212話
忍が彩辻を倒し、英たちが嵬姿を倒した頃。
移動要塞の進行方向にある街は、もう殆どの市民が避難を済ませ静寂に包まれていた。
普段なら会社帰りのサラリーマンや買い物目的の市民が闊歩しているだろうが、迫る巨大物を見て蜘蛛の子のように散っていった。
――そんな静けさを、上からの衝撃が打ち壊す。
「ッ――!」
勢い良く降ってきたのは黒金、地面に叩きつけられるも素早い受け身ですぐに態勢を立て直す。
その次に降ってきたのは蟲術で形成された手裏剣の雨。降りかかる刃に黒金が刀を奔らせる。
黒金が手裏剣を弾いている隙に、千代女がその背後に降り立つ。
そして練るように蟲術の手裏剣を作り、着地と同時にそれを放つ。
(――"桔梗の花園"!!)
背後からの攻撃を察知した黒金は、上からの手裏剣を全て防いだ後素早く二刀を連結。振り向くと同時に両剣となった刃で迫る手裏剣を一掃する。
ビルの屋上から飛び降り、地上で対面する黒金と千代女。
市民も避難を終えた今、このコンクリートの上でも思う存分戦えるようになった。
ここで黒金はクロツメの形態変化を一旦解き、通常のオオクワガタの刃へと戻す。千代女の"木葉層"を突破するには、スピード特化のクロツメでは不向きだからだ。
「――"紅玉烈火"ァ!!」
突進で一気に間合いを詰めると同時に、怒涛の剣撃を浴びせていく黒金。
"木葉層"の盾で防ぐ千代女だったが、その気迫と勢いに競り負け、後ろへと押されていく。
このまま押し切る――強く一歩を踏み出し、千代女の懐目掛けて二刀を振り払う。
――が、直前のところでより硬く重ねられた"木葉層"を出され、不発に終わってしまう。
それでも攻撃を続けようとする黒金だったが、電流のように走る"虫の知らせ"によって、その手が止まる。
(ッ――上か!?)
本能に従い後方を見上げると、信玄がビルの壁を滑るように降りていた。その手に握られた軍配団扇は、既に蜜魔兵が集結して巨大な斧へと変えている。
「如雷陣――!!」
あの攻撃は見たことがある、途轍もない広範囲攻撃だ。それが上から繰り出されたら、無事では済まないだろう。
退避するべく千代女から離れる黒金だったが、その行く手を"木葉層"が遮る。
「ッ――この!」
まるで箱のように"木葉層"は展開されていき、迂回も許さぬよう四方を封じ込める。唯一の抜け穴として上が残っているが、時既に遅く上空の信玄が斧を振り払っていた。
「"雷霆殲滅"――ッ!!!」
集まった蜜魔兵が互いに振動し合い、その衝突で発生した火花がまるで生き物のように伸び、黒金に降り注ぐ。
その光景はまさしく、地上に向かって走る雷のようであった。
(回避――無理か! 相殺するしかない!)
四方は壁に囲まれ、唯一残された逃げ道である真上からは信玄の雷が迫ってきている。
逃げ場はない――完全に追い込まれた、絶体絶命の窮地。しかし黒金は臆さず、天に向かって剣を構える。
(オオクワガタ――"金剛砕き"!!!)
