29話
「英さんと黒金さん……いつもより遅くないですか?」
「ああ、虫の知らせはとっくのとうに消えてるんだが……」
カフェ・センゴクでは伊音ちゃんと師匠が戦いに行った俺たちを待っていた。もう閉店の時間、客も残っておらず甲虫武者のことを知っている関係者しかいない。だからこそ話し合いがしやすい。
「あ、帰ってきた!お帰りなさ……い?」
「……また喧嘩してるな」
そうして店に入ってきた俺と黒金、その様子はいつも通りいがみ合っている。その姿にヤレヤレとする伊音ちゃんと師匠。しかし今回の喧嘩はいつもと違った。
「お前の脳の足りなさには逆に感心させられる!どうしてあの場面で和解を持ちかけられるのか!」
「だって話ができるなら誰だってそう考えるじゃん!」
「話が通じない程ロジックの違いがあるのは明白だったろうが!」
互いの頬をつねりながら店へと入る俺たち、いつもより騒がしく口喧嘩が伊音ちゃんたちの制止を無視し続く。こいつがそんなに怒ってる理由は分かる、流石に今回のは自分も悪かったとは思っているが、話ができることが分かれば誰だってああするだろう。
「まぁまぁ落ち着け、何があった?」
「鴻大さん……武将が現れました。勝家と名乗るトンボです」
「なッ――武将が!?」
そう、俺たちは人の言葉を喋るトンボの鎧蟲「勝家」と遭遇した。そいつの強さは今までの鎧蟲とは比べ物にならないもので、ダンゴムシとの戦い直後とはいえ俺と黒金はあっさりとやられてしまった。
その際黒金は勝家の事を「武将」と呼んだ。そして師匠も今その単語を聞いて珍しく動揺している。甲虫武者になったばかりの俺にはわからない、この界隈にだけ伝わる何かの隠語だろうか?
「あの……武将って何のことですか?」
「……そうか、英にはまだ話してなかったな。ついでにあのことも話すか……いいか黒金?」
「……はい」
素直に聞いてみると師匠が教えてくれることに、しかし何故か黒金の承諾を得ている。気づけば俺以外緊迫した雰囲気になっており、あまり関係無いともいえる伊音ちゃんさえつらそうな顔をしていた。
一体何を話すつもりなのか、俺も場の空気に耐えられなく縮こまってしまう。目を瞑り少々困った様子で師匠が口を開いた。
「……3年前、叡火市で起きた事件を覚えているか?」
「それってもしかして……『叡火の惨劇』のことですか?犠牲者が大勢出た……」
3年前、叡火市、この僅かな単語でも師匠が何を語ろうかは俺でも察しがついた。
都内の叡火市、大きな街でかなり発展しており有名観光地にもなっている。しかし3年前、その街に悲劇が訪れたのだ。
テロリストによる大量殺人、豊かであった叡火市はたった数時間で血に染まった。
「死者や行方不明者の数は1500人、ここ近年で一番有名な事件だろう……ここまで言えばもうお前でも分かるだろ?」
「まさか……鎧蟲が!?」
「そう、テロリストは事実をもみ消すための嘘。本当は鎧蟲の群れが一斉に襲ってきたんだ!」
叡火の惨劇は俺でも知っている最悪の事件、そう言えばテレビで見て首謀者やその仲間の名前が1人も上がらなかったことを疑問に思っていた。それがまさか人ではなく鎧蟲の仕業だったとは、驚愕の真実とかそういうレベルの話じゃない、あの大量殺人事件の真実を知ったのだ。
「数えきれないほどの虫の怪物、一般市民や警察がそんな急な事態に対応できるはずも無く沢山の犠牲者が出た」
「……まさか、黒金の家族も……!」
「そうだ、俺の家族もその日に殺された……!」
そう言って黒金は震える声で両腕を握りしめる。そうか、だから師匠はこいつに承諾を得たのか。黒金にとって叡火の惨劇は思い出したくも無い嫌な出来事、いやこいつだけじゃない。被害者の家族、恋人、親友にとってあの事件は多くの人を絶望に叩き落とした。
――話を聞けば俺も怒りが抑えれなくなる。鎧蟲たちのせいで一体どれだけの人が悲しんだのか、その数は犠牲者より多いだろう。
『我々という種族が繁栄するためには毛無猿を狩る必要があるのだ』
これはあの勝家が言ってた言葉だ。どういう意味かは知らんがあいつらは何かの目的があって人間を狩っているのだ。寧ろ理由も無くこんなことをしていれば俺は憤怒でどうにかなりそうだった。
「そしてその日に確認された鎧蟲の大群を束ね、陣羽織を羽織り完璧な統率をする鎧蟲の4匹のリーダー……それが武将だ」
「じゃあ黒金の家族を殺した蜂ってやつも……」
「信玄――ようやく名前が分かった……!」
今俺たちが名前を知っている武将は2匹、トンボの鎧蟲である「勝家」、そして黒金の家族を殺した蜂の鎧蟲「信玄」。叡火の惨劇に現れたという4匹の将軍の内2匹がこいつらであろうか?
