220話
活気溢れる街から人々を追い出し、我が物顔で突き進んでいた移動要塞が崩壊していく。その様子を、忍と伊音は安全な場所からジッと眺めていた。
しかし外部からの強い衝撃を受けたわけではないので、その光景はあまりにも奇妙だった。まるで空気の抜ける風船のように縮まっていき、忍たちに猛威を振るっていた肉の触手が千切れるようにボトボトと落ちていった。
グチュリ、と肉が潰れるような音。それが崩壊の音だった。
しかしそんな不快な音を聞く余裕など、今の二人には無かった。
(黒金さん、英さん、象さん先生……!)
崩れかける要塞の中で今も戦い続ける戦士たち、彼らの安否の方が気になっていた。
果たして三人は無事だろうか、二人の心配はどこまでも積もっていく。
しかし残酷なことに、内一人は無事とは決して言えなかった。
「地震の次は……何だこりゃ!?」
要塞内部、英と信長が金涙と戦っていた間にて。
現状を把握しきれていないのは、この三人だけであった。
要塞の壁や床がどんどん上へと沈んでいく光景を、英は呆気に取られてみていた。
(象さんが何かやったのか……!?)
英がそう勘違いするのは無理も無い。
この現象が黒金の手によって起こされたもの、そしてそれが命を懸けた作戦であったことなど、知る由も無いのだから。
しかし金涙だけは違った。
全容の把握はできないものの、彼の特殊な"虫の知らせ"は上にアミメ自体に異常が発生していることを感知していた。
(混蟲因子が彼女に集中している?それにこの感覚は、危険信号!
"姫"の胎に、何か起こったというのですか!?)
あくまでも心配するのはアミメではなく、彼女の中の力。
ここに来て金涙は先ほどまでの落ち着き払った態度を崩す。流石にこの事態には焦らずにはいられなかった。
やがて要塞の崩壊が更に加速する。
形を保つ力も無くなり、天井の肉が溶けるように落ち始めた。
「ッ……!」
すると金涙は英たちにではなく崩れかけた壁に向かって剣を走らせる。
黄金の剣撃で要塞に風穴を開けて、そこから外へと脱出した。外からアミメの元へ向かうつもりなのだろう。
「俺たちも脱出するぞ白武者!」
「あ、ああ!」
その後を追って追撃したいところだが、今は現状把握が最優先である。信長が砲撃で同じように穴を開けて、そこから外へと脱出する。
いざ外に出てみると、移動要塞がどれ程崩れかけているのかが一目で分かる。地面に着地し、ボロボロとなった要塞を見上げた。
「……足を斬られて倒れたのか。しかしそれだけはこうはなるまい」
要塞の片側の足が全て切断されていることに信長が気づき、最初の揺れはこれが原因だと悟る。しかし足を斬られた程度で、要塞自体がこうも衰弱するとは流石に思えなかった。
「――英さん!」
「伊音ちゃん、小峰君も! どうしてここに!?」
するとそこへ忍と伊音が合流する。既に遠くへ避難したと思われた二人がまだこんな近くにいることに驚く英。
だがこれで状況の把握ができた。何が何だか分からない英は、ありのままの疑問を忍たちに聞いてみる。
「要塞から出た後ずっと近くにいたのか? なら、今何が起きてるのか分かるか?」
「ッ、それは……」
忍は、答えを詰まらせてしまう。
やましいことがあるわけではない。寧ろこれは、話しておかなければならないことだというのは分かっていた。
だけどそうスラスラと出るものではなかった。忍は答えるのに数秒の間を置いてしまう。
「……黒金さんの作戦で、僕が足を斬りました。そして今さっき、黒金さんが要塞の中に乗り込んだんです」
「黒金が……そうか、あいつのおかげか! ってことは信玄に勝てたんだな!」
忍の報告を聞いて、英は黒金がやってくれたのだと拳を握る。
英が先走りして吉報だと勘違いしてしまったばかりに、余計に伝えづらくなる忍。
それでも意を決して、一番大事なことを伝えた。
「だけど黒金さんは信玄の毒を受けて……もう、助からないらしいです」
「……は?」
それを聞いた英の表情が、一瞬にして曇った。
その報告に目を見開いたのは信長も同じ、顎に手を当てて記憶の中から信玄の毒について思い出す。
「……奴の毒か。性質的には俺のものと良く似ている。一度受ければその箇所を除去しない限り、死ぬまで広がり続けるぞ」
「はい。黒金さんの全身は殆ど毒に侵された状態で……でもそれを利用して、アミメにその毒を打ち込むって」
「う、嘘だろ……?」
そこで英は改めて移動要塞を見渡す。
既に移動要塞は形を成しておらず、泥のように溶けた状態でコンクリートの上に広がっていた。
――こうして要塞を崩せたのも、黒金が命を賭したからこそ。
そう考えると、先ほどの喜んだ自分を殴りたくなってきた。
