219話
「ッ……ラアァ!!」
強い力がぶつかり、衝撃を抑えきれず後方へ押しこまれる豪牙。
間髪入れず迫る棍棒触手を薙ぎ払いつつ、態勢を立て直す。大槌を振り回す度に息を切らし、冷や汗を垂らす。
疲労以外からも来る過呼吸を落ち着かせ、豪牙は周囲に視線を張り巡らせる。"虫の知らせ"も全力で使い、これから来るだろう怒涛の攻撃に備えた。
「ッ――!」
予想通り、様々な形状をした触手が一斉に襲い掛かる。
短時間の間で嫌になる程見た触手の束、必死に抵抗を続けたがその光景が消えることはなかった。
消耗した体を棍棒が殴り、刃が刻むことでより追い詰めていく。
防戦もできず、ただアミメに攻められていた。
「かはッ――!」
切り傷だらけの腹部に、渾身の打撃がめり込む。
内臓が圧し潰され、吐き気と共に夥しい量の血反吐が溢れ出る。
豪牙の体は既に限界だった。再生の為のエネルギーも僅か。ほぼ無限に生え続けるアミメの触手に対し、残された力はあまりにも少なすぎた。
『――限界が来たようね、象山豪牙』
「ッ……!」
当然アミメにもそれを見透かされ、向こうに勝利を確信させてしまう。
触手たちがワラワラと動き、豪牙にトドメを刺そうと形状をまた変えていく。棍棒で叩き潰すか、刃で切り刻むか、その様子はどうやってトドメを刺すか迷っているようにも見える。
『あの世で後悔しなさい。無謀にも私たちに歯向かったことを――!』
どうやら剣撃で終わらせる方に決めたようで、刃状の触手が一斉に襲い掛かってくる。
当然諦める気の無い豪牙は、最後まで抵抗を続けようと大槌を構える。
次の瞬間――豪牙は意図せずその攻撃を躱すことになる。
何故なら、突然足元が傾いたのだから。
「うおッ――!?」
『なッ――!?』
急なことに身体が付いてこれず、豪牙は重力に従って傾いた方向へと落ちていく。
あまりにも突然すぎる状況変化、前触れもなく上下左右がひっくり返った。
勿論アミメの仕業ではない。彼女もまた、この事態に戸惑うしかできなかった。
(――移動要塞が、倒れている!?)
すぐに分かったのは、この移動要塞が転倒しているということ。
人間が足を挫いて転ぶように、突如としてバランスが失われた。
勿論その影響を受けているのはこの二人だけではない。
この階層より下、同じく要塞内部で戦っている英たちもであった。
「ッ――なんだぁ!?」
「これは……!?」
信長と共に金涙に挑んでいる最中、突如として傾き始めた移動要塞に声を上げる英。
信長も同様、そして今まで落ち着いた要素を貫き通していた金涙もこれには目を見開いていた。
要塞内部にいる全ての者が戦いの手を止め、平衡感覚を取り戻す方を優先させる。
何故移動要塞が転倒しているのか、それを説明するにはまず数分前まで遡る必要がある。
「……この移動要塞を転ばせる!?」
合流してきた黒金が忍に提案してきた、この状況を打破する方法。その内容に忍は思わず復唱してしまう。
移動要塞から逃げていた忍と伊音は、黒金の導きによって逆にその足元に戻ってきていた。上を見上げれば、雄大な姿が頭上を覆いつくしている。
「ああ、お前の超スピードで片側の足をほぼ同時に斬り落としてほしい。いくらすぐに修復されようとも、同じタイミングで斬れば流石に倒れるだろう」
移動要塞を止めようと、信長が足に砲撃を打ち込んだことがある。しかしその時はすぐに再生してしまい、あの巨体は平然と動き続けていた。
しかし一本だけではなく、尚且つほぼ同時に斬り落とせば、移動要塞を転倒させることも可能だろう。
移動要塞の足の数は昆虫と同じ六本、つまり片側の足は三本。
要塞のサイズからして同時に三本斬り落とすとなると、嵬姿の"崩山"のような広範囲攻撃か、または忍の圧倒的なスピードによる早業が必要だった。
「見たところ上に窓みたいな穴がある。もう飛べない俺があそこから侵入するには、こいつ自体を転倒させるしかない」
「確かに、僕ならできるかもしれません。だけど伊音ちゃんがまだ……」
果たして自分にできるのか、そんな不安は当に消えている。それも激戦を繰り広げた末に手に入れた、自信と力によるものだ。
しかし忍が懸念していたのは今も抱えている伊音のことだった。
黒金の頼みとはいえ、敵から逃げるどころかその腹下まで戻ってきてしまった。
黒金の命を賭した頼みも尊重したい。しかし忍としては、どうしても伊音を逃がすことを優先したかった。
「――忍君、私のことなら気にしないで。それに忍君のスピードならすぐに終わらせられると思うから」