「俺たちが普段相手にしている鎧蟲は言わば働き蟻だ、それを影から統率しているのが将軍ってわけだが……知らないだけでもっと上の存在がいるかもしれない。鎧蟲は人間と同じような社会性を持っている」
「つまり……鎧蟲を全部倒すには絶対にその武将とぶつかるってことですね」
「そうだ……雄白、お前はそんな奴と会話をしようとしたのだ!」
すると黒金の怒りの矛先がここにはいない信玄から俺へと移る。まだ俺が話し合いをしようとしたことに怒っているのか。
「馬鹿だとは思っていたがまさか鎧蟲相手に対話ができると思う程とは思っていなかった!向こうの方がまだ賢かったぞ!」
「だ、だけど話せるなら誰だっていけると思うじゃん!」
「お、お前鎧蟲の将軍を説得しようとしたのか?」
俺にとって鎧蟲の名前を知らないどころかそんな存在がいることすら知らなかった。だから言葉を話す鎧蟲の存在は例え化け物でも希望の存在に見えた。もし話ができればこれ以上の戦いを無くせるかもしれないと思ったからだ。
その考えが安易だったことは認めよう、だけど対話をしようとした自分が間違っているとは思えない。鎧蟲との戦いをこれ以上血も流さず止められるという手があるなら俺は迷わずそれを選ぶ。
「例え言葉が通じても奴らと理解し合えると思うか?それができるならこんなことになっていない」
「英……気持ちは分かるが流石にそれはできないだろう、まず奴らとは住む世界が違うんだ」
黒金は勿論あの師匠にまで否定されてしまった。優しい師匠なら賛同してくれると思ったんだがどうやら自分勝手に考えすぎたらしい。
……本当に分かり合えないのだろうか?師匠も黒金も同じことを言うがどうにも俺はそう思えない。確かにあの勝家とは話がつかなかった。だけど鎧蟲も人も十人十色、向こうにだって俺と同じような鎧蟲の将軍はいてもおかしくはないと思う。
「それで――どうだったその勝家と言う将軍は」
「……悔しいですが、全く歯が立たなかったです。俺や雄白の攻撃が1つも当たりませんでした。あいつの強さは目にも止まらないスピードです」
そんな俺の考えも虚しく2人は勝家をどうやって倒すかという話をし始める。黒金の言う通りあの素早さは本当に凄かった。消えるようにその場から飛び去り凄まじい速度で翻弄してくるあの動きは、まるで風邪か何かだ。
そしてあいつの強さはスピードだけじゃなかった。
「俺の鎧も簡単に貫かれました……多分あの速さに乗って槍の鋭さを上げたんだと思います」
守りが特性である俺のグラントシロカブト、その鎧にいともたやすく穴を開けられたのだ。あのダンゴムシの殴打も防ぎ切っていたあの鎧が。最近自分の硬さにようやく自信がついてきたところだったが勝家によって見事打ち砕かれた。
でもあの見た目でパワーがあるとは思えない、つまりあの高速な動きで一気に加速し刃をより鋭利なものにしたのだろう。そうでもしない限り俺の鎧が破られることはない。
「将軍レベルがどれほどの強さなのかは分からない、戦ったことのある甲虫武者が少ないからだ。だがお前たち2人がそんなに簡単にやられるとなれば……その強さは計り知れないだろうな。その後はどうなった」
「……逃げられました。何故か虫の知らせも反応しませんし……俺はもう一度探しに行きます!」
「待て待て、肝心な虫の知らせも無いのにどうやって探す?相手は速いんだろ?普通に探しても見つからないだろう」
「じゃあ将軍を野放しにしておくんですか!?今ここで逃せば奴への足がかりが……!」
「落ち着け黒金!……仇の名が分かったからそうなるのは分かる。だけどどうやって倒すつもりだ?何か対策を打ってからにしろ!」
焦りすぐにでもあいつを探しに行こうとする黒金、しかし師匠に叱咤され収まる。あの勝家から家族を殺した「信玄」という将軍に関することを少しでも見つけようと思ったのだろう、確かにあいつは信玄について詳しそうだった。何も知らないということない。
