216話
「ッ――伊音さん! しっかり掴まって!」
「う、うん!」
信長が銃撃で空けた抜け穴を、伊音を抱えた忍が駆け下りる。移動要塞の再生力は甲虫武者とそう変わらない。急いで通らなければ折角の逃げ道が塞がってしまう。
ただ自由落下に身を任せては間に合わない、そこで忍は落ちながらも壁を蹴り下に向かって加速する。蹴る度に穴の間隔が狭まっているのが分かった。
超スピードで彼女に負担を掛けないよう細心の注意を払い、穴の先へと向かう。
しかし、ゴールの光が近付いてくるその時であった。
(ッ――腕!?)
忍たちを食い止めるように、壁から無数の腕が飛び出してくる。何もなかった穴は、腕が乱立する気色の悪い空間へと早変わりした。
恐らくアミメが堕武者たちを一斉に解放したのだろう。数えきれない数の腕が、網の如く隙間を埋めて進路を塞いだ。
「――うおおおおおおおお!!!」
しかし止まる訳にはいかない。全く減速することなく突っ込んでいく。
"虫の知らせ"で自分が通れる隙間を瞬時に判断、そして時に腕を足蹴にして更に加速。
枝のように乱立する堕武者の腕を躱し続け、遂に穴の果てへと辿り着く。
移動要塞の穴から飛び出たことにより四方の圧迫感は消え、体感的に薄かった空気も一気に広がる。
(ようやく外に出られた……!)
その際忍に抱えられた伊音が感じ取ったのは、この上無い解放感だった。
金涙に攫われ、病院の地下に監禁されてから数時間ぶりの外。ようやく敵の根城から出られた。
しかし安堵するのはまだ早い。頭上に君臨する移動要塞の存在感によって、喉まで出ていた溜息が戻った。
「……これが、濃姫さんの力で作られた移動要塞」
「こんなにデカかったのか……!」
初めて移動要塞を外から眺めた二人は、その巨大さに思わず息を呑む。
本格的に街に侵入し始めた移動要塞は、その六本足でビルを薙ぎ倒していく。その姿はまさに怪獣、以前黒金たちが倒した蟻の巨大足軽などこれに比べれば可愛いものだった。
「兎に角、安全な場所まで離れよう。あれだけ遅いなら、絶対追いつかれない」
「う、うん……!」
移動要塞はそのサイズ故一歩一歩が大きく、普通の人間が走って逃げてもすぐに追いつかれてしまう。
しかし忍のスピードなら、追いつかれることはほぼ無い。
そして忍の言葉通り、地面を蹴り出した次の瞬間には大きく距離を離した。全速力ではないが凄まじい速さで道路を駆け、見る見るうちに移動要塞から遠ざかっていった。
(よし、これなら……!)
忍が追い付かれないことを確信したその時、移動要塞に動きが現れる。
忍たちに向かって動かしていた足を止めると、その足が地面の中へ伸び始めたのだ。
まるで大樹の根のように、伸びた足は地中を進む。その速さは、移動要塞自体の移動速度の比ではない。
「うわッ!?」
根となった移動要塞の足はアスファルトの地面を持ち上げ、忍を宙へと打ち上げる。
そのまま地上へと顔を出し、枝分かれして忍たちを囲い始めた。
見る見るうちに周囲の建造物に肉の根が張り付いていき、そこから肉の触手が伸びて一層に襲い掛かっていく。
「外でもか……しつこいなもう!」
嫌という程見てきた肉の触手を斬りつつ、何とか移動要塞から離れようとするも、執拗に触手がそれを妨害していく。
穴での突破と比べれば手数は少ない方だが、空間が広い分向こうも縦横無尽に攻撃を仕掛けてくる。
それに加え伊音を抱えた状態、更に全快ではない状態など、忍の動きを制限する要素が多かった。
そして攻撃は触手だけではない。地下から飛び出た根の表面から、まるで蕾が生えるように要塞内部で見た蛹が出現。
掴まった人々が堕武者として羽化し、尖兵として襲い掛かる。
(ここが要塞内部じゃない以上付き合う必要はない! 隙を見て逃げ出す!)