渾身の剣撃を、降りかかる雷にぶつける。しかし"雷霆殲滅"の一撃は広がり、黒金を呑み込んで周囲に炸裂した。
雷が落ちたような衝撃――なんて言葉では足らない程の破壊力。道路は焦げて黒に染まり、爆発の煙が辺りを漂う。
その間に信玄が地上に降り、黒武者は跡形も無く吹き飛んだのかと、覗くように煙の中を伺う。
しかし内側から振り払う力によって煙は一気に晴れ、中からは五体満足の黒金が出てきた。
「あの状況を打破するか、本当にしつこい猿もどきだ」
「――信玄様の一撃が当たった瞬間に"木葉層"を消しました。直撃は防がれましたが、その衝撃は受けているはずです」
千代女の言う通り、信玄の"雷霆殲滅"を全て受け止め切れたわけではない。
オオクワガタの"金剛砕き"でもあの一撃は相殺できず、更に千代女がタイミング良く周囲の壁を消したため、大きなダメージを受けてしまっていた。
(ッ……こういう時、あのバカの硬さが羨ましいぜ全く)
雷で焼かれた皮膚を治しながら思い出すのは、憎たらしい阿呆の顔。
リッキーブルーならあの状況でも、真上からの直撃さえ防げば無傷で済んでいただろう。
それかコクワガタなら、もしかしたら躱せていたかもしれない。
仲間ならどうしたか――そういった思考と同列に、黒金はここから勝ち筋を見据えていく。
(連続しての形態変化はエネルギーを結構食う……やはり早いところ片方を倒した方がいいな、どいつから倒したものか)
千代女の"木葉層"には切れ味特化のオオクワガタを、信玄の蜜魔兵にはスピード特化のクロツメと二つの形態を使い分けていた黒金だが、刀身とその性質を変形させるのにもエネルギーが必要だった。
それを激しい戦闘の内に何度も繰り返していると当然消耗は激しくなる。ならば二匹の内一匹を倒し、不必要な形態変化を減らすしかない。
(千代女も信玄の野郎も、どちらも守りは硬い。だがどちらかを先に倒すかということは、もう片方はフリーになるということ。
もし信玄だけに集中して攻撃すれば、千代女は蟲術で奴を守るだろう。忠誠心のある奴だからな。
だがそれを逆にしたとして、信玄が千代女を守るとは思えない。奴ならわざわざ仲間を守るより俺の方を攻撃してくるはずだ。
――先に倒すべきは千代女! すぐにでも隣の糞野郎を殺したいところだがな!)
千代女は信玄の忠実な家臣、故に信玄が狙われた時は最優先で守るだろう。
しかし信玄に自分の部下を守るような度量は無い。いざとなれば千代女ごと黒金を狙ってくる可能性もある。
そうと決まれば話は早い。オオクワガタの刃を維持したまま、千代女の方へ斬りかかる。"木葉層"で迎える千代女だが、黒金から繰り出したのは剣撃ではなく斬撃だった。
(オオクワガタ――"空裂水晶"!!)
斬りかかると思わせてから放たれた二つの斬撃が、千代女の予測よりワンテンポ早く攻撃が飛んでくる。
その為防御が少し遅れ、不完全な"木葉層"は斬撃によって破壊された。その隙にと、黒金は距離を詰めていく。
対し千代女はもう一度"木葉層"を試みるも、またもや完全に形成する前に破られる。何度も蟲術で壁を作っていくが、全て完成する前に壊されていった。
(ッ――結界を張らせないつもりね!)
――"木葉層"の防御が硬いのなら、それが完成する前に壊せばいい。
新たな結界の生成が間に合わない程、黒金の猛攻は更に苛烈さを極めていく。
オオクワガタの剣撃によって無惨にも砕かれた"木葉層"の破片が、パラパラと散った。
「ハァ――ラァ!!」
やがて黒金の刃が千代女へ届き、今度は彼女の血飛沫を振り撒く。薄緑色の結界に、鎧蟲特有の緑色の鮮血が交じり合う。
その第一撃から間髪入れず、第二撃が更に襲う。
二刀流だからできる連続攻撃で、彼女の身体をどんどん斬り裂いていく。
(ぐッ……蟲術が、間に合わない……!)
何とか"木葉層"で攻撃を防ぎ一時撤退しようと足掻く千代女だったが、さっきと同じように、結界の生成が完了する前に壊されてしまう。
――このまま切り刻む! と更に剣撃を繰り出そうとしたその時、"虫の知らせ"が横からの攻撃を察知した。
「――あまり調子に乗るなよ、黒武者」
信玄の"雷霆殲滅"が、今度は横に払う形で放たれる。
ここで千代女を倒したかった黒金だったが、ここで深追いすればこちらも危ないと判断し、飛んで雷の一撃を回避した。
「チッ――!」
"雷霆殲滅"の横槍はその軌道上にあった建造物を巻き込み、瓦礫の山へと変えてみせる。そのあまりの威力に、黒金は改めて畏怖した。
「千代女よ、貴様は猿もどき如きに何を臆している?