「ッ、黒金ーー!!」
気付けば英は駆け出していた。元要塞の肉の山を登り、必死に黒金の姿を探す。信長や忍たちもその後に続いた。
肉の踏み心地は非情に悪く、気分が良いとは決して言えない。しかしそんなことを気にしてはいられず、英たちは血眼になって黒金を探し続けた。
「象さん……!」
肉の山をしばらく散策したところで、ようやく人影を見つける。
その大きさからすぐにそれが豪牙だと分かった。何やら膝を付いており、その足元にはもう一人いる。
「……黒、金?」
仰向けで倒れている男、それが黒金だと気づくのに時間は掛からなかった。しかしその無惨な姿に、英は言葉を失う。
信玄の毒が広がっていない箇所など最早無く、オオクワガタの鎧も無くなり、ただの衰弱した男がそこで倒れていた。
一番事情を知らない英でも一目で分かる。この男の命が、もう長くないことが。
「黒金さん……!」
「嘘、だろ。冗談止めろよ! 黒金!」
そこへ、カフェ・センゴクの面々が駆け寄った。
涙を堪えられなくなった伊音が、顔面蒼白となった英が、その体に触れようとするも、豪牙に止められる。
もう触ることもできないのだろう。制止した彼もやり切れない表情をしている。
黒金の目はまだ閉じている。しかしその瞳は、ただ空を見つめていた。
「……どうやら、上手くいったみたいだな」
掠れた声で、それでいて満足そうにボソリと零す。
呼吸も薄れていき、触れないので確かめられないが体温も失われていた。
ただ死を待つだけ、今の黒金にできるのはそれくらいだった。
「黒金……このまま死ぬ気かよ!? 何とか助からないのか!?」
「雄白か……無理だ。直に俺の身体は、ボロボロになって崩れる。俺の家族と、同じ死に方だ」
皮肉なことに、黒金の家族も同じように死んでいった。彼らの命を奪ったのも信玄の毒なのだから当然だが、家族揃ってこんな死に方などあまりにも報われない。
「……信玄の奴はぶっ殺せたが、結局あいつに殺されるようなもんだ、本当に……最悪だ」
「諦めるな! まだ助かるはずだ!」
対し英は、未だ黒金の死を受け入れられなかった。
度重なる口喧嘩をして、性格も合わなかったが、それでも嫌いなわけではなかった。自分とは合わなくとも、かけがえのない存在であることには変わりない。
「そうだ、俺たちのエネルギーを使ってくれ! 毒を抑えることができるんだろ!」
「……無駄だ。緩和はできても、完治できるわけじゃない。無駄な延命をするくらいならとっておけ。まだ、金涙が残っているんだぞ……」
少しでも生き長らえさせたくて、英がそんな提案をする。しかしそれで黒金の命が救えるわけではない。
それに、混蟲武人衆はまだ滅んでいない。アミメがどうなったかは分からないが、少なくとも金涙がいる。少しでも戦えるエネルギーが必要なのだと、黒金は一蹴した。
「――無駄なんて言うな! 死んじゃ駄目だ黒金! 頼むから生き続けてくれ……!」
――英の瞳から、涙が溢れる。
すぐにでも手を握って元気を分けてやりたいというのに、触れること自体ができなかった。
「黒金さん! しっかり!」
「伊音ちゃん……君と鴻大さん出会えて本当に良かった。カフェ・センゴクは、やっぱり良い店だ。あの店が無ければ、俺は君たちに会えなかった」
黒金は瞳を閉じ、店内の光景を思い浮かべる。
――キッチンでは鴻大と伊音の神童親子が立ち、接客担当の英が自分に絡んできて、その様子を豪牙と忍が傍らから見ている。
光景と共に思い出したのは、あの店の味。
イチゴたっぷりのハニートースト、英が作ったというのは癪だったがこれが一番のお気に入りだった。
そしてそれと一緒に飲むコーヒーも格別。英の淹れたコーヒーは飲めたものではないが、今となってはその不味さも惜しく思えてきた。
――家族と共に失った日常を埋め合わせるかのように、仲間たちと過ごした慣れ親しんだカフェ・センゴクの日々。
回想の中の英には少し苛立つが、それも踏まえてかけがえのない時間だった。
「最後だから……結構恥ずかしいことを言うぞ。
――お前らのことを、家族のように想ってた……あの店にいて、本当に楽しかった。
……それを守る為に俺は死ぬんだ。毒で死ぬよりかはよっぽど良い死に方だ」
「黒金……お前……」
思い出に耽る時間にも終わりが訪れて、黒金の身体が崩壊を始めていく。
手足の先からボロボロに崩れていき、ゆっくりと消えていった。
不思議と恐怖は無かった。強いて言えば、先ほども言った通り信玄の毒で死ぬのが気に食わなかった。
しかし今自分がやるべきことは、最期まで怨敵の恨み節を吐き捨てることではない。
「――雄白、象山、小峰、後は……託した。
