勝手に装着されていった。
「どうなってんだこれ!?今俺どうなってんのぉ!?」
自分の姿を確認するためにここから出ようと蛹の壁を手で叩くがビクともしない。このままどうなってしまうのか、どうしようもない不安を前に次は刀が目の前で形成された。
白く美しい刀、蛹の中なのでその綺麗さはよく見えなかったが突然俺の手元にそれが現れる。
「これで斬れってことか――はぁあ!!」
さっきから今の状況に動転しているだけであったが、ここまできたらもう流れに身を任すしかない。俺は籠手を纏った右手でその刀を強く握り、目の前の蛹を切り開いた。
自分を隔離していた蛹を一刀両断、そうしてようやく外の空気に触れ解放される。そこでようやく今の自分を確認した。
「すげぇ……白い鎧だ!」
夜だというのに光を反射する純白の鎧、籠手、胴、足の全てが白色でその綺麗さに思わず惚れ惚れとしてしまう。
もしかして、そう思い頭を触ってみればやはり兜もあり、2本の角が縦に並んで正しくカブトムシの頭部であった。頭の先からつま先まで完全に武装していた。
そして右手に持つのは白い刀、硬かった蛹も見事切り裂き凄まじい切れ味を見せてくれた。まるで宝石のように光り輝き絶大な鎧以上にその存在感を示している。
「これで戦えってか……良くわからんが来い!」
そしてそれを3匹の化け物蟻に突き立て牽制、俺が急に鎧を着たことに若干怯んでいたがまだやる気らしい。
この鎧、この力が何かは分からない。だけど馬鹿な俺でも、今何をすべきかが分かる。これ以上人が襲われないようにするためにも、今ここでこいつらを倒す!