この信玄のくノ一ともあろう者が、たかが一匹の武者にこうも追い詰められるとはな……情けない」
「ッ……お手を煩わせて、申し訳ございません」
すぐ側で跪く千代女を一切見ないまま、罵詈雑言を浴びせていく信玄。
てっきり信玄にも部下を思いやり心が少なからずあったと思った黒金だったが、やはりそんなことはなかったらしい。
千代女を助けたのはほんの気まぐれ、彼女のことなど毛ほども気遣っていない。でなければ、"雷霆殲滅"のような味方を巻き込む可能性のある技で助けたりはしないだろう。
「――この男の相手はもういい加減疲れた。少しつまらんがアレを使う。
奴はまず貴様から片付けるつもりらしい、だから貴様が注意を惹き、奴の動きを止めろ。命を賭してな」
「ッ――!」
すると信玄は、小さな声で命令を出す。それを聞いた千代女は一瞬青ざめた後に、大きく目を見開いた。
その瞬間、動揺とまではいかないがその心に僅かな乱れが生まれる。
「――承知しました」
目を瞑ってから出たその言葉はまるで絞り出すようなものだったが、迷いや疑問などは一切感じられない、覚悟が決まっていた。
二人の会話が聞こえなかった黒金からは、突然千代女の迫力が増したように見えて、緊張感が全身を走った。
(何をする気だ……!?)
会話の内容も、今から連中が何をするつもりなのかも黒金には分からない。
しかし千代女を起点に何か企んでいるのは、その覇気から嫌という程分かった。
「蟲術――"飄武者"」
"木葉層"と同じ要領で、木葉模様が人の形を形成していく。
数は約十体……いや数十体ほど。皆が皆千代女と同じ姿形へと変わり、あっという間に千代女の軍勢が出来上がった。
(象山の言っていた分身か……!)
黒金はその技の存在を、予め豪牙から聞いていた。
しかし豪牙と対峙した時の分身は三匹ほど、目の前の千代女たちはその十倍はいるだろう。
かつて上杉御庭番衆が森ノ隅学校を襲撃した際、千代女は学校内の人間を逃がさない為に巨大な巣界を展開していた。その分蟲術で使える力に制限が掛かり、三匹の分身が限界だったのだ。
しかし今は違う。千代女は"飄武者"に多くの力を注ぎ、分身の数を多く増やした。
二対一が――集団戦となった。
「「「ハァ――!!」」」
千代女が分身たちと共に一斉に跳びかかる。同時に蟲術の手裏剣を全員で投げつけた。
降りかかる手裏剣の雨を捌きながら、迫る分身軍団から後退する黒金。
流石にこの人数を一度に相手する余裕は無い、忽ち人数差で追い込まれてしまうだろう。
「"空裂水晶"ォ!! ――オォ!!」
退きながらも試しに斬撃を放ち、跳びかかる分身をまずは二匹撃ち落としてみる。
たったの一発の斬撃でも分身は容易く斬れたのを確認し、分身の一匹一匹の耐久性を感覚的に理解した。
(あの壁に比べて脆いな、やはり蟲術で作れる物体の量と大きさは決まっているらしい。
これくらいの硬さなら、クロツメで一掃できる――!)
しかし分身の数が多いせいか、彼女が守りに使っていた"木葉層"と比べて多少脆くなっている。
千代女は数の差で圧倒するつもりだろうが、そのおかげで黒金が普通のオオクワガタでいる理由が無くなった。
刀身が湾曲し、形態"黒爪ノ姿"へと変わる。
(クロツメ――"黒夜桜・花吹雪"!!)
大量の斬撃が回転切りの風圧で煽られ、予測不能の軌道となって分身たちに襲い掛かる。
"黒夜桜"の斬撃に、千代女の分身たちは次々と斬られていく。手裏剣を投げても斬撃に阻まれるか、風であらぬ方向へ飛ばされてしまうかで全く当たらない。
(あと半分――ッ!)
"黒夜桜・花吹雪"によって、分身たちの大半が消えた。このままいけば本物もすぐに見つかるだろう。
しかし黒金は気づかなかった。分身の数が減るということは、その分使える力に余裕ができるということ。
数が減っていく分、分身たちの耐久度は上がる。
やがて五匹程度になったところで、"黒夜桜"でも斬れない程になっていた。
「ッ――!」
迫る五人の千代女をクロツメの素早い剣撃で捌きながら、後ろへ下がる黒金。
数は減らせたが、その分面倒になってしまった。こうなった以上、この中から本物を見つけ出すしかない。
そう考えていた黒金だが、ふとあることに気づく。
(――待てよ。分身たちが硬くなろうが、本体の耐久性は変わらないはずだ。つまり本体が斬撃の嵐の中を突破するには、結界でガードするしかない)
分身たちが硬くなったのは、蟲術によって形成された存在だからである。しかし千代女本体は生身、あの斬撃の嵐の中を突き進める程、彼女の防具は優秀ではない。
ならば"木葉層"の結界でガードするしかないが、分身たちの中にそのような動作をしていた個体はいなかった。つまり――
(――最初から分身たちの中にいなかったのか!)