伊音ちゃんを……絶対に守れよな……!」
亡き恩人、神童鴻大の最期を浮かべながら、三人に発破をかける。
――最期に一度、優しい笑みを浮かべて。
それを遺言に、黒金の身体は完全に崩れ去った。信玄の毒は遺体も残さず、黒ずんだ灰のようなものが風によって散っていく。
気付けば黒金大五郎という存在は、英たちの前から完全に消え去っていた。
「黒金さん……!」
豪牙が顔を逸らし、忍が俯く。
涙を零し続ける伊音の嗚咽だけがこの場に聞こえている。
そして英。英にとって、黒金大五郎とは何とも気に食わない相手だった。
しかし彼との喧嘩は、その友情を一番感じていた時間でもあった。
それももうできない――そう考えると、感情を吐き出さずにはいられなかった。
「――黒金ッーーーー!!」
獣のような慟哭が、傷だらけの街に響き渡った。
「――ッ?」
黒金が目を開けると、晴天の空が真っ先に映る。
身体を起こそうと手を地に付けると、草の優しい手触りがした。身体を起こして周囲を見渡すと、そこが地平線まで続く草原であることに気づく。
「……ここは、あの世か?」
自分は死んだはず。欠片も残らず、消滅した。
だというのに自分を認識できるし、崩れ落ちた手足すらあった。
だとすると考えられるのは、ここが死後の世界ということ。そしてその推理を肯定する声が、後ろから聞こえてきた。
「――ええ、ここは冥土でございます」
「ッ――!?」
突如聞こえた声に、黒金はすぐに振り返る。
そしてその声の正体が誰なのか、それが更にここが死後の世界であることを証明していた。
「……光、秀」
自分にクロツメの力を託し命を落とした戦士にして、鎧蟲の中で唯一友情を抱いていたと言っても過言ではない男。
かつての信長の家臣、蟷螂の武将の光秀が人間に擬態した姿でそこに立っていた。
「……まさか、俺のお迎えがお前だとはな」
「私如きでは役不足だとは思いましたが、どうしても貴殿に会いたくて」
黒金もゆっくりと立ち上がり、光秀と対面する。
口では文句があるように言いつつも、死んだ友の顔を見て黒金の表情は自然と綻んでいった。
「お前から授かった力、あれには本当に助けられた。おかげで信玄も倒せたし、犬死にせずに済んだ」
「いえ、こちらこそ私の刃を受け継いでくれて感謝しています。お役に立てたようで、光栄です」
こうして光秀と会えたことは嬉しかった。しかし会ったところで、どのように会話をすればいいのか、全く分からなかった。
どこか気まずい空気の中、取り敢えずクロツメに関することで礼を言った。光秀から受け継いだその刃は、確かに黒金の力となった。
「決着は見届けられなかったが、不安なんて感じていない。俺もできる限りのことはやった。
――あいつらは、絶対に負けない」
「……やはり貴殿は、仲間想いな方だ」
自分だけが死の世界に旅立ったことで置いてきた仲間たちの心配など、黒金の中には全く無かった。
拳を握り絞め、家族と称した彼らの顔を浮かべる。すると不思議なことに、負ける姿が全く想像できなかった。
その絶対的な信頼感に、光秀は感嘆するばかり。
そして意味深な笑顔を浮かべて、黒金から見て後ろの方へと手を翳す。
「ですが黒金殿、ここからでも現世の様子は伺えますよ。
――あの方々が、ずっと貴殿を見守っていたように」
「……?」
自分の背後側が指されているのだと気づき、一体なんのことかと黒金が振り返る。
その瞬間、黒金は目を大きく見開いた。
「――!」
向こう側の景色は、光に包まれていた。
そしてその中には、薄っすらと四人分の人影が見える。
光が強くて顔までは分からなかった。しかしその佇まい、身長、髪型など、形だけでも誰か分かった。
――嗚呼、懐かしい。この懐かしさを信玄やその部下に奪われたのだ。
「……何だよ。光秀が迎えに来てるもんだから、すぐには会えないのかと思ってたのに」
――しかしそれも、自分の手の中にようやく戻ってきた。
呆れるような声と共に、黒金は笑みを浮かべながら涙を流した。
そして気づいた時には、光の中にいる人影たちに向かって駆け出していた。
草原を駆けるその姿は、まるで無邪気に走り回る子供のようであった。
――「黒金大五郎」オオクワガタ、死亡。
黒金大五郎は、初めて書く主人公と仲が悪いキャラでした。そして復讐心を行動理由に置いてあるキャラとしても初めてかもしれません。
英と繰り広げる口喧嘩は書いてて面白かったし、次はどんな些細なことで喧嘩させようかと自分でも楽しんで書いていました。それでいて大人びた印象も与え、基本クールではあるが信玄に関することや英との喧嘩でクールさが崩れるキャラになりました。