整理のつかない想いと共に彼女の方を一瞥すると、迷いの無い強い意志の表れた顔が見えた。真っ直ぐに忍を見るその瞳は、恐怖の色こそあったが全く揺らいでいない。
ならば自分も、それに応えなければなるまい。
「……分かった。黒金さん、少しの間伊音さんを頼みます」
そう言って忍は三本の足が重なって見える位置まで移動し、そこで斬り下ろす際のイメージトレーニングを始める。戦況をひっくり返すこの作戦、その成功が自分の手に懸かっているのだと思うと緊張が走った。
忍が準備をしている間に、黒金と伊音は横に並んで言葉を交わしていく。
今のカフェ・センゴクの面々の中で、黒金は伊音と一番付き合いが長い。
――こうして二人で話すのは、何時ぶりだろうか。
「……本当に、もう助からないんですか?」
「ああ、奴の毒で死ぬなんて最悪の気分だ」
現実を受け入れられない伊音に対し、黒金は嫌悪の表情こそ浮かべているがそれ以外は平然と振る舞っている。
自分を守るために戦った人が、また一人死ぬ。そう考えると罪悪感がとめどなく押し寄せてきて、胸が締め付けられる。
「私のせいで」――そう零しかけた伊音の声は、黒金によって遮られる。
「――君のせいじゃない。信玄と戦うことを選んだのは俺の意志だ。そこに君は関係無い。奴らの狙いは濃姫だったが大勢の人間も襲うとしていた。どちらにしろ野放しにはできなかった」
「ッ……それでも」
黒金の言っていることは正しかった。しかし伊音は納得がいかないらしい。とことん自分に責任があると感じていた。
付き合いが長い黒金だから、心の言葉を教えることができた。
「面義さんは、私のせいで唆されて……お父さんは、混蟲武人衆から私を守るために……」
次の彼女が口にし始めたのは、これまでの戦いで出てしまった犠牲者の名前。
橙陽面義は元々混蟲武人衆に属していた甲虫武者。カフェ・センゴクに馴染んでいたが、高額報酬を餌に伊音誘拐を唆されて道を踏み外してしまい、結果殺されてしまった。
父神童鴻大は、伊音を狙う混蟲武人衆との死闘の末命を落とした。
残酷なことに、どちらの死にも間接的に彼女が関わっていた。
「私が普通の人間だったら……いや、そもそも私なんか生まれてこなければ――!」
「――それは君が一番言っちゃ駄目な言葉だ」
自虐を更に重ねる前に、再び黒金の声が止める。しかし今度のそれは、どこか怒気を孕んでいる。まるで親が子を叱るような、優しい怒り。
自分をジッと見つめるその鋭い視線に、伊音は何も言えなくなる。
「君は祝福を受けて生まれてきたんだ。体質のせいで子供ができ辛かったご両親にとって、君がどれ程の宝だったか。
鴻大さんから如何に君が大事な存在かという話を何度も聞いた。『あいつがいたから、俺は救われた』――いつものように口にしていたよ」
膝を曲げ、目線を合わせながら彼女を諭す黒金。その両肩に手を乗せようとするも、毒に侵された手で触る訳もいかず、行き場を失った両手を戻しつつ話を続けた。
「『生まれてこなければよかった』なんて二度と言うな。君がそれを言ったら、俺の戦う理由が無くなる」
「……戦う、理由?」
「ああ、昔の俺は復讐だけを考えて戦ってきた。でも今は違う。
――君と、あいつらの力になりたい。この死に掛けの命でできることがあるのなら、猶更」
そう言って黒金が見つめるのはクロツメの刃先。黒く輝いていた刀身には、禍々しい紫色が混じっている。
その様子に、伊音は言葉が出なくなる。もう自分が何を言っても彼の死は変わりないのだと。表情を見て認めざるを得なかった。
「向こうも準備ができたようだ……君はもう少し離れていろ。
――最後の戦いが復讐じゃなくて、君を守る為で本当に良かった」
「あっ、黒金さん……!」
最後にそう言い残し、黒金は歩き出す。
伊音が呼んでも振り返らず、ただその背中が遠ざかっていくのを眺めることしかできない。
そして黒金は腹の底から大声を出し、移動要塞の足元で待機している忍に合図を出す。
「こっちはいつでも大丈夫だ。やってくれ!」
「――はい!」
それを聞いた忍は強く地面を蹴り出し、加速を始める。
生半可な速さだとほぼ同時は難しい。なのでぐるぐると周回することでスピードを乗せる必要があった。
全ての景色が一瞬で通り過ぎていく中、忍の思考は逆にゆっくりと落ち着いていた。
考えているのは勿論伊音のこと。この戦いに絶対勝利して、彼女の平和を取り戻して見せる。強い覚悟の元に、足を走らせていた。
しかし今だけは、伊音のことよりも黒金の方が気になっていた。
(黒金さんの覚悟……無駄にはしたくない!)