今相手している五匹の千代女の内、四匹が分身で残りの一匹が本物だと思い込んでいた。
しかし分身たちが一斉に跳びかかった時から、あの中に本物の千代女はいなかったのだ。
ならばその本物はどこにいったのだろうか――千代女が分身を繰り出した一瞬で、どこかに身を隠したのだろう。
分身の攻撃を躱しながら、"虫の知らせ"で周囲を探る黒金。
第六感が見つけた気配は――すぐ後ろから迫っていた。
(――後ろか!)
そうして振り向くと同時に、刃を振る。
黒金の背後には誰もいなかった。しかし彼の"虫の知らせ"が、確かにそこにいると反応している。現に黒金の刃が見えない何かと衝突していた。
(姿を消していたのか!)
薄っすらと姿を現したのは、宙に浮く一本のクナイ。やがてそれを握る手から腕、見えなくなっていたものが露となっていく。
千代女の蟲術"擬態風画"。全身を"木葉層"と同じ木葉模様で覆い、周囲の風景と同化することで透明になっていたのだ。
「ハァ――!」
それでも直前でクナイを受け止めることができた。本物が姿を見せたところで、黒金はもう片方の刃を走らせる。
しかし本物に気を取られ、五匹の分身が迫っていたことを忘れていた。計六匹の千代女に取り囲まれてしまう。
「くッ……!」
全員がクナイを構えて、逃がさないよう四方八方から襲ってくる。
クロツメだからこそ六匹の同時攻撃が捌けるが、それだと分身を倒せない問題がある。
やはり本物を斬るしかない。
勿論どれが本物かは覚えている。後はこの状況からどう千代女を倒すか、それだけだった。
刹那――黒金の"虫の知らせ"が、再び警鐘を鳴らす。
「ッ――!?」
今までにも"虫の知らせ"が危険を察知したことはあった。
しかし今回の反応は今までのものと何かが違う。
まるで心の奥底で眠っていた恐怖、トラウマが一気に呼び起こされたような不快感。
この感覚を、一度経験したことがある。そんなデジャヴが黒金の全身を走る。
そして千代女もまた、黒金と同じように動きを止める。それに伴い、分身たちもまるで電池が切れたように動かなくなる。
鎧蟲に甲虫武者のような第六感能力は無い。ならば何を見て硬直したのか。
「信玄様……!」
"虫の知らせ"が感じ取った気配は、遠くにいる信玄からのものだった。
奴の周囲で蜜魔兵が群がり、一匹の生き物のように蠢いている。
その色は毒々しい紫色に染まっており、それを見た黒金の目が大きく見開かれた。
(あれは――!)
忘れもしない、あの色は――愛する家族を塗り染めた、死の色。"虫の知らせ"が感じ取った恐怖の正体は、間違いなくそれだった。
「――もういい、終いだ千代女」
冷たく言い放たれた信玄の一言、それを聞いて黒金は千代女の迫力が急に増した理由を悟る。
――間違いない、千代女ごと俺を攻撃してくるつもりだと。
禍々しい色に染まった蜜魔兵の群れは信玄が手を払うと、一斉に黒金たちへ襲い掛かった。
兎にも角にも、あれが触れてはいけないものだというのは"虫の知らせ"を通して分かる。幸い信玄とは少し離れている、今なら退避も間に合うだろう。
しかし本物を含めた六人の千代女が黒金の身体を掴み取り、この場から逃がさない意志を強く見せた。
「お前……死ぬ気か!?」
「――この身は元よりあのお方の物。私と心中してもらおうか、黒武者!」
千代女ごと狙ってくるということは、彼女を見捨てたにも等しいこと。だというのに千代女はその意志を汲み取り、こうして命を懸けて黒金の足止めに徹する。
しかし足止めだけなら分身に任せればいいはず。
それをしないということはつまり、今更逃げても間に合わない程の広範囲攻撃が来ることを意味する。
千代女は防御面に優れているが、機動力はそこまであるわけではない。今から迫りくる蜜魔兵から逃げ果せるのは不可能だと踏んだのだ。
そしてどうせ死ぬのなら――全身全霊を以てこの黒武者の動きを封じ、最期まで主に尽くそう。そんな信玄の強い忠誠心が垣間見える。
(ッ――やばい! 本気で俺と心中するつもりだ!)