忍び寄る肉の触手、奇声を上げて跳びかかってくる堕武者、要塞内部で見た光景が再び広がる。
しかしここはもう外。肉の触手が生えてくる場所にも制限があり、何より閉鎖された空間ではない。抜け出すタイミングはいつでもあるだろう。
「伊音さん。僕の身体にしがみつくことだけを考えて
――大丈夫、絶対に守るから」
「……うん!」
伊音が移動要塞の中にいる間、その身は常に忍が守り続けていた。そのおかげか、彼女の彼に対する信頼はより強いものになっている。
本来自分より小さい男の背中にずっとしがみついて守ってもらうなど、頼りなくて不安で仕方がないだろう。
――しかし忍の背中は違った。確かに伊音よりは小さかったが、その安心感はまるで父の背中のようであった。
命を懸けて自分を守ってくれた父、神童鴻大の姿が忍と重なった。
(それにしてもなんて数だ……要塞内の堕武者全部出てきたのか!?)
そんなやり取りをしているうちに、二人は根から現れた堕武者たちによって囲まれてしまう。
その数は要塞内部で相手をした数の比ではない。病院内にいて巻き込まれた者、捕まった街の者、要塞内部で堕武者にされた全ての者たちが二人に差し向けられていた。
絶対に逃がさない――そんな伊音に対する執着心が汲み取れる。
「意地でも逃がさないつもりか!
やってみろ、僕がいる限り――もう彼女を危険な目には遭わせない!」
決意の一言と共に、地面を蹴る忍。
小さな影が少女を乗せ――縦横無尽に駆け回る。
同刻――移動要塞の心臓部に続く穴にて。
忍の時とは違い、堕武者の腕の代わりに肉の触手が乱立する中、豪牙が穴の幅に突っかかりそうな巨体で押し進む。
「ウォオオオオオオオオ!! "大咆哮・打払"!!」
行く手を阻む触手を衝撃波で薙ぎ払い、狭まる穴を打撃で押し広げながら突き進んでいく。野太い咆哮が穴の先にまで響き渡った。
そうして飛んでくうちに、豪牙が心臓部へと辿り着く。
まるで展望室のように外の景色が一望できるその空間には、今も巨大な繭の中で移動要塞を動かしているアミメがいた。
「あの中にギラファが……!」
四方八方に蠢く混蟲因子、その出どころが目の前にある巨大な繭であることは"虫の知らせ"で既に気づいていた。
つまりあの繭を切除すればこの移動要塞の動きが止まるのだと予想し、豪牙は大槌を大きく振りかぶる。
「エレファスゾウカブト――"象覇弾"ッ!!」
光弾が力強く打たれ、一直線に繭へと飛んでいく。
このままいけば、象覇弾が繭を破壊しアミメと移動要塞の繋がりを断っていただろう。
しかし、突如として床から肉の壁が生えてその攻撃を防いだ。
「ッ――!?」
『――女性の寝込みを襲うなんて、それでも教師なのかしら?』
冷たい声と共に、今度は豪牙の足元近くから触手が生え始める。
次々と襲い掛かる肉塊を躱し続け、また大槌で払い除けていく豪牙。執拗に迫る攻撃に対し、巨体故の鈍さを"虫の知らせ"で補って躱していった。
アミメの声が聞こえたのは繭の中から、やはりあそこにいるのだと再確認した豪牙は接近を試みる。
しかし近づく程彼女の警戒は強くなっていき、肉の触手が立ちはだかる。そう簡単に近づけさせてはくれないようだ。
「このデカブツを操っているのはやっぱりお前だったか、今すぐ止めろ!」
『あなたに言われて止めるわけがないでしょう。私の腹の中にいて偉そうに』
「……腹の中だと?」
するとまるで見せつけるかのように、壁と床が躍動を始める。確かに四方八方が肉に囲まれたこの光景は、まさしく巨大生物の体内である。
豪牙たちも同じ例え方をしていたが、まさか本人も使ってくるとは思いもよらなかった。
『――そう、この移動要塞はもう私の身体と言ってもいい。腹の中というのは文字通りの意味よ。
貴方たちの死体も彩辻同様、混蟲因子として消化してあげる!』
「ッ――!」
思わぬところで彩辻の末路を知った豪牙だったが、それどころではない。
今度は肉塊が波のように左右から迫り、呑み込もうとしてくる。
跳躍して躱す豪牙だったが、その先には天井からぶら下がる触手が既に待ち構えていた。
「フッ――ハァ!!」
力強い大槌が空中で振るわれ、接近する触手を片っ端から抉り潰す。
すると今度は着地した瞬間を狙おうと、下から肉塊が盛り上がっていく。肉塊の中に取り込み、その中で圧し潰すつもりだろう。
(エレファスゾウカブト――"震怒獣王"!!)
