229話(最終話)
あれから数十日が経った。
あの戦いに対する世間の認知は、意外とあやふやだった。集団幻覚によるパニックや地盤沈下など、あくまで大きな都市伝説として残る程度で、そこから英たちの素性が暴かれることはなかった。
しかし騒動による死者は少なからずいた。巨大な移動要塞が暴れ回ったのだから当然だ。堕武者にされた人々も元に戻れたが、中には障害が残った人もいる。それが武者たちの自責の念に積み重なったのは、言うまでもない。
しかし一番彼らの心を蝕んでいたのは、黒金大五郎の喪失だった。
黒金大五郎を失ったカフェ・センゴクは、鴻大の時と同じように少し静かになっていた。特に彼と毎日のように喧嘩をしていた英は、その相手がいなくなったことで口数が少しだけ減っていた。
――ムカつく奴で、そりが合わない男だけど、いざいなくなると寂しい。
もしこの場に黒金がいたなら「何気持ち悪いことを言っているんだ」と一蹴していただろう。それも聞けないのだと思うと、心が締め付けられる。
黒金大五郎に親族はいない。家族は信玄に殺され、その家庭を知る唯一の友人であった夜咲美代子も信繁に殺されている。しかし黒金に世話になった、恩を感じている者は多くいて、彼らが立派な葬儀を挙げてくれた。
参列した英たちに声を掛けたこの男も、その内の一人である。
「私、製菓会社ブラックダイヤモンド現社長の光成と申します。貴方方のことは、生前の黒金前社長からよくお聞きしてました」
焼香が終わった後の時間にて、ブラックダイヤモンドの新社長に話しかけられる。名前の光成、黒金と比べて少し歳の取った男だった。
黒金からよく聞いていた、と言ってもそれはあくまでも一般人として。甲虫武者の存在すら知らないだろう。
この人が黒金の後継ぎ、そう思いながら気を引き締めて話を聞く。
「――黒金前社長の遺書に、神童伊音さん及び雄白英さんについて書かれていたので、そのことをお伝えに参りました」
黒金の遺言、その単語を聞いた瞬間英たちは目が覚めるような想いになる。黒金が遺書を遺していたことを今知ったからだ。
まずは光成から黒金の遺産についての話がされる。これは自分たちには関係の無いことだと思っていた英たちだったが、関係があるどころかそれ以上だった。
「あいつの遺産を、全部カフェ・センゴクに……!?」
「はい。お二人宛ての遺書と共に書かれていました」
なんと黒金は、自分の財産を全てカフェ・センゴクに譲渡するようにしていた。いきなりのことで、当事者である英と伊音は目を丸くした。後ろの豪牙と忍も唖然とする。
光成から受け取った遺書の封には、それぞれ英と伊音の名前が書かれていた。日付からして、書いたのは鴻大が死亡後。
光成から相続について詳しく話した後、四人は意を決して遺書の封を開けた。
そこには、こう書かれていた。
『伊音ちゃんへ。
鴻大さんが亡くなって、明日は我が身と思ったのでこの遺書を書く。これを読んでいるということは俺は死んだのだろう。混蟲武人衆に殺されたか、それとも信玄か。家族の仇を取るまでは死ぬつもりはないが、可能性はゼロじゃない。
養子の俺は本当の両親を知らないし、頼る親族もいない。なのでもし俺が死んだ場合、財産を全て君と雄白に譲渡することにした。
俺は鴻大さんと君に救われた。そんな俺が君に残せるものといえば、これくらいだ。
もし雄白が馬鹿をして、鴻大さんから託された君とカフェ・センゴクを台無しにするようなことがあったのなら、遠慮なく使ってほしい。学費に充てても構わない。どうか自分自身の為に使ってくれ』
伊音に宛てた手紙には、彼が如何に彼女と鴻大を慕っていたのかが鮮明に書かれていた。それと遺産の使い道も。伊音が自分の進みたい道を困難無く進めるように。
節々に英への暴言も書かれていたが、それは英宛の遺書で更に増えていた。
『雄白へ。
まさかお前のような馬鹿に遺書を書くようなことになるとは思わなかった。有難く思えよ。