やっぱり死を恐れた千代女が、木葉層で自分ごと身を守る可能性を願ったが、千代女の覚悟は硬く自らを守る気配など全く無かった。
そうこうしているうちに、蜜魔兵がすぐそこまで迫っている。その群れは枝分かれして形作り、巨大な手で握りつぶすように囲もうとしてくる。
距離が縮まる度に"虫の知らせ"の警告が激しくなる。
何とかして千代女とその分身を振り払い、抜け出さなくては――
(間に合え――!!)
紫を帯びた蜜魔兵が、黒金と千代女を一気に呑み込む。
やがて一塊に集結した蜜魔兵は、その後煙のように散っていく。
その中から現れたのは、変わり果てた千代女の姿だった。
「し、んげ、ん様……」
蜜魔兵と同じ色が、彼女の全身を変色させている。分身は本体が瀕死になっているせいか、既に消えていた。
千代女は掠れる声で信玄の名を呟き、主君に向かって手を伸ばす。
――文字通り命を懸けて、信玄の命に従ったのだ。労いの言葉があってもおかしくはないだろう。
しかし信玄の視線は一向に千代女に向けられず、彼女を素通りしている。
自分の為に部下が自らを犠牲にしたというのに、既に眼中に無かった。
「申し、訳ござい、ません……」
――それでも千代女は、満足だった。
信玄の為に、こうして死ねることが。
心残りがあるとするならば、それは自分の使命を全うできなかったことだ。
倒れるより先に、千代女の身体はボロボロに崩れ落ちる。その破片は風に吹かれて、どこかへ飛んでいった。
では部下の死に目もくれず、信玄は一体何を見据えているのか?
蜜魔兵が霧散した後、その向こう側で黒い鎧姿が立ち尽くしていた。
「……千代女め、しくじりおったな」
その姿を見て、舌打ちする信玄。
そこには、息が上がりながらも二刀をしっかりと握りしめた黒金がいた。
(――危なかった。抜け出すのがもう少し遅れていたら、確実に死んでいた!)
クロツメの刃を駆使して何とか千代女を振り払い、蜜魔兵に包囲される前に抜け出すことができた黒金。
もし振り払うのに手こずっていたら、自分の彼女と同じ末路になっていただろうと思うとゾッとする。
――忘れられないトラウマとして、記憶に深く刻まれた死に方。
千代女の最期が、自分の家族の最期と重なってしまう。
(間違いない、あれは……!)
「――どうした黒武者よ、儂の毒に恐れおののいたか?」
信玄が使う猛毒、黒金の家族及び"叡火の惨劇"の犠牲者の多くは、それによって毒殺された。
そして信玄の毒によって殺されたのは人間だけではなく、かつて信長に仕えていた家臣、勝家もまたあの毒の犠牲者である。
「この毒は少しでも触れれば即座に全身を回り、木屑のように身体を崩壊させる。
毒に耐性のある蜜魔兵にそれを纏わせ、遠くから敵を毒殺する。信長が毒の銃を使う前は、よくこうして敵を始末していたものよ」
蜜魔兵のあの色は、信玄の毒を帯びたからだった。相手を即死させるという意味では信長の毒と似ているが、信玄の毒は死体の欠片も残さない。
小さくて素早い蜜魔兵がそんな毒を纏ったらどうなるか。
とても恐ろしい攻撃になるというのは、想像に難くない。
「さて黒武者、貴様は本当にしつこい男だな。大人しく今ので殺されていれば良かったものを。
貴様に勝ち目はない。この蜜魔兵が一匹でも触れれば、貴様の死は確定する。
こいつらに一度も触れずに、儂の首が取れると思うか?」
すると信玄は見せつけるように、蜜魔兵を自分の周囲で蠢かせる。あの数えきれない群れの一匹一匹に、人間を簡単に殺す毒が帯びていると考えれば、絶望以外の何物でもないだろう。
しかし黒金に、絶望など全く無かった。
勿論蜜魔兵と毒の合わせ技を侮っているわけではない。しかしそれ以上に、信玄に対する憎しみが沸々と込み上がっていたのだ。
――自分から家族を奪った方法で、自分を始末しようとしてくる。
信玄は気にも留めていないだろうが、それが黒金の逆鱗に触れていた。
「――勝ち目が無い? 流石は鎧蟲、頭も虫並みだな。
そんなちっぽけな蜜蜂共、俺たちのクロツメで全て弾いてやる!」
そう言って黒金は、友から受け継いだクロツメの刃を信玄に突きつける。
今こそ、自分を狂わせた全てに決着を付ける――そんな意志と共に。
ウマ娘面白すぎて始まる前は何してたか思い出せない。
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