だが確かに今行ってもただ負けるだけかもしれない。あの目にも止まらぬ速さに対しどうすればいいのかも決まってないし、そもそも虫の知らせも使えずにどう探すという話になる。
正しい判断だ、闇雲に向かっても返り討ちになる可能性が高い。だけど俺は珍しく黒金と同じ考えだった。
「でも!こうしている間にも誰かが襲われてるかもしれませんよ!俺と黒金だけでも探しに行くべきじゃ……」
「虫の知らせの反応から逃れる、ということは向こうは甲虫武者に見つかりたくないから何とか自分の存在を隠しているんだろう。理屈は分からんが奴らは俺たちから隠れる術も持っている」
「そ、そうですけど……」
その言葉を聞いて俺は「ハッ」とした。そう言えば勝家は「用がある」と言っていた、どんな内容かは分からないがその「用」とやらを遂行するためには俺たち甲虫武者から姿を隠す必要があるという訳だ。そうでもないとあの場で逃げ出したりしない。
だけど無関係な人が襲われるという保証はない。例え目星が無くても俺たちには探す義務がある!こうもしている間にも叡火の惨劇のようなことが起きるかもしれない、そう思うとジッとしてはいられなかった。
「あぁー分かった分かった!じゃあ俺が今から探しに行く。見つかったら連絡するからお前たちは勝家を倒すための手段を考えてくれ!」
「師匠……ありがとうございます!」
どうやら俺たちの気持ちを分かってくれたらしく、危険な勝家の捜索を代わりにしてくれるという。こんなに有り難いことはない、本当に師匠は頼りになる人だ。
「それと英、今言った通り数日空けるからすまんが伊音のためにこのカフェに泊ってくれないか?俺の代わりに娘を守ってくれ!」
「はい!絶対に守ります!」
そして師匠が俺たちの代わりになるというなら俺は師匠の代わりになる。この人の戦う理由は娘である伊音ちゃんを守るため、師匠が安心させるためにも俺はこのカフェで彼女を守る必要があった。
師匠はそのまま店を出てヘラクレスオオカブトの鎧を身に纏い、翅で夜の空の中へと消えていく。もし勝家と出くわしても師匠の強さなら心配ない、連絡があるまで俺はこのセンゴクを守ってみせる!
そんな決意をしていると、黒金が何も言わず帰ろうとしていることに気づいた。
「黒金?おまえはどうするんだ?」
「……奴を探しに行く。まだそう遠くに入ってないはずだ」
「は!?今さっき師匠が探すって言っただろうが!急ぐ気持ちは分かるがここは師匠に任せたほうが……」
「別にあの人を信用してないわけじゃない、だけどあの武将は唯一見つけた仇への手がかりだ!見す見す放っておくわけにはいかない!」
「お前……それで1人の時に遭遇したらどうすんだよ!?」
「あの時は手負いだったから負けたんだ!もう回復もしている、例え武将だろうが俺は負けない!」
そう言って黒金は俺の制止も聞かず同じように勝家捜索に向かってしまう。いつのまにかここには俺と伊音ちゃんだけとなり、色んな意味で取り残されたような気がした。
――黒金は、確かに俺より頭が良いし冷静な人間だ。だけど家族や仇のことになるとああやって興奮してしまう節がある。気持ちは分かるがあのトンボに1人で勝つことはあいつでもできないだろう。
追って止めた方が良いかもしれない、だけど俺は今ここから離れるわけにはいかなかった。
「あの……つまりそういうことだから泊ってもいい?」
「あ!勿論大丈夫です!お部屋用意しますね!」
俺は俺に任されたことを全うしよう。例えここにあの武将や数えきれないほどの鎧蟲の群れが来ても彼女を守れるようにしないといけない。
だけど黒金の事も不安だ、何事も無ければいいんだけど……