俺の財産はお前の名義で相続する。これは全部カフェ・センゴクと伊音ちゃんに使え。俺を救ってくれた店と伊音ちゃんを守ってくれ。もし私利私欲で使ったり、馬鹿な使い方をするようであれば呪ってやる。
――お前がカフェ・センゴクを継ぐと聞いた時、当然不安もあったがそれ以上にお前しかいないとも思った。お前のような世間知らずの馬鹿貧乏人に託されるのが一番危ないはずなのにだ。だが鴻大さんもお前が継ぐと分かれば安心するだろう。俺も同じ気持ちで、財産をお前に託す。
しつこいようだが、この俺の善意と鴻大さんに託されたものを無下にするようであれば許されないものと思え。
経営者としてお前に教えられることは全て教えた。猿でも分かるようにだ。それでも無理なら、俺の金を使え。言っておくがお前の為に遺した財産じゃないからな。伊音ちゃんの為のものだからな』
全て読み終えた時、英と伊音は涙を零していた。
黒金は、どんな気持ちでこれを書いたのだろうか。勿論死ぬつもりなど微塵も思っていなかっただろう。しかし黒金は死んでしまった。もし黒金が生き残ったのなら、この遺書は誰にも読まれることなく処分されていたに違いない。
「あの野郎……遺書なんだから、もう少し俺に優しくしろよな」
そう愚痴を零す英だったが、涙を流すその顔には様々な感情が込められていた。
もうできないと思っていた口喧嘩が、この遺書を読み直すことで何度でもできるように感じた。罵詈雑言ばかりの遺書だったが、それが英の心を救ったのだ。
以来英は、この遺書を度々読み返すようになった。
誰も欠けていないあの頃の、子供のような喧嘩を懐かしく思う度に。
――多くのものを託され、受け継いだ。
言葉にできない想い、家族に対する愛情、仲間に対する信頼。それらの過程の中には、哀しい出来事もあった。
でも受け継いだものがあったから、それを乗り越えることができた。いつまでも挫折せず、前に進むことができた。受け継いだものを無駄にしないように。
人も、鎧蟲も、甲虫武者も、皆これを繰り返してきた。中にはそれを悪用し、私利私欲のために使う者もいた。
――種族に関係無く、自分が受け継いだものをどう使うか。まずはそこから考えるのかが、託された者の使命なのだ。
――数年後。桜が咲き始める季節。伊音と忍が通う森ノ隅高等学校で卒業式が行われていた。この日を以て二人は高校を卒業する。
体育館で行われる卒業証書授与、ステージ寄りの前部分に生徒たちが座り、その後ろでは保護者たちがその様子を眺めている。雄白英はその中にいた。そして教師である豪牙は端の方で座っている。
この光景を一番見たかったのは師匠だろう、と思った英は代わりに自分がそれを目に焼き付ける。
あの戦いが終わった後、英は学校のイベントになるべく多く参加するようにした。三者面談は勿論、授業参観や運動会など。保護者として参加できるものは全て。
自分が鴻大の代わりになれるなんて思い上がりはしていない。だけど一人の親として彼女と暮らすと決めた以上、できる限りのことはしようと決めたのだ。フリーターから店長は兎も角、いきなり人の親になるなんてことは難しいので、慣れない部分も多くあった。その度に豪牙がサポートしてくれた。
伊音もその気持ちに応えようとした。特に父の日に贈り物をしたら、英は感涙の涙を流してしまった程だ。
そしてあの戦いからこの日まで、英たちは一度も甲虫武者の力を使っていない。それもそのはず、もう戦う敵がいないのだから。
鎧蟲は終張国ごと滅び、生き残りがいたとしても"姫"がいないので衰退の道を辿るのみ。全ての甲虫武者の敵ともいえる鎧蟲が現れなくなったことで、力を使う必要が無くなったのだ。
でもそれでいいのだと、英は考える。
戦う必要が無いということは、それ程平和ということなのだから。
「お疲れ様、そして卒業おめでとう!伊音ちゃん、小峰君!」
「ありがとうございます英さん!」
「全く立派になりやがって……お前らは俺の自慢の生徒だぜ!」
「象さん先生も、今までありがとうございました!」