黒金の決死の想いを、どうしても叶えてあげたい。ただそれだけだった。
自身のスピードが最高潮に達したところで忍は大きく距離を取り、三本の足を重ねて捉える。
(コクワガタ――!!)
その瞬間、忍は一閃の如く直線を描いた。
(――"韋駄天・神速"!!)
文字通りの一瞬、傍からだと移動要塞の前方側にいた忍が気づけば反対側に瞬間移動したようにしか見えなかった。
しかしそれが瞬間移動ではなく、目にも止まらぬ超スピードで走り去った証拠のように、要塞の片側の足が全て切断されている。
修復する暇もなく、バランスを崩し傾き始める移動要塞。
伊音がそれに潰されないよう、忍がすぐに彼女を回収。その際、要塞から全く離れる気のない黒金に声を掛ける。
「後は――よろしくお願いしまぁす!」
「――ああ、任せろ」
その場に居続ければ倒れた要塞に圧し潰されてしまうだろう、だというのに黒金は、そこから一歩も退こうとはしない。
堂々とした黒金の行く末を、忍と伊音は安全な場所から傍観した。
――あれが黒金大五郎の、最後の立ち姿だと確信して。
これが、移動要塞転倒の顛末である。
忍によって足を斬られた要塞はバランスを失い、胴体の片側を地に付ける。
当然内部も同じ向き、同じ角度で傾いている。中で戦っている戦士たちにとっては、異常事態に他ならない。
(片足を斬られた!? 再生も間に合わない速度で同時に!?
こんなことができるのは――小峰忍だけ!
でもどうして? 奴は神童伊音を逃がすことを優先していたはず、今更こっちに戻ってくるメリットなんてない!)
それが誰の仕業か一早く理解したのは、移動要塞の心臓部となっているアミメ。足を斬り落とされた感触は彼女にも伝わり、そこから忍がやったのだと悟った。
(俺はまだ一発すら殴ってないぞ、誰がやったんだ……!?)
そして豪牙は、本来なら自分の役割だった移動要塞の崩壊を、他の誰かにやらせてしまったことに気づく。流石に自分の生徒がやっという確証は得られなかった。
この二人が傾いた足場に慣れ、態勢を立て直すより先に――窓から、黒い鎧姿が侵入してきた。
(――黒金大五郎!?)
(黒金!? 無事だったか! だけどあの体は……?)
作戦通り要塞が傾けたことで、翅による飛行ができなくとも跳躍のみで要塞内部に入れた黒金。
豪牙を一瞥し、部屋の中心で繭を纏っているアミメを確認することで、現状をある程度把握。
そのまま止まることなく、真っ直ぐアミメの元へと駆け走った。
(成る程、この機に乗じて私を斬るのが狙いね。
――だけど、甘い!)
黒金の動きからその狙いを予測し、肉の触手を生やして迎撃態勢に入るアミメ。移動要塞の立て直しより、自身の防衛を優先させる。
迫る黒金を叩き落とそうと、触手を振りかぶったその時だった。まるで見えない何かに殴られたかのように、触手が直前で逸れてしまう。
(象山……助かった!)
彼女と同じくその意図を理解した豪牙が、衝撃波で吹き飛ばす"・大咆哮・打払"で援護したのであった。
アミメとの距離数メートル、その間に立ち塞がった触手は全て蹴散らされた。後はもう、刃を突き立てるのみ。
しかしそれで突破できる程アミメは甘くない。
すぐにまた新しい触手を生やし、至近距離から振り下ろす。
(力を貸せ――光秀!)