対し豪牙は肉塊から逃げることなく、落下と共に強烈な打撃を振り下ろす。豪快な音と共に肉塊は破裂し、周囲にその断片が飛び散った。
――腹の中というよりかは、まるで口の中。四方八方から迫る肉の触手は無数の舌のようで、こちらを味わおうと執拗に狙ってくる。
しかし腹だろうが口だろうが、どちらにしろ休む暇が無いのは変わりない。
『――この体にも大分慣れてきたわ。神童伊音の心臓を手に入れた後は、まずこの国の人間全てを堕武者にする。
その頃にはこの移動要塞も海を越えられるようになっている筈。その後はドクターの意志のままに、全人類を進化へと導く』
「ッ――海を越える、だと……本気で人間全員を甲虫武者にするつもりなのか!」
彩辻から聞いた混蟲武人衆の目的、全人類の甲虫武者化。それを本気でするつもりなのだと改めて理解する豪牙。
突拍子も無い話だと半信半疑だったが、巨大な移動要塞を見てそれも不可能な話ではないことを悟る。
「……そんなことして何になる! どうして全人類の進化なんて目論むんだ!」
『貴方のような男に、ドクターのお考えは理解できるとは思えないわ』
金涙笑斗の宿願でもあり、混蟲武人衆の相違でもある全人類の強制進化。しかし目的は同じでも、それに求める願いはバラバラであった。
金涙は、進化こそ生物の義務であると考えているから。
嵬姿は、ただ純粋に強い者と戦い続けたかったから。
彩辻は、弱者を醜いものだと考え全ての人類を美しくしようとしたから。
――ならばアミメは? 彼女は何を望んで、全ての人間を甲虫武者にしようとしているのだろうか?
『ただ、私個人がその質問に答えるとしたら――"ドクターがそう望んでいるから"よ』
「……何だと?」
――その答えは単純明快なものだった。
『あの人のお役に立ちたい。あの人の望みを叶えてさせあげたい。ただそれだけ』
金涙に対する狂信的なまでの忠誠心、それが移動要塞を操るエネルギーの源だった。
彼女自身、全人類の甲虫武者化に求めているものがあるわけではない。金涙笑斗がそれを望んでいる、本当にそれだけであった。
それを聞いた豪牙は、アミメが金涙の操り人形のように見える。今更彼女に同情するわけではないが、あんな男の為にお世辞にも綺麗な姿とは言えない姿に変貌した彼女が滑稽にすら思えた。
「――哀れなもんだな。お前はあいつのことを慕っているだろうが、その逆はどうなんだ? 俺にはあいつに利用されているようにしか見えん」
もしアミメが金涙に抱いている感情と同じように、向こうも彼女のことを大切に想っているというのなら、"姫"の胎の器にして移動要塞の要にしようとは思わないだろう。
十中八九、ただ利用するだけ存在としか見ていない。それは確かであった。
豪牙の言葉に対し、アミメは激昂してそれを否定してくると思われた。
しかし彼女は、まるでそれが当たり前のことのように落ち着いた様子で返答する。
『――それが何だっていうの? 勝手に哀れだなんて決めつけないで。
私はドクターのお役に立てるならそれでいいの。逆に言えばそれ以外がどうなろうと構わないわ。
ドクター以外の人間は勿論、私自身のこともね』
金涙の力になれるのなら、自分がどう扱われどうなろうが構わない。そんな迷いなき献身さが触手へと宿り、豪牙への攻撃を更に加速させていく。
誰かの為に自分の身を差し出す、そんな言い方は些か綺麗すぎかもしれない。しかしそういう意味では、豪牙も同じであった。
「……俺もお前たちのことなんてどうでもいいさ。だが俺の生徒や無関係な人間を巻き込むってなら、見過ごすわけにはいかねぇ!
お前らを倒して――神童の平和を取り戻す!」
彼もまた、自分の生徒の為に命を懸ける男。
神童伊音と小峰忍、本来ならばこんなことに巻き込まれず勉学に精を出すべき若者の平穏を守るため、その身を削って戦い抜く。
豪牙のそれはあくまでも教師という職業の延長でしかない。彼女の金涙に対する忠誠心と比べれば、些か弱いものかもしれない。
――だがそれこそが象山豪牙の戦う理由。豪牙もアミメも、本質は同じであった。
「行くぞ――その繭、派手にぶっ潰してやる!」
夏が来たって感じで最近暑くて堪らない。
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