卒業式も終わり解散となったところで、カフェ・センゴクの面々が集まる。この四人は学校関係無しにプライベートでもよく集まっていた。
こうして一つのイベントをまた迎えられたことを喜ぶ。この何気ない日常が、自分たちの勝ち取ったものなのだから。
「忍は大学に、神童は製菓の専門学校に進学だったよな?」
「お菓子やスイーツについて学んで、それをお店に活かしてみようかと思ってます」
「伊音ちゃんが勉強すれば、百万人だぜ!」
「それを言うなら百人力かと……」
危機を残りえた戦士たちは、未来に向かって進み始める。既に自分の道を決めている者は、変わらずそこを突き進む。そしてこれから進み始める者は、自分の進みたい道を見つけていく。
二人の進路については、当然英と豪牙も関わっている。伊音に関しては黒金の遺産もあるので、進学先をほぼ自由に選べた。
最初は遠くの専門学校という選択肢もあったが、それだと寮生活になるという理由で伊音自身が却下した。卒業後も含めて、父との思い出があるカフェ・センゴクから離れたくないという。
「ところで伊音さん……この後時間ちょっとある? 二人だけで話がしたいんだ」
「えっ……大丈夫だけど」
そしてこの二人はどうやら進学以外にも進展があるらしい。若者たちの青春溢れた様子に、英と豪牙は邪魔にならないよう少し離れて傍観者となった。忍があの戦いで勝ち取ったものの内、最も大事なのは彼女と過ごすこのひと時だろう。
「そうだ二人とも。この後クラスで卒業祝いとかやるなら、うちでやったらどうかな? 今日元々休業日だし、今から貸し切りにできるよ」
「良いですね! 皆もうちに行きたがってたし!」
カフェ・センゴクを卒業祝いの場として提供し、この日を少しでも楽しい思い出にしてもらおうと考える。前は不登校だった伊音も、今となってはすっかりクラスと打ち解けている。忍以外のクラスメイトを店に連れてきたことだってあった。
「おーい神童、小峰。クラスで写真撮るからアンタたちも来なよー」
「あっうん今行く! じゃあ英さん後で」
「ああ、行っておいで」
「お、写真撮るのか。じゃあ俺に任せろ!」
そう言って校門の方から声を掛けてきたのは、同じクラスの土井と木村だった。以前自分を苛めていた彼女とも、友人の関係として収まっていた。
ワイワイと話しながらこの場を後にする伊音たち、英はその背中を見守り続ける。
校庭の隅に植えられた桜の木から、風に煽られ花びらが舞う。春の日差しが暖かく包み込み、身体を伸ばすと夢心地のような気分になれた。
その際、ふと自分の右手の痣が見えた。グラントシロカブトの痣だ。左手には鴻大から受け継いだヘラクレスの痣もある。
(あれから、もう数年か……)
ある日目覚めると、右手に見知らぬ痣があった。それが全ての始まりだった。そして蟻の鎧蟲に襲われ、甲虫武者の力に目覚めた。
そこから鴻大と伊音と出会い、黒金と出会い、面義と出会い、豪牙と忍とも知り合った。今となっては日常として受け入れている光景は、あの日から始まった。嬉しいこともあったし、哀しいこともあった。多分この数年は決して忘れられないだろう。
「――さてと、店に戻って準備するか!」
英は意気揚々とその場から歩き出す。
白き鎧を身に纏う、純粋な心を持つ武者。その鎧姿が出ることはもう無いだろう。
しかしその鎧は、確かに英の心に宿っていた。多くの者から受け継いだ、想いと力と共に――
以上で「蠱毒の戦乱」は終わりとなります。ここまでお読みいただきありがとうございました。3年前から投稿を始めましたが、結構時間がかかってしまいました。あまり評価は得られませんでしたが、「3年もの時間を掛けて創った作品」として誇りに思うと思います。定期的に閲覧していた方がいましたら、ここまでありがとうございました。
最後までお読みいただきありがとうございます。もしも気に入っていただけたのならページの下の方にある☆の評価の方をどうかお願いします。もしくは感想などでも構いません