それを黒金は、クロツメが誇る素早い剣撃で全て斬り落としていく。光秀から受け継いだ力だからこそ、できる芸当である。
そして今度こそ、彼とアミメの間に割り込むものは無くなった。
「うぉおおらあああああ!!!」
『ッ――!!』
決死の雄叫びと共に繰り出された二刀の刺突が繭を貫き、中にいるアミメの腹部に突き刺さる。
遂にアミメ本体への攻撃が通った。これでこの移動要塞の動きも止まる――かに思われた。
『――希望的観測が強すぎたようね、黒金大五郎。確かにこの要塞を止めるには、直接私を叩くのが最善。
だけどたかが腹部を刺された程度じゃ普通の甲虫武者も死なないわ』
甲虫武者は元より強い生命力と再生能力を持っている。それに加え大量の混蟲因子を操る彼女にとって、腹を貫かれるなど蚊に刺された程度のこと。
ここまで命懸けで繋げたというのに、大したダメージも与えられず無駄に終わった黒金を嘲笑いながら、特大の棍棒触手で叩き落とそうとする。
しかし黒金は、無駄な特攻などしない男である。
「――ああそうだな。刺された程度じゃ死なないだろうよ」
『何? ……ッ!?』
瞬間、アミメは自身の身体に異常を感じとる。
黒金に刺された傷から、得体の知れない何かが広がっていく。そんな感触が、確かにそこにあった。
『これは……毒物!? どこでこんなものを!』
「教えてやる。
奴の力に頼るようであまり使いたくなかったが……そいつは信玄の毒だ! 俺の身体のやつを、刀に乗せたのさ!」
今もなお自身の身体を蝕んでいる信玄の毒。それこそが黒金の秘策だった。
アミメがそうしていたように、甲虫武者が形成する武器は元を辿れば混蟲因子。つまり武者にとっての血肉である。
信玄の毒が黒金の身体に広がっていくというのなら、その身体の一端から作られた刀にも伝わるはず。
そう踏んだ黒金は自身の身体に刃を突き刺し、刃先から毒に侵すことで即効の毒の剣を作ったのだ。
そして今、信玄の毒は刀身から彼女の身体にも浸食していく。
もし一本の触手や天井と床に同じことをしても殆ど効果はでなかっただろう。しかし、心臓部である彼女に直接突き刺せば話は別だ。
『――うあ、アアアアアアアアアアアアア!!!』
甲高い声が、要塞内部に響き渡る。
彼女の苦しみと連動するように、床と壁の肉も躍動を始めた。
彼女は言った、たかが腹を刺された程度では死なないと。しかしその腹というのがマズかった。
性格には腹部より少し上、胸との狭間辺り。
その近くには全身に血を巡らせる心臓と、同じようにエネルギーを行きわたらせる甲虫武者の心臓"鋼臓"がある。
そして彼女の鋼臓は今、"姫"の胎と完全に一体化していた。
つまり、最も失ってはいけない臓器の近くに毒を打ち込まれたのだ。
(マズい! マズいマズいマズいマズい!!
私の鋼臓だけは、"姫"の胎だけは、絶対に守らなければ!)
"姫"の胎、つまり濃姫の力を失えば、移動要塞を動かすどころか新しい混蟲因子を生み出すこともできなくなる。
それは全人類を甲虫武者にするという目的の混蟲武人衆にとって、大きな痛手でしかない。
最早要塞の形を保つなどできない。何としても毒の浸食を抑えなければ。
そう考えたアミメは、急いで周囲の混蟲因子を体内へ取り込んでいく。
黒金がそうしたように、大量のエネルギーで抑え込むことで少しでも毒の広がりを遅くするしかなかった。
混蟲因子でできた床や壁など、移動要塞の全てが彼女に収束していく。
つまり、要塞の崩壊が始まった。
「お、おい黒金! 大丈夫か!?」
「……俺に、触れるな象山。お前まで毒に、侵される……!」
一方豪牙は、やりたいこと全てをやり通した後その場で倒れ込んだ黒金に駆け寄る。肩を担いで急いで外に避難しようとするも、それで毒が移ったらいけないと彼自身に止められた。
二人はただ、掃除機のように吸い込まれていく肉の上で呆然とするしかなかった。
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